●戦いを前に
ゲンキデスヨー!
脳天気な挨拶を叫ぶインコの前を通り過ぎ、撃退士は植物園の中へと踏み入っていく。
薄暗い通路を抜けると、そこには見渡す限り緑の世界が広がっていた。
「視界が悪い……救出対象が10人だっけ?」
礼野 智美(
ja3600)は注意深く周囲を見渡すが、彼らがどこにいるのかは確認できなかった。
3体いるというディアボロの姿も。
「鳥型・植物型でないモノがいたらそれが敵という事かな」
「おそらくは虫、だろうな」
惑いの蜂・ナハラの資料を基にディアボロの正体を推測したアスハ・A・R(
ja8432)の横で、過去にナハラの作品と遭遇した経験を持つ雪室 チルル(
ja0220)が露骨に嫌そうな顔をした。
「絶対に状態異常を仕掛けてくるよ!」
「それは精神に影響を与えるタイプでしょうか?」
マルドナ ナイド(
jb7854)が着目したのは、緑の中でも目立つ色鮮やかな鳥だ。あれだけ騒ぎがあったというのに怯える様子もなく、無防備に地面の上で転がっている。
「敵の位置を探る手掛かりになるかも知れませんわ」
そう、柔らかな笑顔で伝えた時……。
「これは予想以上の大物が釣れたな」
口笛と共に掛けられた視線を向ければ、吹き抜けになった温室の3階部分、ログハウス風の休憩所に人影が見えた。
撃退士を見下ろす眼は人外の証である複眼――惑いの蜂・ナハラだ。
ともすれば射竦められそうな視線を向けられても、神崎 八雲(
jc1363)が動じる事はない。
初の任務なら普通は緊張しそうなものだが、まるで人形のような視線を返し続けた。
「わしらを呼び寄せて何がしたいのか──いや、呼ぶこと自体が目的か」
その理由を探るのは愚問だとインレは思う。
どんな答えが導き出そうと、助けを求める声に手を伸ばす事に変わりはないのだから。
「まずは一般人を避難させてから、ディアボロを倒す……で、良いのよねぇ?」
取りあえずデビルは無視。
物事の優先順位を確認した黒百合(
ja0422)に、全ての撃退士が力強く頷いた。
(折角インレ様とご一緒の依頼ですもの、頑張ります!)
大きく息を吸って気合を入れ、イーファ(
jb8014)は意識を集中させた。どんな小さな痕跡も見逃すまいと、視線を走らせる。そして……。
「向こうの曲がり角の、白い花の下!」
第一要救助者、発見である。
●緑の園に潜むモノ
入口地点で位置を把握できた一般人は2人。
そこから先の通路上に、点々と転がっている人々の姿が見えた。
撃退士達は未だ正体の知れぬディアボロの奇襲を警戒しながらも、一気に駆け抜けていく。
「意識は……ある……か」
声をかけた八雲に、座り込んでいた女性が視線を向けた。しかし、ほっとしたのも束の間、女性は気だるそうに瞼を落とす。
たった今、喋った。助けに来た事に感謝していたにも関わらず、だ。
これは厄介だと思う。
彼らが自力で動けるなら、最低限の護衛で誘導するだけで良かった。それを1人ずつ運ぶとなると、時間も手数も大幅にロスする事になる。
「せめてディアボロの邪魔が入らないうちに救出しましょう」
イーファとマルドナが頷き合って母子を抱え上げる。
八雲も率先して救助の側に回り、一般人を非常口近くの壁際へと運んだ。
そうして半数程の一般人を移動させた時、不意に頭上の枝葉が大きく揺れた。
「なんか変なのが居るよっ」
チルルが警告を発したのと、大きな塊が勢いよく飛び掛かってきたのはほぼ同時。一瞬で目の前に迫った鋭い爪を、チルルは細身の大剣に氷の結晶を纏わせて受け止めた。
僅かに爪が掠めた頬が焼けるように痛む。
刹那の鍔迫り合いの末、チルルはそれを通路の外側へと押しやった。
(まずい、このままでは見失ってしまう!)
智美が華麗なステップで宙を舞うも、襲撃者は枝のない樹をスルスルと登り、あっと言う間に密集した葉の陰へと消えていった。
「……なんだアレは?」
「ナマケモノ、かな」
思わず二度見したアスハに、八雲が冷静に分析結果を告げる。
――樹懶(ナマケモノ)。熱帯雨林に棲息。排泄時以外の殆どを樹の上で過ごす哺乳類。
身体に生えた苔が擬態の一種となり、肉食獣から身を守る――
それはまさに図鑑から抜け出したかのような、『そのもの』の姿をしていた。
「…………」
撃退士達から疑惑の視線を向けられても、当のデビルは素知らぬ顔で高みの見物を続けていた。
●ナマケモノVS頑張り者
できれば開けた場所で戦いたい所だが、一般人の安全を考慮するなら、通路に出すわけには行かない。
救助活動を終えたイーファと八雲――射撃に特化した装備をした者が救護衛を兼ねて通路に残り、殲滅担当の撃退士達は不利を承知で展示植物の中に身を投じる。
「登らせるな。抜けられるぞ」
「……了解、です」
アスハの指示を受けた八雲が銃を撃ち、僅かの間、逃走を阻んだ。
間抜けな風体とは裏腹に、ナマケモノ型のディアボロは素早かった。
長い腕を器用に使い、樹の影から引っ掻いてくる。現れては消え、消えては現れる。
おそらく別個体だろうが、見分けがつかない以上断定する事もできず、苛立ちだけが増していく。
機動力を削ぐため、何名かは手足を重点的に狙った。しかし、たださえ難しい部位狙いである。障害物に遮られ、思うように捉える事ができない。
「これならどうだ?」
アスハは空虚を穿ち、ナマケモノを川の中へ突き落とした。
阻霊符が張られた状態なら、たっぷりと水を含んだ毛皮が位置を知らせてくれると判断したのだ。
その予想は的中した。
滴り落ちる水滴で頭上からの奇襲を躱した撃退士達。
手痛い反撃を受けたナマケモノは、今度は鬱蒼と生い茂るシダ類の森に逃げ込んだ。
「……消えちゃた?!」
追跡していたチルルが驚きの声を上げた。
ナマケモノの体毛に付着したコケが絶妙な具合で風景に溶け込み、光学迷彩に似た効果を発揮しているのだ。
しかしマーキングで位置を追尾しているイーファの目までは欺けない。
「シダのカーテンの……1メートルぐらい右です」
「ここだなっ」
智美の一撃がシダを切り払う。
「違います。そこじゃなくもう少し奥の……完全に消えてはいませんから、判るはずです」
同じような風景が多すぎて、指示が上手く伝わらないのは、計算違いだったが。
「面倒ねぇ」
黒百合がおもむろに手を翳した。怪しいと思われる場所を狙い、手当たり次第に牽制の弾を撃ち込んでいく。
ガサッっ。
頭を掠めた攻撃に慌てて茂みを飛び出したナマケモノ。それに共鳴するように、他の2体も動き出した。
アァ……ン
アァァァ……ン!
「皆、そこで待っておるのだ」
耳障りな鳴き声に不穏な気配を感じたインレが皆を制止した。
おそらくあれが敵の奥の手――その効果を探るため、インレは伝説に謳われる兎のように自ら火中に身を投じる。
(間の抜けた顔をしおって。わしを油断させようとしても無駄という物だよ。だが……)
「インレ様お気を付け…あら?」
イーファの声が途切れると同時に、がくん、とインレが膝を付いて蹲った。
その顔に浮かぶのは苦悶ではなく締まりのない表情。口から洩れたのは、断末魔ではなく気の抜けたため息。
「……GWだと言うのに、わしはなんでイーファを遊びにではなく危険な場所に連れて来ておるのだ……」
その瞬間、緊迫した戦場に沈黙の帳が下りた。
「……はっ!? 今、わしは何を言ったのだ?」
ナマケモノの怠気に中てられたのはほんの一瞬。すぐに正気に戻った心の強さにイーファは目を輝かせているが、晒してしまった醜態のダメージは深くインレの心に刻まれた。
「まさか状態異常攻撃ですか……?」
「何故ここにいる、か」
無表情のまま皆の様子を伺う八雲だったが、続いてアスハの口からも、力のない声が漏れた。
自分達は百戦錬磨の撃退士だ。
本来であればもっと上級の、強力なデビルや天使と刃を交えるべき存在である。
それなのに、何故こんな場所で、こんな間の抜けたナマケモノ如きを相手にしているのだろう?
自身の存在意義すら失ってしまいそうな疑問が胸の中で渦を巻く。
「何時までもこうして居られるか」
アスハが己に喝をいれるように叫んだ。
「一刻も早く、敵を討つ」
智美も雑念を振り払い、太刀を構える。
ナマケモノの誘惑を振り切った事で撃退士達の士気は急上昇。もう、恐るべき(ある意味で)精神攻撃に惑わされる事はない。
「後でとっちめてやるんだからね!」
忍軍修行中のチルルだが、戦い方は以前と変わらない猪突猛進型。
怒りの矛先をナマケモノにぶつけ、大剣を振り上げる。
ナマケモノは動かない。チルルの剣では届かない事を学習しているのだ。
しかし。
「伸びろーっ」
コンセレートを載せた一撃はキラキラとした輝き纏い、ナマケモノがしがみ付いた枝を容易く斬り払った。
続く呪縛陣で自爆したチルルの横を戦巫女が走り抜ける。
智美の身体を包む金色のアウルが炎となって巻き上がり――呼吸をするように自然な動きで、ナマケモノの胴を薙ぎ払った。
「月の光から逃れられると思うなよ」
インレが赤の尾を棚引かせて進む。炎を思わせる肉体で、家畜(人間)のために身を燃やし尽くそうとする――
身を焦がして敵を引き付ける男の姿に、マルドナは恍惚とした表情を浮かべて身を捩った。
あぁ、あぁ……。
昂ぶった精神を抑えることなく、マルドナは魔具を己が腕に押し当てた。飛沫いた鮮血が頬を赤く染め、快楽の悲鳴を上げた。
刻まれた傷がマルドナの物ではない『痛みの記憶』を呼び覚ます。
ナマケモノはディアボロとして生を与えられてからの記憶しか持たない。ならばそれは間違いなく、インレ(を含む撃退士)が与えた痛み……。
その事実がよりマルドナの心を昂ぶらせる。
「あ……ああぁっ!」
迸った歌声のような悲鳴に、ナマケモノの苦悶の叫びが重なった。
「鬼さん、こちらよぉ」
追い縋るナマケモノの爪が次第に近づいても、黒百合が微笑を絶やす事はない。
覆い被さる葉を掻き分け、足場の悪い樹々の間を駆け回っていた。
「……っ」
地を這う蔦に足を取られた黒百合。無防備に転がった所を見逃さず、ナマケモノが飛びかかる。
鋭い毒爪が稲妻の速さで翻り、黒百合を引き裂いた。
ナマケモノは雄叫びを上げた。勝利の余韻に浸るように、手中に残ったスクールジャケットをズタズタに引き裂き続けた。
そう。スクールジャケットだ。それは黒百合が自身を投影した空蝉。
「今よぉ」
掛け声と同時に八雲が引き金を引く。
放たれた弾丸は地獄の番犬を彷彿とさせる咆哮を上げ、ナマケモノの頭部を撃ち抜いた。
●土産の葛篭の大きさは
「さぁ、説明してもらうわよ」
全てのナマケモノを殲滅した後、呪縛陣から開放されたチルルは、怒涛の勢いで休憩所へ向かった。
戦いに勝ったのだから、それぐらいのご褒美を貰っても良いはずだ。鬼気迫る表情に怯えたヴァニタス・上総が、主であるナハラの背に隠れた。
「資料に虫好き、と見た気がするんだが……方針でも変えたのか?」
退路を塞ぐように位置取ったアスハの質問に、ナハラは観念したようにため息を吐き、デザインを決めたのは上総だと告げた。
「ナマケモノのディアボロにしたのは間違いだったな ──兎の方が強いからのう」
「なんだってナマケモノなんか作ったの?」
偏った知識でお子様の洗脳を試みるインレ。
智美は膝を落として視線の高さを合わせると、優しい口調で語りかけた。
優しそうな2人の『お兄さん』を前に、上総はどうするべきか迷っているようだった。主の顔色を窺いつつ、小さな声で話し始める。
ベレクというデビルがナハラを誘った事。ベレクの挑発に乗り、虫型以外のディアボロを作ろうとした事。
上総の説明は、ナハラに話したのと変わらず取り止めがなかったが……。
「……それ、『コアラ』じゃないかなぁ……」
ぽつりと漏らした智美に上総は歓声を上げ、ナハラは気まずそうに髪を掻き上げて視線を逸らせた。
――何故そんな勘違いをしたのかはとりあえず置いておき。
こほん、と咳払いをひとつして、アスハが周囲の注目を引き付ける。
「四国でもかつて、冥魔ゲートが開かれる前に、こんな風に事件が多発する傾向があって、な……。この地区の今の動きは、それに非常に似ている」
「……それで?」
互いの腹の内を探る攻防。
一見緊迫した沈黙を破ったのは、アスハの方だった。
「率直に言おう……何を知ってる? そして、そちらは何を知りたいんだ?」
攻めのタイミングを誤らず、迷わず間合いへ飛び込んできたアスハの勇断に、ナハラの複眼が僅かに揺らいだ。
「近々、この地にゲートが開かれる」
智美から上総へ渡されたテディベアをもふりながら、ナハラは淡々と言い放った。
「奴は自己顕示欲がとても強い。大金を拾ったら、届けるより先に見せびらかすタイプだ。だからゲートもこっそり開くなんてしない。君達が敗北感を味わうよう、派手に花火を打ち上げるだろう」
今回の事件も含め、これまでの騒ぎはすべて注目を集めるための前座だったらしい。
真打はいつ舞台に上がるのか? アスハの問いに、ナハラは肩を竦めた。
「さぁ? 下手に聞いて手伝うハメになるのも面倒だしね。まぁ、次に騒ぎが起きたら、その時なんじゃないか」
少なくともナハラ自身は参戦しないという事か。
「奴の手駒はヴァニタスと、同属から掻き集めたディアボロ。俺も怠惰能力に特化した『な魔獣』を提供しているから、それも使ってくるだろう。……上手く使えるかどうかは、奴次第だけどね」
ナハラが今答えられるのは、これが全てらしい。
事件を未然に防ぐには決して充分とは言えない情報。それでも心構えがあれば、最悪を避ける事はできる。
「蒼き撃退士――君の敏慧な判断に敬意を表し、何か判れば報せてやるよ」
「期待しないで待つ、よ」
からかうような口調のナハラに、アスハは冷めた笑みを返した
一呼吸置いて、ナハラは腰を上げた。
一通り情報を引き出したのだから、今度は自分達が応える番だ。
どんな質問をされるのか。学園の機密を求められはしないだろうか? 固唾を呑む撃退士に、ナハラは至極真剣な視線を向ける。
「お前達……いつもこんな物を任務に持ち歩いているのか?」
そう言って、ナハラは発信機等が仕掛けられていない事を確認し終えたテディベアを、上総へと手渡した。
●ひとときの平和を
緑の園から招かれざる客が去り、小鳥が囀る長閑な時間が返ってきた。
任務完了の報告をすると共に、黒百合は荒してしまった園内の片づけを手伝い始める。
他の撃退士も自然に体が動く。
「……今度改めて訪れてみたいですね」
片隅に咲く小さな花を整えるイーファに、インレが目を細めて頷いた。
護りたい、護るべき日常……初々しい2人を見つめ、マルドナの口元が綻ぶ。
微笑ましいと呼ぶには少々微妙な光景もまた、彼らにとっては護るべき日常の形なのだろう。
黙々と作業を熟す八雲の肩に一羽の小鳥が止まった。
小鳥はすぐに飛び立ってしまったが、八雲は肩に残った温かさ――命の証を噛みしめた。