「少し遊んでいきますか」
何を見ても黒井 明斗(
jb0525)だが、どこかで見たことくらいはある気がするキャラ達のレースゲームに目が留まり「これがいいかな?」と、筐体のシートに座り込んだ。
キノコっぽいものを被っているキャラを選ぶが――まるっきり下手であった。
「この速度でならこれくらい曲がれる……ここで加速……道は頭に入れておいて、他のキャラも見渡せる視野が必要なのか……」
天からこぼれる涙に、城里 万里(
jb6411)がほうと溜め息を吐いた。
「雨の日にセンチメートルな気分になって、違った目線で日常を見渡せるの……万里、嫌いじゃないですの」
「アホか。風邪引く前に着替えて来い。それとセンチメンタル、だろ」
こういう時の用意はいい城里 千里(
jb6410)が万里の頭にタオルをかけ、見渡す。
「……それにしても、だ」
外観よりもはるかに広い内部。
ある人物によく似た少女を発見すると訝しみ、ついでに携帯の電波状況も確認――圏外だった。
(……おかしな空間だな。どっかで見たことある人だが、普通に考えれば妹とか姪なんだが、このレトロな雰囲気がタイムリープを臭わせる)
そんな馬鹿なと首を振っていると、万里が「靴下買ってくる!」と手を出してきたので、当たり前のように万札を渡し、この不思議空間の調査に乗り出した。
「おや? おかしな空間に迷い込んだみたいですねえ。どう見ても、外観より中身の方が明らかに大きい。空間歪曲の類でも使っているのでしょうかねえ」
キョロキョロと見回すエイルズレトラ マステリオ(
ja2224)だが、中学生ではまず知らないようなゲームを「懐かしいですねぇ」と呟いた時点で、すでにどうでもよかった。
「ゲームいっぱぁい♪」
はしゃぎまわり、色々な対戦台に飛びこんでいく白野 小梅(
jb4012)を見かけたエイルズレトラは、対戦格闘という点で足を止めていた。
完全に初心者の動きだが、撃退士ならではの身体能力に子ども特有の柔軟な吸収力でタイムが半分過ぎたあたりにはもう、すっかり熟練者のそれである。
キャラの体力ゲージはすでに赤いというのに、挑発一発。すぐに「ざんえ――」と迫ってくる、が。
「当て身投げ! 当て身投げ! レーイジング○トーム!!」
巧みと言うよりは厭らしく、相手の攻撃に合わせてねちねちとカウンター投げで削って、ピヨッたところで超必殺技の餌食。そして満足してしまえば、負けていなくとも台から離れて次を狙う。
「サイコボー! サイコボー! サイコソーッ! フェニックスア○ー! えへへ、やったぁ☆」
次の台では3キャラ勝ち抜きのうちまず1人倒し、そして2人目は鉄球を持った、巨漢のキャラ。見た目からしても鈍重そうで、小梅自身にも油断があったのか、今度は小梅があっさりと負けた。
少しムキになって肉まん好きな少年で攻めるのだが、攻撃させられている感ばかりがして、気が付けば3キャラとも負けてしまっていた。
「負けちゃった!」
悔しくはあるけれども、楽しかったという思いで台から離れ対戦相手を見ると、黒髪のお姉さんだったので甘えたいモードになりそうだったが、胸のボリュームが足りなくて、結局声もかけずに他の対戦台を目指すのだった。
(知っている人に似ているような気もしますねえ?)
興味が沸いたエイルズレトラが、小梅のいなくなった席に座り、思わず乱入していた。
小手調べをするつもりが、相手もフレーム単位を考えるプレーヤーだと分かると、本気で倒しにかかる。
牽制しあいながらのコンボ狙いで一進一退を繰り返し、最後のセットでエイルズレトラがこれさえ決まれば勝てるというギリギリの状況で、コンボ最後のコマンド入力を、わざわざ失敗した。
相手のキャラの起き上がりに合わせて立ちパンチを放つが、しゃがみから始まるコンボが発動し、遊びは終わりだと言わんばかりにそのまま転がされてしまうのだった。
「いやあ、お強いですねえ。今のはどうやるんですか?」
無視をされるかもしれないと思いつつ声をかけると、意外な事に「君も強いですよ」と、普通に返された。
(体型はそれほど変わらないのに、ずいぶん口調や物腰は今とずいぶん違いますねえ)
この雨が止んで学園に戻ったら、このゲームの話題を振ってみますかと、エイルズレトラは思うのであった。
少し寂れがちなところで「懐かしいなぁ」と黄昏ひりょ(
jb3452)が『ストライク・ファイターズ2』という、かなり古くはあるが時代の火付け役とまで呼ばれたそれの前に座っていた。
中学生の頃、古臭い古臭いと言いながらも何故かその時流行っていて、幼馴染と馬鹿みたいにプレイしていたのだが――CPU相手にいきなり負けた。
『へっ、ひりょ。このゲームは俺の圧勝だな』
得意顔でそう言ってきた幼馴染の顔が思い出され、凄い悔しかったなとか、家庭移植版も買ったっけなとか、こっそりだけど特訓したんだよなと色々と思い出される。
そして、自信がついた頃にはブームが去っていたんだよなぁと、余計な事まで思い出してしまい、ふつふつとやりきれないオーラが込み上げてくる。
その闘争心が彼の背後で黒猫となり「キシャーッ!」と、毛を逆立て威嚇している――かわいいだけだが。
「あ、白野さん! ちょっと対戦しよう!」
「ひー兄ぃのお願いとあっちゃあ、仕方ないのぉ!」
嬉々として小梅が、対戦台の向こうへと座る。
虎に喧嘩をふっかけたとも知らずに、ひりょは「やるぞー!」と腕をまくるのであった。
(ふむ……選択肢が無限のようでいて、突き詰めると所詮は決められた型がある故に、それほどない……やはり現実と比べてしまってはダメだな)
眺めていた只野黒子(
ja0049)は、どうすれば勝てるのかを思案しているうちに、その結論に達してしまった。
ならばと大戦モノに手を出し、それほど強くない手札をそろえて挑む。相手は強いキャラを使ってくるのだが、その程度の戦力差などあっさりひっくり返す。
(一騎当千よりも、数人の一騎当百。そしてそれよりも大多数を占める一の存在こそが、戦局を作り上げるのだ)
「私はその『一』を『万』にしたいのですよ」
「流石というべきかしらァ♪」
後ろの声にふり返りもせず、ただ「君か」とだけ返すのだが、後ろの人物――黒百合(
ja0422)は気にも留めた様子はない。
黒百合はこれまでに格ゲーやら大戦モノを見てまわったのだが、今一つどれもピンとこない。そんなものより、直接殴りあった方がずっと楽しめるなどと思ったかは、定かではないが。
「……暇だし、思いっ切り遊んでしまいましょうかァ♪ 」
言うが早いか、現金をごっそりとメダルに交換してすぐに始める――と思いきや、メダルを投下式の台でガラスに額をこすりつけ、じっくりと観察していた。
(こっちはハズレだわァ。こっちは……合格ねェ♪)
入念なチェックの末、台の状態に納得すれば、次はタイミング。
最小限で最大限の利益を得るため、ベストを狙って投下。狙える時は湯水のように注ぎ込み、その対価として倍以上を得る。だがこれでも満足していないのか、落とす時の力加減や投入のリズムを調整したりと、常に検討し続けていた。
メダルが相当溜まり、飽きてきたわけでもないのだが、どこも取りすぎたと判断すると、全く知らない他人へとメダルを全部押しつけ、クレーンゲームを目指す。
ここでも、台をとにかくじっくり見る。場合によっては人がプレイしている所も観察して、アームの力、角度、反応の具合をしっかりと頭に叩き込み、それから景品のどこを狙うのかもしっかりと見定めるのだった。
画面を埋め尽くすほどの弾幕による雨の中、すいすいと自在に自機を動かして敵を撃破していくSpica=Virgia=Azlight(
ja8786)の姿があった。
「雨、ひどいけど……ここなら……」
どっちの雨の事かわからないが、無事にワンクレジットでクリアして長く息を吐き出した。
そして次の筐体に座ると、まずはそのゲームの点数稼ぎ動画をチェックし、それからクレジット投入。とにかく目がいいのか、僅かな隙間に滑り込んでいくその様は、もはや変態機動と呼ぶしかない。
「ここで、カウンターして……倍率上げたまま、倒す……」
ステージはまだ半分程度のはずだが、すでに店舗ハイスコアを更新し、カウンターストップまでもう少しという所まで攻めているスピカであった。
スピカの後ろで見ていて、弾幕に目がチカチカしてきたエルム(
ja6475)が瞬きを繰り返し、目線を遠くへと向けた。
「大きなゲームセンター……」
こんな事でもなければまず入る事のないゲームセンターを見回しては、感嘆の声を漏らす。が、それはすぐに溜め息に。
(こんな日に傘を忘れちゃうなんて、私もまだまだね。雨がやむまで、ちょっと時間を潰していこうかな)
対戦系は負けず嫌いな自分だと、すぐムキになってしまうのが目に見えている。メダルゲームやクレーンゲームにも目を向けたが、微動だにしない黒百合を見てしまっては、スパッと決断してしまう自分ではだめだなと思ってしまった。
「あっ、アレはこの前テレビで観たことあるな。9枚の的を全部抜けばいいのよね」
的当てピッチングゲーム、つまりはストラックアウトなのだが、本格的な物ではなく、かなり距離も短く的もボールも小さいのだがこれならばと、コインを入れると12個のボールが転がってくる。
投球しようとしたところで、自分のフォームではだめだと気が付いた。
(普通のゲームセンターじゃ、アンダースローなんて無理よね。スペース的に)
せめてと、サイドスローで投げるがやはりしっくりこない。それでも8枚は落とせたので「こんなもんかな」と、他のゲームを見て回るのだった。
「うーん……よりにもよってすごーく場違いな所に入ってしまったな……」
エルム以上に困惑を見せる礼野 智美(
ja3600)は、どうしたらいいものかと思案顔をしていた。
妹は色々と好きだが、自分はさっぱりである。シンプルそうなブロックを崩すモノとか消すモノ、敵を避けながら餌を食べるモノとかは、何となく理解はできそうだ。
が、だからといって、お金を使う気にはなれない。
「とにかく、ぶらついてみるか……さっきから聞こえる、ゴリラがおるってのもなんの事だかな」
2つの太鼓を前に小さめの女の子がマイバチを使って、目で追うのもやっとという譜面をプレイしているが、さっきからただの1度もミスはない。
結局最後までミスする事無く、筐体からは「フルコンボだドン!」と聞こえ、ギャラリーはより一層ざわめく。まだ全国に5人といないと言われるその領域を、初めて見たからだ。
振り返った女の子、峯月 佳織(
ja5831)はクールを装っているが、その目がキラキラと輝いていて、他の音楽ゲームにも狙いを定めていた。
「……全部制覇、これ……決定……っ!」
だが制覇するにはちらほらいる、自分と同じようなゴリラと呼ばれる領域に踏み込んでいる音ゲー撃退士達を倒さねばならない。
「……燃えてきた……っ!」
音ゲーを発見するまでは口調同様に、実年齢に伴った落ち着きをかもし出していた佳織だったのだが、今その瞳には燃え盛る炎が渦巻いている。
まだ少しのたどたどしさが残るが、それでも戦闘依頼で鍛え上げられた反射速度に記憶力を駆使し、プレイするたびにどんどんスコアを伸ばしていくスピカ。視認しにくい部分は直感でこなしていた。
その近くではサラサラのショートヘアを揺らしながら足で矢印を踏み、さっきからちゃんと上手いのだが首を傾げてばかりの月詠 神削(
ja5265)。
「……うーむ、何かピンとこないな? いつもと違う……?」
足は動かしやすい。身体も動かしやすい――そう思っていると、動きやすすぎるのだと指をパチンと鳴らした。
「――おお、そういえば……俺が踊る時って、いつも何かの着ぐるみ姿だった! ペンギンとかグレイとか……今日は素のままの自分だから、違和感があったのか。
……だが、生憎今は着ぐるみが手元に無い……その上、この梅雨の季節……それに相応しい着ぐるみは手持ちに無いな……」
眉間に皺を寄せ、頭の中にはめまぐるしく手持ちの着ぐるみを思い浮かべ検索するが、ヒットしない。
「……カエルとか河童の着ぐるみがあればいいんだがなー……今度探してみるか……」
「あらァお困りかしら? そんな貴方にはこれをあげるわァ♪」
色々と手に提げている黒百合が、蛙の被り物を神削の頭に被せて逃げていく。どう見ても要らないのに取ってしまって処分に困ったが故の処置に見えるが、肝心の神削はというと「……ふむ」と被り物の角度を整え直して悪くないと言わんばかりにプレイを再開するのだった。
「うおー……上には上がいるってなぁ」
ダンスは得意なユーラン・アキラ(
jb0955)だが、神削のプレイにピアスを弄りながら目を丸くする。
そしてさらに1つお隣では、アホ毛を揺らしマホウ☆ノコトバを歌いながら軽やかに、手振りも添えてまさしくダンスにしか見えないものを披露している川澄文歌(
jb7507)がいた。
画面に流れる矢印は恐ろしく速く複雑だが、ほとんど画面も見ていない文歌には関係なく、呼吸さえ乱さずに歌い続けている。流石はアイドル。
曲が終了し、汗を垂らしながらも自分のスコアに笑顔で頷く。
「ふっふ、『音姫ちゃん』はまだまだ現役です!」
近所のゲームセンターでそう呼ばれていた当時を懐かしんでいた文歌だが、その目でキッとギャラリーを睨み付けた。
「むむ、誰です? ゴリラって言った人は? 消えてもらいま……む。そこの貴方、私と対戦しませんか? そう、先ほどからこのゲームセンターの筐体を荒らし回っているRYOUさん、貴方です!」
「いや、むしろ今荒らし回っているのは貴女方のような気がしますけど……」
少女の目には太鼓に続いてドラム、ギターで自分の記録を抜いていく熱い瞳の佳織や、軒並みトップスコアが『SPIC』となっているシューティング、重量でアームの上昇が止まるほど1回で吊り上げている黒百合達を順に見て行く。
文歌が耳を塞いで聞こえないふりをするので、少女は諦めると靴を脱ぎ、そして靴下を脱いで文歌の隣に立って、後ろにあるバーをもたれかかるように両手でつかんだ。
そこから始まる真剣勝負――文歌は歌も振りつけも止めようとはしないが、ただの女子高生が撃退士と互角に渡りあっていた。互角のまま終わるという最後の最後で、少女は体力が尽きたのか踏み損ねてしまい、文歌の勝利に終わる。
汗で張りつく制服の肩をつまんで扇ぎ、火照った体を冷ます文歌が悔しがっている少女へと手を差し出した。
「なかなかやりますね……いい勝負でした。握手です!」
どこからか大きな歓声が耳に聞こえた明斗だが、その目は画面から全くぶれない。ロケットスタートで一気にトップに躍り出ると、後ろから飛んでくる甲羅をドリフトとハンドルワークでかわしていく。
「ギリギリを攻めますよ」
今の今までやりこんでいた明斗は、生来の生真面目さ故にもはや上級者レベルに達していた。
その横に文歌との勝負に敗れた少女が座り、挑戦してくる。
挑戦を拒まない明斗だが、自ら妨害する事はせず、されたらちょっとお返しする程度の純粋なレースとして楽しんでいた。だが少女のキャラが明斗もずっと気になっていた脇道に逸れると、アイテムを使用して飛びこせそうにない崖を飛びこしコースの半分以上をカット、20秒以上の大差をつけられ負けてしまった。
「……貴女、このゲームやりこんでいますね」
「時にはああいう隠し要素もあるから、底が見えたと思わずにもっと極めてください」
満足したのか少女が後にすると、検証のし甲斐があるなと明斗はさらにのめりこむのであった――
ゲームセンターでキョロキョロして「こんなところにこんなのあったっけ?」と首を傾げる雪室 チルル(
ja0220)だが、今しがた閉まったエレベーターのミハイル・エッカート(
jb0544)を見つけるなり、階段を駆け上がっていった。
「少し足りなかったからな。雨宿りついでに歌っていこうか」
カラオケ店の店員に部屋はどこを選んでもいいと言われ、ミハイルはとりあえず近くの部屋に入ると、いつの間にかその後ろに大間戸まりか(
jc1445)が張りついていた。
「おっさん独りじゃ華がねーからな、付き合ってやんよ。かわりに奢りな」
「奢り! あたいも参加する!」
まりかの声が断片的に聞こえたチルルが突撃し、そして「おにいちゃんに褒められるため! いっぱい練習するの!」と亀山 幸音(
jb6961)がミハイルを見つけるなり突入して来ると、可愛い女の子に引きつけられたイリス・レイバルド(
jb0442)までもが飛びこんできた。
部屋の扉は閉められ、ガチャンと鍵がかかる――悪夢の始まりであった。
「あれー? こーねの声が聞こえた気がするんやけどな……?」
亀山 淳紅(
ja2261)が、部屋から多少は漏れるはずの音がどういう理屈なのか全く聞こえない静かな2階の通路を見回すのだが、妹の姿は見当たらない。
「まあええか……折角タダなんやし! タダって凄い大事なことやんな!」
息巻く淳紅に店員が説明し、点数に関して少し渋い顔を見せ、それからはたと大事な事に気が付く。
「トイレ、どうするん?」
「ヒッヒ……行きたくなる前に100点を出してもらうか、トイレ付の家族ルームを使ってもらうかですねぇ……」
「家族ルームでお願いします」
案外すんなりと許しが出て店員に案内されるのだが、不思議なほどに果てしなく長い通路をずいぶん奥の方まで歩かされ、ここですと入ってみると、他の部屋からすると4倍くらい広く、カラオケだけでなくテレビなども置かれ、トイレにシャワーと、まさしく家族で1日過ごせるほどのものだった。
そこにぽつんと、淳紅1人だけ――だが全く気にせずホットのウーロン茶を1杯だけ注文して、歌いたい新譜をメモした紙を広げて入力端末を操作するのであった。
「躊躇うぐらいならやってみるのが一番さ」
アキラが、神削と手を絡ませているスピカの背中をぐいぐいと押す。
「カラオケなんて……したことない、から」
「やるなら今だよ」
神削のすぐ横で踊っていたアキラと、今のアキラとは何かが違うような気もするスピカだが、優しい口調に丸め込まれて結局カラオケルームへと入ってしまう。
「歌は何がいいかな。何が歌えるかわからないけど、ここら辺の曲なら、ちょっとくらいいけるんじゃないかな」
適当な曲をひたすら入力して、明はマイクのスイッチも入れてスピカに渡す。神削はもう聴き手オンリーと言わんばかりにジュースをストローで飲み続けていた。
曲が流れ始めても数十秒、口を開く事はあっても声までは出さない――だがそれでも、最後の最後、たったワンフレーズだけでもちゃんと声を出したスピカへ、アキラは拍手喝采で盛り上げる。
(骨休めも、しておかなきゃな!)
「うーむ……やはり俺には場違いだな……2階はカラオケか。お1人様でする気にはなれないし……3階のブティックとやらを覗いてみるか」
全部見て回ったけれども結局、ゲームにお金を使う気にはなれなかった智美がエレベーターの前で待っていると、その横にある各階の案内板の前で樒 和紗(
jb6970)が足を止めた。
「……ブティック?」
「ん? ブティック気になるの?」
砂原・ジェンティアン・竜胆(
jb7192)が和紗の顔を覗き込むのだが、そんな事はないとでも言わんばかりに顔をそむけるのだが、チラチラと視線を向けてくることに竜胆が笑う。
(チャラい竜胆兄だったら、ステキな服を選んでくれそうですが…)
(とか思ってて、多分洋服見たいんだろうなぁ……和服が多いから洋服選ぶの苦手なのは知ってる)
「一緒に行こうか」
「本当ですか」
後姿が嬉しいと語っている和紗が本当にかわいいとか思いながらも竜胆も、エレベーターが開くと智美共々乗り込んでいく。
そして到着して扉が開いた瞬間、和紗も智美も凍りついた。
「――下、着?」
「ふむ。主力はこっちか」
多彩でカラフルな女性用下着が美しく華のように飾られていても、竜胆は凍りついている2人も気にせずスタスタとためらう事無く入っていくと、似合いそうなものを普通に選ぼうとする。
「…って竜胆兄!?」
竜胆を追って和紗もエレベーターを降りるが、智美はそのまま降りる事無くフェードアウト。なにやら「完・全・に場違いじゃねーか!」と言う叫びが聞こえた気もする。
「ああ、和紗こういうのどう?」
「そんな大胆なの、絶対に着ませんから!」
竜胆の勧めた際どいランジェリーセットを全力で否定する和紗の前に、ゲルダ グリューニング(
jb7318)が「もったいない!」と叫ぶ。
「いいですか、母も言っていました。着心地の良い下着は動きやすくて獲物を狙う時にも最適よ、と。下着が良ければ、いざという時もバッチリなんですよ」
「む……確かに動きやすそうですが……が……」
絶対に意味合いが違うよねと言いたかった竜胆だが、面白そうなので黙って見ていると、案の定、言いくるめられて購入する事にしたようである。
(で、帰ってから後悔しつつも、せっかくだからって1回位は着るんだろうね)
紙袋片手の和紗がそんな竜胆の腕をつかみ、逃げる様にエレベーターへと向かい「歌、好きでしょう?」と、次にカラオケへ行く事を伝えてくる。
「まあ好きだけど……」
でも和紗は歌わないでしょとも思ったが、まあいいかと引きずられるままに店を後にするのであった。
「あらあ下着をお買い求めですの? 万里は専らスポーツタイプで〜中略〜わー、これなんて黒松様にお似合いですのっ!
うちの甲斐性無しは『下着は本人がつけたいものをつけるのが一番』とか言ってますけど、女の子ですもの、お洋服の下でもお洒落したいですよねーっ」
「そうです。勝負下着は重要よ。私も彼女と会う時は常に気合を入れていたわと、母も言ってました。もちろん、試着もしてもらってぴったり合うものにしませんとね」
「なんか沸いてきたし……」
万里に押され気味だった理恵の前には目を光らせたゲルダまでいて、勧められたそれを着けないわけにはいかない気配になりつつあった。
「あっ、サイズはどれになさいます? 御揃いの買いましょう♪」
「黒松さんならD65・56・81ですね!」
本人が答えるより先にゲルダが答え、万里によってほぼ強制的に試着室へ連行されるとゲルダの目が光ったかと思うと、理恵の悲鳴。そして理恵の更衣室から下着を咥えたヒリュウが階段を下っていくのを、ゲルダは追いかけるのであった。
今、カラオケルームでひっそりとピンチを迎えている者がいた。
空になったジョッキグラスを恨むような目で見下すミハイルは足を組み、普段はしない貧乏ゆすりをしている。それに気が付いた幸音が膝に手をポンと置き、「大丈夫……なのです?」と顔を覗き込んでくる。
「ああ、大丈夫。まだ大丈夫だ……」
「背中さすさすするの!」
背中をさすられる振動が、膀胱に響く――などと口に出せないミハイル。今しがた可愛らしい歌声を披露したまりかがミハイルの様子にピンと来たのか、隣に座り「大丈夫ですかぁ?」と膝をゆすりにかかる。
「おい、やめろ……」
「よっし、次はあたいの番ね! どれにしようかなー。 あ、ジョッキが空ね! 追加しなくちゃ!」
端末操作しながらも内線で追加のジョッキを頼む無邪気なチルルが、今のミハイルにとっては何よりも恐ろしい。そしてチルルが入力した歌より先に、イリスの曲が先に流れ始める。
(またか!)
涼しい顔しながらも脂汗を浮かべ、腕を組んでさりげなく腹を押さえ気味にミハイルはこれから来る攻撃に備えた。イリスの腹にズンと響く声でミハイルの揺れる膝は、もっと激しく揺れる。
(くそっ、まさかこれは天魔の罠か。無防備で敵に囲まれるよりもピンチだ……)
全身震え始め、顔が赤くなりつつある。
「頼むから、俺に構うな……」
その祈りが少しは届いたのか、イリスが急に歌うのを止め「ちょいと失礼」とマイクをミハイルに投げつけ扉に手をかけるが、その表情が凍りつく。
そして扉に頭を何度も打ち付け始めた。
(透過ぁぁーーッ!! 何故無理か!? 乙女として許容できない!?
OK落ち着け、100点だしゃいいだけだ、ボクは我慢は嫌いだがやせ我慢は得意なんだ)
冷静さを取り戻したはずだが、チルルのあまり上手くない歌声すらも腹に響き、扉の前で崩れ落ちた。
(歌うとお腹にキます助けてください)
ここで覚悟を決めたミハイルが蛸わさをビールで流しこみ、天魔の重い一撃を喰らった時のような足取りで立ち上がった。
自らマイクを取り、アメリカのロックバンドの曲を歌い始める。
(ここでしろと言うのか!? 空のグラスになんて、紳士としてできない! ましてや1人ですらないんだ!!)
全身全霊をかけた、まさしく魂の叫びが歌声に現れていた――が、無情の62点。崩れ落ちる前に内線を手に取っていた。
「トイレに行かせてくれー!」
「100点出せばいいんですよ、ひぇっひぇ……」
もはや一歩も動けないミハイル。イリスも同様だ。
空になれば即注文、飲まなければ飲みなよと勧めてくるまりかもチルルも天魔の手先に見える。耳には幸音が歌う、凄く有名な主題歌が聞こえてきた。
(愛と勇気だけが友達のアンパンさん、俺を助けろ……!)
朦朧とする意識の中、ファンファーレが聞こえてきた。
「ひゃくてんなの!」
無邪気に喜ぶ幸音の声に、ミハイルは思わず両拳を天に向けていた――が。
イリスが「幸音様偉い!」と手を引っ張って、即座に出ていく。そして閉まった扉からは再び、ガチャンと鍵のかかる音。
「んだよ、また閉じこめられたじゃねーか。もういい加減に好きなモン食うからな」
さすがに我慢の限界なのか素を表に出したまりかが、ミハイル用と思われていた枝豆などをわしづかみするも、ミハイルにはもはや何も言葉を発するだけの余裕はない。
だが完全吸収でもしているのか、同量の飲み食いをしているチルルはまだまだ元気だった。
「あたい、ノッてきた!!」
とてもいい笑顔でトイレから出てきたミハイルを迎えたのは、「さすがあたいだね!」と上機嫌のチルル。ミハイルの手を掴み、カラオケルームへとまたも引き返していく。ミハイルがまりかへ仔牛の様な瞳を向けるのだが、全く合わせようともしてくれない。
こうしてミハイル地獄篇は続くのであった。
「なんや、えらくあっさり出てもうたな……」
20曲くらいで鍵が開き、不完全燃焼な淳紅が扉のガラスから覗き込んでいる顔に気付いた。
「やっぱりお兄ちゃんなの!」
「こーねぇええ!」
(匂いがするのとか言ってたのは、マジだったか―……あ、トイレあるなら問題ないぜー)
2人が2人で歌える曲を選びだしたので、幸音への恩義と三下魂満載のイリスは扉を閉めた。
2人なのに独りで歌い続ける事に少し飽きてきた竜胆が「もう目瞑って押した曲でいっかなー」と、適当な曲を選んで回転率を上げると、あっさり100点を出した。
「あ、終わりました?」
ジュースを手に持ったまま微動だにしなかった和紗が、目をこする。
「ん。終わったよ……ってガチ寝てたのね……」
「……声が心地好くて」
そう言われて悪い気のしない竜胆は、立ち上がろうとする和紗に手を差し向ける――
「兄様―!」
「戻ってきたか……って、黒松もか」
万里が紙袋から、濃い紫系でセクシーなランジェリーセットを広げて千里に見せた。
「どうですか!」
「はいはいかわいいかわいい」
「黒松様とお揃いなんです! 今、着けている――」
瞬間、理恵が万里の口を押えるが、もう遅い。聞いてしまった千里の目には、なんだか理恵の白いブラウスに紫色が見えてきてしまい、目を逸らす。
「……ま、なんだ……似合ってる、と思う。よくわかんないけど」
それにありがとうと返すのもなんか変だというか、熱くてそれどころではない理恵は口が開かない。万里はグッと拳を握り、そして兄の耳元に口を近づける。
「ところで兄様。黒松様のカップなんですが……」
「確か、Dだったか」
兄の口から出た言葉に、信じられないという表情の万里が「まさか2人はそこまで……!」とわなないている。不味い事を言ったと千里は一刻も早く逃げ出したい一心から思わず理恵の手首をつかんで、万里から離れた。
「お兄様大胆!」
追いかける万里に追いつかれる前に、千里は先に言っておこうと思った事を伝える。
「お前が前で、俺が後ろ。あんなことはもう御免だからな?」
「……うん」
理恵は手首をつかんでいる千里の手に、目を落すのであった――
軒先に出たエルムが、まだ降っている雨に溜め息を漏らすと、同じく軒先に出てきた智美も雨を見るより先に溜め息を吐いていた。
「もーずぶぬれになるの覚悟で帰るか……」
「奇遇ですね。私もそれしかないかと思っていたところです」
「そんな人にはこれねェ♪」
後ろから黒百合が大量に手に入れてしまった河童なカッパを2人に渡すと、自分はそれを着もせずに土砂降りの雨の中へと両腕を広げて普通に歩き出すのであった。
自分には似合わなそうな少しファンシーなカッパを手に入れてしまった2人だが、お互いに顔を見合わせると、苦笑を漏らす。
「着て、帰りますか」
「だなぁ。1人だけじゃ着るのは厳しかったけどな」
エルムと智美は河童のカッパを着ると、2人して大雨の中を歩きだす。
2人は特に喋るわけでもなく、うるさいはずなのに静かな大雨の中、カッパが弾く雨音に耳を傾けながらいつしか立ち止まり、気が付けば2人そろって天を見上げていた。
「……いつかきっと、止みますよね」
雨の事か、それとも――だがどちらにせよ、智美はこう答えた。
「ああ。必ずな」
【大雨】幻ゲーセン・カラオケ 終