●1日目〜昼下がりの休日
この日。都内のカラオケボックスで一風変わった女子会が催されていた。
参加者は彗とイズミ、深紅。そしてタイトルコール(
jc1034)の4人。
タイトルコールの友人がストーカー被害に遭っていると言う設定で、共に対策を練るという算段だった。
彗への手紙は、事務所のチェックが入るようになったという。バッグに入れられた物はマネージャーが回収したから、手元に残っているのは先日のカードだけだ。
意外にも直筆である。丁寧ではあるが、活字を写し取ったような不自然さが感じられた。
「犯人は極めて近くにいると思うの。これはオンナのカンよ」
きっと自分の筆跡を悟らせまいとしているのだ。タイトルコールはにんまりと微笑んだ。
一通りウラを取った後、タイトルコールは彗の故郷に探りを入れる。
もっとも語られるのは深紅との思い出話ばかりで、これと言った収穫は無かったが。
「道理で彗は警戒心が薄いと思った」
納得したように頷いたイズミに周囲の視線が集まった。
「この子、田舎暮らしの癖が全然抜けていないよ。この間だって……」
「ちょっと。どういう事なの!? そんなの一言も聞いてなかったわよ!」
イズミが口にした爆弾発言に、タイトルコールが悲鳴に近い叫びを上げた。深紅もそこまで想像していなかったらしく、盛大にドリンクを噴出する。
――ご近所さんがお届け物に来た時に困るから。
そんな雰囲気の中で育ってきた彗は、よく玄関や窓の鍵を掛け忘れるのだという。
●彗の自宅
オトメ達が盛り上がっている頃――
エントランスに現れた見知らぬ人影に、警備員が視線を向けた。
視線の先にあるのは、アサニエル(
jb5431)と黒髪短髪という一般的日本人の姿に『変化』したルドルフ・ストゥルルソン(
ja0051)だ。
(たぶん誤魔化せた……よねぇ)
自分の素顔はキライじゃないけど、こういう時は不便だと思う。だって目立ちすぎるから。変化しているとは言え、ルドルフは内心ドキドキだった。
「灯台下暗し、というか。置き手紙が部屋の中に置かれてたんなら、この人が一番怪しいよね」
ルドルフが着目したのは大隈イズミ――彗の同居人だ。
お世辞にも見目良いとは言えず、デビューしてから5年間、演じた役は全てモブ。ネット上で語られるネタすらない。
後輩に差を付けられ、嫌がらせに走った可能性は充分にあると思う。
「まぁ、結局人間に一番害をなすのは人間ってことさね」
「これで手掛かり無しだったら、それこそ天魔を疑うしかないけどねぇ」
2人は自身の痕跡を残さないよう、手にビニール製の手袋をはめる。
まずアサニエルが着目したのは、盗聴機器の有無だ。
ぬいぐるみや壁掛け時計、コンセトやマルチタップ等の小物を中心に。怪しいと思った所は透過能力を駆使し、壁裏の配線まで覗き観察した。
ルドルフは、机上の日記帳に手を伸ばした。
スケジュール帳も兼ねた日記帳には予想していた恨みなどのネガティブな記述は一言もなく、日々のバイト、女優としての仕事の状況が書き記されていた。
なお、プレゼント事件の時は、数か月ぶりの本業で泊りがけのロケだったらしい。
その後も引き出しやクローゼットも全て確認した結果、2人は『自宅には何も問題がない』という判断を下した。
訪れた時と同様音もなく現場を後にした2人は、エレベーターホールで住人の男性と鉢合わせた。
青年は2人を不審に思った様子はなく、軽く会釈をして通り過ぎていった。
●2日目 AM7:00〜病院ロケ
「カット。やり直しだ。相良、もっと踏み込みを深く!」
「はいっ」
監督の指示に、彗はあがった息を整える間もなく返事を返した。最初の立ち位置に戻り、距離感を掴むために何度も行き来する。
その後はセリフを噛んで2度、間合いが乱れて3度カメラが止まった。より精度を上げるためにもう1度撮り直し、ようやくOKが出た。
次のシーンに備え、スタッフ達が急ぎ場を整えていく。出演者にとって貴重な休憩時間だ。
「慧おねーちゃん、すごくカッコ良かったよ!」
マネージャーが動くより早く、台本の確認をする彗にユウ・ターナー(
jb5471)がタオルを持って駆け寄った。
友人としてロケの見学にきたRobin redbreast(
jb2203)も交じり、緊張感に包まれた現場でそこだけ空気が華やかになる。
周囲の視線が彗に向いている事を確認し、戸蔵 悠市(
jb5251)も行動に出た。
「彗、よく頑張れているじゃないか。……この調子で、な」
「ありがとう。悠お兄さん」
今、悠市は彗と同郷で昔馴染みという設定になっている。
エキストラとして顔合わせした際、彗に近づいた悠市は、マネージャー・高梨真二に腕を掴まれた。
彗が説明してくれたのでそれ以上の追求は免れたが、不信感は残ったらしく今も行動を警戒され続けている。
(あの反応、いくらマネージャーでも大袈裟すぎるな)
それも予想の範囲内――悠市は敢えて周囲に見せつけるよう、親しげに彗に接し続ける。
頭をぽんと撫でてやると彗が恥ずかしそうに頷いたので、戸蔵も口元を緩ませた。
(に、似合わぬ事をしてしまった……。)
思わずデレてしまった自分に気づき、自己嫌悪に陥る悠市。それでも動揺を表に出さないのは、彼のクールさ故か。
「私、次が出番なんです。でも緊張してしまって……」
頃合いを見計らい、今度はナース姿のシシー・ディディエ(
jb7695)が近づいた。ずっとファンだった事を強調し、演技の指導を乞う。
「慧おねーちゃん、ほんとスゴイよね!」
入れ替わる形で場を離れたユウは、スタッフや共演者達に声をかけていく。
屈託のない笑みに織り込むのは、悪魔の囁きだ。
「君、本当に相良さんの事を尊敬しているんだね。さっきの、まるで付き人みたいだったよ」
そう返してきたカメラ助手に、ユウはてへっと笑いながら舌を出した。
「ユウはそうなれたらなぁって思うんだけどねっ」
実際、ユウは付き人としてロケ現場に入り込むつもりだったが、叶わなかった。
最も大きな理由は、彗の立場。
このドラマでは主役という重要な位置付けだが、それはあくまでも『役』の話。業界では卵の殻も取れ切れていないヒヨッコ。彼女自身が修行中の身なのだ。
だからこそ……。
「仕事場を何だと思っているの? 遊びと区別も付けられないようなら迷惑なだけ。はっきり言って邪魔よ」
「取り巻きがいっぱいで羨ましいわぁ。天魔にまで守って貰えるなんて、ホント良い身分ね」
エキストラ――否、お友達に囲まれた彗に対する共演女優達の反応はとても痛烈だった。
和やかだった現場に沈黙の幕が降りる。
歩き方のコツを教わっていたシシーが遠慮がちに見回すと、周囲のスタッフ達は気まずそうに視線を逸らして仕事に集中し始めた。
やがて撮影が再開され、出番外のエキストラ組は現場の片隅に身を寄せる。
「ねぇ、どう思う?」
素直で礼儀正しい子――ユウが聞き出した限り、スタッフの反応はそんな感じだった。決して悪いものではないが、同時に何かの面で優遇されているという訳でもない。
「あくまでも一女優という認識、だな」
「あたしはやっぱりマネージャーが怪しいと思うかな」
マネージャーなら鍵を持っていてもおかしくないし。おうちの中にだって入れる。
Robinの説は極めて妥当に思えた。
●10時〜急がば回れ
(弁当屋さんが怪しそうですね)
己が本能に導かれるまま、秋嵐 緑(
jc1162)は行動を開始した。
まずは彗の記憶を頼りに販売店を絞り込む。
「二段重ねのわっぱ風容器。これで間違いなさそうですね」
緑が目を付けたのは蔵華屋という仕出屋だ。
「ミッションスタートですね」
制服を着た配達員が届達先と個数を読み上げる。その中には確かにロケ現場も含まれていた。
良しと心の中で頷いて、緑は動き出した配送車を追ってバイクを走らせた。
●AM10:30〜港近くの倉庫郡
撮影は順調に進み、ロケは場所を変えて続けられる。
「何か納得できません。セリフを言えなかったのはヴァニタス役の人なのに……」
長めのシーンでNGを出した事に、女優・新庄昴がひどく回りくどい皮肉を残して去って行った。
あなたは何も悪くない。そう肩を持つシシーに、彗は屈託のない笑みで首を振った。
「違うよ。私のテンポが乱れたから、セリフを言うタイミングがズレちゃったの」
演技の出来は決して個人で完結する問題ではない。瞬きや息遣い一つひとつが影響を及ぼしていく。今回はリハで上手くいった事に油断して、相手の動きを把握しようとしなかった自分が明らかに悪い。
「新庄さん、相変わらず厳しいね」
馴れ馴れしくに声を掛けてきたのは、彗にしつこく誘いをかけるという俳優・平野翔だ。
「でも、あまり気にしないで良いと思うよ。ほら、新庄さんは子役上がりだろ? その関係でいろいろ苦労したみたいだから。彗ちゃんには同じ間違いをして欲しくないんじゃないかな」
彗とシシーの僅かな間に腰を降ろし、両手に花とばかりに肩へ手を伸ばす。
「今日の撮影が終わったら食事しない? 勿論ここに居る皆も一緒に。……良いだろう?」
「……申し訳ないが、私の一存では何とも言えない」
『皆』の中に自分は入っているのだろうか? そんな疑問を感じながら、悠市は答えをはぐらかした。
イエス・ノーに関わらず、面倒事になりそうな気がしたからだ。
もっとも、それ以上に背後から矢雨のように降り注ぐマネージャーの殺気が痛かった。
●AM11:30〜回れよ回れ
緑はひたすら配達員を追い続けていた。
セミナーや会社、個人宅……幾つものお得意様を回った最後の最後に、配達員はついにロケ現場へと辿りつく。
「おや?」
見覚えのある町並みに違和感を覚え、緑は首を傾げた。携帯端末で地図を呼び出し、移動した経路を確認する。
「やはり、思った通りです」
配達をする途中、この道を2度も通っている。どう見ても非効率的なのに。
――今日はそのまま休憩に入ります。
出発前、配達員はそう言っていた。もしかすると彼はここで休憩をするために、配達を後回しに?
緑の疑問を裏付けるように、配達員は弁当をADへ引き渡した後、現場を見渡せる駐車場に車を止めて昼食を取り始めた。
●PM2:00〜
控え室代わりのロケバスには、様々な人が訪れる。
資材を取りに来たスタッフ、髪のセットが崩れた出演者、台本の変更を協議する監督等――それらの様子をアサニエルはずっと見張っていた。
昇降口に控えるスタッフは居ても、いつ誰が出入りしたのかまでチェックしている様子はない。
さすがに見学者しかないRobinは丁寧な口調で断わられたが、モジモジと足踏みをして見せると、何かを察したように気を使ってくれたが。
『マネージャーが行ったよ。あんたが乗った事をスタッフに確認しているさね』
アサニエルの思念が頭に響き、Robinは頃合いを見てバスを降りた。
入れ替わるように乗車した高梨は、一直線に中程の席に進むと、透過能力で車内に忍び込んだアサニエルの存在に気付く事無く、彗のバッグへと手を伸ばした。
その後高梨は車内に設えられた鏡で髪とネクタイを整え、バスを降りていった。
(何だい。メガネを取りに来ただけかい……)
一度はそう納得したアサニエルだったが、ふと思い直してバッグの中身を確認する。
危惧した手紙等は、何も仕込まれていなかったけれど。
依頼されたメガネを届けた高梨は、そっと彗に耳打ちをする。
「取材の打ち合わせに行ってくるよ。1時間ぐらいで戻れるはずだけど、困った事があったらADのユッコさんを頼って。それと……迷惑だけは掛けさせないようにね」
最後はちらっとエキストラ組の方に視線を走らせて。
「あたし、尾行してみるね」
仲間と視線で合図を交わしたRobinが動く。
周囲は仕事に集中しているため、気配を殺したRobinが場を離れた事を気にするスタッフはいなかった。
(……あの人は本当に記者さんかな?)
もしかしたら彼が『天使』で、マネージャーさんが情報を流しているのでは?
辿りついた喫茶店で、Robinは高梨と背中を合わせるように席に着いた。
そっと会話に耳を澄ませる。
現在の仕事の事、これからの予定の事……2人が話している記者が彗に質問する内容らしい。
どうやら本当の記者だと確認をしたRobinは、存在が気付かれないよう、一足先に店を離れた。
●PM6:00――ロケ終了
予定より1時間ほど押したものの、本日の撮影は無事に終わりを迎えた。
ロケバスでテレビ局まで送られたエキストラ組は、ここで彗と分かれる事になる。
「お休みなさい、彗おねーちゃん」
「今日は演技の仕方を教えて戴いて、本当に有難うございました」
車の窓越しに挨拶を交したエキストラ組は、休む間もなく移動を開始。彗のマンションを眺める事のできる公園で別行動組と合流を果たした。
「結局手掛かりは見つからなかったみたいね」
両手を広げ、お手上げといったポーズを取るタイトルコール。
マネージャー、同居人……当初怪しいと睨んだ者達は、それぞれの調査で白と判った。。
ロケ現場では誰にも邪魔させないぐらい傍にいて、これでもかというぐらい仲の良さを見せつけたにも関わらず、嫉妬に狂ったり挙動不審に陥たりする者はいなかった。
その一方で――
事あるごとに彗に嫌味を言っていた新庄。『天使』の存在を知っている気配を見せた逢坂、カメラの持ち込みを禁じられたシシーの代わりに写真を撮る等、不自然な程に協力的だった平野。
彼らの存在は依然としてグレーのまま。黒白を判断するには、あまりにも情報が少なすぎる。
「それだけじゃないです。弁当屋さん、不審な行動こそしませんでしたが……やっぱり何か変でしたよ」
確信はないけれど、緑は未だモヤモヤした違和感に捕らわれ続けていた。
「あれ。俺、こいつ知っている……?」
緑が撮った配達員の写真を見たルドルフが首を傾げた。
弁当屋という特殊な仕事を持つ知り合いがいた記憶はないのに。
誰だっけ? つい最近、どこかで会った……。
考えを巡らせた時、スコンと何かが頭の中に入ってきた。同様に心当たりに行きついたアサニエルと同時に顔を見合わせる。
「彗のマンションだ。こいつ、同じ階に住んでいる。確か2つ隣の部屋の!」
「じゃあ、このおにーさんも『天使』候補のひとりになるの?」
ユウの疑問にシシーが緊張した面持ちで首を振った。
候補のひとり所ではない。
その条件であれば、彼は誰に怪しまれる事もなく彗の私生活圏に近づく事ができる。何の策を弄さずとも、自宅の新聞受けに手紙を投じる事も生活パターンを知る事もできる。
自分達が真先にマネージャーや同居人を疑ったのは、まさにそれが理由だったのだから。
「……確かめる必要がありそうさね」
そう言ってアサニエルは明りが灯り始めたマンションを見上げた。