●ウサギに誘われて
西の稜線に陽が沈む。
薄闇に包まれた森はとても静かで、わずか百メートル先で惨劇が起きている事など想像すらできない。
『今日も天魔退治(`・ω・´) がんばるなう』
走りながらも器用にスマホを操作するルーガ・スレイアー(
jb2600)。
こんな時に不謹慎な、と思う人もいるだろうが、SNSは救助を待つ大学生と連絡を繋ぐ、数少ない連絡手段なのだ。
「倒れた男2名、ウサギが近づく様子はないようだぞー」
天魔が興味を示さないのは、単に男達が動かないせいか、それとも……。
「まだ生きているのかもしれないのなら、急がないとね」
希望の方に理由を託したフローラ・シュトリエ(
jb1440)に、御影 蓮也(
ja0709)が無言で頷く。
負傷者を犠牲者に変えるわけに行かない。
それぞれに思いを秘め、撃退士達はコテージ村の入り口を潜り抜けた。
ばりばりばり、ぼりぼり。みゅっ、みゅっ、みゅー……。
やがて聞こえてくる奇妙な音。
刈り揃えられた植え込みの向こうを覗くと、数匹の毛玉達が動き回っているのが見えた。
角を持つウサギ――ジャッカロープはビールを舐め尽くしてしまったらしく、今は周辺の設備に噛り付いていた。
木製のベンチは見る影も無く、硬いレンガや金網まで貪る様子は、さすが天魔といったところである。
「危険じゃなかったら可愛がられたのにな〜」
「確かに。残念極まりないな」
天使の愛らしさと悪魔のごとき凶悪さを併せ持つウサギ達に、滅炎 雷(
ja4615)とギィネシアヌ(
ja5565)は口を揃えてため息を吐いた。
「うわぁ……可愛い顔して、えらくご立派なモノをお持ちで……」
雄々しくそそり立つ2本の角に何を想像したのか?
セラフィ・トールマン(
jb2318)は顔を背けた。恥ずかしそうに両手で顔を塞ぎつつも、指の間からしっかりと覗き見ている。
「……ん。ウサギ。ちゃんと。10匹?」
黒毛と。茶毛。白のモサモサ。僅かな隙間を覗き見て、最上 憐(
jb1522)は敵の数を確認する。
「反応は12個あります」
右手のコテージ傍に10体。中央付近に2つ――生命探知を試みたセラフィが地面に描いた見取図を見て、撃退士達の表情に歓喜の色が浮かんだ。
天魔に襲われ倒れたままの男達。彼らはまだ生きているのだ!
撃退士達は頷きあうと、当初の手筈通り、囮と救出を行う2手に分かれ、行動を開始する。
「……ネア」
橋場 アトリアーナ(
ja1403)は、救出班として別行動を行う義妹の肩を叩いた。
「……ネアはネアの、ボクはボクの役割を。がんばる」
何か? と振り向いたギィネシアヌは、返事の代わりに親指を立て、不敵な笑みを見せた。
信頼しているからこそ、安心して背中を任せられる。
信頼されているからこそ、命を懸けて守り抜きたいと思う。
それは彼女達姉妹に限った事ではない。
共に戦う仲間のため。救助を待つ、名も知らぬ誰かのため、撃退士は戦うのだ。
●3月のウサギと酒の宴
「可能な限り多くを引き離さないとな」
救出班が待機に入った事を確認した蓮也は、持参した缶ビールのプルタブを開けた。
「うまく食いついてくれよ」
静かに缶を揺らし匂いで気を引いてから、ジャッカロープの数メートル手前に狙いを定めて放り投げた。
突然降ってわいた缶ビールを前に、ジャッカロープは後ろ足で立ち上がり警戒しているようだった。
頼む。引っ掛かってくれ――固唾を呑んで状況を見守る撃退士達。
重い沈黙がどれだけ続いただろうか?
最初に動きを見せたのは、体の小さな茶色の毛玉だった。
それが引き鉄となり、それまで互いを牽制しあっていたジャッカロープは、“お宝”を独り占めするため、我先にと駆け出した。
「お酒が好きなんでしょう。これでどうかな?」
狙い通りおびき寄せられたジャッカロープの前に、雷は新たな缶を転がした。
アトリアーナも周囲にビールを撒き散らし、地面のあちこちに水たまりを作っていく。
広場に充満するビールの匂いに、ジャッカロープは狂喜乱舞する。
お酒をくれた撃退士の存在は全く無視。立木を揺らしたアトリアーナの雷打蹴すら意に介さず、酒宴を愉しみ続けた。
「酒が好きかー貴様らー! ならー、こいつでどうだー!」
ルーガは頭からウォッカを被り、ジャッカロープの前に仁王立った。
――お酒の匂い。
――今までとは違う、魅惑の匂ひ。
何か目の色が変わった!?
ジャッカロープはウォッカを奪うため、突撃を開始した。その勢いはまさに弾丸一直線。
『『サケスキー』』』
「 (((( ̄口 ̄;)」
ジャッカロープの過激極まりない求愛を前に、ルーガは盾を構える余裕もなく逃げ回る。
「……ん。抜き足。差し足。忍び足。そして。奇襲」
絶体絶命のルーガを救ったのは、直前まで茂みに身を潜めていた憐だった。
音も立てずにじり寄った憐の影から闇が湧き出し、ジャッカロープの視界を塞いでいく……。
◆
仲間達が敵を引き付けている隙に、ギィネシアヌ、フローラ、セラフィの3人は負傷者の元へ走った。
現場はまさに血の海だった。錆の匂いが鼻に突き刺さる。
そこに倒れる2人は蝋人形のように蒼白く、広場に降り注ぐ照明の中で、凄惨なコントラストを描いていた。
「できるだけ急いでな」
腕に巻きつけたカドゥケウスの蛇を巻きつけたギィネシアヌが囁いた。
敵はすべて囮班が引き寄せてくれている。付近に隠れている敵もいないようだ。それでもギィネシアヌは油断することなく、銃を構えて警戒を続ける。
撃退士達は負傷者に負担を掛けないよう慎重に、そして素早く抱え上げるとコテージへ急いだ。
コテージの扉を潜った撃退士達を待っていたのは、大学生達の歓喜の声だった。自分達が助かった事よりも、仲間の生存を喜び、涙を流して礼を言う。
負傷者をベッドに運んだ撃退士達は、すぐに応急手当に取り掛かった。
「ひどい……」
露わになった傷を見て、女子部員の1人がその場に倒れ、男性達も顔を歪めて吐き気に耐える。
脇腹を抉られた部員は辛うじて意識を保っていた。
フローラや部員達の呼び掛けに対し、自分は大丈夫、と瞼を動かして答えを返す。
「ちょっと沁みるけど、我慢してね」
そう言ってフローラは手早く傷口を水で洗い流す。続けて施した治癒膏によって、出血は少しずつ治まっていった。
容態は、もう1人――初撃を受けたという部長の方が遥かに酷かった。
腹部を完全に貫かれており、呼吸も浅い。見開かれたままの瞳からは、今にも光が消えそうだ。
「……これはかなりマズいですね」
セラフィは頭上に冠した輪から桃色の光を放ち、部長の傷を穿った。
違う意味で“楽”になりそうな施術だが、アフェクション――慈愛の名が示す通り、これはれっきとした治療術。
アウルによって顕現する治癒の奇跡は、決して万能なものではない。
細胞を活性化し、生物自身が持つ自己回復能力を高める“手助け”をするだけなのだ。
傷を塞ぐ事は出来ても、失った器官は取り戻せない。
それでも、力なき人間の生命力は、誰が思う以上に強かった。
奇跡を信じる仲間の声と撃退士の力に支えられ、死に瀕していた男は僅かながらに回復の兆しを見せる。
まだまだ予断は許されないけれど、希望は繋がった。あとは一刻も早く、医療機関に搬送するだけだ。
「俺たちは撃退士だ。すぐにカタをつけてやるぜ、大船に乗ったつもりでいるがいい」
化け物なんてさっさと片付けてやる、と不敵な笑みを見せるギィネシアヌ。静かに扉を開け、仲間の援護をするため戦地へと駆けだしていく。
「皆さんをお願いね」
氷の刃を持つ剣を手にしたフローラも後に続いた。
セラフィは1人コテージに残る。
負傷者の命を繋ぎとめるために。そして大学生達を励ますために。
人間の皮を被った小悪魔も、この時だけは本当の天使になっていた。……はず。
●ウサギと踊れ
――負傷者、保護完了!
その一報を受け、ジャッカロープの足止めに重点を置いていた撃退士達は、攻勢に打って出る。
「ピョンピョン跳ねてないで落ちていろ!」
臨戦で士気を高めた蓮也は巧みにカーマインを操り、混乱するジャッカロープを捕らえた。大きな角に邪魔をされ、狙った首には届かなかったが、構わずに曳き落とした。
直後に弾丸のような反撃。蓮也はそれを軽く身を捻って避ける。
「軌道は直線的だな。単純で先が読みやすい」
蓮也は振り子のように戻ってきた攻撃も難なく躱し、無防備な側面に再びカーマインを放った。
今度こそ首を絡めとり、ピンと張った糸を指で弾く連夜。
まずは1匹。確実に仕留めていく。
1体のジャッカロープがアトリアーナに狙いを定め、至近距離から突撃する。
「義姉さんには角一本触れさせやしねーぜ」
その危機を救ったのは、負傷者の救出を終えて援軍に回った妹・ギィネシアヌだった。
大蛇の幻影を纏い襲いかかる弾丸を前に、ジャッカロープは毛を逆立てて怯え、動きを止めた。
「ありがとう、ネア」
寸でのところで串刺しを免れたアトリアーナは、斧を構え、ジャッカロープと向き直る。
「これ以上誰かを傷付ける前に倒させてもらうわよ」
撃退士の包囲網を抜け、コテージの方へ走り出したジャッカロープの前に、フローラが立ち塞がった。
ジャッカロープは澱んだ空気に包まれ、急速にスピードを落としていく。
澱みの正体はアイス・ザント――細やかな氷の結晶は毛玉に纏わりつき、その動きを封じていく。
数秒後。ジャッカロープは地を駆ける姿のまま彫像となって転がった。
「えいえいー、ウサギごときがー、私にかなうか馬鹿者めー」
『バカノモメー』
「むむむー、おのれー」
槍と角で激しい鍔迫り合いを繰り広げるルーガ。
その一騎打ちに水を差すように、2匹のジャッカロープがにじり寄る。
「纏めて焼き払ってあげるよ! ぜひ盛大に燃えていってね!」
雷の掛け声と同時。彼らを包み込むように、アウルの力が一転に収束する。
不穏な空気に気付いて逃げ出そうとした個体も漏れなく巻き込み、ファイアーブレイクが炸裂した。
ジャッカロープ達は神話に出てくる白ウサギのように、赤剥け状態で地面の上を転げ回る。
ちょっぴり可哀想に思えてくるが、人間に危害を加えるなら見逃すわけにはいかない。
心を鬼にして、雷は止めを刺すため、再び手の中に炎を呼び出した。
怒涛のような攻撃を受け、ジャッカロープは次々と数を減らしていった。
撃退士達の猛攻の追い風となったのは、憐が発する煙幕だ。
彼女の影から生み出される闇がジャッカロープの目を静かに撫で、視覚を奪っていく。
「……ん。目潰しした。今の内に。攻勢を。強めよう」
敵を捕捉できないジャッカロープは動けない。もっとも危惧するべき突進を封じてしまえば、もはや恐れる物は何もなかった。
冷徹な表情の下に闘争心を秘め、左目に紅い光を宿したアトリアーナが斧を構える。
向けられる殺気だけを頼りに突進したジャッカロープは、自ら刃に飛び込む形で地に堕ちた。
頭を割られても絶命には至らない。天魔ならではのしぶとさで立ち上がるジャッカロープに、ギィネシアヌは止めの銃弾を撃ち込んだ。
互いに信頼しあう姉妹は、息の合った連撃で1体ずつ着実に、敵を屠っていく。
――みーっ、みーっ!
悲鳴のような音が響く中、追い詰められたジャッカロープはふるふると体を震わせ、円らな瞳で許しを請う。
「そんな角をつけておいて小動物を装ってもな。躊躇なんてするわけもない」
カーマインを見せつけるように掲げ持ち、1歩を踏み出す蓮也。
――みーっ、みーっ、みーっ!
「そっちには一歩たりとも行かせないよ!」
森の中へ逃げようとしたジャッカロープに、雷は慌てることなく異界の呼び手を行使する。
無数の腕で動きを封じたところで、フローラが素早く追撃し、止めの一撃を打ち込んだ。
――みーっ、みーっ、み……。
残るはあと1匹。
穴の開いた鉄鍋に頭を突っ込んだジャッカロープの背に、憐が音も無く歩み寄った。
「ん……。これで。終わり」
ためらいも無く、自分の背丈よりも長く大きなピコハンを打ち降ろし、鉄鍋ごと頭部を粉砕した。
●ウサギに見送られて
暗闇の中で赤色灯が輝いている。響きわたるサイレンはまさに勝鬨の声だ。
「んー……。今回は何かたくさん働いた感じがする」
アストラルヴァンガードとして負傷者の命を繋ぎ続けたセラフィは、去っていく救急車を満足げに見送った。
「これで終わったかな、それにしてもお酒が好きなんて変わってる天魔も居るもんだね〜」
負傷者を搬送する救急車を見送った雷は、そう言って後ろを振り返る。
酒好きではないけれど、文明の益に毒されている悪魔なら、ここににも1人居る。
「ふ……今日もよく働いたぞ( ´∀`) これでまたソシャゲに課金で……(゜д゜)!」
ルーガの顔色が、見る間に変化した。スマホの画面が真っ暗になっていたのだ。
なぜだ? なぜ反応しない?!
そして彼女は思い出す。戦闘前、敵を引き付けるため、自分が何をしたのを。
「……ん。電池のせい。さっき。ずっと。鳴いてた」
食べ残しを片付けていた憐の冷静な分析を受け、予備の電池に繋がれたスマホは無事起動を始めた。
「お疲れ様であるよっ」
ギィネシアヌが差し出したタオルを受け取って、アトリーナは僅かに顔を緩め、笑みを見せた。
「こっちも終ったわ。この荷物、後で届けてあげましょう」
ジャッカロープの躯を回収した蓮也と、コテージの最終チェックを終えたフローラが合流を果たし、任務は一通り完了。撃退士達は岐路に付いた。
ふと、後方から聞こえた足音に振り向けば、そこに居たのは1羽のウサギ。もちろん頭に角なんか生えていない、ごく普通の野ウサギだ。
その背後に数個の小さな毛玉が動いているのを見て、撃退士達の顔に、自然な笑顔が浮かんだ。