涼子の話に目を丸くさせた新田 六実(
jb6311)。
「スズカちゃん秩父で重傷になっていたの……?」
「あんなに頑張ってたスズカくんが、重体で引きこもりになってたなんて……! 何とかしたいな」
高瀬 里桜(
ja0394)が「弟みたいなんだよね」と言葉を続け、ギョッとしていた六実はひっそり、ホッと胸をなでおろす。
「ま、こういうこともあるよ」
肩をすくめる不破 怠惰(
jb2507)へ「だなー」と、頭の後ろで手を組んで、天井のシミを何となくずっと眺めているラファル A ユーティライネン(
jb4620)が漏らしていた。
「逃げ出したところで、責められるいわれはねーしな。俺にはどうでもいいことだし」
「それが我を貫いた結果ならば、確かに去る者は追わずだが……今のままではダメなんだ」
眉間に皺を寄せ、険しい表情を見せる川内 日菜子(
jb7813)は背を預けていた壁から離れると、ゆっくりと歩き出す。
(ヒナちゃんならそう言うと、思ったぜ)
教室から出て行こうとする日菜子に声をかけはしないものの、ラファルも一緒になって出て行こうとした――と、そこで話を聞いていたのは6人のはずなのに、5人しかいないと気づく。
エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)がいつの間にかひっそりと、いなくなっていたのであった。
かなり薄暗くなり始めた頃、スズカの家のチャイムが鳴り、出なければいけないような気がして布団から這い出た。
「こんばんはだ、スズカ」
カップ麺の箱を肩に抱えた日菜子が中に踏み込み、差し入れだとスズカに押し付ける。
「健康的な食生活を心掛けてもらいたいところだが、どうせ食事するのも億劫なんだろう? これでも食わないよりはマシだ」
「あ、ありがとうございます……なんでうちを?」
「なに、スズカが腐っていると人伝に聞いたからな。担任に小1時間ほど問い詰めて、聞きだしたんだ」
腐っていると言われたスズカだが、何も言い返せない。
日菜子は少しの逡巡を見せたのちに、口を開いた。
「……私にも、怖いものがある。
まだ小学生にも満たないほど幼い頃に、大きな蛇の大群と遭遇してな。あれよこれよの間に逃げ遅れて、ついには蛇の口の中に放り込まれてしまって、気が付けば目の前は真っ暗だった。
息ができないほど苦しくて、暑くて臭くて粘液まみれで、上下すらわからないその空間の中で死ぬほど狂って泣き叫んだ。
だから、私は蛇が怖い。トカゲすらもソレを連想してしまう程にな」
そう言う日菜子の顔色が悪く、青ざめる一方だったが、それでもスズカの瞳を真っ直ぐに覗き込む。
「……だがな、それ以上に怖いのは誰かを失うコトだ。恐怖心で足を止めてしまう間にいくばくの命を零し、落としてしまうかを思うと、私は……!」
それ以上の何かを思い出したのか、歯を食いしばり、湧き上がる感情を抑えた日菜子はスズカに背中を向けた。
「だから私は戦う。蛇の腹を掻っ捌いて私に手を差し伸べた、あの胡散臭いヒーローのように。どんな窮地に立たされても私は戦って、守って、救い続けたい。
……スズカには居るか? 失いたくない、大切な誰かが」
スズカの答えも聞かず、その場を後にした。
我に返ったスズカは今の話に何か引っかかる物を感じながらも、重くなった足取りでカップ麺を開けながらキッチンに向かう。
だが今日のカップ麺には味気がないと、静かな部屋の中で思うのであった――
六実、怠惰、エイルズレトラ、早朝の道端で出会った3人は何食わぬ顔で電柱の前を通り過ぎようとして、足を止めた。
そして怠惰がその電柱の陰に居る不審人物へと向き直ると、恭しく頭を下げる。
「フィアライト君の父君なのかな、初めまして」
「ふえ!? ナンノコトカ――」
「もうバレバレですよう」
この前にもあってしまった六実に言われ観念したスズカの父へ、怠惰は「ひとつ聞いておきたい」と指を1本立てた。
「彼は一人っ子なのかな?」
「うん。スズカが独り立ちできるようにナタらとか、考えてるけどね」
その答えに「ふむ、そうか」と顎を掻き、口を開いて少し目を泳がせてから、次の言葉を発した。
「あとは、伝えられる気持ちは伝えられるうちに。じゃないと、後悔するかもしれないよ」
「そナンだろね。でもまたディアボロの恐怖に震えるスズカと、会うわけにもいかないから……」
「どうしてスズカちゃんに会わないんですか?」
もっともな疑問を六実が口にすると、さらにエイルズレトラが「またとはどういう意味です」と、新たな問いをかける。
スズカの父は何度かの逡巡のうち、やっと口を開いた。
「……あの子も記憶が定かじゃないダロけど、3歳くらいの時、ディアボロに襲われたことアタんだよ――」
目を覚ましたスズカは鼻孔をくすぐられ、お腹が鳴った。
「シチューの、匂い……」
「おはよう」
目を大きく開き跳ね起きると、林檎を手にしているエイルズレトラの姿が。ナイフが手の中に出現し、ティッシュを一枚、その上で林檎の皮をむき始めた。
「重体になったらしいね。
君は今、死の淵を覗き一人前の戦士になる機会を得た――けれど、一度考え直したほうが良い。本当に撃退士として生きる必要があるか。
人はいつか必ず死ぬ。
ならば重要なのは死を避けることではなく、満足して死ぬこと。いつ、どのように死ぬか、それを自分で選択するべきで、どのように生きるかは、どのように死にたいかから逆算すれば良い。撃退士として生きることが、満足する死につながるのか、途中でのたれ死んでも後悔しないか――」
手も、口も、止めない。
「命を賭けるなら、それは自分の欲望のためでなければいけない。
もしも誰かのために戦うなら、その誰かを救うのが君である必要はない。君が戦わなくても別の誰かが戦ってくれる。
君の目的は、本当に撃退士として生きなければ達成できないのか。君の望みは多分、別に戦場にあるわけじゃないだろう?」
(確かに、おいらじゃ助けたくても助けられない人は、川内さんみたいな人が救ってくれるのかもしれない……それに言う通りだ。おいらは母さんみたいに弓が上手くなりたいと思っていただけで、戦地に行く必要性も撃退士であり続ける必要性も、本当はないんだ)
「僕が戦う理由はただの修行。家業を継ぐために強くなる必要があるから、僕はいつか必ず戦場で死ぬ。死ぬまで戦い続けるから。
……君はそうじゃないだろ?」
手の上で林檎を半分に切ると、スズカへ向けて半分を放り投げ、手元の半分にかじりつく。驚きに目を丸くさせたスズカは両手で林檎を受け取るのだが、エイルズレトラの口に運ばれている方の林檎に目を向けてしまった。
視線に気づいたエイルズレトラが「1個丸々もらえると思った?」と肩をすくめる。
「残念でした、半人前にはそれで十分――何のために戦うのか、一度ゆっくり考え直した方が良い。もしそれでも再び戦場に戻ってくるのなら、次からは戦友と呼ばせてもらうよ」
立ち上がり「お大事に」と、窓へ向っていく。
カーテンを開け、優しくも強烈な光に目を閉じかけるスズカ。開け放たれた窓から吹きこむ風に身を震わせ、目がはっきりとしてくる。
開け放たれた窓から、エイルズレトラが散歩でもするかのように空へ向って歩いていくのであった。
そこにチャイムが鳴る。
「開いてるよ――」
「スズカくんこんにちはー! お見舞いにきたよー!」
「やあやあ、重体だなんて聞いたからびっくりしたんだよ。大変だったね、頑張ったんだなあ」
見ただけでドーナツとわかる箱を手にした里桜と、フルーツの盛り合わせを手にした怠惰の2人が上がりこんできた。部屋の中の辛気臭さが飛んでいったのは、玄関が開いた事で一層強まった窓から吹き込む風のせいというより、里桜の明るい声のおかげだろう。
「ここのドーナツがね、凄く美味しいの! 久遠ヶ原一だよ!
疲れた時には甘い物っていうし……私が重体になった時も、友達がドーナツ持ってきてくれたんだよ」
ほんの少しだけ沈む表情も、次の瞬間には明るいものへと戻り、ドーナツの箱を開けていた。
「いやほんと、生きててくれてよかったよ。
生きて帰ることは一番に大事で、死んでしまっては元も子もない」
「でもさ生き残ることが目標ならさ、本当は戦場に出ないのが一番得策なんだよ。
人にとって一番安全な場所は、戦線ではないから――私だって最初はそう思ってた。何故それをしないのか……理由は人それぞれだけど、人と天使と悪魔が仲良く暮らす世界を作るって、私の夢を友達が聞いてくれたから。
そしてその友達が、私たちを守って多分……死んでしまったから。
私の命は、私だけの命では無いから……だから、私は行かなきゃいけない。でもそれは私のお話で、迷ったり諦めたりしちゃうのは当たり前だと思うよ。
どんなに強い人だって、力だけじゃダメなんだよなー、きっと」
力なく笑う怠惰へ、里桜がドーナツを突き出す。怠惰が受け取るとニコリと笑って、スズカと交互に顔を見比べた。
「死ぬのは確かに怖いよ。
でもね、もっと怖いものがある……仲間が死んじゃう事かな。
自分も死にかけてるのに、仲間に刺さった剣の方が怖くて怖くてしょうがなかった。私が倒れなければ、回復したり出来れば、何とかなったかもしれなかったのに。自分の弱さが悔しくてしょうがなかったよ」
思うところがあるのか、怠惰も首を縦に振る。
「私も死ぬのは怖い。でもそれ以上に仲間が死ぬのが怖いから、今もここにいるの。仲間は絶対助けたい。強くなって、皆を守れるようになりたい。
――スズカくんもそう感じる仲間が、いっぱいいるんじゃないかな?
怖いのはあたりまえ、私達だって生きているんだもの。でも、それ以上の思いがあるから戦っていけるんだよ。だから戦うのに必要なのは『思い』と『覚悟』じゃないかな」
誰かを護るのは、自分以外の誰かでもできる。だが、自分の大事な仲間を護るのは人任せにしてはいけない――これまでの経緯から、スズカにはそんな想いが芽生え始める。
と、そこに怠惰が指を1本立てた。
「私さ、一個だけ後悔してることがあるんだ。
その友達が死ぬ時、重体しちゃってさ、最期を見てないんだよ。
私や君が動かなくても、誰かはどこかで死んだりするよ……とても、悔しいことだね」
(難しいお話してる……)
リビングからL字に折れたところにあるキッチンで、シチューを作っていた六実が角から3人の様子を伺っていた。そしてスズカの父が少し怪しい日本語で話してくれた事を、思い浮かべる。
『死とかまだわからないトシでも、死への恐怖はあるものなんだね。それに……悪魔の本性全開で助けにハイタ自分の姿が、あの子には深くスリコマタみたいでね、悪魔への嫌悪が根づいチャテルんだ。
それにケテイテキなのは、スズカの翼が自分に似てしまったせいで、あの子が誰よりも憧れている母親までもが悪魔と罵られたことがアテ、それ以来、スズカは自分をあからさまにケギラテル。母親にべったりな自分にヘキヘキしているとか、イテルんだろうけど』
(だから会えない……それも悲しいよね)
どうにかしたいとは思っていても、初めて知った今でどうにかできる気がしない。
それなら今、自分にできる事をやるしかない――
(スズカちゃんのお父さんに許してもらったとはいえ、勝手に入っちゃって作ってるけど……大丈夫っぽいかな)
出来上がったシチューの鍋を手に、角からひょこりと顔を覗かせた。
「スズカちゃん、お腹すいた?」
「むっちゃんが作ってたんだ――あれ、もしかしてブロッコリー入ってる……!」
立ち上がって六実の側に来たスズカが、シチューに浮かぶごろりとした緑色に目を輝かせ、思っていた以上の反応に六実の方が驚きに目を丸くさせる。
「ブロッコリー好きっていう話だったから……」
「嬉しいよっ」
にこにこと笑うスズカへ、フルーツ盛りの林檎をかじる怠惰と、ドーナツに右手を伸ばしては左手で抗っている里桜の2人が「あれまさか」という視線を投げかけていた。
「いやうん、そういうことなのだろうかね?」
「そういうことなんじゃないかな?」
抗っていたはずの左手さんで握っているドーナツへ、里桜が大きく口を開ける――そこにチャイムの連打に、扉を激しくノックする音が響く。
4人が静まり返るも、外では何やら楽しげな音楽まで聞こえてきて、六実が「見てくるね」と言い、しばらくしても戻ってこないからと里桜が、そして怠惰が見に行っては、戻ってこなくなってしまったのであった――
「まあ、こういう手合いは無理やり何とかしよとしてもダメさ。まずは向こうから様子を見に来させないとなー」
「とはいえ、ラル。こんな所で騒ぐのも……どうなんだろうな?」
ラファルに連れてこられた日菜子が頬を掻きながら伝えるも、ラファルは「不法侵入するわけにもいかねーし」と開き直りにも似た態度をとってみせる。
スズカの部屋の前に広げられたレジャーシートには、パーティーオードブルやらお菓子やら牛乳やら酒が並んでいて、そこに六実や怠惰、里桜も鎮座していた。
「涼子も、付き合いワリーなー。不審者って奴ももういねーし、エイルズレトラのやつもつかまんねーし……ま、いいぜ。とにかくちょいと話こもーぜ。武勇伝とかよー苦労話とかよー、ちょっといい話とか。
飲み食いは勝手にしてくれ。幸い、懐具合もいいからよ全部、俺の奢りだぜ」
そう言われて遠慮するはずのない怠惰も里桜も、好きな物に手を伸ばす――が、六実だけは1人だけにしてきたスズカが気になった。
ちょうどその時、扉が少し開いて隙間からスズカが覗き込むと、天岩戸を開けるかのようにラファルの手が扉を一気にこじ開け、ドアノブごと引っ張られたスズカを、ラファルが後ろから羽交い絞めにする
「かかったな! おら、おまえさんの想いとか恐怖も洗いざらいゲロっちまえ。みんなで共有しちまえば、ちった―楽になるぜ?
それにおまえさんのやりたいことってのは、引き籠ってぐだぐだしていて叶うもんなのか?」
スズカは「そうだよね」と、一度考え込み、そして答える。
「――おいらは『凄いあの2人』に憧れてるんだと思う。だから、あの人達に認めてもらいたい」
(それに、失いたくない人達だって戦ってるんだ。誰か頼みだけでなく、おいらだって……!)
「やあ、それなら確かに戦場でなければだめだね――私も悪魔だからね、嫌われちゃったかなーと思ってたけど、話を聞いてくれてありがとう!」
小さな不安を口に出す怠惰は、心の中で誓う。
次会う時、スズカ君と呼ばせてもらおうと。
ラファルと日菜子に背中を叩かれ咳き込むスズカはやっと、六実のシチューに口をつけることが許され、温かくて優しい味に何度も「おいしい」を口に出すのであった――
【一矢】少年、恐怖す 終