●真夏の白昼夢
季節は夏真っ盛りである。
空はどこまでも高く、太陽は黄金色に輝いている。
季節は今、夏なのだ。
「何処か甘味処で冷たいものでも食したいところだが……」
うだるような暑さに滅入りながら歩いていたアレクシア・エンフィールド(
ja3291)は、校庭の騒がしさが気になって視線を移した。
「なっ……」
とたんに息を呑む。
一見、入道雲かと思ったそれは、よく見ると大きな雪だるまだった。
「……いかん。熱にやられたか?」
目を擦り、頭を振る。幻覚ではない。その証拠に足元には確かに雪が積もっている。
アレクシアはそれを天魔であると認識するまで、実に数分の時を費やしていた。
●欲望と理性の狭間で
「うーん、コレもそうですけど、天魔ってシリアスというか真面目な人はレアなのかな?」
佐藤 七佳(
ja0030)が呟いた素直な感想は、関係者が聞いたら憤慨しそうな内容だった。
もっとも、たとえ天魔のお偉いさんが全力で否定したとしても、それを信じられる者は一人もいないだろうが。
「何故季節はずれな雪だるまが学園に……」
「うわ……でかっ。……ていうか、既に溶け始めてないか?」
仁王立ちをしている雪だるま・ダディの雄姿を見上げ、森部エイミー(
ja6516)と桝本 侑吾(
ja8758)が共にため息を漏らす。
天魔に空気を読めと言っても無駄だろうが、これではあまりにも場違いだ。
「真夏の雪だるま!冬の曇天と薄い青が普通だけど、夏の青空をバックにした図も意外と良いかも」
互いに戯れあう雪だるま・キッズの愛らしさに心を奪われた氷姫宮 紫苑(
ja4360)。
天魔退治をするつもりで駆けつけたのだが、一生懸命跳ね回るキッズを見ているうちに、雪だるまをぎゅ〜〜〜っと抱っこしたいという誘惑に駆らていた。
「あぁぁ……。夏に雪だるまさんを見る事になるなんて」
リゼット・エトワール(
ja6638)も、使命と誘惑の板ばさみになっている者の1人である。
早く退治しなければいけないと理解していても、破壊する勇気を持つことができない。
「雪だるまがいっぱい……。夏の暑さで溶けないでしょうか」
冬樹 巽(
ja8798)が危惧するおり、小柄な分、キッズ達が溶ける速度は早い。直前まで元気に飛び跳ねていても、露出している地面に触れると一気に小さくなるのだ。
これなら放っておいても大丈夫だろう、と呑気に構える者も数多く居たが、
「も、もしかしたら……こうやって、撃退士を喜ばせてから、感情を抜き取るつもりなのかも……?」
今にも消えてしまいそうな鈴木 紗矢子(
ja6949)の呟きに、一同揃って硬直する。
冷気を求めて迷い込んだ校庭で、図らずも天魔と遭遇してしまった紗矢子は、無心で雪だるま達を偵察するための砦(かまくら)を作り続ける。
「街にパニックを起こすような迷惑な物体は駄目ですよね!」
このままではいけない、と自分に言い聞かせるエイミー。
「は、はい! 街の人が危険に晒されてしまいますよね。街の人を全身しもやけにさせないためにも、頑張りましょう!」
リゼットも首を左右に振って雪だるまの誘惑を退ける。
「ちょっと勿体無いけど……」
街へ出ようとしていたキッズを紫苑が召還した異界の手が捕まえた。
脱走を図るキッズは残り1体。リゼットは静かにアウルの矢を番えて狙いを定めるが、
「あぁぁ……やっぱり可愛いです」
雪原に空いた穴に嵌ってジタバタする姿にノックダウンされるのだった。
●踊れ、本能の赴くままに!
もちろん撃退士の中には、理性と本能の葛藤とは無縁の者も数多く存在する。
「ぉぉ……何や面白そぉなん来たーっ!?」
心の底から湧き上がる歓喜に身を震わせる烏丸 あやめ(
ja1000)。その独特のイントネーションが周囲の者に楽しさを伝播させていく。
「会いたかったぜ!?雪だるまっ!」
相手がディアボロやサーバントでも関係ない。花菱 彪臥(
ja4610)も、思い切り遊ぶ気満々だ。誰も踏み入っていない雪原へ豪快にダイブし、あやめと共に雪合戦を始める。
最初は2人だけの投げ合いだったが、流れ弾に当たった他の生徒がお返しとばかりに参戦し、小学生から大学生まで、老若男女入り乱れての大乱闘。
「えっと、害がないなら、遊ぼうかな……?」
「菜都姉ちゃんもこっち来ぃや」
どうするべきか。ずっと様子を探っていた久慈羅 菜都(
ja8631)は、あやめの一言で雪合戦の輪に飛び込んだ。
早速手近なキッズを鷲づかみにすると、えいっ!と両手に力を込める。
ぷきゅ〜〜ぽんっ。
無残にも上下真っ二つにされたキッズは、奇妙な音を発すると一瞬にして消えてしまった。
「姉ちゃん、豪快すぎや!」
「えっと……。投げるのに丁度良いかなぁ、って思ったんだけど」
周囲が唖然とする中で、あやめだけは突っ込みを忘ない。
「こいつら、面白いなー!……えいっ!」
菜都の行動に何かを感じたのか、彪臥は背後に忍び寄ってきたキッズを捕獲する。そのまま大きく振りかぶって放り投げた。
何故か勝ち誇った表情で宙を舞うキッズ。あやめに頭突きをぶちかまし、儚い生涯を終えた。
「痛いやん! こうなったら、うちもお返しや!」
あやめも負けじとキッズを投げ返す。
何しろキッズはどんどん群がってくるのだから、わざわざ雪玉を丸める必要はない。
やがて他の生徒達も真似をし始め、雪合戦会場は一転、キッズが飛び交う異界の戦場とかしていた。
若者達が無邪気に遊ぶ光景を眺めながら、姫路 眞央(
ja8399)は懐かしい時代に思いを巡らせていた。
「雪だるまか……。ああ、うちの子が小さい頃を思い出すな……」
白く染まった自宅の庭で、一緒に雪だるまを作って笑いあった幸せなあの日々。彼の脳裏に広がる思い出は、手に触れることができそうなほどに鮮明だ。
(……あの子も雪だるまに釣られてここに現れるかもしれない!!)
ぽんと手を打つと、眞央は愛する息娘(むすめ)を探すため、ふらふらと校庭の中を彷徨い始める。
ダディが吐き出す吹雪や雪弾も、家族愛の前では無力なのだ。
「あぁ、小さな雪だるま……可愛い!」
ちゃっかり外套を着込んでモコモコになった或瀬院 由真(
ja1687)は、波となって押し寄せてくるキッズを、両手を広げて出迎えた。
「さぁ、お姉さんの胸に飛び込んで来て下さい!」
無防備な身体に、キッズ達はまるでマシンガンのように突進する。
残念なことに、ほとんどは飛び込んだ衝撃で崩れてしまうのだが、辛うじて生き残った1体を、由真はしっかりと抱きしめた。ひんやりした感触が心地よい。
みゅっ、みゅみゅっ……!
仲間が捕らえられたと勘違いしたキッズ達が、由真を囲んで回り始める。
常時であれば、撃退士としてその行動を警戒していただろう。
しかし、水を讃えるフォークダンスそっくりな動きに害意があるとは到底思えず、由真は表情を緩ませ、踊りの輪に飛び込んだ。
標的を見失った事に気付くことなく、キッズ達は一心不乱に踊り続ける――
「そんなのだめだよ!」
突然響いたレグルス・グラウシード(
ja8064)の声に、寂しく雪と戯れていた男達は何事かと視線を向けた。
「どうして?! だーりんのいじわる!」
対する新崎 ふゆみ(
ja8965)の腕には、1体のキッズが大人しく抱かれている。
これが噂の痴話喧嘩というモノか?!
異性交遊は都市伝説。カノジョという生物はUMAに違いないと信じる者達は、固唾を呑んでその光景を見守っていた。
「こんなにかわいいしっ、ほら! ちっとも痛くないよ?!」
カレシの目の前でキッズに頬擦りをするカノジョ。
「いくら可愛くたって天魔なんだよ? 僕はふゆみちゃんが怪我とかしないか心配で……っ!」」
カレシは無理やりキッズを取り上げる。その横暴さに、カノジョは目に大粒の涙を浮かべ、
「だーりんのばかばかばかっ!」
雪玉を丸め、カレシに投げつけた。
頭に雪の帽子を被らせられたカレシも反撃を開始する。
ついに始まった伝説の修羅場に、男達はいい気味だ! もっとやれ! とヤジを飛ばす。
しかし、何と言うか……。雪玉を投げあい追いかけっこをする2人の周囲に、『波が打ち寄せる美しい砂浜』の幻影が浮かんでいるのは、気のせいだろうか?
「さっきはごめんね、ふゆみちゃん」
いつの間にか仲直りしているバカップル。
雪遊びで冷え切ったふゆみの額に、ほんのりとした温かさが広がった。
「だーりん、うふふ、うれしい☆」
愛のパワーに中てられて、人も雪だるまが溶けていく。
今、2人の周りは、何人たりとも踏み込むことのできない絶対領域となっていた。
らぶらぶ桃色空間から命からがら逃れ、溶けて半分ほどの大きさになったキッズ達。
すでに抵抗する体力すら無くなっている個体を、七佳は両手で掬い取った。
「うーん? やっぱり普通の雪とは少し違うのかな……」
いろんな角度から眺めて材質を確認する七佳。
どう違うのか、言葉にして説明することは難しいが、少なくとも普通の雪なら、比率を正確に保ったまま溶けたりはしないだろう。
もう少し研究する必要があるかもしれない。
そう考えた七佳は、キッズ達の前で持参したクーラーボックスの蓋を開ける。
「溶けちゃう前にコレに入れば多少は持ちますよ?」
彼女の言葉を理解したかどうかは判らないが、キッズ達は先を争うように飛び込んでいく。
「あ、あの、みなさん?」
どう考えても定員オーバー……。
通勤ラッシュも真青な押し合い圧し合いを繰り広げ、次々と崩れていくキッズ達。
生存競争に勝ち残った1体も、七佳が科学室へ運び込んだ時には、名残の水滴1つ残すことなく消滅していた。
ダディから生み出されたキッズは、個体は違っても『存在は1つ』なのだろう。統率の取れた行動が、それを如実に物語っている。
しかし数が多ければ当然イレギュラーも出てくるわけで――群れを離れ、校舎側へ歩き出すキッズが1体。
「学園内にも一般人は居るし。さすがにまずいよな?」
月詠 神削(
ja5265)が脱走キッズを捕獲し戻ってくると、今度は別の2体が迷子になっていた。
捕まえては戻し、また追いかける。そんなことを繰り返す神削の姿は、まるで保父さんのよう。
「仕方がない。最終手段だ」
これではきりがないと考えた神削は購買部へ走り、大量のアイスキャンディーを入手する。
はたして。脱走キッズはアイスから漂う冷気に釣られ、神削の元へ寄ってきた。
咄嗟に考えた対策が功を奏し、統率を取り戻したキッズ達は着実に校庭の中央へと誘導されていく。
「まさか天魔に食べ物を与える日が来るなんて、思っても見なかったけどなぁ」
遠くに視線を向け、しみじみと呟く神削。
しかし。自身の背後にアイスを狙うキッズが群がっている事に、彼はまだ気付いていなかった……
「何というメルヘンの世界……! 俺達に涼しさを届けに来るなんて、敵ながら天晴れ」
戯れあう雪だるま。仲間を増やそうとしているのか、団結して雪玉を転がしている雪だるま。人間の身長に対抗し、6体ほど重なってプルプルしている雪だるま――
この夢のような瞬間を後世に語り継ぐため、末松 龍斗(
ja5652)は写真や動画を取りまくっていた。
せめて自分の写真も1枚ぐらいは確保したい、と考えていた所に現れた救世主・下妻ユーカリ(
ja0593)。
突撃取材をしていた彼女は龍斗のお願いを快く引き受け、ダディがキッズを吐き出すという絶好のタイミングでシャッターを切った。
「さて。写真も撮り終わったし。次はこれだな」
カメラを片付け、今度は透明な容器を取り出す龍斗。誰にも踏み荒らされていない、出来立てひやひやの雪を盛り付けると、たっぷりとジュースを掛ける。
「一度やってみたかったんだ」
写真を撮ったお礼に、とお裾分けを戴いたユーカリは、ブドウ色の即席カキ氷とダディを交互に見つめた。
(雪だるまはサーバントだけど、特にわたしたちにとって脅威ではない……)
湧き上がった疑問を追求することは、新聞部員としての本能。
(それが何故今、久遠ヶ原学園内に入り込んできたのか?)
校舎を振り返れば、購買部の窓辺には『カキ氷始めました』の旗が揺れている。
この奇妙な符号は、ま・さ・か……。
真実(?)に辿りつこうとしていたユーカリを、突然の衝撃が襲う。
「くっ、まさか購買が、天魔と繋がっていたなんて。誰か、わたしのかわ……」
虚空に手を伸ばして助けを請うも、ユーカリはキッズが転がす巨大な雪玉に轢かれ、取り込まれてしまった。
●理性という名の剣を取れ!
孵化したばかりの海亀のように、無数のキッズが最短距離で街を目指す。
その一途で健気な姿を目の当たりにし、リゼットの葛藤は続いていた。
「こちらに来てはダメですよ」
せめて校庭の中から出さないようにと放たれた矢は、キッズの前方に突き刺さる。
単なる威嚇射撃なのだが、何も知らないキッズにとっては脅威に他ならない。怯え震え、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
そんな騒ぎでも歩みを止めなかった勇猛果敢なキッズも居た。
撃退士達の前を悠然と通り過ぎ、ついに土の上に降りた雪だるま。
ここまでくればあと少し。開け放たれているフェンスを潜り、(太陽に熱せられた)石畳の小道を突き進めば、夢にまで見た新天地が待っている!
「ご苦労様でした」
冒険家キッズの前に立ちふさがったエイミー。礼儀正しく頭を下げてから、愛用のロッドを振るう。
中々の強者らしいこの個体。白刃取りよろしく攻撃を受け止め――ようとしたが、短い腕ではいくら伸ばしても頭上まで届かない。
頭でロッドを受け止めることになったキッズは、エイミーが申し訳なく思うほどあっけなく、砕けて消えていった。
凶悪な門番に見つからないよう、雪に紛れ、地道に遠回りをして街を目指すキッズ達。
雪の凹凸に嵌り、何度も転げ落ちながら、こんもりとした雪山をどうにか乗り越えた時。
「……ゆ、雪だるまさんが、こんなところに……」
雪山が喋った!?
頭だけを180度回転させて後ろを確認したキッズは、かまくらにおこもり中の紗矢子に気付き、硬直してしまう。
紗矢子自身はキッズをどうこうするつもりは無いのだが、彼らにとっては門番と同じ『怖い人間』である。できるだけ人間を刺激しないよう、じりじりと匍匐後退を開始する。
「よし、せーのっと」
背後にヒトの気配を感じて立ち止まったキッズ達を、侑吾のクレイモアが3匹まとめて叩き潰した。
本物の雪なら圧縮すれば結構長持ちするのだが、ぺちゃんこになった瞬間に消えてしまうあたり、残念な天魔としか言いようがない。
一仕事終えた侑吾の身体から、ヤル気の証であるふよふよオーラが消えていく。
武器をしまって木陰に腰を下ろし、再び雪だるま観察を始める侑吾。
「あー……。この位置にいるだけで俺、満足」
これでビールの1つでもあれば、もう何も言うことはないのだけれど……。
キッズ同様に足のないダディは、飛び跳ねて移動すると自己崩壊してしまうので、今は校庭の中央で大人しく立ち尽くしている。
しかしそこは直射日光を遮るものが何もない苛酷な環境。涼しそうな表情をしていても、滝のように流れ出る汗(?)を隠すことはできない。
ダディの窮地を救うため、保護派の生徒達は親衛隊を結成し、必死に延命を図る。
「雪だるまとか、この季節になんてミスマッチな。……でも天魔だし。見逃すわけにいかないか」
殺る気満々の光纏(オーラ)を発する唐沢 完子(
ja8347)に気付いた親衛隊。互いに視線を交わし頷きあうと、自身の身体を盾に立ちふさがる。中には武器を取り出した者もいて、ダディの周囲はまさに一触即発の状態だ。
「まぁこの暑さだ。放っておいても消えるんだろうが、はた迷惑だからな」
「天魔は滅殺します!」
榊 十朗太(
ja0984)、 そしてエルム(
ja6475)が助太刀に入る。
それでも戦力差は3倍以上。
正義は我にあり! と一斉に飛び掛ってきた親衛隊は、十朗太の一薙ぎを膝裏に受け、崩れるように雪の中へ沈んだ。
「こいつら俺が引き受ける。皆は早く奴を」
「判りました」
短く言葉を交わしたエルムは大太刀を構えると、そのままダディへと切り込んでいく。
山をも打ち砕くという斬撃を受けたダディの一部がボロリと崩れ落ちた。
「どうやら効いてくれたようですね」
中途半端ながらも手ごたえを感じ取ったエルムに、予想外の反撃が降りかかる。
崩したばかりのダディの欠片がむくむくと起き上がり、キッズとして生まれ変わったのだ。
雪に足(?)を取られつつも必死に動く姿は生まれたての子猫みたいで……つい心を奪われてしまったエルム、しばし戦線離脱。
「こいつは俺達が引き受ける。お前達は早く奴を」
ついさっき言ったのと殆ど同じセリフを吐く親衛隊8名。
多勢に無勢と高を括っているようだが、十朗太は彼らを槍の柄で軽くあしらい、武の礼儀というものを叩き込んでいく。
「臆するな、相手はガキが1匹だ」
園児のように小さな完子を相手に、大人気ない親衛隊が一斉に襲い掛かる。
銃使いの戦い方などたかが知れている。軽く摘み上げて、射程圏外にポイっと捨ててくれば良いだけのこと――そんな予想を大きく裏切って、完子は自らダディの元へ斬り込んでいく。
不意を突かれた親衛隊は、彼女を止めることはできない。
一気に肉薄した完子は、リボルバーをダディの腹部に突き刺すと、掌に集めたアウルの力を銃身に託し、一気に解放する。
ダディの体内で何が起こっているのか? 円らな瞳が渦を巻き、巨体が大きく揺らぐ。
「まさかこいつ……」
「阿修羅かよぉっ!」
誰もインフィルトレイターのイの字も発していないのに、騙されたと抗議の声を上げる親衛隊。彼らの上に、ダディはゆっくりと傾いでいく。
このままでは押しつぶされてしまう。――否、それはそれで本望だが、砕け散りでもしては大変だ。
色めき立つ親衛隊の前に、一陣の風と共に救世主・紫苑が現れた。
「これでクールダウン!……なんてね」
忍術書を掲げ持った紫苑が生み出した風が、ダディの身体を支え込む。しかし少しばかり勢いがありすぎた。表面を削られながら、ダディは独楽のように回り続けた。
「夏場で雪とは或る意味僥倖だが……天理を逸しているには違いない。――殺すか」
陽炎のような黒焔を纏うアレクシアの周囲に、無数の黒き剣が現れる。
そのまま、無防備にスピンを続けるダディへ撃ち込もうとした時。
アレクシアの目の前で、遠心力で飛び散った雪片がキッズへと生まれ変わった。
避ける暇なんて当然無かった。
キッズを顔面で受け止めたアレクシアも一気にクールダウン。
「…………はぁ。莫迦らしいな」
戦意と共に黒き剣を消し去って、アレクシアは程よい冷気が漂う場所に腰を落ち着けるのだった。
超高速スピンによってキッズは四方へと飛び散ってしまった。ダディを囲む討伐体が彼らの行方を把握することは困難に近い。
偶然校舎のすぐ手前に放り出された群れの1体が、何の前触れもなく砕け散った。
「可愛らしくとも天魔、か。野放しにはできぬ、な」
「いくら私たちに無害とはいえねぇ……。外に出したら危ないわよね?」
立ち塞がったのは、紅い髪が印象的なメフィス・エナ(
ja7041)とアスハ=タツヒラ(
ja8432)だ。
強行突破しようとしたキッズをメフィスが盾で防ぐ間に、アスハが龍の紋様が刻まれた銃で狙い撃つ。攻防息の合った連携はさすがと言うべきだろう。
見る間に数を減らしていくキッズ達は、活路を見出そうとしたのか、その場で円を描いて回り始めた。
たとえ戦意を持っていたとしても、思わず心を奪われてしまいそうな愛らしさなのだが、
「奇妙な踊りで惑わそうとしても無駄です……」
雪より冷たい口調で死刑を宣告する巽。
凍りついたように動きを止め、全身で『ボクハフツウノユキダルマデス』と主張するキッズを、何の躊躇いも無く叩き壊した。
「雪だるまは倒したのはいいですが……寒気が……。夏なのに……」
まさかこれは無残に消されていった雪だるまの怨念? それとも気のせいか。
――否。
たぶんそれは、見つかっても叩き壊されないよう、巽の後頭部にしがみ付いているキッズのせいに違いない。
太陽の光に照らされたダディの目が妖しく光る。それは吹雪攻撃の合図だ。
とっさに身をかわした討伐組は、進んで雪玉と化した親衛隊の間をすり抜け、ダディへ波状攻撃を食らわせる。
「あれは有りなのか?」
足にじゃれ付いくキッズを蹴散したことで抗議を受けた十朗太は、槍の穂先でダディの反対側を指し示す。
そこにいたのは雪合戦をしていたはずの彪臥とあやめ。こっそり近づき、冷刀マグロで脇腹を叩き割って雪玉(キッズ)を補充しているところだった
「な、何をするだー?!」
方言丸出しの悲鳴が響く中、今度は由真が背中をごっそりと削り、生み出されたキッズをまとめて攫っていく。
棒倒しゲームのようにバランスを崩したダディ。自己回復能力で抉られた部分はすぐに埋め戻されたが、その分身体は確実に縮んでいた。
――ぶぉぉぉっ!
ダディは健在ぶりをアピールするように、周囲に吹雪を巻き起こす。
久遠ヶ原に雪だるまが現れてから2時間ほどが過ぎた。
あれほど大きかったダディは人間と代わらない大きさになり、吐き出されるキッズの数も目に見えて減っていた。
皆は悟っていた。彼はもう長くは持たない、と。
それなら最期に一発、大きな華をさかせてやるのが人情というもの。
「ねぇアスハ、あの連携技、試せるんじゃない?」
己が半身にそう囁きつつ、メフィスは符を取り出した。
「そうだ、な」
静かに首肯すると、アスハも獲物を接近戦用のパイルバンカーへ持ち替えた。
メフィスの背に現れた白と黒、対の翼から無数の羽が舞い散った。
幻影の羽を払い落とそうと短い手を振り回すダディに向かい、アスハは一気に距離を詰めると、勢いよくバンカーを突きつけた。
男のロマンをがっしりと受け止め、ダディは高く高く空を舞う。
「これで決まりね!」
校庭にいる全ての生徒が見守る中、宙に描かれた魔法陣から放たれた一矢が、ダディの身体を貫いた。
●夢の終わり
空中で砕け散ったダディは、数十体のキッズとなって校庭中に降り注ぐ。
その殆どは落ちた衝撃で消えていったが、生き残った僅かなキッズを我が物にしようと、生徒達は最後の争奪戦を始めた。
橋 真昼(
ja9376)とユイ・J・オルフェウス(
ja5137)も、名残の冷気を堪能するため、雪原の中に足を踏み入れていく。
「か、カオスレートは馬鹿にできんな……」
流浪の途中、雪だるまのマシンガン体当たりや猛吹雪のため遭難しかけていた眞央が、全身しもやけ、息も絶え絶えの状態で帰還した。
夢から目覚めた親衛隊も酷い有様で、見かねたリゼットが応急手当に奔走する。
巽は予め用意していたホットコーヒーを配布する。お腹の底から温まる飲み物は、身体の芯まで冷え切った者にとって、地味にありがたい一品だった。
夏の日差しに照らされて、ヌシを失った雪原は少しずつ範囲を狭め、泥にまみれた土が姿を現してきた。
「本当に楽しかった! ありがとなっ!」
「ほな、うちらもそろそろ行こか♪」
遊んでくれた全てのものにお礼と別れを告げ、子供達は帰路に付いた。
充分なほどに涼を楽しんだ生徒達は1人、また1人と校庭を離れていく。
やがて誰も居なくなった校庭を振り返ったエルムは、そこに転がっているヒヨコが描かれた青いバケツに気付き、眩しそうに目を細めた。
今は亡きダディの雄姿がありありと浮かんでくる。
「なんだかちょっと故郷に戻った気がしたな。天魔さん、ありがとう」
そして彼女は再び歩き出す。
さようならダディ。さようならキッズ達。
君達が与えてくれた夢のひと時を、僕らはたぶん忘れない!