●仮初の平穏
足元の茂みが不自然に揺れ動いた。
敵の襲撃か? 撃退士達はとっさに身構えたが、そこから飛び出してきたのは1匹のタヌキ。しばし見つめあった後、一目散に逃げ出していった。
「驚かせやがって……」
焔 戒(
ja7656)が吐き捨てた言葉には、僅かに安堵の息が混じっていた。
正体の確認が少しでも遅れていれば、あの小さな生き物を蹴りつけていただろう。修羅の道を歩んでいるとはいえ、無意味な殺生は彼の望むところではない。
「でも、ちょっとは安心できたよね〜。天魔はこっちの方には来ていないみたいだし――」
のんびりとした口調で呟いたのは高瀬 颯真(
ja6220)だ。陽だまりで居眠りをする猫を思わせるのんびりした雰囲気だが、その瞳は強い意志で前を見据えている。
「――この分だと、思ったより早く子供達の所へいけそうじゃない?」
「だが、油断は禁物だ」
戦いの場では、前触れもなく状況が変わる。黒霧 風斗(
ja0159)は決して警戒を解くことはない。
幼い頃から人里離れた地で生きてきた風斗にとって、山は庭のようなものだ。地図を再確認することをせず、動向する仲間が歩きやすい場所を選んで先導していく。
「橋が見えたな。ここから下りるぞ」
雑木林の中に忽然と現れた未舗装の道路は、農園へ向かう者が使っていた私道だ。
住宅街からは多少遠回りになるが、子供達はこの道路を通って農園へ向かったらしい。もし工事現場を経由していれば、子供達は早々にディアボロの餌食となっていただろう。
そういった意味では、彼らはとても幸運だったと言える。
道路を直走っていると、警察から借り受けた通信機から、別働する仲間達の声が流れてきた。
『敵を確認……殲滅行動に入る』
「了解〜」
「交戦しだしたか、急ぐぞ」
農園は、もう目の前だ。
敵が戻る可能性を考慮し、即座に撃てるよう銃を構えながら走る風斗。
戒は鳳凰を模ったヒヒイロカネを握りしめ、周囲の気配を探った。
農園付近に近くに敵はいない。3人は頷き合い、静かに作業小屋の正面へ向かった。
●暴虐なる風
林の中は不気味なほどに静まり返っていた。
適度に陽が差し込む林には、様々な生き物が棲んでいるはずだ。それなのに、今は小鳥の囀り一つ聞こえてこない。
代わりに重苦しいほどの緊張感が漂っている。
天魔の痕跡を追って最短距離を登る殲滅班が目にしたものは、点々と転がる動物達の躯だ。
「手当たり次第、といったところか」
無残に切り刻まれたシカの前で立ち止まり、cicero・catfield(
ja6953)は静かに十字を切った。
「大体ですね。首とはいえ、『舞首』ってのが気に入らないのですよ!」
舞なら自分の方が勝っている、と力説し、二階堂 かざね(
ja0536)は『必殺かざねこぷたー』を披露する。ふわりと円を描いて回るツインテールは、まさにプロペラのよう。
「確かに、名前は気にいらねぇな」
真宮寺 神楽(
ja0036)の唇が紡いだ言葉は、凛とした姿には不釣合いな男性的なもの。
彼女にとって舞はとても神聖な存在である。だからこそ、それを汚す輩を許すことはできなかった。
先頭を進む騎士2人――シルヴァ・V・ゼフィーリア(
ja7754)とフィオナ・ボールドウィン(
ja2611)は、滲み出る殺気を隠すことなく歩み続ける。
通常であれば、行軍中は敵に見つからないよう隠密を心掛けるべきだろうが、撃退士達は敢えて目立つことを選んだ。
子供達の精神状態や身の安全を考慮し、少しでも離れた場所で戦う必要があると判断したからだ
「いたぞ。1、2……8体、全て確認!」
最初に気付いたのはciceroだった。
舞首がいるのは、農園から100メートルほど林に入った場所。落ち着き無く飛び回っているのは、阻霊符による影響を感じ取ったためだろうか?
白髪の老人、口髭の顔、モヒカンやスキンヘッド――このディアボロを作り上げた冥魔の趣味を疑いたくなるが、個体識別が容易な分、撃退士達にとっては戦いやすくなったと言える。
敵がこちらの存在に気付いたことを確認し、撃退士達は少しだけ後戻りをした。
迎撃場所に選んだのは、木々が疎らになった窪地。ここなら大型の武器でも問題なく振り回せる。
「我の光に集まるとは……飛んで火に入るとはまさにこのことよな」
飛来する舞首達の前に、圧倒的な存在感を放つフィオナが立ち塞がった。黄金の光に包まれた巨剣を軽々と振るい、髭面の舞首へと叩き付けた。
髭面は咥えた刀で攻撃を受け止めるが、耐えきれずに後方の木に打ち飛ばされた。
「ううぅ、卑怯ですよっ! 降りてきたらどうですかっ!!」
ジャンプしてもギリギリ届かない位置で浮遊するキノコ頭に、かざねは両手をぶんぶん振って抗議した。
攻撃のために降りてきた所を狙おうと思っても、相手は予想以上に素早く、自慢の美髪――正確には首――ばかりを狙ってくるから余計に性質が悪い。
悪戦苦闘のかざねを見て、キノコ頭は目を細めて笑う。たぶん……いや、あれは絶対にバカにしている。
怒髪天を衝く思いで足元にあった石を投げつけるかざね。もちろんそんな物が天魔に効かないことは百も承知だが……まさか直撃するとは。
衝撃で地面に落下したキノコ頭が再び空高く逃げる前に、かざねは回転の威力を借りて斬りつけた。
「首が舞う? それがどうした。俺はただ切り刻むのみ!」
アウルの翼を背に負うシルヴァは銀の炎を纏った槍を振るう。得物の長さも相まって、高さの壁は無に等しい。
激しく繰り出される攻撃に、メロンパンのように丸い顔の舞首は瞬く間に身を削られていく。
「あれは……何のつもりだ?」
女性型――オカン風の舞首の元へ、初撃で大ダメージを負った髭面が近づいた。
撃退士達の目の前で、2体は睦み合うように飛ぶ。
不可解な行動を訝しむcicero。それが傷を癒しているということは、すぐに理解できた。
もう1体の女性型、ワンレン舞首も同様の能力を持っているのだろう。上空へと逃れた丸顔と合流し、同様に絡み合う。
「こっちは時間をかけていられないのよ!」
戦況を振り出しに戻されては堪らない。
神楽は舞うような動作で扇を振りかざすと、上空のワンレンに狙いを定めて投げ放った。
仲間の回復に集中していたワンレンは避けることができない。頬を斬られ、身の毛がよだつほどの悲鳴を上げた。
顔を傷つけられことが気に入らないのか、ワンレンは憎悪の眼を神楽に向ける。
急降下の攻撃に備え身構える神楽。しかしその予想は外れ、襲い掛かったのは急激に伸びた髪の毛。
ステップを踏んで避けるが間に合わない。首を締め付けられたまま、神楽の身体は空中へ持ち上げられる。
「く……はっ」
酸欠で急激に薄れていく意識の下で、神楽は力を振り絞り、扇を撃ち放つ――。
「我が手は審判を得る。我が敵に裁きを下しこれを倒すであろう。父と子と聖霊の御名において……」
ケルト十字に祈りを捧げ、ciceroは迫り来るオカンに向け銃を向ける。祈りを込めた一撃はオカンの眉間を貫いたが、やはり相手は天魔。致命傷には至らない。
オカンは鋭い牙でciceroの肩に食らいつく。ゴキリという音が聞こえ、肩全体に熱い痛みが広がった。
「………っ!」
自由な腕でオカンを鷲づかみにするcicero。逃れようと暴れる頭に銃口を押し当て、ゆっくりと引き金を引いた。
丸顔と白髪頭の連続攻撃を受け、シルヴァは咄嗟に盾を構えた――が間に合わない。襷掛けに斬られ、地に片膝を付く。
「フフ……フハハハ!」
堪えきれず、湧き出す嗤い。
「血が流れる……! ゼフィーリアの血が!」
シルヴァは掌に溜まる己の血を祝杯のように掲げる。白き衣が血に染まるように、背に負うアウルの翼が次第に闇の色に染まっていく。
「俺に血を流させた貴様達は、この俺が殺す……必ず切り刻んでやる!」
舞首の刃が身に迫ることを気にも留めず、シルヴァは大槍を翻すと、白髪頭を一刀の元に斬り捨てた。
舞首達の動きは素早く、立体的に攻撃をしかけてくるので、同時に複数を相手にするのは厳しい状況だ。
度重なる連続攻撃で既に満身創痍の状態だが、フィオナは笑みを絶やすことはない。
モヒカン頭の攻撃を大剣の腹で防いだフィオナだったが、死角から迫ったハゲ頭に足を掬われ、バランスを崩す。
髭面の髪が一気に延びたのはその直後。生き物のようにうねり、剣を持つ腕ごとフィオナの身体を束縛する。
「姑息なことを。これで動きを封じたつもりとは、片腹痛い!」
ここぞとばかりに斬りかかってきた2体の舞首は、直後に動きを止めた。
身を捩ることすらできないはずのフィオナが、実にあっさりと戒めから抜け出したからだ。
巨大剣が再び実体化させ、一薙ぎでハゲ頭を粉砕する。
「我に背を見せるとは余裕だな」
連携を無くし逃げ惑う舞首はすでに敵ではない。
フィオナが最後の1体を葬るまで、そう時間は掛からなかった。
●儚き隠れ家にて
――陽が昇ってどれぐらいの時間が経っただろう?
たった十数分の短い時間が、とても長く感じられる。
一度、ゴツンという音がして、外のオバケが急に騒ぎ出した。
どこかで気味の悪い獣が吠えた。何かが破裂するような音と、誰かの叫び声も。
怖いのを我慢して外を覗いたけど、窓からはオバケの姿は見えなかった。
他の場所へ行ったのか、単に見えないところにいるのかは判らない。
危ないかもしれないけど、外に出て見ようか? そう思った時、小屋の扉が動いた。――
「助けにきたよ〜」
にっこり微笑んだ颯真を見て、恐怖で強張っていた子供達の表情が一気に崩れた。
よほど安心したのだろう。涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにして、泣きじゃくる。
「誰もケガはしていない?」
「よく頑張ったな。もう少しの辛抱だ」
颯真と戒は、服が汚れるのも構わず、しがみ付く子供達の頭を撫でて慰めてやった。
「皆無事だったようなだ。子供達はアンタらに任せるぞ」
小屋の中を一通り見渡した後、風斗は短く呟くと独りで小屋の外へ戻った。
さほど離れていない場所では今も仲間達が天魔と戦っている。風斗はその最後の砦となるべく、小屋を守るのだ。
「もうおうちに帰れるの?」
「おなかへった」
「あの、あのね、おしっこっ」
大人が一緒にいることで心に余裕ができたのか、子供達はそれぞれに望みを口にする。
状況によっては、素早く脱出することも可能かもしれないが……
「いつ敵がくるとも限らない。そう伝えてくれ。……できるだけ怖がらせないようにな」
外の様子を問われた風斗は端的に答えを返した。
リラックスすること自体は問題ないが、騒ぎでせっかく離れた敵を引き戻しては本末転倒だ。
「もう少しだけ我慢していてね。そして、何があってもお兄さんの傍から離れないこと。約束だよ」
口に指を当て静かにするよう告げ、颯真は持参した菓子と茶を分け与える。
子供達はそれぞれお握りとおやつを持っていたが、差し出されたものは遠慮することなく受け取った。
◆
戦いが終わり、舞首の骸を1箇所に集めた殲滅班は、ここに来て数が合わないことに気が付いた。
足りないのはワンレンの女性型だ。
「た、確かに死んでいましたよ! ……ですよねっ?」
茫然とする神楽を庇うように、かざねは皆の同意を求める。
否定の声は上がらない。ここに居る誰もがそう認識していた。
おそらくは死んだ振りをしていたのだろう。そして密かに傷を癒し、逃げ延びたのだ。
どこに行ったのか? 手がかりを求め周囲に目を向けた時、鋭い悲鳴が上がった。
農園の方で……
◆
気が付くと周囲が静かになっていた。
殲滅班の戦闘が終わったのだろうか? 戒はそう思い窓に目を向け、反射的に立ち上がる。
「兄ちゃん?」
吊られて視線を追った少年がビクリと身を竦ませた。彼が見たものは、窓の外にたゆたう頭。
「オバケ、やだーっ」
忘れていた恐怖を思い出し、小さな女の子は火がついたように泣きだした。
その悲鳴を聞き、舞首はゆっくりと振り向いた。
顔の半分を失い、髪を振り乱したワンレンが、獲物を見つけてにやりと笑う。
「大丈夫、大丈夫だから」
パニックに陥る子供達を抱きしめ、颯真は何度も言い聞かせる。
舞首は命を狩る本能のままに、小屋に突進する。
阻霊符は天魔の透過能力を封じるだけで、物理的な破壊には影響を及ぼさない。
「させるかよ! 燃えろ朱雀!」
子供達を後方へ押しやり、戒は眩く輝く白銀の鎧を纏う。
同時に、窓を破り侵入しかけた舞首に、炎の一撃を打ち込んだ。
「大丈夫だよ〜。あのお兄ちゃん達は強いから。あっという間に倒しちゃうよ〜」
こんな時でものんびりとした颯真の口調に励まされ、子供達はぎゅっと唇を噛み締める。
お兄ちゃん達が頑張っているんだ。だから自分も頑張る、と心に言い聞かせながら、必死に恐怖を押さえ込む。
優しい風と炎に守られているのだ。だから怖くない。
そして小屋の外では猛き風が、今も天魔を滅するべく戦っているのだから――
「餌の匂いを嗅ぎつけてきたか。相手をしてやるよ」
己の存在をアピールするように言い放ち、風斗は銃を構えた。
一度上空に上った舞首が錐揉み状態で急降下し、風斗の腕に噛み付いた。
直前で身を引いたため大事は免れたが、牙が掠めた部分に熱い痛みが広がる。
それでも銃を撃つことに支障はない。
積み上げられた原木に突っ込み下敷きになった舞首に銃を突きつけ、風斗は静かに引き金を引いた。
「……今、終わったぞ」
ちょうど駆け付けた殲滅班に、風斗は静かに告げた。
●磐石の平穏
異形の来訪者が全て消え、緑濃き森に平穏が訪れた。
原木の周りをリスが駆け抜け、どこかから鳥の羽ばたきが聞こえてくる。
撃退士達に導かれ子供達はようやく小屋を出ることができた。
「もう大丈夫だ。……君達を傷付けるものはいないよ」
しきりに周囲を気にする子供達に手を伸ばし、シルヴァは優しく微笑む。
単純に安心さるつもりだったのだが、子供達は血まみれの服を怖がり、救出班の背に隠れてしまった。
「こら〜、ちゃんとお礼を言わなきゃだめだよ〜」
「あっちの兄ちゃん姉ちゃんが、一生懸命オバケを退治してくれたんだぞ」
窘められ、子供達は慌てて頭を下げる。
「力なき者を守ることは、我にとっては当然のことよ」
傷の手当てを受けながら、フィオナが鷹揚に笑う。
礼など言われなくても、撃退士達にとっては子供達の笑顔が一番の報酬なのだ。
「神代への連絡が終わった。じきに迎えが来るはずだ」
車両が通れる道は救出班が辿った山道だけ。街からは30分ほどだが、実際はもう少し早く着くだろう。
「それじゃあ、お迎えが来るまで、おねーちゃんとお菓子を食べようか?」
かざねの言葉を聞き、ついさっき、たくさん食べたはずの子供達が大きな歓声を上げた。