「あ、これ……っ」
学園の掲示板貼られたポスターを見た音羽 千速(
ja9066)が足を止め、目を輝かせて読み進めるうちに、その表情が一気に曇った。
「応募資格・中学生以上……?」
去年の話だが、記憶では撃退士であれば年齢問わず参加可能と書かれていたはず。だが今年にはその記載がない。
連絡先の電話番号を確認し、その場で電話する。
「もしもし、イベントなんですけど、撃退士達は年齢問わずでは――あ、今年は念のために撃退士でも中学生以上からですか……」
前を歩いていた兄が着いて来ていないのに気付き、こちらを振り返る。目が合い、その瞬間ぱっと思いついた。
「兄貴、名前借りるねっ」
絶対に参加しなさそうな中学生の兄の名で、千速は参加を告げる。
通話を終え、小さくガッツポーズをとっていた千速。
(兄さん達には言わないよう、口止めしておかないとね)
当日は予報も予想も裏切り、ぎりぎりで降らずにはいた。とはいえ、前日の雨の影響もあり地面は濡れ、いつ降ってもおかしくない天気であった。
それでも大事な人形に合羽を着せ片手で抱き、つないだ手をぶんぶんと動かして上機嫌を表現する真野 縁(
ja3294)。
つないだ手の先にいる影野 恭弥(
ja0018)が、「ほらそっちは滑るぞ」と少し手を引き肩を寄せ、そして深呼吸。
「空気が違うな……なんだか落ち着いてくる」
それは、清々しい空気を作り出す木々のせいだけではない――つないだ手に目を落し、柔らかな温もりを恭弥は確かに感じ取っていた。
目を閉じ耳の感覚を研ぎ澄ませると、鳥の鳴き声、葉と葉のこすれ合う音、何かが草を踏みしめる微かな音。静かなようで決して静かではないのだが、それでもうるさいと感じるものではなく、むしろ落ち着く、穏やかな音に溢れていた。
「都会がどれだけ騒音だらけなのか、分かるな――」
そして穏やかな音の中に聞こえる、葉を叩く雨音。
(降ってきたか)
一度手を離し、道の脇に生えていたフキを刈り取ってすぐに戻ると、縁にその大半を被せ、自分は後ろの方でフキの傘を差す。2人で入るにはやや小さく、少し窮屈で歩きにくくはあるが――それがまた、楽しい。
木々の葉からこぼれ落ちる雨粒が、フキの葉をややリズミカルに弾く。
そのリズムに応え、縁がピョンピョント跳ねて指でそのリズムを弾き返していた。
「あっめあっめふっれふっれ、ばあさんがー……なんだね!」
「あんまりはしゃぐと、濡れるぞ」
跳ねているうちに離れていく縁の後ろから腕を回し、肩を抱き寄せて離れた距離を縮める――と、いきなり縁が立ち止りそうになるが、恭弥に押され、たたらを踏みながらも道の脇に視線は釘付けである。
「あれ食べれるかなー? あ! カエル!」
カエルを発見して一歩踏み出そうとしたが、「うやっ」と奇妙な声をあげ、その足は横へと方向を変えた。
「ミミズ踏みそうになったんだよ!」
だがそれで大人しくなるわけでもなく、後ろの恭弥ごと移動するためか恭弥のズボンを両手でつかんで誘導し、花のある所へ向かうと、しゃがみこんだ。
「見たらメーなんだよ!」
そう言われると興味をそそられ、腰を曲げてその背中から覗き込もうとする。
だが手元を隠すように方向を変え「ちぎぎぎっ」と威嚇して来たので、恭弥は大人しくその場で目をつぶり、緩やかに過ぎる時間を楽しむ事にした。
時折聞こえる「うにうにー?」「ちぎー!」という声で、色々苦戦しているのが目をつぶっていても分かってしまい、油断して口元が少しだけ揺るんでしまう。
不意に、目の前で立ち上がる気配。そしてぽすりと、頭の上に何かが乗せられる。あまり上手いとは言えないが、一生懸命さと感謝の気持ちが感じ取れる、そんな花冠だった。
恭弥の顔の前で、縁がパッと笑う。
「誘ってくれてありがとなんだね!」
(懐かしい風景です……私の実家も、近所がこんな感じで何もなかったですね)
林道の入り口で、雨に濡れる牧草地帯に目を細め、村上 友里恵(
ja7260)が物思いにふけっていると、頭の上にフキの傘が差される。
振り返ると、フキの傘を差しながら、もう1つを差してくれている酒井・瑞樹(
ja0375)がいた。
「村上さんの分だ」
「ありがとうございます」
受け取った友里恵。
すでに何人かが出発しているのを見て、2人も葉を打つ雨の音はすれども静かな林道を歩き始めた。
「森林浴というのは、気持ちが良いのだ」
(キツネは――触ってはいかんな。アライグマは――見つけ次第、駆逐だったか。猫は……いないか)
自然とその手がもふもふを求め、わきわきと蠢く。
その手の意味がわからず、そっと友里恵がお菓子を乗せておくと、小さなタワシのようなものが瑞樹の手を駆け上がり、そのお菓子を頬張りだす。
一瞬驚いた瑞樹だが、その手にいるのがエゾリスの子供と知り、引き締めていた表情が緩んでしまいそうになった。
ただ、気付かれた事に気付いたエゾリスはお菓子を持って駆け降り、そして木へと登っていく。自然と上を向いた2人は、小さな雑巾のようなものが枝から枝へ跳び移るのを目撃する。
「モモンガか――ふふふ。村上さんとこうして、フキの傘を並べて歩いているだけでも幻想的で楽しいのに、次から次へと歓迎してくれるとは嬉しい限りだ」
「まだです! 北海道のフキに居るのは、小さな人々ですよ!
という訳で、コロボックルが居ないか探してみましょう」
友里恵が瑞樹の手を引き駆け出すと、瑞樹は困ったよう顔をしながらも頬をほころばせていた――その直後、大きな蛾を目撃し、盛大な悲鳴を上げるのであった――
渡されたフキの傘を手に持ち、エミリオ・ヴィオーネ(
jb6195)はエルミナ・ヴィオーネ(
jb6174)に向き直る。
「なにかこう、別の生き物になった気持ちだな?」
「ああ、良いね。この傘。コロボックルになった気分も味わえるのだね」
コロボックル発言にエミリオが苦笑する。
「姉さんは人間界の本に影響されすぎだと思うな」
「何を言う。知識は大事だぞ?」
歩きだしながら、懇々と知識を得る事の大切さを説くエルミナ。知識を得る事は肯定するも、本からという点で反論を続けるエミリオ――何かに気付き、ふと姉のフキの傘を指さした。
「ん? なにか殻のついた軟体動物がくっついてるな?」
自分のフキを顔の前まで持ってくると、葉の上でゆっくりのったりと這う蝸牛を指さしエルミナは笑う。
「エミリオは蝸牛を見たことが無かったのかね? 図鑑に載っていたと思うが……人間界の書物は面白いよ。君も少し読書の幅を広げたまえ」
「蝸牛ねぇ……なんだかのんびりした動きの生き物だな」
そこは深く頷き、つつくと動きを止めるスローマイペースな生き物の辿った道に視線を落す。
「人間界の生き物は面白いものだな。こんなに小さいのにゆったりと動いている。我々もこのようにのんびりと急くことなく生きたいものだ」
姉の関心がその生き方に向いているというのに、エミリオは(食べられるんだっけ?)と首を捻るばかり。
そこに「あれ、エルミナさん達も」という言葉が耳に届き、後ろを向くのだった。
「あや、やっぱ降ってきた――この時期よく降るよね」
泣き出した空を見上げるレイラ・アスカロノフ(
ja8389)が、役員からフキの傘を渡されて目を丸くする。
「って、いい傘だね。コレ」
それには霧島イザヤ(
jb5262)も頷き、見上げ「いいですね、これ。童心に帰る気持ちです」と喜びを露わにしていた。
「あははは、これおっきい! ちょっと記念撮影しておこっか」
役員に頼み、レイラとイザヤはとても大きなフキの下で肩を並べ、記念撮影。
それからフキの傘を並べ林道を歩くと静かで、他にも参加者がいるはずだが出発に時間差もある為か、まるで自分達だけがこの場に居るような錯覚にとらわれていた。
だがそんな感覚も、イザヤは嫌いじゃない。
「なんだか落ち着きますね。世界が少しだけ閉じている感じで」
「てゆーか、なんで敬語? ほかの子にはタメ口してなかったっけ?」
顔を覗き込むレイラ。覗き込まれたイザヤは「うわっ」と驚き、一歩引く。
「年配の人には丁寧語使いますよ、一応は。レイラさん同い年みたいな姿ですけど、大学生でしょ!?」
レイラの耳がぴくりと動き、「ほほぅ」と菩薩のような笑みを浮かべた。ただし、口元がやや引きつっていて、威圧感をかもし出している。
「女に年上とかこらぁぁ」
「すみませんっ」
叱られた犬のような表情を浮かべるイザヤ。言うほど怒ってはいないレイラが肩をすくめ、その様子に今度は普通の笑みを浮かべる。
レイラの顔色をうかがうイザヤだが、前で立ち止まっている男女の顔に見覚えがあると気付いた。
「あれ、エルミナさん達も」
イザヤの声が聞こえたのか、エルミナ達は嬉しそうに片手を上げ、待ってくれる。
「イザヤ殿達も来ていたのだね」
「……うーん。最初から一緒に来ればよかったですね」
「でも2人で歩けたのは、とっても楽しかったよ」
レイラの屈託ない笑顔に、イザヤも「そうですね」とつられて笑みを浮かべるのであった。
そんな4人の所に、激しい足音を立てながら腕をぶんぶん振ってやってくる人物の姿が――
参加している人達を見回し、冷や汗をかきながらラウール・ペンドルミン(
jb3166)が悪態をつく。
「くっそ。他の連中、申し込みに間に合わなかったんだな……」
「タイミング合わなかったから、しょーがないよ。また遊びに来ればいいんだよ!」
そう言いながら、ファラ・エルフィリア(
jb3154)がフキの葉を見て「うおお、この葉っぱでけぇ……」と、驚愕していた。
仕方ないというのは、ラウールも重々承知している。だが目の前の暴走車両を前に、一抹の不安をぬぐいきれない。
ファラの両肩を掴み、かなり真剣な表情を向ける。
「いいか、ファラ。俺1人でお前の暴走止めるの無理だから、今日はのんびりするんだぞ?」
「ラウの中であたしの分類って、そういうの?」
「……いやだってお前、わりといつも全力じゃねえか」
「そう言うのならば、お応えするのが礼儀ってもんだよね!」
言うが早いか、フキの傘を手に全力で走り出すファラ。
完全に油断していたラウールは出遅れ、追かけるも一向に距離が縮まらない。それどころか、徐々に離されてさえいる。
(止められねぇ……!)
そう思った矢先、ファラがぶんぶんと腕を振って速度を緩やかに落す。
「おっイザヤんも来てる、おっすおっす!」
希望を見つけたラウールがほっとして、ファラといるイザヤ達に手をあげる。
「よう! お前達も来てたのか」
エミリオ達の姿にも気づき、よしよしと内心で安堵するラウール。だがエミリオに「ラウールさん達はデート?」と言われ、軽く咳き込んでしまった。
「デートじゃないよー。ラウはおにーちゃん枠だもん」
「せっかくだからのんびりしたウォーキングもいいんじゃねえかってことで、参加したんだ」
「ミーナとリオも仲いいよね!」
エルミナとエミリオは顔を合わせ、「ああ」「ふむ」と納得する。
ラウールも大きく何度も頷き、イザヤとレイラに矛先を向けた。
「それならイザヤ達の方が、それっぽいだろ」
「レイラさん達だと歳の事もあって、保護者かなと」
エミリオが言うと、みんなが頷く。
無論、レイラは怖い笑顔を浮かべていた。
「たしかにあたしだけ大学だけど、歳はそんなに変わんないからね!?」
そう言っても「またまた〜」とかいろいろ言われ、皆が笑顔を作り、珍しくエミリオとエルミナも、口元をほころばせていた。
短くため息をつき肩をすくめ、笑う皆を次々撮影するレイラ。
「学生っぽいかんじがするね。こういうのって」
そしてふと、悪魔が2人に天使が2――いや3人で、自分だけが人間なんだと気づいた。
人間とカウントしてしまいそうになるが、イザヤも天使の分類なんだなと、まじまじ顔を眺める。
「イザヤ、天使のわりにはそれっぽくないよね。あたし最初ずっと人間だと思ってた」
「自分の種族が天使だって知ったの最近ですよ。ずっと人間だと思いこんでたから……神父だった親父も、何も言ってくれなかったんですよね」
(まぁ別に今は種族云々、気にしてないけど)
「ちっちゃい頃って、お父さんお母さんに教えられたものの方が世界の全てだよね。
今みたいに天魔の受け入れが整ってない時期だろうから、お父さん達も隠したかったのかもしれないね」
レイラの言葉に「そうですかね」と、首を傾ける。
「そっかイザヤん、天使なの隠されてたのかー……おとーさん達も心配だったんだろうね。
状況不確かだったし、天魔の受け入れが始まったのってここ数年のことだしさ」
そして急に、しょんぼりとするファラ。
「あたしもまさか、はぐれてこれるとは思わなかったもんなぁ……」
(魔界にいる友達元気かな……戦場では会いたくないな……)
元気一番のファラがしんみりしてしまうと、こんなに雨音が聞こえるのかと思うほど静かになってしまう。
そんなしんみりとしてしまったファラの肩に、エルミナがポンと手を置いた。
「あまり溜め込まないようにするといい。君は変なところで我慢する癖があるから」
「……大丈夫じょぶ! いつものあたしだよ! さーのんびり急いでゴールに向かおう! 豚汁があたし達を待ってるのだー!」
駆け出そうとするファラを、今度こそ止める事に成功したラウールであった。
カラビナに麦茶の水筒をぶら下げ、大きなフキの傘を手にしたジェラルド&ブラックパレード(
ja9284)は黒田 紫音(
jb0864)と共に急ぐ事もなく、のんびり散策していた。
「ほらほら、足元気を付けてね☆」
「大丈夫、山育ちで慣れてるから――あ、蛙〜♪」
蛙に気を取られ言われた傍から転びそうになるも、ジェラルドがふんわりと背中を押して何事もなかったように立たせる。そんなジェラルドに、紫音は目を輝かせ「さすがパパ!」と全力で抱きつくのだった。
薄く目を開け、目に飛び込んできた花に指を向ける。
「あれはツツジ? サツキとどう違うんだっけ?」
「サツキはツツジの一種だよ☆
あそこにあるのはイソツツジかな。あと、あれがルピナスだね☆」
指をさして次々と花の説明をするジェラルドに、紫音はただただ「さすが!」を繰り返すばかりであった。
「ん、この季節は生命を感じる植物が多くて良いねぇ♪ そろそろおやつ、食べるかい?☆』
ぽんと腰の水筒を叩くと、紫音が何度も頷き、手を前に出してくる。
穏やかな笑みを浮かべ、ジェラルドはその手に高級チョコを乗せ、そして水筒の麦茶も蓋に注いで渡した。そして自分もひとかけ口に含み、十分に甘さを堪能してから麦茶を直飲みする。
(うん、紫音は楽しんでいるみたいだね☆)
頬張る紫音を眺めながら、もう一口――と思ったが、思ったより飲み過ぎたらしく、もうほとんどない。
その時、かさりと草木を踏む音でジェラルドは人の気配に気づいた。
「あ……こんにちは」
「やあ☆」
少し距離を取りながらも沙 月子(
ja1773)が頭を下げると、ジェラルドが手で会釈すると一呼吸遅れて、紫音も「こんにちわっ」と挨拶をする。
逆さにした水筒を目にした月子が、後ろへ向けてさし示した。
「……入口の案内板を見たうえでさっき確認したのですが、地元民も汲みに来る湧水が少し戻ったところの道の脇に流れてますよ」
「へぇ、それはありがたいね♪ ゴールでコーヒーを入れようと思っていたんだ☆
1人なら、ボクらと一緒に歩くかい?」
ジェラルドの誘いに、静かに首を横に振る。
「いえ……邪魔になるのも悪いので」
「邪魔じ――!」
「うん、それならボクらは行くよ。ありがとね♪」
紫音の背中を押して、その場を後にするジェラルド。月子が1人で歩きたい気配を、察したからだ。
そんな大人の気遣いに感謝しながら、月子は前を向き直ってまた、歩き出す。
(気が付いたら1年過ぎてたなあ……)
思い出す事は多々ある。
今は1つ1つ、それを思い出しながら歩いて行こう――そう、月子は決めて、歩き続けるのだった。
それほど急いだわけではないのに、少し呼吸が乱れ、じんわりと汗をかく神谷 託人(
jb5589)。
(やっぱり、もう少し体を鍛えた方が良いのかな)
頬に伝う汗を、人差し指で弾く様に拭う。
「大丈夫、か?」
荷物を肩にしょった音羽 聖歌(
jb5486)が心配そうに顔を覗き込むと、「大丈夫」と笑みで返してくる。
『これくらいなら気軽に参加出来ないか? 北海道だし雨天でも10キロだし』
そう言ってインドア派な託人を誘ったのだが、少し悪かったかなとも思えてしまう。それでもやはり、こうして2人で歩きたかった。
(去年みたいに『2人以上』だったら、もっと強引に誘ってただろうしね……)
保冷バックから冷えたタオルと、飲み物を出して託人へと渡す。
「ありがとう――あ」
微笑んだ託人が、横を駆け足で通り過ぎた雨合羽の少年の横顔に、思わず声を出してしまった。
それに驚いた少年が振り返り、2人の顔を見るなりまずいという顔をする、
「聖兄、託人? ……わ、わーっ、あのね……!」
「いや、言い訳はいいよ。お前はこういうの、参加したがる方だし――まぁ自分の事だしな」
黙って参加した事が別に悪いとは思っていない――これは本心だ。ただそんな事よりも、危惧していることがある。
そしてその危惧は、半ば予想通りに現実となる。
「一緒に歩かない?」
やはりなと、予想していたとはいえ聖歌は思わず眉間に皺を寄せてしまった。
不機嫌そうな顔をする2番目の兄と、ほわほわした従兄の顔を見比べ、千速は悩んでしまう。
(託人……断ったら絶対に悲しそうな顔になるよね)
「ダメかな、聖歌」
「……いや、構わない」
渋々といった顔だが、なんだかんだと面倒見がいいので仕方がない。
3人で歩き始め、さほど進まぬうちに託人を見上げた千速が1つの提案をする。
「聖兄、託人の荷物持ってあげたら? そのかわり、託人があそこのでっかいフキをさして一緒に入るとかさ」
「え、そんな、悪いよ」
「いや、俺は全然かまわない。余裕のある者が手助けをするのは当然だからな」
託人からやや強引に荷物を奪い取りしょうと、託人は「お言葉に甘えて」と、道端の大きなラワンブキを1つ採って2人の上に差す。
広くはあるが、強度的に端の方は全然足りないので、自然と中心に、2人、肩を寄せ合う事となる。
歓喜で叫びたくなるのを、ぐっと堪える聖歌。
「荷物は俺が持っててやるから、歩ききる事だけを考えろよ」
「うん、ありがとう」
感謝と、嬉しさと、ほんの少しの戸惑いを込め、屈託なく柔らかな笑みを託人が聖歌に向ける。
自分のペースで歩きながら傘をくるくると回す。
「バス停で待っているっていうのも有名だけど、どちらかというとコロボックルのお話思い出したかな」
「蕗の下の小人、だっけ」
聖歌はすぐ分かったようだが、千速は「?」と首を傾げ、自分で用意した紅茶を一口。
託人も自分のを一口含み、そのペットボトルを聖歌の口に付けて一口飲ませる。
ずいぶん嬉しそうな顔をする聖歌の顔を見上げ、託人は「誘ってくれてありがとう」と述べるのであった――
(ふむ、ちょうどいいペースだ。これならきっちり昼には着くだろう)
時計をチェックし、ほぼ一定のペースで歩き続ける只野黒子(
ja0049)。事細かに緻密な計算をしてしまうのはほとんど癖だった。
だが今日はそんな事、忘れる――事は出来ないが、最小限にして、全力で息抜きをしよう――そう思っていた。
(最近、多忙続きだったのだし、今日くらいは堪能しよう。どうせ数日すれば東北や静岡でまた、忙しくなるのが目に見えているのだし)
大きく息を吸って、新緑と雨の匂いを身体に蓄える。
ここには殺意も、血の臭いもない。それに何かを考える必要もない。ただただひたすら、束の間の平穏を噛みしめ、自然が作り出す音と風景を楽しむだけで十分なのだ。
(案内図によれば、この道を少し逸れれば川があり、その川なりに進んでもゴールへの到達距離は変わらないはずだな)
――と。
「歌……?」
「――Come again――……♪」
その歌声というか、声には覚えがあった。
「あ、黒子ちゃんや。先日? は色々お世話になりまして」
歌を止めた亀山 淳紅(
ja2261)が、ぺこりと頭を下げる。
「ああいえ。一緒の依頼に参加した仲間である以上、当然の責務を果たしただけです」
そんな事を一言二言かわし、黒子は林の中へと消えていくのであった。
1人残った淳紅はてを振り、フキを掲げ欠伸しながらも再び歩き出した。
「やー……盛大なぼっちやな!」
1人でいる寂しさを紛らわすために歌おうとしたが――途端に世界が歪んで見える。
雨が赤く見え、靴で踏むたびにまとわりつく飛沫から、生臭さを感じる。動物の声が人の声に聴こえてしまう。
(せめて歌ってくれれば、こう、もやーな気分にならんでええのになぁ)
歌どころか、悲鳴にさえ聴こえてしまう。耳を塞いでも、かわりはしない。
(普通に生活しとるけど、これ、結構ヤバいんやろうなー……)
大きくため息をつき、水溜りも気にせず、生きた屍のように全く活力というものを感じさせずに、歩き続ける。
少し早いが薬を水で流しこみ、痛む頭と胸のあたりを押さえつけて立ち止まる。
「あぁ……誰かと歌いたいな――」
「雨は嫌いじゃないが、泥濘は靴が汚れてな」
「そっかー……ごめんね」
江戸川 騎士(
jb5439)が靴を気にする様に津崎海が謝るも、その髪をわしわしと撫でる。
「気にすんな。ゴールで豚汁が待っていると思えば、気分も少しは晴れるってもんだ。
――ところで8月の曲は、ケルト風と聞いてる。とはいえ、アイルランドやスコットランドからブルターニュ、ポルトガル迄のざっくりすぎるジャンルだが、お前はイメージできるのか?」
地名すらもイメージできていない海が首を横に振ると、騎士が手でリズムを取りながら歌を口ずさむ。
それに合わせ、手でリズムを重ねる海にニッと笑う。
「しかし、こうやって会うのも後2回位だな。お前ももう時期、高校生だ――気持ちに素直なのはお前の良い所だが、あんまり修平や周りを困らせるなよ?」
「え? 終わったらもう会えないの?」
もっともな事を返されるが、それでも騎士は「さてね」と、とぼけてみせる。
「あとは気分次第なんじゃねぇかな。とにかくよ、演奏会までしっかり練習していこうぜ」
(理子も来てるんだろうが――ま、今更言う事はねえな。演奏会さえ中止になんなきゃな)
自分の左肩が濡れるのも構わず、1つのフキの下で矢代理子と肩を並べて君田 夢野(
ja0561)が黙々と歩く。
せっかくこうやって歩くのだから、話したい事はある――が、気まずかったりする。
初めての相合傘だからというのもあるのだが、つい先日、誤魔化したつもりが見事に怪我しているのを気づかれた事、彼女と母親の事情、寿命の違いなどなどで、頭の中がいっぱいだった。
「センセイ……どうかしました?」
「あぁ、うん――こないだの怪我の事、正直すまんかった。
だけど、俺は撃退士だから。何かを守る為に、その代償に俺は無数の瑕疵からは逃げられないんだよ」
言い回しに理子は最初わからないでいたが、内容を理解したのか、今にも泣きそうな顔を浮かべる。
だがその顔を真っ直ぐに見つめ返し、夢野は力強く宣言した。
「大丈夫、俺は死なない。守る“何か”には理子さんも含まれてるからな」
場を重くするつもりはなかったが、それでもやはり、重くなってしまった感がある。
ただそこに「あっるこーう、あるっこーう♪」と、ずいぶん明るい歌声が響く。
「みゅ! 矢代ちゃんこんにちは! よければ一緒に入らない?」
ユリア・スズノミヤ(
ja9826)に誘われ、理子が夢野を見た。
夢野は少し惜しくは感じるものの、ゆっくり頷くと理子がユリアのフキ傘に移動し、場の空気が和んだ事に夢野は胸をなでおろす。
(惜しくはあるが、あのまま2人だと気まずいからな)
「矢代ちゃん細いねー。ちゃんとご飯食べてる?
みゅ、蛙さんだー。アノ先生のお土産にしたら、どんな顔するかな……えへ」
自由奔放に振る舞うユリアに、場はずいぶん和んでいく。
「情緒溢れる所だね。ちっちゃいモフモフとおっきなモフモフ、居ないかなー。
ドングリどこかにないかな。モフモフが落としてたりして」
「あんな感じですか?」
理子の指示した先で、リスがドングリを手にしてこちらの様子を伺っていた。
それにユリアが黙っているはずもなく「モフモッフー!」と追いつくはずもないが追いかけ、それに振り回される理子。
だがそれでも沈んだ空気よりはましかと、夢野は小さく笑うのだった。
紅の着物に紺の袴姿。
そんな出で立ちでフキを手に、林道を彷徨う様に歩く花雛(
jc0336)。
「林道散策……雨の中なんて素敵だわ」
木々や葉を打つ雨の音を辿り、道から外れているのにも気づかずに花雛は雨の世界を堪能していた。
するとやがて、自分よりはるかに高いフキ達が立ち塞がる。
「あら……道がなくなってしまったの? ふふ、通せんぼするなんて意地悪なコ達ね」
フキの傘はその場に置き、フキの林へと足を踏み込む。
すぐ上で奏でられる、大きな雨のノック。雨は葉を伝い、茎に小さな川を生み出す。
その雨音が徐々に弱まり、葉の間から陽光が差し込んできた。
「ふふ、大人では見えない景色だね」
茎の水滴が虹色に輝き、見上げれば葉が透けて葉脈の迷路が楽しめる。数を数えるのもまた、楽しい。
そんな世界に、花雛は1人でゆっくりと歩き続ける――
(また、この季節がやって来たんだな。誰かと示し合わせたわけじゃなく、1人で参加なのも去年と一緒か)
のんびりと1人で歩く黄昏ひりょ(
jb3452)だが、雲の切れ間から覗く太陽の陽光に目を細め立ち止まる。
去年を思いだし、顔がほころんだ――のも束の間、すぐに影が差す。
(この1年、あっという間だった。どちらかというと辛い、悲しい事が多かったな……)
「あまり物思いに耽ってるとまずいな。それにこのまま1人でいると迷いそうだ」
頭を振って余計な事は振り払い、修平の姿を探して歩き続けた。
すると脇の道なきところから、花雛が姿を現す。
「あれ、こんにちは」
「ふふ、こんにちはね」
短い挨拶、それと他愛のない話をかわすと、2人は一緒になって歩き出す。
どちらも1人でいると道に迷いそうだ、そんな理由で。
だがすぐに修平の姿を見つけ、ひりょは名を呼ぶのだった。
「これもまた人の文化……風情という奴か。リハビリにもちょうど良さそうだ」
晴れ間の下、さらに静けさを増した林道でアルジェ(
jb3603)はフキの傘を下ろすと、葉に溜まっていた露が服にかかる。
その横にいた修平が思わず「大丈夫?」と、声をかけた。
「ん? ああ、この服はちゃんと防水加工してあるから濡れないぞ。
……そうかしまった、こういう時は白シャツにするべきだった。すまない、この服では下着が透けない」
「そこはわざわざ狙わなくていいから! 服もそうだけど、傷に障るかなって」
「傷は大丈夫だ、それより修平の信頼を失う方が怖い」
アルジェが預かり物をしまっている胸元に手を当てると、修平は頭を振る。
「それは心配しなくても大丈夫だから、身体を大事にしてよ」
「中本君」
菜緒を呼ばれ、ふり返った先にひりょと花雛が。
去年ぶりの顔に、無事だった安堵も含めた笑みを修平は浮かべる。
「お久しぶりです」
「うん、お久しぶり――邪魔になっちゃうかな?」
「大丈夫ですよ――ねえ?」
修平がアルジェに同意を求めると、「そうだな」とすんなりと頷く。
そして4人は、決して急ぐわけでもなく、お互いのペースに合わせながらも自分のペースで静かに歩き続ける。
これからこの先も、こんな時間があるようにと願いながら。
「んー! 美味しいんだよー! ……どんぶりご飯欲しいんだね」
小さな身体に見合わず、即座に豚汁を完食してしまった縁が物足りなさそうな顔をする。
「全く、しょうがないな。ほら……」
恭弥が箸に具を乗せ向けると、嬉しそうに口を開けて頬張る。そんな縁の前に、紫音が「どうぞっ」と醤油や味噌の焼きおにぎりを置いていった。
そして自分も、持参してきたウィンナーとおにぎりを幸せそうに食べる。
「動いた後のご飯はおいしー♪」
「ん、ホント、上手になったねぇ♪」
紫音の焼きおにぎりを口に、パーコレーターへ自家焙煎の珈琲を入れるのだった。
出された珈琲に、黒子は礼を言い飲むも、一緒に居た淳紅は珈琲を前に難しい顔をしていた。
一角では友里恵が鹿肉を焼いていたり、トドカレーなんかを作ってはいるものの、その独特過ぎる匂いはなかなか厳しいものがあった(ただしカレー好きは除く)。
「……なんで人間界はこんなに美味しいものが多いんだろうか……こういう日々が続くといいのにな」
夢中で食べる姉の横で、悩むエミリオ。
そして悩むというか、思わしくない顔のファラの前に、ラウールが並々とした豚汁を置いた。
「お前はさ、全力で遊んでる時みたいにオープンでいろよ。悩みなんてかかえてたって、いいことなんてないぜ」
「……ありがと!」
感謝の印に、ラウールの腹へパンチ! というファラだった。
ぽかぽか生姜がおいしいと喜ぶユリアの横で、理子も笑顔でいると――その後ろに白くも黒い影。
「実は私、ずっと前から……気になります!」
友里恵が理子とアルジェのスカートを全力で捲ると、夢野と修平が硬直してどんぶりを落す。
2人の様子に首を傾げたひりょだが、落してしまったせいかなと2人の分を取りに向かい、長い長い雨の後に見せた晴れ間を見あげた。
「この先もまた、こうであって欲しいな」
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