●魔が巣食う森
町は数日前と変わらない姿で撃退士達を迎え入れた。
でも、何かが違う。
表現しがたい不安と恐怖が蘇り、神代 深紅(jz0123)は自分の腕で身体を抱きしめる。
森に足を踏み入れた時、それは確かな現実として現れた。
「全く……こんな森林浴はごめんだね」
点々と転がる獣の骨を前に軽口を叩くギィネシアヌ(
ja5565)。微妙に口元が引きつっているのは、それが強がりである証だろうか。
そんな少女達の背中を、デニス・トールマン(
jb2314)が威勢よく叩いて景気をつける。
「今回失敗すれば、恐らく後は無ェ……。しっかり潰すぞ」
奪われた“グンマ”の情報を得るために頑張った仲間のためにも。
デニスに勇気づけられた少女達の横で、九 四郎(
jb4076)は彼女達と正反対の反応を見せていた。
「最高の戦場っすね」
こちらは強がりでもなんでもない。これから始まるであろう任務に対する、純粋な意欲。
「深紅、目標は白い繭だったよね」
森の中に広がる光景に息を飲んだ砥上 ゆいか(
ja0230)は、思わず自分の頬を摘まんだ。
ほんの数メートル先、下生えの上に白い物体が無造作に転がっていた。それは提供された情報にあった“白繭”とよく似ていた。
「壊せば良いのって、これの事?」
大山祇を構え持った雀原 麦子(
ja1553)が警戒するように軽く繭を突いた後で、ざっくりと入刀した。
「だだの塊みたいですね。ディアボロですらないみたいです」
白繭が簡単に両断されたことに疑問を持った佐藤 七佳(
ja0030)は、足元に落ちていた木の枝を使って観察する。
「……小賢しい」
茂みの陰、木の上――所々に同じような物が転がっている事に気付き、久遠 仁刀(
ja2464)は苦笑いを隠せない。
大人しく破壊させてはくれないだろうと思っていたが、こんなセコい手を打ってくるとは。
「目的は白繭の破壊。出来れば他は無視してそこに集中したいが、難しそうだ」
何処からともなく聞こえてきた耳障りな音に、天宮 佳槻(
jb1989)は顔をしかめた。
生い茂る枝葉の合間から姿を現したのは、軽く百を超える蜂の群れ。
真っ先に群がられたのは麦子。即座に払い落とすも、噛まれた右腕に生じた痺れは、瞬く間に全身に広がっていく。
「ナハラの蜂ね」
この耳鳴りにも似た羽音を、ファレン(
jb2005)は知っていた。
(動物たちが屍になっている理由、はこれかしら?)
かつてが遭遇したものと比べて形は小さいが、同様の能力を持っていると思って良いだろう。
ならば……と遠くに投げたスポーツドリンクを苦無で撃ち抜いてみたものの、彼らはその匂いに引き付けられることなく、ひたすらに肉へ食らいつく。
「このままではジリ貧だぞ」
次第に数を増す蜂を蛍丸で振り払う仁刀。彼もまた蜂の牙を受けていた。
幸い麻痺はすぐに消えたが、このまま蜂を相手にしていては、破壊すべき白繭の元へたどり着く事すら難しい。
「では、雑魚の排除からですね」
「バラバラになりてぇヤツからかかってこい、だぜ! BANG! BANG!」
ショットガンを構えたジェイニー・サックストン(
ja3784)の横で、ギィネシアヌが蜂の群れにアウルの散弾を撃ち放つ。
蜂は無数の弾丸を避け散開。その開けた道に身を割り込ませ、撃退士達は走り出した。
ただ1点、妖樹に抱かれた白繭を目指して。
森は進軍を阻むほどに過密ではない。
けれど立ち並ぶ木々は銃の射線を塞ぎ、大剣の一振りを阻害する。
天魔最大の特長である透過能力を封じても、ディアボロ達は物陰を巧みに利用し、全周囲から襲い掛かるのだ。
奥へ進むにつれ、敵の種類も増えた。
蛇の尾を持つ鶏と、カラス大の骨だけの鳥……飛行型ディアボロが入り乱れる中、撃退士達は方向感覚を奪い足止めする蜂を優先的に狙い、落としていく。
「見えた! あそこだよ」
先頭を走る深紅が指し示した先に、歪にねじくれた樹があった。その中央、一際太い樹の根に“白繭”が見える。
「あれで良いんすか?」
「うん。前と一緒。全然変わっていないもん」
余りにも呆気ない発見を訝しむ四郎。
偽物である可能性は、妖樹の陰から現れた人型のディアボロが否定してくれた。撃退士を騙すためだけに、ここまで戦力を割くずはないのだから。
「邪魔な樹だぜ! そら、喰っちまいな悪食(ニドヘグ)!」
ギィネシアヌの放った紅き弾丸の蛇が、生き物のように蠢く妖樹の根に絡み、食らいつく。
妖樹は痛みに悲鳴を上げる事も、振り解こうともがく事もない。ただそこに立ち、忌むべき来訪者を阻むだけ。
「反応なしかよ」
せっかくのプレゼントを無碍にされ毒づくギィネシアヌ。
しかしその効果は間違いなく、じわりと広がりを見せていた。
●夜明けを掴むために
妖樹の懐に潜り込んだ撃退士達は互いに頷きあうと、それぞれの役目を果たすべく陣を敷く。
白繭の破壊に集中する者と、彼らを護り、敵の注意を引き付ける者に。
「いくよ〜っ♪」
これまでずっと堪えてきた戦意を解放し、麦子が先陣を切った。
妖樹は枝を伸ばし、その攻撃をがっしりと受け止める。しなやかな見た目からは想像もできないほどの剛腕だ。
鍔迫り合いを続ける麦子の無防備な背を狙い、コカトリスが舞い降りた。
「臥せてください」
警告を受けた麦子が体勢を低くするとほぼ同時、佳槻の放った六花護符が頭上を横切った。
僅かに羽を散らせたコカトリス。七佳が自慢の脚力を生かし一気に間合いを詰めるが、斬撃に特化した建御雷でも一撃で仕留めるには至らない。
「逃がしませんよ」
上空へ逃れたコカトリスは、ジェイニーによる掃射で力尽きた。
「チッ…どうやら数だけ用意したってワケじゃなさそうだな…ッ!」
忌まわしげに舌を打つデニス。
3人掛かりで落した鳥は、ようやく1体。
群体で攻める蜂とは比べ物にならない地力の高さに、撃退士達は彼らが守護する“白繭”の重要性を再認識する。
妖樹の射程を離れ、後方に陣取った四郎。
足元に転がる鳥の骨を警戒しながらも、白繭の狙撃を試みる。
「……ここからじゃ無理っすね」
零してしまったのは落胆の声。
的は辛うじて視認できるものの、下生えや仲間が障害となる上、敵の攻撃を掻い潜りながらでは、狙いを定めることすら難しい。
ベストなポジションを探し妖樹の足元に辿りついた四郎は、そこから白繭を狙う事になる。
戦場を駆けまわる七佳に向かい、骨鴉が吠えた。
破れるかと思えるほどに鼓膜が震え、強烈な眩暈に襲われた七佳は、尻餅をついて座り込んだ。無防備な状態を逃さず、蛇の尾が首筋に牙を立てる。
初撃を凌いだ彼女が直後に視界に捉えたものは、コカトリスの瞳に映った自分自身。
悲鳴を上げる間も無く、七佳はそのままの姿で冷たい石と化した。
間髪を入れずバンシーが石像に鋭い爪を突き立てる。
咄嗟に放った佳槻の牽制を軽々と躱し、バンシーは喉が裂けるような悲鳴を発した。
魂を鷲掴みにされる感覚。目の前の石像をその手で砕きたいという衝動を堪え、佳槻は護符を手に、倒すべき真の敵に向き直った。
激戦はなおも続く。
精神に悪影響を及ぼす能力を存分に発揮するディアボロ達を前に、撃退士達は予想以上に苦戦を強いられていた。
数少ない回復の術も使い果たし、体力はじわじわと削り取られていく。スキルの温存や撃破の優先順位など、考慮している余裕もない。
「これじゃ近づけないわ」
自分を絡め取ろうとした妖樹の枝を蹴撃で押し戻した麦子。開けた道に飛び込むも、枝はすぐに前方を塞ぐ。
「近づけないなら、まとめて薙ぎ払えば良いだけよ」
気配を消して間合いを取ったファレン。その足元が、突然すり鉢状に崩れた。伏兵・アリジゴクの出現に動じることなく、ファレンは炎の蛇を解き放つ。
「それもそうだ」
笑みを浮かべた仁刀もそれに倣い、白虹を放った。妖樹の根に阻まれ白繭には届かないが、立ち塞がる数体のディアボロを吹き飛ばした。
「もう少しだよ! 頑張ろう」
深紅も打ち合わせ通り射線を交差させるように封砲を撃ち、確実にダメージを与えていく。
撃退士の連撃により、戦況は撃退士の側に傾き始めていた。
妖樹は防戦に徹し、ディアボロ達も己の防御を捨て、白繭を攻撃する者に対し、絶え間ない音波の波状攻撃を浴びせ続ける。
その時、不意にディアボロ達の動きが変わった。
白繭班を狙う事自体は変わらない。しかし、統率は明らかに乱れ、まとまりを欠き始めた。
何があったのか?
突然の変化を警戒する撃退士達の視界に入り込んだのは、剣を抜き放ったヴァニタス・アルカイドの姿だった。
「危ない!」
その傍らには樹に得物を取られ、無防備になったゆいかの姿。
ジェイニーの回避支援も間に合わず――呼吸をするような自然な仕草で、アルカイドは剣を翻した。
◆
妖樹から少し離れた場所に不審な影を見つけたゆいか。
それが情報にあったヴァニタス・アルカイドと認識すると、気配を殺し側面へと回り込んだ。
(もしかしてディアボロを指揮している……?)
チャンスだ。
アルカイドの意識は、白繭の周辺に向けられている。今ならいける。ここで集中力を削げば……。
ゆいかはヴェパールソードを構え、呼吸を整えた。
闘気と共に繰り出した技は八咫烏。
渾身の力を込め一閃させた大剣は、アルカイドが背を預けていた幹に食い込んで止まった。
(避けられた?)
「危ない!」
仲間の警告が耳に入った直後、ゆいかは焼けるような熱さを覚え、視線を下へ落とした。
腹から剣が生えていた。それが目の前でゆっくりと身体に沈み、背中から抜ける。
口の中に、錆臭い味が広がった。
「深紅、駄目よ」
ファレンが止める暇もあらばこそ。仲間の危機に、深紅の体は考えるより先に動く。
直後に放たれた雷撃は、救援に動いた者達をも飲み込んだ。
咄嗟に盾で防いだデニスは大事には至らなかった。他の撃退士達は、奇しくも間に立つ妖樹に守られる形で難を逃れた。
しかし、直撃を受けた少女達は地に倒れ伏したまま……
「これはこれは…騎士様が直々にいらっしゃるとは、ようやくケツに火がついたか?」
少女達から注意を逸らすために吐いた軽口に、アルカイドは一度自身の背に視線を移し、改めてデニスに複雑な感情を秘めた視線を向ける。
攻めるべきか引くべきか、相手の出方を探る撃退士を“攻撃の意志無し”と判断したのか、アルカイドはそれ以上動くことはなく、静かに剣を下ろす。
剣を収めたわけではない。何かあれば、すぐにでも揮える構えだ。
(こりゃあマズい状況だぜ)
この危機的状況をどう切り抜けるか。
背の向こうに白繭班を庇いながら、ギィネシアヌはポーカーフェイスの裏側でそれだけを考えていた。
◆
「仲間を信じろ、手を休めるな!」
倒れた仲間は気になるが、ディアボロの攻撃が緩んだ好機を逃すわけにいかない。
迎撃班の負担を減らすためにも、今は自分達の役目を果たすべき――仁刀の指揮の元、白繭を狙う者達は攻勢に出る。
火遁が枝葉を焼き払い、白き虹が根を吹き飛ばす。四郎が放った炸裂符は、無防備になった白繭を狙い通りに包み込んだ。
「もう一息っす!」
白繭が溶け落ち、ついに曝け出された“半球”の姿。四郎は勝利を確信し、歓喜の声を上げた。
走り込んだ麦子の剣戟を受け、半球に細かなヒビが入る。
「これで終わりかしら」
最後を決めたのは、ファレンが放った見た目にも頼りない小さな苦無の一撃。
刻まれたヒビが一気に広がり、まるでガラスが砕けるように、半球型の物体は粉々に砕け散った。
●彼此の岸辺を抜け
「あなたに聞きたい事があります」
銃を突きつけたまま、ジェイニーはアルカイドに問う。天使と戦った事があるか、と。
僅かに目を細めたアルカイド。しかしその問いに答える事はない。
「ここだけ何でこんなに違う?」
佳槻もまた、己の心に棘となって刺さり疼く疑問を投げかける。
「魂を集めたりゲートを作ったりするなら、わざわざ群馬を隠すなんて事をする必要はないはずだ。
もしかして人間が考え出した事だったりするのか? だったら、いったい何のために……」
「そこまでだ」
今にも食らいつきそうな佳槻の腕を取り、駆け付けた仁刀が制止する。
白繭を破壊した以上、ここに留まり続ける必要はない。任務を完遂するためには、報復を受ける前に退散しなければならない。
「彼女達を頼む」
決意を秘めた瞳で見据えられ、ジェイニーと佳槻は彼の意図を悟る。
未だ倒れたままのゆいかと深紅、そして七佳。今は己の知識欲を満たすより、彼女達の命を救う事を優先させなければ。
「シツコイぞ、てめぇらっ」
護るべき物を失い激昂するディアボロに向け、弾幕を張り続けるギィネシアヌ。
デニスはタウントでそれらの注目を引き、撤退の隙を作り出した。天界の影響を受ける彼にとって、それは命を懸けた行為だ。
「早く行けっ!」
仁刀は少しでもデニスの負担を減らすため、共に殿を守り抜く。
避ける暇もない程の攻撃を受け、2人の体力は瞬く間に限界近くまで削られた。ここでヴァニタスの追撃を浴びれば、深手は必至。
しかし、覚悟していた雷撃は、ついに放たれなかった。妖樹の腕を抜けてからは、あれほど激しかったディアボロの猛攻もぴたりと止み……
ふと背中に視線を感じ振り向いた仁刀は、妖樹の袂に立つ2つの人影を見た。
ヴァニタスと、死者を弔う黒衣に身を包んだ女悪魔、嘆きの黒鳥・ベネトナシュ。
妖艶な笑みを浮かべた唇がゆっくりと動き、声なき言葉を紡ぐ。
――実に興味深い。
そう、言ったように思えた。
埼玉県北西部の鉱山地に発見された、いわゆる“半球型”の破壊作戦は成功裏に終わった。
七佳が受けた石化の呪いは帰還後に解かれ、重傷を負ったゆいか、深紅も迅速な救援により一命を取り留めた。
後日行われた調査でディアボロの姿は1体も確認されず、冥魔は完全に撤退したと結論づけられた。
破壊された“半球型”はこれで4つめ。
あと幾つ破壊すれば、かの地への道が開けるのだろうか。
ゴールは深い霧に紛れ、未だ見ることは叶わない。
しかし、1歩ずつ確実に、近づいていることは確かなのだ。