どこかで猫が鳴いている。
周囲を見渡した九十九(
ja1149)は、道路脇の草むらに1匹の黒猫を見つけた。まだ小さな子猫だったが、人間の姿に気が付くと、毛を逆立てて逃げ出してしまった。
「あの子、足が……」
桐原 雅(
ja1822)が眉を顰める。
猫狩りに遭ったのだろうか。黒猫の片前足は関節の辺りから切断されていた。
「これは逆効果だったかもね」
Q−onを確認した荻乃 杏(
ja8936)は深く息を吐いた。
『呪えるものなら呪ってみろ』『殲滅戦の開始だ』――それらは深紅に投下してもらった、猫狩りの仲間が消息を絶ったという偽情報に付けられたレス。
もちろん批判の書き込みの方が多いのだが、噂に便乗して悪事を働く輩は少なからず居るようだ。
「昔からこの手の都市伝説というのは枚挙にいとま無いが、実際に事故が多発しているというなら放っておく訳にはいかねえからな」
もしこの場に猫狩り犯が居れば、九十九は全力で殴り倒していたかもしれない。その怒りを抑えることができたのは、榊 十朗太(
ja09849)の言葉のおかげだった。
「それにしても……難しい事件ですね」
腕を組んで呟く雪ノ下・正太郎(
ja0343)。多少の怪奇現象は天魔やアウルの影響で片付くが、今回の事件もそれが原因だとは限らない。
「魔術の類があるんだから、こういう怪奇現象も有り得ないとも言い切れない気がするけど。とにかく、真実と虚構をはっきりさせましょう」
正太郎の疑問に、ナタリア・シルフィード(
ja8997)は情報の洗い出しが不可欠だと告げる。
「待たせてしまってすまない」
県道沿いに屯していた撃退士達の横に、白い自動車が停まった。
常磐木 万寿(
ja4472)が運転席の窓から顔を覗かせる。夜間に走る事になる県道を確認してきたのだ。手にした道路地図には、危険箇所や戦闘しやすい場所を記している。
エステル・ブランタード(
ja4894)も、少し遅れて到着。こちらは黒い車。化け猫を誘い出す時に、白い車の護衛を行うために用意したものだ。
●点と点をつなげて
噂が出始めた頃の事件に解決の糸口があると推測した十朗太は、雅と共に地元警察を訪れた。
猫が関わる事件事故を片端から調べていくが、餌やり等の住民相談が殆どで、噂の源となるものではない。
「可能性があるのはこれだけか」
十朗太は3月初めにあった轢き逃げ騒ぎに着目した。
人が撥ねられたようだと通報を受けたが、現場にあったのは猫の死骸だけで人の姿は見つからない。最初の目撃者も遠目で影を見ただけなので、見間違いとして片付けられた。
『おんをかえす』という言葉と直接繋がるわけではないが、気になる事件である。
「ボクはこれが気になるんだよ」
雅が凝視するのは行方不明者の報告書だ。
X号線の先にある隣市の失踪事件。
天涯孤独のため、その女性がいつ失踪したのかは判らない。
ただ、猫を飼った形跡のない彼女の家に、ペット用品が残されていたことが、雅には気になっていた。
「榊先輩はどう思います?」
問われた十朗太はしばし考えを巡らせるが、浮かび上がるのはどれも希望的観測ばかり。
先入観を振り捨てるため、十朗太は気を取り直して資料に目を通した。
◆
住宅街に赴いた九十九は、噂の発生源が変化していることに気が付いた。
初期は先に地元で噂が流れ、現在はネット上で噂された実在しない事故が若者の間に広まっている。
「遺体に噛み傷や引っかき傷はなかったんですねぇ」
「そんな事があったら、もっと騒ぎになってたんべぇ」
九十九の質問に、猫の保護活動をしていたオバちゃんはそう答えた。
「あの道ができた時は、口裂け女が追っとばしてくる、なんて話もあったぃね」
赤ちゃんになり猫へと変わる度に、肝試しによる事故やガソリンスタンドの噂も繰り返されてきた。
そんな事情があるから、猫が天魔かもしれないという推測も、噂の中に埋もれてしまうのだろう。
◆
『猫は好きかって聞いてくる。好きと返すと食べられる。嫌いと言えば鋭い爪で引き裂かれる。無言だと死ぬまでいたぶられる。』
「……で。それをあんたに教えたのはどこの誰なのよ」
猫が喋った内容を調べていた杏はそのレスに突っ込みを入れずに居られなかった。
友達の友達が聞いたと言う話は、仮に真実であれば決して伝わるはずのない話である。
(高田の婆を呼べって、どこの昔話よっ!)
時間ギリギリまで粘ってみたが、結局『おんをかえす』以外の情報は得られなかった。
「まぁ、ある意味予想通りよね」
とは言え、今の段階であの書き込みがデマと決め付けるわけにはいかない。
情報の全てがネットに存在するわけでは無いのだから。
◆
『野良猫に餌を与えないでください』
コンビニにはそんな貼り紙がされていた。
客が気軽に餌を与えるため、周辺には多くの野良猫が住み着いているという。
人間慣れした猫は人や車を恐れるどころか、餌をねだり駆け寄ってくる。
「それじゃあ猫ちゃん、轢かれちゃったりしますよね」
尋ねたエステルに、店員はよく有る、と応えた。
他にも野良猫に対する苦情は多く、店にとっては噂より現実の猫の方が忌むべき存在なのだ。
情報のお礼に軽食を大量に買い込んで店を出たエステルは、
(たくさんの手下という噂の正体は、これが原因かも知れませんね〜)
直後に十数匹の猫に囲まれ、噂の真実を悟ったのだった。
◆
これが天魔の仕業なのか他のケースなのか。ナタリアは情報を得るべくガソリンスタンドを訪れた。
「彼女、彼氏とケンカした? 送ってあげようか」
スタッフを捕まえるより先に、改造車に乗った青年が声を掛けてくる。
下心丸見えの言葉にナタリアは愛想笑いをして通り過ぎ――思い直して踵を返した。
「お兄さん、スピードキャットを見たことあります?」
地元の走り屋なら、何か情報を持っているかもしれない。その予想通り、彼のチームに遭遇した者がいたという。
「後輩が試したんだ。追われている、犬の人形もすり抜ける、ってな。そうメールしてきた直後に……」
そう言って、男は自身の首を手刀で撫でた。
◆
スピードキャットが絡むと思われる事故は、ガソリンスタンドから5キロほど進んだS字カーブに集中していた。
「意外に急なカーブですね」
自身の足で測るように現場を歩いた正太郎は、地図を見た時の感覚とギャップがあることに気が付いた。
「運転していると更に顕著だぞ」
万寿はアスファルトに刻まれたブレーキ痕を追い、身振りで説明を加える。
「……普通なら、ここでハンドルを右に切る」
ここで操作を誤れば、正面の土手に乗り上げるか、西側のガードレールを突き破るかのどちらかだ。
しかし、中には明らかに不自然に――カーブの外側に向かって逸脱した車も存在する。
3日前に起こった炎上事故もその類で、車外に投げ出された運転手は今も意識不明の状態が続いているという。
「人間には興味がないと言ったところでしょうか」
「だろうな。どうも車に固執しているように思える」
2人はその後も周辺を調べたが、事故とスピードキャットを直接結びつける証拠を見つけることはできなかった。
ただ1つ気になったものは、焼け焦げた草むらの傍に穿たれた1つの窪み。
成人男性の掌ほどもある、それは猫に良く似た足跡だった。
夕方になって集合した撃退士達は、それぞれの得た情報を付き合せ、より確かなものへと仕上げていく。
「三味線と手下、犬はナシね」
違うと確定した情報に打消し線を入れる杏。
「出現は100キロ超が多いさね。煽られていると思って減速すると消えた、ってぇ話もあったさぁ」
「それはキツイな」
九十九が聞き出してきた出現情報に、無謀な運転を好まない万寿が苦い顔を見せる。
「スピードキャットの正体は天魔と考えて良いのでしょうか?」
猫は透過能力を持っていると予測するナタリア。
「真相を明らかにする為にも、まずは出てきてもらわないとですね〜」
深夜のドライブに気が逸るのか、エステルの口調は心なしか楽しそうだ。
「そう言えば一般人の対応は?」
仮にも公道である。何も知らない相手を巻き込んでは大変だと言う正太郎に、十朗太は心配無用と告げる。
「お巡りさんに頼んだら、交通規制をしてくれたんだよ」
日付が変わる頃の1時間――X号線は撃退士達の貸し切りになる。
どんなに無謀な運転を行っても、誰にも咎められることはないのだ。
●猫狩りの夜
「準備OKなんだよ」
警察官に挨拶を終えた雅が頭に猫耳を生やす。今夜はそれが彼女の戦闘服だ。
白い車に乗り込んだのは、運転役の万寿の他に3名。正太郎、九十九、雅。片方の黒い車には、エステル、榊、ナタリア、杏が乗る。
通信機の感度を確認した後で、万寿は車を発進させる。
「舌を噛まないようにな」
僅かな段差でも車体が大きく揺れる。撃退士達は振り回されないよう手すりに捕まりながら、周囲の警戒を続ける。
異変があったのは車を走らせてから1分後――予想より早く、それは現れた。
「左手で何かが動きました」
通信機から流れてきたナタリアの声に、白い車の撃退士達に緊張が走った。
「いた……三毛猫だ」
助手席の正太郎がその姿を確認した。このスピードに遅れることなく、路肩を並走している。
「あっ!大きくなったんだよ!」
路上に飛び出した猫の体が一気に膨れ上がった。今や車と同程度。
「この先の停車帯に誘い込むぞ」
「了解しました」
同乗する仲間が衝撃を受けないよう留意しつつ、ブレーキを踏み込む万寿。
減速しても猫は噂のように消えることはなかった。阻霊符が効いているということは、やはり天魔――
撃退士達は不意打ちを受けないよう警戒しつつ、素早く車から飛び出す。
やがて追いついた黒い車に挟み込まれた猫は、満月のような眸を不気味に光らせた。
スピードキャットは、今までに例の無い人間の行動を訝しんでいるようだった。
「お前さんは何故こんなことをするんだい?」
審判の鎖で繋ぎとめようとしたエステルを制し、九十九は静かに語りかけながら猫へと近づいた。
攻撃はしてこない。しかし、敵意を持っていないわけではない。
「うちにできることがあれば、手を貸してやるさね。だから関係の無い者に迷惑を掛けるのはやめるのさ」
また一歩、近づいた九十九に猫は身体を低く構える。威嚇の唸り声の中に、不明瞭ながらも女性の物と思しき言葉が入り混じる。
『おん かえす』
確かにそう聞こえた。
話せるなら戦いは避けられるかもしれない。そう思い語りかけるが、猫はただ『おんをかえす』と繰り返すだけで、会話と呼べるものにはならない。
「ったく。『誰』への恩を返したいのよっ!? にゃんとか言いなさいよねっ」
痺れを切らした杏が叫ぶ。猫は一度だけ彼女の方に目を向けた。
『おん……かえす』
猫の声がいっそう高く、金切り声のように響いたその瞬間、白い光が閃いた。
獲物はもっとも傍いた人間――九十九。
無防備にさらけ出していた身体を袈裟掛けに切り裂さかれ、崩れ落ちるように倒れ込む。
「ちっ、やはりか」
2撃目が打ち込まれるより先に、正太郎が間に割って入る。スタンプハンマーを翻し、猫を後方へ押しやった。
その隙に十朗太は九十九を抱え上げて後衛へと託す。
「酷い傷。でも、任せてください」
エステルが力強く頷いた。新緑を思わせる優しい光で包まれた傷が見る間に塞がり、癒えていく。
『……おん、かえす』
「恩返しって、もしかして『復讐』って意味……」
その言葉に含まれた意味の違いに、雅はようやく気が付いた。
――怨返し。
知性がある訳ではない。ただその言葉を、鳴き声のように発していただけなのだ。
「どんな理由があろうと、天魔と化した以上、自由にさせることはできない」
憎み、憎まれ、無差別に恐怖を広げていく。その不幸の連鎖を止めるためにも、万寿は狙いを定めて弾丸を撃ち放つ。
しかしそれは猫の耳を掠めるだけに終わった。
「やはり猫。素早いですね」
闇雲に撃っても届かなければ意味はない。
ナタリアは様子を探りつつ、猫の逃げ道を塞ぐ位置へゆっくりと移動する。
猫と撃退士は一定の距離を保ち、互いを牽制しあっていた。
蒸し暑い気温とは裏腹に、冷たい汗が額を伝い落ちる。
気が遠くなるような膠着状態を打ち砕いたのは、身を潜め猫の背後へ回り込んでいた杏だった。その一撃は小柄な身体からは想像もできないほど重く、猫の意識を深く刈り取ったのだ。
「今よ、一気に決めて……!」
杏が作りだした好機を逃すまいと、撃退士達は攻勢に出る。
「その想いは分からないでは無いが、無秩序に暴れられるのは困るからな。悪いが成仏してくれ」
先陣を切った十朗太。猫の瞬発力を封じるために、後ろ足を薙ぐ。
体勢を整える暇を与ることなくナタリアが光の矢を放ち、波状攻撃の間を繋いだ。
痛みによって意識にかかる霧を振り払った猫は逃走を試みるが、回り込んだ正太郎が退路を断った。
深いダメージ受けながらも、猫は抵抗を止めることはない。目の前の雅に向かい、鋭い爪のある前足でパンチを繰り出した。
避けきれない。そう思った直後、紫紺の風を纏う矢が攻撃の軌道を僅かに反らせた。
「できるなら戦いたくはなかったのさぁね」
「ようやく全員が揃いましたね〜」
「2人とも……感謝するんだよっ」
天界の属性を持つ聖なる鎖で束縛された猫に、雅は白い羽を撒き散らせて飛燕連脚を炸裂させた。
腹部を強かに蹴られ、猫は泡のような涎を吐いてもがき苦しむ。
『おん……かえすぅ』
まさに地獄の底から聞こえるような怨嗟の声を残し、猫は息絶えた。
「ご主人様への恩返し、私たちがやったげる」
そう語りかけて抱き上げた猫の身体が、杏の腕の中で変化していく。まだ若い、人間の女性の姿に。
よほど激しい衝撃を受けたらしく、身体が不自然に折れ曲がっている。この様子では、おそらくほぼ即死か。
撃退士達は天魔の正体を猫と思い込んでいた。飼い主への恩返しのため、恨みを晴らそうとしているのだと。
しかし実際は……。
「まさか、あの事件か?」
自身が調べていた報告書を思い出し、十朗太は声に悔しさを滲ませる。
「……どっちでも変わらないさぁね」
誰ともなしに呟いた九十九に、撃退士達は頷きあう。
彼女が本当に猫だったとしても、死を歪めた天魔、そして元凶となった人間を許せないという気持ちは変わらない。
「キミの復讐の相手はきっと探し出して、きちんと裁きを受けさせるよ。だから……」
少しでも綺麗にしてあげようと、雅は女性の目をそっと閉じてやる。
「……おやすみ」
「静かに眠ってくれ」
月明かりの中、手向けられた祈りの言葉に、彼女は心なしか微笑んでいるように見えた。