●ゲート突入
世界は薄霧に包まれていた。
天頂を見上げれば、そこに太陽の姿はない。代わりに、空全体が虹色の光を放ち、実に幻想的な色彩を映し出している。
視線を落とすと、地上は一転して緑が広がっていた。
縦横無尽に張り巡らされた路は、どこか遊園地に設置された巨大迷路を思わせる。至難というほどではないが、進軍の障害となることは確実だった。
「怖く……ない……狩り……と違うけど……笑って……帰る……ため……だから」
身体が自分の物ではないような錯覚に陥り、浪風 威鈴(
ja8371)は無意識に身を震わせた。
減衰。
それはゲート内において、異質な存在を拒む現象だ。
普通の人間であれば一瞬で魂を吸い尽くすゲートは、天魔に対し強い抵抗力を持つ撃退士にさえ影響を及ぼす。
異質な世界で活動するために、アウルの一部を消費してしまうのだ。
「一緒に頑張ろう」
大丈夫だと視線で伝える浪風 悠人(
ja3452)。威鈴は静かに頷き、アサルトライフルを握りしめた。
「この銃の実戦投入がゲート攻略になるとはね」
佐藤 七佳(
ja0030)が手にする改造対戦ライフルは、まさに化け物と呼ぶに相応しい銃だ。だが、ゲート内に居る今は身に余る武器。
七佳だけでなない。悠人や威鈴も魔具や魔装を繋ぎ止めるための力を、己の生命で補っていた。
(足手まといだけは避けないと……)
戦闘実践に乏しい赤城 羽純(
jb6383)も緊張を露わにしていた。それでも自分が役に立つのなら、と決意を固める。
「ゲートか……危険のにおいがぷんぷんするぜ」
高いテンションでポーズを決めたのは命図 泣留男(
jb4611)――メンナクだ。如何にもと言った伊達ワルファッションで身を固めているが、これでも出自は一応天使だったりする。
「だが! 天はただ、俺のコーデを見守れッ!」
「……中心はあちらですね。距離は1キロメートル強といったところでしょうか」
只野黒子(
ja0049)の視線は、メンナクが突きつけた指先から30度ほど右側に向けられていた。
空中に平べったい島のような物が浮いていた。その周囲を飛び交う幾つかの黒い影も。恐らくはあれらが守護ディアボロなのだろう。
「やはり鳥型、ですか」
ゲート外に居たディアボロも殆どが鳥型だった。ならば飛び道具が有利だろう、鴉守 凛(
ja5462)は和弓・不如帰を手にする。
「ここからが正念場ってやつね! あたいが全部やっつけてやる!」
「援護射撃はあたしに任せてにゃー」
溢れんばかりの意気込みを見せる雪室 チルル(
ja0220)の後に、脱力するような口調で日野 菫(
jb8091)が続けた。
「戸蔵様、空中の哨戒をお願いします」
黒子の要請に静かな面持ちで頷いて、戸蔵 悠市(
jb5251)は召喚獣・スレイプニルを召喚した。
召喚主の命令を聞き、黒色の鎧を纏う蒼き竜は猛々しく嘶くと、空へと身を投じた。
●緑の迷宮
蒼き竜に見守られながら、撃退士達は迷路の中を進む。
足元も壁も周囲全てが緑という状況で、ともすれば方向感覚すら失ってしまいそうだ。
「隠れる……場所……ありませんね」
ゲート内という特殊な環境下では、地形把握に頼ることもでない。遊撃は無理と悟り、威鈴は落胆した。
(それに……)
僅かに弧を描いている一本道は、前後を塞がれてしまえば、簡単に包囲されてしまいそうだ。
「まぁ、あまりビビるこたねぇと思うぜ? 生命探知には俺達以外の反応はない。それに……見な」
メンナクが指し示したところに、スレイプニルの影が映っていた。
僅かでも光があれば、そこに陰影が生まれる。仮にディアボロが空から襲ってきても、気付くことができるだろう。
ふと、先頭を歩いていたチルルが足を止めた。丁字路に出くわしたのだ。
目配せで知らせを受けた黒子が、ヒップバッグから取り出した手鏡を翳して様子を探った。
幸い敵の姿は見当たらなかった。
「どっちに進む?」
ついに訪れた選択の時。チルルは仲間達に意見を募る。
直進の道はしばらく続く。注意深く観察すると、前方に僅かな陰影が見えた。分岐路は他にもあるらしい。
一方で分岐路の方は、数メートル先で二又に分岐していることが視認できた。
「目指すべきコアはこちらの方角だが……」
スレイプニルの視線を追った悠市が分岐路を指した。
自身の目で確認できるなら自信を持って導けるのだが、残念ながら今はそれを望むことはできない。
二手に分かれて様子を探るという方法もあるが、敵の奇襲を受ける可能性を考えると、無暗に戦力を分断することは危険に思えた。
「ダンジョンで迷った時は……右に曲がる……」
確信めいた羽純の提案に、撃退士達は思わず顔を見合わせた。
それはあまりにも乱暴な選択だが、一理ある。
分岐点はこの先に幾つも存在するだろう。その全てを右に曲がると決めていたなら、たとえ行き止まりで引き返した時でも、迷わずに済む。
「じゃあ、右で決まりね!」
皆の顔を見回すチルル。目印のリボンを蔦に括り付け、意気揚々と進軍を始めた。
「そう言えば、撃退士の習性って何なのかな?」
迷路を進む中、鳩羽の手紙を思い出した菫が小首を傾げた。
ベネトナシュが用意しているという、撃退士を陥れるための罠。それがどんな物であるかは判らないが、できるなら発動は避けたい。
「まず考えられることは“阻霊符の使用”でしょうか」
数秒の間を置いて答えたのは黒子。
「今回の場合は、単純に“コアの破壊”がトリガーになっている可能性もありますが」
「人命救助という線は考えられませんか?」
さらに考えを巡らせようとした黒子を、七佳が一瞥する。
「もし人質……例えば鳩羽という撃退士を盾にされたら、コアの破壊と救助、どちらを優先します?」
目前の命を犠牲にして千人の安全を確実なものにするか。千人を危険に晒してまで目前の1人を救うか。それは撃退士にとって、究極の選択とも言える課題だ。
戦いの中では一瞬の迷いが全てを失う引き鉄となる。
だからこそ、任務の担当者である蒲葡 御影は、鳩羽の生死は一切不問と言い切ったのだ。
「俺は助けたい」
即答したのはメンナクだった。その口調には、ひとつの曇りも見当たらない。
「救うべき命……か。失われていい命などある訳がない。最後まで……諦めるものか」
「あたいもだよ。ディアボロを殲滅して、人質も助ける!」
命の重さは同じ。それが一般人でも、撃退士であっても――悠市の言葉にチルルが同意を示した。
「難しい目標ですねぇ」
凜の冷めた視線が微かに揺らいだ。
それでも、最初から努力を投げ出すような真似はしたくない、と思う。
「救える可能性がある限り、俺は救いますよ」
ハッキリと意思を継げる悠人の目を見つめ、威鈴が同意を示した。
一通り意見が出た後で、菫も自分の考えを纏めようとする。
全てを助けたい気持ちはあるが、二兎を追う結果になるのはちょっと嫌かもしれない。
「うーん。あたしは可能なら、かにゃー」
どうやら撃退士達の意見は、鳩羽を救う方向で概ね一致しているようだった。
だから七佳は、それ以上言葉を紡ぐことはなかった。
無限とも思える迷路の中を、撃退士は進む。
途中何度か引き返し、どれ位の時間が過ぎただろうか。
悠市のスレイプニルは異界へ還り、もう呼び出すことはできない。
他の竜を呼び出すこともできるが、先のことを考えると、安易な召喚は躊躇われた。
ディアボロの襲撃は一度もない。
楽観的に考えれば強運。デビルの策略と考えれば、警戒心は一気に膨れ上がる。
罠はまだ発動していないのか? それともすでに術中に嵌っているのか? 様々な思いを胸に、前へと進む。
そして、ついに撃退士は辿りついた。
緑の迷路を抜け、天頂へと続く螺旋の路へと――
●天頂の舞台へと
天頂へと延びる螺旋の路を、撃退士達が駆け登る。
足場は迷路を作り出していたのと同じ蔦。安定しているが、2メートル強という幅を考えると、戦闘をするには不向きだろう。
もっともディアボロは未だ高みに位置し、襲撃してくる気配も見せないが。
「何のつもりでしょうねぇ」
「油断させるつもり……はないよね。さすがに」
自分の思い付きを打ち消したチルルに、凜が鷹揚に頷いた。
「えぇ。もちろん、あちらが油断しきっているわけでもないでしょうね」
それは周囲に漂う濃密な殺気からも明白だった。
「あたし達が到着するのを待っているんじゃにゃいかな」
「余程自信があるというわけか」
目前に迫る死闘を前に、悠市は秘蔵していたヒリュウを召喚した。先のスレイプニルと比べると形はかなり小さいが、頼りになるパートナーだ。
「いつ攻勢に転じるとも限りません。十分注意して参りましょう」
「あ……待って」
ふと、羽純が声を漏らした。後方にいたはずの悠人が、自分の横を通り過ぎたのだ。
最初は自分の足が遅いのかと思ったが、周囲を見る限り、決してそうではないらしい。
原因は悠人の側にあった。
悠人の移動力は、通常でも高い。全力跳躍を併用している今、その差は数倍にまで開いていた。
「待て、悠人!」
後方から制止の声が掛かるが、悠人の足は止まらない。少しでも早く登りきろうと、必死だったから。
3度の跳躍の後も走り続け、ついに頂上へ到達した悠人は、素早く周囲に目を走らせた。
そこは、直径20メートルほどの円形の舞台だった。
ヒトの姿はない。中央にコア。植物のような丸い物体に包まれている。ディアボロは蛇の尾を持つ鶏と、骨だけの鴉。あとは……。
そこまで認識した時、ディアボロ達が一斉に舞い上がった。
「うわっ」
骨鴉が奇声を発した。耳を劈いた鋭い音に鼓膜が激しく震え、視界がぐにゃりと歪む。
朦朧とした意識の下で、悠人は襲いくるディアボロの攻撃を避けようと身を引いた。しかし、そこに足場はなく……。
(……え?)
ふわりとした感覚を覚えた時、悠人の身体は宙に投げ出されていた。
どさりと音がして、螺旋の路に震動が走る。
悠人が落下したのは、幸いにも後を追ってきた仲間達からそう離れていない場所だった。
追撃を仕掛ける骨鴉に対し、真っ先に反応を示したのは七佳だった。
続いて威鈴がロングレンジショットで狙い撃つ。
命中したとは思う。しかし、効いているかは判らない。骨鴉は相変わらず空を舞い、威嚇の鳴き声を上げていた。
黒子のマスケット銃はそれなりにダメージを叩き込んだらしい。
骨鴉が高度を下げた所で、チルルが切りかかる。それでも完全に行動を停止するには至らず――朦朧状態から立ち直った悠人が弾丸を叩き込み、ようやく撃破。
気を休める間もなく、上空を警戒していたヒリュウがギャアギャアと鳴き、危険を知らせる。
繋げた“目”を通して2体のディアボロを確認した悠市は、ヒリュウに迎撃を支持した。
可愛らしい外見からは想像も付かない勇猛さで攻めるが、骨鴉達は大きく旋回すると、撃退士達の後方へと回り込んだ。
「上に行くぞ。ここはデンジャーすぎる!」
メンナクの声に力強く頷いて、撃退士達は走り出した。
全員で頂上へ到達した撃退士達。幸いにも、それぞれが状況を確認するだけの余裕はあった。
最初に確認された2種の他、大型のディアボロが3体いた。孔雀と、ダチョウっぽいフォルムの猛禽類、そして、やたらと存在感のあるペンギン。
「何か、どこかで見たことがあるような? ……あああぁっ!」
蝶ネクタイ姿のペンギンに奇妙な既視感を覚えたチルルの目は、直後、ペンギンの胸元にあるモノに釘づけになった。
それは男性の顔だった。ペンギンの身体から、顔だけが露出している。
関連資料の中にあった、生死不明の撃退士・鳩羽。
一見着ぐるみを纏っているだけのように見えるが、彼の目は硬く閉じられたまま、顔面も蒼白だ。
「……まるで人間の盾だな」
チッ、と舌を打ったメンナク。
彼が行使した生命探知では、ペンギンにぴったりと重なったもう1つの反応を捉えていた。
●未来奏でるプレリュード
七佳の対戦ライフルが上空を薙ぎ、弾幕を避け地上へ降りたコカトリスを、チルルの氷砲が吹き飛ばした。
『ギャン!』
周囲に羽を散らせるコカトリス。
石化能力を有するが故、殆どの撃退士が優先的に撃破を試みるコカトリスは、生身の肉がある分骨鴉より手ごたえが感じられた。
「1体ずつでも確実に倒していきましょう」
黒子が神速の速さで撃ち抜いた個体を、菫が炎の槍で頭部を狙う。
「どうにゃーっ」
炎に包まれたコカトリス。
自然現象を再現した炎では天魔に大きな影響を与えることはできず、菫は直後に反撃を受けてしまう。それでも多少の目くらましにはなったのか、鉤爪は頬を掠めるだけに終わった。
「相変わらず強いですね」
春先に戦った時より確実に強化されている。
「それに、早いっ」
視線を警戒し間合いを取り直した七佳にコカトリスが迫る。直後、焼けるような熱さ。切り裂かれた肩から血が溢れだす。すかさずメンナクがライトヒールを行使、傷口を塞いだ。
「この俺の放つ輝きで、お前を身も心もとろかせてやるぜ!」
多彩な回復の力を持つメンナクは貴重な存在だった。
メンバーの中には自己回復できる者もいるが、乱戦の中では僅かなタイミングの遅れが致命的なミスになりかねない。
事実、撃退士が戦線を維持できるのは、彼が治療役に専念していたから言っても過言ではない。
悠人と威鈴が照準を定めるのは、大型ディアボロ――孔雀だ。
孔雀は美しい飾り羽を広げ、自身をより大きく見せていた。
「狙いやすくて助かるよ!」
悠人はラストラスを構えた。撃ち放った光の弾丸は、真直ぐに孔雀の飾り羽に吸い込まれていく。
威鈴もストライクショットを乗せ、息の合った連撃を与え続ける。
もちろん孔雀も黙って的になっているだけではない。威嚇の声と共に、大きく飾り羽を震わせる。
「あ……」
がくりと膝を付いた威鈴が地に倒れ伏した。
彼女の身に何が起こったのか、悠人はすぐに理解できなかった。突然、前触れもなく倒れた――紛れもないのはその事実だけ。
顔面も蒼白に駆け寄り、抱き起した。
威鈴は規則正しい呼吸音を立てていた。眠っているだけと知り、ほっと胸を撫で下ろす。
少し強めに頬をペチペチすると、威鈴はうっすらと目を開けた。
コアの守りを任せられるだけあって、ディアボロ達はかなりの強さを誇っていた。
立ち位置の差は射撃武器でいくらでもカバーできる。
しかし数十メートルの高所、直径20メートルの円形舞台では、間合いを取ることも、敵の攻撃範囲から確実に逃れることも難しい。
撃退士の足場が限られる一方、地に足を付けた大型3体以外、ディアボロのフィールドはほぼ無限。
戦況は相変わらず撃退士側の不利だった。
それが地上に広がる迷路内でディアボロ達が襲撃をしかけてこなかった理由なのかもしれない。
「誘い込まれたというわけですか。私達は……」
ペンギンが吐き出す吹雪を盾で防いだ凜。直撃は免れたものの、冷気は周囲を包み込んで身体を蝕んでいく。
「上に登っちゃったのは、失敗よね。地上で迎え討つべきだったかも」
そうすればもっと有利に戦えたはず、とチルルは思う。
「いや、それは逆に拙いかもしれない」
ヒリュウを召喚し直した悠市が作戦ミスの可能性を打ち消した。
「地上で戦っている間に、フリー状態のデビルがコアを破壊する可能性もあるからな」
「じゃあ……先にコアだけを壊しちゃえばいいんじゃないのかな……」
遠慮がちに提案したのは羽純だった。
コアを破壊すれば能力の減衰もなくなる。全力でディアボロを殲滅することも可能なのだから。
「良い案ですが、止めた方が無難でしょう」
静かな口調で黒子が異を唱えた。
悪戯にコアへ攻撃を仕掛けることは、“人質”の死亡やディアボロの逃走を招くことに繋がるかもしれないからだ。
――ギャアアァァァァ…………ッ!!
突然、黒子の耳元で奇声が響いた。いつの間にか背後に回っていた骨鴉の叫び声だ。
激しい音波に曝され、朦朧とした意識の中、黒子の目はコカトリスの姿を捉えた。暗い双眸が真っ直ぐに自分を見つめている。
(いけない、このままでは)
そこに映る自身の姿をはっきりと認識する前に、黒子は反射的に動いていた。
鋭い爪の一撃なら、おそらく防ぐことはできなかっただろう。しかし視界を塞ぐだけなら、愛用のシルバートレイを翳すだけで十分だった。
ピンチを切り抜けたことで黒子の精神は高揚し、深い霧に閉ざされていた意識も急速に鮮明さを取り戻す。
神話に語られるバジリスクのように石化を返すことはできなかったが、トレイの中で微笑む金髪の少女は、黒子にとって災禍を防いだ女神様のように感じられた。
「伏せて……」
走り込んできた羽純がザフィエルブレイドを一閃させる。激戦の中で傷を負っていたコカトリスは、その一撃で絶命した。
もう1体の骨鴉も、ヒリュウに追われる形で上空へと逃げていく。
「感謝します。でも……今ので確信しました」
コカトリスの石化能力は、射程が短い。おそらく至近距離でなければ発動しないのだろう。しかも、互いに視線を重ね合わせる必要がある。
そのデメリットを埋めるのが、もう一種類のディアボロ――骨鴉の役割なのだ。
「後回しにすることは危険……という訳ですか」
黒子の分析を聞いた七佳は、取り回しの難しい銃をヒヒイロカネに戻した。
代わりに手にしたのは細い金属の糸。先端に設えたナイフが糸の存在を隠す暗器でもある。
当たらなければ全てが無になる威力重視より、ダメージは小さくとも確実な一撃を。魔具の負担が減った分、スキルも活性化することができた。
「来るぞ、気を付けろ」
後方で戦況を見守っていた悠市が警戒を促す。
上空を旋回していたディアボロ達が、再び降下を始めた。
七佳の腕に、幾重もの魔方陣が折重なり、アウルの力を纏った糸がコカトリスを捕える。
それは心と肉体を隔てる荒業。直撃を受けたコカトリスは白目を剥いて地に堕ちた。
「今です! 長くは持ちません」
掴み取った好機を活かし、撃退士達は最後のコカトリスに攻撃を叩き込んでいく。
後に残る敵は大型ディアボロと骨鴉が5体。
コカトリスほど厄介ではないが、孔雀も撃退士の精神に作用する能力を発する。
蛇喰鷲は驚異的な移動力を持ち、どれだけ距離を開けようとも一瞬で間合いを詰める健脚の持ち主だ。
これらは悠人と威鈴が攻撃を続け少なからず体力を削っていたが、ペンギンはほぼ無傷。
腹に抱え込まれた人質の身を案じるあまり、迂闊に攻撃できないのだ。
一度だけ、凜が攻撃を叩き込んだことがある。
影響がないようにと腕を狙ったにも関わらず、鳩羽の顔が苦痛に歪んだ。そしてメンナクが“鳩羽”の回復を試みた時には、ペンギンの傷が治ってしまった。
「伊達ワルが今度こそ救ってみせる……お前を!」
今すぐ打つ手はなくとも、無事に分離させる方法がきっとある。そう信じて語り掛けるメンナク。その声が届いているかどうかすら、今は判らないが。
「あれは私が抑えて見せます。皆さんは他のディアボロを」
凜は盾を構えると、ペンギンの気を引き付けるために立ちはだかった。
ペンギンは短い脚で必死に間合いを詰めようとする。思う以上に歩みが遅い。凜は根気よく待ち、少しずつ仲間達からペンギンを引き離していった。
「あたし、何か判った気がするのん」
孔雀の様子をじっと観察していた菫が不敵な笑みを浮かべた。
彼(?)が誇らしげに見せつける飾り羽。そこに散らばる無数の模様が、僅かに光を孕むのだ。
たった今、メンナクが眠りに落とされた時は、淡い青色だった。
少し前にチルルが魅了された時は、もっと黄色っぽかったと思う。
恐らくあの羽にある無数の目が発信源なのだ。
「こっちは俺達に任せて」
狙いを蛇喰鷲へシフトした悠人。魔具をウォフ・マナフに持ち替え、細い首に振り下ろした。
刃をひょいと避けた蛇喰鷲は、自慢の美脚で悠人の顔面を鷲掴みにしようする。
間一髪、威鈴の回避射撃が悠人を包み、難を逃れた。
「……悠人……傷つけるの……許さないぞっ……」
普段のおどおどした態度はどこへ行ったのか。酷く攻撃的な形相で、威鈴はアサルトライフルを撃ちまくった。
「ありがとにゃ」
頼もしい援護を受けた菫は足に磁場を纏うと、まさに猪突猛進の勢いで背後へと回り込んだ。飾り羽を鷲掴みにして、ざっくりと斬り落とした。
『ヤーン!!』
抗議の声を上げる孔雀。振り返ろうとするがバランスが上手く取れないのか、大きくふらついている。
もう一度後方へ回り、残る羽もばっさりと斬り落とす。
「どうにゃ……にゃにゃにゃ!」
直後に反撃の頭突きを受けた菫は、おでこを押さえて尻餅をついた。じんわりと広がる痛み。指でなぞると、大きなコブができていた。もし当たったのが嘴のほうだったら、逆に凹んでいたかもしれない。
しかし、それは孔雀が攻撃方法を大きく欠いたことを示していた。何故なら、彼が直接攻撃をしてきたことは、今まで一度もなかったのだから。
「あとは任せて!」
ここまで追い詰めたならあと少し。
突進の勢いに乗ったチルルの一撃が止めとなり、孔雀は断末魔の雄叫びを上げた。
●終末奏でるポストリュード
約束の時が過ぎ、2度目のヒリュウも異界へと還った。
新たな竜を召喚するべきか、周囲に目を配りながらタイミングを見定めていた悠市は、上空に浮かぶ不審な人影に気が付いた。
背中に黒い翼を広げた“ヒト”だ。
ゲートの外でディアボロを掃討している仲間に同様の武装をしているはぐれ悪魔もいたが、彼女は空を飛べなかったはず……ということは。
「気を付けろ。上位種のお出ました!」
黒鳥の騎士という異名を持つ、剣技に優れたヴァニタス・アルカイドが。
悠市の警告とほぼ同時、アルカイドは静かに円形舞台へと降り立つと、紫色の双眸で周囲を見渡した。
撃退士達、生き延びたディアボロ。そして、真横に鎮座するコアでピタリと視線を留める。
その不可解な動作を警戒する撃退士達は、彼がコアの方へ足を進めたことで、その思惑を悟った。
「そいつをコアに近づけちゃだめよ!」
もしここでコアを破壊されたら、ディアボロが逃走してしまうかもしれない。
剣を掲げて走り出すチルル。羽純も盾に持ち替え、足止めに入った。
行く手を阻まれたアルカイドに、凜がフォースを放つ。
アウルに天界の力を込めた純粋なエネルギーを、アルカイドは回避せずに受け止めた。翳した剣の周囲に力場が生まれ、ダメージを吸収する。
しかし衝撃までは緩和できなかったのか、アルカイドは数歩後ろへ後退した。
広げられた僅かな狭間に悠人が身を割り込ませる。
(4人……いえ、5人ですか)
円形舞台の外周近くで、威鈴がアルカイドに銃口を向けていた。
5人いれば手は足りるだろう――そう考えた七佳は、今までと同様ディアボロの相手を続ける。もちろん、押し負けるようであればすぐに対応できるよう、彼らの状況を視界内に留め続けて。
「畳み掛けるぞ!」
アルカイドが足止めされている間に、ディアボロを倒してしまわなければならない。
状況把握に徹していた悠市本人と、単発の回復スキルを使い果たしたメンナクも攻撃に加わる。
それでも。
生き延びているディアボロは5体。
ここまで減らすのに、8人掛かりでどれだけの時間が掛かっていただろうか?
それは決して短くはない時間だったはずだ。
今は5人。しかも、初期から安定してヒットを稼いでいた者達が抜けている。
――倒しきれるだろうか?
黒子の憂慮を増幅させるように、骨鴉達は鋼糸の届かない上空へと舞い上がった。
骨鴉の狙いは、1人だけ乱戦を離れ、距離を保っていた威鈴。
「きゃ……」
耳を劈く奇怪な叫び。威鈴はとっさに耳を塞いだが、まともに強烈な音波を浴びてしまった。
朦朧とした意識は、肌を切り裂く痛みですぐに引き戻された。
再び襲う強烈な音波。成すすべもなく、威鈴は凶爪の連撃に晒される……。
「少しお付き合い……頂きますからねえ」
前方を塞ぐ凜を、アルカイドは静かな視線で見つめていた。
表情に殺気は感じられない。それでも、呼吸をするような自然な仕草で剣を繰り出してくる。
剣が纏った黒雷は、放たれることなく虚空に消えた。直前で入れ替えたシールドバッシュが功を奏した形だ。
(あたい達がコアを守るってのも妙だけど……)
不可解な現象に怪訝な顔を見せたアルカイドに、チルルが激しい剣戟を繰り出した。少しでもコアから遠ざけようと、押し続ける。
再び、アルカイドの剣が雷を纏う。凜はこれも盾を突きつけ、発動を未然に防いだ。
(次は……どうなるでしょうね)
シールドバッシュはスキルの発動を“行わなかった”ことにするものだ。攻撃を中断させることはできても、弾数そのものは減らせない。次は確実に放たれるだろう。
しかし、手番を無駄に消費する事を嫌ったアルカイドは、黒雷の行使を諦めて強行突破に切り替えた。
狙うは最も壁が薄いと判断した場所――羽純。
最小限の動作で振り下ろした剣が構えた盾を弾き、深々と肩を抉った。
剣はそのまま脇腹へと抜け、深手を負った羽純は糸が切れたように崩れ落ちる。
――行かせるわけには……いかない。
なおも立ち上がろうとする羽純。その口から出たのは、言葉ではなく血の塊で。
開けた壁を抜け、一気に走り抜けるアルカイド。もちろんその先には悠人が待ち構えている。コアまであと数歩。文字通り最後の砦。
凜が追い縋る。体当たりで突き飛ばそうとしたが、アルカイドは地に足を付け、踏みとどまった。
次の手番。
アルカイドの剣は縦ではなく前方に突きつけられ……身を挺した悠人ごと、コアを包むヤドリギを串刺しにした。
「くっ」
「きゃあっ」
ヤドリギが発した衝撃波が青い波紋となって広がり、撃退士もディアボロも、円形舞台にいたもの全てを襲う。
そして……創造主との繋がりを断たれていたコアはガラスのように脆く、たったの一撃で粉々に砕け散った。
コアを失った瞬間、ディアボロ達の動きが目に見えて変化した。
真っ先に飛び立ったのは、威鈴を襲っていた骨鴉。
「いけない!」
フォローに駆け付けていた黒子が放った封砲は、全ての骨鴉を飲み込んだ。
直撃を受けた2体はその場で堕ちた。残る1体は僅かに先へ進んだものの、羽ばたくごとに骨格が崩壊し、バラバラになって落下した。
羽ばたきながら助走する蛇喰鷲の前に立ち塞がったのは悠市だ。
竜の加護を失っていても、撃退士としての力は確かなもの。悠市はその身を盾に突進を受け止めた。
(やはり、無理があったか……?)
覚悟していたとはいえ、衝撃は相当なもの。撥ね飛ばされても必死に食らいつき、動きを封じ込める。
繋がれた希望。僅かな時間を無駄にすることなく、駆け付けた菫が蛇喰鷲の頭部に渾身のフックを叩き込み、止めを刺した。
通常は飛ぶはずのないペンギンも、短い手を広げ、のたのたと走り出していた。
「逃がしませんよ」
人質より逃走阻止を。課せられた使命を果たすため、七佳は再び対戦ライフルを手にすると、躊躇いもなく弾丸を叩き込んだ。
しかし、無傷に等しいペンギンの生命力を一撃で削りきることは不可能。
鈍重だったペンギンの動きは、抱え込んでいた鳩羽を放り出してからは格段に上昇し、まるで泳ぐように空を飛び……。
七佳の更なる追撃に耐えきったペンギンは、悠然と射程の外へと抜けていった。
●終幕
「申し訳ありません、なのです」
デビルの結界が消えた町。
重体者優先で癒しの術が施される中、忍軍の少女が深々と頭を下げた。
ゲートを抜けたペンギンを捕捉したものの、スキルの大半を使い果たしていたディアボロ掃討班は、それをただ見送るしかできなかったという。
アルカイドはコアを破壊した後、“足止め”に転じた。
それまで自分を抑えていた撃退士が、ディアボロの殲滅に向かうことを阻止するために。
ヴァニタスは5人掛かりでも止めきれなかった。
しかし、そこに1人増えていたとしても、結果が変わっていたとは思えない。
最後の局面で、ディアボロを相手にする者がもう少し多ければ、殲滅できていたかもしれない。
あと5秒時間があれば。
人質に危険が及ぶことを承知でペンギンに傷を負わせていれば、あるいは……?
――これで、よかったのでしょうか。
――俺達が選んだ結果なのだ。悔しいが……目を逸らすつもりはない。
苛立ち、後悔、喪失感。それぞれの胸に秘める想い。
その時々において最善と思われる選択をしてきたからこそ、届かなかった一手が心に重く圧し掛かる。
だからこそ、投げ出さない。
目前の命は救った。
あとは新たな犠牲が生まれるまえに、北の空へ消えたペンギンを探しだし、滅ぼすだけ。
全ての命を救うことがデビルが付け込む“撃退士の心理”なら、それを貫き、成し遂げてみせる、と心に誓う。
今すぐには無理でも。
撃退士が諦めるまで、戦いは終わらないのだから。