●
青空を優雅に泳ぐ鯉のぼり。
その下を一生懸命に走り回る人々。
楽しい運動会の一場面……ではない。歴とした天魔事件なのだ。
「綺麗な鯉のぼりですね」
ちょっぴり冷たい風に、川澄文歌(
jb7507)のアホ毛がそよぐ。
「でもどこか的外れな感じがします……」
「端午の節句にはまだ半年ほど早いのだがな」
かくり、首を傾げた文歌に、鳳 静矢(
ja3856)が神妙な面持ちで同意を示した。
「あのオレンジのコゴイに子供が飲み込まれたそうだね」
狩野 峰雪(
ja0345)が注目したコゴイは、他のコイと比べて微妙に動きが鈍い。
それは男女を飲み込んだという水色と紫色のコゴイも同じで、脱出しようともがいているのか、時折お腹の部分がウネウネと動いている。
御堂・玲獅(
ja0388)が生命探知を行使するまでもなく、それは一目瞭然だった。
「ただ見ている分には、楽しそうではあるんですが……」
おそらくジェットコースターに乗っているような感覚なのだろう。コゴイが回転する度にお子様の歓声が響き、北條 茉祐子(
jb9584)は、ある種の羨望めいた思いを抱きかける。
もっともどんなに楽しそうでも、何かのお腹の中というのは頂けないが。
「人を取り込む天魔はそう珍しくはないのですが……」
捕らえた人間を己が領地へ運搬するため、もしくは撃退士の精神を揺さぶる『人間の盾』など。
特に前者については、夜姫(
jb2550)にとって苦い記憶を呼び覚ますものがあった。
「必ず助けましょう」
後悔しないためにも、全力で。そう、心に誓う。
ゆらりと緑色のコゴイが舞い降りてきた。頭上を影が覆い、男子学生達が悲鳴を上げた。
「早く、こちらへ!」
牽制射撃でコゴイを怯ませ、雁鉄 静寂(
jb3365)は学生達に手を差し伸べる。
「私達は久遠ヶ原の撃退士です!」
そう名乗りを上げた事で、人々は幾分か落ち着きを取り戻したようだ。
静寂はその後も逃げ道を見失い右往左往する人々の中に飛び込み、直近のビルへ避難するよう呼びかける。
「私はあの大きい方を抑え時間を稼ぎます」
あの炎を纏ったコイはボスだろうか? もしそうなら、一緒にしておくのは厄介かもしれない。
ユウ(
jb5639)は玲獅から聖なる刻印の贐を受けると、翼を広げた。
ヒゴイの目の前で姿をちらつかせ、そのまま空高く舞い上がる。
狙い通り、ヒゴイはユウを追いかけていった。
何体かのコゴイがそれに続こうとしたが、すかさず夜姫と茉祐子が前方に回り込み、合流を防いだ。
「知能がそこまであるようには見えませんが、統率がとれていますね」
この広場のどこかに、コイ達を指揮している者がいるのだろうか? 夜姫は注意深く周囲を探るが、それらしき者は見当たらなかった。
●
「分断はうまくいったようだね。次は人質を捕らえているコゴイを地上へ落そう」
「分かりました」
頷きあい、峰雪と文歌はコゴイを星の鎖で拘束するため、それぞれに狙いを定める。しかし。
「わ、私には無理です……」
「……これはやりづらい、ねぇ」
ぶんぶんと勢いよく頭を振って邪念を振り払おうとする文歌。峰雪も思わず苦笑を浮かべる。
遊んで遊んで、と言わんばかりに上目遣いをする仔猫とか。散歩の途中、何度も振り返って見上げる小型犬とか。とにかくそんな感じ。
無条件の愛らしさ。絶対的な保護欲。
まぁるい瞳で見つめられると、なぜかコゴイが非常に愛しく感じられてしまうのだ。
「ふむ、厄介な能力を持っている様だな」
その状況を冷静に観察し、分析をする静矢。
見つめるだけで相手の心を捕らえ、心を鷲掴みにする――意のままに操るわけではないが、ある種の魅了といったところだろうか。
「魚の視野は330度前後。死角となるのは真後ろのみ……」
さすがに鯉のぼりの尾びれがハムケツ並みの殺傷力を持つことはないだろう。
ならば、と心の中で頷いて。静矢は盾を構えるとコゴイの群れの中へと身を躍らせた。
自分は美味しそうな餌! そんなオーラを周囲に漂わせて。
効果は覿面だった。
まるで入れ食い状態のように、コゴイ達は静矢へと群がっていく。
「ありがとうございます!」
視線の呪縛が解けた隙に、ふた筋の鎖が飛ぶ。それは違うことなくオレンジと水色のコゴイを絡めとった。間髪を入れず、峰雪は2本目の鎖を放ち、紫色のコゴイを落とした。
ビチビチと地面の上で跳ね回るコゴイ達を見て、玲獅の顔色が変わる。
「このままでは拙いかもしれません」
飲み込まれた者に危険がなければ、他のコゴイを先に退治した方が良い――撃退士達は当初そう考えていた。
しかし、星の鎖で繋ぎ止められる時間は決して長くはなく、動きその物を完全に封じるわけでもない。這い回れば逃走は可能なのだ。
それに、不可解な動きであんなに激しく跳ねられては、中にいる人が心配だ……。
「助け出しましょう!」
愛らしさで疼く心を抑え、文歌は目の前のコゴイを押え込んだ。
玲獅もオレンジ色に駆け付ける。
コゴイの口に歯のような物は見当たらない。意を決して中へ手を差し込むと、いとも簡単に捕らわれていたお子様を引き出す事ができた。
「楽しかったの!」
「えぇ。でも、そろそろお母さんの所へ帰りましょうね?」
まだ遊びたいと言いたげなお子様を諭し、玲獅は素早くその場を駆けだした。
一方、男性の方は顔面蒼白で息も絶え絶えだった。
「大丈夫ですか?」
文歌の問いに頷くも、直後にオエッとして口元を押える。どうやら絶叫系マシンが苦手なタイプだったのだろう。
女性も悪酔いしていたが、特に外傷があるわけでもなく、自力で避難を始めた。
●
仲間達がコイを抑えている間も、静寂は人々を守り、誘導を続けていた。
「きっとお友達も安全な場所へ向かっています」
混乱の中、逸れた連れを探すために広場へ戻ろうとする者がいる。
人の流れに逆行する事は、避難を妨げかねない。静寂は不安を煽らないよう、落ち着いた声で呼びかけ続けた。
「さぁ、貴方も……」
この騒ぎの中、ずっと街灯に背を預けていた男に声をかける。
静寂と目があった男は、気にしなくていいとでも言うように手を振った。
「成り行きを見守る責任があるしナ」
それはどう言う意味か? 眉を顰めた静寂に、男は軽く口笛を吹く。
「俺はほラ、天使だからサ」
意味ありげな笑みを浮かべ、男は静寂に向かって腕を伸ばした。
●
高い空の上、新鮮な風を得たヒゴイが生き生きと泳ぐ。
ユウと茉祐子は適度な牽制を繰り返しつつ、ヒゴイの視線が地上へ届かないよう、立ち回り続けた。
ぼふっと奇妙な音がして、ヒゴイの口から見えない何かが吐き出された。
常に正面に位置する事を心掛けていたユウは、それをまともに受けてしまう。
「熱いっ?」
じわりと熱風が肌を焼き、ユウの身体が数メートル吹き飛ばされる。
――茉祐子は見てしまった。その瞬間、ヒゴイ自身も反動で後ろの方へ吹き飛んだのを。
「……あっ」
思わず二度見した茉祐子は、ヒゴイの眼が自分を捉えている事に気が付いた。
ドクンと胸が高鳴った。
まずいと思った時にはすでに遅い。熱き視線でズギュンと貫かれた茉祐子は、愛しきヒゴイを傷つける『敵』を排除するため、手にした弓を構えた。
幸い矢はユウに当たる事は無かったが、茉祐子は次に己の身体を盾とするように間へ割り込ませた。
(……拙いですね)
地上十数メートル。状態異常を打破できる仲間の援けは望めない。一瞬で不利な立場に追い込まれ、ユウの心に焦りが生まれる。
しかし……ヒゴイには戦況を把握できるほどの知恵はなかったようだ。
自分と違う形をした生き物は敵! ヒゴイは空中で組み合っていたユウと茉祐子をまとめて絡め取り、締め上げた。
「えっ?」
「……っ!?」
動きを封じられた2人と1体は、諸共に落下していく――
●
コゴイに飲み込まれていた人質は無事に解放された事で、撃退士達は一気に攻勢へと移る。
「大人しくして頂きますよ」
視線の誘惑を振り払った夜姫のアウルが放電する。文字通り雷を四肢に封じ、空を乱舞するコゴイへ叩き込んだ。
中身が空っぽなためか、手ごたえは薄い。それでも己が力を信じ、渾身の一撃を。
「効いてくれたようですね」
激しい電撃が全身を駆け抜け、コゴイは力なく地上に落ちた。
地上の撃退士達も負けてはいない。
コゴイに対する挑発を繰り返す静矢。その背を守るように峰雪が立つ。
十分にコゴイ達が誘い出されたのを見計らい、峰雪は氷の夜想曲を放った。
周囲の空気が一瞬で凍り付き、鋭い冷気がコゴイ達を引き裂く。
狙うは一網打尽の範囲攻撃。眠ってくれたなら僥倖――そんな願いを込めて放った技は、次々とコゴイ達を心地よい眠りへと誘った。
「そろそろ私も討って出るか」
粗方コゴイの動きを封じたところで、静矢は鳳凰が描かれた鞘に手をかける。
繰り出されたのは激しいまでの突き。紫電を纏った鳳が駆け抜け、コゴイを一撃で引き裂いた。
文歌も懸命に応戦する。自慢の歌声で自身のアウルを高め、握りしめたマイクに込められた想いを解き放つ。
「あ、あれは……」
怪しげな気配を感じた玲獅。不審に思い顔を上げれば、上空でヒゴイを隔離していたはずの2人が、ヒゴイと絡み合っていた。
あんな状態でも浮力が働いているのか、錐もみ状態でも落下速度はとても緩やかだ。
叩きつけられる事はないと確信した玲獅は、彼女達が地上へ着地するのを待ってクリアランスを行使。
2人が熱き抱擁を振りほどいた隙に、峰雪がヒゴイの頭をテントで覆い視線を封じた。
「さて、残るはこいつだな」
死刑宣告を下すような冷たい静矢の呟きに、撃退士達は無言で頷き合った。
初手は夜姫だった。手にした大太刀が紅い雷を纏う。一瞬のスパークと共に繰り出された鋭い突きが、ヒゴイの身体を串刺しにする。
玲獅に能力を封じられたヒゴイはまさに俎板に乗せられたよう。
歌声、銃弾、雷……次々と重なり合う攻撃。撃退士達の猛攻を受け、物言わぬ躯となって地面に転がった。
●
天魔は討伐され、駅前広場は平和を取り戻した。
もっともコイが暴れた会場は嵐が通り過ぎたような有様で、これ以上イベントを続ける事は難しい。人々は撃退士に見守られつつ、後片付けを始めていた。
「ケガをした方はこちらへおいでください」
玲獅は臨時の救護所を設け、癒しの風で人々に治療を施した。
その殆どは避難時の衝突や転倒による打撲や擦り傷で、幸い命に関わるほどの傷を負った人はいなかった。
「これも静寂さんが誘導してくれたおかげですね」
傷口を消毒しながら、文歌が微笑む。
「いいえ……皆さんがサーバントを引き付けて下さったからです」
人々の避難を見届け、戻った時には全てが終わっていた。
ヒゴイ以外は、サーバントの中でも下級レベルだったのだろう。それでも一般人にとっては脅威。もし野放しになっていれば、間違いなく犠牲者が出ていただろう。
「これはサーバントなのかね?」
「えぇ。天使と名乗る方に、お茶に誘われました。任務中ですのでお断りしましたが……」
後方に目を向けた静寂の表情が強張った。視線の先を追った夜姫もまた、息をのむ。
忙しなく動き回る人々の中、親しげに手を振る赤毛の男。その傍らに立つ、微かな殺気を漂わせるひとりの女性に。
「宮西……」
それは、幾度か相見えた事のある使徒の名前。
「お久しぶりです。撃退士さん」
使徒・宮西弓弦は、丁寧な仕草で深々と頭を下げた。
●
――最近、埼玉県内で天界勢力の動きが活発化しているという。久遠ヶ原学園でも、それは周知の事実だ。
だから今回の騒動もそれに関連しているのでは、と静矢や夜姫が訝しむのは当然と言えた。
しかし目の前の男は、本当に天使なのかと疑ってしまうほど軽い印象で。
「何故、飲み込んだ人たちをコイに飲ませるだけにしたんですか? もう少しやりようがある気がしますが」
遠回しな静寂の問いに、気まずそうに視線を泳がせた。
「……人間入れたラ、高く飛べなくてサ」
どうやらお持ち帰りする意思はあったようだ。
軽い口調に騙されそうになるが、もしサーバントが本来の働きをしていたなら、決して笑い事では済まされない。
「それで……今度は何を企んでいるのですか? 」
夜姫は弓弦を一瞥した。澄ました表情をしているが、だいぶイラついているようにも見える。
苦労しているのだろうか。それもまた自ら選んだ結果と思い、何も言わずに天使の方へと視線を移す。
「ン? あァ、撃退士には美人が多いって言うからナ。仲良くしようと思ってネ」
天使は満面の笑みを浮かべた。
クールビューティーも癒し系も粒揃い。悪魔? 人妻? 無問題! お互い目的も達したことだし、約束通り温かい所で茶をしばこうではないか♪
「……バカエル様!」
馴れ馴れしく女性陣の肩に手を回した天使。男性陣が阻止に動くより先に、弓弦が殺気を膨らませた。
己が主の非礼を慇懃に詫びた後、使徒・宮西弓弦は去った。しばき倒した天使の首根っこを捕まえて。
その背が見えなくなるまで、撃退士達はずっと目を離さず見送った。
「結局、有益な情報は得られなかったか」
腕組みをして唸る静矢。
天使の言葉は、裏があるようには思えなかった。この町を選んだ理由は、テレビ番組のようにダーツを投げて決めたという。
深謀遠慮とは程遠い印象だが、それすらも演技だとすれば、相当に厄介な相手かも知れない。
「あ……。天使さんのお名前、聞くの忘れていました」
小さく声を上げた文歌。
なぜ今の時期に鯉のぼり型だったのか等、知りたい事は他にも色々あったのだが、弓弦の勢いに飲まれ、聞きそびれてしまった。
「名前、言ってませんでした?」
茉祐子が考え込んだので、撃退士達は顔を見合わせ、天使とのやり取りを思い出す。
『貴方』『我が主』『この方』――天使の事をそう呼んでいた弓弦だったが、一度だけ名前を出したはず。
確かそれは……
天使・バカエル――使徒・宮西弓弦の主。
この日、久遠ヶ原のデータベースに、新たな天使の名前が刻まれた。