●蜘蛛の館と雪だるま
撃退士達を待ち受けていたものは、光を反射しない白に包まれた洋館と、謎の雪だるま。
「この雪だるま、誰が作ったのだ……?」
「やっぱり気になるよね」
大きな雪だるまを見上げて息を呑むフラッペ・ブルーハワイ(
ja0022)。神喰 茜(
ja0200)も、悪魔が棲まう館には不釣り合いな物体が気になるようだ。
「犯人は3人、ね」
煙草を燻らせながら、鈴屋 灰次(
jb1258)は防犯カメラに映っていた男達の姿を思い出す。
百合愛の監禁場所がこの別荘という事で、誘拐犯の素性は絞り込まれた。
悪魔と名乗った者が最初から共犯だったのかは判らないが、敵が複数であることは確実だろう。
「やはり、これは蜘蛛の糸のようですね。……蜘蛛型ディアボロがいるのでしょうか」
エリーゼ・エインフェリア(
jb3364)が木枝で探ると、館を覆う白糸には強い粘着性があると判明した。
「間違って触れたら、絡み取られるってわけね」
大きな得物では少々不利かもしれない。七曜 除夜(
jb1448)は、この罠を如何に避けるか考えを巡らせた。
「どこも似たような感じね。内部も蜘蛛の糸だらけ。習性を考えると振動で敵を感知するでしょうね」
建物周辺を偵察してきたファレン(
jb2005)が端的に報告する。
動きやすいよう除雪がされているのは正面のみ。林へ続く裏側は足跡1つなく、膝ほどの深さの雪が積もっていた。
どこの窓も蜘蛛の糸で塞がれており、唯一そこだけ蜘蛛の糸で覆われていない入口以外、侵入できそうな場所はどこにも無かった。
「おっさん、写真は2階の遊戯室だって言ってただろ?」
「人質と犯人と蜘蛛……一緒に居るなら、広い部屋にいるでしょうね」
「出入り口から一番遠い、と言う点でも適していると思うわ」
館の見取り図を開いて作戦を練る撃退士達。仲間の賛同を得て、灰次は『1』と数字を振った遊技場を丸く囲む。
「じゃ、まずは俺が偵察してくるわ」
何か見つければ合図するよ、と灰次は片目を瞑ってホイッスルを口に当てる。
「私もご一緒します」
さすがに単独では危険と判断し、エリーゼが同行を申し出た。
●虫の居所
館の内部は一面の白で覆われていた。
天蓋から吊り下げられたカーテンのように幾重にも広がり、幻想的とも言える光景。息を飲む美しさとは裏腹に、それは迷い込んだ獲物を捕える罠だ。
灰次とエリーゼは、粘着質の糸に足を取られないよう、1歩ずつ慎重に足を進めていく。
見る限りでは室内に敵の姿はないが、気になるのは意味ありげに点在する繭。この中に保護対象者が捕らわれている可能性はあるのだろうか?
灰次は薙刀の柄を長く持ち、慎重に繭を切り開く。
「うわ、……えげつないねぇ」
何か黒い物が蠢いたかと思うと、無数の小蜘蛛がわらわらと這い出してきた。
すかさずエリーゼが稲妻の矢で焼き払う。
「繭には手を付けない方が良いかもしれませんね」
2人は頷きあって先を目指す。
撃退士が侵入したことはすでに知っているだろうに、迎撃すらしてこない。不気味なほどの静けさの中、2人はついに遊技場の前まで辿りついた。
片方が開け放たれた扉の隙間からそっと様子を探った時。
「遅いぞ、撃退士!」
……いきなり怒鳴られた。
「それに数が足りない。6人と指定したはずだ」
「外で待ってるよ。いきなり大勢で押しかけたら悪いでしょ?」
灰次とエリーゼは潔く室内へ入った。危惧していた奇襲は、結局受けることはなかった。
廊下と同様、あちこちに蜘蛛糸のカーテンが垂れ下がり、3つの繭が部屋の隅に投げ置かれている。
天井から吊り下げられた鳥籠には百合愛嬢が閉じ込められていた。手足を縛られ、口も蜘蛛糸で猿ぐつわのように塞がれている。
対する『敵』は、複眼のような眼を持つ男とヴァニタアスらしき黒衣の剣士。そして天井を這う大きな蜘蛛が1匹。
「……君ら、悪魔、だよね?」
一通り状況を確認した灰次は、左手にホイッスルを忍ばせつつ、静かに問いかけた。
「見れば判るだろう。貴様のその目は節穴なのか?」
複眼の男は鋭い眼光を向け、撃退士達を睨む。
「……雪だるま作ったの誰?」
「スカラベだ! さっきから関係ない事ばかりベラベラと……。貴様ら目的はあの娘じゃないのか? 早く仲間を呼べ。さっさと蜘蛛を倒してこの茶番を終わらせろ!」
苛立ちを含んだ口調で叫ぶと、複眼の悪魔は撃退士達を無視するかのように壁に背を預けた。
●大蜘蛛退治
悪魔達は、実に律儀だった。
撃退士全員が場に揃い、状況を把握するまで待っていた。
やがてそれぞれが光纏し得物を掲げた事を確認してから、複眼の悪魔は大蜘蛛に命令を下す。
戦え――と。
先制は大蜘蛛のほうだった。撃退士達の頭上から鋭い前足を突き下ろす。
「これは……ちょっと不公平なんじゃないの?」
攻撃を避けたとたん、長柄に糸が絡まり、灰次は不満の声を漏らした。
蜘蛛網のカーテンに紛れる粘着質の糸は、触れただけで動きを封じられる。その一方で蜘蛛は糸を伝い自在に動き回り、攻撃を仕掛けることができるのだ。
おまけに左右同時に攻撃を繰り出せるため、挟み撃ちで注意を引き付けるなどの常套手段も活かせない。
「糸が邪魔なら、無くせば良いだけだよ!」
紅蓮の炎を身に纏った茜は蛍丸を振るい、手当たり次第に糸を斬り払った。糸が魔具に絡まればヒヒイロガネに戻しては具現化を繰り返す。
他の撃退士達もそれに倣い、瞬く間に周囲が開けていった。
動き易くなったところで除夜は緋の太刀を一閃させる。大蜘蛛の前脚で軽々と受けられてしまったが、そのまま力ずくで脚を押し斬った。
「まずは1本!」
多脚の大蜘蛛にとってはたかが1本。しかし同時攻撃の脅威が減った事は、撃退士にとって会心の一撃となる。
ファレンが苦無を放つ。頭部を狙った攻撃は1列に並んだ眼を貫き、腐臭のする体液を撒き散らせた。
「任せてください!」
異界の呼び手で蜘蛛の動きを封じるエリーゼ。しかし蜘蛛の身体は大きく、完全に捕えることはできない。
「それでもボクには十分なのだ!」
動きが鈍った僅かな隙を突き、フラッペはアウルで模られたスケードボードを蹴った。ビリヤード台を足場に、百合愛が囚われている鳥籠に飛びついた。
戦斧で力任せに籠を破壊したフラッペは、蜘蛛糸の縛めを全て引きちぎると、百合愛を抱き上げて籠を脱出する。
「もう大丈夫なのだ!」
百合愛を後方に押しやると、灰次と2人で盾になるよう、身構えた。
獲物を奪われたことに気付き、大蜘蛛は手当たり次第に暴れ、鋭い脚で周囲を引き裂こうとする。
保護すべき対象に大蜘蛛を近づけまいと間に割って入った除夜。
下腹部から発射された糸を太刀で絡め取るが、今度は力技で負けた。除夜の手を離れ、アウルの供給を断たれた太刀は、ヒヒイロガネとなって大蜘蛛の足元に沈む。
「まぁ、仕方ないね」
蜘蛛が相手と知った時から得物を奪われる可能性は考慮していた。除夜はすぐに気持ちを切り替えると、素手に空刀の力を込め大蜘蛛に挑み、さらに1本の足をもぎ取った。
「……そこ、もう少し静かにならない?」
早く蜘蛛を倒せ、自分を逃がせ。殺す気なのか……のべつ幕なしに口を開く百合愛に、茜は眉を顰めた。
心踊らせる斬り合いも、こう雑音が入っては興ざめだ。
百合愛の耳元で淑やかにするよう囁いた灰次は、直後に超音波攻撃を受けて肩を竦めた。
(あの悪魔、お気の毒様だったみたいだねぇ。俺、同情しちゃうわ)
ずっと無関心を装っている悪魔達だが、ヒステリックに喚き散らす令嬢に苛立っているのが見て取れる。
「今はただ目の前の敵を倒す。それだけよ」
身中の虫にも表情を変える事なく、ファレンは天井を蹴って跳び、シュガールを蜘蛛の頭部へ振り下ろした。攻勢に出たエリーゼがバルディエルの紋章を掲げ、稲妻の矢で胸部を貫く。
「……見切った!」
蜘蛛の下腹部が一度膨らんだ事を確認し、茜は体を沈める。直後に放たれた糸は、後ろにあったキューラックを真二つに切断した。
あれを身体で受けていればどうなっていたか――内心ひやりとしながらも、茜は一気に敵の懐へ潜り込む。
蛍丸の一撃で壁へ叩きつけられた大蜘蛛は大きく痙攣し、そして動かなくなった。
●お嬢様ご乱心
ついに大蜘蛛を倒し、ほっと息を吐いた撃退士の耳を、甲高い雑音が貫いた。
「貴方達、撃退士なんでしょう? パパに雇われたんでしょ? 早くあの悪魔を殺しなさい。これは命令よ!」
「おう?! お嬢さんっ」
百合愛の突然の暴言に、撃退士達は息を飲んだ。
大蜘蛛を相手に力を尽くした今、悪魔と戦うだけの余力は残っていない。だからこそ、敵意を冗長させることは避けていたのに。
(……ずいぶんと傲慢な親子ですね)
エリーゼは瞑想をするかのようにそっと目を閉じた。
「静かにしていた方が身のためですよ」
同時に、百合愛の周囲を取り囲むように光の剣が現れる。
「エリーゼちゃん?!」
保護すべき一般人に向けられた『力』。通常より遥かに薄い具現化とはいえ、それは百合愛にとって充分すぎる威嚇となった。
「きゃあああっ!」
立ち尽くす撃退士の目の前で、光剣の切っ先が百合愛に届く――ことはなかった。
複眼の悪魔が手を翳すと同時に、百合愛を囲む空間が蜂の巣状にひび割れ、殆どの光剣を受け止めたのだ。
代わりに悲鳴をあげたのはエリーゼだ。
瞬時に百合愛の盾となった剣士が抜いた剣から雷撃が放たれ、エリーゼを直撃する。
「エリーゼさん!」
倒れた仲間を庇い、追撃に備える茜と除夜。灰次は腰を抜かした百合愛を抱え、壁際へと避難した。
その横で茫然と立ち尽くすフラッペは、
「こく、ちょう……?」
衝撃で外れた仮面の下から現れた素顔に、驚愕の声をあげる。
呟いた名は数か月前に彼女が遭遇した女悪魔の異名だった。
全体的な雰囲気も体格も違う。けれどその容貌は、無関係と言い張るにはあまりにも似ていた。
そしてフラッペは、撃退士を呼べと言った『自称悪魔』の正体を悟る。
「嘆きの黒鳥……今回は一体、誰の嘆きを楽しむつもりだったのだ……?」
詰め寄るフラッペに目を向けることなく、黒衣の剣士は無言のまま剣を収めた。
これ以上戦うつもりは無いという事だろうか?
警戒を続けながらも、除夜はエリーゼの容体を確認する。呼吸も脈もある。強い衝撃を受けて気を失っているだけだと判り、安堵の息を吐いた。
「複眼の悪魔、久しぶりね。私はファレンよ。蜂といい、今回の蜘蛛といい。撃退士を呼んで、何が目的?」
ファレンは静かな声で悪魔に語り掛けた。
「ナハラだ。同胞からは『惑いの蜂』とも呼ばれている」
自ら名乗ったファレンに対し、悪魔は迷うことなく自身の名を告げた。その口調に、戦いを始める前の刺々しさは感じられなかった。
少しの沈黙の後、ナハラは傍らの剣士を親指で指し示す。
「こいつは黒鳥の騎士・アルカイド。悪いね。愛想のない奴で」
ナハラは自嘲めいた口調で、ファレンの質問に応えた。
言うなれば撃退士は瓶に閉じ込められた蟻。一般人とディアボロ――餌と天敵を前に、どう動き、対処するのかを観察しているのだと。
「どこの自由研究よ、それは。……あたしらに興味があるなら、久遠ヶ原に来なさい。学生としてね」
「残念だけど、そのつもりはないよ」
足元に落ちていたヒヒイロカネを拾い上げたナハラ。軽く手の中で玩んだ後で、除夜へと投げ渡した。
「俺はそろそろ撤退させてもらうよ。君達は、どうするつもりだい?」
「戦う気はないわ。依頼じゃないし、力量の差が分からない程、馬鹿じゃないわよ」
撃退士の中に、ファレンの言葉を否定する者はいない。唯一、不満げな表情を見せていた百合愛も、ナハラの鋭い眼光に圧され、口を噤んだ。
撃退士に無防備な背を見せて、悪魔達は館を後にする。
「待つのだ!」
ナハラに続き、窓から身を躍らせようとしたアルカイドの腕を、フラッペが捕まえた。
「あの悪魔に伝えて欲しいのだ。今はまだ無理でも、『蒼き疾風』は必ずキミに追いつく、……って」
アルカイドは暫しの間、紫色の瞳でフラッペを見据える。
答えはない。しかし、確実に1つ頷いて、静かに手を解かせた。
●残された任務は……
悪魔が去った館で、撃退士達は残された繭を割き、中を確認して回る。
全て確認し、出てきたものは小蜘蛛の死骸とゴミの山。
最初に百合愛を浚った誘拐犯は、遊技場にあった3つの繭から見つかった。目立った外傷はなく、自力歩行できる体力も残されていた。
救出完了の報を受けて駆け付けた警察に引き渡され、今頃は取り調べを受けている頃だろう。
最後に、撃退士達は未だ佇み続ける謎の雪だるまを仰ぎ見た。
どうやら悪魔が作った事は確定らしいが……何か意味があっての事なのだろうか? 例えば、『次』の挑戦状が埋め込まれているとか。
破壊して確認するべきか、無視を決め込むか。
それは天魔との戦い以上に、難しい決断を迫られているように感じられた。