やや古ぼけた時計店で目を閉じ、カルロ・ベルリーニ(
jc1017)は酔いしれていた。
「素晴らしい――狂う事無く正確に刻み続ける確かな技術、そして磨き抜かれたセンスによる、この宝石にも負けぬ美しさ。
短い一生しか持たぬ人間だからこそ、作り上げる事の出来た芸術品。時間という最高傑作が根底にあるが故か……ご主人、後日、また寄らせてもらおう。今日は人を待たせているのでね」
人は待つものであって待たせるものではないと、カルロは時計店を後にした。
「待たせたね、すまない――おや、何やら不穏な空気があちらから漂っているようだが、何かあったのかね」
「すみません! ちょっといいですか!!」
「……スズカちゃん? どうしたの?」
「あ、むっちゃん!」
陰に隠れていて気づかなかった新田 六実(
jb6311)を発見したスズカは少し安堵し、そこへカルロがペットボトルの紅茶を渡した。
「まあ落ち着きたまえよ、少年。これでも飲みたまえ」
言われるがままスズカは紅茶を一口含み状況を伝えると、川内 日菜子(
jb7813)がスマホを取り出し学園へ「有事には備えておいてくれ」と連絡する。
その間に天使と悪魔へ足早に向かっていった亀山 淳紅(
ja2261)が、黒漆塗りの銀箔で玄武の意匠が施された龍笛を吹きながらも、閉じた朱塗りの和傘で2人の間に割り込んだ。
「和小物のお店の前で喧嘩してるんでこういうの好きかと思ったんですけど、当たってます?」
その答えは2人の熱を帯びた眼差しが雄弁に語っていた。
「細かい事情は全っ然わからんけど、ここは『人間の領域』です。喧嘩するなら仲良ういきましょう」
にこりとする淳紅の横を抜け、不破 怠惰(
jb2507)が2人を手で直接引き離す。
「まーまー2人共落ち着きなよー。こんなところで戦われちゃ、面倒くさいよ。亀山君の言う通り、仲良く喧嘩しないと」
「うむ、落ち着き給えよ。このような所で戦争などするものではない。
戦争は、戦場で行うからこそ戦争なのだ。まさか、そのような事もわからないのかね」
「そうですよ。天使だから、悪魔だから……そんなつまらない理由で争うなんて馬鹿げてます。争いとは、もっと明確な理由をもって、自分自身の確固たるで起こすものです。
逆に言えば、理由もないのに争うなんて時間と体力の無駄遣い、分別のある人間が最も避けるべき究極の無駄と言えましょう」
エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)も仲裁するような言葉を投げかける――だが。
「規律もなく自由気ままで下賤な悪魔こそが、世界の調和を乱す我らが敵。滅ぼすには十分な理由だ」
「高貴であるつもりの天使様が狭っ苦しい生き方を押しつけようとしてくるのに、抗ってるだけですさ。自分は」
2人の言い分にカルロが「高貴?」「下賤?」と、呆れているのがわかるように大きく肩をすくめた。
「天も魔も今の私からすればどちらも変わらない。欲だ規律だといいながら、とどのつまりは自分の目先の事しか頭にない連中だ。
今の君達の様にだ――さあどうする? 今ここで戦争を始めるかね? 君達が戦場で出会い、そして戦場で助けた、彼と、戦争をするのかね?
君らが我々と戦争をする意思がなくとも、君らが戦争するのであれば、我々はそれを放置するわけにはいかないのだよ。無論、彼とて例外ではないだろう」
スズカの肩に手を置いて2人の前に突き出し演説を続けると、最初は所々で反論をしていた2人もやがて、何も言い返してこなくなるのだった。
カルロが見事に2人のやる気を削いだと感じ取ったのか、淳紅が割り込んできた。
「何も争うなって訳じゃなく、さっきも言うたように仲良く喧嘩したらええんや。あそこにちょうど適した場所もありますし」
「……真宮寺が通ったと言っていたところか。ここはお前らの案に乗るとしようか」
淳紅の示した先を目で追ったアルテミシアが誰よりも先にゲームセンター『極楽』へと向かい、振り返って「早く来い」と案外乗り気であった。
もう大丈夫かとカルロがスズカの肩から手を離すと、今だと言わんばかりに「行こ、スズカちゃん」とスズカの背中を六実が押していく。
その際に、着物の男へ声をかけようとして開いた口が一回閉じ、再び開く。
「そう言えばお名前を知りませんね」
「ああ、そうでしたね……与一。名字はもう捨てましたんで、ただの与一ですよ」
(与一……与一、か。納得の名前だ。人類への敵対心は薄く、好戦的ではないのかもしれない。柔らかな足取りからすると、逃げ射ちが得意そうだな。
向こうも敵対心は薄そうだが、与一よりは好戦的なのかもしれないか。足取りからは力強さしか感じないし、真っ向勝負を好みそうだ)
連絡を終えた日菜子が合流し、報告書では弓の使い手と聞き及んでいただけにしっくりくる名前に頷きながらも、言動や足取りで読み取れる事を報告用のメモに書き留めるのであった――
怠惰がキャッチャーのガラスにへばりついている横で六実とスズカが、壁際で腕を組んでいるアルテミシアと与一をはらはらとした目で見守っていた。
カルロは音と光がきついからと外で待っているので、この場にはいない。エイルズレトラは入るなり、真っ直ぐに自分のやりたいものをやりに行ってしまった。淳紅はほんの少しだけアルテミシアが音楽系のゲームをプレイした事で負けられないと思ったのか「見とき!」と、今まさに2人の前でプレイしている最中である。
いざという時に止める役がいないのではと思っていた矢先、日菜子が2人の真ん中を陣取った。
「先に言っておこう。私は如何なる状況でもヒヒイロカネは手放さないので、あなた方も常に武器を手元に忍ばせてくれ。別に脅しや敵対心があるからではなく、抑止力として、という意味だ」
「賢明な心がけだ。言われずとも、いつでも抜けるようにはしている」
アルテミシアの右手の指先は、常に剣の柄を触れていた。与一も袖を振り、そこに何かが仕込んであるようなアピールをしていて、どちらも弓以外の武器もあるのだなと頭の片隅に留めておく。
3人の視線が淳紅の後姿に注がれると、緊張したのか淳紅は最後の1つだけをミスってしまった。
「フルコン逃したどん!!」
本気で悔しがる淳紅のおかげで空気が少し緩み、六実が2人へ話しかける。
「アルテミシアさんの腕前はある程度は知っていますけど、与一さんもかなりのモノだと聞いてます。近くに弓の的当てが出来る場所があるそうなので、勝負ならそこで人に迷惑を掛けずにやりましょうよ」
アルテミシアの矢が射抜かんばかりの勢いで的の中心に突き刺さり、与一が弓を極端に上へと向け矢は天井すれすれの放物線を描いて、的に対して斜めからの角度で中心を射抜いていた。
「やあやあ、街中でばしばし射ちあうよりよほど健全だよね。仲良く喧嘩しな!」
2人の意地の張り合いをカラカラと笑う怠惰も、弓を手に取るり見よう見真似程度に矢を番わず、弦を引き絞ってみせた。
「ねぇねぇフィアライト君。構えってどんな感じだい? これでいい?」
「多分、おかしくはないと思う……おいらより、あの2人の方に教わった方がいいと思うよ。最近使い始めたむっちゃんと一緒に、教えてもらおうかって言ってたところだから」
「へぇ、そうなのかい。でも私のような素人にはあの2人だと、敷居が高すぎてね」
その2人の横、礼をしては静かに矢を射るカルロの優美な姿に3人は目が向いてしまった。貴族の嗜み程度だよと言っていただけあって、教養の深さを感じさせる。
「上手いものだね。これは慣れてきたら2手に分かれてチーム戦でもいいね。負けた方の大将は罰ゲームだよー」
そう言ったものの問題は2手に分かれようにも、武器から手を離さない日菜子がまず無理として、エイルズレトラは弓を使わずにカードを投げていた。
淳紅に至っては弦すら引けず、参加資格すら手に入れていない。非力な分類と言えども撃退士であるからには並の人間よりはあるはずなのだが、巧くコツが掴めないでいた。
ぽんと手を打つ怠惰。
「よし――罰は亀山君に決定だ」
「ちょ、まってぇぇぇぇ!!」
淳紅の虚しい叫び声をバックに、いい加減キリがない事を悟ったのかアルテミシアと与一が競い合うのを止めたタイミングで、カルロが2人へ飲み物を渡す。
「すまない、先ほどは失礼した……しかし、どんな手を使ってもあの場での戦闘は避けなければいけなかったのでね」
少し話してみると、落ち着いた2人は何と話しやすいのだろうと感じていた。とはいえ的当て勝負を挑みたいと思ってはいたのだが、自分の弓道とはまるで異質なものだと感じ取り、挑むのはやめる事にした。
(こちらの高さに合わせてもらって成立する勝負では意味がないのだよ)
淳紅から離れ、やり遂げたという顔をしたエイルズレトラが額の汗をぬぐい、3人の前へとやってきた。
「少し汗もかいた事ですし、湯船でさっぱりしませんかねぇ」
湯船に浸かりながら、日菜子がアルテミシアにスズカが世話になった礼を伝えた。
「だがこの感謝も、いつか借りを返せるその日までだ」
「いやはや。温泉はいいものだね――おっと、改めて自己紹介させてもらうよ。私ははぐれ悪魔の不破怠惰、元の階級派兵士だよ。
元とはいえ悪魔だからアルテミシア君は私を嫌っているかもしれないが、言っとくけど君の一撃で即、消し炭になるからね? 争ってもお互い得るものは無いよ」
剣呑とした気配を散らそうとした怠惰は「わかっている」という返事に安堵するのだが、湯船で立ち上がったアルテミシアが自身の手に滴る湯を指先に集め、矢のような形にしてそんな怠惰へ向けて放つ――日菜子が燃え盛る手で受け止めた。
「貴様……!」
(だが、今ここでやりあうわけにも……!)
相当な手練れである事はわかっている。単独で太刀打ちできるとは思っていないが、自分という屍を作る事で困らせる事ができるかと最悪な展開も視野に入れていたが、アルテミシアが小さく笑う。
「ただの警告だ。安易に相手の言葉を信用しすぎないことだ。自身が悪魔だというならば、天使相手にはなおさらな」
「と言っても、私は人も天使も好きだからね。人も天魔も、意思疎通ができる知的生命体なんだよ。
だったら仲良くした方が長期的に見て楽だと私は思うんだよね。君はそう思わないかね? 私は、君を理解したい」
他の客が寄りつこうともしないほどに高まる緊張感――そこに六実が俯きがちに言葉を絞り出した。
「……母は天使なんですが、私も、実は少しだけ悪魔の血が流れています。ですから、スズカちゃんの気持ちもわかるんです。仲良くなれとは言いませんから、せめて天使だからとか悪魔だからという理由で、敵対してほしくないって思うんです」
「そうだ、な……悪魔だからという言い方がよくなかったか。敵対する者であれば敵……これで納得してくれ」
「ヤローと風呂なんざ真っ平御免ですさ」
平然とそう言ってきた与一を淳紅が「汗臭いと女性に嫌われますよ!」と言って無理に引きずってきたわけだが、大人しく浸かっていた。
カルロが「これも人の生み出した芸術品か」と感動していた、見事なタイル絵のおかげかもしれない。
「そういえばなんだかんだと忘れていましたが、奇術士エイルズレトラと申しまして、以後お見知りおきを。ついでで恐縮ですが、我々に話して問題ない範囲で結構なので、貴方が何者で、こちらへは何をしに来たのか教えていただけませんかねぇ」
「ふーむ。騎士の与一くれぇしか言える部分がありませんぜ。手伝いに呼ばれてきただけなんで、何するかは自分もよぅ知らん」
「呼んだのはリザベル、やな」
「ちげーす……いや、大本はそうかもしれやせんけど、ま、そこはよくわからんすわ――おっと、丁寧な言葉で話せと言われちゃいるけど、やはり難しいさね」
「今もまだ、天使は敵ですか」
それを確認しておきたかったエイルズレトラ。これまでのやり取りでは、喧嘩するほど仲が良いというやつにしか見えなかったからだ。
「そうでねぇと、困りますさね。戦う相手がいなくなってしまいやすよ――それとも人間が自分らの敵になってくれますかねぃ?」
「天使、悪魔、人間……そんなものは、敵味方に分かれる上で、絶対の基準ではないのですよ。敵味方は立場や理由の諸々から導きだされるものであり、種族はそのカテゴリの一つに過ぎません。
種族の違いが絶対の断絶でないことは、既に久遠が原が証明しています」
そして与一からスズカへと視線を移す。
「いいですか、スズカ君。別に敵だからって、相手を好きになっても構わないんですよ。立場上の敵味方と、個人の好き嫌いは全く別なのです」
自分の感情すらわからず、どういう意味かを理解できていない幼い少年を、エイルズレトラは温かい目で見守るのであった。
温泉のあとはご飯でもと『幸』で遅めの昼食を済ませ、全て与一が払ってくれた――が、与一の手にあった財布に淳紅はもの凄く見覚えがあると思っていたら、案の定、財布が淳紅に返される。
「えげつな! ごっつえげつな!」
「悪魔ですからねい」
笑う与一がエイルズレトラの首に腕を回そうとするが、スルリと逃げられる。
「何か御用ですかね」
「いやぁ……さっき言っていた言葉は自分にも適用されますかねぃ」
「おや。自分に素直こそが悪魔の本分でしょう? 好きであれば好きでいいじゃないですか」
エイルズレトラが鼻で笑うと、与一が考え込んでしまう。そこに淳紅がカメラを見せつける。
「ここで撮らんでも後でここ付近の監視カメラなり使えるんですけど、雑な写真よりせっかくやし、写り良く撮った方がお得ちゃいます? それにせっかくの縁ですし、集合写真でもどうです?」
素直に応じてくれたが、カメラのタイマーに合わせ、与一が2本の矢先をアルテミシアの頭の後ろに並べてかざす。出来上がった集合写真には、2本角のアルテミシアが。
「貴様!!」
怒りだすとわかっていた与一は「またなぁ」と、去っていった。
「まったく……不破と言ったな。先ほど述べたお前の言葉は、正しいだろう。だが大天使ともなると、個人だけの正しさを貫くわけにはいかん。そして私を理解したくば、私の行く道を見ていることだ」
そう言い残し「ではな」と、与一とは反対の方向へと1人で歩みだす。その際、日菜子の肩に手を置き「全てを背負うものではないぞ」と一声かけて、去っていった。
その後ろ姿をずっと目で追い続けるスズカ。その横顔に、ちくりと何かが痛む六実。
「あ、トビーヘの伝言でも言っておけばよかったですね」
「せやなぁ……」
「いずれまた、お会いする事もありましょう。さあ皆さん、帰りましょうか」
ぞろぞろと歩き出すと、眠そうな目の怠惰は先を走るスズカへ微笑んだ。
「――今日は君のために頑張った。君は私の希望だからね」
【一矢】少年、遭遇する 終