●出発の前に
スキルや装備は確認しましたか?
後で入れ替え可能と言っても、初期準備を怠ってはいけませんよ。
通信機器の充電はできていますか?
たとえ電波が良好でも、電池切れでは使えませんから。
あと10分で出発です。トイレに行きたい人は、今のうちに済ませましょう。
斡旋所職員が読み上げる初歩的な注意事項を、アストラルヴァンガードの少女が真剣な表情でメモを取る。
「昔、思い出す……」
かつて『最強のレベル1』を目指していたSpica=Virgia=Azlight(
ja8786)も、今や一人前の撃退士。
今回は少々思う所があり、学科を変え新米ナイトウォーカーの戦い方を模索している最中だ。
「連中は曲りなりにも連携を組んでくるみてぇだな」
レポートに目を通していた巨漢・ドーベルマン(
jc0047)が歯を剥き出しにして嗤った。
連携――それは力の差を覆すための知恵。ドーベルマンは撃退士としての戦い方と同時に、それがもたらす効果を学習していた。
「つっても雑魚ばっかなんだろ? 遠慮なく学ばせて貰うぜ」
どちらの連携がより『上』か、試すには丁度良い。
「……今まで被害……出て無いのですよね……。天魔と言えど、殲滅するのは……何だか悲しくもありますね」
消え入りそうな声で漏らした金咲みかげ(
ja7940)は、待機室に待降りた刹那の沈黙を感じ、気まずそうに俯いた。
確かに被害は出ていない。今のところは。それが明日も明後日も続くとは限らない。
「被害が出てない上弱いとはいえ……敵は敵だよね……殲滅」
「天使勢だろうが、悪魔勢であろうが、俺には関係無い……。 忌まわしいこの血を創った奴ら……全力で叩き潰す。それまで、だ」
面倒臭い事は考えないとか、忌まわしき出自とか――その身に抱えた事情はそれぞれだが、彼岸坂 愁雲(
jc1232)や凪(
jc1035) の答えはとてもシビアだった。
「初めての撃退士らしい、お仕事です。頑張るです」
ヤル気満々な空気を、マリー・ゴールド(
jc1045)の純粋な意気込みが和ませる。
「良かったら一緒に行動しない?」
いつでも連絡が取れるように、と携帯番号を交換していた狩霧 遥(
jb6848)が、同じ学科の少年を誘う。特に断る理由もなかったので、少年はその申し出を快諾した。
「……貴女は、私と組む」
自分はどうするべきだろうか? 初の実戦を前に緊張を隠しきれないアスヴァンに、麻生 白夜(
jc1134)が手を差し伸べた。
「は、はいっ」
アスヴァン少女は口から心臓が飛び出そうなほどに驚き、頷いた。
●第三種接近遭遇に向けて
小さな町のはずれに、その山は鎮座していた。
撃退士達はまず依頼主の元に顔を出し、任務開始の報告をしてから山へと入った。
「コボールトの出現は、ある程度偏っているようだ、な」
散策路の途中に設置された案内板と支給品の地図を見比べ、凪は改めて策を練った。
コボールトが目撃された場所は、大半が散策路の西側に集中している。おそらくその周辺が縄張りなのだろう。
静かに頷いて、凪は陰陽の翼を展開した。
スピカ、マリー、愁雲もそれに続く。
いろいろ負担となる変身を解き、悪魔本体の姿になったドーベルマン。
「さぁ、私達も行きましょう。サーチアンドデストロイです!」
突然現れた巨大なトカゲ男を警戒する陰陽師少年を引きずるように、遥が駆け出した。
コボールトの捜索は、思っていたほど簡単ではなかった。
上空からは視野を広く保てるが、青々と茂る木々の真下までは見通せない。地上を行く者達がそれをカバーし、索敵を進めていく。
『ヤツデの根元で何かいます』
携帯電話からマリーの声が聞こえ、ドーベルマンは周囲を見渡した。
「オ……ヤツ?」
『天狗の羽団扇みたいな、大きな葉っぱの木です』
「アァ、ソレナラ只ノ石ダ」
恐らく風で揺れる葉のせいで動いているように見えたのだろう。
ドーベルマンは戦斧で葉を切り払い、それが錯覚であることを知らしめた。
それでも納得のいかないマリーは、自分の手で石をひっくり返し、裏側まで確かめようとする。
「ン?」
その様子を見守っていたドーベルマンは、地面に残る小さな足跡に気が付いた。
子供の靴跡ではない。二足歩行をするケモノ。それが幾つもが連なって、林の北側へと向かっていた。
「……ターゲット、ロックオン……」
連絡を受けたスピカが北へ針路を向けた時――木々の向こうに垣間見えるなだらかな斜面で、コボールト達がじゃれ合っているのが見えた。
全部で6体。上空を旋回する『銀翼の鳥』に興味を持ち、物珍しげに見上げている。
スピカは彼らの位置を頭に叩き込んだ後で風下に着地。すでに力を失った翼を『ハイドアンドシーク』と入れ替えた。
気配を殺し、静かに近づいていく。
距離10メートル。付近には完全に身を隠せる物はない。
コボールト達は未だ逃げる気配を見せない。しかし、じゃれ合いを止め佇むその視線は、間違いなくスピカの方に向けられていた。
(……潜行、効いていない?)
微かに過った疑問を振り払い、スピカは更に距離を縮めると、闇を纏う腕でバンカーを構えた。真直ぐに先頭のコボールトに狙いを定め、一気に解き放つ。
渾身のダークブロウは2体のコボールトを一瞬で屠り、後方の木を粉砕した。
キャンキャン、キャィーン!
沈黙が一瞬で破られ、初撃を免れたコボールトは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
「……わわわっ?!」
ドーベルマンからの連絡で現場に向かったみかげの前に、1体のコボールトが飛び出してきた。
思わず木の陰に身を隠したみかげ。攻撃されなかった事に安堵するも、すぐに自分の役割を思い出す。
(お、追いかけなきゃ……)
まだ戦いは不安だけれど、相手が一体だけなら、自分だけでもどうにかなりそうだ。と思う。
深呼吸をひとつ、心を落ち着けて。みかげは意を決して走り出す。
でもやっぱり怖いので、こっそり撃ち込んだ『マーキング』を頼りに追う事にした。
――コワいヤツラがきた。
人間によく似た姿をしているけど、全く違うヤツラだ。
突然現れた撃退士という生物は、とにかくスゴイ恐怖の象徴として、コボールトの間に伝播していく。
見つかれば殺される。
本能でそう悟ったコボールト達は、完全に逃げに入った。
大きな木の陰、沢の下、崩れかけた防空壕の中で。人間の子供達が遊んでいた隠れんぼのように、じっと息を潜める。
時々様子を探れば、ヤツラが空を飛んでいるのが見えた。
まだ諦めていないのか? そう思った時、どこかで仲間の断末魔が響いた――
「私の刀の糧となって貰いました……」
足元に転がるコボールトを一瞥した後、遥は共に行動をする陰陽師の少年に目を向けた。
「今のっ! 見ました? かっこよかったですか!?」
直前のクールな様子はどこへやら。瞳を(ΦωΦ)的に輝かせると、少年の腕を取ってブンブンと振り回した。
「あぁ、えーっと、その、うん」
遥の迫力に圧され、少年はただ頷くしかできなかった。
「すみません……お手数……お掛けしてしまって」
「なんだ……もう倒してしまったんだね」
数秒遅れて、マーキングで位置を実況していたみかげと、その報告を受けた愁雲が到着した。
他の仲間達も次々と到着する。
「私の腕に掛かれば、なんて事はないのですよ」
えへん、と胸を張る遥。
もみ合いになって反撃を受けたが、名誉と誇るには少々頼りない掠り傷。アスヴァンが活躍する程でもない。
「ほれへ3匹目れふ? 他ほ子達はどぼへ行っひゃっひゃのでひょふ」
樹の枝に腰を降ろし、マリーは双眼鏡を覗き見る。言葉が不明瞭なのは、おそらく手に持つ黄色いブーメラン状の物体のせい。
陰陽師少年に突っ込まれたマリーは、お腹が空いた、と照れ笑いをする。
「……そろそろ、お昼?」
白夜は高く昇った太陽を見上げた。
皆でさんざん探し回ったが、コボールトは何処かに隠れてしまったのか、中々見つからない。
状況が膠着している今、一度仕切り直す必要があるだろう。
……という事は。
「昼食ですか? 俺の事は構わず、好きにしてください」
食べるという事にさほど興味を持たない凪は、そう言い捨てて早々に戦線を離脱。和気藹々とする仲間達を外側から眺めていた。
次々と弁当や持ち寄ったおやつが広げられていく。
その中でも一際存在感を魅せつけていたのは、ドーベルマンが腕によりをかけたというミートパイだ。
甘いものに目がない遥やマリーはちょっと残念そうな表情をしていたが、一口食べたとたん、満面の笑みを見せた。
「すごく……美味しいです」
何度も何度も何度も何度も噛みしめるマリー。
「……ん、悪くない」
あまり感情を表に出さない白夜も目を細めて堪能する。
コボールトの襲撃を警戒し、食事中でも魔具を手離さないスピカは、ちょっと食べづらそうだった。
ふと、遠くを見つめていた凪は、仲間を見下ろす木の上に茶色の毛玉を見つけた。
視線の先にあるのは人間か、それとも食べ物か――コボールトの口からは滝のような涎を流していた。
虎視眈々とするコボールトが凪の存在に気付いたのは、頭上を影で覆われた時だ。
「ハッ!」
呼吸と共に急降下。逆光に目が眩んだコボールトの脳天を蹴りつけた。
弱いと言えどやはり天魔、一撃では屠れない。凪は間髪を入れずにもう一度蹴りを繰り出し、今度こそコボールトの息の根を止めた。
●反撃のコボールト
午後も任務は続く。
「これじゃあ彼らと変わらないね」
殆どの天魔族は翼の力を使い果たしていた。愁雲はため息を吐きながらも、地に足を付け地道に捜索を行う。
「……草の陰もちゃんと見た?」
アスヴァン少女の返事を受け、白夜は碁盤状に区切った一画に新しいバツ印を書き入れた。
「見つけたっ」
ふと、みかげが叫んだ。声を潜めてはいるが、興奮を抑えきれない様子だ。
「俺の目には何も見えない、が」
「藤棚の方向、ひょろっとした樹の奥、茂みの中……4匹です」
凪は目を凝らすが、コボールトらしき姿は見当たらない。
おそらくそれは、『索敵』で神経を視覚に集中させたみかげだからこそ、認識する事ができたのだ。
撃退士達は三方に分かれ、茂みを挟み込むように近づいていく。
あと少し、最も射程が長いマリーの攻撃が届きそうな距離まで近づいた時、コボールトは全速力で逃げ出した。
コボールトは身を隠しては再び走り去る。そんな事を繰り返すうち、撃退士はコボールトを追い詰める事に成功した。
「天界ノ犬、俺様、喰ッテヤル」
前門のトカゲ、後門の狐――左右は2メートル程の土手が聳え、コボールトの命はまさに風前の灯。
しかしコボールトが怯えを見せる気配はない。
その理由はすぐに判った。
両側の土手上にコボールトが現れたのだ。その数、9体。
「……追い詰めたつもりだったけど、逆に誘い込まれたようだね。――だが、所詮はその程度っ」
愁雲の口調が変化する。中性的で穏やかな響きから、軍人然としたものへと。
振り絞った金色の弓から放たれた矢が、死闘の合図となった。
躍り出たコボールトが手にしていたのは、細かな棘がびっしりと生えた木の枝だ。
あれって天ぷらが美味しんだよね……と思った直後、それをブンブンと振り回し始めたので、みかげは慌てて距離を取った。
だって痛そうだから!
同じように追い回されていたマリーは、頭の部分を結んでΩ状になった草に足を引っ掛け、転んでしまった。
馬乗りになったコボールトに引っ掻かれ、マリーの頬に赤い線が走る。
「えいえいえいえいえーい!」
マリーも無我夢中で抵抗する。
魔法書の角攻撃は本来の用途と違っているため、性能通りのダメージは見込めない。
それでも威嚇には充分だったらしい。コボールトは自分より弱いと思い込んでいたマリーの反撃に驚き、身を仰け反らせた。
僅かに距離が離れたところをドーベルマンがすかさずスピンスブレイド。翻した戦斧でコボールトを叩き斬った。
アスヴァン少女の援護をするように、白夜は鍵盤型の魔具を操る。
コボールトは玩具の銃で対抗する。
引き鉄を引くと先端が赤く光り、ギューンと効果音が流れた。音には音を……と思ったのだろうが、コボールトは衝撃波を一方的に受け翻弄される。
演奏に夢中になっている白夜に別のコボールトがにじり寄る。
間一髪、白夜は横っびでヒーロー剣を避ける。倒れた弾みでネコ型リュックから楽器が幾つかこぼれ、散らばった。
コボールトは鍵盤シートに手を伸ばす。
それは単なる雑誌の付録だが、白夜が音が鳴ったタイミングに合わせて悲鳴を上げて見せた。
コボールトは吼える。これは撃退士をも倒す事のできる強力な武器だと。効果を目の当たりにした他のコボールトも、我先にと玩具の楽器へ飛びついた。
――爪や牙と違い、音による攻撃は目に見えた傷は付かない。
しかし撃退士達が耳を塞いで顔を顰めるのだから、間違いなく効いているはず。
そう信じたコボールトは、音が何の効果も持たないと気付く事なく、最後まで耳障りな雑音を全力で奏で続けた。
●課題を終わらせるために
コボールトの骸を一ヶ所に集めた撃退士は、陰陽師少年とアスヴァン少女を見張りに残し、時間ギリギリまで索敵を続けた。
岩陰等の身を隠せそうな場所を確認した。時には楽しげに歌を歌い、おやつの匂いを漂わせて相手の好奇心をくすぐったりもした。
地上の仲間がローラー作戦を続ける中、翼の力を温存していたドーベルマンは空から状況を見守り続けた。
「やはりあれで最後、だったらしい、な」
一度山を下りるフリをして油断させたが状況は変わらず。そう結論を出した凪に、異論を唱える仲間はいない。
「これでミッション終了だな」
お気楽に背を伸ばした陰陽師少年に、遥が両手でバツを付きつける。
「家に帰るまでが遠足なのですよっ」
「……レポートも書かないとね」
愁雲もやれやれと言った様子で息を吐いた。
課題はクリアしたものの、スキルの使い方等、考慮すべき問題も見えてきた。
翼のように効果時間の短いスキルは、行使タイミングが重要になってくる。
持久戦を見据えてローテーションを組んでいれば、早々に使い切ってしまう事もなかったかも知れない。
そして潜行能力も。
気配を消しても、単独行動では充分な恩恵を得られない。もし敵がもっと強力だったなら、自分は間違いなく嬲り殺しに遭っていた。
「慢心と、油断は……自分を、死にやすくする……。要注意……」
学園へ帰還した後、率先して反省会を設けたスピカは、自分への戒の意味も含め、そう締めくくった。
戦いに定石はない。千の戦場には一万通りのパターンがある。
だからこそ、幾億の経験を積み重ねる。
それは実戦に限った事ではない。
一般教養や日常生活、怒りや悲しみといった感情が、死線を乗り越える一手を見出す大切な糧となるのだ。