「ふむ。理子からの依頼という事か……」
理子から直接メールを貰ったアルジェ(
jb3603)がグラスを磨く手を止め、腕を組んだ。
その視線の先には、サックスがある。
「理子はセンセイに任せればいいな。ならアルは澄音と一緒に演るか」
携帯を手に取り、澄音へと連絡するのであった。
掲示板を見上げ、礼野 明日夢(
jb5590)はたたずんでいた。その目にはやや、憂いを帯びている。
その背中へ誰かが突き飛ばすような勢いで、覆いかぶさってきた。
「どうしたの、アシュ」
神谷 愛莉(
jb5345)が耳のすぐそばで問いかけ、明日夢の視線の先を追う。
「お父さんとお母さんに、送る歌……」
「これ、行かない?」
「うん、行きたい!」
考えるそぶりすら見せず、即答である。
だが――後を追ってやってきた、保護者である愛莉の兄と明日夢の姉達はそろいもそろって、「幾ら撃退士でも夜のイベントだから小学生2人で言っちゃ駄目」と、実に保護者らしい振る舞いだった。
食い下がる愛莉と明日夢。それを頑なに渋り続ける保護者の兄と姉達。
どちらの言い分も理解できるのか、そのどちらの言い分も聞いて忙しなく頭を動かしていた美森 あやか(
jb1451)が口を開いた。
「あたしと旦那様が、一緒に行くなら大丈夫でしょ?」
そしてちらりと、無意識かもしれないが、おねだりする様に上目づかいで美森仁也(
jb2552)を見上げる。すると募集を詳しく読んでいた仁也は微笑み、恭しく自分の胸の前に手を添え、小さく会釈した。
「それが望みなら喜んで。俺のお姫様」
まだ会場設営が始まったばかりという頃にアルジェはやって来て、自分達で使うテントを設営している傍ら、他にもレティシア・シャンテヒルト(
jb6767)や天草 園果(
jb9766)もやってきた。
楽しそうに丸太を運んできている人々をレティシアは眺め、興味深げに眼を細める。
(死せる者を賑やかに笑って送る――その発想、実に興味惹かれるものがあります)
虫よけスプレーを吹き付け、ゆったりと、設営している人たちの輪の中へと入っていく。鉈を手にし、その愛くるしい見た目のわりに薪を割る姿は、実に様になっていた。
そこへ、立ち尽くしてなかなか動かなかった園果が、おどおどしながらも近づいてくる。
「て、手伝いとか……してもよろしいですか?」
「ええ、ぜひにお願い致します。
私、中等部2年のレティシアと申します。どうかよろしくお願いいたしますね」
変化はややわかりにくいが、パッと顔を輝かせる園果も名乗り、頭を下げると、丸太を運びに行くのであった。
火が灯され緩やかに燃え始めるやぐらを前に、笑ったりじゃれあっている理子と澄音とアルジェの3人を、木に背を預け煙草を一本取るフリをしながら、遠巻きにバレル・B・ラウリィ(
jb2263)見ていた。
(割に合わない仕事だ……)
危険があるとも思えないが、半日以上にわたってそれとなく2人の護衛をする。報酬からすれば、そう思うのも仕方がない。
だがきっと性分なんだろうなと思いつつ、取り出しかけた煙草を戻す。
「子供のささやかな願いだ。無事に叶えてやっても、罰は当たらないよな……?」
誰に言い聞かせているのか。夜空にまだ1人寂しく浮かんでいる月を見上げながら、そう呟く。
意識が少しだけ逸れたが、黒いベールで顔を隠した人物が理子達に近づくのを察知し木から背を離したが、お互いの態度から顔見知りだと判断して、再び木によしかかるのだった。
質素で顔以外の肌を隠したゴシックな服の、黒いベールの人物――ケイ・リヒャルト(
ja0004)が理子達に微笑んだ。
「こんばんはケイさん……ケイさんも、なんですか?」
「そう、ね……偶にはあの人達を偲ぶのも、良いのかもしれない。それも、あたしの大切な歌……で」
ベールの奥でどんな表情をしているのか、わからない。
ただ天を仰ぐその姿に、まだ人生経験が少なく青臭い理子も澄音も、それ以上かける言葉がみつからなかった。アルジェも黙ったままである。
やがて、ケイは静かに歌いだす。
「The feature comes into eyelids
don’t need the way to trace this evening
shed it to be scattered in past days,and to be scattered
But a flower should bloom But a way should be done
You say……When I live」
その目は天で寂しそうにしている月から外す事無く、かつて生きていた人の事を思い出す。そして、死んでいったその日も。
(星の輝きになってくれているのなら、まだ……)
すがるような、希望。
それに応えるかのように、星の輝きがぽつんと見え始めた。
歌い終わった後、あれだけあった喧噪など嘘のように静まりかえり、薪の爆ぜる音のみがただただ、うるさい。
静まり返らせてしまったのが申し訳なさそうに、ケイは今の感情を引きずらず、努めて明るく振る舞った。
「着替えたら、少しおやつにしましょうか。アップルパイを焼いてきたのよ」
「失礼します。よろしかったら」
近くで聴いていたレティシアが、微かに蜂蜜の甘い匂いがするハーブティーを差し出した。
どうぞという言葉が足りなく、理子や澄音はどういう意味かと首をひねるのだが、差し出されたケイは察して、「ありがとう」と受け取る。
「よかったら、あなたもどうかしら? アップルパイがあるのよ」
「そうですね……お呼ばれさせていただいても、よろしいでしょうか?」
レティシアへケイは「ええ」と返し、お互いの自己紹介しながらもアルジェや理子達と共にテントへと向かうのであった。
(綺麗で、切ない声だったな)
幽樂 來鬼(
ja7445)がケイの背中を見送り、それから、すぐ目の前で燃え盛るやぐらの炎へと視線を戻す。パチンと爆ぜ、火の粉が天へと舞いあがるのを目で追っていく。
夜空を見上げ、今の寂しげな歌声に感化されたのか、両親の顔を思い浮かべた。
そう、自分が殺してしまった、両親の顔を。
「もう何年経ったんだろう……アウルに目覚めて、全部自分の手で消して今、なんだっけ……」
学園に来る前の事を思い出し、ぼぉっと忙しなく揺れている炎の先端を眺めていた。
思い出したのは、歌声だけのせいでもない。今目の前にある、この炎のせいでもあった。母を殺してしまい、そして家を燃やしてしまったあの光景を、炎が思い出させてくれる。
寂しげな表情を見せる來鬼。だがやがて、大事なモノがたくさんできたよと言う様に、『主人は冷たい土の中に』を口ずさみ始めていた。
最初は小さく、だがやがて大きな声で、歌っていた。その目から大粒の涙を流しながら。
(罪人でも――今日くらいは……強くならなくても、いいよね)
身が引き裂かれそうな感覚に、気づけば自分を強く抱きしめ、堪える事無く涙を流したまま、言葉にならなくても歌い続けた。
届けたいのは歌声そのものではなく、想いだから。
少し遅くなったかと歩いていた君田 夢野(
ja0561)が、遠くから聞こえる辛さがよく伝わる声に当てられてか、様々な事を思い出していた。
顔も忘れた故郷の父と母。出会う間もなく病に伏せた義母。自分達の代わりに京都で斃れた副会長。あの時救えなかった、誰か。
「……随分、死んだな」
誰もが、死ぬつもりなど無かったろう。その誰もが、まだある道の途中で死んでいった――そんな人達を想い、歩きながらも口ずさむように歌っていた。
死んでいった人々の為に。決して忘れないという誓いの為に。その分だけ、もっと多くの人を護る為に。
向こうの世界へと引っ張られていたが、理子達の声を聞き、ふと我に返り頭を振った。
「――なんて、辛気臭い事考えるの、やっぱ性に合わんな。うん」
アルジェのサックスに合わせて、明るい澄音の歌声。それに混じって理子の歌も聞こえ、その声にフラフラと引き寄せられ顔を出すと、理子の顔がパッと輝いた。
小さく手をあげ「やあ」と一言挨拶し、それからふと思いついた事を問いかけた。
「君は誰の為に歌ってるんだ? やっぱり、お母さんか?」
「えっと、お母さんももちろんなんですけど……無事でいてほしいなって――」
顔を俯かせる理子が、ちらりと夢野を盗み見る。
その態度で誰の無事をなのか、その場にいた誰もが理解できた。自然と着替えも終わっているケイがそっと離れ、アルジェは澄音とレティシアを連れてどこかへと行ってしまう。
残された理子は「アップルパイ、ありますよ」と照れを誤魔化す様に、そそくさとテントへ向かって行く。
その後ろ姿に、写真でしか見た事はないが天使の翼を持つ理子の母親を重ね合わせる夢野。
(そういえば……理子さんの母親は天使だっけか。理子さんは知らないのだろうか……)
尋ねたい誘惑に駆られたが、頭を振って追い払った。
(いや、知らないとて教えるべきは俺じゃない)
「ま、彼女が天使でも悪魔でも人間でも半分でも、関係ないな」
そしてゆっくりと、理子の歩いた道を、ついて歩くのであった。
「こっちは夜涼しいねー」
愛莉の言葉に「うん」と、明日夢が頷く。
(というよりもっと夜遅くなれば寒いかも……)
時折吹く風の冷たさに、明日夢が腕をさする――と、あやかが制服のジャケットを肩にかけてくれた。さらには温かいお茶まで。
「美森さん、ありがとうございます」
明日夢のお礼を連れて来てもらった事に対してと思ったのか、愛莉もあやかへ「あやかさん、ありがとーございます」と礼を述べるのだった。
「お礼なら、旦那様に言ってあげてね。ついて来てくれたんだから」
クスリと笑い仁也を見あげると、仁也も笑って返す。
ただ穏やかな表情の仁也だが、実のところ(最近のイベントは騒がしいという事だし、妻と子供だけで行かせられるか!)などとあの時、思っていたのだった。
そんな様子はおくびも見せず、炎が立ち昇るやぐらへ駆け出す幼い2人と、それを追いかけるあやかへ目を細めて後を追うのだった。
「何歌おうか?」
「お母さん達に『エリたちは元気ですよー』って、お知らせできる歌が良いよね」
手を広げ、まっすぐ上に伸ばす愛莉を見て、明日夢がピンときた。
「じゃあ、手のひらを太陽ににしようか――でも、歌だけだとちょっと寂しいかな」
「うん、ちょっとさみしいね」
そんな2人の肩が、硬い物でトントンと叩かれる。
振り返る2人を前に、あやかが得意げな顔で「これなーんだ?」とアルトリコーダーを見せると、2人はそろって目を丸くし、手を叩いてあやかに抱きつく。
そして2人はあやかのリコーダーに合わせ、太陽はないけど手のひらを天に向けて、元気よ届けと言わんばかりに大きく元気な声で歌うのであった。
そんな折、「おうた〜♪ おうた〜♪」と能天気な声が聞こえてくる。
「はしゃぎすぎですねぃ、キョーカ」
ぴょこぴょこスキップで先行くキョウカ(
jb8351)を、頭の後ろで手を組みながらも足早に追かける紫苑(
jb8416)がやってきた。
「ドウメキのにーちゃんはやくーはやくー」
百目鬼 揺籠(
jb8361)の腕を引っ張っていた天駆 翔(
jb8432)だったが、紫苑とキョウカに呼ばれ、結局、腕を離して駆け出すとファイヤーストームの前に立ち尽くす。
「うおーもえてるんだよー」
「危ねぇェですから、もっと離れて見てくださいよ」
アコースティックギターを肩から下げながら煙管を手にした揺籠が、あやか達を見守る仁也に気付くと小さく首を傾げる様に頭を下げた。
「ガキばっかじゃァ、危なっかしくてねぇですよ」
「そうですよね。撃退士と言っても、まだ子供ですからね」
完全に保護者意識むき出しの2人が、お互い同調するようにうんうんと頷く。
「おめめのにーた、どうかした、なの?」
今日が初対面だというのにも関わらず、揺籠の腕の模様からそう呼んでいるキョウカへ、卑屈そうに薄く笑うと煙管を咥え、アコースティックギターを軽く鳴らす。
「なんでもねーですよ――はいはいお兄さんは楽器やるんで、可愛く踊ってきてください」
「歌といやぁ、あれですねぃ。この前、クラスの体育でやったやつ!」
パンッと掌を叩きあわせると、紫苑は翔とキョウカを集め、何やらコソコソと話し合っていた。
そして、キリッとした表情を揺籠に向ける。
「どうめきの兄さんもいっしょにやりやしょ!」
「遠慮しておくでさ。演奏もありますからねぇ」
ソロバンを弾く様に弦を一本一本鳴らして音を確かめる揺籠に、紫苑が頬を膨らませる。
笑うキョウカの視界の隅に、一瞬だけ、見知った顔が通ったような気がした。
(ひりょにーた?)
すぐに闇の中へと消えてしまい確証はないが、黄昏ひりょ(
jb3452)だったような気がしたのだ。
だが結局、気を取られたのも一瞬。紫苑と翔に名前を呼ばれ、すでに向けられた意識は蚊帳の外であった。
キョウカを真ん中に3人が手を繋ぎ、ギターの音色に合わせて身体を上下に、リズムを取り始める。元気に、楽しく歌いながら踊りだす3人。
同じダンスのはずだが、見ていると面白いものである。
紫苑はあまり上手いわけではないかもしれないが、一生懸命に教えられた通りのダンスを。
翔はぶんぶんと全ての動作に勢いが余り、より大きくアグレッシブなダンスを。
キョウカはぴょこぴょこわいわいきゃっきゃっと、原型はあったかもしれないな程度のキョウカらしいダンスを。
一生懸命さが伝わったり、元気で明るい雰囲気が伝わったり、嬉しくて楽しいのが伝わったりと三者三様という言葉が、まさにそれだ。
手を繋いだまま天を掴むように大きく振り上げ、どんどん増えていくお星さまを見上げる3人。
「ママと―、パパに―、とどけーっ、なのー!」
声がいっぱい届きますようにと、キョウカは強く願うのだった。
(ガキ共に負けないくれぇ、楽しく元気にいきやしょか)
ギターを弾きながら揺籠も歌声を重ね、気付けば明日夢と愛莉も同じように踊っている。
そんな微笑ましい様子を、あやかと仁也は寄り添い、柔和な笑みを浮かべて眺めているのであった。
離れた所でちみっ子ダンスに、下妻ユーカリ(
ja0593)は対抗意識を燃やしていた。
「むむむ、噂のスーパーアイドルとしては負けられないところ! 作詞作曲、私。スターファイヤ、聴いてくださーい
瑠璃ちゃん、いくよ!」
ぐりんと、指宿 瑠璃(
jb5401)へ向かい合う。
「がんばってアイドルらしく歌います!」
そう意気込んで返す瑠璃だが、その目はユーカリの顔、手、足、腰と、見事しか言いようのない整ったプロポーションに奪われていた。
(ユーカリさんは私と違ってかわいいなあ……)
向かい合いながら距離を取り、目を合わせこくりと頷き合うと、炎をバックに呼吸を合わせて歌い始めた。
『スピカの燦きに誘われて 巣立鳥彼方へ彼方へ〜』
鳥を飛ばすかのように、手のひらを星空へと向ける。
そして胸に片や右手、片や左手を当てた。
『願いなんて無いよと呟く声 火焔に溶けて宇宙へ〜』
見ている人達へ向け、2人は胸に当てたその手を息ピッタリに突き出す。
それから、もう片方の手を軽く握り、人差し指と中指を閉じて伸ばした状態で片目に当てる。
『真珠の星に棲む君からも』
閉じていた2本の指を開きチョキの形にすると、そこから覗き込むように目をアピール。
『見えていますかスターファイヤ』
そして2人はお互いに向けて腕を突きだし、重なった手と手を繋ぐ。
瑠璃とユーカリの視線も交わったその刹那、瑠璃の脳裏に(やっぱかわいいな……私もあんなにかわいくなればいいのに)と、ほんの少しの劣等感と羨望が。
だが本番中。そんな思いなどまるで感じさせないのが、アイドルとしての矜持だった。
『熱はただ胸から喉へ 火照る顔で見上げるよ』
片腕を大きく上げ、2人の間に大きな三角形が生まれた。
『大三角〜』
そして再び手を離すと、今度は自分を抱きしめるような仕草。
『アルクトゥールスの孤高 鈴蘭に包まれ包まれ』
また、胸に手を当てる。
『誓いなんて無いよと呟く声 火焔に溶けて宇宙へ〜』
胸に当てた手を客席へと突き出し、空いた手を自分の肩へと置いた。
『真珠の星に棲む君と共に』
肩から滑らせるように、手を横へと突き出す。
『時を渡りスターファイヤ』
再び、向かい合わせに手を繋いだ。
『熱はただ喉から夜へ 火照る顔で見上げるよ』
そして最後に、大きな曲線を作り上げた。
『大曲線〜』
音源なしで、しっとりとした歌。それが終わると、集まってくれた人達からの歓声が2人を包み込む。
楽しんでもらった事に満足を覚え、ユーカリが瑠璃と顔を合わせると二カッと笑い、抱きついた。
「一生懸命な瑠璃ちゃん、カ〜ワイッ!」
増えていく星達の瞬きを、嬉しそうに一つ一つ数えていた九条 静真(
jb7992)が、見えてしまいそうな喉元を隠す様に口元を触る。
(北海道って、星がよう見えるんやなぁ……)
そんな静真の裾が、引っ張られた。
「静真……?」
不安げな顔を見せる九条 白藤(
jb7977)。さっきまで空へと燃え盛る炎を何処までも見ていたはずだが、空から落ちた弟の事を思い出したのだろう。
だが静真はそんな不安などわからないとばかりに、空を指さして口を開いた。
(き れ い)
静真の口は、そう形作っていた。
そんな弟へ、白藤は「せやな」と口元に笑みを浮かべて返すのだった。
(北海道、久々やわ……学園来てからは一度も実家帰ってへんかったし、自分から来るなんや想像もしてへんかったわ)
住んでいたところではないにしても、その空気と雰囲気に懐かしさに似たものを感じ見回していた志摩 睦(
jb8138)だったが、
肩をすくめた。
(……まぁ関係あらへん、か。うちは唯、大切な人達と歌えたらそれでえぇもん)
それから静真と同じように、星空を見上げた。
(声の出ぇへん静真くんの分も、うちが歌えたらえぇな思う……静真くんとクリスマスに見た星空みたいに、綺麗な空やし、ね)
「静真くんと白藤ちゃんは、誰を想うん?」
2人の肩に手を置くと、白藤は「誰かを、想……う? ……!」と誰を思い出したのか赤面し、静真は一度口を開き、閉じては少し瞳を揺らして再び口を開いた。
(か ぞ く)
そしてそう伝えてしまった事を後悔する様に、すぐに口を閉じて唇を噛みしめる。
(……こないな汚い想い……)
それを少しばかりでも感じ取ったのか、慰める様に白藤が静真の頬を撫でた。その様子から、睦が肩をすくめ「あー……大事なもんへ、でもかまへんとうやけどねぇ」と、方向性を少し変える。
「大事なもん、か……九条屋の皆も……あの子らも、静真も睦さんも大事、や」
指が頬を伝い、そして静真の口元へ。
「もう、あんな傷は……二度とつけさせへん。心も……」
そしてまた、手は静真の頬へと移動すると、優しく撫でる。
優しい顔を見せたかと思うと、ぐりんと睦の方へ顔を向け、少し、悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
「睦さんも、静真が無茶せんように見てたって! 言う事聞かん時は、しばいてもかまへんから!」
つられて睦も、少し意地の悪い笑みを作り上げる。
そこに「んで、睦さんは?」と返され、睦は意地の悪い笑みから一転、柔らかく微笑んだ。
「……うちは、皆の事。大切な皆ともっと仲良ぅなれる様にって気持ち込めて、歌いたい」
白藤、それから静真へと、順に顔を見つめる。
(……静真くんが寂しくならへん様に、元軽音部ボーカルの声、響かしたるわ)
そう、意気込む。
その意気で、白藤が選んだ少し懐かしい、子守唄のような古い歌を、優しく柔らかく、そしてしっとりとした声を響かせた。
「なんや、小さい頃に戻ったみたいや」
クスクスと笑う白藤と目を合わせ、睦も目で笑い返すのだった。
ただ。
(……綺麗な夜やなぁ――なんや、似合わへんな……俺には……)
夜空を見上げながら聴いていた静真は何も伝えず、そんな居心地がいい空間からそっと離れた。汚い想いを抱く自分が、優しい空間に慣れる事のを嫌がったのだ。
優しい歌が、こんな汚い想いを抱いている自分の為に向けられていると感じ、それが余計に――辛い。
1人離れ、來鬼が泣きながら歌っているその前で立ち昇る炎を、目で追いかけていた。
空へと向かい、燃えあがる炎。
(俺は、こんな風になれるんやろか……?)
誰かを照らして、空に消えていく。炎に己を重ね、そんな風に自分はなれるだろうかと。
自分の手へと視線を落とす。
(死が怖いわけやない――やから、強く、燃えるように生きていきたいやね)
ぐっと拳を握り、炎へと視線を戻す。ただ、先ほどよりもその瞳に映る炎に、仄暗い想いを湛えて。
(それが……たとえ、兄への恨みの炎やとしても、や)
盛り上がっている所から外れ、やや暗がりで目立たぬ展望台の下で、ひりょは歌を聴きながら、数を増やしていく星達を眺めていた。
「あ、あの、先輩……今、何を考えていますか?」
いつの間にか居た園果が、少したどたどしい口調で問いかけると、いつも通りの明るく、落ち着いた声が返ってくる。
「皆、楽しそうだなと考えてただけだよ。天草さんも、もっと楽しんできたらどうですか」
そう言うひりょの顔は、暗がりのせいでよく見えない。どんな表情でいるのかさえも。
だが返答があった事を喜び、そんなひりょの様子に園果は気付けなかった。だから嬉々とした返事をして、人の輪へと戻って行くのであった。
そして再び星空を眺める。
(……こうして眺めていると、いかに自分が小さい存在なのか実感するな)
手を伸ばし、星を掴もうとした。
当たり前だが、とても掴みきれそうにない。
(俺にできる事はそれほど多くなくて、時には取り返しのつかない過ちもあるだろう)
目を閉じ、大きな溜め息を吐いて手をだらりと下げる。
「暗がりで、良かった……」
今、自分が人に見せられないほど情けない顔をしているのは、わかっていた。
(人との別れ……いくら経験しても慣れる事はできなさそうだ)
うっすらと苦く、そして弱く、無理にでも笑った。
(自然に笑える日はいつ来るだろうか――わからないけれど、今は前を向いて少しずつでも歩いていかないとな)
風の音に混じって聞こえる歌声。琵琶の音。
そして視線は、人の輪へと向けられた。
泣きながら何度でも歌い続ける來鬼。理子達と楽しそうにしているレティシア。いつまでも踊り続けているキョウカ。人の輪の中へ努力して入って行こうとする園果。丸太と土でできた階段を、今しがた登ってきた天羽 伊都(
jb2199)。
「支えてくれる仲間がいる限り、俺は倒れずにはいられる」
ひりょのわりと近く、微かに炎の明かりが届くか届かないかという所、複数ある展望台へ上る階段に宮鷺カヅキ(
ja1962)は腰掛けていた。
琵琶を取り出すが、ただ手に持ったまま。言葉を口にせず星空を見上げると、ゆっくり瞼を閉じる。
瞼の裏には、夢で見た真白の梨の花の光景が。
耳には琵琶の音色と、シンプルな子守歌が残っていた。
その音に釣られるかのように琵琶にゆっくり指を掛け、脳裏で再生されるがままに爪弾き、風に溶けてしまいそうだがそれでもよく透き通るメゾソプラノで、ポツリポツリと語るように歌いだす。
何となく無心になれる気がするからと、思考を整理する時に癖でいつも歌う、この歌。誰が歌っていたものか、わからない。
いや、わかっているのかもしれないが、わからないでいた。
(夢で見たあれは私の記憶ではないけれど――その『誰か』の全てを、知っている気が。他人ではない気が、した)
その『誰か』を決して忘れないために、こうして口ずさむのだろう。
忘れてはいけない人物。
「やはり、あれは……」
だがどうしても、その先を口にする事が出来ない。してはいけない気さえ、する。
視線が彷徨い、大きく頭を振った。
そして今日も、何かを探すように星空を見つめるのであった――
僅かに聞こえる静かな音を聴きながら、伊都がひやりとする芝生の上で寝そべっていた。目に映るは、満天の星空のみ。
(星空を眺めるって、学園に入ってから意識してやってなかったかも)
最近はそれどころではないことの連続だった。
手を突き出し、目を閉じる。
(撃退士が守れる限界、精神吸収を受けた天魔被害者、そして亡くなった人々。撃退士に仇なす人間まで出てきた……ボクら人間を家畜みたいに扱う天魔を撃退する事が職務、使命であると考えてたボクは……甘かったかもしれない)
突き出した手を、ぱたりと芝生の上へ。
(そんな希薄な意志じゃ、この先危ういよね)
目を開け、上半身を起こすと、また星空を見上げる。
「ボクはそんな全体的な正義を振りかざすのではなく、天魔による被害を受ける人々、撃退士の庇護を受けれない人々の希望となれるよう一つでも多くの人の命を拾って行かないと!」
銀色に光る、コインの様な形状のヒヒイロカネを月に重ね、そう、決意を新たにするのだった。
夜も徐々に深まり、少しばかりか落ち着いてきたかという時、誰もいない暗がりで星を見上げていた末摘 篝(
jb9951)は、ずいぶん昔の事を思い出していた。
そう、昔々。一緒に貝合わせをして遊んだ人がいた――その人の事を思い出しながら、小さな声で、歌ではない詩を詠みあげる。
「いづれの御時にか、女御・更衣あまた さぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき 際にはあらぬが、すぐれてときめきたまふありけり」
普段のお子様的な様子がなりを潜め、見た目以上の生きてきた年月を感じさせる。
(……いまはなき、わたしのあるじ。いとしきしゅじょう)
はるか昔に死んでしまった人の顔を、思い浮かべた。
それから長い年月を眠って過ごし、最近、目覚めたばかりだが、それでもこれを伝えたい。
(かがりは、げんきなの)
(だいぶ落ち着いてきたさねぇ)
三毛猫を連れて二胡をひっさげ、こんな時間に九十九(
ja1149)はゆっくりとやってきた。
そしてドッカと、複数ある展望台の階段へ腰を下ろし胡坐をかくと、相棒である三毛猫のライムを交差した足の上に座らせ、膝に当て二胡を縦に構える。
まだ炎の前で歌っている人達に目を向け、それから二胡へと視線を戻す。
(ん、歌は得意じゃないのさぁねぇ。だからうちはうちらしいやり方で弾かせてもらうさね)
そして弓を振り、弦に当てた。
奏でる曲は明るく、それでいて懐かしさを感じさせる『河南小曲』。思い浮かぶは村の皆と、そこに住む師父。
(あそこで育ったことを、誇りに思えるさぁね)
心からそう思える。そう思えるようになった。
それを乗せ、ひたすらに二胡を奏でている九十九であった。
そんな故郷と大事な人を思い出させる音を、ぱたぱたと展望台の上まで飛んで夜空を仰いでいた紫苑が耳にする。
「……おかーさ――」
着物をギュッと握り、口をへの字にして襲いくる寂しさに耐えていた。
その呟きは、九十九の耳に届いていた。薄く開けた目で、紫苑を捜している揺籠を捉える。
「……お迎えが来たようですねぇ」
九十九の言葉が紫苑に聞こえたのか、バタバタと階段を下りて九十九の横を通り過ぎると、揺籠の元へと走って行く。
少し足を止め、星を眺めていた揺籠。見た事の無い父と、とっくに他界した母、そして鬼の子と苦労をかけた記憶を、少しだけ思い出していた。
「息子がコレじゃなければ、少しゃ長生きしたんでしょうけど」
そんな揺籠の頭がなでられた。
「おにーちゃん、だいじょうぶ?」
翼を広げ心配そうな顔の翔が、頭の高さまで飛んでいた。
そんな翔の頭を優しく撫で返す。
「大丈夫ですよ。今は良い時代になりましたねってぇだけの話でさ」
「それならよかったんだよ」
笑顔の翔に目を細める揺籠――次の瞬間、ぐふっと短く息を吐き出す。
飛び付いてきた紫苑が頭突きしつつ揺籠を抱きしめ、それから翔と同じくらいまで飛んでまとわりつく。
「兄さんは誰に歌ったんですかぃ?」
翔だけでなく、紫苑の頭も撫でる。
「秘密でさ!」
一瞬だけふくれた紫苑だったが、大熊座を指さして「あれ旦那ー!」とはしゃぐ。
(願わくば、この子達が人か鬼か選べるくれぇの世界を頼んまさァ)
思いをはせるその背中に、紫苑のマネをしてキョウカまでも頭突きで飛びこんでいくのであった――
もうほぼ深夜と呼んでいい時間。眠ってしまった愛莉と明日夢に仁也が、2人をビニールシートの上に寝かせ、あやかがブランケットをかける。
そのあやかの横顔をみながら、仁也が「あやかは歌わないのかい?」と問いかけた。
(両親の事は全く覚えていないし、今大事なのは……)
シートの上に腰を下ろし空を仰ぎ、満天の星空で思い出した歌を、ゆったりとしたトーンで歌い始めた。
悲しくもあり、それでいて恋歌ともとれるその歌に、仁也は軽く目を見張り、そして微笑を浮かべあやかの隣に腰を下ろすと、2人は寄り添いあうのだった。
火の前で出会った人への感謝をこめ、優しく歌っていた園果が、歌い終わるとそっと、手紙をくべる。
一瞬にして灰となり、そして天へと昇っていく。
「今のはなんでしょうか?」
後ろからレティシアに問いかけられ、振り返る園果。
「手紙も書いてみました……私の声は小さいので、歌だけでは不安なので……」
「――キレイなお声でしたよ」
ハーブティーを差し出すレティシアへ、園果が少し照れながら嬉しそうに「ありがとうございます」と言って受け取ると、星空へとまた。
死んでいった兄や両親、友人の顔を思い浮かべる。
(もっと……強く、なります)
今が苦しいからこそ、明日が輝く。そう夜空の星の如き輝きが、明日には待っている。
だから後悔せず、自分の選んだ道を躊躇わず、突き進んで行って欲しい。そう、切に願う――
響け届け歌よ、どこまでも 終