曇天。
灰色の雲を隔てた太陽は頼りなく、山の木々もどこか元気なく見える。葛城 縁(
jb1826)はそんな閉塞感を吹き飛ばさんと、杏の手を掴んだ。
「わぅわぅ! 杏ちゃんだね〜話は聞いているんだよ。今回はよろしくー!」
ぶんぶんがくがく。上下に振られる度に杏が背伸びする。
「う、む、やめ……」
「あっはは。じゃあボクもよろしくね」
「や、だから待……」
黒須 洸太(
ja2475)が杏のもう片方の手を振り回す。すかさずアリス・シンデレラ(
jb1128)が目を輝かせて杏を引き剥がした。
「焦ってはいけないのです。握手したい人はマネージャーであるこのアリスに100久遠払うのですよー」
「え」
「100かー、1回50で2回分はダメ?」
「ではそれで!」
「わぅ、お小遣い足りるかな」
「え」
流れ作業のように杏の前に整列する2人。何故か握手せねばならない空気に負けて杏が手を伸ばし――
「遊びは帰ってから。お宝も危険を排除してから。ね?」
Elsa・Dixfeuille(
jb1765)のデコピンが炸裂した。
気を取り直し、周辺偵察に出た各務 与一(
jb2342)とハッド(
jb3000)が戻るのを待つ間、杏は地べたに体育座りでエルレーン・バルハザード(
ja0889)に改めて経緯を説明する。
「――ですので今回も夜に天狗笑いがある筈です。外に誘き出すには笑い返せばよかったかもしれませんが、むしろ私はここで洞穴へ突入するというその情熱を評価したい」
「じょうねつ?」
「皆さんの、お宝に賭ける熱い思いです」
「あ、うん」
生返事のエルレーンである。辛うじて杏のお宝愛を理解できるのはこの場でアリスくらいだが
「ですです。換金できそうなお宝だといいですね!」
「それを かんきんするなんて とんでもない」
後々仲間割れ必至である。
そんな話を各務 浮舟(
jb2343)はこくこく熱心に聴いている素振りで、腰に吊るしたライトの具合を確かめる。
――薫、早く戻ってこないかな。
と、浮舟の願いが通じたか、与一とハッドが各々別方向から姿を現した。
「皆の者、我輩の丹精こめた偵察の結果をようく聞けい!」
ハッドが情報を語る一方、与一と浮舟は秘かに視線を交して微笑した。
「行こうか、浮。俺達兄妹の力、天魔に示そう」
「ん」
時を確かめる。1515時。決戦は、大禍時になりそうだった。
●陽動と潜入
9人は2班に分かれて慎重に塒へ近付く。
偵察の結果、山中を数体の敵が巡回しているようだが、それは無視するしかない。1班がサーバントを引き付け、1班が天狗を叩く。天狗が鬼達と離れなければ後は乱戦勝負だ。
「っと、先走りすぎないようにね。突っ込むならアリスさんと一緒で」
洸太が杏に釘を刺す。杏が僅かに眉を顰めて首肯した。
「あ、あとね、ロープとか持ってる?」
「? えぇまぁ」
「苦無に結んで鎖分銅にできないかな。一瞬でも天狗を絡め取れたら助かる」
「成程」
即席で作る杏を囲いつつ、エルレーン、洸太、アリス、エルザ、杏の5人が斜面に張り付く。洞穴からやや離れた脇に位置した形だ。
他4人はそれを確認して深呼吸。心身を整えるや、廃屋の影から一気に洞穴へ突入した。
「わぅ、暗くて狭くてじめじめでべとべとだよぅ……」
中は意外に深く、洞穴というより坑道に近い。と言っても壁や天井は補強などされておらず、浮舟が一部を照らすと今まさに土が零れている所まである。2人並ぶと充分に戦闘できそうにない点も、初の実戦となる縁にとって不安要素だった。
慎重――を装い、しかし大胆に音を立てて進む4人。遠く水滴の音が響いた。凍えそうな風が首筋を撫でる。前に分かれ道。そろそろ敵に来てほしい――と思ったのも束の間、その分岐路からぞろぞろ敵が這い出てきた。
最後尾のハッドが戻り始める。鬼へ扇を放つ浮舟。与一が素早く踏み込むや鉄扇で敵胸骨を打ち上げた。縁が入口へ駆け出す。
「わぉーん! こっちだよ!」
「鬼さんこちら、なんて。ふふっ、少し楽しくなってきたかも」
『――■■!』
「……浮」
「なぁに?」
楽しげに目を細める浮舟に、与一も注意する言葉を失う。
そんな騒ぎを敢えて続けながら駆け、漸く外の光が見えてきた。4人が飛び出す。眩しさを堪え、さらに走る。廃屋の脇を抜け、ハッドが林の中へ突っ込んだ。他3人はその寸前で反転するや
「さて。これからが本番だよ」
10体を超える敵を前に、与一が涼しげな笑みを浮かべた。
外に出たのは屍霊鬼、天狗火、そして白魂合せて13体程か。残念ながら天狗はいない。それを見届けると、杏達5人は秘かに洞穴へ滑り込んだ。
「まだ中に天狗以外の敵がいるかもしれない……気を付けて」
「了解なのです」
アリスはエルザにサムズアップすると、先行して奥へ進む。続く杏。洸太がエルレーンとエルザの前に立ってゆっくり押し上げていく。
粘っこい空気が体に纏わりつき不快感が押し寄せる。湿っぽい臭い。血臭ではない。ただの湿気だ。にも拘らず呼吸すると何故かむせ返りそうになった。
「嫌な、感じ……」
エルレーンが懐の阻霊符を確かめる。そのうち最初の分岐路に辿り着き、先行していたアリス達が戻ってくる。
「左は何もないただの部屋のようでした。一応軽く調べましたが、罠も敵もなかったのです」
さらに進む一行。奥へ行けば行く程湿気は強くなり、否が応でも緊張感は高まってくる。緩く円を描いて下りているようだ。次の分岐。右に小ぢんまりした何もない空間があった。本道に戻って進まんとする。
不意に、風鳴りのような何かが聞こえた。もとい、それは。
「天狗笑い、ですか」
からからから。
どこか不快なその声と共に、天狗は、気付けば正面に現れていた。後ずさるアリスと杏。洸太が出る。分岐点に引き込み、2人で当れる状況に持ち込んだ。それでも天狗は悠然と歩いてくる。一瞬の虚。それをエルザが突き破る。
「止まり、なさい……!」
暗闇を穿つ漆黒の弾丸。天狗の居合がアウルとぶつかり、弾けた。敵が一足で滑るように踏み出す。合せて洸太も踏み込んだ。一合。洸太の前蹴り。躱す天狗。下から敵の白刃が伸び上がる。仰け反るも躱し切れない。パッと朱が散った。天狗が追撃せんと刀を振り上げ――瞬間
「ふふふ……この暗闇では逃げられませんよ」
闇から這い出たアリスが大鎌を振り下した。甲高い金属音。咄嗟に刀で受ける天狗だが、その隙をエルレーンと杏が衝く。
天を駆けて回り込むエルレーン。杏が即席鎖分銅を投擲し、エルレーンが天から跳ぶ。雷光を纏った蹴撃と敵の刀が交錯した。鎖分銅が胴に巻き付くが敵は意にも介さない。
『――』
からからから。面白いとでも言うように、戦いの最中に天狗は直立する。洸太――いやその後ろのエルザを見据える敵。以前の戦いを覚えていたのだろう。
「ボクは眼中になし、か。ま、いいけどね!」
命を投げ出すが如き、もといまさしく投げ出した洸太の踏み込み。望み通りの死を与えんと、天狗の凶刃が2度3度煌く……。
●2つの戦
与一の矢が宙を奔る。縁の散弾がけたたましい音を立て炸裂する。
弓と銃、2つの力に押され屍霊鬼が吼えた。ガチャガチャと不恰好に接近する鬼。縁がその前を横切って挑発するや、気を取られた鬼に浮舟が扇を放った。
――私を見て。釘付けにしてあげる!
弧を描いて鬼を引き裂く扇。敵集団が2つに割れ、縁と浮舟を各々狙い始めた。浮舟がさらに鬼を射程外から攻める。陰から天狗火がにじり寄ってきた。心気を研ぎ澄まして与一が放った一矢が天狗火を縫い止めた。刹那、一気に浮舟が肉薄する。
双剣。右の斬り上げ、舞を披露するが如き反転から2つの刀身を合せるように袈裟斬り。輪郭を失う炎。胸のペンダントが揺れた。鬼が棍棒を振り下す。ペンダントを引き寄せ庇う形で棍棒を喰らう浮舟。調子に乗った鬼が嗜虐的な笑みを浮かべ――
一条の光が、鬼を貫いた。
轟音。鬼が消炭となってくずおれ、光の残滓がパリパリと周囲に弾けた。
『ふははははは、これぞ王の鉄槌であるぞ! 我輩の援護を有難く受けるのじゃ!』
林の奥から響くハッドの声。応じるように縁が引鉄を引いた。
「わぅ! 負けられないんだよ〜!!」
「うむ、上々じゃの」
枝上で雷霆の書を開いたまま、ハッドは自画自賛する。
木漏れ日だけが届く仄暗い林。幾本もの松の隙間から戦場を見渡し、ハッドはさらに裁きの標的を探す。
敵群中衛から隙を窺う白魂。3体同時に前へ出た天狗火。縁と浮舟は鬼に密着されている。天狗火を食い止めねば。ハッドが右腕を掲げて狙いをつけ、次なる光を放った。それは過たず1体の炎を貫き、ハッドはふふんと勝ち誇る。が、次の瞬間。
首筋を、生温い感触が撫でた。
咄嗟に枝上から跳び下りつつ振り返るハッド。その目に白魂が映る。翼を顕現させ着地するや、雷の一矢を放つ。躱す敵。漂うように、しかし確実に敵は距離を詰めてくる。
――偵察に出ておった奴じゃな……。
冷静に呼吸する。深く吐ききり、止めた。1発。眼前に降り立った敵が不可視の腕を伸ばす。2発。絡め取られ――
「っ……我輩は、バアル・ハッドゥ・イル・バルカ3世。王である!!」
裂帛の気合と共に、裁きを下した。
林からこの世のものと思えぬ断末魔が響く。縁はそれを聞きつつ引鉄を引き、敵の前を駆け抜ける。
鬼が追う。炎が伸びる。致命傷だけ避けるように敵を往なす縁。直後、地に油を引いたが如く炎の壁が縁と浮舟達を分断した。拙い。息を止めて炎を跳び越え――その先に待っていたのは白魂の抱擁だった。
「っぅい!?」
「葛城さん!」
弓を引く与一。力を留めるように心を鎮め、瞳を見開いた。放たれた一矢が白魂を穿つ。浮舟が斬り上げた。鬼達が縁と浮舟を襲う。何とか腕を動かした縁が白魂に銃口を向け、接射した。反動が縁の体まで傷つける。白魂が揺らぎ、直後凄絶な慟哭を上げた。
木々すら震える断末魔が2人を縛り付ける。囲ってくる鬼と炎。与一が指に3本の矢を挟んで次々射る。
「そう簡単には狙わせないよ。この矢が届く限り誰も死なせはしない」
さらに林から雷の一矢が飛来する。敵が縁達を打ち据えた。敵中へ遮二無二突っ込んで浮舟を救いたい欲求に駆られる与一。だがそれでは共倒れになりかねない。
「浮!」
「大丈夫……!」「わぅ、私も忘れないでほしいなあ」
懸命に体を縛る何かと戦っていた2人が、軛を断ち切るように叫んだ。包囲を抜けて与一の許まで退き、敵を見据える。鬼4、炎2。
「早く終らせてご飯食べるんだからっ」
満身創痍の縁と浮舟が、再び敵前へ躍り出た。
煌く白刃。舞い散る血潮。
胸を裂かれた洸太がべしゃと生々しい音を立て崩れ落ちる。微動だにしない。天狗の双眸が鈍く光る。左足を引きエルザを見据えた。来る。圧倒的な力が膨れ上がり彼女を襲う。敵が踏み込む――寸前。
「……、なん、ちゃって」
気絶した筈の洸太が、血に溺れながら伸ばした右手で、天狗の足首を掴んでいた。
僅かな、けれど絶対的な天狗の動揺。撃退士がそれを見逃す訳が、なかった。撃ちまくるエルザ。エルレーンが光剣で斬りつけるや、アリスの大鎌が敵を絡め取った。
斬。咄嗟に受けんとした天狗の左腕が千切れ、斜めに裂かれた体から血が溢れる。
『――……■』
呻くような、あるいは縋るような声を上げて洸太を振り払い、天狗が退く。追わんとし、しかしエルザが洸太についた。
「皆は行って。でも絶対に無茶はしないで」
「了解」
エルレーン、アリス、杏が天狗を追う。前方、小さな部屋のような空間に飛び込んだ3人は一瞬目を疑った。
「これは」
そこは、子供部屋のようだった。彩り豊かで、楽しげな雰囲気に満ちている。正面に立ち塞がる天狗と、人型の屍霊鬼。2体――いや2人は寄り添い立っていた。そして奥には、使い古された玩具らしき何か。
それは天狗の過去を推し量るに充分だった。僅かに逡巡し、杏が言う。
「これで、お仕舞いです」「……ん」
2人に肉薄した3人が、各々の得物を振り下した……。
●宝
5人が洞穴から出た時、陽動の4人はまさに最後の2体を倒すところだった。
敵を引きつけ続けてくずおれた浮舟。彼女を庇うように立ち、矢を射る与一。林からの光が敵を縫い止めると、与一と縁が鬼に引導を渡した。
地に積み重なる骨。それが山風に曝され崩れていく。糸が切れたように縁がへたり込んだ。酸素を求めて空を仰ぐ。
いつの間にか、灰色の雲は茜色に染まっていた。
エルザが洸太と浮舟に肩を貸し、廃屋に足を踏み入れる。
中は小さなテーブル、椅子、ベッド、棚、炊事場があるだけの簡素な作りで、朽ちた白骨はベッドに寝かされていた。続けて入ったエルレーンと与一が白骨に近付く。
「連れて帰ってあげた方が、いいかな」
「……いや」
きっとこの地に眠りたいだろう。与一は、なんとなく思った。
「君がどんな子だったのか、知らない。でも、冥福を祈らせてもらいます」
「ん、がんばったね。もうだいじょぶだよ……」
2人が慈しむように少しずつ、骨を外へ持っていく。
エルザはそれを横目に眺め、洸太と浮舟の治療を始める。
「大丈夫、よね……」
傷口にタオルを当て呟くエルザ。洸太が笑顔で
「平気だよ。痛いけど死んだ訳じゃないしさ」
「あ、あ、貴方は黙ってなさい!」
タオルはみるみる朱に染まり、エルザの手を濡らす。その感触が、鼻をつく生臭い鉄の臭いが、彼女の記憶を刺激した。
不意に込み上げる嘔吐感。それを無理矢理呑み込み、エルザは気丈に浮舟に目を向ける。少女は自ら服をめくり、何かを塗りこんでいた。その手元には針と糸。エルザが声を荒げる。
「ま、待って、医者を待ちましょう?」
「え、でも」
「わ、解った解りました、私がやるから。大人しくしていて」
不満げな浮舟を封殺して彼女を寝かしつけるエルザ。すると今度は洸太が起き出す。狼狽するエルザ。それを見て洸太は笑う。
「あぁもう何なのよこれっ」
悲鳴を上げたエルザがキレたように治療に没頭し始める。まるで、何かから逃れるように。
アリス、縁、ハッド、杏の4人は洞穴を探索し終え、子供部屋に来ていた。
天狗と屍霊鬼の死体はもうない。溶けるように消えたのだろう。存在していた証すら、残さず。
「この中にお宝は……」「ない、でしょうね」
肩を落す杏。縁が苦笑し
「え、えっと。いつか苦労は報われるってお母さん言ってたよ!」
「よ〜解らんが。宝を手にするに相応しい何かをお前が持っていれば宝の方から寄ってくるじゃろ」
「うう」
虚しい励ましが逆に追い討ちに聞こえる杏である。たっぷり時間をかけて心を落ち着かせると、再び玩具の山に目を向けた。
玩具。寄り添う天狗と鬼。子供の白骨。
きっと天狗に生前の記憶などなかったろう。けれど本能が何かを覚えていた。だから……。
「まぁ、いいです。私は次のお宝を捜し求めるだけなので」
杏は興味を失ったように玩具の山に背を向け、歩き出した。
<了>