様子をうかがっていた高瀬 里桜(
ja0394)は可愛らしい眉を寄せ、スズカを目で追っていたが、その口が自然と開く。
「スズカくん強いなぁ……」
「そうかぁ? いや、つえーとかよえー以前に、とんだアマちゃんだろ。敵になると宣言してそれで帰ってくるなんて。
ここいらでケリをつけておけよな。地形は弓矢に不向きで、人もいない。さらに相手の準備もままならず1人でいるだなんて、チャンスとしか思えねーけどな」
その場にいる皆の顔を順に見ながらも、ラファル A ユーティライネン(
jb4620)がぼやくように肩をすくめる。
「雑魚天魔すら1人で狩れる撃退士なんていねーんだから、他人の手を借りよーと力は力。スズカの願いをかなえるんなら、今やっちまった方がずっといいんじゃねーか?」
「私としては今するべきではない、と思っている。スズカの望みと覚悟を聞いてしまった今、道標であるアルテミシア達を、傷ものにするわけにもいかない」
ラファルとしては賛同してくれると思っていただけに、川内 日菜子(
jb7813)の顔をまじまじと眺めてしまう。それに続けて、里桜と新田 六実(
jb6311)も頷いていて、「なんだよ」とラファルは肩をすくめるばかりであった。
「そろいもそろって、戦う気はなしか――ま、しゃーねー」
目を閉じ、頭の後ろで手を組んだラファルのその態度が、もう口を挟まないというポーズだとわかっている日菜子はラファルからアルテミシアへと視線を移し、一瞥してからスズカに向ける。
「……スズカに用事ができた。アルテミシアに今さら言うことは無いが――恩を仇で返すつもりもない、とだけ伝えておいてほしい」 それだけを言い残し、日菜子は足早に少し小さくなりつつあるスズカの背を目指して、歩き出す。その後ろをアルテミシアとスズカを交互に見比べながらも、ちょこちょことついていく六実の姿があった。
2人を見送る里桜だったが、頷き、小走りで小さくなっていく背を追いかける。
(スズカくんはああ言ってたけど……私は今でもアルテミシアさんと与一さんとは争いたくないし、話し合いで止めたいって思ってるよ)
だからあまり悩む事もなく、その足はアルテミシアに向かっていたのであった。
そしてアルテミシアの背後から、「アルテミシアさーん!」と飛び付く――が横にかわされ、横に差し出された拳に里桜は顔から飛びこむ羽目になってしまった。それも、手甲をしているその拳へ。
しゃがんで鼻を押さえ、「ヒドイですー!」と泣き真似をして恨みがましい目で見上げる里桜。
「ノリが悪いですよ!」
「ノリに付き合ってやれるほど、私はお人好しではない。斬られんだけ、マシに思え」
「んだよ、大天使様も戦う気がないときたもんだ」
途中まで小走りでついてきたラファルは期待外れという顔をして歩き始め、アルテミシアのどういうことだと言わんばかりの視線が投げかけられると、肩をすくめた。
「ここいらでケリをなんてもちかけてみたけどよ、みんな戦う気がないみたいでな――ま、仲良くしてきた天魔と戦えってのは無理か。
まったくよー、大天使様ほどに無限の寿命があるわけじゃねーから、意味のないことをしている暇はねーってな」
仲良くのあたりでアルテミシアの視線が僅かに鋭くなったが、ラファルはお構いなしに言葉を続ける。
「知っているか? 天魔が1人倒れれば人類には希望が宿るんだぜ。だが、天魔で殺し合っても何も生まれねー」
「人類にとっては、な」
「自分達に利があるって言いてーのか? そのわりに正面対決を避け、味方にも刃を向けかねん大天使様はいったい、何を悩んでいるんだ?
天使ってのは迷いのないもんだと思ってたが、それも幕引きにしよう」
その目に戦闘を好む者の狂気めいた炎をちりっと宿し、僅かながらに膨らむ殺気にアルテミシアは剣の柄に手をかけていた。
「大天使様よ。悩むってのは答えを出すってこととセットになっているんだぜ。無限に悩み続ける事はできねーんだ――そろそろ胸の内を吐露してみねーか?
もちろんただとは言わねー……俺と戦ってくれよ。俺が勝てば相談に乗ってやるぜ。それか他の奴ら話してみてくれ」
「自己犠牲、とは違うな……お前自身が戦いたい、ただそれだけじゃないのか」
アルテミシアの問いかけにラファルは笑みを返し、「さてな」ととぼけた口調をするだけだった。
「撃退士が1人死ねば、学園も本腰を入れざるをえねーからな。お前さんの悩みはなくなるぜ……きっとな。
と、その前に河岸を変えよう。誰にも邪魔も助けられもされたくない」
その目で里桜についてくるなと釘をさし、顎をしゃくった先へラファルが歩き出すと、アルテミシアも無言でその後をついて行く。
釘を刺された里桜は困ったような顔をしてはいたが、誰かへと連絡を入れ、そしてラファルには見つからないようにその後を追いかけていくのであった。
「スズカ」
呼び止められたスズカが振り返れば、そこには色々と問いたげな日菜子と、なんと言葉をかけていいのかわからないという表情をした六実がいた。
「まずはすまない。アルテミシアに告げたスズカの覚悟を、聞いてしまった。2人を止める――それを成せるだけの力を得たいと言ったな」
無言のままに頷くスズカへまた、日菜子も無言で頷き返す。
「スズカは2人をどうする? どうしたいか、ではない。どうするか、だ。
希望ではなく、宣言――覚悟って言うのは、そういうもんだ。あんたの覚悟を直接、私に聞かせてくれ。後から聞いたとか聞いてないとか、スズカも私もはぐらかせないようにな」
日菜子は言葉を駆けている間、ずっとスズカを真っ直ぐに見つめていた。そしてスズカもまた、ずっと真っ直ぐに見つめ返していた。
ほんの僅かでも沈黙があるかと思ったが、意外なほど早く、スズカの口から答えが返ってくる。
「おいらは2人の味方をするために、敵にもなる」
振り返らないと決めているのか、スズカは後ろへ少し首を動かすだけに留め、その目は見えはしないが間違いなくアルテミシアの背を見ていた。
「2人ともおいらを気にしてくれて、おいらに成長してほしいんだって、わかる。でもそれは、おいらが2人の間に立てるほど対等に見てもらえてないんだって、気が付いたんだ。
それで、2人はきっとお互いに、お互いと戦えることが楽しいんだって、なんとなく前に見て思ってたんだけど、そこに対等ではないおいらが言葉を投げても、割りこめる隙間がないってことも、わかったんだ」
唇を噛みしめる少年の顔が、日菜子には少しだけ大人に近づいたように見えた。
一旦区切られた言葉の次を待っていると、アルテミシアに向けられた目は再び、日菜子へと返ってくる。
「おいら1人で2人と対等になれるほど強くなれるとは、思ってはいない。でも、おいらは2人にちゃんと見てもらうためにも、もっと強くなりたい――いや、強くなる。
強い人たちにおんぶしてもらっての強さじゃなく、自分が貢献できたと思えるくらいに。
そして2人の戦いに割って入って、2人を2人から守り、それでいておいら達と戦ってもらう。おいらの自分勝手な我儘を押し付けることになるけど、それでも2人が戦うことはおかしいって思うから」
グッと握った拳をじっと見つめ、その拳に向けて宣言する。
「だからおいらは敵と見てもらえるほど強くなり、2人の敵になって戦うのを止める」
夢物語でも語るようなスズカの言葉に、日菜子の反応は――微笑みだった。
拳を作り、スズカの握られた拳に合わせる。
「そうか……もう、私から言うことはなにもない」
合わせた拳を開き、成長した少年の頭でも撫でようかと思ったが、もうそんな扱いをするものじゃないと日菜子は手をひっこめる。その代わりにヒヒイロカネから出した長大な和弓を手に取り、それをスズカの前に突きだす。
「強くなるための力は、装備にもかかっている。
これを受け取るも受け取らないも自由だが、受け取るのならもう二度と引き返したり立ち止まったりするな。また心が折れたり、崩れたりするようなら、これは返して貰う」
日菜子の突きだしたその弓に手を伸ばし、スズカは日菜子としっかり約束する。二度と引き返したり、立ち止まったりもしないと。
そこに日菜子のスマホが震え、未読のメールが2通あるのを知った日菜子は嫌な予感を覚えた。そして案の定、メールを開くなり日菜子はスズカへ、「急用ができた」と短く伝えると吹き荒れる炎を身にまとい、熱風と陽炎をまき散らしながら反対方向へと走り去っていったのであった。
焦げ残る足跡を目で追っていたスズカだが、やがて六実と向き合って、手を差し伸べる。
「帰ろっか、むっちゃん。できれば……手をつないで」
「おーし、ここならいいんじゃねーかな」
先ほどの場所からそれほど離れたところでもないが、もとは刈りそろえられていたであろう芝生の広がる、公園のようなところでラファルは立ち止まった。
そのすぐ近くでアルテミシアも止まり、「始めるのか」とその手に弓と矢を握りしめる。
明らかに弓では不利なほんの数歩の距離で向かい合うが、まるで気にしたそぶりを見せないアルテミシア。
(大天使様は余裕だな――相性が最悪は、決定事項。短期決戦でいくぜ!)
人の手足をした偽装を解除したラファルは、機械化した身体を丸出しにして、より戦闘に適した形態へと移行すると、踏み込みながらその手にナノマシンを集積させた刀状の武器を作り上げる。
弓に矢を番える前に決める――そのつもりで突っ込んでいったのだが、アルテミシアの動きは番える動作ではなく、細い矢をまるで剣のように構えてきた。
「何をするつもりか知らねーから、このままいくぜ!」
右で握った刀状のそれを横に寝かせたまま、ラファルはさらに踏み込んでいく。アルテミシアの矢全体に光が収束し、細長い棒のような物を形成され、アルテミシアもまた、踏み込んできた。
「戦っても勝ち目ないからやめなさい!」
里桜の鋭い声と一緒に、2人の間にアウルでできた物体としての形を持たない矢状の物が飛来して、2人の足を止めようとした――が、それで止まれるほど2人は大人しくない。
ラファルの横に構えた刀状のものが水平に振るわれ、アルテミシアが振り上げた光の棒が振り下ろされる。
――そこに陽炎が舞った。
ラファルは目の前に現れたとても見覚えのある炎と赤いベストに手を止め、アルテミシアの振り下ろされた光の棒も振りきる前に止められ、光が霧散していく。
「間一髪、といったところか……詳しい場所のメールがあったのが、幸いだった」
「ヒナちゃん」
少しばかり戸惑いながらも人型へ戻るラファルへ、日菜子がキッと睨み付けたかと思うと上から下までを一瞥し、その両肩を掴んで安堵の息を吐き出した。
「よかった、怪我はしていないな……戦うなとは言わないが、ラル。無茶はしないでくれ……傷つくのはあまり、見たくないんだ」
憮然とした表情のラファルだが、痛いほどにつかまれた両肩から日菜子の心配の度合いを察して、「わりー」と短く謝る。
ラファルの戦意が急速にしぼんでいくのを感じ取ったアルテミシアも、その戦意を抑え、弓と矢をしまっていた。
「一撃で終わらせるつもりだったが、その必要もなくなったか」
そこにひょっこり姿を現した里桜がアルテミシアの前に立っては、ラファルから引き離すようにぐいぐいと前に出ながら、普段通りの明るい声で話しかける。
「終わったのなら、アルテミシアさん。私達仕事終わったところなんで、一緒に銭湯行きませんか? 自家発電がついてて使えるらしくて。
冬のお風呂は最高ですよねー! 運動した後はお風呂で汗を流すのが一番!」
「運動らしい運動はしなかったが、悪くはない。しばらく入れてもいないから、付き合おう」
里桜の提案を素直に受け入れたアルテミシアは、押されるがままに踵を返し、里桜と共にその場を後にした。ラファルと日菜子はしばらくの間、その場から動く事はなかった――
提案した里桜以上に率先して動くアルテミシアのおかげで、小さい1つ分だけだが湯船にお湯を張り、お互いに警戒する事もなくごくごく普通に湯船に浸かっていた。
しばらくは湯船の感想など、他愛ない言葉を交わしていたが、やがてアルテミシアの方から話をきりだした。
「聞いていたのか、少年との会話」
「……ごめんなさい」
「聞かれて困る話ではない。
だが、敵か……少年の成長が少しは頼もしくもあるが、ほんの少し寂しくもある言葉だな」
目を丸くする里桜に背を向け、近くの蛇口をひねってシャワーを出すが、細かいはずのシャワーが途中からお湯の束となり、それをアルテミシアは手で受け止めて、手のくすぐったさを感じながらも微笑んでいた。
「先ほど戦闘をふっかけられ、あのまま続けていたのなら私はしょせんお前らも全部敵と、認識していただろう――川内に、感謝だな」
(ナイスだよ、日……名前で呼ばれるのあんま好きじゃないみたいだから、ナイスだよ、川内ちゃん)
里桜は大怪我になりそうだったから止めに入ったつもりだったが、あのままでは止まらなかっただろうと思うと、確かな分岐の1つをいい方向に転がしてくれた日菜子の活躍に感謝する。
そしてアルテミシア自身も望んでいなかった事に、里桜は嬉しくなっていた。
アルテミシアの無防備すぎる背中を見ながらも、言いたかった胸の内を打ち明ける。
「私はまだ弱いけど……この手が届く人達は守りたいの。命も、心も。天使とか悪魔とか人間とか、そんなの関係ないんだよ。
一緒に戦って、仲間も助けてくれて、私はアルテミシアさんも大切に思ってる」
シャワーを止めたアルテミシアから何も返事はないが、気にせず続けた。
「だからね……アルテミシアさんは、後悔のない決断をしてほしい。楽しかった気持ち、一緒に戦った事、天使としてやるべき事、全部全部ちゃんと考えて決めてほしい。
迷ったまま戦って、心が壊れないように」
静かな浴場に、ぽちょんと、天井からの雫が湯船に落ちる。無言のまま湯船から出たアルテミシアは、脱衣場へ向かう。
そのまま出て行ってしまうのかと思われたが、足を止めた。
「……ひとつ、言えばだ。
今の天界は統一された意志の元に動いていない、そんなような気がする――果たして、天界のため、というのはどんなことなのだろうな」
静かに告げて、すりガラスの向こうへと消えていった。
1人残った里桜は湯船の縁に両腕を乗せ、その上に頬を乗せると、ちょっとだけ嬉しそうに微笑むのであった――
【一矢】少年、決別す 終