●突入前
「……いい加減にしろ、カッツェ!」
激しい怒りを露わにする水無瀬 快晴(
jb0745)の肩に力強い手が添えられた。心を鎮めろ。鳳 静矢(
ja3856)の視線はそう告げていた。
「これ以上被害を広げない為に、今度こそカッツェさんを倒そうっ」
頼もしい義父の存在が、愛しき川澄文歌(
jb7507)の温もりが、我を失いかけた快晴の心に冷静さを引き戻す。
「恐らくは効率良く人を集める為に、こんな悪趣味なゲームを開催したんでしょうね」
これから対峙するだろう悪魔の嗜好を思い、雫(
ja1894)が息を吐いた。
「こういうやり方、嫌い」
「うん。ちゃっちゃと終わらせてお帰りしてもらうです」
ザジテン・カロナール(
jc0759)の呟きに、マリー・ゴールド(
jc1045)が同意を示した。
それはエカテリーナ・コドロワ(
jc0366)も同じで。
「赤っ恥を掻く準備はいいか、野良猫?」
しかし彼女は一切感情を表に出す事なく、毅然としてアサルトライフルを構える。
「脱出ゲームから女子プロレスゲームに変えてあげる♪」
そんなピリピリとした空気の中、桜庭愛(
jc1977)だけは普段と変わらず、天真爛漫な笑顔で準備運動を始めていた。
――戦場となる建物は六階層。
一階と地階に静矢とエカテリーナ、ザジテン、マリーの四人。
中層を雫と愛、上層は快晴と文歌が二人一組で回り、同時進行で救出に当たる。
●一階
「発見しました!」
フロアに突入してすぐマリーが叫ぶ。
化粧品売り場の陳列棚に三名、身を寄せ合って。その近くには猫頭人身のディアボロの姿も見えた。
素早くエカテリーナが銃を撃ち、注意を引き付ける。
「他に誰かいませんか?」
その呼びかけに、フロアのあちこちで影が揺れた。
先に客を逃がしたのだろう。残っていた者の多くは店員だ。
「二階の連絡通路です。地階へは行かないでください」
マリーは彼らを一人ひとりに声を掛け、避難口へと導いていく。しかし。
「あ……そっちじゃないです!」
数名の人々がマリーの確保する避難口ではなく、直近のエスカレターへと向かった。
最終的に目的血へたどり着くなら、どの道を通っても問題はない。しかしそれは安全が確認できず、撃退士の目が届かないという事実を考慮しなければの話。
先導する女性の首筋に垣間見えた硬質の赤――パペットの証。
「小賢しい事を」
人を誘導するために言葉は要らない。
ただ先頭に立ち歩く。心に余裕のない時であれば、それだけで人は後ろに続く。
「そこの女、言葉が理解できるなら、止まれ」
がちゃりと低く重い音をたて、エカテリーナが銃を構えた。
その間、ザジテンはサービスセンターへ直行。館内放送用のマイクを手に取った。
「避難者の皆様にお知らせします。撃退士が救命活動を行っています。指示に従い、静かに行動してください」
噛まずに言えた事に、ザジテンはほっと息を吐く。
『二階です。聞こえまました』
『……上出来だな』
仲間達からの報告を聞く限り、妨害はなかったようだ。
しかし安堵したのも束の間。
『ハァイ。人間の皆、聞いてる? たった今撃退士が来たわ。でも油断はキンモツ。あたしの手下は撃退士のフリをしているから、しっかり見極めてね♪』
ひどく愉しげな声が響き渡った。
「……やはり総合管理室を乗っ取られているな。居座っているのはヴァニタスだろうが」
「でも、カツエさんの声でしたよ?」
ザジテンの疑問に、静矢は録音だと断言した。
こちらの放送に対する当てつけにしては言い回しが不自然だ。撃退士の目を管理室に向け、その隙に事を成すつもりだったのだろう。
(どこまでヘイトを上げれば気が済むんです?)
似ている。吐き気がするほどに。
天界時代の上司を彷彿とさせる性格に嫌悪感を抱きつつ、ザジテンは再びマイクを取った。
今度は声色を低く抑えて。
「カッツェ! こそこそ動くのは己が弱いからじゃないか? そうでないなら証明して見せろ。俺は下の階にいる!」
あからさまな挑発。乗ってくれるかは五分五分。
たとえ無視されたとしても何も問題はない。上層には快晴が、カッツェを討つに最も相応しい男が居るのだから。
●二階
「要救助者七名確保。うち一名は頭部を負傷しています」
すぐに治療を施せるよう状態を伝えた雫は、携帯に割り込んだノイズに顔を顰めた。
ちゃんと伝わっただろうか? その確認を取る前に、敵が姿を現した。
バステトと光を纏う小さな蜂の群れ。ヴォンと羽音が広がり、心許なかった通信が完全に途切れる。
「電波不良の原因はあの蜂ですか。一匹一匹潰していてはキリがないですが……」
雫は人々を庇う位置に立ち、大剣を構えた。
いっぱいに広がり襲来する蛍蜂をクレセントサイスで一気に切り刻む。
「バステトマスクめ、女子プロレスラーの必殺技を受けてみろ!」
愛は拳にアウルを纏わせると、猫頭人身のディアボロへ風の一撃を撃ち放った。
衝撃でバステトの足がふらつく。態勢が崩れた隙を見逃さず、膝蹴りからのパイルドライバーでトドメを差す。
「ヴィクトリー♪」
美しいまでにパーフェクトな勝利にガッツポーズを決める愛。
場所が場所なら惜しみのない拍手が掛けられていただろう。しかし、ここはリングの外。冥魔に占領された戦場なのだ。
さらに。
カッツェが流した『放送』の影響で、人々は本当に撃退士と信じて良いのか迷っていた。
それらの疑念は、雫が学園の身分証を提示する事で呆気なく払拭されたが。
無事に人々を送り出した二人は三階を目指す。
「何か堅そうなモノがいますね。……あれが鎧虫でしょうか?」
クワガタムシによく似た姿。不用意に近づけば、ギロチンのような鋭い顎で鋏まれてしまうだろう。
ならば近づく前に撃つ!
先手必勝とばかりに愛は拳にアウルを纏わせる。
「って……!?」
くるん、と身を丸め完全な球状となったソレは、勢いよく階段を転げ落ち、強烈な体当たりを繰り出してきた。
●四階
「……いい加減にしろ、カッツェ!」
撃退士の存在すら欺瞞のために利用され、快晴は怒りを露わにした。
その一言で、人々はたちまちパニックに陥り、四方へ走り出す。
エレベーターへ向かった集団の前に蛍蜂が立ち塞がった。無害そうに見えるが、触れた者の意識を奪う程の電撃を放つ厄介な相手だ。
「……眠ってしま、え!」
翳した手が生み出したのは氷の夜想曲。特化した魔力の威力は凄まじく、蜂は瞬く間に床へ堕ちた。
「ピィちゃん、お願い!」
文歌も青き鳳凰を呼び出し足止めを試みるが、全てを引き留める事はできない。
「もう少し人数を割くべきだったかもね。電波復旧してるけど、愛さん達を呼ぶ?」
「……そうだな」
今、二人の前に居るのは、上階から逃げて来たイベント参加者とスタッフだ。
元々この階に残っていた人々を含めると、その数は予想された要救助者の半数を占める。カッツェやディアボロの目を掻い潜りながら、この大人数を二人だけで守り切るのは難しい。
「できるだけ一塊になってください」
抗天魔陣で気配を多い隠し、文歌は人々に衣料品の森に隠れるよう指示を出す。
「あたしは固まらないほうが良いと思うけどぉ? だって一発で殺れちゃうんだもの」
その時、聞き覚えのある声が響いた。
自分自身のチャンスより相手にとって最悪のタイミングを選ぶ――それは実に彼女らしい手法と言えた。
どうやら挑発には乗ってくれなかったようだ。
ほんの数メートル先、あろうことか連絡通路へと続く防火戸に背を預けて。にんまりと笑う少女の姿を認めた瞬間、快晴の全身から銀色の光纏が殺気となって溢れ出した。
●地階
本丸が近づけば当然守りも堅くなる。
総合管理室を目指す静矢の前に立ち塞がるのは、鉄壁の防御力を持つミミズ型のディアボロ――ノヅチ。
「むざむざ獲物を逃がすよりはと殺害に走る可能性もある。時間をかけている暇はないのだが……」
「シズヤさん、ここは僕達に任せてください」
ヒリュウ・クラウディルが鼻先を掠め飛ぶ。ノヅチはそれを噛み砕こうと身を捩った。
背中を狙うバステトはマリーが魔導書で牽制する。
仲間達の援護を受け管理室の扉を開けた静矢は、ヴァニタスの姿を認めた瞬間、目の前に閃いた刃を紙一重で避けた。
首を撥ねられかけても動じる事なく、静矢はカマキリへの懐へ飛び込み両断する。
もう一枚のカベも難なく斬り払い。
「貴様が噂の性悪猫の手下か。……過ぎる悪戯には御仕置きが必要だな」
静矢の刀が紫色の光を放った。
前衛が消えた今、敵の攻撃は余す事なく後衛へと向けられる。
鎌首をもたげて振り抜くノヅチの一撃は重く、当たれば生命力を根こそぎ削られる。しかしそれを警戒して距離を取れば、今度は逃走を許す事になる。
「貴様の装甲、剥ぎ取らせてもらう!」
エカテリーナが弾丸に込めた技は毒撃破。対カッツェ用に温存しておきたかったが、徒に戦いを長引かせる訳にはいかない。
これ以上、人々を奪われないためにも。
放たれた弾丸は狙い違わずノヅチの喉元を穿った。与えたダメージは僅かでも、小さな傷口から滲んだ強酸性の消化液が、見る間にノヅチの体を冒していく。
腐食した部分を狙いマリーが魔法書を放つ。
続けてクラウディルの雷を受けたノヅチは呆気なく首を粉砕された。
どさりと床に転がったノヅチの骸をマリーが蒼鷹の爪で切り裂き、腹の中に捕らわれていた人々を助け出した。
●続・四階
悪魔の登場で、緊張の糸は今度こそ完全に切れてしまった。
人々は散り散りになって逃げ出すが、避難口はどこもディアボロが立ち塞がって脱出は不可能。閉ざされたフロアの中を逃げ回る事になる。
(カイ、いくよっ)
文歌の声と同時に光が迸った。稲妻で穿った相手の動きを封じる因陀羅の矢だ。
感覚を奪われたカッツェが小さく舌を打つ。
その間、快晴は立ち並ぶマネキンを隠れ蓑に潜行し、背後から斬りかかる。
『右手後方です』
スピーカーから流れた指示がカッツェの回避を援ける。
快晴は攻撃を続ける。二度三度。怒涛のような攻撃はカッツェが受けに転じる事で途切れた。
「……腕は治ったの? また怪我したい?」
「見て判るでしょ。もしかしてその目はただの節穴?」
カッツェの瞳が炎色に染まった。
「ちっ」
咄嗟に身を引いた。渦巻く爆炎は文歌が放ったアウルの鎧が和らげたが、熱風に焼かれた喉がヒリヒリと痛む。
「遅れて申し訳ありません」
ここで待ち望んでいた援軍が到着。頼もしい友人の笑顔に、文歌はほっと胸を撫で下ろす。
「避難誘導をお願いっ」
「させないわよ」
カッツェが跳ぶ。狙いは見た目で最も装甲の薄い愛だ。
「私にプロレスで勝とうだなんて千年早いんだからっ」
凶器による攻撃も五秒までなら計算の内。組み伏せられ肩に爪を突き立てられても、愛は人々に不安を与えないよう、喉元まで出かけた声を押し殺す。
「……貴様の相手は俺だ!」
快晴が背中から強襲する。天の声は掛からない。破壊に重きを置いたDDDを叩き込み、カッツェを後方へと弾き飛ばした。
「大丈夫ですか?」
駆け寄った文歌に、愛は無言で頷き立ち上がった。脚がふらついたが、それも一瞬の事。
「その様子では問題ないようですね。扉の確保をお願いします。皆さんはこちらへ」
鎧虫を防火戸から遠ざけつつ、雫は淡々と指示を飛ばす。
人々が駆けだした。少しでも早く、誰よりも先に抜け出そうと、開け放たれた扉へ殺到する。
中には立ち上がる体力が残っていない者もいた。文歌が介助に回るより先に、一人の青年が手を差し伸べる。
「手伝います。……睦月」
「うん、拓海くん」
連れらしき女性も目の不自由な婦人の手を取った。その行動に触発され、さらに複数の人々が助け合う。
快晴は片膝を付いたカッツェに歩み寄った。
「……しぶといね。でも苦しいでしょ。楽にしてあげようか?」
カッツェが嗤う。まるで勝利を確信したように。
「……諦めなよ」
「あんたがね」
ざまぁみろ――瞳を青く染め、カッツェは唇の動きだけで言い放った。
「ザマァミロ」
愛の唇が機械的に、彼女には不似合いな言葉を紡いだ。
人々を誘導していた文歌は何事かと視線を向け……息を飲んだ。
長い髪で見え隠れする白い肩。そこに『赤い爪』が埋め込まれていた。
(まさか……あの時に!)
使徒ですら支配した赤い爪。撃退士が影響を受けても何の不思議はない。
「ダメーッ」
その瞬間、愛を中心に旋風が巻き起こり、悲鳴が響いた。
「そんな……」
一瞬で切り刻まれ血の海に沈んだ人々を前に、さすがの雫も言葉を失った。
起点となった愛は自爆で倒れ、快晴は辛うじて意識をつないでいるが、指一本動かす事もできない。
ただ一方向、文歌より後ろにいた人々だけが、無傷のまま残されていた。
あの瞬間、文歌の目の前の空間がハニカム状にひび割れ、殺戮の風を受け止めたのだ。
「……何よ、今の」
素直に考えれば撃退士のスキル。しかし、それが誰の技でもない事は、彼らの反応を見れば明白で。カッツェは何かを悟ったように嗜虐的な笑みを浮かべた。
「ふぅん、誰か知らないけど、面白い事してくれるじゃん」
カッツェの瞳に風の色が映る。今度こそ全てを切り刻むつもりか。
しかし、無慈悲な追撃が行われる事はなかった。
『カッツェに告ぐ。貴様のヴァニタスは討たせてもらった』
静矢の声が館内に響く。
次々と復旧する防災システムが、それがハッタリではない事を物語っていた。
『タダでトンズラしようとは虫が良すぎるな。此間私に恥を掻かせた罰だ。貴様も赤っ恥を掻くがよい』
手詰まりを自覚し舌を打ったカッツェに、エカテリーナが凍り付く程の殺気を込めて言い放った。
●生還
「……覚えておきなさい。この礼は必ず返すから」
憎悪に満ちた言葉を残し、カッツェは増援が到着する前に姿を消した。
ヴァニタスを撃破し、半数でも救助できれば奇跡と思われた要救助者の六割を生還させた。
ノヅチによって運び出された者達も、無傷で奪回した防犯カメラの映像により、身元を割り出す事ができるだろう。
「それにしても、あれは何だったのでしょう?」
殺戮の風を防いだ魔力の盾は、地階にいたマリーも防犯カメラを通して目撃していた。
あの場所に、自分達以外にも撃退士が存在したのだろうか?
報復の対象になりかねないため警告をしておきたかったが、結局それが誰かは判らないまま、任務完了となる。
「野良猫め。相変わらず逃げ足の早い……」
できればこの手で一発見舞ってやりたかった。エカテリーナが拳を握りしめる。
最大の目的であったカッツェの討伐は叶わなかったが、また一歩近づいた。
次は必ず尻尾を掴んでやる。
「撃退士をなめんなよ、です!」
どこかに身を潜め様子を窺っているだろう女悪魔に宣言するように、ザジテンが叫んだ。