●緑の牢獄
「……悪魔か…このような破廉恥な手を使うなど……奴らの品性を疑う」
周辺に満ちた邪気を感じとり、リーゼロッテ 御剣(
jb6732)の瞳が紅く染まる。
「奴ら、本性あらわしやがったからには……囚われている連中がマジでヤバい」
命図 泣留男(
jb4611)――メンナクは、先日参加した調査依頼を思い出していた。
炎天下での作業中、飲み物を差し入れてくれた優しげな女性が悪魔の手先だったとは、あの時は露程も思っていなかったが。
「何が何でも助け出すよ。それが騎士の在り方だからね」
助けを求める者がいる限り、命を賭す。キイ・ローランド(
jb5908)は覚悟を秘めた眼差しで、冥魔が巣食う館を見据える。
「どれくらいお役に立てるか自身はありませんが、ともかく一人でも多くの人々を救出する為に最善を尽くさせて頂きます」
楊 玲花(
ja0249)は任務の邪魔にならないよう、髪の毛をしっかりと結い直す。
「全員助け出せると良いですね」
昏い金色の光を纏う鳳月 威織(
ja0339)の横で、牧野 穂鳥(
ja2029)が静かに頷いた。
「メンナクさん、お願いします」
天宮 佳槻(
jb1989)に促され、メンナクは任せろとばかりに頷いた。
研ぎ澄まされた精神が次々と周囲の命あるものを感じ取っていく。
生命探知は周囲に存在する生命を察知することができる。生き物であれば人間でもネズミでも等しく扱われるという欠点はあるが、今回のような捜索任務においては、重宝されるスキルの一つだ。
「やはり人質は“宿泊所”の方にいるようだな」
最も多くの反応が見えたのは食堂で、その数は12――存在が判明しているという人数と一致する。
藤井 雪彦(
jb4731)は資料として渡されたデビルの写真を見つめていた。
その真剣な眼差しは、これから起きるであろう死闘を覚悟してのこと……と思いきや、
「ベネトナシュちゃん、めっちゃタイプ♪ 是非ともお付き合いしたいなっ☆」
聞く者が聞けば笑い死にしそうな言葉を平然と口にした。
もっとも、デビルやヴァニタスとの遭遇は、任務の失敗を決定づける要因となるだろう。
だからこそ撃退士達は願う。彼女達の不在を。交戦を免れることを……。
●護るべき者と斃すべきモノ
建物内外を蔦に侵略されている宿泊所だが、玄関だけはまるで侵入を歓迎しているかのように開け放たれたまま。
屋内は相変わらず仄かな甘い香りで満ちていた。
「やはり……いましたね」
エントランスの左側から襲いかかってきた人影。もちろん人間ではない。全身を覆い隠すローブから垣間見える紅い双眸――黒鳥の娘達と呼ばれるディアボロだ。
娘達の爪が瞬時に伸びる。それは触れるもの全てを引き裂きそうなほどに鋭い。
威織は両手に構えた双斧を翻すと、ディアボロを壁へ押し付けた。
「今のうちに!」
優先すべきは要救助者の確保。悠長にディアボロの相手をしている暇はない。撃退士達は其々の目的を果たすため、先を急ぐ。
「ご武運を」
「手掛かりを見つけ次第、連絡しますね」
佳槻、穂鳥、メンナク、キイ、リーゼロッテは、最も多くの人々がいる食堂へ。
隠密行動に特化した玲花と雪彦は、未だ居場所の確定していない者達を探すため、上階へと走る。
威織は独りその場に残り、仲間が戻るべき道を確保するため、ディアボロと対峙し続けていた。
食堂へ飛び込んだ撃退士達が見た者が見たものは、蔦に絡みつかれた要救助者達の姿だった。その中には冥魔側の手先とみられていた職員・東海林もいた。
「変だな。数が会っていない?」
ここに居るのは要救助者12名ではなかったのか? なのに今確認できるのは、団体関係者である東海林を含めて11名しかいない。
保護すべき者の数を確認していた佳槻は、情報との差異を訝しむ。
「しっかりしてください」
「待って!」
机に伏したままピクリとも動かない女性に駆け寄ろうとしたリーゼロッテを、冥魔認識でひとりずつ正体を確認していたキイが制した。
「その人、…………だよ」
「彼女が?」
指摘され、まじまじと“彼女”を観察した撃退士達は、次の瞬間、息を飲んだ。
間違いない。ディアボロだ。
衣装こそ人間の物ではあるが、茶髪から覗く頭部は、黒鳥の娘達と同じ、漆黒の闇色。意識して見れば、窓際に近い2人も、どことなく異質であることが判る。
「なぜすぐに気付けなかったのでしょう」
「いや、気付かなかったわけじゃない。“気にしなかった”んだ」
急いていたとはいえ、人と魔の区別がつかなかったことを歯痒むリーゼロッテに、佳槻は自分なりの分析を告げる。
現実から人々の認識を逸らし、撃退士の感覚すら歪ませるほどの強力な暗示。おそらくそれが、この館に潜む冥魔の能力なのだろう。
「……失礼します」
穂鳥は東海林の傍らに膝を付き、半顔を隠す髪をかき分けて額に手を添えた。
シンパシーにより流れ込んできたのは、深い闇に閉ざされた記憶だった。定期的に食事を与えられていたようだが、それが誰によるものなのか、認識されていない。
最も知りたかった他の要救助者の居場所については、何も得ることはできなかった。
「仕方ありません。今はこの方達を優先させましょう」
リーゼロッテは淡々と蔦を切断し、要救助者達を解放していく。ただし、ディアボロと冥魔関係者である東海林は後回し。
「僕達は撃退士です。助けにきました」
佳槻は壮年の男性に手を差し伸べ、身を起こす手助けをする。
「あ、うぅ……」
長い間拘束されていたためか、皆かなり衰弱が激しく、自力では立ち上がることも困難。
「待ってろよ! パイソン・ドラッグより危険な毒を持つ男が、お前らを救ってやる!」
前髪を掻き上げ、メンナクは女性2人を小脇に抱えた。多少乱暴にも思えるが、今は方法を選んでいる暇はない。
他の撃退士達もそれぞれ保護すべき者達を抱え上げた。
ちょうどその時、皆が胸に忍ばせていた携帯電話が振動した。
『女の子を保護完了。3、4階には1人だけだったよ』
『玲花です。少年1名を確認。要救助者のフリをしている敵もいるようです。気を付けてください』
「こちらは6名の保護が完了しました。一度車へ運んでください」
手短に状況を報告しあった後、キイは目配せで仲間達に退室を促した。
自身はその場に残り、剣を構えた。絡みつく蔦を切り払う振りをして、ディアボロの始末を試みる。しかし。
刃が首に触れる直前、ディアボロは素手で剣を受け止めたのだ。
「追え。誰も逃がすな」
とこからともなく聞こえた低い男の声。
「今の……朝比奈!?」
咄嗟に身構える佳槻。迎撃のためその姿を探すが、蔦の縛めを抜け動き出したディアボロの体当たりを食らい、諸共に廊下へ押し出された。
◆
4階の一室に捕えられていたのは、年若い女性だった。
昨年引退したアイドルとよく似ていて、雪彦は心の中で拳を握りしめる。
「良かった。まだ生きているね」
女性は衰弱が激しく意識はない。顔色は蝋人形ではないかと思えるほどに蒼白だった。
階下で活動を行う仲間に通信を入れた後、雪彦は女性を傷つけないよう慎重に蔦を切り払った。彼女の手を取り、甲にそっと口付ける。
「もう大丈夫だよ、眠り姫」
館を包む植物は棘だらけのバラよりずっと性質が悪いけど、君はボクが守ってみせる。甘い声で囁きながら女性を抱き上げた。
先程見かけたディアボロは動きが鈍かった。一気に階段を駆け下りれば、振り切ることは簡単だろう。
――数秒後、雪彦は自分の考えが甘かったことを悟る。
「おやぁ? もしかしてボク、ピンチ?」
階段の踊り場でディアボロの熱烈なプロポーズを受けた雪彦。
丁重にお断りしようにも、背後に迫るもう1体がそれを許そうとしなかった。
◆
2階を回っていた玲花が発見したのは、高校生ぐらいの少年だった。
左手首に独特の傷跡。腕や胸元に刻印された無数の火傷痕が、少年が抱える心の傷を垣間見せていた。
やはり衰弱しているが、体力に差し迫った危険はないと判断した玲花。少年の救出より、他に救助すべき者がいないか、確認を優先させた。
やがて全ての部屋を見回った後、玲花は仲間の支持により、少年を保護するため、彼の個室へ戻った。
不意の襲撃を受けたのはその時だった。
左右から挟み込むように2体。どちらも人間のフリをしていたディアボロだ。
背には少年が居る個室。
間合いを取るため移動すれば、ディアボロ達は容赦なく部屋に入り、少年を切り刻むだろう。
「自身で切り抜けるしか方法はないようですね」
階下から激しい交戦の音が響いている。今時間を稼いでも、増援は期待できない。
意を決し、玲花は棒手裏剣を構えた。
●枷となるものは
全員で一丸となって戦えていれば、それほど苦戦することなく切り抜けることはできたかもしれない。
しかし、衰弱した一般人を複数抱えている現状で、前後を塞がれていては……
射出された爪を反射的に避けた穂鳥。標的を見失った爪は、後方にいたメンナクが抱える女性の脇腹を深く抉った。女性の瞳から、急激に光が失われていく。
「やべぇ、危険がピンチだ!」
メンナクは即座にライトヒールを行使。致命傷になりかねない傷を癒し、無情な死神の腕から失われかけた生命を奪い返した。
狭い廊下での交戦。不用意に敵の攻撃を避ければ、そのツケは否応なしに仲間へと振りかかるのだ。
「回避もままならないなんて……」
リーゼロッテは魔具を持ち替えた。攻めの抜刀から、守りの盾へと。
佳槻は仲間達の負担を減らすため、四神結界を張る。細やかな護法ではあるが、心強い援けだ。
最前列でディアボロの侵攻を抑えていた威織は、ディアボロの頭部を目がけ斧を振り下ろした。
ディアボロは素手で斧を受け止める。
「負けるわけにはっ」
威織は渾身の力を込めて押しきった。グシャリという感触と共に、ディアボロの腕ごとその身体を打ち砕いた。
直後、もう1体のディアボロがアウルの炎に包まれ、崩れ落ちる。
「魅惑の陰陽師 藤井 雪彦 推参!! ……なんつって」
響いたのは場違いなほどに軽い高口上。
ふざけているように見えるが、眠れる美女をお姫様抱っこした雪彦は満身創痍の状態で、それがやせ我慢であることは容易に想像できた。
「皆さん、早くこちらへ」
玲花も無事に合流を果たし、撃退士達は共に切り開かれた道を走り抜ける。
その前方に新たな敵が立ち塞がった。
「かはっ」
不意打ちを受けた穂鳥は、敵の攻撃を避けない。避けられない。
鋭い爪が背を貫き、胸から抜けてもなお、守るべき者を守り、前へと進む。
それでもやがて限界は訪れる。
冥魔の凶手を逃れ、館の外へ踏み出したところで、穂鳥の意識は唐突に途切れた。
「穂鳥さん……?」
咄嗟に体を支えた威織の手が、流れ続ける血で赤く染まった。
●訪れた影と光
救出活動を行っていた撃退士達の前に現れた朝比奈は、鍵となる人質を奪われ、多くの手下を失っても、眉一つ動かさず、ただ1人残ったキイと対峙していた。
冥魔感知を使い果たしている今、彼の正体を探る術はないが……。
「貴方が人でも悪魔でも構わない。少し付き合って貰う」
ここを通せば、仲間達に被害が及ぶ。
だからキイは少しでも救出の時間を稼ぐため、朝比奈の注意をその身に引き付けた。
「貴方達は何が目的でこんなことを?」
短剣の一突きを盾で受け流し、問い質す。
「デビルの目的など、決まりきっているのではないか」
返ってきたのは淡々とした口調だった。殺陣の間でも息を切らせることはない。
「館に捕えていた12名は、君達の目を引き付けるための“囮”だ。この場所が重要な場所と思わせ、野に放った百余名の魂を収穫するための、な。
その目的を果たした今、ここにいる全ては用済みなのだよ」
一進一退の攻防の中、互いに体力を削り合っていく。
短剣が高く跳ね飛ばされ、天井に突き刺さる。無手となった朝比奈の喉元にキイが盾を突きつけ、勝敗は完全に決した。
「さあ、教えて貰うよ。デビルが浚った人達は、今どこに?」
高らかに勝利を宣言するキイに、朝比奈は自嘲気味に口を歪める。
「彼らを救い出すつもりなら、無駄だ。すでに彼女の結界の中。場所は群馬県か……」
次の一音を発するより前に――厨房から飛び出してきたディアボロが、鋭い爪で朝比奈の喉を切り裂いた。
ごぶりと赤黒い血が噴き出す。
秘密の暴露を裏切りと受け取ったのだろうか?
ヒトを駒のように扱い、容赦なく使い捨てる冥魔の所業に激しい怒りを込め、キイはディアボロを斬り捨てた。
朝比奈は、辛うじて息があった。血に染まった口元が微かに動く。
キイはその言葉を聞きとろうとするが、彼の声が届くことはなかった。
何を伝えたかったのか。
もしかしたら助けられたかもしれない。
そんな思いが心を過る。
しかし、今は悔いている暇はない。任務はまだ続いているのだから。
◆
「最初から動いてねぇ奴があと4人いる」
未だ所在の知れぬ要救助者を求め、本日2度目となる生命探知。その反応は、エントランスから見て左側……事務所の中にあった。
それが本当に人間である保証はない。それでも。
「行きましょう」
先に立ちあがったのは威織。他の撃退士達も次々と立ち上がる。
ディアボロから人々を守るため負傷した穂鳥は保護した8人と共に残り、回復スキルを持つメンナクがこれを護衛することになった。
突入した撃退士達を迎え撃つディアボロの猛攻は熾烈を極めた。
玲花とリーゼロッテが要救助者を抱き、雪彦がそれを守る。威織は双斧を振るいディアボロを薙ぎ飛ばし、生還への道標を切り開く。
殿を務めるのは佳槻。四神の加護を得た撃退士達の護りは、今や盤石。
すでに体力は限界に近かったが、それを表情に出すものは誰もいない。必ず全員を援けるという弛まぬ信念で歩み続け、そしてついに――
緑の牢獄は瓦解し、囚われの人々は太陽の光溢れる世界へ生還を果たした。
●報告
撃退士達の活躍により、デビルが棲まう館に捕われた人々の救出作戦は終わった。
脱出の際、一般人数名が傷を負ったが、搬送先の病院で一命を取り留め、任務は成功裏に終わったと言えるだろう。
翌日行われた最終調査の折、館を覆っていた蔦は跡形もなく、残されたディアボロも全て姿を消していた。
かつて“聖域”と呼ばれていた建物から職員・長谷を保護。かなり衰弱していたが命に別状はなく、体力が回復次第、冥魔協力者として取り調べが行われることになるだろう。
なお、朝比奈隆一の遺体と協力者である東海林の姿はついに発見されず。
おそらくはデビルに回収されたものと思われる。