●戦いの始まり
格闘料理とは何ぞや?
貼り出されたポスターを目にした生徒は心の中で首を傾げた。
知ったかぶりで得意がる者、恥を忍んで周囲に聞く者と反応はそれぞれで、やがて何処其処のクラスの誰某が挑戦したが敗北し、学園を去ったという噂まで流れ始めた。
格闘料理という単語は、水面に広がる波紋のように、ゆっくりと浸透していった。
そして大会当日。
噂の格闘料理を一目見ようと、多くのギャラリーが会場に詰め掛けた――
「中々面白い取り組みだね〜〜」
ステージ上から会場を眺めた要 忍(
ja7795) が楽しげに呟く。
「格闘料理ですかー。何かすごい感じがしますね……」
七瀬 桜子(
ja0400) も、メイドの端くれとして全力で頑張ると意気込みを見せる。
「どこまでできるかわからないけど、やるだけやってみよう。魅せるのも大事だけど、何より楽しまないとね」
グラルス・ガリアクルーズ(
ja0505)の言葉に、隣に佇むカーディス=キャットフィールド(
ja7927) が静かに頷く。同じイギリス出身ということもあり、2人はチームを組んでの出場だ。
チームでの出場はもう1組ある。
ロシア出身の美女ジーナ・アンドレーエフ(
ja7885) とアイリ・エルヴァスティ(
ja8206)もチームを組み、家庭料理を振舞う予定だった。
東城 夜刀彦(
ja6047)の戦意はすでにMAX状態で、様々な種類の包丁を回し車のように回してジャグリング中。
「ううぅ……。希、キンチョーしてきました」
「大丈夫ですわ。部長さんのためにも、自信をもっていきましょう」
真新しい割烹着の裾をぎゅっと握り締める都築希。解説役をする予定だったが、参加者の一人である水無月 葵(
ja0968)にサポートを請われ、急きょ出場することになったのだ。
そして時は来た。
試合開始の合図と共に、9人の戦士はそれぞれの舞台へと駆け出した。
●人が舞う!食材も舞う!!
調理台へ辿り着いた葵は、手に取った大根を希へ差し出した。
「お願いします」
凛とした表情で告げる葵に応え、希は包丁を翻す。
「百花繚乱!」
型だけは様になっているが、実はまだ初心者の希。大輪の白菊がいつ椿に変化するか、見守る葵は気が気ではない。
実に危なっかしい手付きだったが、希は無事1つ目の菊花を作り終えた。
それを見届けた後、葵は一礼をしてギャラリーを見据えた。
「こちらにありますは時鮭。季節を違えたとは言え、脂がのっており、大変美味ですわ」
まずは食材の説明から。材料を理解して貰うことも、格闘料理の目指す道なのだ。
そして葵は舞を披露する。
極限舞踏――その速く丁寧な手捌きに、ギャラリーは瞬く間に惹きこまれていった。
◆
メイド服を纏う桜子が戦う相手は名古屋民のソウルフード、味噌カツだ。
トンカツはシンプルな料理だが、その分ごまかしが効かないな難敵である。女の柔腕で立ち向かうことができるのだろうか?
――トントン、トントン。
カロリー重視の運動部系男子が見守る中、軽快に、テンポ良く、肉を叩いていく桜子。
――ドンドン、ドドド……
その音が、次第に高く、豪快になっていく。
「豚が!この豚が!どんどん叩いてやりますわ!どんどん美味しくなりなさい!」
まな板で踊る肉に血が滾るのは女の子という性質故か?高笑いを交える桜子の姿に、ギャラリーも熱く昂ぶっていく。
……ちょっと待て。誰だ。今、『あの肉になりたい』と呟いたのは?!
◆
着々と演舞が繰り広げられる中、何故か無人の舞台が1つ。先ほどまで夜刀彦が下ごしらえをしていたはずなのだが、一体何処へ行ったのだろう?
……居た!隣接する調理台で、妖艶な美女2人に挟み撃ちにされている。
これはまさかの場外乱闘か?!
「いくわよぉ〜。切断連携☆舞踏刃(ダンシングエッジ)!」
最初に動いたのはジーナだった。躊躇いもなく、獲物(夜刀彦)に向かって凶器(人参)を投擲。
迎え撃つ夜刀彦は包丁を巧みに操り、襲いくる人参の槍を粗めの微塵切りに変えていく。
しかしこれでは後ろが隙だらけ。
絶好のチャンスを逃すまいと、背後に回っていたアイリが一気に間合いを詰めた。
手にした白い布で一気に包み込む作戦か?固唾を呑むギャラリーの前で、アイリは切り刻まれた人参を全て受け止める。
(ふ……お宝(食料)は一欠片たりとも零さないわよ……!)
この場は私に任せろ、と視線で告げたアイリに、ジーナは不敵な笑みで頷き返す。
「紅雨・五月雨切り!」
「同じく銀雨!
大根、ジャガイモ、椎茸……切り損ないや受け損ないが無いようタイミングを見計らい、迅速かつ丁寧に放り続けるジーナ。
そう。これは対決ではなく連携技。
チームの垣根を越えた連携に、ギャラリーの応援も盛り上がりを見せる。
「いきます、桜吹雪!」
最後の大蒜は、その技が示す通り花びらのように舞い散った。
アイリも最後まで食材を落とすことなく受け終わり……
「「「〜〜〜♪」」」
大掛かりな連携技の成功を祝い、3人は歓喜の笑顔でハイタッチを交わした。
◆
出場者の中で唯一スイーツを予定しているイギリスチーム。
ギャラリーの大半が幅広い年齢層の女生徒で占められているのは、きっとそれだけが理由ではないはず。
年頃の女の子にとっては、料理人のルックスすら最高の調味料になりえるのだ。
初端に魔法を織り交ぜた連携技で食材をカットする大技を魅せた彼らは、少女達の歓声の中で演舞を続ける。
グラルスが提供するメイン料理は、彼の故郷で、昔から愛され続けているポークパイ。
パイの命とも言うべき生地を、グラルスは指先で器用に回してこね回す。
遠心力を利用し、気泡を潰すことなく適度に伸ばしているのだが、ここまでは一般的にも行われているパフォーマンスである。格闘料理としての本領は、これからだ。
「カーディスさん、お願いします!」
左右の手で交互にパイ生地を回した後で、グラルスは相方に向かってパイ生地を放り投げた。
まるフライングディスクのような軌道を描くパイ生地は、予想に反して明後日の方へ飛んでいく。
受け取る役を担うカーディスは即座に迅雷を行使。素早く落下地点に回り込むと、ジャンプ一番、見事に皿でキャッチ!
「あぶないあぶない。食材を無駄にしてしまうなんて……アレに呪い殺されます;」
ニッポンにはご飯を残す子供の前に現れるお化けがいるらしい。初めてその存在を知った時の恐怖を思い出し、カーディスは密かに身を震わせた。
◆
これまで地味(他のチームと比べれば)な作業を続けてきた忍の調理台に動きがあった。
新潟名物の治部煮と戦う彼女が手にするは黒光りする鈍器――もとい、1本の鰹の荒本節。
「この艶、この堅さ、もう最高〜」
力強く反り返った体を恍惚とした表情で愛で眺めた後で、忍はその堅肌を鉋の刃に押し当てて……
「うりゃ〜〜〜っ」
と、一気に押し引いた。
この瞬間、奇跡的に必殺技を行使する者が他にいなかったため、忍の叫びは会場中に響き渡った。
次々と薄い帯を削ぎ取られていく様子は、時代劇の有名な迷場面を彷彿とさせる。
「ん〜。よいではないか、よい出来ではないか♪」
満足げに頷く忍。ギャラリーの前に披露された削り節は透き通るほどの薄さで、黄金色に輝いていた。
●食材達の七変化
怒涛のスタートダッシュは一段落したが、料理人達の戦いはこれからが本番。
油断してトイレ休憩に走ったギャラリーの帰還を待つこともなく、演舞は続けられる。
柔らかくなった肉の形を整えると、桜子は次の演舞へと身を進める。
「蒸衣!(じょうころも!)」
桜子の腕が右から左へ、真一文字に流れた。
一瞬の出来事だったので、ギャラリーは何が起こったのか理解できずにいた。
解説しよう!!
『蒸衣』とは、小麦粉をまぶした肉を卵に潜らせ、パン粉を塗す一連の作業のことである!
少しでもムラがあれば美しい衣に仕上げることはできない重要な部分でもあるのだが、桜子がトンカツの衣を蒸衣する時間は――僅か0.05秒?!
驚愕の速さである。
◆
さて。時代劇で『くるくる』の次に有名なシーンと言えば……それは当然、お風呂。
ヲトナのイロケを目指す忍の準備に抜かりは無かった。
「さぁ〜、たんと温まってね♪」
くつくつと煮える昆布出汁に、削り節を一気に投入!浮き出てきた灰汁を丁寧に救い上げる。
最後に程よく味が染みた出汁を漉し、サービスシーンは幕を閉じた。
再び食材を煮込むという地味な作業に戻る忍。
料理の完成を待ちきれないのか、ギャラリーの1人が出涸らしの削り節をつまみ食いしていたりするのだが……ここは見ないふりをしてあげるのが優しさというものだろう。
◆
ロシアチームとの連携を終えて無事に自分の調理台へ帰還した夜刀彦。
持参したクーラーボックスから、鰹と共に取り出したナマモノを見たとたん、ギャラリーは阿鼻叫喚に陥った。
不気味な笑みを浮かべたそれは、海の悪魔とも称される奇怪な魚――ウツボだ。
魚としての知名度はそれなりに有るのだが、食材としての認知度は、残念なことにとても低い。
「意外に美味しいですよー?」
きっぱりと言い切る夜刀彦。ドラム缶に藁を敷き詰め、本格的なタタキを作るのだという。室内だと言うのに、何と豪快な調理法だろうか。
本当は舞い上がった炎に紛れ、姿を消してみせるはずだったのだが……予想外の煙が夜刀彦の姿を完全に覆いつくす。
早く換気!換気!
◆
「頑張っているじゃないか」
隣で奮闘する少年を眺め、海賊娘は静かに微笑んだ。
自分も負けていられないと、ボルシチ作りに力を入れる。
「ふっ」
アイリは掲げたキャベツを空中へ放り投げ、今度は自ら包丁を一閃させて3つに分断。
――英国式抜刀術!
(あっ、技名思い浮かばなかったわ……!)
誰かが叫んだ必殺技を聞き、自身の初歩的なミスに気付いたアイリ。
だからと言って手を止めることは出来ない。表情を変えることなく、そのまま繊切りへと移行する。
――ミラクルなんとか斬り!
(……いいのよ。どうせ技名のセンス無いし……)
気の利かない自分にちょっぴり落ち込みつつも、アイリは直向に演舞を続けていく。
もっともギャラリーの中には無言の必殺技に趣を見出す者もいたりする。
彼らは心の中で叫ぶ。
……技名なんて飾りです。負けるな、アイリ!
◆
ちょっぴりアクシデントはあったものの、グラルスのポークパイはオーブンという揺りかごへ委ねられた。
しかし彼の演舞は終わりではない。借りた恩を返すことは英国紳士の大原則。今度はグラルスが相方を援ける番である。
その任務はトライフルの出来栄えを左右するとも言える大事なものだった。
「灰簾よ弾けろ、タンザナイト・ダスト!」
掛け声と同時に放たれた氷の礫が、生クリームが入ったボウルを凍てつかせる。
今度は威力、タイミングともばっちり決まった。程よく冷やされた生クリームを、カーディスが手早く泡立てていく。
ピンと立った角に、女生徒達の間からため息にも似た吐息が漏れた。
少女達は思う。分離させることなくクリームを作ることが出来るのなら、格闘料理も悪くは無いと。
想いを寄せる人に手作りのケーキを贈るため、ギャラリーの中からダァトを探し始めたりしているようだが……
誰か止めてあげて。きっとボウルも恋心も全て粉砕されるから!
◆
立ち込めた香りにギャラリーのお腹が返事をする。
恋しい相手を一目見たくても、彼女は銀色の紙に身を隠していて、姿を窺い知ることはできない。
葵が育てている愛娘は、北海道の代表的な郷土料理であるチャンチャン焼き。切り身ではなく半身丸ごと調理するあたり、さすが北の大地といったところか。
葵は他にアラ汁と刺身の盛り合わせも用意していた。
食材は骨まで残さず使い切り、希の清白乱舞も無駄にしない。それはまさに格闘料理研究会の目指す道。
葵自身と希の想いが詰まった料理達には、美味しさ以上の温もりがたっぷりと込められているのだ。
◆
狐色に炒めた玉ネギがうまい具合に冷め、ピロシキ作りも大詰めに差し掛かる。
「んふふv せっかくだから夏っぽくしようかねぇ…… いざ! 魚影連想!」
ふわふわに醗酵した生地に、タネを仕込んでいくジーナ。軽く手を返して形を整えれば、涼しげに泳ぐ金魚の形が出来上がる。
野菜入りはスマートな和金っぽく。挽き肉を入れた方はマルッと太った茶金形に。判りやすいよう形を変える心遣いも忘れてはいない。
そうして完成した金魚達は、続々と高温のオーブンへと放たれていく。
――ピロシキって揚げパンだよな?
「日本で言う『おにぎり』みたいなものよぉ。あっちじゃオーブンで焼くのが一般的だけど、日本だと揚げる店が多いわねぇ」
本物のピロシキを、お姉さんが食べさせてア・ゲ・ル。
悪戯っぽくウィンクを投げかけるジーナ。
ギャラリーは『待て』を言い渡された子犬のように、純真な瞳で頷いた。
●最後はやっぱり大試食会。
・鮭のチャンチャン焼き
・鰹とウツボの塩タタキ
・お刺身いろいろ盛り合わせ
・ポークパイ
・味噌カツ
・野菜と挽き肉のピロシキ
・キャベツたっぷりボルシチ
・アラ汁
・鴨肉の治部煮
・トライフル
台の上に並べられた国際色豊かな料理に、ギャラリー達は待っていましたとばかりにが群がり食す。
「味噌カツ美味しいですよー、サクサクジューシー美味しいですよ」
「そこのボクぅ、押しちゃだめよぉ?ちゃんと並んでねぇ〜」
食欲一直線な男は油断すると争奪戦を始めてしまうで、料理戦士達はその場を仕切り、給仕に勤しむ。
料理の説明を交え淑やかに振る舞う葵と、独特の感性でエロっぽくレビューする忍。まるで正反対の2人だけど、花も団子も等しく愛でる者達にとっては嬉しいサービスだ。
もちろん中には団子より花が大事という者もいる。
少女達にレシピを問われたイギリスチームは、菓子作りのコツを丁寧に伝授してあげた。
その頃。演舞で力尽きた夜刀彦は、会場の陰でこっそり一休み。
「はい、『あーん』して」
心配して様子を見に来たアイリに介抱され、心身共に疲れを癒していた。
楽しい時間はあっという間に過ぎていく。
用意された料理は全て食べつくし、最後は皆できれいに後片付け。
ギャラリー達の中には格料研への入部を決めた者も居たようで、格闘料理大会は大盛況のまま、幕を下ろした。
ごちそうさまでした。