●不測の事態
現場へ到着した撃退士達に、寺の住職が事情を説明する。
その説明を聞いたSadik Adnan(
jb4005)の血相が蒼ざめた。
「使徒!? 今、使徒って言いやがったかおい!」
そのまま絞め落としてしまいそうな勢いのSadikをさり気無く後方に下げ、日下部 司(
jb5638)が前へ出る。
「もう少し詳しく事情をお聞きしたいのですが」
微かなざわめき。彷徨う人々の視線が、恰幅の良い男性へと集まった。突然パニックを起こし走り去った“東野幸枝”の父親へと。
「御身内の方ですね? 詳細をお聞きしたいのですが」
詳細も何も……幸枝は急に走り出した。そして、居合わせた少女が使徒を名乗り、連れ戻そうとした。
ただそれだけだ。
ディアボロが出現する前、集合墓碑の前に佇む少女を見たという者もいるが、彼女の身元を知る者は誰もいなかった。
「まずい、時間がない。行くぞ!」
園内から獣の唸り声が響いている。
これ以上の情報収集は無駄と判断したヤナギ・エリューナク(
ja0006)が、対を成す二刀の小太刀を手に叫んだ。
「門の近くにディアボロはいません。突入するなら今です」
空高く舞い上がった妖狐・饗(
jb2588)の報告に力強く頷き、ヤナギは門を押し開く。その隙間から、陽波 透次(
ja0280)やカイン 大澤(
ja8514)が次々と身を滑り込ませる。
「カミは死んだ! ……俺の毛根ごと、な!」
阿手 嵐澄(
jb8176)――ランスは高らかに宣言すると、己の髪を脱ぎ捨てた。一糸まとわぬ頭皮は、死闘に身を投じる彼の闘志を表すかのように、光り輝いていた。
最後に天球儀を思わせる杖を翳したソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)が、魔女の翼を広げ霊園の中へと飛び立った。
●怪我された霊域
白檀の香りに紛れ、錆臭い臭いが立ち込める。
飛び散った数珠と踏み荒らされた花束。白い雪を汚す、花弁のような血痕。
(何故、こんなことが……)
通路の隅に寄せられた物言わぬ骸を前に、司は唇を噛みしめた。
破壊と殺戮は下級天魔の本能。人気のなくなった霊園の中を走り回る幸枝は、格好の獲物となるだろう。
「やべぇ……。すでに“使徒”が接触しているじゃねーかっ」
Sadikが忌まわしげに舌を打った。
召喚獣・キューと視界を同調させた彼女の目は、霊園の中ほどに位置する水汲み場で息を切らし座り込む幸枝と、その傍らに立つ少女の姿を捉えていた。
――撃退士が現場に到着したのは、霊園内に駆け出した幸枝を“使徒”を名乗る少女が追いかけた直後。
その時点での差はごく僅か。
確実に任務を遂行するための情報収集が、結果的に幸枝を確保するだけのアドバンテージを与えてしまったのだ。
「これはまずいですね」
早口でまくしたてるSadikとは真逆に、饗は冷静な口調で状況を伝えた。
数メートルと離れていない所で黒犬が鼻を引くつかせている。何か結界に阻まれているのか、幸枝の存在に気付いている様子はないが、非常に危険な状況であることは間違いない。
「早く保護しないと。皆はディアボロを引き離して欲しい」
急がなければ。
彼女が獣の牙に引き裂かれる前に。
正体不明の使徒と関わりを持つ前に……。
これ以上犠牲者が出る前に、終わらせなければならない。
「任せておけ」
「東野さんは頼みます」
司の要請に、ヤナギと透次が力強く頷く。
「あの使徒の子は、おにーさんが注意を引き付けてみるよ」
ランスは不敵な笑みを浮かべ、前へ踏み出した。
(まずはこの五月蝿い駄犬共を殺してからか)
クロスボウを巻き上げるカイン。ヤナギも派手に走り回り、ディアボロ達の目を自身に集めていく。
さっそく追ってきた2体の黒犬を視認し、ヤナギはしてやったり、と心の中でほくそ笑んだ。
そして最も効果的に打撃を与えられるよう、充分に引き寄せる。
「良しっ」
ヤナギのアウルが炎のように燃え上がる。それは一匹の大蛇となって迸り、容赦なく黒犬を飲み込んだ。
しかし一撃だけで倒しきることはできなかった。
攻撃など無かったかのように吼える黒犬に、今度は透次の紅爪が降り注いだ。四肢に絡みついた鎖が緋色の光を帯び、黒犬の身体を地に繋ぎ止める。
「長くは持たないかもしれません。早く止めを!」
「判りました」
間髪を入れず、高度を落とした饗が狐火を爆ぜさせ、黒犬達を焼き尽くした。
まずは2体、撃破。
撃退士達は気を抜くことなく、次なる敵の姿を追い求める。
「危ない、左っ」
一瞬の静寂に響き渡ったのはソフィアの声。
墓碑の森を抜けて死角に回り込んだ赤猫が、鋭い爪でヤナギを強襲する。
(ダメ。このままじゃ……)
射線を塞ぐ墓碑は、単なる石の塊ではない。今を生きる誰かに繋がる血脈の証、失った故人そのもの。
しかし戦いの中では一瞬の躊躇いが悲劇を生む。ソフィアは意を決して『Il Tuono di Sole』を撃ち出した。
文字通り太陽のように輝くアウルは、墓碑の頂点を辛うじて避け、赤猫の身体を直撃した。
「ちっ」
カインに目を付けた黒犬が地を蹴った。ショットガンへ換装は……間に合わない。
勢いよく組み敷かれたカインが舌を打った。噛まれた肩が焼けるように痛む。
それでもカインが顔色を変えることはない。力ずくで顎をこじ開けると、その頭に斧を叩き込む。
「以外に楽だな」
永遠に動きを止めた黒犬を一瞥し、立ち上がった。
一連の攻防の後、ディアボロ達は一斉に引いた。
逃げたわけではない。紛れたのだ。園内に散らばり、様子を窺っている。
祖霊符は遮蔽物をすり抜けての行動を封じたに過ぎない。霊園という場所に気を使う必要のない天魔は、透過能力の有無に関わらず、そこにある全てを蹂躙し続ける。
設備の破損を恐れる撃退士達が通路に沿ってしか攻撃できない事を逆手に取り、墓碑を盾にして奇襲を繰り返していた。
「透次さん、5時の方向!」
空から索敵を繰り返すソフィアが、売店の陰に身を潜める赤猫に気付いた。
赤猫は警戒の声を発するとほぼ同時に跳ね、1基の墓標を足場に方向を変えた。
並みの撃退士であれば、フェイントに引っ掛かっていただろう。透次は驚くべき反応速度でそれを見極め、避けきった。「大人しくしてもらいますよ」
透次は太刀・水鏡に自らのアウルを込めた。繰り出した技は『雷切』――激しい衝撃波に打たれた赤猫は、全身を痙攣させて地面へ這いつくばる。
牙を剥き出しにして唸り声をあげるが、それが最期の抵抗となった。
「予想以上に統率がとれていますね」
戦況を空から眺めていた饗が眉をひそめる。
素早く撃退士の背後に回り込み、不利と悟れば引く。その判断の適格さは、単なる野良ディアボロは思えない。
近場まで舞い降りた饗に、ヤナギが首肯した。
「そう言えば……1体だけ人型がいたって話だったな」
「えぇ。確か“ピエロの面”を付けていたと。明らかに怪しいですね」
撃退士達は慌ただしい出撃の折に伝えられた情報を思い出していた。おそらくはそれが指揮官なのだろう。
饗は再び空へ舞い上がると、索敵のため霊園の上空を大きく旋回した。
空から見下ろす限り、それらしき姿は認められない。だとすれば、建物の中か……?
最奥に位置する地蔵堂に目星を付けたカインが息を殺して近づいた、その直後。格子戸を打ち破って放たれた魔力の弾を、カインは寸でのところで避けた。
「あらあら、外れちゃったのねぇ」
囀りにも似た笑い声と共にかけられたのは、女性にしては低めの“言葉”だった。
◆
戦闘班がディアボロを引き放している間、救出班の司とランスは警戒しながらも幸枝達へと近づいた。
「おねェちゃん、何してるの?」
軽い口調で語り掛けたランスに、少女は冷めた視線を向けた。
返事はない。代わりに深いため息が聞こえた。
「何でその子を追いかけたんだい? まさかその子も使徒……ハハ、そんなわけないよねェ」
ツルツルの頭を撫でながら自分にツッコミを入れるランス。それでも少女の表情を見逃さないよう、視線だけは真剣だ。
実際、使徒が一般人を追う理由など、恨み晴らしか奉仕種族の材料にするぐらいしか考えられないのだが……?
「お友達を護るのに、理由が必要かしら?」
少女は僅かに口元を緩めた。演技も打算もない、静かな微笑みだった。
「避難誘導してくれたことは感謝する。でも、この場は引いてもらえないかな」
司はできる限り少女に刺激を与えないよう、幸枝のことは諦めるようにと懇願をする。
「言っている意味が判らないわ。引く? 何を? この子をディアボロに差し出せとでも言うのかしら」
少女の言葉に、幸枝はびくりと身を強張らせた。
「そうじゃない。俺達はその子を護るよう頼まれて……」
「私がこの子を傷つけるとでも思っているの?」
誤解を解こうと言葉を続けた司は、少女の視線に含まれる侮蔑の色に気付き、その先の言葉を失った。
気まずく緊迫した睨みあいは、そう長く続かなかった。
ガゥッ!
墓標を蹴って黒犬が吼えた。無防備な幸枝に目を向けることなく、より離れた位置に立つ司へと襲いかかる。
ディバインランスで牙を受け止めた司は、そのまま黒犬を地面へ叩きつけた。黒犬が起き上るより先に、ランスが牽制の銃弾を放った。片耳を吹き飛ばされた黒犬が激しく吠える。
目の前で繰り広げられる死闘に、幸枝は声を出すこともできないほどに震え、耳を塞いでいた。
(逃げるなら今だ)
幸枝を背に庇う使徒の意識は、仲間と闘う黒犬に向けられている。
Sadikの傍らからキューの姿が消え。代わりに蒼き馬竜が現れた。
(いけ、ヒヒン!)
突如現れた召喚獣に使徒の少女が気付くより早く、Sadikはヒヒンと共に通路を駆け抜け、幸枝の身体を馬上に引き上げた。
「な、何これ……いやああぁっ!!」
見慣れぬ“化け物”から逃れようと、幸枝は自身を支えるSadikの腕を振り払おうとする。
「黙ってろ! 目を瞑れ! 口を閉じろ! 死にたくないなら、あたしの邪魔をするな!」
非力な一般人の力では無駄な努力。しかし騎乗という不安定な状況では、いつバランスを崩すとも限らない。見兼ねた司が気迫を込めて一喝し、幸枝を大人しくさせた。
現場を離脱しようとするSadikの前に2体の赤猫が立ち塞がった。
「ここは俺が抑える! だから早く……」
道を切り開くため、司はディバインランスを一閃させ、赤猫達を薙ぎ払う。
戦線を離脱する直前、Sadikは一度だけ後ろを振り返った。
使徒の少女はただ静かに宙を蹴る馬竜を見送っていた。
ランスが行く手を阻んでいるせいもあるだろう。それでも、彼女が最も恐れていた“報復”が行われることは、なかった。
◆
「貴様、ディアボロではありませんね?」
地蔵堂を一撃で半壊させたクロスグラビティを涼しげに受け、もたらされる重圧にも動じることのないピエロに、饗が問い質す。
「……もしかして、あなた、ヴァニタス?」
「ご名答」
ソフィアの疑問を、ピエロは御機嫌な口調で肯定した。言葉が目に見えるなら、きっと語尾にハートマークがついていただろう。
(使徒の存在だけでも予定外なのに……)
ソフィアはピエロに気取られぬよう、救出班の様子を窺い見た。
幸枝と接触は果たしたが、まだ確保には至っていないようだ。
ここは何としても抑えるべきか? ヤナギや饗も魔具を構え、迎撃態勢を整える。
とは言え、今対峙している4人だけで実力不明のヴァニタスを相手にすることは、少々荷が重い。
ふと――前触れも無く馬竜が嘶き、少女の悲鳴が聞こえた。
赤猫の激しい威嚇声と、Sadikの怒声も。
霊園の外へと駆けてゆく蒼き竜の後ろ姿を見て、戦闘班は幸枝の救出が成功したことを悟る。
「あらあら……みんな殺されちゃったみたいね。残念だわ」
配下のディアボロが全滅したことを、ピエロはまるで目の前で特売品が売り切れたかのように嘆息した。
意識が逸れた隙をつき、カインが一気に距離を詰めた。紅いアウルを纏う大剣を構え、斬りかかる。
ピエロはそれを軽々と避けると、霊園を囲む塀の上へと飛び乗った。そして悪戯っぽく投げキッスをしてみせる。
「でも……この町は面白いわね。気に入ったわ。また一緒に遊びましょうね」
そう言い残し、ヴァニタスは姿を消した。風の中に、楽しげな笑い声を響かせながら。
●過去から未来へと
幸枝と使徒の少女は何か関係があるのではないか?
そう考えたヤナギは、改めて幸枝から事情を聞きだそうとする。
なぜ、安全であるはずの場所から走り出したのか?
使徒の少女と面識があったのか? 彼女と何か話をしたのか……?
顔色や目の動きを窺いながら、根気よく。
しかし幸枝は精神的に不安定で、満足に話をできる状態ではない。
「すまないが、もう勘弁してもらえないだろうか」
娘の様子を見兼ねた父親に苦しそうな表情で懇願されては、それ以上食い下がるわけにもいかなかった。
「せめて、彼女の名前だけでも聞いておけばよかったですね」
病室を後にした透次が微かにため息を吐く。
使徒と名乗った少女は、戦いが終わった後、そのまま姿を消した。
『私はただ義務を果たしただけ。今も、そして、これからも。だから“貴方達”にお礼を言われる筋合いはないの。』
透次が述べた人命救助に対する感謝に、意味深な笑みを返して。
彼女の真意は判らない。それでも、学園に寄せられた数多の情報を掘り起こせば、何かしらの真実が判るかもしれない。
「ま、しばらく警戒が必要だろうねぇ。あのおねェちゃんもピエロも、また現れそうだし」
追憶のひと時を襲った絶望は無事に終息を迎えた。
しかし、これが決して終わりではないということを、撃退士達は予感していた。
――帰還した撃退士達の報告により、学園は町と使徒の関係についての調査を開始した。
そして……彼らの“予感”が確信に変わるのは、もう少し後の話になる。