澄んだ川の前に、川内 日菜子(
jb7813)は佇んでいた。その掌の上には、ほんの一握りの白い雪が手を濡らしている。
雫がぽたりと手から落ちようとも、日菜子はピクリとも動かない――いや、動けないでいた。
思い浮かべるは、救えなかった者。手を差し伸べられなかった者。守りきれなかった者達の顔。その多くは名前も知らないし、顔すら忘れてしまった者もいる。
「……そんな私に、この手の中の珂雪を流す資格があるのだろうか?」
穢れなき雪を握りしめると、流れ出た水が涙のように川へと落ちる。
(今更どんな顔で弔えばいいのだ?)
「誰か、教えてくれ……」
(……依頼に失敗したり、敵を退治しても救えなかった人とかいたり……身内に逢いたい人とか冥福祈りたい人はいないけど)
目を手の上に落した礼野 智美(
ja3600)だが、手には一握りより少ない、僅かな珂雪しかなかった。
「灯篭流しより、よっぽどましかな」
「……そうかもしれないわね。海に近い所の灯篭流しは潮の加減により戻って来る事もある……冥福なんて出来ないって、故人が言っているようで、知った時は怖かったっけ。
それにその後ゴミになるって判っている物を川に流すのも抵抗がありすぎるけど、これなら」
(顔なんて、旦那様に保護された時に持っていたっていう写真でしか知らないし、思い出もないけれど……これを両親に)
美森 あやか(
jb1451)が両手に乗せた珂雪を川に沈め、雪は川に流されていく。それに倣って智美ももうほとんど残っていない雪を川へ投げ込むのだが、川の水に浸かった瞬間、散らばってほとんどが消えてしまう。
目を開き立ち上がったあやかは流れゆく雪を目で追い、ふと上流に目を向け、そして下流へと向けた。
「上流で流せば早く生まれ変わってくるようにと、下流なら故人の罪を軽くしてもらうようにって意味合いがあるって言い伝えがあるようだけど、そこまではいいかな」
それを聞き、大きく目を開いて立ちすくむ智美。上流へと目を向けた。
「……あやかゴメン、しばらくここで待ってて!」
言うが早いか、返事も待たずに全速力で来た道を引き返し戻ってきた智美の両腕には、持てるだけの雪で溢れていた。そしてそのまま上流へと走って行く。
呆気にとられるあやかだが、鼻でゆっくり息を吐き、微笑んではタオルの用意をするのだった。
(自己満足だし、死んだ人が甦る訳じゃない事くらいわかっている。けれど……言い伝えって、結構馬鹿にできない事もあるんだから)
智美が星杜 焔(
ja5378)と星杜 藤花(
ja0292)の後ろを通り過ぎていった。ついでに悲痛な男性の叫び声もしたが、すでに焔と藤花の耳には入っていない。
「ごめんね、付き合ってもらっちゃって〜」
「大丈夫ですよ、気にしないで下さい……焔さんはかつて、こちらにいたんですよね」
短く「はい」と答える焔はいつもの笑みを浮かべたままだが、この北海道で大切な人――妹のような存在を喪い、アウルに目覚めた事を知っている藤花は、そのあどけない顔をほんのわずかに曇らせる。
屈んで膝をついた焔が純白の珂雪をそっと流し、藤花は両手で一握りの珂雪を包み込んで、2人とも目を閉じた。
焔が思い出すは、遠足から帰ったあの日――家の中にいたのは両親ではなく、2体のディアボロ。それが両親だったのだと理解したのは討伐された後の話だった。
(家に残っていた母さんのカレーライス、とても美味しかったよ。父さんの料理の味忘れられなくて練習したよ……少しは近づけたかな)
それから馴染めずに施設を転々とする日々。この北海道で初めて、皆と仲良くなれる事ができた。
(妹のような君のお陰だったね。丁度君の好きなライラックの季節――戦いに巻き込まれた君を見て、俺の髪と目はその花の様になったね)
「最期に腕の中でくれたもの……忘れないよ」
僅かに唇が動き、小さく漏らしていた。
大切な家族と大切な仲間を思い描いていた藤花はその呟きに胸を押さえつけ、焔の想い描いている人々へと向け、胸の中で小さく、小さく、呟く。
(焔さんは今、こうしていますよ――)
上流に来ていた鳳・白虎(
jc1058)は走って登っていく智美や、他に登っていく者達を見て嘆息を吐く。
300年ほど生きてきて色々とあった。
十数年前に女性の怪我が癒えるまでのたった数週間しか共に過ごし、愛し合あった、人生で最も愛した女性との想いが胸によぎる。
置手紙を残していなくなっていた、あの日の空虚感も。
(きっとどこかで、ずっと幸せに暮らしている――そう思っていたのだがな)
数年前に亡くなっていたのを知ったのは、つい最近の事。そして忘れ形見に、自分との子供を残していったのもつい最近、偶然知った。
他界した兄が残し、保護した姪が、そうだった。
(こんな偶然ものだなと思ったものだ。きっと彼女が、娘と俺が出会える様に導いてくれたんだろうな)
正面に手を突き出し、手の中で小さくなった珂雪をポトリと川へ落とす。
プカリと浮かぶそれをいつまでも目で追い、そして微笑みかけた。
「あの娘に逢えたのは嬉しいよ、君との愛の結晶だからな。でも、やっぱり俺は君にもう1度、逢いたかった……君が生まれ変わってくれたら俺はきっと、見つけてみせるよ……」
一息ついた地堂 光(
jb4992)の横を智美が駆け抜けていった。
細く流れの速い川の縁で片膝をつくと、右手の珂雪を川へと滑らせる。思い出すのは幼き日、炎に巻かれ命を落としていった孤児院の仲間達と、自分への後悔。
「あの時は、力が及ばなくて何も出来なかった。すまねぇ、皆……俺が原因とも言える状況だからな……」
すぐ立ち上がると、雪を追いかける様に歩き出す。
「早く生まれ変わってこいよ、またバカ騒ぎしようぜ、な?」
上流で2つの川が1本の本流になっているあたりで、智美はようやく腕の中の雪を撒き散らした。腕は軽くなったのに、融けた水分を含んだ服が重く感じる。
「すまなかった。もう、君らのような犠牲者は出したりはしない」
決意を伝え、すぐに親友の元へと戻るのであった。
(こんな所にまで来るとはな)
林から姿を現した君田 夢野(
ja0561)の手には、ひと握り分の珂雪しかない――が、それで十分だった。誰かの為のものではなく、これまで関わってきた全ての命に向けて、握りしめた雪を放り投げた。
(全然足りないのはわかっている。だが、自らの為に多くの命が消え、時には自らが奪い、時には自らを護り消えた彼らの死を、味方であれ敵であれ、俺はその度に背負うと誓ってきた)
「だからその程度で勘弁してくれ」
もはや見えなくなった雪へ語りかける夢野の顔には、どこどなく疲労が漂っていた。追い立てられ、生き急がされているような感覚が夢野の心を摩耗させている――そんな錯覚を胸に抱いていた。
「もしかしたら、俺は戦いに疲れたのかもしれない。殺して殺される日々が3年、今なお戦いが続いている」
――それでも。
(俺は、戦う事をやめない。今逃げれば、全てが嘘になる。1度始めた戦いだ、ならば最後まで貫き通すのが道理だろう)
還るべき人の元で安息を得るのは、全てを終わらせてからだと、心に誓って。
(雪を手に取り、生きている人間を想い、手の中で融かした後に氷の粒が残っていたら願いが叶う……か)
「……ふふっ、まるで子供染みた花占いのようね」
ケイ・リヒャルト(
ja0004)が薄く儚い笑みを浮かべたが、身を屈めて珂雪を掌に乗せていた。
「でも。想うだけなら……」
珈琲を淹れるのがとても旨く、少しだけ心の弱い彼を想い、一心に祈る。
「あの人が……もう過去に囚われませんように。そうして、出来るなら……真っ直ぐあたしを見詰めて……」
「ケイさん」
声をかけられ我に返ったケイが振り返ると、水滴が零れる手の理子達とアルジェ(
jb3603)がそこにいた。
ケイは雪なんて最初からなかったかのような手を唇に当て、微笑む。
「……理子は何を願うの? やっぱり彼のコト、かしら?」
「そう、ですね……でも、だめでした」
ケイは先ほど、夢野の姿を見た気がしたのだが――それは言わない事にした。
「アルジェや澄音はどうだったのかしら?」
「……私か? ふふ、相手はバレバレだろうが、内容は秘密だ」
人差し指を立て、ウィンクで返すアルジェだが、澄音は聞こえていないのかまだ一心不乱に願い続けている。
「ふむ、すーみーは随分熱心に願っているようだな」
「お兄さんに会いたいんだってさ」
「海も気になる人がいるのか?」
「うーん、どうかなぁ……」
「何してんだ?」
海の後ろからぬっと顔を出してきた江戸川 騎士(
jb5439)に驚きつつも、海は「何でもないよ」と慌てふためく。
「むしろ、何をしてるの?」
「俺様か? ちょいと人と待ち合わせだ」
嘘ではない。ちゃんと涼子の監視役として仕事をしていて、休憩交代する相手待ちなのだから。そして海達が何をしているのかを聞き、その手に視線を落した。
「で、ちゃんとなったのか?」
「それがねー、なかなか出てこないみたいだね。私はしてないんだけど」
「そうか。俺様も会いたい相手……いや、いなくもないな。
英純って言うトサカ頭で傲慢そうなチビスケと、優って言うおかっぱで雰囲気のコエー女を見かけたら、直ぐに通報しろ。こっちに出るかわかんねーけど、ヴァニタスっつー危険な奴だからな」
つい最近やりあって、今でも身体を動かすのに支障が出るほどの傷を負っているのは言わない。そんなことよりも「学校はどうだ?」と他愛無い会話を続けるのだった。
このイベントに関して騎士は、呪いに頼るつもりもないし、故人の為に雪を流しに行くつもりも一切ない。
(殺した奴らに懺悔する気も転生を願う事も無い。今も昔と変わらず殺し続けるのが、俺の役割だ)
「お、あそこにいるのは修平と涼子か――どれ、加勢してくるとしよう」
「おお行ってこい行ってこい。お前らも行ってこいよ」
アルジェが駆け出す方向へ理子と海の背中を押すと、2人は頷き合い澄音の手を引っ張って修平達の所へと向かった。残ったケイに振り向きもせず、騎士が声をかける。
「……で、おめーは誰かの為に願ったのか?」
「いいえ――いつか自分の手で、彼を融かせるわ。騎士も、少しは素直になった方がいいんじゃないかしら?」
とぼける様に肩をすくめ、去っていく騎士。ケイも踵を返して、戻る事にした――珈琲を淹れてもらうために。
少しだけうろうろとしていたエルム(
ja6475)の目に涼子が留まった。
(あれが学園についたシュトラッサーか。まぁ、元々は人間だったのだから、出戻りってトコロなのかな)
心配は杞憂なのかもしれないと、視線を外して雪へと向ける。
「雪か……なんだか故郷を思い出すなぁ。もうほとんど覚えてはいないケド……」
(雪にまつわるイベント……か)
ひょいと手にとって、何となくだが丸めてみる。この間、頭をよぎるのはついこの前に散っていった多くの勇者達――今、エルムが想う相手は、そんな彼らDOG隊員達だった。
彼らに安らかな眠りを、とも思ったのだが、そんなモノは生き残った自分の自己満足に過ぎないと、祈る事を止めて手の雪玉を真上に投げた。
鞘から抜き放った雪結晶のような煌めきを散らしながらも、雪華の刀身で雪玉を突き、砕く。
(私は、もっと強くなる!)
強い決意を天に向けたエルムの耳に、女性の短い悲鳴が聞こえた。声のした方へと目を向けると、雪の上にお尻の跡をつけてしまった北條 茉祐子(
jb9584)が泣きそうな顔をしている。
「すまない、驚かせてしまって」
手を差し伸べたエルムの手を取り立ち上がると、茉祐子は「いえ……」と申し訳なさそうな顔をした。
「……それにしても不思議な行事ですね」
「そう、ですね」
砕けた雪片を拾い上げた茉祐子が、じっと手の上の雪片を見つめていた。
(もう2度と会えない人への想いと、生きていて会う事が出来るかもしれない人への想い、2つの想いへ、か……)
胸の前で、祈るように目を閉じて握りしめる。
誰か思い浮かぶかと言われれば、わからないとしか答えられない。ただ、こうしてみると色んな人の顔が思い浮かぶ――ような気がする。
でもその誰もがこれから先、辛い思いをするかもしれない。そう思うと目頭が熱くなり、薄っすらと光るものが滲み出てきてしまう。
どんな運命が待ち受けているのか、わからない。だからこう、願うしかない。
「どうか……どうか皆が、幸せにありますように……」
手の中に違和感を感じて開いてみると、そこには小指の爪ほどだがガラスの様に透き通った氷の飛礫が陽光を反射し、茉祐子の顔を照らしていた。
人の群れから下流寄りに少し離れた、ひっそり閑散としている所に寿 誉(
jb2184)は静かに姿を見せる。
遠巻きに、多少なりとも活気のある人々へと目を向けた、見つからないうちに早くしてしまおうと、汚れた雪を手でかき分け、珂雪を握りしめた。
(……私、程度の……者の、想い……や……願い、が……叶うとは、思って……おりません。ですが……どうか……どうか、と……願うだけなら……それすら、許されずとも……)
それすらも自信なげに、誉は想いを馳せる。
縁を結んだ人達と、半身と言うには烏滸がましく手を伸ばす事すらも許されはしないとは思いつつも、脆弱な自分と違い、能力が高くて家督を継ぐ事が決まっている双子の姉へと。
(……何度も……とは……致しま、せん……たった……1度……一時……願う、事、だけ……許して……いただけ……れば……と……)
そして誰にも聞こえないような小声で、そっと呟いた。
「……愛……しき……方、々に……どうか……どうか……健、やかに……と……幸、あれ……と……」
その願いが届くかどうか――珂雪の中で光を待ちわびている飛礫だけが知っている。
誉がいなくなった後、そこで珂雪を手に雪の上で両膝を突き、誓いでもするかのように目を瞑りぎゅっと両手を組み、天を仰いでいる真っ赤なケープの少女――若松 匁(
jb7995)はじっとしていた。
大切で、愛おしい人達の事を想いながら。
(無茶してないかな? 身体壊してないかな? また笑ってくれるかな? ずっと一緒に居れるかな?)
――傍に居たい――そう、切に願い続けて。
次から次に出てくるのは、心配事ばかり。だからこそよけいに、傍に居たいと思う人達。
(主様やお兄ちゃんの幸せと……あたしがあたし足り得る理由として、いつまでもアナタのお傍に……)
「あたしの全てを賭けて……」
ゆっくり開いた手には透き通るような氷の飛礫の中に、黒い土が混じっていた。まるで自分を表すかのようなそれを抱きしめるように握りしめ、立ち上がった。
「さ、主さまの所に行こーっと」
鼻歌を歌いながら汚れた雪を丸め、それを綺麗な雪の上で転がして大きくしていく黒百合(
ja0422)。できあがった雪だるまへ、近くに咲いているナノハナを頭部へと植え付けた。
「5月に雪だるま、ってのも季節外れでいいものねェ……冬より陽気でいい感じじゃないィ♪」
中身が黒く、頭部に育毛までされた雪だるまが、花を揺らして静かな抗議をしているようにも見える。
その花が、涼子に当たらなかった雪玉によって散った。
「避ける避ける、相変わらず容赦のない動きだな」
雪だるまの横で影野 恭弥(
ja0018)がぼやくと、黒百合は雪だるまの頭を手に突撃していくのであった。
「ふあーははは! 今日こそ往生せえや真宮寺りょうkへぶっ」
高笑いを上げて雪玉を作っている最中に、亀山 淳紅(
ja2261)はそれまで反撃の無かった涼子の雪玉を顔面に受け、後ろに倒れ込む――そこに黒百合が、雪だるま(頭部)を顔面めがけ振り下ろす。
(いやぁえげつないね。冬に雪合戦できなかったし、今、無慈悲なまでに雪合戦するのもいいかもね)
日差しを避けて木陰にいるパウリーネ(
jb8709)は目を細め、ゲリラ的デストロイだと誓いを立て目を閉じる。
(開けた時、視界に入った人をまず即死刑。そこから順番に……)
「主さまー!」
匁の声に目を開けてしまったパウリーネだが、白い雪が反射する眩い光に目がくらみ、木陰から出た瞬間に突き刺さるような直射日光によろめいてしまった。
「どうかしました?」
「いや……もう帰ろうか。お土産買って」
デストロイする前に自分が日光に殺されてしまいそうで、パウリーネは匁と一緒にこの場を離れるのだった。
「主さま、お土産どーしよ? 名産が良いよね……ちーずおむれっと、とかいうのがあるらしいですが」
「彼の希望はチーズケーキとかキャラメルとか、だっけ? その辺を厳選しよう……試食しまくってな! そのチーズオムレットってのも見てみよう」
そう言って色々と歩き回るのだが、その際、パウリーネが何気なく本音をポロリと漏らす。
「……彼との事を願おうかと思ったけど……何を願えばいいのかなって……想いが纏まらなくてねー……あ、これ内緒ね?」
「主さま……そんなカワイイ主さまには、これをあげます!」
いつの間に買ったのか、匁が白と黄色の、ミズバショウをモチーフにした髪留めをパウリーネに見せると、顔をくしゃりとさせたパウリーネは匁を抱きすくめるのであった。
「りょ〜うこさぁ〜ん〜!」
かわし続ける涼子に駆け寄る森浦 萌々佳(
ja0835)の手には、スコップが。
「……何故、スコップを持っている?」
「いやだなぁ〜雪かき用ですよ〜」
にこにことする萌々佳は、流れ玉をスコップで叩き落した。
萌々佳は安全な所まで離れると雪を掘り起こして珂雪を手に取った。暖かな日差しと温かな笑みが、手の中の雪を融かす――大切な人達の、幸せな未来を。そしていつか訪れる『幸せな物語のヒロイン』となる自分の幸せを願って。
(何個も願ったらわがままですかね〜? でも、ヒロインなら少しくらいわがままでもいいかもしれまんね〜)
ぺろりと舌を出す萌々佳だった。
(当たらないな……)
修平は本気で投げているのだが、全然当たらない――と、思っていると首に冷たい物がぶつけられ、振り返るとアルジェが雪玉を手に立っていた。
涼子に向かって駆け出すアルジェに「行くぞ修平、援護を頼む」と言われ、懐かしさを感じていた。
「お、黒松にアニスとエニスもいやがったか。俺も混ぜろ! 雪だるまにしてやるぜ!」
川から戻った光が悪ガキだった方の童心に帰って、手当たり次第に雪を固めては投げるを繰り返すと、アニスエニスが反撃してくる。
(へっ、ちっとは元気になったみてぇだな)
ゆっくり飛んでくる雪玉を払いつつも、光は嬉しくなっていた。
そんなアニスとエニスに「お久しぶりですね」と近づくゲルダ グリューニング(
jb7318)の目がギランと突き刺さるような眼光を理恵に向けた。
「黒松さんはお子ちゃま恋愛から少しはレベルアップしましたか?」
「牛歩よ、牛歩!」
それから攻撃の手がだいぶ緩んでいる涼子ヘ向け、ゲルダが大きな声で呼びかけた。
「真宮寺さんは初めまして。『生まれや育ちに貴賤は無いわ。あるのは女かそうでないかだけよ』と母も言ってましたから、これからは仲間なのだから仲良くしましょう――ただし『偶には童心に帰るのも良い物よ』とも言ってましたからね。この場は私なりの『本気』で行かせてもらいます」
「ああ、存分に来い」
誰がどう見ても、涼子も楽しんでいる様子であった。
(……完全に馴染んでるな。いい傾向、と言っていいんだろうな、この変化は。主が見たら驚きそうだが)
戯れる涼子を監視という名目で眺めていた黒羽 拓海(
jb7256)だが、思った以上に何事もなく過ぎ去りそうで目を細め肩をすくめた。こうなってくると暇だなと、雪を手ですくう。
(ここ最近、故人縁の相手と立て続けに会った所為か少々思い出すが……)
「あまり頻繁に思い返しては、奴に笑われてしまうな」
苦笑を浮かべ、その手にある雪を握り、固めた。かつて暗闇からの抜刀すらもかわされた事を思い出し、死角からでも反応できるかどうか、少々知りたくなってしまった。
狙いをつけて投げつける――と、雪玉が当たる直前に涼子が振り返ったが、雪玉は涼子の胸に当たり、砕ける。
(反応はできるが、身体が動いていない。もしや……)
涼子は再び振り返り、またも雪玉を胸に受けていた。
「ああすまん。当ててしまった」
恭弥が氷玉のように硬く固めた雪玉を弄びながら謝罪する。無論、挑発だ。
それに乗ったのか、淳紅以外にはしていない反撃を恭弥にも向けるのだが、そのこと如くを正確無比な雪玉で撃ち落す。そして涼子だけでなく、無差別に狙える者全てを狙って投げていた。
「動きが遅い。止まって見えるぞ――これでも本気出してないんだがなあ」
涼子が後ろを見せずにスカートとパンプスでどうしてあれほど早く動けるのかという速度で川へと退いていくと、恭弥が全力で追いかけていった。
残された者達はもはや涼子だけを狙うで無く、誰彼構わずの乱戦を繰り広げているのであった――
人のいない川べりでぽつんと立っている、雪上迷彩服姿の雨宮アカリ(
ja4010)。物憂げな瞳は流れる川の珂雪に落とされていた。
「お義父様……罪は私が背負っtぐっへぇ!」
後頭部に痛烈な衝撃が走り、わずかに伸びあがった身体が誰かに押され、そのまま水飛沫をまき散らし雪よりも冷たい川の中へ。
「待て! 一時休戦だ!」
涼子が手を広げ、離れたところにいる恭弥に申し出る。恭弥が一旦雪玉を投げるのを止めるのと同時に、川が盛り上がり、身を震わせ歯の根も合わないアカリが立ち上がった。
「誰かと思えば涼子さんね……アカリよ。お話しするのは始めてかしら」
ザブリ、ザブリと一歩ずつ岸に近づき、涼子が差しのべた手を取り、礼を言いながらも川から這い上がる。
「……大丈夫、か?」
「ななな、なんの、これしき……貴女の、監視を、抜けた私が、悪いの、よ」
唇が真っ青で歯をガチガチと鳴らしている状態で気丈に振る舞われては、涼子もそれに触れては悪いなと思うしかない。
「抜けて、何をしていたのだ」
「いやちょっと、話を聞いて愛した騎士の為に祈ろうかと――涼子さん、貴女の主は貴女にとってどんな存在かしらぁ?」
その質問で、改めて考えた涼子の答えは。
「……養父のようなものかもしれないな」
(ああ、やはり……何か共感するものがあるわねぇ)
その答えと胸を見て、納得するアカリは「それじゃ、仕事に戻るわぁ」と踵を返し、震えていたのがウソのように毅然とした足取りで川下へ歩いていった。
しかし涼子が察知して振り向かずにかわした雪玉が、再びアカリの後頭部を揺らし、川の中に落ちては雪と共に流れていく。
「涼子おおおおおおおおおおお!!! この雪玉を当てられたらデートしてくれえええええええ!!!」
獣のように咆え、血の涙でも流さんばかりに赤坂白秋(
ja7030)が必死の形相で雪玉を投げ続けながら、上流から駆け下りてきた。
本当は声もかけずにひっそり帰ろうと思っていた――が、振り向けばカップル。右を見ても左を見てもカップル。悔しさに負けて上流へ逃げ出したけれども、そこでもやはり焔と藤花を見てしまい、この世の無常さにとうとう壊れた。
涼子が下流へと逃げるのを見越した恭弥がその逃げ道に雪玉を投げつけ足を止めさせると、親指で雪合戦の無法地帯と化している方へと行けと指し示す。
(ああいう乱戦こそ、お前本来の力が出せるんだろう?)
頷く涼子が一目散に無法地帯へと駆け出すと、白秋が「愛を受け取れ、涼子おおおお!」と追いかけていった。
「これで本気が見れるか――まあ本気でも俺が勝つだろうけどな」
もう雪合戦はいいかと、流れていったアカリを一応回収しに行く恭弥であった。
雪玉の弾幕で逃げる先を誘導して、この乱戦の中でも波状攻撃になるように仕向ける白秋だが、他の参加者の間を緩急つけて動き回る涼子にはこれでも当たらないのかと、舌を巻いていた。
「く、あん時も思ったがやっぱ手ごわいぜ……だがそこが良い!」
断続的に投げて誘導を続け、数こそ少なかったがこんな時期でも雪で枝をしならせている樹の下にまで誘い込むと、一気に前へ出て勝負をかける。
足下から近づいてきているヒリュウに涼子が意識を向けた瞬間、全ての想いを込めた渾身の雪玉を枝に積もった雪めがけて投げつけた。
――しかし。
渾身の雪玉が音を立て、砕け散っただけに終わる。
「だめk――!!!」
白秋の後頭部にぶち当たって、派手に砕け散るボーリングサイズの雪玉。
「ごめんなさい〜」
萌々佳の声が聞こえた白秋だが、すでに意識が薄れていた。
そこに思わず駆け寄ろうとする涼子だが、腰に飛び付いてじゃれてきたヒリュウがスカートをずり下げ膝に絡みつき、太ももを露わにしたままペタンと座り込んでしまった。遠くでゲルダがガッツポーズ。
そこにちょうど、白秋の頭が――だが白秋にほとんど意識はなく、柔らか硬い何かが顔に当たっているなという事しかわからなかった。
動けなくなったところに焔が涼子の前に立ちはだかり、藤花が上着を涼子に渡して、涼子はそれを腰に巻くようにして隠した。
「大丈夫ですか〜」
「すまんな」
雰囲気により、合戦は急速に収束しつつあった。藤花が焔が作った筍ご飯のお結びと魔法瓶かに入ったあさりの味噌汁を涼子に渡す。
「楽しんでいましたね……涼子さんは『自分は死んだ存在』と言いいますが、死んだ方とこうやって話をしたり触れあったりはできません。心があれば、その人はきっと生きているのと同じこ事……拍動の有無はこの場合、きっと関係ないのです。
これまで様々な死を見てきました。だからこうして『生きていて』温かい物でも食べて、身も心も温まりましょう」
淳紅が「せやで!」と涼子の隣に腰をかける。
だが表情が一変し「思い出すのが嫌でなければ」と、言葉を続けた。
「トビトのなりや性格、ほんの僅かな事、何でもいいから聴かせてくれませんかね。それと、この悪魔についても何か知らないでしょうか。東北広しと言えど、もしかしたらもありますから……」
つい最近、手に入れた悪魔・与一との写真を見せると、涼子は柔らかくなっていた目を鋭く細めた。
「弓使い与一か……シア様と真逆の能力、拡散を持っているというのだけは調べがついているが、それだけしかわからんな。トビーについては……知ってどうする?」
「例え自分が到底理解できない物だったとしても、それが許されない物であっても……いつか、いっぱい考えて彼を止めるために知りたいんです」
「そうか……まあなんだ、それを話すのにそれ相応の場所が用意されるだろうから、その時まで待て」
「真面目な話はよしましょう〜。今の涼子さんの願いってなんですか〜?」
萌々佳に雪の塊を渡された涼子が思わず視線を下げ、太ももの上で幸せそうな顔で気絶している白秋の鼻をつまむ。
「願い、か……普通に誘え、この、馬鹿者」
雪の塊で白秋の頭を叩くと、中からは氷の飛礫が飛びだすのであった――
「いや全く……こういう時くらい、無茶しないでもらいたいものだ」
雪を握りしめ、木陰でずっとやり過ごしていた只野黒子(
ja0049)が白秋に視線を注いでいた。
(なんだかんだ言って無茶する人間多いしなぁ……あそこの黒百合とか、君田とか、赤坂とか、影野とか……なんかそういうのばっかだな)
思わずため息が出る。
「少しはリスクヘッジとか負荷分散とか、そういうのは気を使うべきです。信頼というのは負荷を分散させることにもつながるんですよ。ええ」
(まあ、聞いてくれそうにないから思うだけですが)
先ほどの白秋の動きに、ああすればよかったのだと思考を巡らせているうちに、手の中の雪はすっかり融けてしまっていた。
「おや、欠片がでたか。何かに入れて保管しようかね――と、そういう物を持ってきていなかったか」
ならば今この瞬間を記憶しておきましょうかと、黒子は肩をすくめ、欠片に太陽の光を一杯浴びせ様々に輝くのを楽しみながら歩きだしていった。
「あらァ、お久しぶりィ〜、また吸いに来たわよォ♪」
百合子を見つけた黒百合が後ろから忍び寄り、カプリと首筋にはを突き立てた――だが、痺れる身体で百合子はほぼ反射で黒百合のお尻を撫でまわして一矢報いた(だがこの後、病院に直行である)。
帰ろうとしていた涼子が拓海の横を通り過ぎると、拓海が呼びとめた。
「真宮寺……先生、と呼ぶべきか。最近、1人焼肉やらなんやらと、楽しんでいるそうだが……弱くなったか?」
「そう、だな。それはそれで構わんさ。それと『先生』はつけなくていい」
(願い、願いか……やはり修平の抱えるものを一緒に解決できれば……だろうな。問題は神に任せるものじゃない、しかし共に立ち向かう事はできる。だから……アルの覚悟を、試してみようか)
アルジェはさっき、秘密と言ったが実の所、何も願っていないが正解だった。だが、今回は違う。
雪を握りしめ――
――日菜子の手の中にはもう雪はなく、氷の欠片があるのみだった。
だが「私の覚悟を受け取れ」と欠片を川に投げ込むアルジェの姿が見えて、欠片を握りしめた日菜子は自らの額に拳を打ち付けた。
「……もし赦されるのなら、まだ灯り続けている希望をこの白雪に託してもいいだろうか。生きて、生き抜いて、生き続けろと、いま在るモノだけは失いたくない」
振りかぶる日菜子が欠片を川に放り投げて、走り出すのであった。
ひとひらの珂雪 終