●REC
カメラ片手にうろちょろとしている黒百合(
ja0422)が、参加者達を背にして自分へレンズを向ける。
「きゃはァ、久遠ヶ原第一音楽隊『concerto For o.9.n』の第一回活動記録、撮影は私、黒百合が担当するわァ♪」
そして久遠ヶ原の生徒達に焦点を合わせ、人ごみを、いや、人をすり抜けて、隠れるように撮影を開始するのであった。
(ああいう参加の仕方もよかった、かも)
人ごみの中をすいすいと泳ぐように移動し、いきなり透過されて驚きの悲鳴を聞いているはずなのにその全てを無視して撮影している黒百合を目で追いながら、蓬莱 紗那(
jc1580)は扇子を開いてにんまりとした口元を隠す。
扇子には『愉快』と書かれていた。
だが練習を始める撃退士達の姿を見ては扇子を閉じ、再び開くと『羨望』に変化していた。
(ああしてみんなで何かするというのも、学生生活を楽しんでるって感じがするよね)
多少の物思いに耽ってみたものの、やがて扇子を閉じ、くるりと背を向けて歩き出す。
「今回は見るだけ聞くだけ食べるだけだけど、それでも十分楽しめるよね」
ゆっくりゆっくりと、人ごみに紛れていく紗那であった。
トランペットのマウスピースを口に咥え、ロングトーンをしている理子の前に、三毛猫のライムを肩に乗せた九十九(
ja1149)がやってくる。その手には二胡が握られていて、ゆったりとした長袍は普段の質素な物と違い、少しだけ華美な刺繍が施されていた。
「こういう催しがあるのは、楽師としては歓迎しますさねぇ――理子さんの考え方含めてでさぁね」
「ありがとうございます。今日は皆さんで音楽を楽しみましょう」
お辞儀をする理子へ九十九もお辞儀で返すと、自分の練習のために音の混ざらないところを目指して歩き出すのだった。
しばらく九十九の様子を伺っていた理子だが、不意にその顔が少しだけ曇る。
(今日、ちゃんと演奏しきれるかな……)
「……今日は宜しくお願いします。一緒に頑張りましょう」
少し不安な顔をしている理子が後ろから聞こえたその声にふり返ると、その名にふさわしい黒猫のティアラを頭に乗せ、水無瀬 快晴(
jb0745)がぺこりとティアラが落ちない程度に小さくお辞儀する。
リストバンドの付いた方の手でずり落ちないように押さえながらも猫を頭に乗せているのに、眉一つ動かさない仏頂面に、理子がほんの少しだけクスリと笑うと、首を傾ける快晴。
そしてふいと顔を横に向けると、僅かながらもその口元に笑みが浮かんだ。
「カイ、ここに居たんだね――あ、理子ちゃん、今日はよろしくね」
アホ毛を揺らしながら制服姿の川澄文歌(
jb7507)が微笑みながら、理子へ軽く手を挙げて会釈する――その挙げた腕のリストバンドが理子の目を引いた。
仏頂面だったはずの快晴のリストバンドにもう一度目を向け、ああそうなんだなと納得する。
短い会話を交わした後、2人が発声練習の為に理子から離れていくが、その特別を感じる2人の距離感に、理子は少し目を伏せ「いいなぁ」と口に出していた。
――と、そこへ「理子さん」と名を呼ばれ、伏せていた目を顔ごと真っ直ぐに戻し、破裂しそうな小さな胸を両手で押さえながら振り向けば、そこに君田 夢野(
ja0561)が。
「センセ……君田――」
2度、呼びかけようとして失敗した理子は大きく深呼吸。
それからやっと「夢野、さん」と、名前で呼ぶ事に成功する。
「わざわざ言い直さなくても、返事するのに」
「だって、せっかく――恋人、同士……だから名前で呼びたいんです……」
「あっつ! 今日はものごっつ暑いな、ユメノン!!」
夢野の背中に亀山 淳紅(
ja2261)が体当たりを仕掛け、たたらを踏んだ夢野が文句を言う前に修平が淳紅の首に腕を回して「はいはいあっち行きましょうねー」と引きずられていく。
「ちょぉ! 修ちゃん、年上のおにーさんにこの仕打ちはいかがなものなん!?」
「相変わらずの扱いじゃねぇの?」
「うむ。そうだな」
江戸川 騎士(
jb5439)とアルジェ(
jb3603)が暴れる淳紅の足を持ち上げ、強制退場に手を貸していた。
その様子をまずパシャリと一枚撮った亀山 幸音(
jb6961)が、仔牛を見る様な眼をした夢野の横を足早で通り過ぎて理子の手を取るとぶんぶん上下に振って「よろしくお願いします!」と一言を済ませ、大急ぎで連行されていく淳紅の後を追うのであった。
「本当に、相変わらずね」
「そうなんですね」
クスリと笑うケイ・リヒャルト(
ja0004)とクスクス笑う川知 真(
jb5501)も理子に短い挨拶をかわすと、すぐに理子から離れて夢野の横を通り抜けていく。
「今日はよろしく。わりあい好き勝手に楽しませてもらうかもしれないけど、音楽は楽しんでなんぼ、だからな」
理子に挨拶する流れが出来上がりつつあるのか、サックスケースを背負い、肩掛けのキーボードも手にした由野宮 雅(
ja4909)も軽く一言だけ理子への挨拶を済ませると、真の後を追っていった。
やっと静かになった――それは少し語弊はあるものの、それでも喧騒を意識の外に押しのけた夢野と理子は2人だけで楽しそうに練習を始める。
理子の音に安らぎを覚えながらも、夢野はフッと笑う。
(学園でも、理子さんはブレちゃいないな。
美しい音を誰かに届けたいという想いは、何よりも純粋だ――こういう時、いつも心が揺るぎ続けている俺としては、彼女が羨ましくなる。 だが、それならそれで今やりたい事とやるべき事をやるだけだ)
だからこそと、夢野は目の前に浮遊するピアノの鍵盤を叩くと、バスやスネア、ティンパニーやシンバルといった、ピアノの音ではなく打楽器の音が流れる。
それはつまり、理子の介添人としての役割をまっとうするという意味であった。
気温と湿度に合わせアコースティックギターのチューニングをしながらも、色々な音と歌が飛び交う様子を眺めていた空木 楽人(
jb1421)がニンマリと笑った。
「こういうイベント久しぶりだなー♪ 今でちょうどいいくらいの気温ってことはちょっと暑くなりそうだけど、こりゃ全力で楽しまなくちゃね」
フード付パーカーとハーフパンツから覗く腕や足が、ジリジリと日に焼けている感じはするが、そんなのお構いなしだと言わんばかりにチューニングしたばかりのギターをかき鳴らす。
すると楽人に降り注ぐ日に影が差して、後ろから肩にタオルをかけられた。
「でもね空木くん。長丁場なんだから、あまり肌を焼いて熱を溜めない方がいいわよ」
大きく胸元が開いているがシャツにパンツルックと、涼しげながらも肌をあまり露出させていないシルヴァ・ヴィルタネン(
ja0252)が楽人の両肩に手を置いた。
その腰回りには少し重そうなポーチがぶら下がっていて、サックスケースを肩にかけている。
「シルヴァさん。どうしたんです、こんなところで」
「学生時代に趣味で始めた程度だけど、人前で聴かせるくらいにはできるのよね。
暑い時こそ、体だけでなく心にも潤いが必要なのよ。たまには、こういうのも楽しいじゃない?」
ケースをポンと叩くシルヴァに「ですよねー♪」と少し大きな声と満面の笑みで応え、楽人は自分が今、とても興奮しているのを自覚していた。
(依頼として誘ってくれた矢代さんに、大感謝だね!)
練習風景を思い出し、音に心が震えたのを思い出す。その感覚も久しぶりかもしれない――だから今は無性に、音楽を楽しみたくてしょうがない。
そわそわと落ち着かない楽人は開始はまだかまだかと、逸る心を抑えるのも一苦労だった。
そしてここにも、落ち着かない様子を見せる者がいた。
「うぅ、大丈夫で、しょうか。緊張します」
強張る肩を上下に揺すり、緊張をほぐそうとしているアルティミシア(
jc1611)を見つけた淳紅と幸音が顔を見合わせ、互いに頷く。
「そんなに緊張しなくてええんよ。今日は上手く歌うのが目的じゃないんやから」
「楽しも!!」
「聴いてもらえる喜びを知れる、いい機会と思えばいいのよ」
「独りではありません。せっかくですから、みなさんで楽しみましょう」
「そうそう、音楽は楽しまなくちゃな」
「久遠ヶ原の音色をみんなに届けよう♪」
さらにはケイと真に雅、それと文歌までもが一言ずつ投げかけていく。お節介とも言えるが、先人達はアルティミシアの心境に覚えがあるだけに、声をかけたくなってしまうのだ。
少しばかりの勇気をもらったアルティミシアは胸に手を当てて深呼吸。
さらに落ちつけるため、近所のおばさんから学んだおまじない――手の平に人と書いては飲み込み、それから客席に目を向けて「客はカボチャ、客はカボチャ……」と繰り返し続ける。
すると、どうだろう。客席の中に『頭がまんまカボチャ』という人を見つけてしまった。
その人物はタキシードにマントを羽織り、カボチャ頭の上にちょこんとシルクハットを乗せていて、背中には『久遠ヶ原学園』というのぼりを立てている事から、学園生なのだろうと。
そして子供達に飴玉を渡しているのだが、見られているのに気付いた様子を見せると、ずんずんとアルティミシアに真っ直ぐ向かってきた。
少し怯んでしまったアルティミシアの前に右手を突き出したカボチャの人は、パチンと指を鳴らす――と、その手の中から1輪の薔薇が出現する。
「その緊張も、楽しみの1つですよ」
その声は紛れもなく、エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)だった。
造花の薔薇をアルティミシアに押しつけ、またも手の中から何かを出現させる。それは小さなラッパのような形状をした安っぽそうな笛で、カボチャマスクのまま咥えると、ぷーぷく鳴らしながら行ってしまった。
呆然と見送るアルティミシアだが、薔薇に目を落した時にはすでに緊張なんかどこかへ飛んで行ってしまっていた。
いや、緊張はしているのかもしれないが、そんな事など忘れてしまうほどにはインパクトがあって――口元に、僅かながらも笑みを作っている。
「が、頑張りましょう。皆と一緒なら、きっと大丈夫です」
自分に言い聞かせ、自分の足で、人の輪の中へ向っていくアルティミシであった――
「やっぱさぁ、久遠ヶ原のスーパーアイドルとしてはひと肌脱がざるを得ないし、トップスターたるもの、やっぱりトップを飾るべきだよねっ!」
気合の入った衣装でばっちり決めてきた下妻ユーカリ(
ja0593)が、役員に可愛らしくお願いした結果めでたくトップバッターとなり、開始と同時に1人でトップを飾った。
(せっかくステージじゃできないパフォーマンスができるんだから、チャレンジしない理由なんてどこにもないよっ)
最大音量のスマホを音源に、歌いだすユーカリだが、その動きは行進というよりもダンスだった。
それもヒップホップ系だがよりダイナミックな動きを『魅せる』ためのもの。
(今回はむしろ移動しなきゃだから、よりダイナミックで躍動感あふれる動きを魅せるよっ)
高々と跳躍し、足を前後に広げてべたりと着地。そこからビヨンと跳ねては前後の足を入れ替えて、着地。地面に手を付けて足を振り回す様に回転しながら身体を捻り、体の向きを進行方向から逆に向かって両足をそろえ屈むと、後ろに転がったかと思えば腕で跳躍し、また体を反転させては進行方向に向き直る。
これだけ激しい動きを魅せながらも、歌はただの一度も途切れる事はないし、掠れる事すらない。さすがは『とっぷあいどる』であると言わざるを得ない。
若い世代を中心に、注目を集めるユーカリは道端に設置されているカメラに向かって手を振り、歌うように叫ぶ。
「みんなー、楽しんでるーっ!!」
(えう……あれだけ派手なパフォーマンスの後だと、少しだけ気が引けるのです)
だがそう思っていても仕方ないし、何よりも目の前であれだけ凄い事をされると自分の心がふつふつと沸き立ち、自分の出来る事をするだけと、2番手になってしまったRehni Nam(
ja5283)はヴァイオリンの弓を軽く振り、弦に乗せる。
マーチにちなんでトルコ行進曲、ラデツキー行進曲などのヴァイオリンがある行進曲を中心に、どこかで聞いた事があるであろう明るく楽しい、賑やかな曲を奏でるRehni。
ヴァイオリンの音色の良さを皆がわかってくれるかといえば、それは難しいとしか言えない。けれども道行く誰かが足を止め、目を閉じて聞き入ってくれて「いい音色」と一言漏らしてくれるだけで、Rehniは十分満足できた。
それにこうやって演奏するだけでなく、前から聞こえるユーカリの声と、後ろからどこの誰よりもはっきり聞こえる歌声にウキウキして、自然と笑みがこぼれる。
「ジュンちゃんがこんなイベントに参加しないなんて、そんなはずはありませんでしたよねぇ」
音よ届けと言わんばかりに、想いの音色は空で撮影する黒百合にさえもバッチリ届くのであった。
自分達がスタートする前から様々な音が溢れているのを聴いて我慢が出来なくなったのか、関を切ったように歌っている淳紅。それに合わせて、修平が、理子が、海が演奏を始めた。夢野の音も、理子の音へ添えるように絡み始める。
「自由に楽しむってのは、こうですよねぃ」
自由に始まるこの歌と音に合わせ、九十九も二胡を奏で始めると、前を歩くライムがピンと尻尾を立て、まるで九十九の自慢でもするかのように堂々としていた。
その姿を幸音がこっそりカメラを構えようとするのだが、手が止まり、うずうずしていたかと思うとこちらもやはり、歌いだしてしまった。血は繋がっていなくとも、流石である。
(歩く時に歌いたくなるというのは誰に教わったわけでもなく、1人1回はやったことのある事柄ではないだろうか――)
そんな考えが、淳紅の頭の中をよぎるのだった。
「この世界で生まれて 私達は出会った
それぞれの思い抱え 歩み行く命の一つ〜」
幸音の目がアルティミシアの目線と重なり、ニコリと笑って手を差し向けると、おずおずとアルティミシアが伸ばした手をギュッと握りしめた。
そして幸音の声がアルティミシアを引っ張りながら、2人で歌い続けた。
『考えも立場も違う それでも同じ世界で生きている
例え擦れ違うことがあっても 共に歩こう』
パンッと淳紅とケイが手を叩き、4人の声が重なった。
『『この世界で』』
淳紅とケイから始まった手拍子が、幸音とアルティミシアに伝染し、それが気付けばどんどん広がっていく。歌の輪に澄音も加わり、もはや止まらない勢いであった。
「やっぱ歌うだけでなく、特に楽しそうに演奏する、ってのは最重要項目やんな!」
すでに額から滲む汗をタオルで拭き、水を一口。舌と喉が潤えば、また自然と歌が口から出るのが淳紅である。
その様子に「やはり必要だったな」と頷いたアルジェが、リュックの口を閉じて背負った。
「皆そんなにやわな身体してないし、もしもの準備も万全だ、安心して演奏しよう」
サックスを吹き始めるというところで、海がただ手拍子に合わせて小太鼓を叩いているのが気になってしまい、海と肩を並べ耳に口を近づける。
「海、もっと自由にやっていいぞ。これは『お祭』だ。
楽しく行こう」
「そうだぜ。気楽に全力でやりゃあいいんだよ――見知った連中ばっかりだし、緊張するタマでもねーだろ?」
アコースティックギターの弦を叩く騎士の発破に、ようやくエンジンに火が点いたのか、自由に小太鼓を叩き始める。
(誘われなきゃふて腐れ、誘われて参加しても乗り気じゃなければなかなか動かねーか……それにシャツでの参加とか、色気のいの字もねぇ)
「高校生になったんだから、配慮とか色気とか求めたいが……こいつには無理なんだろうな」
深い溜め息が、騎士の口から漏れるのであった。
『『違う存在だから奏でられる それぞれの音を紡ぎながら――』』
歌うケイと幸音とアルティミシアだが、いきなり「はうあーっ」と幸音が悲鳴を上げ、思い出したかのようにカメラを上に掲げ、踊るように回りながらパシャパシャとみんなの姿を映していく。
その背後から「後でデータいただくわァ♪」と一瞬だけ声が聞こえたが、振り返った時にはまるで幽霊の如く観客の身体をすり抜けていく黒百合の姿が視界に映ったくらいであった。
そわそわと、浮き立つ心を抑えているのがよくわかる楽人の背を、シルヴァがポンと叩く。
「ね。今流れている曲、空木君は弾ける?」
「今?」
目を閉じ、心を落ち着かせ曲を聴いてみると、様々な楽器での演奏だったから気付かなかったが、自分も知っている曲のアレンジだったのだと今更ながらに気付いて、驚きに目を開いた。
「知ってる知ってる! シルヴァさんは?」
楽人が後ろを向くと、シルヴァは口元に笑みを浮かべるとアルトサックスを吹き始めた。
「あ、ズルっ!」
抜け駆けされたと正面に向き直った楽人も、ピックでギターをかき鳴らすのだが、さっき後ろを向いた時、ちらと見知った顔がいたような気がしていた。
でもまさかという思いでギターを弾いて歩いていると、後ろからポンポンと、タイミングもまちまちで明らかに異質な音色が聞こえてくる。
手を止め振り返ってみると、今度こそ車椅子に浴衣の少女――御幸浜 霧(
ja0751)の姿をはっきりと捉える事ができた。
「あれぇ、霧さん!? なんでここに?」
「誘ったのは空木殿ですよ」
「いや、そうだけど……」
歩きながら、しかも演奏しながらという話に、そんな乗り気な顔をしていなかったから、来るとは思っていなかったというのが楽人の本音である。
驚いた楽人へ霧は赤面しつつも「やってみたかったので……」と、鼓をポンと鳴らす。
楽人は腕を組み、感心した顔で頷いた。
(うん、音楽に正道なしとはこれか)
「それじゃ、一緒にやろう!」
「はい――それと、空木殿。お顔をこちらへ」
言われるがまま身を屈めると、車椅子の物入れから手拭いを取り出して楽人の額の汗を拭う。
霧に身を委ね、拭かれるがままの楽人だが、視線をどこに向ければいいものか迷っていた。霧の目を見るには近すぎて恥ずかしい感じもするし、かといって視線を下に向ければ胸が映ってしまう。
いつもの着物ではなく薄手の浴衣だけに、そのふくらみが大変よくわかりますとか一瞬思ってしまうと、頭が熱くなってしまい視線を逸らせた途端、世界が回る。
(アレ……?)
かくりと膝が折れ、霧に向かって倒れ込む楽人。かろうじて、顔の柔らかな感触で焼けたアスファルトの上に倒れたわけではないなと理解するが、頭がボーっとしてそれ以上何も考えられない。
遠くでカシャリと、シャッター音が聞こえた気もするが、目を開けて確認する気にまではなれなかった。
胸に顔を埋めた楽人に霧は驚き、赤面したが、熱すぎる楽人の頭に触れると事態を把握した。
「あら、これは危ないわ」
シルヴァがひょいと楽人を担ぎ上げ、街路樹の下へと移動させる。
日陰で木によしかからせ、霧が新しい手拭いと水を取り出すと濡らして、白のニット帽を脱がせた楽人の頭へそれを乗せた。それだけでなく、体の熱を冷まそうと、濡らした手拭いで楽人の素肌を拭くというよりは水で濡らす様にまんべんなく拭っていく。
楽人の肩に胸が何度も押しつけられているのだが、霧は気にしていないし、楽人は気づいていない。
シルヴァがポーチから熱中症対策の飲料を取り出して楽人に渡すと、思っていた以上に身体が水分を欲していたのか、一気に飲み干す。
「……ちょっと、興奮して熱くなりすぎてたみたい。ゴメンね、一緒にやろうって言ったばかりなのに」
「大丈夫ですよ。まだ始まったばかりですし、ゆっくり行きましょう」
「よーし、カイ。私達もいくよ!」
文歌が歩みだすと、頭の上のティアラを手で軽く押さえながら、快晴も歩みだす。心なしか、文歌よりも半歩ほど遅れての控えめな立ち位置である。
ティアラと式神のピィが女神と戯れている、マイクとスピーカーが一体化した文歌のそれから、透き通った歌声が広がり始めた。
「晴れやかな日々 リズムに乗せて――」
こんな晴れた日を2人で歩いているその光景を2人は思い浮かべ、快晴の口からも控えめな歌声が零れる。
「趣くままに タクトを振って――」
『concertoを奏でよう』
横を向く文歌の目と、快晴の目が合うと、どちらともなく自然と目を細めてた。
『届け 私たちの音色 久遠の音色――』
ずっと昔の事を思い出せなかったり、辛い事を思い浮かべたりもした。
だが悲しみは一瞬にして学園での楽しい日々に塗り替えられ、そして2人で過ごした日々ばかりが胸に溢れる。
いつの間にか、思い出す事は全て2人でいる時の想い出ばかり――だから2人は少し照れながらも、幸せそうな笑みを浮かべて聴く者に幸せの歌を届けるのであった。
周囲に目を配っていた雅が視線を少し下に向けると、何かに気付いたらしく、アルトサックスの演奏を止めると横の真へ肩を寄せ、小声で「川知さん」と、何かを伝えようとするも、真も気づいていたのか先に頷かれた。
「迷子さん、ですね」
視線の先には泣いている子供の姿。
キーボードから指を離す真が子供の前にまでいくと、しゃがんで「どうかしましたか?」と声をかける――案の定、迷子だった。
「もし良かったら好きなお歌を歌いながら一緒に公園まで行きましょう。お母さんもそこに来てくれますよ」
柔らかな笑みを浮かべる真の横から、手袋をはめた手がにゅっと伸びて、手の中から魔法のようにトランプが出現する。
そのトランプを親指と中指で挟むように持ち直すと、弾くと同時に手の中から現れた鳩が空へと飛んでいく。まるでトランプが鳩になったかのような手品を間近で見た子供は、いつの間にか驚きと笑顔の入り混じった顔になっていた。
カボチャタキシードは飴玉を1個ずつ、真と子供に渡すと踵を返し、去りながらもその口から火を噴きだし、慌ててやってきた役員っぽい人に連行されていくのであった。
すっかり泣き止んだ子供の手を引き、戻ってきた真へ、雅が「どうする?」と問いかけた。
「公園で迷子案内を出していただき、それまでは私達が楽しませましょうか」
「だな。せっかく楽しむお祭りなんだ、俺達だけでなく、みんなに楽しんでもらわなきゃな」
「そういうことです」
よくできましたと、真は雅へニッコリと微笑むのであった。
「いやぁ、こっぴどく怒られてしまいました――おや、なんだか珍しいものがありますね」
体のどこかにぶら下げているであろう、ちんどん屋の音が流れるラジカセを止めると、フレンチドックの屋台へ顔を覗かせた。
そして指を1本、立てる。
『砂糖、1本』
予期せずして声が被った。
「おや、蓬莱先輩じゃないですか」
「その声にカボチャとすると、エイルズレトラだね」
頷くエイルズレトラのカボチャを、紗那はそっと触れ――柔らかくない事に落胆する。
2人とも砂糖をまぶしたフレンチドックを受け取り、かじってみた。
紗那の扇子が口元の前で開かれ、『妙』という字がそのまま紗那の感想を表す。だが扇子を閉じて再び開くと、『これはこれで』と肯定的な物に変化していた。
目の前で手品のような物を見せられると、負けじとエイルズレトラも顔の前でカードをピッと1枚。そこには『菓子として』と書かれていて、それを一回転させると『美味』とこちらも文字が変化していた。
そして残りのホットドックはガジガジと、カボチャの口の中に消えていくのであった。
「さてさて、そろそろ先頭の組はゴールしたあたりでしょうか」
フレンチドックの串を花に変え、エイルズレトラはゆっくり歩きだす。
「うーん、ホットケーキミックスを使ってる分だけ、余計に甘いんだね。こっちならではの味なのかな」
紗那はというと、もう少し食べ歩くつもりで屋台を巡るのだった。
●終わってみても
「美味しいね♪」
「……うまい、ねぇ。ほら、熱いから気をつけて食うんだぞ」
肩を寄せ合い、豚汁を口にする文歌と快晴。快晴が足下のティアラの頭をなでつつ、豚汁の人参を与えてみていた。
すると、匂いを嗅いではぷいと顔をそむけ、トコトコと歩いてはライムとすれ違い、九十九の足元にある大根を口にする。人参の方はライムが口にするという。
「他猫の餌の方が、美味く見えるってヤツですかねぇ」
猫飼い同士、そろって申し訳なさで頭を下げると、文歌がクスクス笑うのであった。
「この時期のこの地域は、涼しくてええね」
「僕らからすると、今日は暑い分類なんですけどね」
苦笑する修平へ「このもやしめ!」と冬とは逆の立場で強気になる淳紅の目に、はふはふと美味しそうに食べているRehniの姿が映った。
「暑いですけど! 熱い豚汁が美味しいのです!!」
大きめのこんにゃくを前に大きく口を開けたところで、淳紅とバッチリ目が合ってしまったRehniは顔を赤くして開いた口を閉じてしまう。
ふにゃっと笑い、Rehniに向かって歩く淳紅は思いつくままに豚汁の歌を歌うと、すっくと立ち上がるRehniがこれまた即興で淳紅の歌に合わせたヴァイオリンを弾き始める。
(おねえちゃん増えるかなっっっ)
照れつつも幸音は淳紅とRehniのセッションを密かにパシャリと撮る――と、背後に黒い影が。
「そのデータいただくわァ♪」
幸音の手からデジカメが取り上げられ、黒百合がスマホにデータを転送して、ぴょいこらとデジカメを取り返そうとしていた幸音の手に戻す。
半泣きだった幸音だが、デジカメと一緒に飴玉も置いてあって、たちまち機嫌を直すのであった。
(ああいうのを見ると、海もわりかし普通の分類なのかもしれねぇけど……)
「とりあえず感情を抑える所から覚えろ」
騎士が溜め息を吐いて海の頭を軽く叩くと「騎士さんはどうなのさ」と生意気な反応を見せる海。
「俺? 俺はいいの。100年以上、こうなんだしな」
噴水の縁に座りながらで海と騎士のやり取りを見ていた夢野は、ふと好奇心が沸き立って横に座る修平へ顔を向ける。
「そういや、修平君はこっちに来ないのか? 今はもう、学園から離れる理由は無いはずだが……それでもやる事があるのか?」
「僕は……多分、まだ置いていけな――」
「ヒャー、冷たい! アイドルとしては水遊びしながらの歌も、必須だよねっ」
全身が火照っているユーカリが、水遊び可能になっている噴水の水場にダイブし、修平達の後ろから盛大な水飛沫が縁に座っていた4人へ襲い掛かった。
「大丈夫か、理子さん」
「大丈夫、アルジェ」
夢野が理子へ、修平がアルジェへと目を向けたのが、一瞬にして目をそむける。
理子もアルジェも、今回は久遠ヶ原の夏服である。理子の肌に貼りついた白いブラウスには淡いピンクの、アルジェのブラウスには黒いモノがはっきりと映し出されている。
理子は赤くなって胸を隠すも、アルジェは「どうした修平」とわかっているのかわかっていないのか、目をそむけた先へ移動を繰り返すのだった。
そんな公園の隅々にまで、静かな歌声とサックスの音が響く。
迷子の前で安心させるために歌う真と、それに合わせる雅の演奏に、たまらずケイも真の声に乗せ、ケイに手を引かれたアルティミシアも立ち上がって歌い始める。
それだけではない。歌に覚えがある誰もが歌い出し、そして当たり前のように演奏も始まる――騒がしかった公園は今この時、1つの音楽を共有しあい、音に支配されているのであった。
「う……僕も……」
「空木殿はまだ休んでないと、ダメです」
「熱中症だって、死に至るのよ」
休み休みでなんとか公園にまでたどり着いていた楽人だが、霧とシルヴァによって木陰で強制的に寝かされていた。
「……本当にゴメン、霧さん。満足、一緒にできなくて」
「ですから、大丈夫です。音楽はいつでもどこでも、好きな時にできるんですから」
そう言って霧は、目の前で広がっている大セッションに目を細めるのであった――
●後日うp
ゴトンと、部屋のポストに何かが投函された理子は何だろうと思い、少し大きな封筒を開く。
「久遠ヶ原第一音楽隊『concerto For o.9.n』の第一回活動記録……?」
それを再生させてみると、ついこの前の音楽祭の様子が、久遠ヶ原の生徒中心に写され、編集されていた。写真画像のファイルまでついている。
「差出人は不明、だよね」
封筒には何も書かれていない。映像の冒頭で撮影者が自己紹介したのかもしれない部分は、カットされていた。
理子は撮影者が誰かわからないが感謝しつつも、その画像をあまり慣れない操作で投稿動画サイトにあげるのだった。
(フェアじゃないからといろんな大会に出れなくて、悔しがってる人達がいるのを知ってる。もう人じゃないな、なんて陰口を言う人がいるのも知っている――)
「だけど、それでも素敵な音楽をちゃんと持ってるんだって、広まるといいな……ううん、広めなくちゃ!」
それが、矢代理子の決意であった――……
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