●合流
漆黒の犬が吼え、血色の猫が走る。
ディアボロの群れを相手に奮闘する偵察隊は、頼もしい仲間の到着に戦意を奮い立たせた。
「救出対象が多いケド、何とかしてみせるゼ。あのピエロに一泡吹かしてやりてェトコだしな」
「あァ、やだやだ。やっぱりアレが面倒臭いことを……」
救出された女性の話を聞きだした阿手 嵐澄(
jb8176)――ランスが心底迷惑そうに舌を打つ。
掻き上げた髪が不自然に揺れ動いたが、それをヤナギ・エリューナク(
ja0006)が気にする様子はない。
「東野幸枝、だと?」
資料を再確認したレアティーズ(
jb9245)は、そこに覚えのある名を見つけた。夜姫(
jb2550)も目を見開く。
「東野物産のお嬢様です」
「間違いなしか」
それはヴァニタス・ピエロが只ならぬ関心を寄せていた少女だった。
これまでに2度、攫われかけた。今回は体調を崩した母親の代理で出席したらしいが、偶然巻き込まれたのだとすれば、よほど運が無いのだろう。
「人質の安全確保が最優先ですね」
「まず助ける。然る後は、秩序を乱した者達に然るべき断罪を」
鈴代 征治(
ja1305)の横に並び、夏野 雪(
ja6883)が祈りを捧げるように盾を掲げる。
織宮 歌乃(
jb5789)も剣を掲げた。彼女のアウルを受け、白き刃が魔を滅する赤へと染まっていく。
「人質の保護を手伝って欲しいねェ」
「陽動を行うため、EV操作を頼みたい」
連絡方法を確立しながら、ランスとレアティーズは屋外に残る事になったオペレーターに助力を求めた。
オペレーターは暫し考えた後、申し訳なさそうに首を振る。
「保護は全力で当たらせて頂きます。ですがそれ以上は……」
避難バスを守り抜くためにも、ディアボロの対応を疎かにするわけには行かない。
残る者と進む者には、それぞれに為すべき役割があるのだ。
●突入
光の翼を活性化させたレアティーズは、外部から上階を目指した。
通常であれば届くはずはない高さである。レアティーズは周囲の建物を利用し、辛うじて到達を果たす。
屋上から身を震わすほどの殺気。既に祖霊符の影響下にあるため外壁を透過できず、咄嗟に割れた窓から屋内へ身を投じて難を逃れた。
通路に佇んでいたピエロの目を逃れ、そのまま厨房へと潜り込む。
できれば幸枝を呼び出して伝言を託したかったのだが、撃退士の到着が明白である今、この場を抜け出すことは困難。
彼女の安全を考慮し、レアティーズは最低限の伝達に留める事にする。
『東野幸枝、聞こえるか? 助けに来た。もう少しの辛抱だ。これから騒がしくなるが、パニックを起こさないよう、皆に伝えて欲しい』
突然脳裏に響いた声に、幸枝は戸惑いながらも頷いて見せた。
◆
囮のEVを15階で見送ったランスは、階段を使って目的の階層へたどり着いた。
身を潜めて様子を窺う。
レストランへと続くロビーに、ピエロに扮した男が立っていた。奇襲を警戒しているのか酷く落ち着きがない。大きめの黒犬2体を従え、若い女性の首にナイフを付き付けている。
(肉の盾にするつもりかねェ)
何にせよ、救出行動を行うのは仲間と合流した後だ。今は、作戦を遂行するための根回しをするだけ。
ランスは銃を構えて狙いを定めると、ピエロの背中にマーキングを施した。
◆
金の髪に隠されたViena・S・Tola(
jb2720)の右目が光を宿し、背に漆黒の翼が現れた。同時にその気配が希薄になっていく。
「付近の階に生命反応はありません」
征治が行使した『生命感知』は、文字通り命あるモノの存在を見つけ出す技だ。
分厚い壁に遮られていても生命の存在を把握できるが、人も魔も動物も等しくイチと数えてしまうという欠点を併せ持つ。
念のため歌乃が手鏡を使い、目視での確認を行った。
反転された世界は静寂に包まれていた。客室のドアは全て閉ざされ、狭間の廊下で動くモノはひとつもない。
別行動を取る仲間達に状況を伝え、征治と歌乃は力強く頷き合う。そして遅れを取り戻すため、一気に階段を昇り上階を目指した。
(妙ですね……)
4階、5階――翼ある者の力を活かし偵察を進めるVienaは、不自然な静けさに警戒心を募らせる。
おそらくこれは罠だ。撃退士の油断を誘い、奇襲を行うための。
その推測を裏付けるように、不意に頭上を影が過った。見上げれば、モモンガのようなディアボロが1体、こちらの様子を窺っている。
一見必殺。Vienaは呪符を構えると、護符を構えモモンガを撃ち落した。
◆
ヤナギ、雪、夜姫も、別方の非常階段を昇っていた。
「発見しました。灰犬です」
8階まで到達した時、ようやく確認された敵。
雪は警告を発すると同時に魔法書を掲げ、生み出した水の刃で1体を切り刻んだ。
『ガウッ!』
侵入者に気付いたディアボロが唸り声を上げて飛びかかる。ヤナギは冷静に動きを読み、壁を蹴って攻撃を避けた。
反撃の鎖が灰犬の首を絡め取る。動きが止まった瞬間を狙い、間合いを詰めた夜姫が刃を叩きつけた。
「まて、そいつは残しとけ」
再び魔法書を掲げた雪をヤナギが制止する。
「何故?」
「俺に考えがあるんだ」
不敵な笑みを浮かべたヤナギの姿が、身に纏う服はそのままに、一回りほど小さくなる。
「……何のつもりですか?」
夜姫が驚くのも無理はない。なぜならその姿は、人質の1人である“東野幸枝”その物だったから。
「奴を誘い出すんだ。人質を助けるには、奴を引き離さないといけねェじゃん?」
夜姫の抗議を軽く受け流し、ヤナギ――否、サチエはディアボロの前に身を投じた。
鋭い爪を紙一重で避けながら、無様に怯え泣き叫ぶ。奏でられる悲鳴が男の音色である事に目を瞑れば、サチエの演技は完璧だった。
「奴の反応は?」
先行偵察をしているランスに、ピエロの様子を尋ねてみるが……。
『んー? 反応無しだねェ』
仮面を被っているので表情までは判らないが、少なくとも何かに気を取られた様子はないと言う。
「視覚を共有しているんじゃなかったのか?」
何にせよ変化がないのであれば、これ以上茶番を演じていても意味がない。先へ進むため、雪は魔法書を掲げ残る1体に止めを刺した。
◆
――何故あの娘がいるの?
不可解な現象を、ヴァニタスは訝しむ。
まさか撃退士が自分に献上するために連れてきたワケでもないだろうに。
ふと思い立ち、視線だけを動かしてレストランを見る。そこに捕らえている人間を……。
そして、真実を悟り、ヴァニタスは満足げな笑みを浮かべた。
●生還へ向けて
数える程度のディアボロを葬った後、撃退士達は無事に17階までで到達を果たした。
「彼女の存在自体が……罠ではないという保証はありません……」
大勢の人質の前に吊り下げられた、撒き餌の女性。雪の冥魔感知によれば異常は感じられなかったが、Vienaは冷たく言い放つ。
「心配なら、別経路で救出すりゃ良いと思うゼ」
「もし何か異変があったら、僕が髪芝居で抑えますよ」
ヤナギと征治が対応策を提示し、一先ずこの場は治まった。
あとは人質の安全を確保するため、ヴァニタスをどうにかしなければ。
「それはおにーさんに任せて。名案があるんだ」
楽しい悪戯を思いついたかのように、ランスが片目を瞑って見せた。
「こっちおいでよォ。面白いものを見せたげようと思ってねェ」
人質を取られていては手も足も出ない。そう言って、ランスと征治、歌乃が堂々とピエロの前に姿を現した。両手を頭の後ろで組み、投降の意思を示す。
そうして充分注意を引き付けたところで、ランスは男の魂とも言うべき毛髪を脱ぎ捨てた。
溢れだした輝きに、ピエロは不自然なほどの驚きを見せた。ナイフを翳す腕も目に見えてに震えている。
何かおかしい。そう思った瞬間、不意にピエロが突進してきた。人質もナイフも投げ捨てて。
「ダ……ズェ……デ」
不気味な笑みの面から絞り出されたのは不明瞭な呻き。伸ばされた手を振り払った征治に向かい、黒犬が走る。
避ける事はできなかった。撃退士達の目の前で、黒犬の牙が深々と食い込み、鮮血が噴き出した。
ピエロの喉笛から――
悲鳴を上げる間もなく絶命したピエロ。
目の前で起きた惨劇に誘発された女性の鋭い悲鳴も、残る黒犬の牙に掛かって不自然に途切れた。
呆気にとられるランスの足元に、ピエロの面が転がってきた。露わになった素顔は、ピエロとは似ても似つかぬ別人の物。撃退士を欺くため、影武者に仕立て上げていたのだろう。
では本物はどこに? 撃退士が周囲に警戒の目を走らせた時。
「自分から助けを求めちゃだめ。裏切り者にはお仕置きを。……そういう約束だったわよね?」
ロビーの奥まった場所にあるスタッフ通用口から、嘲笑を孕んだ声が響いた。
◆
3人がヴァニタスを引き付けている間、残りの撃退士達はレストラン内へと身を躍らせた。
間髪を入れず灰犬が襲い掛かってきたが、レアティーズの偵察が功を奏し、迅速に迎撃する事ができた。
救出漏れがないよう名簿を照らし合わせていた夜姫は、負傷した男性を見て顔を顰めた。
応急手当は施されているが、脚は青黒く腫れ上がっていて、素人目で見ても危険な状態と判る。
「もう少しの辛抱です。ですから、頑張ってください」
絶望を悟らせないため、夜姫は努めて笑顔で男性を励ました。
◆
成す術もなく目の前で奪われた2つの命。
否、人質を冥魔と疑うのであれば、同時にピエロ自身の正体も探っておくべきだった。そうすれば、或いは助けられたかもしれない。
自責の念に駆られるが、今は悔やんでいる暇などない。
これ以上の犠牲を出さないためにも、ピエロをこの場所から引き離さなけば。
「私達の仲間が儀式を止める間、あなたは赤石となってくださいませ」
緋色の椿が舞う。
歌乃の鬼呪を受けても、ヴァニタスは何事もなかったように立ち続けていた。
「そう。残念ね。あなたのお友達、今頃全滅しているんじゃない?」
それでも歌乃は口元に笑みを浮かべたままで。
互いに言葉の裏を読み合う心理戦。勝利したのは、存在しないカードを切った歌乃の方だった。
「……逃げられると思わないでね」
捨て台詞を残し、ヴァニタスは消える。
上手く引っ掛かってくれた……。
「今のうちに、早く避難を」
歌乃は静かに息を吐き、仲間達を振り返った。
●不協和音
――今の内に、早く。
歌乃の言葉を受け、人々の脱出が始まる。
「誰か、負傷者の介助を」
重傷を負った男は自力で歩けない。撃退士達は人々に協力を求めるが、足を止める者は居なかった。
ピエロの言葉を借りるなら、彼は最初に自分だけ逃げ出そうとした裏切り者だったから。
そう思うから、誰も助けない。助けようとしない。
ただ1人、東野幸枝を除いては。娘の意図を悟った父親が男を背負い、共に歩き出す。
「走れる奴は階段を降りろ。少し降りれば救助袋が使えるハズ!」
「おねェちゃんはこっちだよ」
「いや、ダメだ! 電気系統を破壊されてみろ。おかしな所で閉じ込められるぞ?」
体力の無い者達をEVへ誘導したランスを、レアティーズが制止した。
「負傷者が階段を降りるのは無理です。上部は私が警戒しますから」
夜姫はいかに安全を確保するか手段を唱え、自ら担当に名乗りを上げるが、EVを脱出時のダミーとして利用するつもりだったVienaと歌乃の表情は固い。
ここに来て対立する意見。一体誰の指示に従えば良いのか? 撃退士の間に生じた不協和音は、人々に混乱と不信をもたらした。
そして、それは彼らにとって致命的なタイムロスとなった。
「逃がさない……そう言ったはずよね?」
ついに舞い戻ったピエロ。冷たく放たれた言葉が死刑宣告のように降り注ぐ。
直近の非常階段は塞がれてしまった。
振り向いた先、もう一方の非常階段には赤い猫の姿。
激しい威嚇の叫びを上げて跳躍する猫を、Vienaが護符を放ち、表情一つ変えずに切り刻んだ。
パニックを起こした人々が階段に殺到する中、負傷者を抱え取り残された東野親子だけが取り残されていた。
嬉々としてピエロの魔手が届く前に、夜姫は身を割り込ませて2人を庇った。
何度同じ過ちを繰り返せば気が済むのか? 己の至らなさを痛感し、噛みしめた唇から血が滲んだ。
「ここは私が抑えます。あなたは早く安全な場所へ」
まだ望みを捨てるわけにはいかない。ここで諦めてしまえば、今度こそはと誓った自身の想いさえ、裏切る事になる。
「お守りすると、この身に誓います」
「私は盾。全てを征し、全てを守る」
不退転の意思を示す夜姫の隣に歌乃が並び立つ。雪も盾を構え、守護に徹する構えを見せた。
「どこまでも邪魔をする気ね。良いわ……女の子だからって手加減なんかしないわよ?」
ピエロは唇を三日月の形に歪めた。その周囲が紅い霧で包まれる。
高い抵抗力を持つ雪の肌を、じわりと毒が浸蝕した。
◆
人々は無心に階段を降り続けた。
助かりたいが故、体力を残す者の足は自然に早くなる。先導するヤナギと征治は、彼らが孤立しないよう速度を調整する。
間に入るランスは遅れがちになる人々を励まし、翼を持つ2人は頭上を守る事で人々の恐怖心を和らげる。
急ぐ事は危険。しかし時間を掛け過ぎれば、それだけ上階に残った者達に負担が掛かる。
相反する危機感に苛立ちを覚えた時、階段を駆け上る足音が響いた。
偵察隊と共に戦っていたオペレーターが、援軍に駆け付けてくれたのだ。
◆
ヴァニタスは決して侮れない存在だ。
どれだけ頭数を揃えていても、対応ひとつ誤れば、最悪の結果を招く。
絶望的な状況を夜姫の決意と歌乃の防御力が繋ぎ止める。雪の治癒スキルは、彼女達の最後の砦だ。
死活の効果が切れ膝を付いた夜姫にピエロが襲いかかる。
絶体絶命の状況を救ったのは、破魔の力を宿した一発の弾丸だった。
「任務完了だよォ」
「皆さんも早く撤退を」
人々の保護を仲間に託したランスと征治が援軍に駆け付けたのだ。
肩を撃ち抜かれたピエロが後退した隙に、最後の祝福が夜姫に立ち上がる力を呼び戻す。
「待ちなさい!」
叱咤の声は緋色の椿にかき消された。
石化の呪いを跳ねのけたピエロの追撃は、征治が閉ざした防火壁に阻まれ――人々の盾を貫いた戦乙女達も、無事に死地を脱した。
●
ホテルを中心に不気味な曇天が広がる。ついにデビルのゲートが展開されたのだ。
結界に閉ざされるより前に無事を脱出を果たし、撃退士は安堵の息を吐いた。
重傷を負っていた男性は一命を取り留め、ヴァニタスの足止めに徹した者達の負傷も、偵察隊の癒し手により回復していた。
救出作戦は達成された。
2名の犠牲を出してしまったが、激戦が予想される中で多くの人々を守り抜いた事実は評価するべきである。
しかし……。
この日奏でられた不協和音はノイズとなって残り、人々の心に僅かな影を落とした。