●消えた微笑みを探して
駅から吐き出される人の波に逆らいながら、イシュタル(
jb2619)は失踪した幸野 笑子の姿を探す。
「己の力量を弁えず復讐者になるなんて……何を考えているのかしら……」
身に余る武器を手に飛び出した無謀にも等しい行動に、イシュタルは呆れを隠しきれない。
「天に恨みを持つ少女――ああ、これは期待出来るかもしれないね。ならば私が手を貸してあげようじゃないか」
楽しげにつぶやいたのは冥界出身のハルルカ=レイニィズ(
jb2546)だ。ゴシックファッショに身を包んだ少女に、すれ違う人々が物珍しげな視線を向ける。
「とにかく、早く見つけ出さないと、笑子さんが危険です」
クリフ・ロジャーズ(
jb2560)は西田夫妻から預かった笑子の写真を片手に、良く似た背格好の少女を根気よく探し続けた。
駅から出てきた紫ジャンパーの話では、駅構内に笑子の姿は無かったという。
だとすれば彼女は外。3人は頷きあうと、雑踏に紛れているかもしれない笑子を探すため、走り出した。
一方、常木 黎(
ja0718)、森田良助(
ja9460)、ユリア(
jb2624)の3人は、人気のない駐車場方面を回っていた。
「ねぇ、あれってもしかして」
ユリアが視線を向けたのは、フェンスに背を預けている人影だ。
安っぽいパーカーのフードを目深に被り、じっと俯いている。手荷物一つ持っていないところが、どこか不自然さを感じさせていた。
「どうだろう? 僕には男の子っぽく見えるんだよね」
良助は訝しみながらもその人物を注意深く観察する。
背格好は確かに似ているが、髪が短すぎる。笑子は腰まで届くロングヘアのはずだ。
「あの骨格は間違いなく女の子だよ」
黎はあっさりとユリアの意見に賛同する。
「怪しいと思ったら、声を掛けてみるべき。別に弾数が限られているわけじゃないんだから」
そう言って黎は独り走り出した。駐車場の中を突っ切って『標的』の反対側へ位置取り、万一の逃亡に備える。
準備が整った事を確認した後、ユリアは相手に警戒心を抱かれないよう、静かに話しかけた。
「あの。笑子、さん?」
はたして――名を呼んだとたん、少女は驚いた様子で顔を上げた。
幸いにも、笑子は逃亡することはなかった。
初対面である6人の撃退士達を警戒してはいるものの、敵愾心は感じられない。ただ、蒲葡 源三郎の名を滑らせた時だけは、あからさまに不快な表情を見せた。
「あの人に頼まれて、私を連れ戻しに来たの? 嫌、帰らない。自分の手で仇を討つって決めたもの」
特定のサーバントがいつ、どこに現れるかなど、判るはずもない。それは今すぐかも知れないし、もう二度と無いかも知れない。
それでも笑子は、家族の命を奪ったサーバントを探し続けると言う。
「仇を討ちたいなら、手を貸してあげるよ」
「だから僕達のいう事を聞いて欲しいな」
ユリアと良助は、子供じみた願いを否定することなく、笑子に語り掛ける。
笑子は驚いて皆の顔を見渡した。信じていいのか、自分を言いくるめているだけなのか、見定めるように。
「……判ったわ。信じてみる」
少しの間を置いて、笑子は頷いた。
「じゃあ、先に伯父さん達に連絡を入れよう? きっと心配しているよ。僕達が一緒だって判れば、無理に連れ戻されたりはしないよ」
携帯電話を取り出した良助が、源三郎のナンバーを呼び出したその時――
――晴天の空を暗い影がよぎり、化鳥が鳴いた。
●日常と悪夢の狭間
鋭いブレーキ音に巨鳥の泣き声が重なる。人々の悲鳴をかき消し、羽ばたきが舞い降りる。
日常が、終わる。
『I駅に天魔が出現しました。すでに撃退士が来ています。安心してください。落ち着いて、誘導に従って避難してください』
けたたましいサイレンと共に発せられる緊急速報。周囲に居た通行人の何人かが紫色のジャンパーを纏い、頑丈な建物の中へ避難するよう、呼びかける。
そんな中、笑子だけが人々とは逆の方向へ走りだした。待ち望んでいた天魔の出現に、心の底から歓喜する。
『現状は把握しているな?』
通話状態になった電話から流れてきたのは源三郎の声だ。
『サーバントの相手はお前達に託す。奴らに厄介な能力は無ぇ。強襲にさえ気を付けていりゃ何とかなる。敵はたった2体。お前達の腕なら、そう時間をかけずに殲滅できるだろう』
敵の能力はおろか、出現した総数さえ把握できなかった前回とは違うのだと。
『……嬢ちゃんを頼んだぞ』
最後にそう言い足して、電話は切れた。
●闇を穿つ
「どうしてダメなの? 手伝ってくれるって言ったじゃない!」
突出しようとした笑子を寸でのところで引き止めたクリフは、直後に非難の視線を浴びせられた。
「私だってアウル能力者なんでしょ? ちゃんと戦えるはず。飛んでいる敵を倒す武器だってあるんだから」
ヒステリックに叫んで、笑子はポケットからドッグタグを取り出した。家で撃退士がやって見せたように、手の中で握りしめ出でよと強く念じる。
その瞬間、ヒヒイロカネは偽りの主の願いに応え、全長1メートルほどのスナイパーライフルに姿を変えた。
「え……何?」
予想以上の重さに、笑子は体力を一気に奪われ、その場に座り込んでしまった。肩で息をし、ライフルを杖代わりにして昏倒を堪えた。
助け起こそうと再び手を伸ばしたクリフの横で、ハルルカは冷めた視線で笑子を見下ろす。
「大した力も無く、戦いも知らず、復讐に囚われ周りの見えない死にたがり。今のキミに出来ることなど在りはしない」
「それ、ちょっと言い過ぎ……」
あまりにも冷たい言い様、思わず声をあげるユリア。しかしハルルカは構うことなく、悔しそうに唇を噛む笑子の耳朶に、唇を寄せる。
「彼女たちから武器の扱い方を教わると良い。その手で仇を、討ちたいんだろう?」
そう言って、白い鎧を身に纏ったハルルカは空に舞い上がった。
「笑子ちゃんを頼みます」
続いてクリフとイシュタルも己の翼を広げ、傍若無人に飛び回るサーバントを迎え撃つため、後に続いた。
逃げ惑う人々を追い回していたサーバントは、突然現れた邪魔者に気付き、矛先を変えた。
「I市上空では一時的に大気が不安定となるでしょう。天の眷属は、魔の雨にご注意ください――『黒雨』」
鋭い鉤爪を避けたハルルカは、玲瓏たる口上を述べて黒き雨を呼ぶ。纏った闇の力は諸刃の剣だ。鋭い鉤爪を持つ脚に斬りつけるも、受けた反撃のダメージは決して小さくない。
「危ない、直ぐに離れて……っ!」
もう1体のサーバントがハルルカの背後から強襲してきた。
クリフは警告と同時にラジエルの書を開く。放たれた一葉の刃が片翼を薙ぎ、サーバントは大きく高度を落とした。
空を飛ぶ者は強敵と察したサーバントは、ハンターの本能で最も仕留めやすい獲物に狙いを定め、強襲する。狙いはもちろん、笑子。
「幸野には近づかせないわ」
サーバントの目的を察したイシュタルが一気に肉薄する。白鎧を纏ってイオフィエルを振るう姿は、まさに戦乙女だ。
蒼みを帯びた二対の翼をはためかせ、イシュタルは華麗に踊る。
「皆は、攻撃しないの?」
先ほどまでの威勢はどこへ行ったのか。笑子は冷たいアスファルトに座り込んだまま尋ねた。
「今撃てば、“当たる”のよ」
返ってきた答えはそっけないものだった。
銃を持っていれば、地上からでも鳥を撃ち落とすことができるだろう。しかし乱戦になっていれば、誤って味方を傷つけることもある。
特に銃器に込めた『力』は、何かを傷つけるまでどこまでも飛んでいく。
「……うそ」
手にした武器が天魔だけを滅ぼす物でないと知り、笑子は愕然とした。
そんな笑子に気を取られることなく、黎はじっくり機会を窺う。射線を遮るものが無くなった瞬間を見計らい、ここぞとばかりに引き鉄を引いた。
腹部を貫かれたサーバントは苦しそうに吼える。
「“蝕甚”は伊達じゃあないのよ」
それでも敵はまだ生きている。必中の喜びを顔に出すことなく、黎は耽々と次の照準を合わせた。
「僕達の戦い方、しっかり見るんだよ」
良助は笑子の前に立ちヨルムンガルドを構えた。銃の扱い方を見せるため、丁寧に狙いを定め撃つ。
「笑子さん。最後はあなたの手で!」
突撃を仕掛けてきたサーバントを細氷で包み込んだユリアが、狙撃のための射線を開ける。
笑子は慌てて頷くと、先ほど見た手本通りにライフルを構えた。しかしその動作は拙く、照準を合わせることすら覚束ない。
結局射撃は間に合わなかった。落下の衝撃で目覚めたサーバントは直ぐに体勢を整え、笑子を狙い強襲する。
イシュタルの放った乾坤網はギリギリの所で届かなかった。代わりに良助がその身を盾にして笑子を庇う。
傷は浅い。掠っただけだ。それでも。
「いやあぁっ」
目の前に飛び散った赤い色に、笑子が悲鳴を上げる。
――また何もできないの?
笑子の胸に、残酷な現実が突き刺さる。
アウル能力がありながら、家族を守るために最下級の天魔1匹倒すことができず。
アストラルヴァンガードでありながら、かすり傷一つ癒すこともできない。
君の所為ではないと暗示のように言い聞かせられ、立ち直ったフリをしてきたけど。ふとした事で、心の糸がぷつりと切れた。
もう二度と会えない家族。この世界に一人遺された、自分。
そんな現実、認めたくなんかない。受け入れたくない。
自分だけを助けた人達を憎んで。自分にもできる事があると証明したくて。『あの日』をやり直すために、飛び出してきたのに。
仇討ちなんて夢のまた夢。
本当に許せなかったのは自分自身なのだと、今更ながらに思い知らされる。
「まだ終わっちゃいないよ」
絶望に堕ちかけた笑子に発破をかけるよう、黎はシニカルな笑みを浮かべ、上空へと逃れた手負いのサーバントを一撃で撃ち落す。
「泣かないで。僕なら大丈夫だから」
傷ついた肩を押さえて、良助は安心させるように笑いかけた。
撃退士達に守られながら、笑子は再び立ち上がった。
残るサーバントは1体。
蝕甚の穢れを受けたサーバントが羽を舞い散らせて暴れ回る。
炎の双剣が、氷の剣が両翼を薙ぎ、夜より深い闇がサーバントの視界を覆い尽くす。
その間、僅か数秒。
二条の銃撃を受けたサーバントは地に堕ち、苦しそうに悶え苦しんだ。
「大丈夫。きっとできるよ」
ユリアは背中から手を伸ばし、ライフルを構える笑子の腕を支えてやった。
「笑子ちゃん、今だ!」
周囲から掛けられる声援に後押しされた笑子は、自らの意思で指に力を込め、引き金を引ききった。
放たれた弾丸は光の軌跡を描き、サーバントの頭部を深く穿った。
●夢から目覚めて
天魔の脅威が去り、町は日常を取り戻した。
見知らぬ者同士で協力し、黙々と破壊された町を片付け始める光景は、力無き者達の強さを見せつけていた。
「ドッグタグがどういう物がご存じですか?」
初めて奪った『命』に震える笑子が落ち着いた頃を見計らい、ゆったりした口調でクリフが問いかけた。
「これ、そういう名前なんですか」
笑子は遠慮がちに首を振る。やはり、何も知らずに持ち出したらしい。
「これは戦いに赴く者が身元を証明するため、肌身離さず身に着けるものなんです。だから、場合によっては唯一の形見になることもあるんです」
そんな意味があったのか、と笑子は小さな金属板を改めて見つめた。
プレートは十字架の意匠が施されたファッション性の高いもので、裏側に持ち主自身の名前と撃退士ナンバーが刻印されていた。
「ちゃんと謝って、返したほうが良いよ。あたしも一緒に行ってあげるから」
怒られたら庇ってあげる、とユリアは胸を張る。
「これだけは必ず伝えておくわ」
淡々とした口調で告げたイシュタルは、広場の向こう側を差す。
そこに立っていたのは、紫色のジャンパーを着た男達に守られた西田夫妻だった。笑子のことを心配するあまり、駆け付けていたのだろう。
「貴女は一人じゃない。心配をしてくれる人がいるのだから、馬鹿な真似をして心配を掛けるような事は慎むべきね」
西田夫妻の隣には、ライフルの本来の持ち主である撃退士も居た。魔具を騙し取った笑子を憎んでいる様子はなく、逆に無事を確認し、ほっとしているようだ。
「ほら、行きな」
黎が静かに背中を押す。
一歩進んで、笑子は戸惑いながらも振り向いた。
「僕もキミの仲間だってこと、忘れないでよ」
笑顔で別れの握手を求める良助。
「迷惑をかけて、本当にごめんなさい。……助けてくれて、ありがとう」
一人ひとりと握手を交す笑子の表情に、出会った当初の暗さは感じられなかった。それでも晴れやかと言い難いのは、迷惑をかけた事に対する悔悟のためか。
「いつの日か、キミが天を討つ力となれることを願っているよ」
耳元でささやくハルルカ。
そう遠くない未来。互いに名前で呼び合うような日が来るのだろうか?
ハルルカの横に並び、イシュタルは家族の元に駆け寄っていく笑子の背中を見送った。
●新な道へ
一週間後。学園を訪れた源三郎は、笑子から託されたという手紙を撃退士達に手渡した。
飾り気のない便箋には、年相応の可愛らしい文字で、先日の事件に対する謝罪と感謝の言葉が綴られていた。
元気でやっているらしいと判り、撃退士達の顔に自然な笑みが浮かぶ。
――私はもうすぐ、新しい気持ちで久遠ヶ原の門を潜ります。
もう、迷ったり焦ったりはしません。一歩ずつ確実に、進んでいきたいと思います。
そしていつの日か、私の本当の力で、皆さんのお役に立てるようになれれば嬉しいです。
西田 笑子――