●手掛かりを求め
町はずれの空を、赤い翼が舞う。
切り立った崖より更に高い位置から、不動神 武尊(
jb2605)は周辺の地形を探っていた。
眼下に細長く広がる廃墟群。周囲に広がる森を割くように、自分達が登ってきた渓流が見える。
北側に目を向ければ硬い岩肌を晒した山があった。その先は……濃密な黒雲に包まれ、窺うことはできない。
一通りの確認を果たした武尊は、崖の中ほどに口を開けた洞へと身を滑らせた。
「何かあったか」
「今の所は何も。あとは……」
問われたナナシ(
jb3008)は端的に答え、最奥の祠に目を向けた。
岩を掘り抜いただけの小さな祠だ。
「中に像があるけど……この元号、かなり古い。400年ぐらい前よね?」
当時の人間が身一つでこの崖を登り、奉ったのだろうか。
ナナシは地面に膝を付き、静かに手を合わせた。
神聖な場に土足で踏み入ったことを詫び、この任務が滞りなく終わる事を祈願する。
「……くだらんことを」
武尊は人類の神に祈るナナシを一瞥し、再び外へ足を向けた。そこで地上を這う赤黒い物体を見つけ、口元に笑みを浮かべる。
「我が元に来い、天獄竜」
武尊の呼び掛けに応え、現れた赤い竜は戦いの歓喜に身を震わせ、吼える。その身に滾る闘争心のままに、赤竜は下劣なる魔の眷属共を吹き飛ばした。
◆
高みから流れ落ちる水に小さな虹が映る。
廃墟の西側に位置する滝の周辺は、長閑な光景が広がっていた。
虎落 九朗(
jb0008)が行使した生命探知も無反応。念のため岩場を登って確認したが、人間1人が座れる程度の岩穴に、何かが隠れている様子は無かった。
「お疲れ様だね!」
「やれやれ。とんだ無駄骨だったな」
タオルを差し出した神代 深紅(jz0123)に、九朗は自嘲めいた言葉を漏らす。
何かを見つけるだけが手柄ではないと深紅は主張するが、やはり空振りは痛い。
「すっかり冷えちゃったね。いったん戻ろうか? ……って、あれ?」
ようやく袋井 雅人(
jb1469)の姿が見えない事に気付いた深紅。どこに行ったのかと周囲を見れば、少し下がった所にある岩陰に身を潜めていた。
「どうかしたの?」
尋ねた深紅に、雅人は指を口元に添え、静かにするようジェスチャーをする。
彼の視線の先に居たのは、複眼の悪魔ナハラ (jz0177)と太歳の姿。
素手で太歳を引き裂く姿をファインダー越しに観察していた雅人は、シャッターを押した直後にナハラと視線が合い、背筋が凍る思いをした。
「……何か見つかったのかな?」
ナハラは無断撮影を咎めることなく、自ら声を掛けてきた。
どう答えるべきか。返答によっては交戦の可能性もあるため、雅人は視線で深紅に援けを求める。
(この場合、ノーコメントってケンカ売ってるのと同じだよね?)
焦りまくる深紅の代わりに、九朗が堂々と立ち上がった。
「何も見つかってねぇ。そっちはどうだ?」
「俺は別に何かを探しているわけじゃないけどね」
返ってきたのは意地悪な笑み。撃退士達は鎌をかけられたのだと気付く。
失言を悔やむ撃退士達に、ナハラはゆっくりと近づいてきた。
「お前達の探し物……教えてやろうか?」
掛けられたのはまたも意外な言葉。
「これ以上うろつかれるのも迷惑なんでね」
そう言って、ナハラはある方向を指し示した。
◆
注意深く家々の様子を探っていた牧野 穂鳥(
ja2029)が仲間を呼び止めた。
彼女が注目したのは平屋の建物だ。他の廃屋と比べて広く、傷みが少ない。
「今、奥の鏡に何かが写りました。おそらく太歳です」
その報告を受け、鷺ノ宮 亜輝(
jb3738)が呼び出したヒリュウが偵察を開始する。
共有した視界の中、窓の向こうに見えた物は6体の太歳。これまでにない集団だ。
もしやここに半球型が? 撃退士達の胸に、そんな期待が広がった。
「俺に任せるっす」
すでに1体を屠っている川崎 クリス(
ja8055)が銃を構えた。しかし。
「ちょっ!?スライムにしては強くね!?」
さっきは一撃で粉砕できたはずの物理攻撃が効かない。反撃してきた太歳を、亜輝の放った稲妻が焼きつくした。
「物理型と魔法型がいるみたいだな」
続く2体目は雷撃を物ともせず、クリスの銃撃で簡単に墜ちた。
邪魔者を片付け、撃退士達は改めて調査を開始する。
「ここは民宿だったようですね」
床に散らばった宿帳を丁寧に拾い上げ、穂鳥は有りし日の町並みに思いを馳せた。
「なぁ、この地下の風呂場って思いっきり怪しくねぇか?」
案内図を見つけた亜輝が嬉々として笑う。
暗く、それなりの広さがある浴場なら、何かを隠すには打ってつけの場所だろう。
しかし、その期待はあっけなく打ち砕かれた。
浴場、客室、食堂――そのどこにも、半球型はおろか、新たな太歳の姿を見つける事すらできなかった。
「なかなか見つからねぇなー」
落胆しながら、クリスは地図に8個目のバツ印を刻みこむ。
帰り際、ファレン(
jb2005)は壁に掛けられたパネルに目を向けた。
どうやら付近の地図らしい。手元の地図と見比べても、重なる部分が多い。
(何故かしら。気になるわね……)
ファレンはカメラを取り出し、地図を写真に収めた。
●インターミッシション
崖、滝、廃墟の調査を終えた撃退士達は、一度合流し、休憩がてら情報を交換しあう。
「散々だったな」
滝の調査でデビルと遭遇した九朗に、雅人と深紅がため息と共に頷いた。
――向こうに行けば、お前達の探し物がある。
ナハラが懇切丁寧に教えたのは、廃墟を迂回して山を下りる道だった。途中で気付いて引き返したが、だいぶ時間をロスしてしまった。
でも、そのおかげで確信できた。やはりここには撃退士に知られたくない物が存在するのだ。
同属を排除してまで手にしたい何かが。
「太歳は半球型の護衛。制御不能になっているから、悪魔達も退治しにきた?」
ナナシは乏しい情報から推測を組み立てる。
野放しにされているのも、ここには何もないと思わせるための策略でないか、と。
「何か蜂、多くないっすか?」
まとわりついてきた蜂をクリスは素手で叩き落した。
「ミツバチですよね? でも大きさが……」
「それは多分、ナハラの眷属」
穂鳥の疑問に答えたのはファレンだった。彼女は過去に受けた依頼で2度、ナハラと遭遇していた。
「そういえば、虫を使うって報告がありましたね」
ナナシも以前に読んでいた報告書を思い出し、頷く。
「いきなり帰れとか、俺達の邪魔とか言っていたが、ずっと監視していたわけか。気に入らんな」
忌まわしげに吐き捨てた後、武尊は不意に立ち上がった。
「奴らの手の中で踊らされるつもりは無い。逆に探ってやる」
「待てよ。単独行動は危険だ」
亜輝の忠告を背中に聞かせ、武尊は1人行動を開始する。
「鉱山の中には入っちゃだめだよ!」
空に身を躍らせた武尊に、深紅はそう忠告するのが精一杯だった。
●辿りついた先
ブナの大木に手を添え、穂鳥は静かに目を閉じた。心を落ち着かせ、同調する。
「緑の多いところは心が安らぎます。直接触れなくても、多くの命が息づいているのを感じる」
動物達は不思議なほどに落ち着いていた。
自然の掟という鎖の中で、太歳はすでに存在を受け入れられているらしい。
「太歳の“敵”は、この森に存在していなかったもの……?」
だから、多少大きくても動物達はあまり襲わない。たとえ同属のデビルであっても、排除の対象になる。
「理由はどうであれ悪魔達も太歳が邪魔らしい。彼らが始末をしてくれるのなら、任せておけばいいよな」
亜輝は木々の合間に見え隠れするナハラに目を向けた。
たとえ視線が合っても気にする素振りを見せず、ただ黙々と太歳を斬り続けている。
だからと言って、野放しにされているわけではない。彼が放ったと思われる無数の蜂は、絶えず撃退士達の周囲を飛び回っているのだから。
◆
武尊は鉱山へ続く高台に立ち、眼下に広がる森を眺めていた。
正確には、そこにいるヴァニタスの姿を。
「……やはり気に入らんな」
こちらの視線に気付いているだろうに、全く意に介する様子はない。その態度が、余計に武尊の神経を逆撫でていた。
耳障りな羽音を立て近づいてきた監視の蜂を握り潰し、武尊は高台を後にする。
最も忌むべき存在、デビルの姿を探すために。
◆
鉱山の前で蠢く太歳を始末した撃退士達は、ついに鈍重な鉄の扉の前に立った。
錆びた扉を閉ざす閂は比較的新しく、絡みついた頑丈なチェーンが切られている事が判らないよう、細工されていた。つまりは誰でも自由には入れる状態。
「何か居るぞ。それも1つや2つじゃねぇ」
九朗の生命探知には、不自然なほどに多くの反応があった。
どうするべきか、撃退士達は視線を交合う。坑道の中へ入ることを、深紅は渋っていたが……
「確認はしておきましょう。どうせ鍵は役に立っていないようだし」
ファレンは阻霊符を発動させると、扉に手をかけた。
フラッシュライトの灯りを頼りに、撃退士達は慎重に歩を進める。
しかし坑道の探索は、あっけないほど早く終わりを迎えた。
入口からわずか30メートル直進した所で、天井が支えの枠組みごと崩れ、道を塞いでいたのだ。瓦礫を除くのは困難で、これ以上は進めそうにない。
「結局ネズミもコウモリもいませんでしたよね?」
雅人は不思議そうに首を傾げる。これまで遭遇した太歳の移動力を考えると、奥に逃げたという事は考えにくい。
「透過能力で下階層に逃げたっすかね」
「それも無いわ。阻霊符があるもの」
では、あの反応は何だっただろう? 再び生命探知を試みた九朗は、自分達の周囲に無数の生命反応がある事に気付き、愕然とする。
「おい、囲まれているぞ!」
壁、床、天井――岩肌だと思っていた部分が、所々、脈を打っている。
太歳は居たのだ。ただ、認識できなかっただけで。
「逃げるっすよ!」
クリスは前方を塞ぐ太歳を異界の手で封じたが、別の個体に足を絡め取られて転倒してしまった。すかさずファレンが爪で引き裂き、解放する。
雅人はPDW FS80を撃ち放つが、数が多すぎて退路を確保することができない。
今度は無数の太歳が、絶え間なく撃退士達に襲いかかる。九朗はシールドを構えて防ぐが、衝撃で腕の骨が軋んだ。
回避もままならない程の激しい猛撃を受け、今にも遠ざかりそうな意識を必死に繋ぎとめながら、撃退士達は少しずつ後退する。
その行く手を阻むように、1つの影が立ち塞がった。
黒衣の剣士、アルカイド。
感情の無い冷めた視線で撃退士達を一瞥した後、彼は剣に纏わせた黒き稲妻で、坑道の中を劈いた。
◆
森を捜索する撃退士達が手掛かりを掴むことができたのは、陽がだいぶ西に傾いた頃だった。
捜索地域を北側に集中させてから、太歳の出現率が目に見えて増加したのだ。
「次から次と、きりがねぇ」
バルディエルの紋章を構えた亜輝が軽い口調で毒づいた。
「……何か変ね」
空から森を探っていたナナシも、微妙な異変を感じ取っていた。
目印となるブナから北側に進んだ一画。そこだけ、鳥の姿が見えないのだ。
もっとよく確認するため高度を落とした時、周囲の木々がざわめき、無数の枝葉がナナシ目がけて襲いかかった。
自身を捕え貫こうとする枝葉を炎の剣で焼き払ったナナシは、距離を置いて地上に降り立った。
「……ナナシさん!」
「大丈夫か?」
異変を察し、地上を探索していた仲間達も駆け付ける。
「私は大丈夫よ。それより、あれを見て」
ナナシは不気味に歪んだ木に視線を向けた。その根は、白い繭状の物体を握っていた。
「見た目は違うけど、たぶん間違いないわ。“半球型”よ」
撃退士達を取り囲む太歳が急激に増え、急に凶暴性を増し始めた事が、ナナシの言葉を裏付けていた。
「あれが奴らの目的か?」
ティアマットを召喚した武尊。天獄竜の尾の一振りで太歳を蹴散らし、白繭に目を向ける。
武尊の闘気に呼応し、再び周囲の木々が動き出した。その時。
「それ以上近づくな。撃退士」
白繭に一撃を与えようとした時、当然のように撃退士達の前に現れたのは、悪魔ナハラとアルカイド。
●成功への岐路
「近づいたら、何だ?」
冷めた表情で武尊が1歩を踏み出す。
「待って」
一触即発の状態に水を差したナナシ。悪魔達の背後にある物に気付いた亜輝も、咄嗟に身を割り込ませて武尊を制止した。
深手を負い無造作に投げ捨てられた仲間の姿に、深紅は酷く狼狽した。
「そんな顔をするな。まだ死んではいない」
ナハラの言葉を裏付けるように、クリスの瞼が動いた。
雅人が喉の奥から掠れた声を漏らし、九郎は力の入らない腕で起き上ろうとする。1人だけピクリともしないファレンも、その胸は僅かに上下していた。
「すみ…せ…、僕達…坑道……」
駆け寄った深紅に、雅人は途切れ途切れに事情を伝えた。
ヴァニタスが放った雷撃が、坑道に溢れる太歳のみを焼き払った事も。
「これが最後だ。立ち去れ。そして二度と来るな。拒絶すれば、命の保証はない」
今までにない、抑揚を抑えたナハラの口調。複眼の目で睨まれた深紅は、まるで金縛りにあったかのように身を竦ませた。
残った戦力は5名。スキルも大半を使い果たした今、例え白繭を破壊できたとしても、悪魔や眷属から逃げ切ることは不可能。
その状況を考慮するまでもなく、撃退士達の答えは決まっていた。
半球型ディアボロの存在を確認するという、当初の最大目的は、すでに果たしているのだから。
◆
埼玉県北西部、鉱山地にて白い繭に包まれた半球型の存在を確認。
5体の植物型ディアボロに守られている。
当初護衛と推測した太歳は現場に現れた悪魔が排除、近日中に新たな眷属を配置すると思われる。
破壊までには至らなかったが、悪魔との遭遇、半球型の位置、直衛の存在を確認できた事を考慮し、この調査の結果を以下のように報告する――