●バスターミナルにて
白萩 優一の提案で、早朝のバスターミナルに集合となった。
「巧まざる優しさ、だっけ? 鈴蘭の花言葉」
バスの待ち時間、ふと新井司(
ja6034)が誰に語りかけるわけでもないが、そんな事を言った。
「知らない、な」
コピーした地図という名のメモ書きを眺めていたアスハ・ロットハール(
ja8432)が顔をあげ、率直に答える。
「鈴蘭の花言葉は純潔や純愛、幸福の訪れとか色々っす!」
くるくると回るように踊っていたニオ・ハスラー(
ja9093)が踊りながら答えると、紅織 史(
jb5575)と話していた里条 楓奈(
jb4066)が司に顔を向けた。
「そうだな。正確にはそれはドイツスズランの花言葉と呼ぶべきかもしれんが、間違いはない」
「詳しいね、楓」
「昨日調べただけだ。適切な運搬方法などを調べるついでにな」
微笑を浮かべた史に顔を覗き込まれ、つい顔をそらして何かを誤魔化すように煙草を口に咥え、火をつける。
それが照れ隠しをしているという事を中学からの付き合いで史は知っていたので、唇の端を大きく吊り上げるのであった。
「そっか」
頷いた司は紙パックのトマトジュースをすすり、周 愛奈(
ja9363)と話している優一に目を向ける。
(英雄のヒントになったりするだろうか)
「……とってもロマンティックなお話なの」
さらに細かい経緯を聞いていた愛奈が握り拳を作り、爛々と目を輝かせていた。
「ロマンティックなのかはよくわからないけど……まあ、大事な約束だよね。
と言っても、彼女が覚えてるかもわからない自己満足な約束かもしれないけど、それでもちゃんとしておきたいから」
少しだけ寂しそうに微笑むと、優一はちびりと缶コーヒーを一口。
「優一兄様の望みを叶える為に愛ちゃん、頑張るの」
「白萩さんは彼女さんの事が好きだったんすね!」
ニオの言葉で盛大に吹き出す――事こそなかったが、器官に入ったらしく、むせかえっていた。
「はつこいっす?」
下から覗き込むようにしながら首傾げるニオに咳き込みながら手を開いて突きだし、落ち着いたところでやっと口を開いた。
「ま、まあそういうものかな。誰も口にはしなかったけど、きっとみんながそうだった。
今はもうそうでもない、ときっぱり言えるのもたぶんいない――それほどに僕らは、強烈に彼女が好きだった」
空き缶を握りつぶした優一の独白を、皆は黙って聞いている。
「だからこそ、僕は彼女の幸せを心より願うよ。1人の友人としてね」
(古い友人の祝いの為にとはな。なかなか好青年ではないか)
楓奈が吸い殻を捨てると、ちょうどバスがやって来た。
ポケットにコピーしたメモ書きをねじ込み、アスハが動き出す。
「行く、か」
●原生花園へ降り立つ
「すずらん〜♪ すずらん〜♪ どこっすか〜?」
バスから真っ先にニオが降り、両手を広げあたりをぐるりと見回す。
見事なほどに森と草原しかなく、まさしく何もない。
「現在地はここになる、と」
「方角は向こうが北だね」
地図を広げたアスハが現在地を記し、風向きや太陽の位置からもっと正確な位置と方角を割り出す史。
「えっとー『窓のない暗いバス停』が『あんこくのいえ』としたら、ここのことなの」
降り立ってすぐ目の前にある暗いバス停を覗き込み、愛奈はそのすぐ横に目を向けた。
出口と書いてある看板と共に、真っ直ぐに伸びるスノコの一本道。それが目に付く。
「ここをまっすぐなの!」
迷う事無く愛奈は逆走にはなるが、出口からスノコの道へと突撃していった。
「1本線、というのが気になってはいた、が……なるほど、な」
走っていく愛奈の後姿を眺めながら、アスハがメモ書きをかざして照らし合わせる。
「道だと思うっす! 1本道っす!」
「そうなんでしょうね。ここに沿って一直線に進み、十字路を右へ行くと」
体に虫除けスプレーをかけていた司が、ついでにニオやアスハにも吹きかける。
「ということなのだろう、な。行こう、か」
司とニオとアスハも、愛奈と同じように出口からスノコの道を歩き出す――ところで、アスハが一度足を止め、優一に向き直る。
「シラハギ、キミも付いて来てくれ」
「ああ、わかったよ」
アスハに誘われ、優一はゆっくりと動き始めた。
2人残った楓奈と史は顔を見合わせる。
「では私達も行くか、アヤ」
「うん、そうだね」
どちらともなく微笑むと、2人は肩を並べ、歩き出すのであった。
前の方から流れる「鹿さんの足跡がついてるっす!」というニアの声を聞きながら、図鑑を片手に歩いている史は目についた草花を解説していた。
「これがミズバショウにザゼンソウ。あれはニリンソウか。ここら辺は湿地に近いのに、向こうからはやや乾燥気味で色んな草花があるんだね」
「なるほどな」
(鈴蘭の探索が優先ではあるが、筆竜胆も見つけたいところだ)
ちらりと史を盗み見るが、ニコリと返されてしまう。
(楓は何の花を探しているのかな)
探している事は教えられていないが、聞かなくともそれくらいの事は理解していた。それほどに2人の関係は深い物である。
「と、ここがスノコ400枚目くらいだね」
「そうなると、ここらへんに獣道と交差する十字路があるのか」
周囲を見ると確かにすぐ近くには見事な獣道ができていた。真新しい踏み痕もあることから、皆もここを曲がったのだとわかる。
「さて、ここまではまだわかりやすいのですが、この後ですね」
最初に廃屋へとたどり着いた愛奈は、首を傾げていた。
「ここがまおうじょうとしてー……?」
どこかに触る所があり、そこから左に伸びる道がある――そう思っていたのだが、家の周囲をぐるりと回ってみても、道らしい道は今来た獣道くらいで、戻るか直進しかない。
廃屋に触れれるところも、手を伸ばせばどこからでも十分に触れてしまう。
しばし考えたのちに、道の様に感じる所を歩くのであった。
「これがまおうじょう、か?」
獣道を進み、廃墟にたどり着いたアスハがポツリと呟く。
「そうでしょうね……でも門のようなものとかないわ」
「少し探ってみるしかないっすね!」
ニオが駆け出すと、それにつられ司と優一も動き出す。
そんな中、アスハ1人は地図に道と場所を記し、地形と現在地を照らし合わせていた。
そしてふと優一の後姿を、眩しそうに目を細めて眺める。
「数年来の約束、か……そういう仲間がいるのは、羨ましいもの、だな」
その声が聞こえていたのか、司も口を開いていた。
「約束は、毒のようなものよね。誓えばそれを護らなければならない。護らなければ何かを裏切ることになる。
それは自分自身を蝕む毒になってしまうのだと、私は思うかな」
「毒、ですか」
「そう――でも、それ以上に約束って、綺麗なのよね。丁度、鈴蘭みたいなものじゃないかしら。綺麗だけれど毒がある」
司はしゃがみ、鈴蘭ではないが近くの花に触れ、揺らした。
しばし2人の間には風の音のみが響く。
「それでもまた、甘んじて毒を受けてしまうんでしょうね。それが僕です」
風の音に負けないようはっきりとそう告げると、司はすっくと立ち上がり、優一をまっすぐに見た。
「それがいつか重荷になるとしても、約束が出来る人はきっと、貴いのでしょうね。巧まざる優しさ、約束ってきっとそういう物で出来ているのだと思うわ」
「ですかね?」
「ええ、きっと」
もしかするとそれは英雄につながるのかもしれない、そう独り言のように小声で続けたが、優一が首を捻ったので「なんでもない」と探索に戻るのであった。
それから周囲を探りアスハの元に戻ってみると、遠くを見るように手をかざし、道のない先を眺めていた。
「地図であたりをつけると……写真のような崖と平地、それに川があるのは向こうくらいなんだ、が」
「門がないからどこから左なのかとも思ってはいたのだけども、地形的に向こうしかないなら向こうに行くべきでしょうね」
「賛成っす!」
明確な答えが見つけ出せなかったので、とりあえず道らしい道はなくとも崖のあるであろう方向へ動き始めた。
ここへ来た事のあるはずの優一も、黙ってそれに従うのであった。
「数年ぶりの想い出の場所巡り、というのは、どんな気分なんだろう、か……?」
唐突にそんな事を口にし、自分に向けられたものかと気付いた優一が笑う。
「懐かしい、と言えるほどはっきり覚えていないんですけど、こうやって昔の風景が今もちゃんとあるっていうのは嬉しいかな。
天魔の影響で、故郷すら見るも無残なんて人も、きっと大勢いるでしょうしね。故郷どころか、家族さえもという人もね」
「そうだ、な」
優一の話を聞き、前髪で隠れた右目にそっと手を添えていた。
「そんな世界を守るのに必死だった強いのに弱い彼女――そんな彼女は、安心して幸せになってほしい」
「友の幸せを心から願えるのは……とても良いこと、だな」
「そうかな?」
「そうっす! 彼女さんがこれからもっと幸せになれるといいっすね! 幸福が訪れるように鈴蘭をプレゼントするといいっす!」
「その為に今から採りに行くんだけどね」
言われてから、それもそうっすねとニオが首を傾げると、穏やかな空気が彼らを包むのであった。
楓奈と史の2人も遅れて廃墟へと到着すると、真っ先に史が口を開いた。
「廃屋を正面から見て、ここから左に曲がろうか。ちょっと道はなさそうだけどね」
「なら少し待て。今ヒリュウで確認しよう」
小さく印を結び、空間からヒリュウを呼び出した楓奈は一息だけついてからヒリュウにキスをする。
「上から見てきてくれ」
優しく微笑みかけると頷いたヒリュウが空へと昇っていく。
「視覚、共有……ふむ、確かに向こうにはそれらしい岩もあるし、いくつか川もある。崖もあるようだな」
「地図と現在地と方角を照らし合わせてみても、向こうにあるだろうね。ここからまっすぐの所に岩はあるかい?」
「ああ、あるな」
「じゃあそこへ向かおうか」
ヒリュウを呼び戻し、再びキスをして労うと帰還させる。
そして動き出そうと横を向いた楓奈の目の前に、黒くて丸々太った8本足のアレが。
「ひぁぁぁぁぁっ!」
思わず叫んで史に抱きつき楓奈。顔をほころばせた史はソレを払いのけると、楓奈の耳元で「もう大丈夫」と安心させる。
「……すまない、恥ずかしい所を見せてしまったな」
「そんなのいまさら、だよ」
常に平静を保っている史が珍しく子供っぽい笑みを浮かべると、楓奈の手を取り2人して歩き出すのであった。
「ああ、これがおにぎりいわだね。そうなるとこの裏に――うん、やはり川があった」
明確に三角形の岩へと向かった史と楓奈の2人は史の予想通り、岩の後ろに流れる小さな小さな川を発見していた。
その川に沿って歩き始める。
わずかなせせらぎ、風が草花を揺らす音。それらを全身で感じ取りながら歩いていた史が口を開く。
「2人でこうして歩くのも良いものだね」
「ああ――む、あれは……」
しゃがんだ楓奈は花を手に取り、それを無言のまま史へと差し出した。
「これは……筆竜胆、だね」
「これをアヤに贈りたくてな」
その花言葉は本心ではあるのだが、そんなこと照れくさくて口には出せないでいた。
それでもわかったのか、史はありがとうと言って受け取ると再び手をつなぎ、歩き出す――と、それほど進まないうちに、それはあった。
「ああ、やはりありましたか」
史が屈み、1輪だけそれを手に取ると楓奈へと差し出すと、そっと微笑む。
「フランスでは女性から鈴蘭を渡すことは、特別な意味があるそうだよ?」
赤くなる楓奈に、史はますます顔をほころばせるのであった。
「……すてきなの! 愛ちゃん、ずっ〜とずっとこの綺麗な景色を忘れないの!」
連絡を受けてやってきた愛奈が鈴蘭の群生に感激しつつ、カメラに収めていた。ニオもデジカメに収めている。
史と楓奈は枯らしては申し訳ないと、小鉢に鈴蘭を移し替えていた。
そして同じく連絡を受けてやってきていたアスハが、ふと思いついてビデオカメラを取り出す。
「写真だけ、というのも味気ない、だろう? 数年ぶりの再会、というわけではない、が。約束の場所で、約束の花と共に、キミ自身の声で、言葉で、祝福を、想いを、告げると良い」
「う……少し恥ずかしくはあるけど、それはいいね。5年ぶりくらいになるし、伝えておきたい事もあるしね」
少し咳払いし、カメラの前に立った優一は、軽く自分の近況を離したのちに、ここがかつてみんなでやって来たところである事を伝える。
「ここで君とかわした約束は、まだ、覚えてる。だからこそ、僕は君に贈るよ。君の好きな鈴蘭をね」
その様子をうかがっていた司が腕を組んだまま、ポツリと漏らす。
「数年来の約束――いつかしてみたいものね。自分自身じゃなくて、誰かへの誓約。きっとそれは、綺麗だから」
「そうだ、な」
ビデオカメラを片づけると、アスハも花を移す作業を手伝いに行く。司も作業に参加しようとしたところ、その背中に優一が語りかけた。
「僕よりも、きっと彼女みたいな人が英雄になるんだと思うよ。参考になるかわからないけど、僕はそう感じたね」
少しの間、優一の言葉を反芻し――参考にするわと返して作業へ向うのであった。
小鉢は1つや2つではない。約束を交わした友人達、みんなの分を用意してはどうかという史の提案通りに、友人達の分だけ、持って帰る事にしたのだ。
「愛ちゃんも、いつかこんな素敵な約束を交わしてみたいの!」
そう目を輝かせる愛奈の写真を史は1枚。鈴蘭だけの写真も収めたが、今この場に居る皆の写真も次々に収めていた。
もちろん自分は楓奈と一緒の写真を撮ってもらい、撮影大会が始まるのであった。
「さーいい時間なので、お弁当っす! みんなの分あるっすよ!」
まさしく観光のノリで、優一の依頼は果たされる事となったのであった。
●その日の夜
現像を済ませた優一は、持ち帰ってきた鈴蘭は小鉢のまま段ボールに入れると、参加してくれた皆のと鈴蘭の写った写真を複数枚選び、ビデオテープも添えた。
ふたを閉じようとしてふと思い立ち、手を止めて皆の映っている写真を取り出すと、その裏にボールペンでこう書き記した。
『君の守りたかったものは僕らで守るよ』
そして再び写真を中へと戻すと、今回のきっかけとなった彼女の昔の写真もいれてしまうと、やや寂しげな微笑みを浮かべ、静かに閉じるのであった――
『【鈴蘭】届け誓いと思い出 終』