夥しい悲鳴。
それは赤槻 空也(
ja0813)の脳裏に焼き付いたいつかの惨劇を呼び覚ますに充分すぎた。
「ッ……ンだよこれ……同じ……オレの……!」
胃が引っ繰り返りそうな不快感。咄嗟に口元を覆い、どうしようもない嘔吐感を呑み込んだ。
深呼吸――できない。小刻みにしか息も吸えず、歯もガチガチと噛み合わない。他人の体のようだ。
「は、はぁっ! ……何で……クソ……畜生ぉ……!」
こんな日の為に撃退士となって多少なりとも訓練してきたのだ。なのに体が言う事を聞いてくれない。悔し涙が溢れそうになる。
空也が拳を握り締めた。その時だった。
「――戦える人――手を貸し――!」
学生達の怒号に紛れ、必死に何かを呼びかける女性の声。
空也が辺りを見回し――見つけた。身のこなしを見るに撃退士のようだ。大仰な手振りで避難誘導している彼女。その姿は、空也の心に何かを齎した。
「……ハ、ハ! 何やってんだオレはよぉ……オレぁパンピーじゃねぇ……撃退士だろうが!」
握り締めた拳で何度も胸を叩く。いい加減目を醒ませと言い聞かせて。
「こっちだ……オレも、戦える!」
空也が女性に叫ぶと、女性――Elsa・Dixfeuille(
jb1765)は両腕を広げて歓迎した。
●状況把握
「おーっほっほっほ! わたくしの出番ですわ! 皆さんご安心を、このわたくしが居合わせたからには天魔の10や20、物の数ではありませんわよ!」
いち早く舞台へ上がって胸を張ったのは桜井・L・瑞穂(
ja0027)だ。これでもう学生達の期待に輝く視線は自分のものだとか秘かに思ったりもした瑞穂だが、現実は非常である。
何一つ変らぬ混乱。ひょこっと舞台に上がってきた少女2人。チョコバナナや箸巻きを頬張っていて微妙に緊張感がない。
「んー? 騒がしいね、何これ?」
「むむ〜、何かあったのかな? かな?」
野崎 杏里(
ja0065)と焔・楓(
ja7214)である。瑞穂が、爆発した。
「こ、此のわたくしを差し置いて美味し……ではなく、其処な黒狐とやら! わたくしより目立つなど言語道断!!」
びかーん。瑞穂の思いを表すように星の輝きが辺りを満たした。
「……で。桜井が何でこんな所にいるんだ」
「今はそんな事より不届き千万な黒狐とやらを屠るのが優先でしてよ、心理」
少しでも状況把握しやすい場所を探した結果、撃退士の誰もが舞台に集まってくる。叶 心理(
ja0625)が「ま、そうか」と視線を戦場に転じた。
無秩序な群集で溢れ返るせいで、誰が瑞穂の光から目を逸らしたか判断できる状況ではない。むしろ妙な着ぐるみが10人程いてそれが怪しく見えてくる始末だ。
そこに御幸浜 霧(
ja0751)、周 愛奈(
ja9363)と壇上に来る。水面を伝うような清廉とした声で、
「ここに来るまでで既に人に押されて怪我している者を見つけました。手当は致しましたが……早急に沈静化せねば二次災害を招く恐れがありましょう。事態はどうなっていますか?」
「むー、よく解らないのだ。食堂の近くに敵がいそうなのは確かなんだけど」
箸巻きをごくんと飲み込み、焔。霧が北東を見晴るかす。
「敵の認識と迅速な接近。そして避難誘導ですか」
「みんなが楽しいとこ邪魔するのは許せないの。愛ちゃんがきちんと退治してあげるの!」
幸い霧、それに瑞穂も異界の者を識別できる為、敵の認識は何とかなるだろう。後は、
「ふーん。ま、食後の運動には丁度いいかな。ボクも遊んであげるよ。どうせ狐じゃ物足りないだろうけどね……!」
無言だった杏里が唇に付いたチョコを舐め取り、獰猛に口角を上げた。
これで6人。瑞穂が舞台中央で異界認識を発動せんとした――寸前。
「私達も、います。実戦は未経験ですが……物の数程度にはなるかと」
エルザと空也が合流した。これで8人。これなら万全の態勢で臨む事ができる。瑞穂が鷹揚に頷いた。
「おーっほっほっほ♪ よろしくてよ」華麗に北東を指差し「敵は食堂にあり! 此のわたくしの眼が敵を炙り出して差し上げますわ!」
●戦闘と救助
仁王立ちで大言壮語するだけに、瑞穂の目利きは確かだった。
「1時方向、距離13m――目標黒狐そのもの! 行きますわよ!」
目に付いた1体を見定めるや、一気に舞台北端から飛び降りていく。続くのは杏里、楓。心理が学生の避難が進むまで待機する一方、残る3人は一直線に敵へ向かう。
とはいえ人混みの中ではやはり接近は容易ではない。楓が不意に光纏を解き、人を掻き分けていく。
「あたしが囮になってみるのだ!」
「よし、じゅーぶん引き付けろよー。そしたらボクがオイシいトコ取りできるから」
「ひ、酷いのだ〜」
「ま、よくできたらご褒美残しといてやるよ、ちょっとだけ」
楓が小ささを活かして敵へ近付いていき、それを杏里と瑞穂は見守る。
『――南に避難――私達は撃退――らず助け――!』
と、気付けば拡大されたエルザの声が聞こえるようになっていた。どうやら少しずつ避難は進んでいるようだ。
一方で心理はそこで漸く舞台を下りると、慎重に東へ回り込んでいく。拳銃を抜き、じゃことスライドした。
――さて。もう一度紛れ込まれる事だけは避けねぇとな。これ以上被害を増やす訳にいかねぇ……。
心理、そして瑞穂、杏里が一瞬とて見逃すまいと敵を認識し続ける。
そんな3人の視線の先で、丁度ぽかんと空いた所に少女が倒れ込んだ。べちゃっと、敵を挑発するように。少女はそのままじっと蹲り、遂には声を上げ泣き始めた。
敵が少女を見る。にたりと口元が歪んだ。猫背でひょこひょこ少女に近付いていく。どこかの童話のようなその光景は、
「準備はよろしくて?」
「ハ。準備ね。そんなもん最初っからできてるよ」
狼が赤ずきんに襲い掛かった刹那、崩壊した。
舞台上。空也は相変らず煩い心臓を抑えるのに必死だった。
心を決めても体がついていかない。それがトラウマというものだから。
「ッ、は、ぁ……!」
「無理はしない方がいいですよ。名乗りを上げて戦おうとした、それだけで褒められるべき事です」
はんなりと微笑む霧の言葉に甘えそうになる。が、それではダメだと空也は言う。
「良い機会なんだ……オレが『オレ』を始める為の。それに、あいつだって立派に戦ってる」
空也が目を向けた先には同じく実戦は初めてのエルザの姿。
彼女は転がっていたマイクを取るや、機材を弄ってマイクに叫ぶ。
「皆さん落ち着いて! 南に避難をお願いします! 私達は撃退士です。必ず助けます。撃退士を信じて下さい! 避難は南――校舎に! 校舎です!」
繰り返されるそれに学生達も漸く理性を取り戻していく。さらにエルザは判りやすく校舎の方へ光弾を飛ばす。何度も、何度も。
言葉だけではない。自分の力を最大限活かした、今できる最高だ。
と、そこに愛奈が報告する。
「4人が1体目と接触したの!」
「では他に敵がいないか確認しないといけませんね」
霧が集中して敵を探る。近くから遠く、左から右。1人1人を見透かすように探っていた霧は、そこに、形容し難い虚無を見つけた。
「1体目より南――噴水寄りの人混みの中、金髪の三下……!」
「金髪……あいつか! オレが……オレがブッ潰す!」
霧が言うや、空也が突っ走っていく。愛奈が続くのを見送り、霧は銃を抜いた。
「ディスフィーユ殿は出来る限り誘導をお願い致します。血が騒ぐなら、来ても構いませんけれど。ふふっ」
「……暫くして行きます」
そこはかとなく物騒な気配を漂わせる霧に、エルザは僅かに眉を顰めた。
黒狐が少女に覆い被さった、刹那。
「かかったのだ!」
少女が、腕を振り上げた。強烈な打撃が敵を打ち上げる。少女――楓の合図と共に3人が動く!
「君の相手はあたし達なのだ♪ これ以上食べさせたりしないよ!」
「逃げる奴なんてほっといてさ、ボクと遊ぼうよッ!」
宙で態勢を整えて着地した敵に真っ先に突っ込む楓と杏里。楓は気付けば肩から大量の血を流していたが、まだ影響ない。
真正面から苦無を投擲して近付く杏里。敵が苦無を躱し、杏里を見た。杏里が偃月刀でテンポよく突きかける。あるいは躱し、あるいは腕で受けて敵がにじり寄る。そこに敵の左に入り込んだ楓が下から伸び上がるように腕を振るう!
「動きが止まってるのだ!」
フック気味に弧を描くと、その遠心力を利用してトンファーで打ち据える。脇腹にめり込む先端。楓が素早くスウェーしつつ離れるや、空いた射線を瑞穂の鎖が飛んだ。
「おーっほっほっほ♪ 捕まえましたわよ……!」
仄明るく光る鎖が敵に巻き付く。敵は全力の抵抗を示すように炎をばら撒き始めた。黒狐から伸びるものもあれば、突如燃え上がるものもある。杏里が腕で体を庇う。楓が慌てて飛び退いた。瑞穂が華麗に避け――んとし、背後に逃げ遅れた者がいるのに、気付いた。
「全く世話が焼けますこと……ですがこれもわたくしの義務!」
「お嬢!?」
その身を挺して背後を守る瑞穂。炎に焼かれたまま、後ろに言った。
「早くお逃げなさいまし!」
こくこくと頷き、這って逃げる学生。瑞穂が安心した、直後。
「お嬢、無事か!?」
心理の銃撃で敵が崩れる。一気に距離を詰め、敵の気を引かんとする心理。思惑通り敵が瑞穂でなく心理に目を向けた。攻撃に備え、充分に脚を溜める。敵がバネのように縮み込んだ、瞬間。
「狐のくせに火男芸? 面白い、とでも思ったかよブッ飛べオラァッ!!」
間合いを取った杏里が踏み込み、流れるように腰を捻り腕の撓らせる。十二分に力を乗せた偃月刀が豪快に敵を薙ぎ払う!
『――■……■』
斬るというより叩き潰すと言った方がいい斬撃が、敵を両断する。
ずる、と上半身が地に落ちる。黒い粘液が飛散し、杏里の靴を汚した。
「……あーあ。早く消毒しよ」
敵の死骸を見下し、杏里が言い捨てた。
『――校舎に避――慌てなくても私達が敵を食い止――!』
エルザの誘導は続き、中空には光弾が絶えず放たれる。己を犠牲にするかの如き懸命さに霧は多少違和感を覚えるが、それを気にする暇はなかった。
噴水傍を通りかけたところ、縁に腰掛けている女性を見つけた。スカートもストッキングもボロボロ。脚の右側全体から血を流した姿は、霧にとって見過ごせなかった。
「今手当致しますね」
「えっ……だ、誰?」
「ただの撃退士です」
手早く水で洗い、止血する霧。周囲の人に診療所への付き添いを頼み、道を空けてもらった。
女性を見送り、霧は改めて敵の方へ走る。人が減って見通しもよくなってきた。これなら立ち回りもできそうだ。霧が太刀を顕現させ敵の許へ辿り着くと、そこでは――。
「久しぶりじゃねーか人外……テメェら潰せる日……待ってたぜェ!」
人々が彼らを避けるように円を描いて逃げていく。さながら円形闘技場のような空間で、空也は敵と正対した瞬間に飛び出していた。
真直ぐ突っ込むや、敵が腕を掲げたと同時に右へ踏み出す。炎が左腕を掠めた。右へ回り込み、沈み込んでからのアッパーを繰り出す!
「ッらァ!」
受け止められる拳。咄嗟に後ろに倒れ込むと、鼻先を敵の尾が過った。後転して距離を取らんとする空也だが敵がさらに尾を振るう。うち1発が腹を直撃し、空也は前屈みになって胃の中の物をぶちまけた。
「ッ……ソ……クソがああああああ!」
「愛奈ちゃんもいるの!」
空也と敵の動きが止まった事で逆に愛奈にとってやりやすくなる。幻想の犬が敵に駆け寄るや、牙を剥いて首筋を狙う。退く敵。
愛奈が敵を挟んで空也と逆側へ移動しつつステッキを顕現させる。敵が今度は愛奈に向き直り――そこに、正面から霧が突っ込んだ。
「カタギの者や女子供に手を上げるとは本当に……まぁ、犬もとい狐畜生に言ったところで無駄な事ですか」
大上段から蛍丸を振り下す。皮一枚、敵が辛うじて致命傷を避けるも、溢れる血潮が霧を濡らした。構わず霧が敵を押し留めるように密着する。
「早く止めを……」
愛奈の杖から迸る電撃が敵を直撃するが、魔法攻撃はやはり効果が薄いらしい。それならと空也が力を振り絞って肉薄する。
「く・た・ば・り……」
地面スレスレから脚を取るタックル。そのまま肩にかけて敵を後ろへ叩き落すや、自らも倒れ込みながら拳を叩きつける!
「やがれえええええええええええええええええ!!」
顔面にめり込む拳。敵と重なって地に伏す空也。確かな感触を覚え、勝ち鬨を上げる。拳を高らかに掲げた――瞬間。
仰向けの敵が空也の喉を絞め――、
「赤槻殿。最後まで油断なさいませんよう」
霧の太刀が、敵の顔を貫いた。
「――■■……」
何やら呻き声を発し、次第に敵から生気が失せていく。腕が地に落ち、黒狐本来の姿に戻ると、漸く霧は刀を納めたのだった……。
●それぞれ
「やれやれ、何とかなったか」
2体の敵を屠り、学生や大学側にそれを報せ、各所への連絡を終えた頃。
他にも敵が潜んでいないかと警戒していた心理が漸く気を抜いた。瑞穂が口を尖らせる。
「まだまだ怪我人はおりましてよ」
「あーはいはい。てか桜井、結局何でこんな所に……」
「それは」
「それは?」
「秘密ですわ。さぁ、きりきり働きますわよ!」
「へいへい」
心理が肩を竦める。とそこに霧が、
「重傷者の搬送は終りました。後は軽傷の方ですね」
「了解ですわ」
張り切る瑞穂とテキパキこなす霧。何というか、心理にとっての戦場がそこにあった。
楓は後を引かれるように人のいない屋台を眺め、肩を落す。
「むぅ、もう少しで全部制覇できたんだけど」
「何が?」
「屋台」
「何で?」
「んい?」
訳が解らないとばかり目を丸くする杏里。楓が杏里を見ると、何故か彼女の手にタピオカジュースがあった。口元には生クリームも付いている。
「人がいないのに何で……ま、まさか勝手に取むぐ!?」
「ボクは代金を置いて店の商品をもらっただけだよ。……ま、額が合ってるかは知らないけどね」
「だ、だめなのだ! きちんと払うのだ〜」「あーもういいじゃんかお堅いヤツ!」
2人はその後無理言って屋台だけ再開してもらうよう奮闘したとか何とか。
一方、初めての実戦を経験した2人は――。
「は……ンだこりゃ……カッコ悪ィ」
「気が抜けて一気に体にきたのでしょうね」
「たったこんだけでか……」
脚は震え、暫く立つ事もできそうにない。空也が目を瞑ると浮かんでくるのは、首を掴まれそうになった瞬間。どうしようもない怖気が、今になってぶり返してきた。
「あー。クソ……」
「……」
座り込んで頭を掻き毟る空也を、エルザはじっと見守る。僅かに目を細めると、何かに耐えるように静かに息を吐き、瞳を閉じた。
この戦いでは直接敵と対峙する事はなかった。でも、この降って湧いた力を敵に行使せねばならない時は必ず来る。
――主よ。私は……。
胸のロザリオを握り締め、虚空に問いかける。
貴方は復讐を命ずるのでしょうか。こんな、私に。
<了>