巨大な蜂に襲われながら、辛うじて逃げ延びた子供の元へ母が駆け寄った。
無事を喜び涙を流す親の横で、見えない我が子の姿を探し半狂乱で名を呼び続ける親もいる。
絶望と歓喜――その分水嶺は何だったのか? 抗う術を持たない者にできるのは、ただ祈り、待つことだけだ。
天魔の気まぐれを撃ち破る者達、即ち撃退士の到着を。
●希望への架け橋
「建物は2階建て、屋上までの距離は――9m。大丈夫、いける……」
提供された校内見取図を確認しながら、マリー・ベルリオーズ(
ja6276)は自身に言い聞かせるように呟いた。
(……マリー、本当に大丈夫なのですか?)
(大丈夫。守るための戦いだもの)
内なる誰かの問いかけに、マリーは落ち着いた思念を返す。その瞳には、盤石の決意が秘められていた。
「ぶんぶんぶーん。流石にこの数だと喧しくてしょうがねーな!」
小学校校舎の内外を飛び回っている蜂の羽音は、地上にいる撃退士達のところにまで聞こえていた。児童の証言を聞いていたが、頭痛がするほどの煩わしさに、ミイナ・シーン(
jb2697)は苦笑する。
「何としても全員無事に助けないとね」
息子を、娘を頼みます。額が地面に付くほどに懇願する家族の姿を思い出し、月影 夕姫(
jb1569)は緑髪を結わえていたリボンを解く。
「全員助け出す。シンプルで最高の目標だ」
夕姫の言葉を繋ぎ、SHOW(
jb1856)がハイテンションで叫ぶ。イヤホンから漏れ聞こえるほどの大音量は、彼のお気に入りのナンバーだ。
レガロ・アルモニア(
jb1616)も、羽音の不快感を紛らわせるため、携帯プレイヤーを取り出した。
(依頼は蜂型天魔の殲滅――敵も多いし、次々殲滅しないと。蝙蝠の羽根なら、悪魔? 確証はないけど、ディアボロであると仮定しておくわ)
ファレン(
jb2005)は静かに思考を巡らせる。限られた極僅かな情報を基に、活路を見出そうとする。
敵の強さは不明だが、数の差では明らかに此方が不利。
ファレンは後方を振り返る。そこには、重体を押して任務につく皇 夜空(
ja7624)の姿があった。
「じゃあ、ちゃっちゃと片付けようぜぃ!」
ミイナは闇の翼を解放した。一度大きく羽を動かし、ふわりと空へ浮かび上がる。
人非ざる者の姿を見て、校庭を挟んだフェンスの向こうで悲鳴とざわめきが沸き起こる。しかし、それもすぐに巨大な蜂の羽音に紛れ、消えた。
●激闘の学び舎
ドアはことごとく破られ、室内にあった机や椅子が廊下にまで転がっている。眺める限り人の姿はなく、動くものと言えば校舎内を飛び回る蜂だけだ。
「早く、行けッ」
夜空がアサルトライフルを乱射する。切り開かれた道を駆け抜け、撃退士達は一気に階段を駆け上がった。
「まずは1年生からね、相手の数は多いけどやるしかないわ」
1年生10名が居た図工室は階段を登ってすぐの場所。……だが。
「酷いな」
まずい、と顔をしかめるレガロ。
室内のあちこちに飛び散る画材と血痕。その中に残されていた児童は僅か2名。どちらも負傷していて、自力歩行は困難と思われた。
「大変! 早く治療を受けさせないと」
夕姫は刺激を与えないよう、静かに子供を抱き上げた。
階段で待機していた夜空と遠宮 撫子(
jb1237)に子供達を託し、自身は再び救出へと戻る。
どこに身を隠していたのか、獲物の存在を察知した蜂の群れが廊下に現れた。
レガロは蜂の注意を引くため黒い服を丸めて遠くに投げたが、引き付けられたのは少しの間だけ。動かないモノに興味はないらしい。
前後を塞がれ立ち往生となった撃退士達の真横を、アウルの弾丸が駆け抜けた。
「ここは任せとけッ!」
続く一撃で蜂を仕留めたSHOWは親指を立てて合図を送った。
皆は早く子供たちを――その意味を察し、夕姫とレガロは教室の中に身を躍らせた。すぐに倒れたドアを立て直し、蜂の追撃を阻止する。
「最ッ高にノッてんだ!! 外すわけがねえ!!」
誤射の心配がなくなったSHOWは、BGMに後押しされ銃を撃ち続ける。
「………ね……い、……け…」
その足元、押し破られたドアの下から、血に染まった細い指が伸ばされていた。資材室に逃げ込んだ児童を庇い、共に下敷きになった女性教師だ。
掠れた声で必死に助けを求めるも、その声はヘッドホンに阻まれ、撃退士の耳に届くことはなかった。
◆
事前に存在が確認されていた『巣』は、屋上のほぼ中央に陣取っていた。
そしてその周辺には4人の児童――蜂に組み敷かれた状態で、身動き一つしない。僅かに上下する胸だけが、生命の存続を主張していた。
「……数が合ってねぇ」
真っ先に屋上へ降り立ったミイナが唇を噛んだ。
逃げ延びた子供の証言では、浚われた1年生は最低でも5人。しかし、ここに倒れている子供達はみな身体が大きく、とても低学年とは思えない。
他の学年からも万遍なく浚われているとすれば、被害者はもっといるはずだ。
「何処に隠したんだよ。……巣の中か?」
ならば手っ取り早く破壊して助け出せ良い。
数秒遅れて追いついた仲間と共に巣の破壊を試みるが、蜂に行く手を阻まれ、近づくことができない。
「まずはあの子達を。このままだと、凍えてしまうわ」
「いいえ。それは無理」
寒空に晒された子供達の肌は蝋人形のように白い。体力が尽きる前に屋内へ入れるべき――マリーの提案に、ファレンは静かな口調で答え、指を差した。
唯一の退路である塔屋の上に、1人の青年が腰を掛けていた。
もちろん人間ではない。
背に負う半ば破れた被膜の翼。撃退士達を見つめる両の複眼は、種族に対する偏見を持たないマリーでさえ、ぞっとするほどに冷たい。
「あれが親玉ってわけか」
己が血の半分に連なる悪魔を前に、ミイナは動じることなく大剣を構える。
直後に繰り出した攻撃は、背後に迫っていた蜂を捕えた。
刃を向けるべき相手を履き違えない撃退士達の姿に、複眼の悪魔は僅かに目を細めた……ように見えた。
「戦いましょう」
ファレンは自分達を見下ろす悪魔に背を向け、カチカチと威嚇の音を鳴らす蜂に向き直った。
今はすでに避難活動をできる状況ではない。子供達を救い出すには、少しでも早く、1匹でも多く、敵を減らさなければならないのだ。
◆
教室の隅で、子供達は身を潜めていた。
壊れた机を盾にして、ひとかたまりになって。
「よく頑張ったわね、偉いわ」
「もう大丈夫だから。落ち着いて俺達の言うことを聞いてくれないか?」
レガロは子供達の頭を撫でながら、ジュースや菓子を配る。少しでも落ち着けるようにとの配慮だ。
「ねぇ。何か、羽音が大きくなっていない?」
ケガを負った子供にジュースを与えていた夕姫が顔を上げた時――廊下から怒声が聞こえ、続いて激しい銃撃音が鳴り響いた。
何の前触れもなく、蜂が興奮し始めたのだ。
人も物も関係ない。救助活動を行っている教室前を中心に、蜂は縦横無尽に体当たりを繰り返す。
「くそッ!」
SHOWと駆け付けた夜空が応戦する。
仲間の脱出をサポートしたいところだが、敵の数と状態に圧され、自身の身を守るのが精一杯だ。
「何があったの?」
怯える子供を抱きしめた夕姫は、自分が手に持つ物を見てハッとする。
悪魔の手で作られたディアボロとはいえ、彼らは通常の蜂と同じ習性を持っていた。
そして蜂は『目立つ色』だけでなく、香水やジュースに含まれる、ある種の『匂い』にも攻撃本能を掻き立てられるのだ。
「原因はコレか!」
レガロは子供達からジュースを奪い取ると、教室の外へ放り投げた。
「このままではとても脱出できないわ。……一か八か、試すしかないわね」
夕姫は意を決して教室を飛び出した。数メートル先の消火栓に飛びつくと、勢いよくホースを引っ張り出す。
もちろん、天魔を放水程度でどうにかできるとは思っていない。彼女の目的は別にあった。
「水で重いでしょ? 自慢の羽音も鈍ってるわよ」
予想通り。水に濡れた蜂は極端に動きを鈍らせた。攻撃本能を刺激していた匂いも多量の水に流され、蜂は力なく低空を這い回る。
「必ず助ける。だから大人しく待っていてくれよ……」
一刻も早く子供達を助け出すため、レガロも攻勢に出る。直線という廊下の特性を利用し、ダークブロウで一度に数体を打ち払った。
「JACKPOTだ!!」
接近した蜂を一蹴りで突き離したSHOW。止めとばかりに胸部を銃で撃ち抜いた。
夕姫は自身の周囲に黒い珠を生み出すと、突撃してくる蜂の前方に叩き込んだ。蜂は自ら攻撃に飛び込む形になり、頭部を粉砕されて墜ちる。
「あと少しよ!」
身体ほあちこちに傷を負いながら、夕姫は子供達を元気付けるように、自身を奮い立たせるように叫んだ。
◆
屋上での戦いは、予想以上に長く続いていた。
蜂の半数は巣の上に留まったままだが、それでも戦力差は1対5。
周囲を囲まれた上、遮るもののない上空から一撃離脱を繰り返され、撃退士達は数だけでなく地形的にも不利な状態に追い込まれていた。
それでもファレンは表情一つ変えず、身長より大きな剣を巧みに操り、舞うような仕草で羽を薙いでいく。
片方の羽を削ぎ落とされた蜂が体当たりを仕掛けてくる。しかしその動作に先刻までのスピードはない。
迎え撃ったファレンは、攻撃が自身に届くより前に、蜂の身体を一刀のもとに斬り捨てる。
一方で戦い慣れないマリーは蜂の猛攻を避けるのが精一杯で、なかなか攻撃に転じることができずにいた。
(マリー、落ち着いて。仲間と離れ過ぎています。このままでは……)
心の中に警告が響いたが、マリーは直面している危機に対処すべき術を知らない。
狙いを定めないまま手当たり次第に剣を振り回し、結果、徐々にフェンス際へと追い詰められてく。
七色の粒子を棚引かせ空を飛ぶミイナは、蜂と同じ高さに立ち、風車のように大剣を振り回していた。
身体を貫かれても闘争本能を失わない蜂を、突進してきた別の個体に振り投げる。
まさに獅子奮迅といった戦いぶりだが、あらゆる方向から襲い来る蜂の全てに対応することは難しく、ついに尾針の一撃を背に受けてしまった。
身体が痺れ、ミイナは数メートルの高さから落下する。
「ミイナさん!」
真横に落ちた仲間の危機に、マリーはすかさず駆け寄り、ミイナの喉元を噛みきろうとする蜂を薙ぎ払った。
「サンキュー」
幸い麻痺はすぐに治まったが、空中戦は危険と判断したミイナは魔具を戦斧に持ち替えると、流れ出る血を拭うこともせず戦いに身を躍らせた。
傷つき、片膝をついても何度でも立ち上がる。
そうして飛び回る蜂の殆どを落とした頃、突然、口笛の音が鳴り響いた。発信源は複眼の悪魔。
その直後、巣の上に留まっていた蜂が羽ばたき始めた。
「だめよ……。絶対に行かせない!」
天魔の目的に気付いたマリーが悲痛な叫びと同時に巣へ駆け寄った。
何人の親を、兄弟を、姉妹を不幸にしてしまうのか?
そんな事は絶対に許せない。
マリーは自身の身を守ることすら忘れ、がむしゃらになって蜂を払い落とす。
「行かせてたまるかよっ」
再び闇の翼を広げるミイナ。上空へ回りこんで行く手を遮ると、蜂を蹴散らしていく。
数を減らした蜂に、巣を運ぶだけの力は残っていなかった。最後の悪あがきか、蜂は巣を放棄すると、一斉に撃退士達へ襲いかかる。
見えてきた勝機に撃退士達の心は高揚し、次々と蜂を斬り落としていく。そして。
「これでお仕舞い。返してもらうわ。子供達を」
最後の1匹を屠ったファレンが塔屋を振り返った時――もう、そこには誰の姿も無かった。
●奇跡を信じつづけて
平和な町の小学校を半壊させた天魔事件はこうして幕を閉じた。
誰もが少なからず怪我を負っていたが、生存が絶望視されていた73名全員が生還できたことは、偏に撃退士の尽力があってこその奇跡だ。
人々の歓喜の声に包まれて、撃退士達は改めて任務を達成できたことを実感していた。
「……しかし、何だったんだろう。今回の事件は」
レガロは獲物を放り出し、名を名乗ることもなく姿を消した悪魔の目的を推測する。
混乱を撒くことが目的なら、ただディアボロを放てば済む。人間そのものが必要だったのなら、屋上に留めて置かず、そのまま浚っていけば良かったはずだ。
敢えてそうしなかったのは、他に何か目的があったからなのだろうか。
複眼の悪魔が去った今、それを確かめる術はない。それでも……。
たとえどんな目的があろうと、何度でも阻止してみせる。そう、撃退士達は心に誓う。
両親に付き添われ、また一人、子供が担架で運ばれていく。
巣の中に閉じ込められていた少女は、自分を助けてくれた撃退士達に気付き微笑んだ。
酸素マスクの下、唇の動きだけで紡がれた『ありがとう』の言葉は、しっかりと撃退士達の心に届いた。