●雪ん子の里
大晦日の町は賑やかだった。
今年最後の買い出しをする住民や、この地で新しい年を迎えようとする観光客――撃退士達はそれらに紛れ、町の中へと繰り出した。
(うまくできるだろうか。……足だけは引っ張らないようにしないと。)
初めての任務ということもあり、義実(
jb3746)は緊張していた。
悪魔であることがバレやしないかと言う不安もあったが、周囲の人々が疑いを持っている様子はなかった。
「それでも油断は禁物じゃよ」
悪魔の特徴が顕著であるイオ(
jb2517)は、外套のフードを目深に被って角を隠す。時々強めの風が吹くので気の休まる暇がない。
「何にせよ、あまり目立つ行動は慎むべきだろうね」
のんびりした口調で呟いた鷺谷 明(
ja0776)は、すでに年越しモード。手にしたレジ袋には、いつの間に入手したのか人数文の甘酒と海苔巻が入っていた。
「雪ん子が出現するのは夜よね。それまでは現場の下見をしたいのだけど……」
「じゃあ、何班かに分かれようか」
全員で固まって行動する必要はない。皆で手分けをすれば、一度により広い範囲を捜索することもできる。
蒼波セツナ(
ja1159)の呟きに、天羽 伊都(
jb2199)が同意を示した。
「あ……! そういえば、頼まれていた地図だけど……こんなんで良かった?」
深紅が差し出した地図のコピーを確認する橘 涼虚(
jb8342)。
雪ん子が出現するという範囲に、予めコンパスで円が引かれていた。
「うむ、充分だ」
鷹揚に頷いて、涼虚は受け取ったばかりの地図を仲間達に配り始めた。
●先を見据えて
明とセツナが向かった駅の東側は、レトロな雰囲気の商店と住宅が立ち並ぶ一画だった。
雪ん子の手掛かりを求め、セツナは周囲に視線を走らせる。
駐車場や石材店の資材置き場など、身を潜められそうな場所を見つけてはタウンガイドの地図に書き記していく。
片隅に佇むポストを見て明が不敵な笑みを浮かべた。
「こっちで目撃場所が確定しているのはポストの前だったね?」
「えぇ、多分ここでしょう。要チェックね」
隣接するアパ―トの植え込みは、身を潜めるには格好の場所――セツナはくすりと笑みを返した。
◆
伊都とイオは柵替わりのタイヤに腰掛けながら、公園の様子を観察していた。
「この事件……本当に天魔の仕業なのかな」
伊都が疑問に思うのも無理はない。
ブランコと東屋がある程度の広場では、何組かの親子連れが散歩を楽しんでいた。
雪ん子の出現が夜間に限られているせいだろうか。住民達にピリピリとした雰囲気はひとつもなく、もしかすると噂自体が客を呼び込むための自演なのでは? と思えるほどだ。
「イオはそう思うておる。敵意が無さそうなところが興味あるぞよ」
同じ天魔としての直感か、イオは自信を持って言い切った。
◆
義実と涼虚は連れ立って駅周辺を散策していた。
どちらも率先して喋るタイプではないため、実に粛々と作業が進む。
広く視野を持ち、地図だけでは読み取れない抜け道や行き止まりを確認していく涼虚。
(駅周辺とコンビニが隣にある小公園……共通点は何だ……?)
義実が着目したのは、雪ん子が何度も出現したと言われる2つの場所。
もっとも今は昼。雪ん子が出現する夜間と同じ景色を見られるわけではない。
義実は頭の中で何度もシミュレーションを繰り返し、共通点を探った。
●満天の星の下
夜8時。明とセツナは昼間チェックした個所を順に回っていく。
街路灯だけが頼りの道は暗い。それでも事前に下見したおかげで、不自由なく移動することができた。
雪ん子が天魔である可能性を考慮し、セツナは極力一般人にみえるよう演じていた。撃退士であることを勘付かれると、警戒される可能性があるからだ。
共に行動する明との関係は、仲の良いお友達。
「……ねぇ。3つ先の街路灯」
「あぁ、気付いているよ」
巡回を開始して30分ほど過ぎた時、セツナは薄暗い灯りの中に浮かぶ小さな人影を見つけた。
明も静かに頷く。
こんな時間にコドモが1人で居るはずがない。2人は自然に不敵な笑みを湛えた。
「それらしいのを発見したわ」
離れて行動する仲間に報告を入れ、さり気なく近づく。しかし。
人影の正体が“女の子”であると確信した時、少女は突然、怯えたように硬直すると、踵を返した。
「おやぁ?」
少女が誰かにしがみ付いたのを見て、明は愉しげに口笛を吹いた。
黒っぽい服装のため見えづらかったが、傍にちゃんと保護者がいたらしい。不審者と思われたのか、サングラス越しに鋭い視線が突き刺さる。
「ごめんなさい。違ったわ」
仲間達が駆け付けてくる前に、セツナはすぐに誤報を伝えた。
◆
伊都とイオは東屋に身を潜めて異変が起きるのを待っていた。
街路灯が設置されているので公園が完全な闇に閉ざされることはない。もっともそれは誰かがいると判る程度で、個人の判別はよほど近づかなければ難しい。
「こうして待っていると中々出てくれないようだね」
仲間に定期連絡を入れた伊都。電話から聞こえてきた声は、どれも異常なしの言葉だった。
「うーむ……」
イオは腕を組んで考えを巡らせた。
夜間。人の目を嫌い、それでいて直ぐに人が駆け付けられる場所を好む。
本格的な捜索を開始してから1時間。途中、夜の散歩を楽しむカップルなどが入り込むこともあったが、概ね2人きり。雪ん子にとっては格好の獲物と思えるのに。
「他に何か条件があるのじゃろうか?」
「俺は一度外を回ってくるけど、イオさんはどうする?」
残っていたホットドリンクを飲み干した伊都は、空き缶を回収ボックスに入れると立ち上がった。
「イオはここに残っておる。“1人”になることも、たまには必要かも知れんからのぅ」
「じゃあ、戻る時に何か食べ物でも買ってくるよ」
ごく自然な会話を交し、2人は別行動を開始した。
喧噪から隔絶された夜の公園は、その後も静かで退屈な時間が流れ続けた。
◆
駅から吐き出される人の波が一段落したのを見計らい、義美と涼虚は行動を再開した。
懐中電灯の灯りを頼りに2人で連れ立って公園の方へ。
緊張のためか、ごく普通を装うことは意外に難しく感じられた。
何度か同じ行動を繰り返し、状況が急転したのは、4度目の往復の時。
――出やがったな、化け物!
聞こえたのは男の怒声。
何があったのか? 2人は顔を見合わせた。手早く仲間達に報告を済ませ、現場へと急ぐ。
「義実、こちらだ」
道なりに移動していては間に合わない。
涼虚は昼に下見をした時のことを思い出し、勘を頼りにアパートの敷地へ入り込む。行く手を阻むフェンスを飛び越えて、素早く向こう側の駐車場へと回った。
「……雪?」
異変はすぐに判った。
晴れた星空の下、その一画だけが白く染まっている。
白目を剥き出しにして座り込む男が2人。リップピアスを付けた男の手には、鋭い輝きを放つナイフが握られていた。
そして彼らの前には赤ん坊を抱いたまま座り込む少女の姿。
おそらくは肝試しの男達が凶器を取り出した。身を護るためか傷つけるためか、理由は定かではないが。、
「あんたが雪ん子?」
「あ……」
少女は怯えたように後ずさりをした。距離を離そうとするも、背後に回り込んでいだ涼虚に阻まれてしまう。
「今の声、一体何があったのじゃ!」
「あなた……もしかして、さっきの子?」
公園や東側を担当していた撃退士も次々と駆け付け、ついに囲まれてしまった少女。
彼女の心の乱れに共鳴するかのように、腕の中の赤ん坊が激しく泣き始めた。雪がいっそう勢いを増し、撃退士達を包み込む。
その瞬間、世界が白い闇に染まった。
●悪夢を誘う雪
――走る、走る、走る。
素足は皮が剥げ、血が滲んでいた。
どんなに逃げても、ソレはまる自分の影のように、どこまでも追いかけてくる。
身体は鉛のように重く、中々前へと進めない。
ついに追いついたソレは、どす黒い血に染まった槍を振り上げて……。
――冷ややかな好奇の目が見下ろしていた。
暗闇に浮かぶ無数の唇は、蔑みと罵倒の言葉を浴びせ続ける。
怖い。
助けを求めて伸ばした手は無情にも振り払われて。
直後、頭の中に響いたのは、優しかった父と母の嘲笑……。
――名前を呼ばれて振り返る。その声は、とても懐かしい音色をしていた。
自分を守って命を落とした父と母。
思わぬ再会に駆け出した目の前で、全てが朱に染まる。
目、耳、口……全身の毛穴から、鮮血を噴きだして。
お前は、よくも…………!
恐怖で凍りついた心と身体を、怨嗟の声が深く抉る……。
●もたらされた真相
我に返った時、イオは小さな腕に抱きしめられていた。
「お姉さん、ごめんなさい……」
少女は目に涙を浮かべ、謝罪し続けた。噂によって与えられた呼び名とは裏腹に、その身体は温かかった。
「急に倒れたが、大丈夫か?」
心配そうに覗き込む涼虚。義実は頭を抑えながら起き上った。
「どれぐらいの間、倒れていました?」
「そんなに長くはない。数秒程度だね」
明に引き起こされたセツナは、冷静に状況を分析しようとする。
緊急連絡を受け、駆け付けた。
雪ん子と思しき少女を囲んだところで、吹雪に捲かれ、気を失った。
何か夢を見ていたような気がする。それが何であるのか思い出せないが、とても怖く、哀しかったことだけは覚えていた。
「君、さっき会った子だろ? お父さん……いや、お兄さんは一緒じゃないのかな」
「お前は……天魔か? 何故、斯様な事をする?」
薄笑いを浮かべた明に覗きこまれた少女が体を硬直させた。
静かに語り掛けたつもりの涼虚も、身に纏う武家の雰囲気からか、少女を怯えさせてしまう。
「どうして夜な夜なうろついてるのかな? 誰か探してるの?」
代わりに伊都が視点を降ろし、問い掛けた。
少女はどうすべきか迷っているようだった。この場に居ない誰かに助けを求めて視線を泳がせる。
「あの……上総は、赤ん坊を……」
「赤ちゃん? 今抱いている子かな?」
それが人間でないことは、よく見れば理解することができる。不自然に白い肌。冷たい体。瞳孔の無い眼――赤ん坊を象っただけの、冥魔の眷属。
「それはディアボロだよ。本物は、こっち」
「ナハラ様……!」
新たな声は背後から聞こえた。
とっさに振り返った撃退士達の前に現れたのは、黒づくめの青年。静かにサングラスを外すと、人間には決してありえな虫の複眼のような眸を撃退士に晒した。
「この赤子は母親自身の手で俺に捧げられた物だ。本来なら直ぐにでも魂を頂くところだが、こいつがどうしてもと言うんでね。今回は好きにさせることにしたんだ」
複眼の悪魔――ナハラは、少女に赤ん坊を預けながら経緯を説明する。
赤ん坊を抱かせた人間に夢を見せ、それを護る覚悟があるか、確かめていたのだと。
それは明らかに非効率で不確実な手段だったが、幼い少女が必死に考えた方法と思えば、手助けしたくなってくる。
「まぁ……裏事情には興味がないわ。早々に町からお引き取り願いから、解決には協力するけど」
事情を聞いた上で、セツナは戦うつもりは無いと冷めた口調で告げる。
「イオのいた孤児院で良いならば紹介するぞよ。そこなら病院と連携しておるし、里親も探してくれる。決して悪いようにはならんよ」
イオは頭を覆っていたフードをはずし、自分が一番の証拠だと正体を明らかにした。
伊都や義実も、できる限り手を尽くすと宣言した。
どうするのかは最後まで自分で決めろ。ナハラに視線で促され、上総は決意を秘めた瞳で、撃退士に向き直った。
「……お願いします」
「うむ」
赤ん坊を受け取ったイオは、力強く頷く。
「今回は良い事をしたみたいだね。君、天魔なのに。ホントはいつもこんな感じでヒトを生かしてくれると争わなくて済むんだけどな。……単純に敵で括っちゃうのが残念だよ」
「一度引き受けたからには責任を持って子の成長を見守ろう。人間としての矜持をかけて、約束しよう。……そして、いつかお前の事も話してやれればいいな……」
無言で様子を見守っていたナハラは、上総の頭を撫で褒めた伊都に眉を顰め、続く涼虚の言葉にあからさまな不快の情を表した。
「一方的な善悪で判断している限り、人類は天魔と決して相容れない。それに、こいつに妙な情が残っても迷惑なんでね。赤子には“お前の親はデビルに殺された”とでも伝えておけ」
低く、感情の籠らない声。
ベビー用品が詰まったバッグを撃退士に押し付けたナハラは、ヴァニタスの少女を抱きかかえると、闇色の翼を広げた。
そして、もし“次”があれば、その時は躊躇いもなく赤子の魂を戴くと言い切り、夜の空に身を躍らせた。
●カウントダウン
夜10時。
依頼を終えた撃退士達は、深紅が予約した蕎麦屋で一日の労をねぎらっていた。
余計な邪魔が入らない個室。店主が学園の方針に理解を示していることを知り、イオも安心して外套を脱ぐことができた。
「これはまた豪勢だねぇ」
御品書きを覗き見た明は、そこに並ぶ数字を見て満足げに笑った。
「みんな、遠慮しないでいいからね!」
深紅が率先して中程度の品を注文したので、撃退士達も次々と同程度の品を頼んでいく。
「そう言えば、これって何か意味があったのかしら?」
セツナがポケットから取り出したのは、ヴァニタスの少女が差し出した“焼けた石”だった。彼女は怖い思いをさせたお詫びと言っていたが。
「もしやそれは、懐炉ではないか?」
涼虚に指摘され、伊都が納得したように頷いた。以前、何かの映画で似たようなものを見たことがある。
「なるほど。被害を受けた者を温めようとしたわけじゃな」
極力被害を抑えようとしたのは、赤ん坊の今後を配慮してのことなのだろう。
つくづく非効率な方法に、撃退し達は苦笑を隠しきれない。
「何にせよ、無事に終わって良かった。……あの子には、幸せになってもらいたいですね」
義実は御座敷の隅で寝息を立てている赤ん坊に目を向けた。
現役の悪魔すら惑わせた可愛らしい寝顔に、覗き込んだ撃退士達も思わず頬を緩めてしまう。
「なって貰わねば困る……」
涼虚は真直ぐな瞳で赤ん坊を託した少女の顔を思い出していた。
「……願わくば、あの子らにも幸せがあって欲しいものだ」
新しい年も天魔との戦いは今後も続くのだろうけれど……今は、今だけは。
全ての者が等しくそうであって欲しい。そう願わずにいられなかった。