●M展示場
その施設は鮮やかな緑で覆われていた。
「何ともまぁ、ファンタジーな外見になっちまってなぁ……中に眠ってるお姫様が居ないのが残念だ」
「童話のいばら姫と違って、内部にいるのは天魔ですからね」
向坂 玲治(
ja6214)の呟きに、雫(
ja1894)が同調を示した。
「さすがに効果範囲以上に大きい対象に使った事ってなかった気がする」
上手くすれば全体像を掴めるかも知れない。そんな思いで龍崎海(
ja0565)が行使した生命探知は、狭い範囲でひしめき合う幾つもの反応を示していた。
「天魔の連中は何処でも沸くわねェ……。まるで雑草か、ゴキブリだわァ……」
悪戯っぽく笑みを漏らす黒百合(
ja0422)。
「ナハラくんは、植物に詳しいのかな。これをバラだって断言するくらいだし」
「悪魔連中も思わぬドジを踏んだようだな。ここは漁夫の利と行くぞ」
そもそもなぜ彼らがここに居合わせたのか?
狩野 峰雪(
ja0345)が口にした疑問を、エカテリーナ・コドロワ(
jc0366)は通りすがりの悪魔よりサーバントを葬る事が最優先、と一蹴した。
「厄介な敵捜索になりそうだな」
鳳 静矢(
ja3856)はこれからどう動くべきかを模索する。
館内には多くの一般人が取り残されているという。それらを人質に取られた状態で、どれだけ迅速に行動できるだろうか?
「救助の手配忘れずにやっといて。九人で事件の根は叩けても、そこから先は無理があるわ」
「任せて」
鷹代 由稀(
jb1456)の忠告に、神代 深紅(jz0123)は親指を立てて見せた。
「そう、だったら良いわ」
ならば後は自身の任務に集中するだけ――由稀は咥え煙草のまま、施設の見取図に視線を落とした。
●A館
子供用の二段ベッドに絡みつく蔦。アンティーク調の食器棚は鋭い棘に抉られている。
フリーマケットが催されている区画にも、蔦は万遍なく蔓延っていた。
人も物も、全てを覆いつくして。
「……随分と響くな」
最初にそれを訝しんだのはエカテリーナだった。
蔦は今も侵食を続けている。一本一本が生み出す振動は微々たる物でも、共鳴しあえば建物を揺らす程になる。
「どこを見ても蔦蔦蔦……俺らは庭師かっての」
玲治は辟易とした様子で呟いた。
進みたい。少しでも早く、先へ。しかし蔦は切り払う度に足へ絡みつき、行く手を阻む。
ならば、と峰雪は蠱毒を放った。幻影の蛇が巻き付いた箇所が黒ずみ、じわじわと蔦を冒していく。
このまま本体まで弱体化させる事ができれば……という期待は、ぷつりという物理的な音と共に途切れてしまったが。
「ふむ。やはり末端を攻撃しても意味はないようだね」
続く炎焼も部分的に蔦を焼き切るだけに留まった。そして蔦は何事もなかったかのように、途切れた部分から再び伸び始めるのだ。
玲治はあえて視界のピントをぼかし視野全体で会場を眺めていた。一面の緑に点在する雑多な色彩。その中でも一際鮮やかに映える赤。
「……紛らわしい」
大輪のバラの花、それがフリマの出品物である造花だと気づき、玲治は舌を打った。
エカテリーナも索敵を駆使して異形の存在を探るが、それらしき姿はついに認められず、この場所に本体は存在しないという結論を下す。
「おい、彼らはどうする?」
人々を守るために留まるか、他の仲間達の元へ支援に向かうか。
玲治の問いに、エカテリーナは蔦に埋もれている女性の首筋に指を添えた。
伝わってくるのは規則正しく刻まれるリズム。
「命に別状はない」
とは言え、この状態が長く続けば人々は体力を消耗し、確実に死へと近づいていく。ゲートへの移送を阻止するためにも、一刻も早く本体を葬るべきだ。
「ごめんね、本体を倒してくるから……少しだけ待っていて」
今はまだ要救助者を抱え込むわけにいかない。峰雪は必ず救い出すと力強く告げ、仲間達と共に先を急いだ。
●B館
「例のブースはこの扉の向こうだったな」
「そのようねェ」
施設の見取図とイベントのパンフレットを見比べた撃退士達は、扉を覆い尽くす蔦を切り払い突入する。
黒百合、雫、静矢が向かった施設は、八つある区画の仕切りを全てぶち抜いた広大な空間だ。
ゲーム会社ごとにブースが区切られている上、それぞれを繋ぐ通路が蔦で塞がれているため、一度に全体を見通す事はできない。
「サーバントらしき姿は見ないが……」
ここは最初の通報があった地点だ。発生源はそう遠くないはず。
注意深く周囲を探る静矢の目が捉えたのは、蔦に埋もれた人々の姿。このブース付近だけでも数百人はいるだろう。
その中に見覚えのある顔を見て、黒百合は嗜虐的な微笑みを浮かべた。
「あらァ、ゴ……ナハラちゃん、お久しぶりィ」
「君は確か植物園の時の」
逆さに宙吊りにされた無様な恰好で、複眼の悪魔はいつも通りすかした口調で言葉を返した。
今なら雑草も害虫もまとめて駆除できるかも。そんな思いが頭を過るが、『悪魔には極力手を出さない』という方針を思い出し、取りあえず無視する事にした。
「……助けてくれないの?」
その気になれば自力で脱出できるだろうに、ナハラ(
ja6214)はこの期に及んで一般人の振りを貫き通すつもりらしい。
「派手に動けないとは言っていましたが、騒動に隠れて何か事を起さないとは言ってませんでしたからね」
ナハラの要望を雫がぴしゃりと跳ね除けて、三人はサーバントの捜索を再開する。
蔦は縦横無尽に入り組んでいるため、太さや棘の向きから本体の位置を探る事は難しい。
人々の動きを頼りに現場の時間を遡る。
捜索が進むにつれ、次第に塗り潰されていく黒百合の地図。残された空白はごく僅か。本体は近い。その証拠に、行く手を阻む蔦の密度が、明らかに濃くなっている。
「……良く考えたら、周囲を蔦で囲まれているって事は、敵内部にいるような物なんですよね」
こちらの動きは確実に敵へ伝わっているだろう。
不意打ちに注意しなければ、と雫が注意喚起をした時……通信機から緊急を告げる声が迸った。
●C館
海と由稀、深紅が向かった施設は、明らかに他の場所と比べて様子が異なっていた。
床や天井のみならず、まるで空間そのものが蔦に冒されているようだ。
施設を襲ったサーバントはバラ型だという。
それなら『植物』が展示されている施設が一番怪しい、と踏んでいた三人の推測は確信へと変わる。
もっとも自身の目でサーバントの存在を確認しなければ、他の施設へ向かった仲間を呼ぶ訳にはいかない。
「龍崎君、生命探知」
「了解。本体の位置を探るんだね」
「そうじゃなく……今のままだと人間が埋まってるか判らないのよ」
「あぁ……、そうか」
ショットガンを構えた由稀を見て、海は彼女の言葉の意味を理解した。今探るべきは不確定であるサーバントではなく、捕らわれている生命の有無だ。
海は改めて意識を集中する。
「この二メートルぐらい先には六人。中央からやや右寄りなら、撃っても大丈夫だと思う」
海のアドバイスを受け、由稀は引き金を引いた。
放射状に放たれた弾に込めた技はアシッドショット。天魔すら冒す強力な酸が蔦の壁を朽ちらせていく。
己の身に起きた異変を感じ取ったのか、蔦はトカゲが尻尾を切るように自らを切り離した。
しかし腐食が進むスピードの方が早い。
腐食が充分に行きわたった頃を見計らい、深紅が蔦の中に飛び込んだ。
海も浮遊する盾を操り、共に突き進んでいく。
「どっちに向かえば良いの?」
「とにかく真直ぐ。イベントの目玉……バラの展示は真ん中辺りのはずだから。新品種もあるから、ちょっとぐらい妙なモノが紛れても変だと思われない。木を隠すには……ってやつね!」
もちろん蔦も大人しくはしていない。音もなく忍び寄り、腕に脚、時には首を狙い、巻き付いてくる。
そして。
不意に視界が開け、直後に襲ってきた強烈な一撃。最前線にいた深紅が棘の鞭に打たれて膝を落とす。
「神代さん!」
「大丈夫。ちゃんと受けたから。思ったより力が強くて、よろめいただけ」
ライトヒールを与えようと駆け寄った海に、深紅は軽く微笑むと、そのままの体勢で前方を見上げた。
二人もつられて目を向ける。
「これは……」
「えぇ。間違いないね」
周囲のどれよりも太く大きな株が、血のように紅い大輪の花弁を纏い聳え立つ。
どことなく醜悪な、異形の美。
サーバントはその袂に、幾人もの人を捕らえていた。
●集合
サーバント発見。
その報は即座に仲間達へ伝達された。
C館へと向かう通路は蔦の密度が濃い。さらに本体が戦闘状態へ突入した事で、内部で動き回る存在を敵と認識したらしい。建物全体を揺らすほどに激しく、執拗な妨害を行ってくる。
「これじゃあキリがねぇな」
「一度外へ出たほうが良さそうだね」
殿を務める玲治の背に蔦がしつこく迫る。
多少遠回りになるが蔦をかき分けて進むより早い。そう判断した峰雪は直近の非常口へ仲間達を導いた。
B館の撃退士達も同様の判断を下していた。
幸い蔦は施設の外まで追ってこなかった。
静矢は持ち前の脚力を生かし全力で、黒百合は建物をショートカットするため、陰影の翼を展開した。
二人に比べ移動力に劣る雫は……。
「運んであげるわよォ?」
「少々気になる事があります。先に行ってください」
雫が目を向けたのはアスファルトを貫き地面へと延びる蔦だ。
突入直後にエカテリーナが指摘した揺れは、B館のメンバーも感じていた。もしこの蔦が、建物ごと人々を移送するため、基礎を破壊し続けていたとしたら?
(まさかとは思いますが、見過ごすわけには行きませんね。)
●激闘
鞭のようにしなる蔦。
足元も頭上も全て囲まれていては回避もままならず、締め付けを警戒して距離を取れば、鋭い棘を飛ばしてくる。
周りそのものが敵という状態を、撃退士達は前衛二枚と援護で対抗し続けた。
そして発見の報告から一分が経過した頃。
「遅くなって済まないね」
「あれ本体か。……確かにバラだな」
「堂々と真っ赤な花を咲かせているとは、分かりやすい奴だ」
他の施設へ回っていた仲間達も次々と駆け付ける。
「待って。まだ人が捕まっている」
先手必勝でアンタレスを繰り出そうとした黒百合を、海が制止した。
蔦は人々に巻き付き完全に密着している。たとえ敵味方を識別するスキルでも、範囲に巻き込めば無傷で済ませられない。
「……それは面倒ねェ」
「ごめん、何人かは引き離せたんだけど……」
頬や腕を傷だらけにした深紅が申し訳なさそうに手を合わせた。
範囲攻撃が封じられ、思うように攻撃できない撃退士。
それに対し、サーバントは攻防一体の蔦を巧みに操り撃退士を翻弄する。
前衛も後衛も関係なく、一方的に削られていく体力。落ちかけた仲間の意識を、神の兵士が繋ぎ止めた。
「くそっ、人質さえいなければ……」
全周囲を囲み、皆でタイミングを合わせても、サーバントに届く攻撃は数回に一度。渾身の一撃を蔦で受防され、玲治は苦虫を噛み潰した。
こうしている間にも、移送の時は刻一刻と迫っている。それを暗示するように、蔦は激しく動き施設全体を激しく揺らし始めていた。
「人質はあと何人かね」
「向かって右側に……二人」
「あの塊だね?」
海から聞き出した情報を元に、峰雪はサーバントの足元――塊へと延びる数本束になった蔦に狙いを定める。
本体に近いだけあって一撃で断ち切る事はできない。しかし『毒』は確実に付与された。サーバントは先刻同様、自身に効果が及ぶ前に毒に冒された蔦を切り離すはず。
その予想は的中した。
「よし!」
「今のうちに……」
海と玲治が走る。
頭から飲み込もうとする蔦を由稀が回避射撃で抑えている間に、塊ごと人々を引き剥がした。
「ウフフ……ぎったんぎったんにしてあげるわァ」
人黒百合が夜想曲を奏でる。
無理やり抑えていた分、その威力は凄まじい。術中に捉えた空間全てを凍てつかせ、蔦の鎧を粉々に粉砕した。
「バックアップは任された。後ろ気にせず暴れなさい!」
「連れ去りたきゃ連れ去ってみろ。その代わり貴様も灰になるだけだがな!」
丸裸になったサーバントに由稀がアシッドショットを撃ち放つ。黒霧に包まれたエカテリーナの毒撃破も、違う事なくサーバントの中心を穿った。
じわりと腐食が広がって、見る間にくすんでいく紅い華。
サーバントは即座に周囲の蔦を操り、新たな鎧を創り上げる。
「再生能力があるようだな……この機に畳みかけるぞ!」
「おうよっ」
先んじて攻撃に出たのは玲治だった。一蹴りで敵の懐へ飛び込む。
己が守りすら攻撃の力へと変えるフルメタルインパクト。
玲治は槍を受け止めようとする蔦を力づくで切り裂き、サーバント本体に突き立てると、そのまま身の半分を抉り取るように反転させる。
「これがトドメだ」
次いで繰り出された静矢の刀。そこから迸った紫のアウルが鳳凰となって舞う。
学園でも指折りの撃退士達による攻撃を前に、大地のような頑強さを備えたサーバントと言え成す術もなく。
最期に一際大きく蔦をうねらせて、忌まわしき美を纏う華は散っていった。
●生還
サーバントが退治された事で、周囲を覆いつくしていた蔦が見る間に枯れていく。
人々を不安にさせないよう自分達の傷を癒した後、峰雪と玲治は一通り施設内を巡回し、他に天魔が潜んでいないかを確認した後で任務完了の報告を入れた。
「もう大丈夫です。落ち着いて移動してください」
「自力で歩ける者は此方へ来い」
救急隊員によって重傷者が収容される中、海と由稀、エカテリーナは比較的軽傷の者に応急手当を施し、バスへと誘導していく。
ひとり屋外で蔦を断ち移送を阻み続けた雫は、仲間と合流した後、自由を取り戻したナハラが悪さをしないよう監視を行っていた。
「しかしこれだけの人間を連れ去るチャンスを見逃すとは……。お前達も移送の途中だったりしてな」
冗談めいた口調。しかし静矢の視線は限りなく真剣で。
問われたナハラは、フッと口元を緩めた。
「ナイショ」
否定はしない。だからと言って素直に真実を告げる訳でもない。
わざと撃退士に動向を探らせ、あえて目の前で事を成し遂げるつもりか。
それとも思わせぶりな言動で惑わし、その裏で更に大きな何かを画策しているのか。どちらにせよ、しばらくは警戒が必要だろう。
いつか、その時がくれば……
「その時は、本気で遊んであげるわよォ」
目を細めて舌なめずりをする黒百合に、複眼の悪魔は背中を向けたまま片手をヒラヒラさせて答えた。