●星空の下で
「ん、張りきっていくよー」
アッシュ・スードニム(
jb3145)が茶が斑に混じった白い翼と尻尾をパタパタさせた。
「はい。私は、何よりも彼を助けたいのです」
アッシュの言葉に、樹月 ルミナ(
jb3876)は決意を口にする。命の大切さを第一に考える彼女らしい、とてもシンプルだが、固い決意であった。
「そのために訪れたのですからね――サイロ、確認いたしました」
星からサイロを確認していた里見 さやか(
jb3097)が、指先までまっすぐに伸ばし、サイロの方角を指し示す。
「あちらにありますので、みなさん」
「了解した。敵の数が多いから、立ち回りの為の準備も大切……」
ナイトビジョンを装着しているリアナ・アランサバル(
jb5555)の足回りには、気のせいかもしれないがうっすらと光が纏わさったように見える。
その横でゴーグルを装着して起動させたロドルフォ・リウッツィ(
jb5648)は、よく見えるようになった視界で周囲を見回しながら、ふっと短く息を吐き出す。
「何でこんな辺鄙な場所に、天魔なんか出たんだかねえ。こんな場所で襲われて、助けを呼ぶことができただけでもラッキーだよな」
「目的や意味など、今この場ではさほど重要な事ではないだろうね。要請できたことが幸運だったのは、確かなのだけど」
くっくっくと肩をすくめ、笑ってみせる錦織・長郎(
jb6057)。暗い中、目を細めて辺りの様子をうかがっていた。
(地域一帯が敵群に襲われ安全が保障されないとならば、上に昇って危険より身を守るというは、当たり前に良い判断だね。もっとも、そこから連絡寄越した際に途中で途切れたお陰で、以後の情勢が不明なのは困ったものだね)
口にこそ出さないがそんな事を考えている長郎。もっとも、困ったと言うほど困ってはいない。
「とにかく、俺達がその幸運、完璧なものにしてやるよ。この翼でな!」
ロドルフォがその背の大きな白い翼を広げると、さやか、アッシュ、ルミナもそろって翼を広げるのであった。その中リアナと長郎、この2人だけはコウモリのそれを彷彿させるような黒い翼を広げた。
そう、幸いな事に天使と悪魔しかいないのだ。
この光景にルミナは目を輝かせ、微笑みを浮かべていた。
(たった1人の人間を助けるために、天使と悪魔が協力する――実に嬉しい限りです。全ての方がこうであれば、争いも収まるのでしょうね)
「さあ急ぎましょうか。きっと1人で心細いでしょうし、怪我も気になりますので」
「聞こえるかね、星守永一君。今我々が、キミを助けに向かっているので、もう少し辛抱してもらいたいね――なに、大丈夫。本当にもうすぐ、キミの所にたどり着くよ」
長郎がサイロ上の永一と意思を疎通させていた。そして宣言通りに、残り5秒とかからずに全員がサイロ上にまでたどり着く。
「こんばんは、助けに来たよー」
アッシュが安心させるように微笑みかけると、梯子につかまり翼を休める。ルミナがサイロ上に足をつけ翼をたたむと、即座に永一の状態を確認するのであった。
「……ああ、お迎えなのかと思っちゃったが、そうか。天使と悪魔の撃退士さん達か」
頼りないほどに青ざめた顔の永一だったがルミナの手に燐光が灯り、永一の足へと吸収されると、永一は徐々に血色がよくなっていく。
「とりあえず一安心のよう、だね……」
サイロ上ではなく、サイロの横、垂直な壁面にまっすぐ立っているリアナは表情1つ変えずに安堵する。もっともその声色は安堵とは程遠く、淡々としていた。
そして突如、辺りが眩しい光に包まれる。さやか自身が、星や月とは比べ物にならないほど明るく輝いていたのだ。
ぐるりとサイロ周囲を飛行し、地上の様子を実際に目で見て確認する。下では群れとなった犬達が少し騒がしくなった上を見上げ、光源に群がる虫の如くさらにその数を増やしていた。
「私は照らしながらあちらの方に向かいますので、みなさんお気を付け下さいね。突如手元が暗くなる可能性がありますので」
「大丈夫、暗くても見えるから……」
「俺もね」
ゴーグルを小突く2人が光り輝くさやかの陰となるサイロ裏に回り込み、下へと移動を開始するのであった。
「よーし、いっくよー! アディも出ておいで!」
手を軽く添えたまま梯子から足を離し、壁面を滑り落ちる様にアッシュ。アッシュの横から瘤が鞍のような形をしたスレイプニルが姿を現す。
その後を追って、長郎とさやかも下降するのであった。
血が止まった足に包帯を巻いたルミナが、まだ不安げな永一に優しく微笑みかける。
「きっと大丈夫です。皆さんお強いですから」
「ああ、うん。そうなの、かな……?」
うっかりなのだろうが、巻かれた包帯にルミナの髪も巻かさっている事に、緊張と不安はほぐれたものの若干、別の不安がよぎった永一であった。
「相手を撹乱できたらめっけもん……ってね」
滑空しながらもロドルフォが香水を、群がっている犬達にふり撒いた。犬達は敏感に反応し、その刺激から逃れるべく思い思いの方向へと、後ずさるように離れる。
そこへ壁を駆け抜けてきたリアナがバッと手を振りかざした。
壁際に近づいていた1匹が一瞬、何かに絡みとられたかと思うと細切れにされ、ただの肉塊へと戻される。極細の鋼糸だ。
「安全圏から、確実に仕留める……」
壁際の近いものを高い所から次々に肉塊へと変えると、地上付近までさらに降りて今度は遠い敵を狙い、少しでも近寄れば駆け上がるのであった。
「ほーらほら、こっちもいるんだぞっと!」
ロドルフォがリアナの射程から逃れているであろう犬の背後へと上空から近づき、焔のように波打つ両刃の剣を振るってその胴体を薙ぐ。
腹に重傷を受けて足の止まったところで、その首をきっちりと落とす。
トドメをさす前に犬に近寄られ上空へと逃げたため、深手を負わせただけという犬もいるのだが、そこを翼をはためかせたリアナが
首を鋼糸で切り落とし、旋回して壁へと着地する。
確実かつ迅速なリアナの手際に、ロドルフォは口笛を鳴らしていた。
「すごいね、リアナちゃん。これが終わったら俺と一緒にお茶でもどうだい?」
「辞退しておきます……」
はっきり断られたが、ロドルフォは「それは残念」と軽く肩をすくめ狩りを続けるのであった。
長郎が上空からリボルバーで当てる部位も狙わずに、手当たり次第犬へと一方的に射撃を続ける。当たればそれでいいし、回避されても、回避した先をさやかがやや長大な洋弓で討ち貫くのであった。
とはいえまだ、1匹たりとも倒せてはいない。
「さすがに、これくらいでは死なないようだね」
「それでもさほど問題はありません」
そう、倒せなくても問題はなかった。
2人の攻撃はとにかく、犬達がなるべく一直線にまとまる様、誘導していたのである。
「アディ、突撃だー!」
梯子に掴まったまま親指を立てたアッシュの命に従い、蒼白い煙を巻き上げ黒色の鎧に包まれた馬竜が、直線上の犬達をことごとく蹴散らしていく。
効率的で爽快な倒し方に、長郎はニタリと口元に笑みを形作る。
「一撃確殺ばかりが、効率なのではないのだよね」
「仲間がいらっしゃるならば、連携しない手はありませんから」
「くっくっく、まったくだね。ところで僕とこの後にでも、食事などご一緒――」
「逃がしません」
長郎が言い終わらぬうちに、さやかはサイロから離れて行こうとする犬を追いかけていくのであった。
すかされた長郎は肩をすくめ、リボルバーを再び構える――男とはそれこそ種族問わず、似たようなものなのかもしれない。
「アディ、あっぶなーい!」
長郎の横から風を纏った扇が通り抜け、スレイプニルの死角にいた犬の足をすくいあげ、扇はアッシュの手元へ戻る。そして転倒したところに、長郎が撃ちこむ。後ろへと振り返り、得意そうな顔をしているアッシュに目を向ける長郎。
声をかけようかとも少しだけ思ったが、年齢的な事も含め直感的に無駄と悟り、視線を犬達へと戻すのであった――
サイロ上に戻ってきたさやかが降り立ち、翼をたたむとサンドイッチをゆっくりかじっている永一にニコリと笑みを向ける。
「周囲は一掃いたしましたので、ひとまずはご安心ください」
「大丈夫でしたでしょう?」
さやかの言葉と笑顔に、自分の笑顔も乗せるルミナ。2人の笑顔に釣られ、永一も笑みを浮かべるのであった。
「本当だね」
永一の笑顔から、まだ安心はできないもののひとまずは彼の想い――希望を護れた事がルミナには嬉しかった。
「もう少しだけお待ちくださいね。周囲の安全を確保している最中ですので」
「うん、わかったよ」
「ではお話の続きをお聞かせください、星守さん」
気を紛らわせるために、家族の事を話してもらっている最中だったのだ。
「是非にお聞かせください。そういえば、お子さんがいらっしゃるとか?」
さやかが促すと歯切れの悪い言葉を呟きながら、胸ポケットを押さえる永一であった。
割れた大きなガラスから住宅へと盾を構えたロドルフォを先頭に、踏み込む4人。
「まっくらくらー。まずは電灯のスイッチいれたいよね」
懐中電灯とペンライトを構え、ヒリュウを先に向かわせた。
「ずいぶん小型だね」
「他の子達は大きいから入れそうにないんだよねぇ」
クスクスと笑うアッシュが突如、腕を振り回す。
「イヴァ、あたっくあたーっく!」
物陰からはじき出される犬達。そこに長郎のリボルバーが火を吹き、頭部を穿たれた犬はその場に崩れ落ちる。
続けざまに自ら物陰から躍り出た犬が、跳躍。長郎へと跳びかかったのだが空中でぴたりと動きを止め、一瞬遅れて細切れにされるのであった。
天井付近の壁に張り付いていたリアナが、鋼糸を手に収める。
「これかな、ぽちっと」
踏み込んだ室内にやっと電気が灯されると、部屋中赤く染まり、夫婦だと思わしきモノがそこら中に散らばっていた。
「むごいことだな」
顔をしかめるロドルフォの言葉にアッシュは頷いたが、長郎は「こんな事態もあるだろうね」とひどく冷静で、リアナに至ってはあまり関心がないという風であった。
むしろこれがむごい事なのだと、学んでいる最中。そんな気もした。
ただ今はとにかく永一を無事に返すのが優先と、屋内の探索を続けるのであった。
古い住宅の方へと踏み込む際、狭い入口からではやりにくいとロドルフォがぼそりと漏らし、皆に外で待ってもらう。
「さあーて、ちゃんと餌に食いついてくださいよ、っと……」
盾を構える手に力をこめ、ゆっくりとテリトリーの中へと踏み込む――その瞬間、四方八方から犬達が一斉に飛びかかってきた。
盾を振るい、弾いて多くの牙を防いだのだが、足を噛まれ少し顔をしかめると、全ては無理と判断。首を腕で守り、腕に噛ませ、犬を引きずりながら後退する。
ロドルフォに目を奪われ、他の何も見ずに不用意にも後を追ってきた犬達は外で待機していた全員の一斉攻撃によって、あまりにもあっけなく退治されるのであった。
腕と足を噛まれたロドルフォだが、そこに噛ませただけあって動きに支障が出るほどのダメージではなく、むしろ軽傷と呼べた。
古い住宅では誘き出しが効いたのか、他に犬の影はなかった。
そして牛舎ともなると、牛がいないそこはかなりただの広い空間に等しく、身を隠す物陰もないため、電気はつかないが向かってくる煌々と輝く目に注意していればいいだけだったので、周囲を警戒しながら狩り続けるだけで苦労もなく犬の殲滅に成功していた。
「これであらかた、か」
牛舎の外で阻霊符を壁に貼りつけたロドルフォが、車に目を向ける。
「ちょっくら車温めてくる」
「じゃ、ボクは星守さんを車まで護衛する!」
各々で動き出した2人を見送ると、リアナも「しっかりと安全にしてから、だね……」と1人どこかへと向かってしまった。
残された長郎は肩をすくめ、サイロの上に連絡を取ろうとし――微かな鳴き声を聞き、油断なく声のする方へと向かっていった。
懐かしむように話す永一の言葉に、ふと気がついた。
「……もしかして、お子さんは撃退士なのですか?」
「そうなんだ――君らといくらも変わらない子でね。きっと俺を恨んでいるだろうな」
先ほどまでの楽しげな表情とはうって変わって、実に辛そうな表情を前に、さやかはさらに何かを察した。
「何か後悔なさっていることがあるのなら……素直にそれを言葉になさっては如何でしょう? 星守さんは、私達が責任を持って無事に帰して差し上げますか」
「そうです。ですからどうか笑顔でいてください」
「……そうだね。こんな美少女さんにそう言われたら、そうしなくちゃ、ね」
この場で言える精一杯の強がりで、この中では誰よりも弱い大人は笑顔を作った。
「お待ちください、長郎さんから連絡が――どうやら下は終わったようです。それと、息絶えた親犬の下から子犬が見つかったようですね」
「そうか――その子も連れて帰りますって、伝えてもらえないかな?」
全ての物陰というもの影を確認し、放置されている車の上にリアナが着地。そして手を振りかざし、確認すらせず車体の下に鋼糸を向かわせると――やはり、いた。
「正真正銘、これで最後……」
冷ややかで淡々と述べると、鋼糸を顔の前へ引き寄せるのであった。
「さーみんな、乗りこめ―!」
アッシュの元気な掛け声に触発され、あれだけ弱っていたはずの永一さえも駆け足で自分の車の助手席へと乗り込む。運転席にはロドルフォが今にも発進させたくて、うずうずしていた。
後部シートにはそれぞれ子犬を抱いた3人が。ただ全員が乗り込むにはさすがに狭く、アッシュがひらりと屋根の上に。遅れてやって来たリアナも屋根にしゃがみ込んだ。
「さ、それじゃ帰ろうかー」
尻尾ぱたぱたとさせると、待ってましたと車は発進する。
「すまないけど、ちょっと遅刻なんで真っ直ぐ向かいたいところがあるんだ」
「お子さんの所ですね」
「うん、まあそうだな――あっても上手く伝えれるかわからないけど」
何を伝えるのかはよく知らないものの、伝えると言う言葉にロドルフォはつい口を挟んでしまった。
「言いたいことほど言えねえってのは……まあ人のこと言えねえからなー俺も。男のプライドってのは厄介だよなあ。
……でも、相手だっていつまでも待っててくれるとは限らねえ。やりたいこと、やんなきゃなんねえことは、やらなかった時の方が後悔は大きいぜ」
年季を感じさせる言葉に、永一は「わかってるよ」と携帯を――いや、携帯についているアクセサリーを眺めた。妻とあの子、3人おそろいの物を。
静かとなった車内でルミナが自身にとっても最大の願いを、口にする。
「人は、後悔ではなく希望に生きるべきなんです……」
その優しき願いは世界に向け、満天の星に流れる天の川へと溶け込むのであった――
【雲梯】彦星の危機 終