●午後2時
相談室に集まった学園生は5名。依頼人A・江藤樹里。そして……。
「……男、だよな?」
開口一番で性別を確認され、アレン・マルドゥーク(
jb3190)が部屋の隅で背を丸めた。
やれやれと言った風に肩を竦めるラファル A ユーティライネン(
jb4620)。
蓮華 ひむろ(
ja5412)は優しい笑顔でアレンの背を叩き、彼を水面上へと浮上させた。
「少しでも力になれたら嬉しいよ」
何事もなかったように狩野 峰雪(
ja0345)が自己紹介を切り出し、何事もなかったように顔合わせが始まった。
改めて樹理から説明を受けた面々は、それぞれの意思を確認するように顔を見合わせた。
「樹理くんはー、真実を隠し続ける覚悟がありますかー?」
最初に口を開いたのはアレンだ。
「あるよ」
「この先もずっとー? お墓の中までー?」
「そ、それは……」
おっとりとした、穏やかなアレンの口調。しかし、その言葉に含まれる意味の一つひとつが、罪悪感を持つ樹理の心に突き刺さる。
もちろん樹理自身、今を乗り切りさえすればOK……なんて楽観的に考えていたわけではない。
怖かったのは、勉強でも日常生活でも判らない事は理解できるまで――文字通り寝食(稀に呼吸する事まで)惜しんで調べまくる親友の気質だ。
「せめて熱が冷めるまでは……」
絶頂ど真ん中から一気に地獄へ突き落す事だけは、どうしても避けたかった。
「でも、もし従兄弟さんの映画を目にしたら、幽霊じゃなかったって気付いちゃうかも?」
「あああぁっ?!」
ひむろの何気ない呟きに愕然とする樹理。
「どうやら忘れていたようだね」
机に頭を叩きつけて動揺を鎮めようとする樹理を、峰雪が憐れみを含んだ眼差しで見守った。
「あーっ、もう見てられねぇ。お前、ホント馬鹿じゃねーの?」
机を卓袱台のようにひっくり返してラファルが叫ぶ。
顎に一撃を受けてダウンした樹理は、尻餅をついた状態でラファルを見上げた。
「相手を傷つけたくないとか言ってるけど、自分が傷つきたくないだけじゃねーか!」
どんっ!
樹理の魂を踏み潰す勢いで踏み込んで。
「まったく傷の無い人生なんてものはないし、そう言う傷があった方が年を取ってからの振り返る思い出も増えるってもんなんだよ! なぁ?
だいたい他人の事情も知らないで勝手にアレコレ騒いで。いい加減、巻き込まれる方の身になってみやがれってんだ。まったくもって羨まし……って何言わせんだよ、このタコ!」
ラファルの顔が上気しているのは、怒り心頭のためか、それとも心の声が漏れたためか。
気を落ち着かせるために再び足を踏み鳴らすと、樹理は硬直してカクカクと頷いた。
――『少女』の正体が樹理である事を明らかにする。
小一時間ほど話し合った結果、結局それが最良の策であるという結論に達した。
「もし少しでも良心痛むならー、全て白状する方がいいと思いますよー。強い絆で結ばれてるならー、 ちゃんとごめんなさいしたら良いのですー」
「生まれた時からの仲なら、何かの拍子で気付いてしまうかもしれないしね」
「さぁどうする? さっさと決めろ」
頭では納得してもココロでは素直に受け入れ切れない樹理に、皆は懇々と言い聞かせる。
唸り、叫び、頭を掻きむしり……樹理は悩む悩む。
皆の言う事は正しい。そもそも最初にちゃんと説明しておけば、ここまで拗れる事はなかったのだから。
じゃあ、どうすればいい?
軽くフランクな感じで『実はさぁ♪』と言ってしまえば良いのか。
それとも土下座して首の後ろを晒すか?
「私に案があるわ。幽霊のウワサを利用してはどうかしら」
慣れない脳を使い熱暴走をしかけている樹理に、ひろむが救いの手を差し伸べる。
「その子は恋人が亡くなっている事を知らず、樹理先輩の身体を借りて待ち続けているのよ」
「なるほど、恋人が迎えに来て、成仏したという流れにするんだね」
峰雪の捕捉に、ひむろは力強く頷いた。
●午後4時
約束の時間きっかりに、依頼人B・濱口美雄は現れた。
ノックを3回して入室許可を得る。それらの行動に、彼のマジメな性格が表れていた。
「先輩は、もし幽霊の少女が恋人を探す為、誰かに憑いてしまってたならどうする?」
一通り話を聞いてから、ひむろは探るように切り出した
美雄が好きになったのは『幽霊の少女』か、『身体の持ち主』か。それがどんな相手でも……例えば男であっても、愛しい気持ちは変わらないか。
「それはどういう意味……」
最初に見えたのは戸惑いの色。一瞬返答に詰まった美雄が、勢いよく立ち上がった。
「……そう聞くって事は、君は『彼女』の正体を知っているんだな?」
「例えばの話だよ。落ち着けバカ」
今にも掴み掛からんばかりの勢いに身を竦めるひむろ。ラファルは彼女を助けるように、美雄を制した。
充分なほどに様子を窺って、良しと踏んだのだが……もう少し婉曲に告げた方がよかっただろうか。しかし後悔は先に立たず、口から出た言葉は戻らない。
「先生に聞いたんだけど、幽霊に憑かれたかも、って相談してきた人がいるみたいなの」
ひむろは仕方なく、手応えを感じた時にのみ出すつもりだった情報を告げる。
「……ダアト科の……江藤先輩」
●午後4時20分
土砂降りの雨の中――大樹の袂に守られ、ひとりの少女が佇んでいた。
あの時と同じように、憂いに満ちた表情で。
それはスタイリストのアレンが腕によりをかけて飾り立てた……
「……樹理」
そう。髪が長く女性用の服を着ているが、あれは間違いなく幼馴染で親友の樹理。真実を目の当たりにした美雄は、爪が食い込むほどに拳を握りしめる。
事前にワンクッション入れていたとはいえ、相当ショックを受けているようだ。
「美雄くん、樹理くんは……」
アレンがフォローを入れるため肩に触れると、美雄は立っていた体勢のまま、支えを無くした棒のように真横に倒れて転がった。
「良く見れば判るのに、なぜ気付けなかったんだーっ?!」
頭を抱えて悶える美雄。
どうやら『少女』の正体が樹理だった事実より、樹理だと気付けなかった事がショックだったらしい。
とりあえず即死は免れた。
あとは、どうやって途切れた彼のゼンマイ巻き直すかだ。
「もしかしたら、先輩と『少女』は前世で知り合いだったんじゃないかしら。そう、例えば……恋人同士とか』
親友に一目惚れしたという事実から意識を逸らさせるため、ひむろは数パターン用意していたシナリオの中で、もっとも適切と思われるセリフを口にした。
「前世?」
「はい。先輩の魂に刻まれた記憶が、『少女』と再会した事で蘇ったんです。きっとそうですよ!」
時を超えた運命の愛。それは何という甘美な響きか!
「でも、このまま今の状態が続けば、拙い事になるかもしれないよ」
峰雪は腕組みをして考える。
「1つの身体に2つの魂が宿っていれば、いずれ同化するか、どちらかが消えてしまう?」
陰陽師を志した時に読み漁った文献の中に、確かそんな記述があったはず。
前に見た時より樹理が女性らしくなっている事が、それを裏付けているように思えた。
愕然とする美雄に、ラファルが投げやりに言葉を放つ。
「……それって『少女』が生き返るかも知れないって事だろ? めでたしめでたしじゃねーか」
「ダメだ。樹理を犠牲になんかできるはずがない!」
心無い雑言は彼の本心を聞きだすためのもの。進むべきシナリオを確認した面々は視線で頷き合う。
「先輩、芝居をしましょう。『少女』に自分が死んでいる事を教えてあげれば良いんです」
ひむろは苦悩する美雄の手をがっりと掴んだ。
●午後4時30分
森の中に突如響いた奇怪な声。
天使(アレン)が使役するサーバント(ストレイシオン)が渾身の雄叫びだ。
『少女(樹理)』は驚いたように顔を上げ、周囲を見渡す。
耳を澄ませても、聞こえてくるのは雨音と轟々たる川の流れだけ。しかし……
「美雄先輩はもう少し待っていてください」
そう念を押し、ひむろが走り出した。アサルトライフルを構え、派手に銃声を轟かせて。
サバゲー部が利用していた事もあり、森の中は程良い具合に戦場といった雰囲気を醸し出していた。
土嚢を覆う苔がナパームショットで舞い散り、ストレイシオンの尾は樹の幹を力強く打ち払う。
「こんな依頼2度と受けねーからな!」
そう毒づきながらも、変化の術で男性に化けたラファルは咳払いをして喉の調子を整え――大声で叫んだ。
「ぐぎゃあああっ」
断末魔である。
そしてヨロヨロと走り出す。
「ハァ、ハァッ……、防衛線が崩れた。ここも直に危なくなる。撤退を……グフッ」
樹理の目の前で血反吐を吐いたラファル。
(何してんだ。さっさと走りやがれ。)
(え……どっちに?)
(それぐらい自分で考えろ!)
ダイコンな樹理に苛立ちながらも、ラファルは演技の指示を出した。
樹理が走る。カツラが落ちないよう抑えながら。
雨でぬかるんだ森は滑りやすい。何度か転び、樹理はすぐに泥だらけになってしまう。
行く手を阻むストレイシオンの爪をラファルが身を挺して防ぎ、相討ちの形となったストレイシオンは(召喚時間切れで)消滅した。
「……大丈夫でしょうか」
「何がかね?」
演技の行方を見守っていた美雄を宥めるように峰雪が問う。
「だって彼女も撃退士でしょう? 信じて貰えるでしょうか」
「心配いらないよ。なにせ『少女』が生きていたのは、10年も前の事なんだからね」
学園内にいる天魔の数や魔具の性能、撃退士の実力。それらはこの数年で劇的に変化している。今の世界は、彼女にとって異世界なのだ。
――実際は『少女』の設定を含め、全て作り話なのだが。素直というか単純と言うか……真実を知らない美雄は、峰雪のもっともらしい説明で納得してしまう。
「そろそろだね。『少女』の運命はあなたの演技に掛かっている。頑張るんだよ」
「はい」
激励され、美雄は緊張した面持ちで姿勢を正した。
足場の悪い森の中を走り回った樹理は、演技ではなく本当にボロボロになっていた。
息を切らし、泥だらけの顔で走り続ける。
「無駄ですよ。この私から逃げられるとお思いですか?」
金のオーラを全身に纏い、アレンは声高らかに勝利宣告をする。
おっとりとした印象はどこへ行ったのか。アニメの悪役を参考するアレンのハマリっぷりは半端ではない。
「『いや。あきらめない。きっとあの人が助けにきてくれるわ』」
背後は川。樹理は足元が崩れないか確認しつつ、棒読み口調で必死に抵抗を続ける。
「随分と諦めが悪い。……ふふふ、良いでしょう。その強き心に敬意を表し、貴女も貴女の恋人も、我らの力の一部としてあげましょう。有難く思いなさい。卑しき撃退士の娘よ!」
召喚された竜人(ティアマット)が樹理に襲いかかる。
一歩引いたその先に、足場となる地面はない。
「うあっ……?」
「危ない!」
そんな絶体絶命のピンチに駆け付けたのは、峰雪と美雄だ。
直撃しないよう峰雪が銃で牽制をし、作られたその隙に美雄は樹理を引き寄せ、身柄を確保した。
(忘れないで、これは演技だからね?)
唇の動きで忠告をする峰雪。美雄は寸での所で八卦石縛風を踏み止まった。
「何をしているのです? 早く捕らえなさい」
「私めにお任せください」
氷結晶のような輝きを纏うシュトラッサー役・ひむろも乗りに乗っている。
「テメェの相手は俺だ」
ひむろを阻むのは、新たな姿に変化したラファル。面倒くさいと口の中で毒づきながらも、鬱憤を晴らすかのように派手に立ち回る。
「……早くこっちへ」
シナリオ通り、美雄は樹理の背を抱くように走り出した。
背後では激しい剣戟の音。霊に憑依されている影響だろうか。指の先まで青白い樹理を、美雄が励まし続ける。
「逃がさない。そう言ったはずですよね?」
いつの間にか前方に回ったアレンが姿を現した。
無手から繰り出される攻撃から身を挺して護り、美雄はさらに走る。
――旧サバゲーの部室を目指して。
無事に小屋の中へ飛び込んだ美雄と樹理。
ヒリュウと視覚を共有したアレンが、小屋の裏側に潜む峰雪に待機を命じた。
美雄は胸元に仕込まれた血ノリを破いた。汚れたその手で口元をなぞり、瀕死の重傷を演出する。
「すまない……あの人に頼まれた君を、もう護れないかもしれない」
美雄は一所懸命に自身の役――恋人から『少女』を護るよう託された後輩――を演じる。
この後、樹理が恋人の消息を聞き、峰雪が小屋に仕込んでおいた『恋人の声』を流し、『少女』が成仏する……というのが、ひむろの描いた筋書きだった。しかし。
(江藤くん?)
樹理のセリフが出てこない。蒼白な顔で、凍りついたように座り込んでいる。
「あの人は俺を護って……」
そんな事情を知らない美雄は、自分のセリフを続けた。
……ユリ、遅くなってごめんね……
その時、小屋の中にとても優しげな声が降り注いだ。
樹理の状況を悟った峰雪が、とっさに『声』を作動させたのだ。
それは樹理にとって演技の終了を示す言葉。
全てが終わった事を悟った樹理は、体中から力が抜けたように倒れた。
●午後6時
樹理が目を覚ました時、舞台は森の中から保健室へと移っていた。
「あれ? 俺、何でここに?」
最初に見えたのは美雄の顔。その後ろに、心配そうに自分を覗き込む4つの顔があり、樹理は思わず後ずさりする。
「憶えていないのか?」
「……ぜんぜん」
覚えているのは、森の中を走り回っている所までだ。息苦しいという自覚はあったが、それ以降の記憶がない。
慣れない補正下着で締め付け続けたため、貧血になってしまったのだ。
スタイリストのアレンは慎重にサイズを確認していた。原因はキツイと正直に言わなかった樹理のやせ我慢――つまりは自業自得。
「もしかしたら『彼女』と一緒に逝ったんじゃないかって。お前まで失う事になったら、俺は……」
服を緩ませて安静にしていれば問題ないと先生は言ったが、美雄は本当に気が気でなかった。
「本当に、もう大丈夫なんだな?」
「お……おぅ」
心の底から安堵する美雄に、樹理はコトが終われば言ってやろうと思っていた文句を飲み込み、照れくさそうにそっぽを向いた。
「さて。江藤くんも回復した事だし。濱口くんの失恋を慰めるために、皆で美味しいものでも食べにいこうか」
「ラッキー! 俺、回らない寿司がいいな」
峰雪の提案に飛びついたのは、昼食を抜いていたらしい樹理だ。
「良いですねー」
「賛成です」
「もちろんオゴリだよな?」
にんまりと笑ったラファル。
周囲の期待に満ちた目を見て、峰雪は今一度財布の中身を確かめた。
――後日届けられた『幽霊少女』と『恋人』の学籍簿(偽造)は、初恋の想い出として美雄の心を慰めた後、腐の歴史として、樹理の手で永遠に闇へ葬られた。