常人であれば困難な山道をすいすいと登りながら、自分の手に視線を落して感覚を確かめる影野 恭弥(
ja0018)。
違和感なく、動く。
(これなら、存分に動ける)
一方では、ぎこちない動きで少し遅れて山道を登っている仲間達。トビトが起こした事件の爪痕は彼ら、彼女らにもしっかりと残っていた。
しかしその程度で泣き言を言っていられない。一刻も急がねば、様々な人の想いが無駄になってしまうから。
「重体が多い……彼女の事は御堂さんに任せるね」
「承りました。その使命、果させていただきます」
脇道へと逸れる龍崎海(
ja0565)に頼まれ、御堂・玲獅(
ja0388)が深く頷く。
(……この戦力でいけるか)
黒井 明斗(
jb0525)の胸中に不安が広がるが、それは頭を振って払い、厳しい表情を作って覚悟を決める。
(大規模でみんなボロボロですね……私がみんなの盾にならないと〜)
意気込みつつも森浦 萌々佳(
ja0835)は少しだけ、眉根を寄せて困惑していた。
(涼子さんのことは正直どうしたらいいかわかりません〜……でも、誰かが彼女を助けたいと、そう、思うなら――私はそこに、力を貸しましょう)
口にこそ出さないが、確たる想いを胸に秘めるだった。
「ふむ……少しばかり、身体をかけねば成るまいな……」
怪我を押してでも来てくれたメンバーの顔を順に眺め、何事にもチャラく見えるジェラルド&ブラックパレード(
ja9284)が珍しく表情を引き締めて呟いていた。
それほどの状況である――そう感じさせられてしまう。
だが「大丈夫よ! ハンデにはちょうどいいわね!」と、重体のはずだがカラではない元気を見せる雪室 チルル(
ja0220)に並走し「負けるもんか―!」と競い合っている並木坂・マオ(
ja0317)で、場の空気は少しだけ和らいでいた。
とはいえ和らぐ雰囲気もなく
(トビトの罠で無ければ良いのですが……)
と気を引き締める雫(
ja1894)のような者もいれば、ただの依頼をこなすだけと、あまり関心がなさそうに見えるアスハ・A・R(
ja8432)のような者もいる。
そして――黙してただただ上だけを見据え、歩みを続ける赤坂白秋(
ja7030)。
その横に櫟 諏訪(
ja1215)が並び、らしくもあり、らしくないその横顔を覗き込む。
「ここでやらなきゃ、赤坂さんの漢がすたりますよー?」
諏訪に一瞥すらせず、獣の目はひたすら真っ直ぐを見据えていた。
ただポツリと、覚悟だけを呟いて。
「救う。『猛銃』が名に賭けて」
(こんにゃろー!)
叫んだものの声は出ず、腰にランタンを下げたチルルの大剣から猛吹雪が一直線に吹き荒れ、邪魔な蝙蝠猫と八咫烏を蹴散らして氷結晶の道を作り上げる。
前に出た黒羽 拓海(
jb7256)がハンドサインで自分が行く旨を伝えると、身体の痛みを無視して消え果る前に氷結晶を踏み砕きながら一気に駆け出す。
決して満足な状態ではないが、拓海の顔には苦笑が浮かんでいた。
(『敵』の為に力を尽くす……ダルドフとの決着の時を思い出すな。あの時は奴に言い訳を立たせようと全力だった。今回は被害者の救出、といったところか?
言葉を交わした回数は少なかったが、不思議と縁のある相手だ。きっちり助けて、絶望するにはまだ早いと言ってやらんとな)
闘気十分、右側の先頭にいるセレナイトのフレイルをかいくぐり、するりと横に潜りこんだタイミングで諏訪の撃った弾がセレナイトの兜を溶かし、くすぶるような煙を漂わせた。
そしてセレナイトの死角から拓海が、神速の抜刀一閃――腐敗した兜を砕くだけで終わってしまったいつもより軽い一撃に舌打ちし、飛び退る。
「あんま無茶すんじゃねーぞ?」
「大丈夫だよぉ、心配性だねぇ――さぁ、時間稼がなきゃね」
来崎 麻夜(
jb0905)がクスクスと笑うも、その頭にポンポンと手を置いた麻生 遊夜(
ja1838)が下がる拓海と入れ替わるように木々を移動しながら前へ出た。
「すまないが、俺達と全力で踊ってもらおうか!」
距離を取られる前にとエメラルドに向かうが、2匹のエメラルドが広範囲に矢を放つ。真っ直ぐに飛んでくる矢をかわすが、うねるように飛来する不定形の矢が肩に直撃し、遊夜は顔をしかめた。
「魔法は避けれんのが痛いな。今後の課題かね」
やれやれとかわせぬ自分を戒め、撃つために動きが止まったエメラルドへ向って走る――そこに、イヤホンから明斗の切羽詰った声が流れた。
「影に潜んでいます、気を付けて!」
一瞬何の事かと思った遊夜だが、次の瞬間、後ろからのランタンで前に映し出された自分の影から鋭い錐が伸びてくるのが見えた。
だがそれが遊夜を貫くより先に前線へ駆け上がってきた雫のランタンで影から炙り出され、まごついたところを麻夜のライフルが貫く。
「相変わらず神出鬼没だねぇ」
「すまんが落ちてくれ、俺の為に」
遊夜がさらに踏み込み銃を構えた腕に赤い光が螺旋状に纏わりつかせ、そこから放たれた黒く禍々しい弾丸。胸部を撃ちぬかれたエメラルドが崩れ落ちる。
前に立つ遊夜と拓海、追いついた明斗へ群がり始める八咫烏だが、禍々しく紅い光を放つ雫の大剣と呼ぶには無骨すぎる鉄塊がその大きさに見合わぬ速度で閃き、2匹のカラスを両断。
それに「先輩達の邪魔はさせないよ!」と意気込む麻耶のライフルが遊夜に近づく鴉を撃ち落し、そこはお前達だけの物ではないと言わんばかりに影から鴉女 絢(
jb2708)も狙撃を続ける。
「逃がさないよ、天使の手先共……!」
憎悪に満ちた眼差しを向け、ただひたすらに狙い撃つ。
その間に派手に変化を繰り返す光に包まれた萌々佳が、敵の真っただ中に突撃する。
「こっちを見なさい〜」
余裕のある自分がと、敵の目を引き付ける萌々佳。その犠牲の心はまさしくヒロインにふさわしい。
二連続で繰り出されるダークヴァルキュリアの槍もセレナイトのフレイルも銀色の障壁で受け止め、左側に展開されていた戦乙女の部隊が1組だけ萌々佳を狙って距離を詰めてくる。
そこに距離を測りながらも藤井 雪彦(
jb4731)が割り込み、符を構えた。
「女の子がピンチって時にボクが動かなくてどうすんのって感じだね♪
さぁ〜ボクを放っておいたら、どんどん攪乱しちゃうゾ☆」
符から広がる力場に触れた戦乙女達。ダークヴァルキュリアだけは平然としていたが、セレナイトも逃げ遅れたエメラルドもそこに何かがいるかのように、何もない空間へ攻撃を繰り出す。
「その隙を突かせていただきます」
「腐れて咲きな、綺麗にな!」
足の止まったセレナイトの頭部に神谷春樹(
jb7335)の放った弾が直撃し腐食の煙を漂わせ、遊夜の弾も別のセレナイトの頭部に蕾のような模様を張りつかせ、そこから煙がくすぶり溶け始めていく。
そしてその隙を逃すはずもなく、萌々佳が正立方体の槌で腐敗した兜ごと頭部を粉砕する。
前線に立つ撃退士を自分達の範囲に収めようと集まり始めた蝙蝠猫に、再びチルルの吹雪が真っ直ぐに吹き荒れていった。
さらには麻夜を狙い鴉が群がろうとするも、瞳を蒼く輝かせた麻夜が一喝する。
「ボクに、触れるなっ!」
その瞬間、辺りを漂っていた麻夜の黒羽根が鴉達を覆いつくし氷の結晶となって凍てつかせ、蝙蝠猫達が散らばろうとしたところを、そうはさせまいと諏訪が中心に飛び込んでは銃弾の雨を降らせた。
「どんどん行きますよー?」
状況を判断したうえでチルルを狙ってか、前線に立つ者を無視したダークヴァルキュリアが山を駆け下り、禍々しい力が籠められた槍を突き出そうとしていた――だが、ノームの悪戯か。その周囲を砂塵が包み込みその姿が石へと変わっていく。
「ボクが女の子への攻撃を許すわけないよね?」
符に軽く口づけし、ウィンクしてみせた雪彦が横へと移動すると、劣勢と判断したのか左側に残っていた戦乙女部隊からエメラルドが追いかける。
やっと、その時が来た。
エメラルドたちへ向け明斗が彗星を振らせて足止めと注目を集めると、岩場の陰から恭弥が飛び出し、足下から湧き出る黒い獣達がセレナイトとダークヴァルキュリア、そして影という影にくらいつく。
今が好機と白秋も飛び出し、ダークヴァルキュリアの槍を狙い撃ち落し、顎をくいっと上に向けて叫ぶ。
「蹴散らしていくぜ!」
手薄になった隙を突き、小屋を目指して一直線に白秋が先頭を走る。
美しい輝きを背負った玲獅が影を照らしながら後を追い、その玲獅を狙った矢を横から割り込んだ星杜 焔(
ja5378)が盾で受け止めた。
「今回は護衛が役目だからね〜」
「一気に駆け抜けましょう……!」
川澄文歌(
jb7507)の足元に風が吹き抜け、その風が周囲の人の足を包み込む。
「足が軽くなったね☆」
ジェラルドの言葉通り小屋を目指す者達の足取りが軽くなり、一気に距離を詰めていく。
後を追ってくる鴉に文歌の作り上げた魔方陣が炸裂し、近づかせない。前を行く白秋が戦乙女部隊最後尾にいるエメラルドのボウガンを撃って弾き、道を塞ごうとしたセレナイトは全身漆黒と化した恭弥の黒い炎を纏った弾丸の一撃で屠られる。
「こちらに気を取られています」
焔が誰にでもいいからこの生まれた隙を伝えた直後、足を止められないと判断したのか自らの体で塞ごうと動くダークヴァルキュリアの前に、これまでずっと潜めていたが忽然と姿を現したマオが発煙手榴弾をばら撒きながらもダークヴァルキュリアの周囲を暗闇で覆い、それを振り払おうとしたところに蹴りの一撃をお見舞いする。
「救出班は先を急いで! アタシはいざとなったら逃げるからさ!」
さらに一撃をふくらはぎへ叩き込み膝をつかせ、思わずここに来ててもいいはずの人物を捜してしまう。
(ダドルフさん、こんな時にホント何やってんのさ。オジサンが貫いた信念、涼子さんに届いたかどうかわかんないまま終わっちゃうかもしれないってのに。
――そんなのイヤだ。トビトの思い通りにさせてなるもんか!)
ダルドフの名前を間違ったまま覚えているマオは立ち上がろうとしたダークヴァルキュリアの側頭部へ、その想いを乗せて回し蹴りを放つのであった。
マオが捜してしまったように、雫もこの場に来ていないのかとずっと捜してはいるのだが――残念ながら、その姿を見つける事は出来なかった。
だがそれでも、もうすぐ彼らは小屋へ辿り着く。
伸ばされかけたその手を、つなぐために――
「行きますわよぉ……」
裏の崖と呼べる所から、黒百合(
ja0422)が翼を広げ一気に駆け上がる。
その移動速度に蝙蝠猫も鴉も反応できず黒百合が通り抜けた後、劫火に包まれ次々と落ちていく。
(ちょっと追いつくのは厳しいけど……!)
まばゆい光を放ちながら海が翼を広げ、足場で足場で大きくジャンプするように飛んで追いかけ、邪魔になる蝙蝠猫を白色の槍で貫きながらも追いつけはしないが黒百合を追いかける。
注目を集める2人に気を取られている間に、後ろから闇の翼を広げ飛んできたViena・S・Tola(
jb2720)が魔方陣を生み出しまとめて炸裂させた。
「わたくし達を……忘れられても困ります……」
「そう。僕にも、少しぐらい意地はあります」
光の翼を広げ傷ついた身体にオーラを纏ったクロフィ・フェーン(
jb5188)がVienaのすぐ後を追い、寄ってくる鴉を盾で払い落とす。それでも群がろうとする鴉だが、斉凛(
ja6571)の狙撃によってその羽を散らしていく。
痛む身体で無理をしない程度に後を追いながらも、一連の騒ぎにそれほど関わっておらず、真宮寺涼子をよく知らない凛からすると1つの疑問が、依頼を受けた時からずっと渦巻いていた。
(一度人を裏切った使徒が……仲間になれるのかしら?)
それが気になって仕方がない。
人を殺めた事がないとあるが、ただそれだけのことで全ての人が受け入れられるとは考えにくかった。
だが依頼は依頼。受けた以上はきっちりこなすだけであると、無理なく後を追いかけるのだった。
数も多くない上、さらに数を減らしていく蝙蝠猫と鴉。それに海の放つ光に照らされた影からはダークストーカーの気配が感じられない。
そんな状況を事細かに、空からは見えにくそうな所をチョイスしながら気配を殺した蝙蝠が如くひっそり垂直に近い崖にぴたっと張りついて、重力を感じさせずにスイスイと登っている下妻ユーカリ(
ja0593)が正面の班へと伝えていた。
(ホントはもーっとお役立ちしたいところだけど、体調も万全じゃないのに無理を通してきたんだしね。とりあえずこれくらいはしないと)
「絶対に助けるよっ」
目線を巡らせ、避難に使えそうなルートをじっくり見定めるユーカリであった。
誰よりも先に辿り着いた黒百合が小屋に近づこうとした時、頭上から伸びた黒い錐が黒百合を貫いた――かのように見えたが、貫かれたのはスクールジャケットのみであった。
「来ると思ってたわぁ」
銃口を上に向け、発砲。ヒサシごとダークストーカーを撃ちぬく。
そして追いついた海の眩い光が影という影を消し去り、炙り出されたダークストーカーはできたての影へ次から次へと逃げ込んでいく。そう、海の光を背に受けた黒百合の、正面に伸びた影へ。
黒百合から放たれた燃え盛る劫火が影を包み込み、影は踊るように様々な形に変化する。
ただ劫火が消え去った後でも動きが少し鈍くなったものの影の中で蠢いていて、黒百合を狙い黒い錐が次々に押し寄せてきた。退く黒百合だが影はどこまでもついて歩くのと一緒で、ダークストーカーは執拗に狙い続ける。
最終防衛ラインにいたエメラルドが武器を構え直し向かってくると、退く黒百合を狙ってボウガンを放つ。
だが再び貫いたのはスクールジャケットのみ。
自分の影があった位置から少し距離を開いた黒百合と、取り残されたダークストーカーの間に海とVienaが割り込みその身を盾にする。
伸びる錐が海やVienaの足に突き刺さるも、海はお構いなしに槍を突き立て、Vienaから伸びる榛の枝が黒百合との距離を縮めようとしたエメラルドに突き刺さり、その身が石と成り果てた。
凛のライフルとクロフィの水弾が影を穿ち、海の光に照らされ、生き残っていたダークストーカが近くの影へと逃げ込むのだが、逃げ込んだ先は当然、黒百合の足元やVienaの足元。何処にいるのかわかってしまえば、さほど怖くない。
(ここで……優先すべきは……)
影から伸びる錐を振り払い空を飛んだVienaは優先して、残っているエメラルドを狙って動くのだった。
目標を失って取り残された影に、凛がライフルを撃ち続け正面の班へと通信をかわす。
「突入はまだですか?」
恭弥の禍々しい黒い弾丸が小屋の正面に立つプラチナに襲い掛かるも、それは木々の壁が幾重も射線上に出現し、やがて勢いを失うのだった。
(堅牢すぎるだろ。気に入らねえ)
距離は限界までとっている恭弥だが、冷静に地面から伸びてくるであろう樹の枝を、盾で弾き受け流して肩口を掠める程度に済ませる。
一気にかけ込むも、焔が警戒していたおかげで踏み込み過ぎる事はなかったがプラチナのトビトを彷彿させる木々の針山によって足を縫い止められてしまった。
そして距離があれば単体で狙われ、それでいて遠距離攻撃はしっかり防ぐ。
山道で戦乙女達を相手しながらも観察をしていた諏訪や、空を飛んで分析をしていたVienaにより、その攻撃方法や範囲はすぐに伝達されて、あまり速度もなく鋭さの無いプラチナの攻撃はタイミングを合わせて盾で受け流したり跳躍で比較的簡単にかわせるため、最初以外、ほとんど喰らう事がなかった。
だがここまではこれたが、ここから先がなかなか進めずに誰もがホゾをかんでいた。
「俺の道を塞いでるんじゃねえよ!」
回り込みながらも2丁の銃で撃ち続ける白秋だが、どの角度からでも木々は出現しことごとく防がれる。
追いついてきた鴉を一網打尽にする文歌の耳に、黒百合の声が聞こえる。
『邪魔する悪い女は小屋の真正面かしらぁ……?』
「あ、はい。小屋の入り口から一歩も動いていません」
文歌が答えたその次の瞬間――小屋の入口が吹き飛んだ。
そして帯電した光線がプラチナの背後から胸を貫き、膝をつくプラチナ。まだ死んだ様子はないものの、動こうとしているようだが帯電している身体が動いていない。
「あぁら、ごめんなさいねぇ……ちゃんと殺せなかったわぁ」
光が差し込む小屋の中から、髪の白くなった黒百合がその姿を見せ、膝をつくプラチナへ冷酷な笑みを向けるのだった。
走る白秋が方向を変え、その手の銃を巨大な銀色の回転式シリンダーの銃器へと変化させながら、まだ動けないでいるプラチナに肉薄する。
「はっはー! 猛獣の牙、味わっとけ!」
銀色の銃口から刃が伸び、それがプラチナの首筋に振り下ろされ、猛銃の牙がプラチナの首を食いちぎる。
そして黒百合と白秋、それに恭弥が小屋の前に陣取り、飛んでくる鴉を次々に撃ち落していく。
「今のうちに行きましょう!」
文歌に促され、玲獅と焔は小屋へと飛び込むのだった。
「やほ☆ 迎えに来たよ〜♪」
ジェラルドの声に、反応はない。
小屋裏に開いた穴から光が差し込み、それが血だまりを照らす。
そして血だまりの中、木々に貫かれた涼子を発見するなり玲獅はまず光を生み出してダークストーカーが潜んでいないかを確認し、焔が斧で貫く木々を身体のすぐ前と後ろで切り落とす。
「これ以上の出血は危険です。抜くタイミングに合わせて下さい」
短くなった樹を握りしめ、焔の目と玲獅の目が合う。
玲獅の掌の上に芽が生まれると、やがてもたげていた頭を上げ双葉を開いた。
こくりと頷く、玲獅。
その合図に合わせて焔が一気に樹を引き抜くと、血が噴き出した――が、それも一瞬で止まり、涼子の身体を包む温かく柔らかな光がみるみるうちに傷を塞いでいく。
「生きてください。諦めず手を伸ばして!」
文歌が必死に呼びかけ涼子の手を取り、握りしめながら優しい光を送り続ける。
「……優しく、温かい手だ――」
涼子の口から、言葉が紡がれた。
出血の状態を見た焔の適切な処置が功を成したのか、それとも文歌の必死の呼びかけが効いたのか、あるいはその両方か。青ざめていた涼子の顔に、ほんのりとだが朱が戻ってきていた。
泣きそうなほど安堵の表情を浮かべる文歌に玲獅は微笑みを浮かべ、テントと寝袋で即席の担架を作ると涼子を包み込む。そして立ち上がる玲獅だが、生命力を分け与えた影響でほんの少しだけめまいがする。
「急ぎましょうか〜」
焔が玲獅に小さな光を送りこみ、涼子確保の報せを告げる。
まだ険しい表情だが、それでも死の色を感じさせない涼子の寝顔を覗き込みながら、文歌がその頬を撫で手をつなぐ。
「罪を憎んで人を憎まず、です。涼子さん、さぁ一緒に学園へ行きましょう」
「それはそうと、どこから逃げるのかな☆」
ジェラルドが外の様子を伺い最初のシリアスもどこ吹く風、のんびりと呟く。
正面には減ったとはいえ、まだ結構な数の敵がいる。プラチナが死んだせいなのか小屋に集結しつつあり、その動きはこちらを逃がさないためのそれになっている。
すると黒百合が開けた小屋裏の穴から、ユーカリが顔を覗かせてビシッとポーズを決める。
「お任せちゃん! ルートもバッチリ、こっちのほうが比較的安全だよ!」
「安全と言いますか、あまり厄介なのがいませんわ。行くなら急いだほうがよろしいですわね」
凛が裏手にいる最後の蝙蝠猫を撃ち落すと涼子の担架を担ぎ上げ、もう片方を海が担ぐ。そして裏から出るとそこを狙って、複数の鴉が襲い掛かってきた。
身構える凛達の目の前に、突如として蒼い髪が揺れる。
その手から三日月状の蒼刃が2つ生み出され、凛の前髪を掠めながらも蒼い軌跡を描き鴉達をまとめて斬り刻んでいった。
「一つぐらいは仕事を、な」
これまで火の粉を払う程度にしか動いていなかったアスハが、顎で先を促した。
その前を凛達が通過し、アスハの目に涼子の顔が映る。
(ま。助ける価値はある、とは思うが、ね)
いくらかでも情報を得るのはもちろんの事、使徒が人類の仲間となる可能性があるという事実は物議をかもすだろうが、大いに価値のある事と言えた。
そしてアスハの姿が再び、かき消えるのであった。
翼を広げ下降を開始する凛と海の横で、網のようなアウルを纏ったVienaが周囲を警戒する。
追かける鴉達にジェラルドの投網が覆いかぶさると、網に触れた鴉が次々と自爆していった。
「大量〜☆ どうやら何かに触れただけで起爆スイッチ入るみたいだね☆」
そんな事を言っているうちに投網に引っ掛からなかった鴉がジェラルドの身体に体当たりし、自爆する。
「あぶれたのはボクに任せて」
漏れた鴉にはクロフィがアンティークな人形を向け水弾を放ち、落としていく。
崖を滑り落ちる玲獅が運ばれる涼子を気にかけながら、クロフィと同じように投網から逃れた鴉をライフルで撃ち落していった。
登る時も早かったが降りる時はもっと早く、ユーリカの吟味したルートをただひたすら、安全と呼べるところまで降りていくのであった――
「どうやら離脱したようですね」
「そのようですねー?」
春樹と諏訪が背中を合わせ蝙蝠猫を狙撃していると、イヤホンからは無事に合流ポイントまで降りたという知らせが届く。
それはこの場の誰もが、ほぼ同時に知った事だった。
「撤退だー!」
「撤収撤収ー!」
深追いせずにいたチルルがゆっくり下がり始め、マオが全力で下がり始めると追かけるセレナイトの鎧に彗星のごとく銀色の粒子を纏った矢が突き刺さる。
黒い髪に戻った黒百合が美しく光り輝く弓を構え、腕を振って全体に撤退を促していた。
屋の刺さったセレナイトが動き出す前に、鉄槌がその頭部を砕く。
「みなさん〜無事に帰りましょう〜」
頬に伝う赤い液体をぬぐい、おっとりとした萌々佳の声。少し高まった緊張感をほぐすが、まだ早い。
「下がるぞ、麻夜」
「了解だよ先輩――貴方の命、頂戴?」
目の前を横切った蝙蝠猫へ、黒い霧を纏ったおぞましいムカデの様な形を形成したアウルが麻夜の手から放たれ、締め上げ食らいつくのだった。
(考えすぎでしたかね……)
雫の大剣から放たれる三日月の様なアウルが大地を這い、その衝撃がセレナイトを貫く。膝をついたところに拓海の刃が閃き、道を開く。
「それじゃ、ボクもこれにて失礼!」
「帰らせていただきましょう」
小屋から離れるように移動を繰り返していた雪彦。
雪彦を追いかけていた鴉の群れへ明斗の呼び出した彗星が降り注ぎ、雪彦の後を追わせない。そして自分も身をひるがえし、山道を下って行くのであった。
「まだ、天使の手先共が残っている……!」
皆が撤収を始める中、絢だけは足を止め背を見せず執拗にサーバントを狙い続ける。
迫りくるサーバントへ無数の黒い弾丸をばら撒くものの、いくら数が減ったとはいえ追いすがって来る群れに対して1人で立ち向かうのは流石に無理があった。
傷が増える身体。
しかしそんな傷もいとわず、ただひたすらに憎い天使の産物どもを駆逐する。
「こんな残飯、相手にするだけ無駄ですわよぉ」
上から全力で駆け下りてきた黒百合が絢の腹部に腕を引っ掛け、怪我で少し弱っていた絢が抵抗する間もなく、そのまま山道を下って行く。
途中まで追いかけていたサーバント達だが、ある程度の距離まで来ると止まり、そして再び小屋を護る為に戻っていった。
恐らく二度と来ないであろう主君から次の命があるまで、ずっと、もぬけの殻となった小屋を護る為に。
「顔色はだいぶよさそうですね……」
安全な所で地に下ろされ、さらに治療が続けられている涼子の顔を覗き込み、Vienaが呟く。
文歌が心配そうな顔をしたままだが頷き、涼子の手をしっかりと握ったままその目が開く事を祈り続ける――と、祈りが通じたのか涼子の瞼がゆっくりと開かれた。
歓声が上がり、その声に涼子が過剰に反応して飛び起きると周囲を伺う。
囲まれていると悟った涼子だが、その顔のほとんどに敵意がない事も同時に感じ取った。前ならばそんな余裕もなかったが、ここしばらくで感じた事のある気配であり、名前も知らないが自分を守る様な動きを見せていた者の顔もちらほらと見えたからだった。
雪彦が明るく笑い、花束を涼子へ向ける。
「お疲れ様♪ 色々頑張ったね☆」
「どうだ、真宮寺。絶望するにはまだ早いだろう?」
刀を収めたままの拓海に問いかけられ、涼子の忙しなく動いていた目はやがて拓海に合わさった。
眉根を寄せ、その目は困惑している様子を見せる。
「……何故だ?」
「これだけの人間が、お前を口説きに来たってわけさ」
聞いた回数はそれほどでもないのだがよく覚えている声に涼子は振り返り、身体に染みついた一連の動作――ナイフを無意識に抜いて、後ろに立った人物へと突きつけていた。
両手を広げ、武器を持っていないアピールをした白秋がおどけたように肩をすくめる。
その顔を見るなり涼子は息を飲み、白秋が力の抜けたナイフの切っ先を指でつまむと引き寄せ、その手からするりと抜き取った。
「人間も捨てたもんじゃないだろ?」
ナイフを涼子の身体に巻きついている鞘へ戻すと、自然と顔が近づく。
真剣な眼差しで、真っ直ぐに目を覗き込む。
「だからいい加減に惚れろよ」
その瞬間、周囲から「おお」とかそんな声が聞こえてくる――が、白秋は「と言いたいところだが」とそこで顔を離す。
咳払いひとつ。
「順序ってもんがあるからな」
一呼吸置いて、右手を差し出した。
「赤坂白秋――お友達から、始めませんか」
涼子が呆ける。何を言っているのか――そんな顔である。
「アカサカ……」
「流石ですねー……」
「イケメンでもヘタレかぁ」
ずっと黙って聞いていた周囲では、白秋の申し出に好き勝手な事を口々にぼやいているが、そんな周囲の声にもめげず、白秋はただひたすら手を向けたままである。
やがて、涼子の口が開き――声高らかに、息もできなくなるほどに笑う。
目に涙をにじませ、人をやめて感情と引き換えにその強さを得たはずの使徒が、ただの人間の女性として、思いもよらない申し出にただひたすらに笑い続ける。この数年分の笑みを、今ここで発散するかのように。
涼子がひとしきり笑い終えてもまだ白秋は手を差し出したままであり、その顔は自身に満ちたまま憮然としているが、今の涼子には白秋がとても可愛く見えてしまった。
そしてこれまでと違った女性らしい柔らかな笑みを浮かべ、その手を握り返した。
「真宮寺涼子――よろしくな、白秋」
それを告げた途端、涼子は瞼を閉じ、手をつないだまま前のめりに倒れる。
白秋が抱き止めまだ危険な状態なのかとその顔色を窺ったが、汗こそ浮かんでいるもののその顔は穏やかなものだった。
そして、その手は力強く握られたままであった。
この手の温もりを離したくない――まるでそんな想いが、籠められているように。
【神樹】彼女のその手をつなげ 終