●2人の少女達
寮の事務室へ通された撃退士達を待っていたのは、連続失踪事件のグループメンバーである2人の少女だった。
他の寮生に聞かれたくない話もあるだろう、と気を利かせた教師が、独自に面会時間を設けてくれたのだ。
俯いて肩を震わせている恵は、弓弦に励まされながら、これまでの経緯を説明する。
「いじめのう……人の業といえば業じゃのう」
うんうん、と腕を組んで頷くクラウディア フレイム(
jb2621)。どことなく幼さを残す印象を与えるが、こう見えても齢三ケタの天使である。
「イジメられた子が偶然天魔に関わって復讐とかあるかもね」
「梓は使徒じゃない。こんな事をできる子じゃないわ」
恵の証言から正体不明の“敵”を推測した神喰 茜(
ja0200)を、弓弦は強く睨んだ。
「でも、失踪した面子から、その可能性は高いですよ」
寮に溶け込むため女装をし、清子と名乗る楯清十郎(
ja2990)が、ずり落ちる肩紐を気にしつつ、茜の意見に同意を示した。
被害者に何か共通点がある場合、そこに関係する者が犯人である可能性が多い。そして『被害者の1人=犯人』という公式は、ミステリ小説の中ではよく見られるトリックだ。
「些細なことでも人の心にヒビが入れば痛い思いを誰もがする。それをやりすぎてしまったら、また事件は再発するだろう」
雁鉄 静寂(
jb3365)が口にした言葉は、恵だけに掛けられたものではない。自分を含めた撃退士に対しても当てはまることだ、仲間を見渡した。
これまで様子を見守っていた夜姫(
jb2550)が静かに口を開く。
「心配は要りません、貴方には必ず『次』があります。その為に私達が来たのですから」
弓弦と撃退士達に励まされ、恵は少し落ち着きを取り戻した。
「よーし、頑張るぞー!」
場の重い空気を払拭するように、紅葉 虎葵(
ja0059)が一人鬨の声をあげた。
――寮生へ紹介を受けるため食堂へ案内される撃退士達の後ろ姿を、静かに見つめる目があった。
(おかしなことを言うのね。償いなくして“次”などありはしないのに……)
声にならない言葉は、誰の耳に聞きとめられることもなく、虚空に消えた――
●1日目 午後7時
夕食の間に仲良くなった寮生から話を聞き、虎葵は夜中に歩き回るという像を確認しに行った。
竜を踏んで剣を掲げる天使は、どこから見ても単なるブロンズ像だ。
『やっぱり異常なしだったよ』
噂は噂でしかない。調査結果を聞かされ、茜はさもありなん、と肩を竦めた。
「……さて。先は長いんだから、頑張らないとね」
準備運動をするようにぐっと背伸びをし、茜は再び周囲に注意を張り巡らせた。
清十郎と夜姫は寮内を回り、失踪した少女達の部屋を確認していく。
梓の机に残されていた写真は、グループで写した物だけだった。
どれも梓が端に立っている事は気になるが、特段怪しい様子はなかった。
「怖いです。恵だけじゃない、あたしも狙われるかも。だって同室だったんだから」
少女は俯いて爪を噛む。
「必ず貴方達を守りますから、大丈夫です」
どうすれば不安を消してやることができるだろうか? 悩んだ夜姫は、彼女の頭を優しく撫でてやった。
「……よく眠っていますね」
弓弦の手を握ったまま、恵が静かな寝息を立てている。
微笑ましい光景に静寂の顔に自然に笑みが浮かんだ。
「安心したのじゃろう。ここ数日全く眠っていなかったらしいからのう」
枕を抱いて悶々としているクラウディア。
いつもであれば英気を養うために酒を飲むところだが、神聖な学び舎であることを考慮し、我慢しているのだ。
「天使って、お酒好きな人が多いんですね」
「人間界の酒は格別じゃからのう」
くすくすと笑いながら尋ねる弓弦に、クラウディアは何故か自慢げに答えた。
撃退士達に見守られ、時は静かに流れていく。何事も無く、ただ平穏に。
もちろん、それは嵐の前の静けさなのだろう。
肌に刺さる緊迫感を感じながら、撃退士は1度目の朝を迎えた。
●2日目 午後23時30分
――恵を連れて行きたいけれど、撃退士が邪魔をする。
どうすれば良いのか。静かに考えを巡らせた少女は、1つの決断を下した。
(おいでなさい、クリストフ。今夜は自由に暴れて良いわよ)
(フレデリカ、貴女はもう少し待っていて……)
少女の思念を受けた眷属は、最期の務めを果たすため、ゆっくりと立ちあがった――
寮の裏庭を見回っていた夜姫が不自然な水音に気づいたのは、ローテーション交代まであと少しとなる頃だった。
夜姫はゆっくりとフェンスへ近づいた。暗い川面に懐中電灯の灯りを泳がせ、様子を探る。
その僅かな光の中に捉えられたモノは……。
「天魔です! 数は1、形状は――大きなカエル!」
初撃を耐えた夜姫は、反撃をするより先に、携帯へと手を伸ばしていた。
◆
非常ベルが鳴り響く中、寮生は避難を急ぐ。
中には恐怖で泣き出す者もいたが、互いに励まし合い、パニックは最小限に留められていた。
自力で歩けない恵を食堂へ運んだ茜は、蛍丸を手にすると折り返すように窓から身を躍らせる。
「残月の光にて殊類と成るも、その爪牙を以て災禍に立ち向かわん――」
虎葵は祝詞を唱え、己を鼓舞した。天真爛漫な少女の表情が、戦士のそれへと変化した。
「御武運を」
「こういう拉致したがる場合は、眷属どもを使役する者が傍に居る可能性があるのじゃ! 要注意じゃぞ!」
襲撃者を迎え撃つ仲間を見送る一方、静寂とクラウディアは寮内に残ったまま、何処かに身を潜めているだろう上位天魔の襲撃に備えた。
「……足音が聞こえるのじゃ」
「やはり外は陽動だったのでしょうか」
コツ、コツ、と硬い靴底が床を蹴る音が響いている。
2人は頷きあって、次第に近づいてくる足音の主を待った。
やがて姿を現したのは、細かな細工が施されたドレスを纏ったビスクドール。
「気を付けてください。恐らく天魔です」
静寂の判断は的確だった。それは撃退士の存在に気付くと、驚くほどの跳躍力で床を蹴り、肉薄してきた。
可愛らしい顔を鬼の表情に変え、人形は白い霧を吐き散らす。間合いを取る暇も無く巻き込まれた2人は、強い眩暈に襲われた。
「特殊効果攻撃じゃと? 無駄じゃ! わらわなら耐えてみせるぞい!」
意識が飲まれる前に、クラウディアは強靭な精神力で闇を振り払った。機械剣を構え、人形へ斬りかかった。
静寂もゆっくりとした動作でシルバーマグを構えた。その銃口はクラウディアへ向けられていて……。
「な、何をするのじゃ?!」
不意討ちにも近い形で銃撃されたクラウディア。撃ち抜かれた肩が焼けるように痛む。
「…………」
静寂の瞳は虚ろで、心在らずといった様子だ。
まさかの同士討ちに悲鳴を上げる寮生の目の前で、静寂は再び照準をクラウディアに合わせた。
◆
人の背丈を超える高さのフェンスが飴細工のように曲げられた。
敷地の中に入り込んだトードは、周囲に点在する彫像に目をくれることなく真っ直ぐに食堂を目指した。
「もうすぐ1班が来てくれます。それまで2人で耐えきりましょう!」
血晶を取り込むことで自身の傷を癒し、清十郎は飛龍翔扇を手にトードと向き合った。
激しくぶつかり合う度に、寮の中から少女達の悲鳴が響く。
彼女達の恐怖を少しでも減らすため、夜姫は牽制の矢を放ち続ける。
しかし下等な眷属といえどやはり天魔、腕力に任せた力技は侮れない。更に睡眠など精神に影響を与える特殊能力を警戒していたこともあり、撃退士達はじりじりと追い詰められていった。
もう、後がない。
トードが喉を膨らませ、撃退士ごと建物を突き崩そうと手を振り上げた。
一陣の赤い風が戦場を駆け抜けたのは、その時だった。
「お待たせっ!」
茜が放った烈風突の一撃で、トードは再び川の中へ戻された。
それでもトードはしぶとく這い上がり、1つしかない目玉で新たな獲物を見定める。
「間違いありません。敵はサーバント……。使役する者も、傍に居るはずです」
体勢を整えるため一度後方に下がった夜姫は、戦いの中で得た情報を端的に伝えた。
トードに対し繰り出す攻撃が、普段以上の手ごたえを感じたのだ。一方で自身が受ける一撃は重く身体に圧し掛かる。これは、互いのカオスレートが対立しあっている証だ。
「紅葉さん、下がって!」
トードが大きな口を開けた事に気付いた清十郎が警告を発する。
敵の注意を引き付けるため、タウントを発動させた虎葵をトードの舌が襲った。咄嗟に『天地の凪』の構えを取るが、呼び出した護剣ごと絡め取られ、口の中に引き寄せられた。
「今、助け出します」
夜姫は雷を纏った一撃でトードを昏倒させた。力ずくで口をこじ開けるが、そこに虎葵の姿は無く、ただ暗い空洞が広がっているだけだった。
「直ぐに離れなきゃ駄目!」
意識を取り戻したトードが動き出す。
危うくミイラ取りがミイラになりかけた夜姫を、茜が体当たりで押しやり、難を逃れた。
べっとりとした内壁が身体に絡みつき、肌がヒリヒリと痛む。
飲み込まれてなお、虎葵は抵抗を続けていた。
朱星、流星……体得した技を駆使するも、上も下も判らない状態では満足な攻撃を繰り出すことはできず、弾力のある内壁に衝撃の殆どを吸収されてしまう。
おまけにトードが動くたび激しく揺さぶられ、平衡感覚もぐちゃぐちゃだ。
「でも、諦めるわけにはいかないんだよよょ」
ほんの少しでもダメージを与えられるなら、何度だって斬りつけてやる。
諦めない限り、剣の楯は決して折れることはないのだから。
「いい加減に吐き出しなさい!」
仲間が囚われている腹部を狙い、茜は渾身の力を込めて刀を振るい続けた。
『ゲロッ』
何度目かの打撃の直後、トードの一つ目が裏返った。白い腹が不自然に脈を打ち、腹の中に納めていた虎葵を吐き出した。
「早くこちらに」
清十郎が素早く駆け寄り、体液に塗れた虎葵を追撃の届かない位置に避難させる。
「……酷いですね」
抱き起そうとして酸に触れた肌が赤黒く腫れていることに気付き、清十郎は顔を顰めた。
すぐに治療したいところだが、傷を癒すことのできる仲間は今、ここにはいない。
「ありがと。でも、これぐらい大丈夫」
ちょっとヒリヒリするけど、動けないわけじゃない。虎葵は笑顔で礼を言い、剣を構え直した。
「これ以上長引かせるわけにはいかないわ。一気に決めましょ」
先刻から寮内から銃声が響いている。おそらく別の敵が現れたのだろう。
紅蓮のアウルを身に纏った茜の言葉に、撃退士達は無言で首肯した。トードの四方を取り囲み、じりじりと間合いと詰めていく。
「援護は任せてください」
絡み取られさえしなければ受防も有効。清十郎は発射された舌を盾でがっしりと受け止めた。衝撃で腕が痺れたが、耐えられないほどではない。
長く伸びきった舌を、茜が根元に近い位置でばっさりと斬り落した。
もっとも警戒すべき攻撃を封じることに成功した撃退士達は、タイミングを合わせ、次々と攻撃を繰り出していく。
茜の薙ぎ払いを受けて動きが止まったトードの喉元を、独楽のように舞う虎葵が白光の刃が一閃する。
夜姫に続き、それまで盾役となっていた清十郎も攻撃に転じ、着実に生命を削っていく。
途切れることのない猛攻の嵐にトードは抵抗する術もなく、ついに白い腹を天に向け、倒れた。
「“次”に行きましょう」
呼吸を整える間もなく、未だ戦いを続ける仲間に加勢するため、撃退士達は踵を返す。
その時。食堂の窓を突き破り、飛び出してきた人影があった。
●そして誰も……
「禁酒の恨みを思い知るのじゃ!」
八つ当たりにも近い掛け声を発し、クラウディアが機械剣を振るう。
「これ以上被害を出すわけには行きません。何としてでも……」
静寂も銃を撃ち続けるが、人形の動きはとても素早く、なかなか捉えることができずにいた。
「後を頼みます、フレデリカ」
前触れも無く響いた声は、どこかで聞いた覚えがある物だった。
声の持ち主を思い出すより早く、それまで無心に攻撃を繰り返していた人形の動きが変化した。
跳躍し、天井を蹴って撃退士達の頭上を飛び越える。向かった先は寮生のいる食堂だ。
ついに目の前に現れた天魔を前に、少女達は悲鳴あげて逃げ惑う。
しかし人形は寮生に爪を振るう事はなかった。代りに繰り出されたのは眠りをもたらす霧。巻き込まれた少女達が次々眠りに落ちる中、1人だけ変わらず立ち続ける者がいた。
愛おしそうに恵を抱いた弓弦が。
「まさか、おぬし……」
天魔の能力に晒されて、抵抗できる人間はそういない。いるとすれば、それはアウル能力者。もしくは……。
声を震わせるクラウディアに、弓弦は静かな微笑みを向けた。
今にして思えば、気になる部分はいくつかあった。
最初に会った時、弓弦は確かに言っていた。『梓は“使徒”ではない』と。
サーバントの出現で寮生達がどれほど怯えていても、弓弦だけは不思議なほどに落ち着いていた。
彼女は同じグループの仲間が次々と姿を消しても、恵のように怯えていなかった。
そして何よりも。最初の失踪者である梓と直前まで接していたのは、弓弦1人だけ――
――使徒の正体は、宮西 弓弦。
予想外の展開に撃退士の次手は遅れ、少女は使徒の手中に渡った。
素早く構えた静寂の銃は、人形に体当たりをされ、引き金を引くタイミングを失った。
寮生の安全を確保するため、天魔を食堂から引き離していた撃退士達の位置も、遠く。
僅か数秒の空白。
それでも使徒にとっては充分すぎる程の時間。窓を突き破った弓弦は、恵を抱えたまま川へと走る。
「宮西さん、なぜこんな事を。友達なんでしょ?」
「友達だからこそよ……」
烈火の勢いで問い正した茜に、フェンスの上に立った弓弦は静かな口調で答えた。
友だからこそ心の弱さから犯してしまった罪を戒め、償いの機会を与えた。今は主の元で魂を禊ぎ、共に冥魔と戦う時を待っているのだと。
「恵、私達はこれからも一緒よ。皆も待っているわ」
「行かせるものですか!」
放たれた一撃に背を撫でられ、弓弦は恵を抱えたまま、フェンスの向こう側へ落ちた。
直後に響いた水音。駆け付けた撃退士達が懐中電灯で照らしだしたが2人の姿は無く、名残の波紋だけが水面に漂っていた。
「今の……斬ったんですか?」
清十郎の問いに、茜は唇を噛みしめて首を横に振った。手応えは、無かった。
逃走した弓弦を追う事できない。戦いはまだ終わっていないのだから。
神代 深紅に捜査網の手配を託し、撃退士達は魔具を構え、弓弦が残したサーバントに向き直った。
寮生を守るという、任務を遂行するために――