●
ディメンションサークルを抜けると、そこは雪山だった。
地図で現在地を確認しようにも、目印にできる物など何もない峠道である。
即座に携帯電話を開いた龍仙 樹(
jb0212)は、依頼人である神代 深紅に連絡を取り、周辺に見える景色を詳細に伝えた。
――橋を渡り、注連縄が掛けられた奇岩を目指せ。
その言葉に従い、撃退士達は走る。
今、温泉街に入った。サーバントはまだ現れない。今、避難所のホテルを通り過ぎた。……互いに状況を連絡しあい、ひたすら走り続けること30分。
撃退士達はついに、深紅と夏樹少年が身を潜める旅館の門をくぐった。
「神代さん、お待たせしました」
「よかった! 皆、来てくれたんだね」
到着を知らせる樹の生声を聞き、額に保冷剤をくるんだタオルを装着した深紅が飛び出してきた。
「……無事なようだな、良かった。神代も風邪を引いている中、お疲れさまだったな」
「辛いだろうに、世話を掛けるな」
梶夜 零紀(
ja0728)とエルフリーデ・シュトラウス(
jb2801)が、明らかに体調の悪い深紅を労う。
「神代ちゃん、これを飲んで! 電話口で辛そうだったから……早く元気になってね」
そう言って風邪薬を差し出した犬乃 さんぽ(
ja1272)は、そのまま腰を屈めると、深紅の後ろに隠れている夏樹と視線の高さを合わせた。
ポケットから愛用のヨーヨーを取出して見せながら、
「こんにちは。ボク、犬乃さんぽ……ヨーヨーチャンピオンなんだよ」
にっこりと人懐っこい笑顔を見せる。
挨拶代わりに披露したトリックに、夏樹は不安に満ちた表情を崩し、年相応に瞳を輝かせた。それも一瞬のことで、すぐに遠慮がちに深紅の後ろに隠れてしまったが。
「ごめんね、この子、いつもこうなんだ。女将さんも、泣いたり笑ったりしたとこ、殆ど見ていないみたいで」
申し訳なさそうに告げる深紅に、彩・ギネヴィア・パラダイン(
ja0173)は何も問題ない、と手で制した。
「おや。こんなところに」
改めて夏樹を見据えてから、彩はわざとらしく目を丸くして、深紅の頭に手を伸ばした。髪を結わえたリボンの辺りをゴソゴソ撫で回すと、そこから取り出した物を夏樹の手に握らせる。
「……えっ?」
さすがに本当に頭の中から出てきたと思い込む年齢ではないが、夏樹は深紅の頭と、自分の手の中のヨーヨーを何度も見比べる。
「篠原くんもやってみたい?」
「……うん」
「じゃあ、牛さんと隠れんぼしている間に、ボクが教えてあげるよ」
約束だからね、とさんぽが小指を差し出すと、夏樹はおずおずと自分の小指を出し、絡まらせた。
「……残酷な方法で願いを叶えるサーバント、か」
「どのように願いを叶えるつもりなのかは、聞くまでもないだろうな」
死んだ者と会わせることは簡単だ。生者の命を奪う、ただそれだけで良い。
もちろん本当に会える保障など何処にもないのだが、生き残った者はそうであって欲しいと願う。夏樹は天国で両親と幸せに暮らしているのだと、思い込むのだ。
人間の心の弱さと優しさに付け込んだ成就のカラクリに憤りを隠しきれず、文 銀海(
jb0005)と零紀は険しい表情で視線を交した。
「折角手の込んだ演出してくれたんだ、チップをあげようじゃないか。鉛弾の、ね。」
カスタマイズした銃をもてあそびながら、常木 黎(
ja0718)は物騒なセリフをさらりと言ってのける。
平時であれば、子供の前で言うに憚られるべき言葉だが、それを咎める者は誰もいない。
悪辣な都市伝説を葬ることは、ここに居る皆の悲願なのだから。
●
白装の男が胡坐をかいて盃を呷る。
天使と呼ぶには少々下卑た笑みを見せ、濡れた口の周りを手の甲で雑に拭い取ると、笹飾りに手を伸ばした。
――パパとママにあいたい しのはらなつき。
「まさか撃退士が出しゃばってくるとはネ」
一番新しい短冊に書かれているのは、とても拙い文字。
これを書いた子供の両親がどうなったのかは、邪魔をした小娘が代わりに調べてくれた。
奉仕種族として天国(天界)に招き入れることも考えていたが、ここは手っ取り早く送ってやることにしよう。
「まァ、けっこう収穫はあったシ、そろそろお前も潮時ダ。獲物の匂いは覚えているナ? 派手に花火を打ち上げロ」
『モウ』
最後の命令を受け、天使の前に正座をしていた牛男が立ち上がった。
「そうそウ、撃退士を相手にするんダ、ちゃんと武器は持っていけヨ」
帰ってこなくて良いが、舐められることだけは避けろ。そう言って、天使は厳つい戦斧を投げ渡す。
「…………おイ」
鈍重な音を立てて転がった戦斧に気付き振り向いてみれば、ミノの姿はすでに消えていた。
●
サーバントを迎撃する場所は、できるだけ避難所から離れた場所が高台が良い。
その希望に応え、深紅は仲間達を町外れにある河童を祭った神社へ案内した。
境内へと続く道は細く曲がりくねった石段のみで、周囲は崖で囲まれている。立て籠もるには絶好の場所だ。
「ここは私達に任せて、皆は早く隠れるんだ」
銀海に促され、護衛班は境内の奥にある御堂へと急ぐ。
「神代様もミノ様と戦う事が、愛し合う事が出来ずに悲しいでしょうに。……心中お察し致しますわ」
「あ、ありがとう」
天使の趣味ってやっぱりワカラナイ。フィンブル(
jb2738)の心遣いに、深紅は複雑な笑みで相槌を打った。
「まて……! 上に何かいるぞ」
エルフリーデの警告で、撃退士達は一斉に身構える。
御堂の裏側にある、注連縄が掛けられた岩の上。逆光を背負い現れたのは、まさしく直立歩行するホルスタイン。
浴衣と笹飾りという季節外れの装備が、何とも言えないサムい雰囲気を醸し出している。
『んもぉ〜〜』
緊張感のカケラもない雄叫びを上げ、ミノは十数メートルある崖を一気に飛び降りると、夏樹の前に仁王立ちする。そして、手に持つ笹飾りを高く振りかざした。
まさか裏から現れると思っていなかった深紅は、体調の悪さも重なり、直ぐに反応することはできなかった。
代わりに樹が夏樹に覆いかぶさり、庇護の翼を広げてミノの凶手から夏樹を護る。
「兄ちゃん……もう、いいよ。ぼくのせいだから。ぼくが……わるい子だから」
春を思わせる優しい緑に包まれた夏樹は、ポタポタと落ちる赤い滴に驚き身をよじるが、樹は少年を離そうとはしない。
「大丈夫です。絶対に、見捨てたりはしませんから」
決して怖いわけではないだろうに、こんな状況でも涙一つ見せない夏樹に、樹は優しく囁きかける。
「龍仙先輩、神代ちゃん、篠原くんをお願い!」
一か八か。さんぽは変化の術で夏樹の姿に化けると、ミノの前に飛び出した。
体勢を整える僅かな時間を稼ぐだけでも、と思っていたのだが、さんぽの判断は予想以上に効果を発揮した。
ミノの視線は疑うことなくさんぽを捉え、脳筋と一体となっている肉体もそれに続く。
(よし! 次は……って、はわわわっ!)
続いて視界を塞ぐ霧を生み出そうと振り向いたさんぽは、ブカブカになってずり落ちた半ズボンに足を取られてしまった。飛び込み前転で持ち直したのは、さすがニンジャというところだが。
「貴様の相手は俺たちだ。来い」
夏樹達から十分距離が離れたところで、零紀は大声を上げてミノに突進した。
構えたワイルドハルバードは振りが大きすぎ、余裕で受け止められてしまう。しかしそれも計算の内。挑発によって作り出された隙を突き、彩が素早く背後へ回り込む。
間抜けな外見をしていてもやはりミノはミノ。死角から強烈な一撃を叩き込んでも、動じる様子はない。
「効いていない、という事はないようですが……」
煩そうに尻尾で叩かれた彩は、冷静に分析するために間合いを取り直した。
おそらくは極短に痛覚が鈍いだけなのだろう。ミノは撃退士達の攻撃を避けることなく、全てを己の肉体で受け続けている。
もちろんそれは、十分な耐久力と生命力があってこそ出来る業なのだろうが。
「ほらチップだよ、遠慮せず持って行きな」
口元に薄い笑みを浮かべて引き鉄を引く黎。放たれたアウルの弾丸は、頑丈な鎧にも似たミノの皮膚を酸で冒し、爛れさせていく。
「その動き、封じらせてもらう」
エルフリーデはオーディーンの化身とも言われるフルカスの大鎌を振るい、ミノの足を払う。
『もぉっ』
こけそうになった所を辛うじて踏ん張ったミノは、涎を垂らしながら笹飾りをバシバシと振り回した。狙いはもちろん、目の前にいるエルフリーデ。
「……やはり膂力は馬鹿にできないな」
単なる笹飾りと言っても、相当の力で振るわれれば痛いものだ。猛攻を盾で防いだエルフリーデは、両腕に圧し掛かった衝撃に歯を食いしばった。
「大丈夫か?」
すかさず銀海がライトヒールを行使する。
流血など目に見えた負傷が少ないが、笹に打たれたダメージは自覚の無いまま、着実に蓄積されていく。銀海は回復のタイミングを見誤らないよう、仲間の様子にも気を配った。
「あたくし、貴方様に恋をしておりますの」
フィンブルはツヴァイハンダーDを構えたまま、ミノに告白をする。
雄々しくも美しい、彫刻のような体躯。その何もかもが愛おしい。
「だからどうか、あたくしと斬り合いましょう?」
愛の言葉を騙りながら、カウンターで自分の体が傷つくことも厭わずに斬撃を繰り返していく。
「少し大人しくしてもらいましょう」
ずっと遁甲していた彩の魔具が黄のアームへ変形し、ミノの両腕を抑え込んだ。
ミノにとっては取るに足らない枷。しかし、撃退士にとってはとても大きな援けとなる。
「Jackpot!」
三度放たれた腐食の弾丸は、剥き出しになったミノの胸部深く食い込んだ。確かな手応えに黎の声も弾む。
どす黒く変色した肩を目がけ、零紀がワイルドハルバードを振り下ろした。ミノは今まで同様左手で受け止めるが、蝕の進んだ腕に刃を防ぐだけの力は残っていなかった。
この好機を逃すまいと、エルフリーデと銀海も一気に攻撃を叩き込む。
「ミノ様……あたくしだけを見て欲しい。あたくしを、貴方(の血)色に染め上げてくださいまし」
フィンブルの猛烈なアタックを、ついにミノは受け入れた。
心(臓)深くに愛を刻み込んだミノは、フィンブルの華奢な体が軋むほど、強く強く抱きしめた。
『んもももぉっ』
恍惚とした雄叫びを1つ上げ、ミノはフィンブルを解放した。
そして、そのまま真後ろへ昏倒した。
●
ミノが完全に事切れたことを確認したフィンブルは、おもむろに笹飾りに手を伸ばした。
何をするつもりなのか? 怪訝に見守る仲間達の前で、フィンブルは白紙の短冊に文字を書き記す。
ミノ様と永遠に愛し合いたい、と。
「しかし何だ……欲望は尽きない、ということか。天使もさぞ儲かっただろう」
皮肉を込めたエルフリーデの言葉は、笹飾りへ投げ捨てられたもの。
金が欲しい。就職したい。ハーレムを作りたい等々……短冊には、Q−onに寄せられた情報以外にも、様々な願いが掛けられていた。
この様子では、誰に気付かれることなく命や感情を奪われた被害者は、かなりの数に上るだろう。
「残念ですが、それも今回で終わりです」
メガネを指で押し上げながら、彩はたった今滅ぼした都市伝説の正体を一瞥する。
「叶わないと分かっていても、願いたくなる時もある……」
夏樹の短冊を見つけ出した零紀が独白するように呟いた。
家族との再会――それは復讐を誓った零紀にとって、決して望むことはできない願いだった。
「……あやまりたかったんだ」
護衛班に付き添われていた夏樹が小さな声で呟いた。
「ぼく、パパとママにきらいって言ったんだ。かえってこなくていいって。だから、もう一回会えたら、ごめんね、大好きって……そう言いたかった」
一昨年の夏。皆で遊園地に行くと約束をした日、自分を置いて出かける両親を、夏樹は責めたてた。
その理由が、父方の曽祖母が危篤になったせいだと知ったのは、3人の葬式の時だった。
両親と曾祖母が亡くなったのは自分のせいと思い込んだ夏樹は、以後、泣くことをやめたのだ。
「夏樹くん……」
てっきり年相応に両親に甘えたいのだと思い込んでいた深紅は、自分の配慮の無さを悔いる。
「ほらほら、そんな顔してたら、お父さんお母さんが心配しちゃうよ……? さっき一緒に遊んでた時の笑顔、それを忘れないで居たら、絶対喜んでくれるから。そしていつか、楽しかった事を、2人へのお土産にしよ」
「多分、君のお父さんとお母さんは君の心の中でちゃんと生きていて、いつも君を見守っていてくれていると思うんだ。少なくとも、私はそう思う」
お姉さん――否、お兄さん2人の言葉に、夏樹は驚いたように顔をあげる。
「ほんと? パパもママも、ぼくのこときらいになってない?」
「あたりまえですよ」
力強く両肩を抱いた樹の手は、父のように大きくて……
ほんの少し、黎の右手が虚空を彷徨い、ふわふわのヒヨコのような髪に乗せられた。
優しく撫でる手は母のように暖かくて……
――夏樹は、両親を喪ってから初めて、涙というものを思い出した。