杏は観測を続けていた。
広場の2体の他に離れて蠢いている影がいるのが判る。それに風に乗って聞こえる笑い声らしき音。敵は他にもいる。
――むむ、お腹が空きました。
ご飯を持って外に出ればよかったなどと思いつつ、携帯を見る。2135時。アンテナは、1本も立っていなかった。
「……繋がらんな」
リョウ(
ja0563)は携帯を切ると、圏外と書かれた画面を若干忌々しげに眺めた。
これで大庭杏と連絡できれば簡単だったのだが。とはいえこちらが来るまで観測する旨は斡旋所で聞いている。すぐ見つかるだろう。
8人が暗く狭い山道を抜けると、やや拓けた平地が眼前に広がった。山の中腹を間借りしたような地に立ち並ぶ20かそこらの家屋。入口には卒塔婆の如き板切れに大櫛村の文字。一直線に進んだ先で蠢く、2つの影。ここだ。
「全く何時だと思ってるのよ……」
「ブリちゃんはおねむです? ほむ、夜更かしは美容の大敵ですしね」
欠伸を噛み殺すブリギッタ・アルブランシェ(
jb1393)の柔らかい銀糸を撫でんとするファティナ・V・アイゼンブルク(
ja0454)。が、寸前にブリギッタがふしゃーと身構え、それは未遂に終った。
「ね、眠くなんかないけど。あとブリちゃん言うなっ」
「はぁあ〜可愛い〜」「な、なっ」
「それより」
桐原 雅(
ja1822)が暗視装置を調整して敵を観察する。夜に骨が動く姿はやはり気持ち良いものではない。
「さっさと倒すんだよ。あいつらにどんな目的があるか知らないけど」
「ん、まずはあの2体を、だね!」
彩咲・陽花(
jb1871)がやる気を見せると、頭の妙に猫耳っぽいバンドが揺れた。フローラ・シュトリエ(
jb1440)がカレンデュラを顕現させる。
「そうね……未確認の敵が現れるかもしれないけど、そこは臨機応変に」
「ならば俺が大庭と合流して情報を得るついでに偵察してみよう」
「……あたしも、行かないと。杏さんに訊かないといけないから」
リョウに続いてRobin redbreast(
jb2203)が言う。何かに憑かれたように、あるいは溺れる少女が何かに掴まらんとするように。
2人は近くの家まで移動すると、壁を駆けて屋根に上った。ロビンの瞳が夜を見通すように輝く。と、杏らしき膨らんだ影を発見するや、2人は闇の中へ歩き出した。
一方で広場を見据えた6人は、
「スレイプニル、来てっ」
陽花の呼び声に応え異界より召喚される獣。ぐる、と低く唸って伸びる姿が勇ましい。グラルス・ガリアクルーズ(
ja0505)が準備万端とばかり灯りの呪文を唱えた。
「この灯りに敵が気付いたかどうか……どちらにしろ。そろそろ討伐の時間だね」
煌々と瞬く光。暗闇に浮かび上がったそれに敵が気付いた、刹那。
「行くよっ!」
雅を先頭に6人が真正面から突っ込んだ。
●拙速と接触
どこからともなくからからと笑い声の如き音がする。雅が空を警戒するが、それを気にかけるより早く6人は2体の敵と当った。
「君達と遊ぶつもりは無いよっ」
姿勢低く走る雅。後ろ、屍霊鬼と10m以上を隔てブリギッタが静止すると、銃床に左手を添え慎重に引鉄を引いた。銃弾が右の敵を貫くや、地中から現れた影がその敵を絡め取った。ファティナが炎符を指に挟んで叫ぶ。
「雅さん!」
「纏めて蹴り砕いてあげる……!」
素早く肉薄した雅から放たれる蹴撃の衝撃波。敵が盾を前に受けると、先頭の雅に襲いかかった。棍棒か剣の如きそれを振り下す。横からその腹を叩いて躱す雅だが、もう1本が肩口にめり込んだ。
態勢を崩しつつ退く雅。代ってフローラ、陽花、スレイプニルが面で押し返す。
『――■■!!』
敵を砕く悦びに震えるように吼える召喚獣。棹立ちからの踏み潰しが敵を盾ごと圧迫し、陽花とフローラが同時に薙いだ。
「もう1体の方お願いねっ」
「言われずとも」壁を背にしたグラルスが魔術書を開くや力ある言葉を朗々と紡ぐ。「貫け、電気石の矢よ。不浄なる敵を討ち滅ぼさん!」
暗闇に奔る一筋の雷がファティナに拘束されていた敵を貫く。その隙にブリギッタも中衛につき槍斧を構えた。
まさに電光石火。このまま一気に押し込めると確信した――直後。
『――■■』
家屋の陰、横合いから飛び出してきた何かが、丁度後衛で孤立しかけていたファティナの体を貫いた。
「むむ。意外と早い到着、ですが」
杏が腹這いになったまま広場の様子を窺う。灯りを煌々と焚いて索敵を待つまでもなく一気呵成に突き進んできたのは自信の現れか。
と僅かに目を離した隙に、闇の奥で徘徊していた影が消えていた。自分も油断しすぎだとバツが悪そうに唇を引き結ぶ。そこに音もなく、
「大庭杏、か?」
リョウとロビンが降り立った。
「そですが」
「大学部3年、リョウ。迅速に情報交換を」
杏が老婆の話と状況を手早く説明する。ロビンは側面からの奇襲を受ける広場の6人を無感動に眺めつつ、疑問を口にした。
「……天魔は、いつもどこから。滞在時間は……」
「前者はおそらく西の山向こうではないかと。ただそれ以外はお婆さんに訊いても判らないかと。先程見た限り、村の方は震えていただけですし」
「じゃあ……樹を倒したような振動は……」
「不明です。辺り一面に木霊してましたし」
そう、と呟くロビン。びょうと激しい夜風が髪を弄ぶ。
「……天魔は、いつ頃から現れたのかな」
「村の方が恐怖に長期間耐えられると思えないですし、せいぜい半年だと私は予想します」
ロビンは了解と言うように小さく頷くと、偵察してくると村の奥へ消えていく。リョウはそれを見送り、暗視装置を杏に渡した。
「村に侵入、という割に数が少ないな」
「お婆さんの推測もあながち間違いではないと」
「天魔は伝承を基に作られる事も多い。何かないか?」
「……笑い返してみますかね。これに」
杏が両手を耳元に持っていき、リョウもそれに倣う。吹き荒ぶ風に紛れて聴こえるのはからからという声。
天狗笑い。笑い返すと天狗が現れる伝承。
流石に今この状況でやってみる気は起きなかった。
●吶喊と光弾
腹を貫く骨の投槍。せり上がってきた血を吐き、ファティナは右手を虚空に伸ばした。
――敵を、打擲する為に。
「っそこです!」
蠢く影が横――奇襲してきた敵を縛り付ける。グラルスの光矢が乱れ飛んだ。ファティナが敵と逆側へ退く。
闇から姿を現した新たな屍霊鬼が後衛へ向かう。が、雅が広場の2体を仲間に任せ、ファティナと敵の間に割って入った。
「せっかちなのは嫌われるよ。まぁ、ボクは何があってもきみたちを好きになる事はないけど」
体躯を活かして左右に振るや、一瞬のバネで敵側面から蹴りを繰り出す雅。敵が雅の左へ回るようににじり寄る。鈍い打撃を左腕で往なすと、勢いを利用して右のミドルを叩き込む。瞬間、ぞわと首筋に怖気が走った――と思う間もなく後ろへ跳ぶ。寸前まで立っていた地面が弾けた。
夥しい礫が雅を襲う。2歩3歩とさらに退く。
「っ……」
『――■■!』
「雅さんに」調子に乗って雅を追撃する敵に、ファティナが異界の影を呼び出す。「傷なんて作らせる訳にいきません!」
拘束に成功するのを見届け、ファティナが広場の2体に集中する。
勝負を決めるべくグラルスの光矢が敵を穿つ。崩した瞬間を雅が狙う。2人の連撃が横撃してきた敵を地に沈め、広場の敵へ向き直った――その時だった。村の奥、闇の中に光弾が打ち上がったのは。
「さっさと片付けるっ」
ブリギッタが槍斧をぶん回すと、敵が盾を翳して防御した。その死角をフローラが衝く。
「長期戦もできるけど……その必要もないくらいね」
「後ろ、がら空きだよ!」
敵を跳び越え背後から襲いかかるスレイプニルと、呼応して薙ぎ払う陽花。主従一体の連携に敵1体が倒れ伏し、残る1体が逃亡せんと背を向けた。
その背を、
「終り。どうせ死ぬんだから最後まで戦えばよかったのにね」
ブリギッタの銃弾とファティナの雷撃が貫いた……!
つんのめるように倒れ、音を立て崩れていく骨。地に積み上がった骨を見下し、誰かが息をついた――そこに。
敵の位置を報せる、あるいは自らの危機を報せるが如き光弾が、打ち上がった……。
ロビンは村と山の境、木々の陰に潜む敵を発見していた。浮遊する炎1体と屍霊鬼1体。2体は後詰のようにじっとしている。
――人形……あたしと同じ……。
その姿を観ただけで、近くに上官がいると悟った。何故なら、籠の鳥の姿は鏡でよく見慣れていたから。
ロビンは息を潜めて北西端の家の屋根にうつ伏せる。広場の敵が殲滅されれば2体も動くに違いない。その時こそ上官の現れる時だ。
夜目に瞳が輝く。体が他人の物になったような感覚を覚えた。広場の剣戟が低く聞こえる。ロビンが懐の魔導書に手をやった。その手が書を掴んだ――刹那。
「……!?」
不意に体が浮かび上がった。不可視の何かに捕えられたように締め付けられて動かない。咄嗟に光弾を空へ放つ。それは友軍へ報せる為の光だったのだが、偶然にも敵の姿すら映し出していた。
松の枝上に立つ黒翼の異形。仮面から突き出た嘴がロビンの脳裏に焼き付く。そして。
ロビンの体は神通力によって握り潰された。
暗闇に瞬く光を見逃す者はこの場に誰もいなかった。
「急ぐぞ」
リョウ、杏が光の許へ走る。家々を抜け、凸凹の地面を踏み締めて。暗視装置越しに見る村は寒々しく、肌を刺す空気には嫌な気配も混じっていた。
光に近付くにつれ濃くなってくるその気配は、
「……できれば私は平和にお宝探しに勤しみたいのですが」
「そうもいかんだろう。俺が敵を足止めする。その間に彼女を」
現場に辿り着いた途端、膨れ上がった。
木々に紛れるように待機する敵2体。その眼前に打ち捨てられたロビン。敵が彼女の体に近付かんとした直後、リョウの足元から闇が伸びる。それが敵の影を貫くやリョウ自身も肉薄、樹の幹を蹴り上げ中空からアウロラの刃で払う!
敵がリョウに集中した。浮遊する炎が忍び寄る。敵2体が挟み込んでくる。リョウは着地と同時に横に跳び、素早く大樹に隠れると幹を駆け上った。敵が左右から回り込んでくるのを上から眺め、
「甘い」
跳び下り様に屍霊鬼の首を刈り取る。が、そこに焔が吹き荒れた。咄嗟に腕を翳して防ぐリョウだが、死角を衝き炎がリョウの体を包み込む。装束を脱ぎ捨てるも敵は絡み付いて離れない。目が霞み、脚が震えた。咄嗟に横っ飛びして自ら幹にぶつかるリョウ。敵は変らず絡み付く。
が、これぞ彼の思惑通りだった。何故なら、
「救出完了、早くおさらばして広場の人と合流です!」
待望の報告が杏から齎される。リョウが離脱せんとし――
からからから。
「……伝承のお出まし、か」
呵々大笑する天狗が、リョウの行く手に舞い降りた。
漸く炎を振り払い、天狗と正対するリョウ。松林の中、前に天狗と後ろに炎。どこの芝居だと、場にそぐわぬ感想が脳裏に浮かんだ。
腰を落し、半身に構えて前後に気を配る。そして、跳――!
「黒玉の渦よ、全てを呑み込め――!」
巻き起る暴風。舞い上がる土煙。リョウがその場から一気に離脱するや、高い声が松林に響く。
「スレイプニル!」
暴風――グラルスの魔法に合せ陽花の召喚獣が天狗に突撃する。振り向き様に納刀した刀で受ける天狗。宙を後退りすると、一瞬の隙を衝いて抜刀した。
一閃。
ただそれだけで獣の血潮が溢れ、逆流した衝撃が陽花を傷つける。膝をつく陽花を庇うように雅、ブリギッタ、フローラが前へ出た。敵は手負いの炎と天狗。こちらは広場で4体を撃破してきたばかりの連戦。
雅が唾を飲んだ、刹那。天狗が、消えた。もとい地を縮めるが如き脚力で突っ込んできた。
「っ……」
辛うじて仰け反る雅。その頬を、鼻先を剣閃が掠めていく。朱が散り、前髪が舞うのがコマ送りのように見えた。体を捻って脇から落ちながら右脚を蹴り上げる!
「雅さん!」
一呼吸遅れてファティナの雷撃が天狗を貫き、ブリギッタの槍斧とフローラの杖が天狗を削る。天狗は刀を振り抜いた体勢のままそれを受ける。まるで撃退士達を吟味するかのように。そして脚に力を込めると、一瞬にして数十mまで跳躍し、枝に乗った。
からからと笑い、クイと顎で山奥を示す天狗。誰もが眉を顰めた次の瞬間、地上に残っていた炎が思い出したように襲い掛かってきた。
「全く面倒ね……」
ブリギッタを始めグラルス、陽花を含めた6人が炎に向き直る。
そして敵を撃破した時、頭上には既に天狗の姿はなかったのだった。
<了>
「避難はできない、と」
戦闘後、村人に避難を勧めたファティナは、彼らの答えを確かめるように反芻した。
「生まれ育った村やからのう。それになお嬢ちゃん、こんな言い伝えがあるんよ。天狗が悪さぁせんよう見張っとけ、いうてな」
「そうですか……では付近の巡回をしてもらうよう撃退庁に言っておきますね」
故郷から遠く離れた地で暮らすファティナとしては郷里が大切な気持ちは理解できる。敢えて強く言わず、これがベターだろうとファティナが微笑した。
諸々の雑務を済ませてファティナが一息つくと、やや離れて咳払いが聞こえた。
「ま、まぁ? お疲れ様?」
「ブリちゃん?」
「だからブリちゃん言うな」
そっぽを向いて近付き、カップをずいと押し付けるブリギッタ。目を丸くして受け取ると、ブリギッタはカップに水筒から紅茶を注いだ。
優しい香りが鼻腔をくすぐる。
「あ、ありがと……」
「勘違いしないで! あ、姉とかそんなのじゃないし。労っただけだからっ」
「か」
「え?」
「可愛い〜っ! これは待ちに待ったブリちゃんのデレですね!」
「ち、違うってばぁ!」
ブリギッタの悲鳴が夜空に響いた……。
粗末とすら言える社が、山を分け入った先にあった。いつできたのかも判らぬ程に朽ち果て、辛うじて残っているといった有様だった。
「これが天狗石の社、ですか」
杏がライトで照らして興味深そうに見つめる。
時は深夜。疲労感はあるが、実際天狗が出た以上早く調査した方がいいという訳だ、が。
「異常はないな」
「ゲートとかもないね」
リョウ、陽花が言う。応急処置で意識を回復したロビンも同行せんとしたのだが、陽花が止め、代りに確かめに来たのだ。天魔の痕跡がないか、と。
「石も特に変ったものではなさそですね」
躊躇なく祀られている物に触る杏に、陽花が苦笑した。杏は嘆息し、社にお参りする。
「杏さんはお宝探しに来たみたいだけど、これからどこか行くのかな」
「今回は帰ります。私は大変疲れました」
「またどこかで会ったら……」
リョウが言い差したその時、夜風に乗ってからからと、あの笑い声が聞こえてきた。撃退士をどこかへ誘うように。
「ご招待してくれてるのでしょーかね。むむ、あんな偉そーなのの家ならお宝もあるかもです」
「あ、怖いとかじゃないんだ」
早くも狙いを定めた杏に、陽花がツッこんだ。