●港に居座るアクマのサカナ
天魔出現の報を受け駆け付けた撃退士達は、係留されている船の前に陣取る天魔の姿を見て脱力した。
「騙されてはいけないのです!」
依頼人である都築 希はそう力説する。
気力を失ったオヤジのようにダラけているが、油断して近づけば、手痛い目に遭う、と。
「区別しやすいように、大きい方は『オクト君』、少し小さい方は『八ちゃん』と名付けておいたのです。……吸盤の並び方は、どちらもオスだったのです」
特殊攻撃をする際に前兆などはあるのか――白面のクライシュ・アラフマン(
ja0515)に問われ、希の顔は茹でダコのように赤くなった。
「……とても、すごかったのです」
ブツブツと何かを呟きつつ、地面に『の』の字を描き始める。
「船は猟師の命、港はその命の在処。 それを占拠するだなんて……許せません!」
きっとよほど恥ずかしい思いをしたのだろう。そう察した或瀬院 由真(
ja1687)は、さりげなく話題を逸らした。
「今はゆっくり休んでて。その無念はギア達が必ず晴らすから」
蒸姫 ギア(
jb4049)は希の頭を撫でて慰めてやる。
「あんだけでかいタコやったらたこ焼きいくつできるやろうなぁ……」
「普通のタコでしたら、きっと食べ放題でしょうね」
天魔相手に食欲をそそられた亀山 淳紅(
ja2261)。タコ焼きという言葉に、蒼波セツナ(
ja1159)が反応を示した。
「でかいタコは大味っちゅーし、煮ても焼いても食えんとは本当に迷惑なやっちゃなぁ」
大阪国民である以上タコ焼きに心を惹かれるが、古島 忠人(
ja0071)はアレは不味いと断言する。
「メスの方が柔らかくて美味しいのです……」
タコ食談義に盛り上がる仲間を、クライシュは何とも表現しがたい気持ちで眺めていた。
「……この国ではタコも食べると聞いてはいたが、初めて食った人間はどういう気持ちだったんだろうか」
出自上、鱗のない魚を食する習慣のなかったクライシュにとって、それは自然な疑問だった。
他にもウニとかナマコとか……異国の食文化は限りなく謎が深い。
「知っとる? タコの8本の足の内、1本は生殖器なんやってー。……その一本に捕まったら、嫌よなぁ」
淳紅の発言何気ない発言に、周囲が凍りついた。
そう考えていれば、必死になって回避能力が上がるかも、と軽い冗談のつもりで言ったのだが、近接戦を挑む者達にとって、それは気付きたくもない事実だったろう。
「こ、今回の相手は、然程苦戦も無さそうですし、九十七ちゃんは後方支援に徹しますのですのよっ」
十八 九十七(
ja4233)はあからさまに狼狽し、ぎこちない動きでスナイパーライフルを顕現させる。
「皆さん、気を付けるのです!」
タコ墨対策のためゴーグルを装着した撃退士達は、希の声援を背に、それぞれの持ち場に向かう。
まず考慮すべきは港の設備を守ること――少しでも船から遠くへ引き離すため、黒百合(
ja0422)は単身、タコの前に仁王立った。
「タコは大人しく酢の物か刺身に成り果てていればいいのよォ……♪」
挑発と共に繰り出した技は忍の奥義『ニンジャヒーロー』。
黒百合の圧倒的な存在感を無視することはできず、タコは遠目でも判る程に興奮し、移動を開始した。
雷霆を撃つより速いスピードで……
●港に吹き荒れるセクハラの嵐
2体同時の攻撃を受け、黒百合の小さな身体はあっという間に16本の足に囲まれる。
「……早すぎや!」
全周囲を囲まれた状態では、空蝉の術も効果を発揮しないだろう。
黒百合の身体にウネウネの足が絡みつく、何ともうらやまけしからん想像を振り払い、忠人が間に割って入る。
しかし黒百合は自前の回避力で軽々と危機を脱出。その結果、彼だけが足に絡まれ、簀巻き状態で引き寄せられてしまった。
「おらー! 舐めんにゃ……」
オクト君の足の付け根に口らしき穴を確認した忠人は、体内に火遁をぶち込もうと右手を突き出すが……直後、その『口』から現れたオウムのような鋭い嘴を見て、慌てて腕を引っ込めた。
カチカチを打ち鳴らされる嘴に恐怖するも、タコの足で猿ぐつわされているため、声を出すことができない。ジタバタする手足だけが、彼の危機を周囲に知らしめていた。
「今、助けます」
――Ihnen wird nicht ausgewichen(汝、逃れることかなわず)」
Geb Ihnen ein Verbrecher einen Freund(罪人よ、汝に友を与えん)……
セツナの唇と音が織りなす詠律と共に、幻影の鎖がタコに絡みついた。
巨体故に完全に拘束することはできなかったが、動きは十分に鈍くなった。すかさず由真が魔具をツインエッジ持ち替えて救出に向かう。
「ちょっと待ってくださいね。今、叩き斬りますから!」
そう励ましながら、根元から足を斬り落すため、鷲掴みにした直後、
「ちょ、やめ、ひゃわっ、あはははははは!?」
1本の足が由真の腰を絡めとり、隙間から鎧の内部へ潜り込んできた。
「や、やめ……っ、やめて下さいってば! んっ」
ミイラ取りがミイラになった状態で、由真は息も絶え絶えに笑い、悶絶する。どうにか正気を保ち、自力で脱出を試みるが、振り回す剣は空を切るばかりだ。
「悪いけど、仲間は返して貰うよ……熱い蒸気に抱かれて、蒸しダコになるがいい!」
このままでは希の二の舞になってしまうと判断したギア。蒸気のチカラで炎の球を呼び出すと、タコの本体を狙って投射する。
本来、炎陣球は射線上にいる者を敵味方関係なく焼く危険な術である。しかしタコ達は足を限界近くまで伸ばしていたので、捕えられた仲間を巻き込むことはなかった。
程良く表面を炙られたタコは、微妙な匂いを漂わせて弛緩した。
「悪いが、貴様は俺の敵ではない。在るべき場所へと還れ」
クライシュはエネルギーブレードを構えた。その刀身を作り出している眩い光は、彼自身のアウルだ。軽くステップを踏んで一気に肉薄。2本の足を根元から斬り落すと、捕えられていた仲間を解放した。
タコの足数とリーチの長さに、撃退士達は予想以上に苦戦を強いられていた。
麻痺や束縛を与えたからといって、動きを完全に封じられるわけではない。不用意にリーチ内に踏み込めば、不自由な足で容赦のない擽り攻撃を仕掛けてくるのだ。
だからギアは間合いを計り、タコの足が届かない位置で雷帝霊符を掲げた。
「行け、蒸気の式よ!」
ギアの声に呼応し生み出された雷の刃。八ちゃんは器用にも足でキャッチするが、実際はどう見ても突き刺さったという状況だ。
「皆、ちと離れといてや」
仲間達を巻き込まないよう忠告を入れ、淳紅はマジックスクリューを行使した。
八ちゃんを囲むように浮かび上がった円形楽譜が赤く光り、そこから巻き起こった激しい風で6本の長い足が縦横無尽に舞い踊る。
器用にも蝶々結びの状態で絡み合った八ちゃん。自力で足を解こうと必死に暴れるが、余計にこんがらがってひっくり返ってしまった。
「亀山さん、その調子ですのよ」
九十七の掛け声に、淳紅は慌てて身を伏せる。
直後、彼の頭上をアウルの光弾が迸った。九十七のスナイパーライフルが、まるでバズーカー砲のような効果音を響かせながら、八ちゃんの足を1本1本着実に吹き飛ばしていく。
――Gehorchen Sie meinem Willenseis(氷よ我が意に従え)
Sie sind eine Kugel(汝は弾丸なりの理を)……
セツナの詠律により生み出された氷の結晶が、陽の光を浴びてキラキラ輝きながら螺旋を描く。狙いは満身創痍の八ちゃんの顔面――
光輝なる螺旋の洗礼を受け、ピクリとも動かなくなった八ちゃんを、セツナは爪先でツンツンと突いた。
全く動かない。完全に力尽きたようだ。
不敵な笑みを浮かべる彼女の背後に、密かに忍び寄る影があった。
そう。敵はもう1体いることを、忘れてはならない。
「女の子に手ぇ出させへんで!」
オクト君の思惑に逸早く気付いた忠人は、咄嗟にダイブするとセツナを後方へ押しやった。そして、当然のように身代わりになる。
「うひゃひゃひゃ、やめ。そこだけはやめー」
五肢を絡め取られ思う存分弄られた後で、ぽいっとゴミのように捨てられた。
「あ、安全地帯と思って油断したらあかんで……」
たった十数秒の間で色んなモノを喪ってしまったけど、女の子を守り抜いた結果なら名誉の負傷だ。
「忠人、安らかに眠れ。ギアはきっと君のことを忘れない」
放っておけば踏みつけてしまいそうなので、ギアは魂の抜けきった忠人の身体を引きずって移動。後方で待機している九十七へと託した。
「……で、九十七ちゃんはどのようにいたせば良いのでしょう?」
見る限り、全身の索条痕以外に目立った外傷はない。彼がココロに受けた傷も塞がってくれることを祈りつつ、九十七はとりあえずの応急処置を施した。
降って沸いた新しい獲物に興味を持ったオクト君、さっそくつまみ食いをしようと食足を伸ばしてくる。
「足だろうが■■■だろうが■■なら■で■■■■!」
その足先が触れるより先に、危険を察知した九十七は脱兎のように逃れ、修正音を発しながらショットガンで反撃を行う。
「ひゃわー?」
再びオクト君に足を絡めとられた由真。なぜか集中的に弄られている気がするが、それはきっと彼女が前衛で、避けられない子だから。
実際、ニンヒロ効果でキラキラオーラ(タコ目線)を纏う黒百合のほうが、狙われる率は高かったりする。
「こ、これ以上汚さないで下さいっっ!」
ひとしきり悶えた後で、由真はランスを一突きして無事脱出。次の獲物を求めて蠢く足を、クライシュが根元から足を切り落とした。
オクト君の好みに合わないのか、クライシュが積極的に弄られることはない。しかし何度もタコ墨を浴びせられているため、彼のトレードマークはすっかり黒面に塗り替えられていた。
淳紅が赤い革張りの魔法書を開いた。紡いだ詠唱は、死にゆくものへの鎮魂歌だ。音符の形となって可視化した祈りは、全ての足を失ったオクト君を包み込む。
追撃は黒百合。身長を超すほどの銃剣を頭部に突き刺し、体内で散弾を撒き散らせた。
「五臓六腑は綺麗にシェイクされたかしらァ、あはははははァ♪」
鮮血のようなタコ墨を全身に浴び、黒百合は愉しげに笑う。
それは紛れもない決定打となった。
オクト君の頭部は殆ど原形を留めることなく吹き飛ばされ、短いディアボロ生を終えたのだった。
●戦の後は至福の時を
「皆さん、お疲れ様なのです」
戦闘が終わったことを確認した希が、タオルとバケツいっぱいの湯を持って駆け寄った。
撃退士達の活躍を見物していた漁師さん達も、心底安心した笑顔で拍手喝采する。
「何か、妙な方向で手強い相手でしたね。……お風呂、入りたいです」
さんざんタコ墨を浴びていた由真は、一息ついてペタリと座り込んだ。
「早く洗い流さないと、匂いが染み付きそうだわ」
合羽を着ていたお陰で服は無傷だが、戦闘中は脱げたフードを直す余裕も無かった。頬にべったり貼りつく髪を払いながら、セツナも汚れを気にしている。
それは男性陣も同じだった。せめて顔だけでも洗おうとゴーグルを外した撃退士達。その顔はみんな逆パンダ状態で、誰ともなく笑い出す。
「おーい、船の準備ができたぞー」
不意に掛けられた声に振り向いてみれば、釣り船の上から漁師さんが手を振っていた。
「そーいや希ちゃんは海の幸とりに来たんやったな」
「はい♪ 今度は希が頑張る番なのです」
忠人の問いに、希は両の拳を握ってガッツポーズを取った。
予定よりだいぶ遅れてしまったけれど、今から行けば、実習で使う分ぐらいは確保できるだろう。
「鯛食べたいっ!! 白身ほっくほくのー♪」
炊きたての鯛飯を思い浮べ、思わず生唾を飲み込んだ淳紅。実習の料理をキープして貰えるよう、交渉を始める。
「希に任せてください。今日のお礼に、皆さんの分も、しっかりご用意いたします」
「おっし、ワイが手伝ったるで。コレでもガキの頃は釣りマスター忠ちゃんと呼ばれてたんや」
人数が多ければそれだけ釣れる可能性だって上がる。忠人の申し出は、希にとって願っても無いことだった。
「……ギアも食料調達に付いていけないか?」
追加の釣り道具を手配する希の横に立ち、嫌ならかまわない、と明後日の方を向くギア。そのお腹が、絶妙なタイミングでグーと鳴いた。
「べっ、別にギア、お腹が空いているわけじゃ、無いんだからなっ」
暗に腹ペコですと宣言し、ギアは用意された釣り道具を抱えて先に走りだした。
「では、行って来るのです!!」
釣り船の上から、釣り人達が千切れんばかりに手を振っている。
港に残った撃退士達は、彼らを見送った後、ゆったりとお風呂に漬かって戦いの疲れを癒した。ついでに漁師飯もご馳走になり、お腹の中から温まる。
美味しいボーナスは、もちろん船の上でも振る舞われていた。
少々グロテスクな魚にパワーを貰い、釣果も上々。鯛以外にもいろんな魚をゲットして、釣り人達は誇らしげな気分で岐路についた。