●魔の楼閣
薄靄の中に広がる街並み。
そっと目を閉じれば、かつてここに存在していた賑わいが、ありありと心に浮かぶ。
しかし今は、幸せも哀しみも何もない。ただ冷たい風が吹き抜けるだけ。
「ヴァニタス、そして悪魔の巣食うビル、ですか……」
Rehni Nam(
ja5283)は墓標のように聳え立つ建物を見上げた。
「……先行隊の犠牲を無駄にしない為にも、ここは全力で当たらなくてはなりませんわね。わたしも微力を尽くさせて頂きます」
アスファルトに残る黒い染みを指で撫でた楊 玲花(
ja0249)は、雑草の陰に散らばる小さな金属片を見つけた。
チェーンネックレスの類だろうか。ヒヒイロカネ製の……誰かの形見。無残に引きちぎられたそれらを、玲花は丁寧に拾い集める。
「こんな所で最期を迎えたその悔しさ、俺が全て晴らしてやるよ」
もしかしたら、学園の廊下ですれ違ったこともあるかもしれない“彼ら”。
レクイエムを捧げる君田 夢野(
ja0561)その隣で、楯清十郎(
ja2990)が静かに頷いた。
「さて、大仕事だなぁ」
怠惰な口調とは裏腹に、ライアー・ハングマン(
jb2704)の視線には鋭い光が込められている。
「うむ。ここはひとつ、王の威光をしめさねばなるまいて〜」
「県庁攻略の為にも、確実に落したいところじゃな」
王なれば、神なれば――白蛇(
jb0889)とハッド(
jb3000)のセリフが絶妙なタイミングで重なった。
誰にも知られることなく消えて行った住民達。
志し半ばで斃れた仲間。
守れなかったもの。守りぬくべきもの。
ここに集った撃退士が秘める思いはそれぞれだが、目指すべき未来はただひとつ。
デビルの手に奪われた、群馬県の解放。
そのためには、この拠点は確実に潰しておかなければならないのだ。
「頼りにしてるわよ? キイくん」
「……魔女の騎士か、悪くない響きだ」
赤髪の魔女・Erie Schwagerin(
ja9642)に見つめられたキイ・ローランド(
jb5908)は、決意を秘めた面持ちで力強く頷いた。
ビルの中にはどれほどのディアボロが蔓延っているのだろう。
“彼ら”が直前までヴァニタスの存在に気付けなかった理由もきになるところだ。
強力な潜行能力か、それとも擬態能力か?
数ある可能性の中で、 只野黒子(
ja0049)やケイオス・フィーニクス(
jb2664)を始めとする多数の撃退士が、ディアボロの中に紛れていたのではないか……という推測をしていた。
「気休めにしかならないかも知れませんが」
ならば撃退士にも化けることができるかもしれない。雁鉄 静寂(
jb3365)は個人識別の一助となるよう、全員に久遠ヶ原学園のワッペンを配布した。
「……ん。これはこれで、心強いですの」
絆の証を腕に付けた橋場 アトリアーナ(
ja1403)が微かに笑み、そして感情を押し殺す。
「そろそろ準備はいい?」
一通り仲間達を見渡した後、ナナシ(
jb3008)が翼を広げた。久原 梓(
jb6465)やViena・S・Tola(
jb2720)も次々と飛び立った。
割れた窓、風雨に晒され半ば朽ちたブラインドの向こうに、蠢く何かの姿。
「さあ、出てきてもらうわよ」
ナナシの号令の下、次々と撃ちこまれる魔力弾。窓枠やブラインドが砕け、破片が地上に降り注ぐ
その様子を見守っていた撃退士達の目が捉えたのは、ビルの窓から湧き出てきた黒い雲――否、ディアボロの群れ。
「きたわね」
キーキーという叫びを上げて乱舞するコウモリに、雪室 チルル(
ja0220)がブリザードキャノンを放つ。
周囲に響く耳鳴りにも似た音をかき消すように、白蛇の半身であるストレイシオン『堅鱗壁』が高く咆哮を上げた。
その力強い声に、撃退士達の士気が一気に高まる。
「悪い子はメッするもんねー!」
白野 小梅(
jb4012)は重いスナイパーライフルを構え、倒しきれなかったコウモリを狙い撃つ。
Vienaが呪縛陣でコウモリ達の動きを鈍らせたところで、ハッドが炎で焼き尽くした。
もちろん生粋の人間達も負けてはいない。
玲花の八卦翔扇は蜂の群れを確かに貫いたが、地に落ちたのは扇沿に当たったほんの数匹だけ。残りの蜂達は一度散り散りになり、再び元の群れを形成した。
「やはり……素早いですね」
群れで個を成す蜂は、斬り込んだ刃の軌道をすり抜け、魔道書によるエネルギー弾を雲散してかわす。まさに暖簾に腕押しといった状況だ。
ならば、とワイヤーで絡め取ろうとした清十郎。しかし蜂は容易く糸の隙間を抜けていく。
「これならどうですか?!」
入れ替わるように前で出た黒須 洸太(
ja2475)がショットガンを構えた。撃ち出された無数の弾が万遍無く蜂を飲み込み、屠った。
ストレイシオン『堅鱗壁』が消え、白蛇は再度召喚する。
咆哮と共に吐き出されたアイアンスラッシャーが、コウモリ達を切り刻んだ。
光が、炎が、影の刃が、次々とディアボロを蹴散らし、あれほど溢れだしていたディアボロも残り僅か。
「私も……頑張るの」
若菜 白兎(
ja2109)も小さな身体を精一杯に張ってイリスの紋章を掲げた。淡青色の光が虹色を帯びた刃へと変わる。
「閃光矮星ぁっ」
ミリオール=アステローザ(
jb2746)が生み出したのは赤き星。掌に収まるほど小さなものだが、コウモリに触れた途端、超新星のように爆ぜた。
それが最後の1体。
「さぁ、突入するよ!」
閉ざされた入口に手をかける洸太。力を込めると、扉は静かに開いた。
●1F――エントランス
ビルの中は水を打ったように静かだった。
それが逆に不自然で、撃退士達は警戒心を引き上げる。
「電気系統は既に死んでいるようですね」
上階へ向かう第二の通路として黒子が抑えたのは、エレベーターシャフトだ。
停止位置を示すランプは消えていたが、閉ざされた扉をこじ開けると、篭は1階で止まっているのが見えた。
頭上に落とされる可能性が無くなったのは僥倖。それでも用心を重ね、洸太は入念に電気設備を破壊した。
「やはりディアボロは屋内にもいるようだな。……来るぞ」
生命探知を行使した後藤知也(
jb6379)は、突入した撃退士よりはるかに多い反応を感じっていた。そのほとんどは上階だが、右手側――階段方向にも幾つか存在した。
ペタャ、ペタャ……
何とも形容しがたい足音を連れて現れたのは、土気色の肌をした人型のモノ。全部で5体。
身体を覆う包帯は薄汚れ、鈍重に動く姿は、まるで前世紀のホラー映画に出てくるゾンビのよう。偶に包帯の間から、肉塊のようなものが零れ落ちている。
先頭のゾンビ男――スレイブ=Mは、階段を降り切る前に静寂の魔法攻撃で呆気なく堕ちた。その身体を踏み越え、後続のスレイブ=M達がゆっくりと進軍する。
「ヴァニタスかそうでないかは、攻撃してみりゃ判るだろう?」
一気に距離を詰めた向坂 玲治(
ja6214)。神輝掌で纏った天界の光を、渾身の力と共にスレイブ=Mの胸へと叩き込んだ。
スレイブ=Mの身体がぐらりと揺れる。揺れただけだ。倒れはしない。
当たりか? 撃退士の間に緊張が走る。
しかし“それ”は、竜見彩華(
jb4626)のヒリュウが吐いたブレスにより、呆気なく滅ぼされた。
「……あれ? もしかして皆ディアボロだったぽい?」
殲滅に到るまでほんの数秒。チルルは足元に転がって動かなくなったスレイブ=Mを見下ろしていた。
Rehniと白兎が負傷の具合を確認するが、接近される前に倒してしまったので、誰も攻撃は受けていない。
「だが、油断は禁物だ」
次に出会う敵も、全てがディアボロとは限らないのだから。
静かに上階を見上げるケイオス。撃退士達は自然にその視線を追った。
●ビル外部――中層
最初に殲滅を果たしたのは、2、3階に棲みついた飛行型ディアボロのみ。
上階には更に多くの軍勢が身を潜めていた。
飛行班に属する天魔出身の撃退士達は、蜂の巣を突くように攻撃を繰り返し、ビル内部で行動する仲間達を援護する。
「こちら飛行班……4階……掃射を行います……」
Vienaが伝達した時、光信機の向こうで入室を引き止める声が聞こえた。もう少しタイミングが遅れていれば、巻き添えが出ていたところだ。
室内には十数体のスレイブ=Mが確認できた。状況を突入班へ伝えた後、ライアーと梓がほぼ同時に攻撃を撃ち込む。
無数の三日月型の刃が、スレイブ=Mも障害物も区別なく切り刻む。ロザリオを掲げた梓は、光の矢に焼かれた1体のスレイブ=Mが倒れるのを見た。
一斉に飛び出してきたコウモリの群れ。激しい鳴き声に中てられた梓が感覚を乱され、一気に高度を落とす。
追撃はナナシが身を挺して抑えた。
「大丈夫?」
「うん、もう治ったみたい」
一瞬の状態異常から立ち直った梓は明るい表情でロザリオを掲げ直した。
●4F――制圧完了
「消し飛びなさい」
Erieの魔道書から炎の剣が呼び出される。
直撃を受けたスレイブ=Mは、失った下半身を引きずりながらも進み続ける。
伸ばされた毒手がErieにかかる前に、キイが行く手を阻む。
「えりーちゃんは攻撃に専念して」
頼もしい盾に身を委ね、Erieは再び手を翳す。現れた剣は今度こそ頭部を破壊し、止めを刺した。
前線で壁となっていた洸太が治療を受けるために一度後退する。開いた穴を塞ぐようにミリオールが身を割り込ませた。
「大丈夫ですっ、こう見えて意外と頑丈なのですワっ!」
そう豪語する通り、彼女の耐久力もかなりのもの。複数のディアボロを相手にしても、動じることはない。
上階へ続く階段にスレイブ=Mの姿を見つけた玲治。珍しい単独行動にヴァニタスの可能性を疑うも、杞憂だったらしい。数度の攻防の末、これを破った。
やがて戦いに一段落が付き、撃退士達は撃ち漏らしがないか確認をする。
「今度は私が治療をするの」
白兎が祈りを捧げると、青い風を含んだ光が撃退士を包み込んだ。
個々の傷が目立たない分、自覚症状もほとんどない。気付いた時には手遅れ……と言うことにならないよう、傷を癒していく。
「……痛っ」
治療を終えて立ち上がろうとしたL・B(
jb3821)は肩に鈍痛を覚え、顔を顰めた。
スレイブ=Mの牙を受けた傷跡が、紫色に変色している
アストラルヴァンガードの“癒し”で治らないということは、毒や腐敗の類か。
Rehniがクリアランスで傷口を浄化する。
「これで大丈夫と思います」
「ありがとうね」
もとの健康的な血色を取り戻すと同時に、ヒリュウ・ウィグも元気を取戻し、調子は万全。
刹那の休憩を挟み、撃退士は再び進軍を開始する。
●楼閣の主
「原住民共め……」
楼閣の最上階。
半人半蠍のデビル・スコルピオが吐き出した言葉は、憎しみに満ちていた。
この砦はトゥラハウス様――強いては魔将・アバドン様から賜った大切なもの。そのはずだった。
しかし今、汚らわしき撃退士達の手により、駒は次々と削り取られていく。
「奴は何をしているのだ?」
この場に居ないヴァニタスに苛立ちを叩きつけながら、スコルピオは窓の外へ視線を移した。アバドン様が居する城へと。
万が一、この砦を失うようなことがあれば、アバドン様はきっとお怒りになるだろう。
そうなれば、自分自身の命も危うい。
どうするべきか? スコルピオは考えを巡らせた。
◆
「ククク……ハハハハハっ」
腹の底からこみ上げてくる笑いを抑えることなく吐き出した。
土気色の肌をした包帯だらけの男――ヴァニタス・ビリー=Mだ。
スレイブ=Mとは全く違う、滑らかな動きで立ち上がると、準備運動でもするように肩を回した。
「良いオンナが揃ってんじゃねぇか、撃退士よぉ」
髪の短いスレンダーな娘、巨乳の中華娘、どこか乳臭さを残す赤髪の娘等々――先日のお嬢様系もヨかったが、今回はさらに粒ぞろいだ。
彼女達が苦しみ、キレイな顔を歪める光景に舌なめずりをしながら、ビリー=Mは包帯の隙間からクシを取り出した。
割れて三分の一ほど残った鏡の前で髪の乱れを整え、包帯を巻き直す。口元にはゾンビチックな外見とは不釣り合いな白い歯が垣間見えていた。
しかし、その笑みはどこまでも粗野で。
「そろそろ頃合いかねぇ? 待っていろよ。俺様がすぐに天国へ逝かせてやるからよ」
動こうとしないスレイブ=Mを乱暴に蹴飛ばして、ビリー=Mは階段を昇り始めた。
●5F――制圧開始
凍てついた空気に触れたスレイブ=Mが深い眠りに落ちた。
全ての、ではない。その中で変わらずに立ち続けた2体が、ケイオスを包帯で絡め取る。
「小賢しい」
力ずくでそれを引きちぎったケイオス。一度後ろに退き、スレイブ=M達の様子を探った。
ダメージはそれなりに効いてはいるようだが、一撃で倒れることはなく、一部は状態異常にも耐えてくる。
地力、抵抗力……それらの差異により、ディアボロに混じっているだろうヴァニタスを炙り出すつもりだったが、見極めるには至らない。
キイは特徴的な“臭い”を判断材料としていた。何度も嗅ぎ続けているうちにすっかり慣れ、今では何も感じなくなってしまったが。
「剣でも持っていてくれたら判りやすいんだけど……」
正確に言えば、武器を携えたスレイブ=Mは何体かいた。どれも“持っている”だけで、扱っているとは御世辞にも言えなかったが。
スレイブ=Mの集団と遭遇するたびに警戒心は高まり、次第に周囲のスレイブ=M全てがヴァニタスに思えてくる。
『動きもちゃんと見ているか?』
光信機から流れてきたのは、飛行班に属するライアーの声。
『惑わされるな。注目すべきは“強さ”じゃない。弱いフリなんて、いくらでもできるんだ』
的確な判断力。無駄のない動き。撃退士の攻撃を、皮一枚の距離でかわす精神力――それらを兼ね揃えているのがヴァニタスだと告げる。
「…………!」
これまで戦いの様子を具に観察していた黒子が、弾けるように顔を上げた。
スレイブ=Mは意外に耐久力が高く、圧倒的な破壊力を持つアトリアーナでさえ、時には一撃で倒しきれない。
それなのに、最初に遭遇したあの個体は――
ヴァニタスは確かにディアボロに紛れていた。
ただし、奇襲をするためではなく、混乱を生じさせるために。
わざと倒された振りをすることで、スレイブ=Mが弱い存在だという認識を刷り込ませ、その後の判断を誤らせた。
自分達は、既に騙されていたのだ。
◆
挟み撃ちを避けるため、彩華は階段で待機していた。
時折4階に降り、ヒリュウを飛ばして様子を探る。一度だけ窓から入り込んできたコウモリと遭遇したが、手負いだったらしく、ブレスひとつで呆気なく撃破することができた。
「あっ」
ふと、ヒリュウが彩華を見上げて名残惜しそうに鳴いた。薄れていくヒリュウの姿に、彩華は最後の召喚時間が過ぎたことを悟る。
「友達がいなくなって寂しいんじゃねぇか?」
耳元に感じた息遣いはミントの香り。
「うん……。でも、仕方ないですから」
ごく自然にかけられた声に明るく答えた彩華。数秒の間をおいて、思考が凍りつく。
「おんめぇ、誰だぁ!?」
振り向いた先にあったのは、すでに見慣れたスレイブ=Mの顔。不敵な笑みを浮かべ、超至近距離で覗き込んでいた。
「ヴァニはふっ」
仲間に警告を発するより先に、土気色の掌で顔の下半分を塞がれた。無骨な男の手。鼻まで一緒に塞がれ呼吸ができず、彩華は振り解こうと必死にもがく。
「……その方を放していただけませんか」
異変を感じ駆け付けた静寂が見たものは、囚われの身になっている彩華の姿。
彼女を羽交い絞めにしている“スレイブ=M”は、静寂が最初に倒したはずの個体だった。
「あんたが身代りになるなら、考えてやっても良いぜ」
どうせならガキより女の方が良い。下品な笑みを浮かべるビリー=Mに、静寂は眉を顰めた。
「あなたがヴァニタスだったのですね?」
「おおよ。さっきは過激なプロポーズを有難うよ。嬢ちゃん」
魔法書を抱えて隙を伺う静寂に、すでに正体を偽るつもりはないのか、ビリー=Mは口角を上げ、戦利品のように彩華を見せつけた。
●5F――ビリー=M
ヴァニタス出現の報告は静寂から寄せられた。
彩華が人質に取られていることも。
救援に駆け付けた撃退士達を、ビリーはやけにハイテンションな笑いで出迎えた。
先制の包帯は撃退士達の頭上を大きく越えて天井へ。
口元に浮かぶ笑みは、最初からそれが目的であることを物語っていた。
ガシャン、と音がして、天井裏へ繋がる点検口の扉が落ちた。ぽっかりと空いた穴の中から、無数のディアボロが溢れ出してくる。
「援軍……あんなところから?」
激流のように乱舞するコウモリが壁となり、上階へ続く階段に残っていた数名が分断された。
合流を果たすため、ミリオールはとっさに閃光矮星を打ち込むが、勢いは衰えることなく、撃退士達は次第に上階へと押し上げられていく。
「無理をしないで。あなた達は先へ進んでください」
力強く頷いた仲間達の背中を見送り、玲花は忍術書を開いた。
倒すべき敵はディアボロやヴァニタスだけではない。上階には未だ姿を見せないデビルが控えているのだ。ここで悪戯に戦力を割き続けることは得策ではない。
敵味方入り乱れての攻防戦は続く。
身体が小さく素早い蜂は、雲散と合流を繰り返しながら撃退士を翻弄する。
それらをタウントで引き付ける玲治の腕は、集られて肉を食まれ、すでに感覚を失っていた。身体全体が重く、攻守のために振るうトンファーも勢いが衰える。
「ここを通すわけにはいかねぇんだ」
それでも玲治は立ち続けた。気力で痺れを振り払い、アウルの光で自身の生命を支えながら。
死角を消すように背中を合わせた洸太はショットガンを乱射した。
圧倒的な機銃掃射で蜂の侵食を押しとどめ、撃ち落した蜂の躯を絨毯のように広げていく。
それでも一向に数が減らないのは、未だ新たな群れが現れ続けているからだろうか。
「この様子では、エレベーターシャフトも使えそうにありませんね」
万一の時に備えて確保しておいた“第二の通路”だが、扉をこじ開けたとたん、ディアボロが現れかねない。
無理に固執する理由もないので、黒子は早々に手段を放棄し、ディアボロを殲滅する方法へと考えを巡らせた。
「竜見先輩が……危ないの」
仮に“焼く対象”を絞り込めても、ここまで密着していては、影響は避けられないだろう。
同士討ちの可能性を前に攻めあぐねる先輩達の様子に、白兎もオロオロしてしまう。
「僕が隙を作ってみます」
小さく囁いた後、清十郎はビリーの後方へ扇を投じる。ブーメランに似た特性を活かした高難度の攻撃は外れてしまったが、意識を逸らせることには成功した。
すかさず玲花が壁を走り、彩華の奪回を果たす。
これで条件は五分。
人質が開放されたことで、チルルが一気に間合いを詰めた。
突撃を軽くかわし、数歩後ろへ。一度間合いを取ったビリーは、軽く口笛を吹いて撃退士達を挑発する。
右手首を飾っていたリストバンドが消え、代わりに大振りのファイティングナイフが現れる。器用に手元で回して見せびらかした後、刃を下で舐めた。
●6F――熱蠍のデビル・スコルピオ
蜂の激流に押し流されるまま、分断された7人の撃退士達は上階へと向かう。
「体勢を整えないとだねぇ」
これまでの戦いで、撃退士達は手札の大半を使い果たしていた。
隙を作らずにスキルを活性化するためには、落ち着いた環境が欲しい。そのためにL・Bが選択した場所は、階段を昇った先にある一室。
飛行隊の奇襲も終わっている。ウィグによる偵察の際にも、その部屋にはディアボロがいないことを確認していた。
――はずだった。
扉を開け、先陣を切ったL・Bの足が止まる。
部屋の中にヒトがいた。蠍の下半身を持った異形のデビルが。
「待ちくたびれたぞ。愚かな原住民共……」
冷たく残忍な双眸に捉われ、心臓を鷲掴みにされたような恐怖を覚えた。
体勢が整わずとも、敵と遭遇してしまったなら、腹を括って戦うしかない。
軽く足踏みをして、アトリアーナが走った。蜂の群れをすり抜け、瞬く間にスコルピオの後方へと回り込む。
夢野は大太刀を構え、慎重に間合いを詰めた。
(……あっ、いけない。)
デビルの動きを封じるため、コメットを活性化させたRehni。乱戦状態では仲間も巻き込んでしまうことに気付き、唇を噛みしめた。
「蠍型か……毒液を飛ばしてくるやもしれぬ。尻尾の向きには注意されよ」
切り札を切るための準備を整えながら、白蛇は敵の姿形から特殊能力を推測した。
それを鼻で笑い飛ばしたスコルピオは大槍を一閃。アトリアーナは咄嗟に後退するが、間合いからは逃れ切れず、脇腹に赤い花を咲かせる。
L・Bは二挺拳銃を構えた。竜の加護は既に失われているが、仲間達の間を繋ぐため、果敢に挑む。
カオスレートを天界の側に傾けた知也が距離を詰めて攻撃を繰り出す。
「ほら、たんと食らいな。正義の鉄槌ってやつだ」
知也必殺の攻撃を、スコルピオは避けるまでもなく――
「貴様の言う“正義”とはこの程度のものか? 蚊が止まったと思ったぞ」
天魔にとって、レート変動は諸刃の剣。一撃で仕留められなければ、次は自分が屠られる番。
至近距離の火弾が顔面を襲う。大きなダメージを受けて片膝を付いた知也に、すかさずRehniが癒しを与えた。
アトリアーナと夢野が左右から挟み込んで斬撃を繰り出す。
二連撃を耐えたスコルピオだったが、ミリオールが呼び出した黒き触手を避けることはできなかった。
「星はもう作れないけど……この程度は出来るのですワ」
無邪気な笑顔はすぐに曇る。
本来であれば、触手は敵を浸蝕し、身体組織そのものを石へと変貌させるはずだった。しかしデビルは容易く抵抗してみせた。
「こういう時は諦めたほうが負けさ。どんどん攻撃するんだよ」
仲間達を鼓舞するL・B。
自分達の状況は飛行班にも伝わっている。屋内からの援軍は見込めないが、彼らが来てくれたなら、形勢は必ず逆転するはずだ。
●ビル外部――中高層
ヴァニタス発見の報告と時を同じくして、ビル外部から援護を行う飛行班も、多くのディアボロによる襲撃を受けていた。
「我輩はバアル・ハッドゥ・イル・バルカ3世。……そこを退けるのである!」
仲間の危機に駆け付けるため、ハッドは乱舞するディアボロに向かい、名乗りを上げた。
もちろん、知能など皆無に等しいコウモリや蜂がヒトの言葉を理解するはずもなく、ひたすらに体当たりを繰り返す。
「大ボスが出たんだろ? 早く行かないと皆ヤバイぜ」
ライアーのナイトアンセムが周囲を包み込み、執拗に纏わりついていた蜂やコウモリの動きを鈍らせた。
「ここは私達が抑えるよっ」
「敵は蠍のデビルです……ご武運を……」
認識障害の影響を被らないディアボロは、梓とVienaが引き受ける。
返事を返す必要はない。
ナナシとハッドは振り返ることなく、翼を羽ばたかせた。
●5階――送りの焔
それが性癖なのだろう。ビリーは執拗に女性だけを狙い、攻撃を仕掛ける。それはそれで行動が読みやすいと言えるのだが、ラブコールを受ける当人はたまったものではない。
「あたいを無視すんなぁ!」
最も近くに位置するチルルが標的にならないのは、操る得物を警戒しているのか、単に食指が動かないだけか。
ビリーの表情を見る限りは、おそらくは後者。その証拠に、ビリーは見るからにお子様な白兎を狙うこともない。
不味い物を食べときのよう顔を顰めるビリーに、チルルは憤慨する。
「それ以上は許さないの」
膠着しかけた前線を白い毛玉が走り抜けた。
今まで支援のため、ずっと後方に位置していた白兎が叩きつけたのは、冥魔の動きのみを封じる審判の鎖――身に生じた明らかな異変に、ビリーは直訳を憚るスラングを口走った。
撃退士達はここぞとばかりに迎撃に出る。
チルルは愛用の白き剣を振るう。本来、大剣は幅の狭い廊下では不利。しかしチルルの本分は勢いを利用した刺突攻撃。
定石とは違う戦法に反応が遅れビリーは、腰をくねらせて避ける。
直撃とまではいかなかったが、わき腹を削ぐことができた。
静寂の身体を包む暗い風が勢いを増し、掲げた書から生み出された血色の槍を包み込んだ。
深呼吸をひとつ。意識を集中させ、放たれた槍は蜂の群れを掻い潜り、そのまま彼の眉間を貫いた。
ビリーはまだ倒れない。罵りの言葉を吐きつつも包帯を操る。この期に及んでも狙いは女――Erie。
「騎士の名にかけて、彼女を傷つけさせはしない!」
勇ましく立ち塞がったキイは、赤き魔女の身代わりとなって戒めを受ける。
一度胸元まで引き寄せた後、ビリーはキイに刃を突きつけた。しかし鉄壁の防御を誇るディバインナイトを貫くことはできず、忌まわしげに舌を打って突き飛ばした。
「キイくん、伏せなさい」
「我が業火で燃え尽きよ!」
Erieとケイオスの炎が重なった。
幾重にも重なる爆発に、さすがのヴァニタスも悲鳴を上げる。
それでもまだ倒れない。壁に背を預け、口元の血を乱雑に拭い、戦意の衰えない鋭い瞳で撃退士達を睨む。
「貴様はもう終わりだ」
普段の穏やかさが消えた、清十郎の激しい口調。
構え持つ持つ聖銀の扇が眩いほどの光を纏い、長剣の形へと変化を遂げた。
「突き抜けろ! ブレイク・ドーン!!」
繰り出された一撃はビリーの喉を深く抉り――今度こそ。
偽りの命を与えられたデビルの下僕に、永遠の死を与えた。
●6F――優先すべきもの
迸った炎がスコルピオの左肩をかすめ、撃退士を惑わす蜂を焼き払った。
「間に合ったみたいね」
「お待たせなのっ」
窓の外にナナシの姿。小梅、ハッドも次々と合流を果たす。
「さぁ、一気に行くよ。フィナーレだ」
頼もしい味方の登場に潮目を感じた夢野。繰り出す攻撃も自然に力が漲る。
L・Bが銃を撃ち、知也も虹色を纏う護符を掲げた。
触手がうねり、炎が走る。激しい連撃に、スコルピオの体力は次第に削られていく。
ここでついに権能『神威』の召喚を果たした白蛇。蒼白い輝光を纏い、蒼銀の蛇が獅子のように吠える。
背後に急接近した小梅が行使したのは呪縛陣。
効けば形勢逆転の満塁打。しかしスコルピオは易々と耐え、不幸にして範囲内に足を踏み入れたアトリアーナだけが戒めを受ける。
それでも気力を振り絞り、斧を叩きつける。
華奢な身体からは想像も付かないほどの強い一撃。攻撃を受け止めるはずの槍は空を切り、斧は先ほどナナシが焼いた左肩へ、寸分違わず打ちこまれた。
何か固いものが砕ける音が、時が止まった戦場に響いた。
「小娘がァ……ッ」
衝撃で身体を大きく傾がせたスコルピオが怨嗟の声を上げる。
――俺は終わるのか? こんなところで? 汚らわしき原住民の手によって……?
狂気に満ちた眼に殺気が膨れ上がった。強力な一撃を予測し、撃退士達は誰もが身構えた。
夢野は右手を抑え、後ろに位置するアトリーナ。開けた窓の外にはナナシ、小梅、闇に紛れ気配を薄めたハッド。
自身の間合いに存在する5人の中で、スコルピオが選んだ対象は――この中で最も非力に見える小梅。
「はうっ!」
追い詰められれば豚も空を飛ぶ。
不自然な体勢から繰り出された槍の穂先は、狙った心臓ではなく腹を穿ち、諸共に堕ちる。
「小梅さん?!」
治療を受けるために戦線を離脱していたライアーが飛び出すも、コウモリ群れにゆく手を阻まれ、すぐに近づくことはできなかった。
ほんの数秒。
僅かではあるが、十分すぎる時間。
下等なはずの原住民に追い詰められ、ねじくれたプライドと利己心に満ちたデビルが、全てより優先させものは。
「待ちなさい!」
梓の太刀を紙一重でかわしたスコルピオは、与えられた任務も砦も、部下さえも放り出し、己が命を守るため、逃げに入る。
ナナシはRehniを抱えて小梅の元へ。
落下の際、スコルピオの下敷きになったのだろう。小梅は目を見開いたまま、仰向けに倒れていた。遅れて到着した白兎と共に、渾身の思いで癒しを与える。
2人の祈りが通じたのか、蒼白だった小梅の顔に赤みが差し、暗い瞳は光を戻取り戻した。
「敵に背を見せるとは将の風上にも置けぬ。……待つのであるっ!」
ハッドの追撃が背中を捉えたように思えたが、スコルピオの足が止まることはなく、半人半蠍の悪魔は、街の何処かへと姿を消した。
●終焉
撃退士達はその後、タイムリミットとして設定されたギリギリまで、ディアボロを掃討し続けた。
最大の目的であるデビルの討伐こそ叶わなかったが、上位を失ったディアボロは烏合の衆と化し、魔の楼閣は砦としての機能を失った。
力の一部であるヴァニタスを滅ぼしたことも、大きな成果と言えるだろう。
帰還した撃退士を出迎えた職員は、依頼の成否より生徒達の無事を心から喜んだ。
一人ひとりの手を握り、その温もりを確かめながら涙を流した。
全員が生きて帰ること。
それが何よりの“成果”なのだから。