その日の天候、晴れ。
柔らかくじんわりと暖かい日差しの下、風も穏やかで、鳥達の歓喜の歌が聞こえていた。
「ん……お前らも借りるのか」
麻生 遊夜(
ja1838)は先に来て自転車を借りていたのだが、誘ったはずの張本人、来崎 麻夜(
jb0905)と、もう1人の誘われた側、ヒビキ・ユーヤ(
jb9420)が徒歩でやってきた。
自転車の無い人を見るなり、津崎 海が「お貸ししますか?」と寄ってくるのだが――
「あ、ボクの分の自転車は要らないよ」
「あ、私も要らない」
と、2人してこっそりと海に耳打ちし、麻夜が遊夜へニコリと微笑んだ。
「先輩のに、乗せてもらうから」
「私も……」
2人の視線を受け、やれやれといった感じに頭を振った。
「まったく、無茶言うぜ……3人乗りできるタイプの自転車はあるんかね?」
「ありますよ! 3人漕ぎじゃなく、3人乗れる仕様のが!」
やり取りを聞いていた海が楽しげに会話に混ざると、遊夜を連れて自転車置き場へと向かう。
「サイクリング! ええねぇなんか青春っぽくって!」
ビクリと肩すくませた修平が後ろを振り返ると、亀山 淳紅(
ja2261)が修平の自転車の後ろを掴んでいた。
そしてウィンクして、キャッと口元に当てた手には、座布団が。
「漕ぐのめんどいから、乗・せ・て?」
「いいですよ」
渋るかと思いきや、あっさりと承諾された。
修平は自転車の後輪の軸に、短くて細いパイプを手回しで接続し「ここに足を乗せて下さいね」と、とても慣れた様子だった。
不思議そうな顔をする淳紅の、視線に気づく。
「澄音や海ちゃんもしょっちゅう言ってくるもんで……最近はさらに、マネして乗ってくる人も増えましたけど」
苦笑いを浮かべる修平の視線の先には、自前のオフロード自転車を点検しているアルジェ(
jb3603)の姿があった。
「いつも大変ね、修平」
クスリと笑うケイ・リヒャルト(
ja0004)に声をかけられ、修平と淳紅は2人して見るも、2人そろって何か言いたそうな顔をする。
黒揚羽の様な妖艶さのケイに、自転車。それもシティサイクル。
「似合わないって、言いたげな顔ね」
苦笑するケイを前に、見透かされた2人はぶんぶんと力強く首を横に振っていた。
「人間界は本当に色々あるねぇ……」
鈴代 征治(
ja1305)が乗って馳せ参じたMTB『流星号』や、エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)のママチャリ等を見ていたレイ・フェリウス(
jb3036)が感心していた。
その横、太陽に手をかざし目を細め、いつもの意味深な笑みと少し違った笑みを浮かべ「いい天気だねぇ♪」と、ジーナ・アンドレーエフ(
ja7885)が嬉しそうに呟く。
「さぁ、出ておいでぇ」
呼び声に応えヒリュウがその姿を現すと、ジーナの腕にしゃがみ込んだ。
「ふふ。召喚獣を呼び出すのは初めてだけど、可愛いもんだねぇ♪」
(ジーナは召喚の授業受けだしたのか……ヒリュウ、可愛いな……)
ヒリュウに目を向けていた大路 幸仁(
ja7861)。
姉のエルミナ・ヴィオーネ(
jb6174)を待つエミリオ・ヴィオーネ(
jb6195)もその様子を見て、少しだけ驚いていた。
「そういえば……色々と学べるようになったんだった、な」
ヒリュウにめろめろなジーナをしばらく見ていたのだが、自転車を押してやってくるエルミナへと視線が移る――その途端、訝しむように眉をひそめ、次第に口を開いて唖然としていた。
「……なんで、コレ」
2人で乗るために作られたタンデム自転車を、表情はなに一つ変えていないはずなのに嬉々として持ってくる。
「エミリオは後ろ」
その言葉に愕然として抗議するも、聞く耳など持たない。
ただそんな自転車に興味津々なのか、バルドゥル・エンゲルブレヒト(
jb4599)がまじまじと見ていた。
(どこからあんなものを……楽しそうだな)
押し切られ、とうとうエミリオは「……いいけど」と渋々頷く。
「とりあえず、牧草地の見回りを――」
「さぁ、飛ぶぞ」
飛ばねば始まらないと言わんばかりに有無を言わさぬエルミナに問いかける間もなく、自転車にまたがったまま飛び始め他ので、仕方なく自分も飛んだ。
2人を乗せた自転車が、空高く舞い上がる。
そんな2人を見上げたレイが「人間界は本当にいろいろあるねぇ……」と、さっきと同じ事を別のニュアンスで呟いていた。
「あいつら、面白いこと始めたな……相変わらず、姉貴が強い」
レイの横で同じく見上げていた早見 慎吾(
jb1186)が楽しげに、空飛ぶ自転車を指さす。
「てことでレイ、あれやろうぜ!」
「え?! 私達もアレと同じのを乗ると!? しかも飛べと!? 慎吾、君、翼使えないんじゃ……」
「え? 前につきあいでバニーガールにもなってやったんだから、安いもんだよな?」
笑顔で痛いところを突かれ、「あ、はい……」と答えるしかなかった。
「ところでこれ、右と左は交互に力を入れるのかい?」
ここまで来て自転車初心者丸出しの不安な言葉だが、「そこは乗って確かめろな!」とあまり心配していない慎吾であった。
「みなさーん、準備はいいですか―?」
海が大きな声で呼びかけると、チリンチリンとベルで皆が応える。
ただ、こんな状況でもエイルズレトラは今回の依頼の趣旨がわからず、首を傾げてばかりであった。
「牧草地を見て回る? 自転車で走り回ればよいので?」
「あたいが一番乗りよ! さああたいに続けー!」
明らかにフライングな雪室 チルル(
ja0220)が全力でスタートを切ると、「フッ、フフフフフ……やってやるぜっ!」と佐藤 としお(
ja2489)も一歩出遅れたがスタートを切る。
としおの出発した後には、何やらブレーキらしき物が転がっていたりするのが、一抹の不安を感じさせる。
「まずは支援するにも、追いつけなきゃだし〜」
大量のスポーツドリンク等を持ち、脚に風をまとわりつかせた藤井 雪彦(
jb4731)も、後を追う。
「……よく分かりませんが、走れというなら、死に物狂いで走りますよ?」
結局依頼の趣旨を理解しないまま、エイルズレトラも全力でスタートを切るのであった。
皆が出発した後も、遊夜、麻夜、ヒビキが佇む。籠が無く、かわりに座席がある、どうみても一般的には交通法規に触れる自転車を前に。
「私が漕いでも、良いよ?」
首を傾げるヒビキが、遊夜の顔を覗き込む。
「しっかり抱きつくのも、抱きつかれるのも、悪くない」
本心を示す様にこくりと頷く。遊夜の頬に、一筋の汗が。
「ボクが漕いでも構わないよ?」
ふりふりと、スカートを見せびらかすように腰を振った。
「あ、後ろからしっかり抱き着いてくれてもいいよー?」
クスクスと笑いながら、遊夜の顔を見上げる。頬に、もう一筋の汗が。
「……俺が漕ぐ、後ろ乗ってろ!」
チクショーと思いつつも悲しいかな、そこは男ゆえである。
「……私達は、飛べるから、ね」
「あ、3人で交替しながら漕いでもいいよ」
気を使ってか羽をパタパタさせるヒビキと、楽しげに提案する麻夜へ「見回りは忘れずにな!」と、もはや自分だけで漕ぐ気でいる遊夜がやけくそ気味に自転車にまたがるのだった――
「風気持ちええなー……」
修平と背中合わせに座っている淳紅が、陽気の中にあふれるすがすがしい風に目を閉じていた。
あまり速度を出さずに牧草地、林の中に隠れて残る雪、その脇から顔を覗かせるフキノトウに目を向けながら、走っている。そのすぐ後ろでは、ケイが自然と鼻歌を。
小川のゆっくり流れる音に、本流の激しい水音。鳥達の様々な声。混じって聞こえるトントンと叩く音は、きっとキツツキだろう。
「自然って、本当にいろんな音がするわね」
微笑むケイに、「そうですね」と改めて自然の音に耳を傾けてもいた修平が釣られて微笑む。
キツツキのリズムに合わせ、自分の肩に置いた手で修平の背中を軽く指で叩き、いつしか別のリズムを刻んでいた。そして後ろへ流れていく景色に染みこませるように、歌うのであった。
春の陽気さに負けないような、気分が高揚する歌を――
のんびりと走る鳳 静矢(
ja3856)の後ろに座り、鳳 蒼姫(
ja3762)が楽しそうに「ヤッホー♪ ヤッホー♪」と歌っている。
「蒼姫、落ちないようにしっかりつかまるのだよ」
「わーいなのですよぅ。風が気持ちよいのですー」
そんな2人の横を、一陣の風と化したチルルが通り過ぎていった。
「あたいは風になる、ヒャー!」
ずいぶん先に出発したのだが、ほとんどの道を踏破するようなルートを全力で走っている。自転車で走れる事が、とても楽しくてしかたないようであった。
自転車を止める静矢が、メモ帳と筆記用具を取り出す。
「元気なものだねぇ。この区域は異常なし……と」
「揚げると美味しそうなのですねぇ?」
牧草地を観察をしていた静矢の後ろで、蒼姫が道の脇に生えていたタラの木の先端に芽吹いている、芽を指さした。
「うむ、天ぷらに良さそうな良い山菜だねぇ」
芽を採るとその弾力を指で楽しんでから、やんわりとした笑みを向けながら蒼姫へ渡す。
そしてもう1つ。それだけ採って、後にするのだった。
途中に小川を見つけると自転車を停め、川のほとりに座り、雪解けが進みやや冷たい川の水で火照った足を冷やす。
その横で蒼姫が、嬉しそうにお弁当を広げていた。
「アキ特製の、スペシャルサンドイッチと野菜ジュースですよぅ?」
差し出されたそれらを口にし「うむ、美味いな……」と、ほっと一息。
それからすぐ後ろに広がる、広大な牧草地に顔を向けた。
「しかし思ったより広くて大変だねぇ……まぁ、ちょっとしたサイクリングと思えば悪くはないか」
微笑み、蒼姫の頭をなでる。
川と風の音が、静かな世界を作り上げるのだった――
自分の自転車を用意していた矢代理子だったが、君田 夢野(
ja0561)の穏やかだが強烈なプッシュで、夢野の後ろにちょこんと座る事、30分。
「……でなっ……心肺機能の……鍛錬にゃ……チャリ回すのが……うってつけなん……よ゛っ」
慣れない2人乗り。すでにバッテバテである。
無難な道を見て回っていた黒井 明斗(
jb0525)がたまたま同じルートへ辿り着いた時には、すでにこの調子であった。
「あの……大丈夫ですか?」
「だらしないなーゆめのーんっ」
颯爽と風を切り、自転車の伝道師征治が後ろから追い上げると、ベルを鳴らしながらそのまま追い越していく。
相棒の流星号となら、どこまでも走って行けそうな雰囲気をかもし出している征治は、実に嬉しそうに自転車を漕いでいた。
抜かしてから後ろ向きにスマホを構え、夢野のその姿を撮影して「水分と塩分補給はこまめになー」と言い残してすぐその背中が小さくなっていく。
そこをキタキツネの親子が横断し、明斗がすかさずデジカメで激写。
「やはり、自然は良いものですね」
「そうですねー」
明斗の感嘆に理子が応えるも、夢野には応える余裕がなかった。
「な〜にやってんだ、夢野ぉ! 追いついちまったじゃねーか!」
魔のカーブを探してうろついていたとしおが、普段はしないかもしれない熱い口調で一瞬にして追い越す。あっという間にその背中が点となるのだった。
追い越され続け気力が落ちた分、速度も随分落ち込み、後ろからミニサイクルでキコキコとゆっくり追い上げてくる、赤のヘルメットでクールに決めたジャイアントパンダ――下妻笹緒(
ja0544)の姿が。
誰がどう見ても動物園から脱走したパンダにしか見えないほど、自転車を漕ぐ姿がミスマッチしていた。
もちろん、風景的には違和感バリバリ。
呆気にとられていた明斗だが、視界の端にお目当てを発見し、自転車を止めた。
「あれが、丹頂鶴ですか」
牧草地に3羽の丹頂鶴が居た。そのうち2羽は立派な姿だが、1羽はまだどことなく羽の色がボケていて、何度も羽ばたくそぶりを見せていた。
「うむ、今回の一番のお目当てはなんといってもタンチョウだ。
北海道の道鳥にして、純白優美なその姿は一目見ておかねばならない」
止まったパンダ――いや、笹緒が丹頂鶴へゆっくり顔を向ける。
「やはり白と黒を基調としたセンスあふれるカラーは、鳥界屈指といっても過言ではなく――成程、あの、姿」
その言葉に熱を帯び始め、両腕を広げると、仰々しく歌うように言葉を続けた。
「丹頂が最高にクールなのは、頭のところだけを赤く染めているところ。これが全体を引き締め、調和のとれたカラーリングをブチ決めている」
片手をヘルメットに押し当てる。
「なればこそと、そのために自分もまた赤のヘルメットを着用したのだ。熊界の代表たるパンダちゃんとしては、舐められっぱなしではいられないのだ」
羽ばたく練習を繰り返す幼い丹頂鶴が飛び立つと、それを見ていた親も飛び立つ。
それを追う様に、負けじと再び漕ぎ始める笹緒。
「丹頂が天空を優雅に舞うのであれば、この自分は大地を軽やかに進む。
――負けるわけにはいかないのだ。そう、絶対に」
キコキコと音を立て追いかけ続け、丹頂が短い距離で飛ぶのをやめて大地に足をつけるが、笹緒は止まらない。
「私は止まる事など、せんのだ。それが代表たるものの使命なのだからな」
徐々に小さくなっていく白黒を明斗が見送り、それから丹頂に視線を戻す。
小川のほとりに立ち、3羽が羽をつくろっているのを見て自転車を降りると、スケッチブックを取り出すと、いつの間にか追い越されていた夢野が追い付き、息を切らせて止まった。
「スンマセン、ちょっと休憩させて下さいマジで」
泣き言を発する夢野の後ろから、「わかりました」と理子が降り、明斗のスケッチブックに視線を送る。
「写真も良いですが、写真だけじゃ味気ないですからね」
側溝の傾斜を降りて腰を据えると、スケッチを始めるのだった。
そこに雪彦がやってきて、夢野へスポーツドリンクを渡す。
「はい♪ 楽しむのもいいけど、無理はしないようにねっ♪」
そして皆のサポートのためにもまた、雪彦は走り出す。
その言葉に従ったというわけでもないが、夢野と理子も傾斜を降り、小川のほとりで座ると雪解けで水かさが増し、少し冷たい川に足を入れて長く吐息をつく。
後ろに倒れ込み両腕を広げると、逆さまになったのどかな牧草地の先まで眺めていた。視界の隅に何やら空飛ぶ自転車が見えているが、そんなカオスな事態は慣れっこである。
やがて独りごちる様に口を開く。
「……しかし、普段俺は死と隣り合わせの戦場だってのに、嘘みたいにここは平和だ」
風が吹き、目を閉じた。
「でも、ここが平和で良かった。ここが平和じゃなければ、大好きな音楽が出来なくなるから……」
それだけを言い、沈黙。
起きていうのか寝ているのかわからない夢野の投げっぱなしの手を、理子はちょっとだけ勇気を出して手を重ね、目を閉じ熱くなる頬で風を感じているのであった。
「姉さん……さすがにちょっと、恥ずかしい……」
しばらく黙って浮遊を続けていたエミリオだったが、さすがに耐えきれなくなってきたようだ。
だが主導権を握る姉のエルミナは一向に耳を傾けず、「なかなか楽しい乗り物だな、これは」と逆にノリノリであった。
「なぁおまえたち、一応依頼だからな? 仕事だからな?」
幸仁の言葉がただただ、虚しい。
「レイ、ほら俺達も翼で飛ぼうぜ。俺翼でないから頼むな!」
思いのほかすんなり乗れているレイが後ろで溜め息を吐き、とりあえず浮くかと闇の翼を広げる。
浮き出す自転車――の後輪。
「あー……後ろだけあがっちゃうよね、普通に。うん」
「気合入れて前も浮かせてくれよー」
「ああ私ネンドウリョクとかそういうスキル外の能力もってないんで、そっち浮かすとか無理だから」
前輪がほぼ真下を向いた状態で、慎吾とレイの自転車も空へと飛びあがる。
(レイさん達まで……楽しそうだな)
ぶーぶー文句を垂れる慎吾と冷静な対応のレイに、エミリオは思わずそんな事を思ってしまった。
「って浮くなよ!!」
ツッコんでばかりの幸仁の横を、黙々と景色を見ながらバルドゥルが自転車を漕いでいた。
(少し、昔見た景色に似ている……こういう風景は……いいな)
最初は初めての乗り物にこわごわとしていたが、今ではずいぶんとゆとりがあるどころか、楽しんでいる雰囲気さえ窺える。漕ぐ足に自然と力が入り、ハンドルをしっかりと握りしめていた。
(歩くのとも走るのとも、空を飛ぶのとも違う……楽しいものだな)
やや早いのだが、それでも放牧されている遠くの牛達にも目を向けていた。
その中に、茶色く、角を持った生き物を発見する。
「ふむ。あんな所に鹿がいるが……食害は大丈夫なのだろうか。きちんと血抜きして下処理した鹿肉は美味だが……」
狩猟本能が疼き、血が騒ぐが――上空の自転車へ、一気に興味が持っていかれる。
「楽しそうだな」
「マネはしないことだねぇ」
ヒリュウと戯れながらも漕ぐジーナのごく常識的な言葉に、自重する。
「来られなかった子用に景色だけでも撮っておこうかねぇ……ああ、ほら。お前さんはこっちにおいで」
カメラを構えたジーナだったが、カメラにまとわりつくヒリュウに微笑みながら、カメラで自分の肩を叩く。
するとヒリュウは素直にちょこんと肩に座る――が、それも束の間。何かを見つけたのかすぐに飛び立ち、牧草地の一角に着陸すると、ジーナへ何か訴えかけるような視線。
「おや。山菜を見つけてきたのかい? 許可もらってないから採っちゃダメだよ」
道路脇ならともかく、牧草地の中で自生している物は採らない。これもまた常識であった。
「好奇心旺盛なのは召喚主に似たのかねぇ……」
困ったような嬉しいような、そんな顔をしているジーナであった。
(それにしてもこれだけ広大な土地を見回るのは大変だろうな……)
上空から見てもただ牧草地が広がり、所々にしか家が見つからない事にエミリオは感心していた。
だがそれも、すぐ溜め息に替わる。
(とはいえ勝手に畑の実りを盗むとか、普通じゃないな……人間同士で騙したり盗んだり……か)
天界の方針についていけずに堕ちた身だが、人のそういう部分には残念でならない――が、誰しもがそうではないという事も、今は知っている。
下でツッコミに疲れ果てた幸仁を見て、ことさらそう思う。
「まったく……まぁ上空からの視線も、役立ちそうだけどな。それにしても、広いな……」
結構な時間、自転車を漕いでいた感じがしたのだが、その景色に大きな変化が無く、先が霞むような直線道路、どこまでも広がり続ける牧草地に、いまさらながら驚嘆していた。
「これを全部見守ってるのか……酪農家の人達は大変だ」
突如脇の砂利道から、高速のママチャリ・エイルズレトラが高々と跳びあがり、幸仁とジーナの上を通り過ぎてその先の道に着地、さらに全力疾走を続けるのだった。
「……今のは――あ」
上を向いた幸仁が、真上に来たエルミナの状態に気付いてしまった。
「おーいエルミナ、スカートの中が見えるから降りてこーい」
その言葉が届いたのか、無言のままエルミナ達がしおしおと大人しく道路へと降りてくる。
「気持ちのいい場所だな。気候もいいし……面白いよなぁ、こういうのも」
「慎吾、私達も降りよう。そろそろ飛んでいられなくなりそうだ」
「早くないか? もっと気合い入れろよ」
「あのねぇ。普段の倍どころじゃない負担がかかってるんだよ」
ガクンガクンと、急激に高度が下がりつつある。本当にもはやギリギリという気配を感じ、「大事な牧草地には落ちるなよ!」と応援ではない言葉を投げかける。
「そんなご無体な……ああ、もう限界だ」
地上まであと数mという所で、自由落下。
巧く前輪から着地し、続いて後輪で着地する。が、その衝撃は腰を浮かしていたレイは膝で受け止めたが、サドルに座りっぱなしだった慎吾は尻から頭へと衝撃が突き抜ける。
「――ッ!」
声にならないダメージに自転車を止め、額から吹き出る脂汗を手で拭い耐え忍ぶ慎吾。
カメラに収めながらも、ジーナが笑いながらライトヒールをかけに行くのであった――
前の座席にしゃがむように座っているヒビキ、後ろの荷台に立って遊夜の肩に手を置いている麻夜。
そして――ヤバいほど汗が流れている遊夜。
「大丈夫だ、俺はまだやれる……!」
膝がプルプルと震え、誰がどう見ても限界だ。
そんな遊夜の汗を麻夜がタオルで拭き、そのタオルを自分の頬に当てる。
「ボクも汗かいたなー」
それはただの春の陽気のせいだと言いたかったが、そんな言葉を絞り出す余裕もない。
遊夜から預かったデジカメで景色なんかを取っていた響が身体ごと振り返ると、わざわざ下から上目づかいで覗き込む。
「水分補給は、大事」
ミネラルウォーターをぐいぐい押しつけるが、飲む余裕もない。
そんな横から伸びやかで静かな歌が聞こえ、海とアルジェ、それと歌っていた江戸川 騎士(
jb5439)らが自転車を手押しでやってくる。
自転車を止める遊夜に、海が手をあげた。
「お疲れ様でーす。なんだか予想よりもはるかに速い速度で終わりそうなんで、ちょっとどうですか?」
クイッと釣竿を引く動作。
「ご主人にサボりすぎぬよう見ててくれと言われている……が、まぁ少しくらいいいだろう。
騎士がささやかに宴をしようといっていた……そのつまみ用に、いくらか釣っていこう。腕の見せ所だぞ海」
自分の竿をどこからか取り出すアルジェ。さすがに竿は持っていない騎士が「ちょっと待ってろ」と、牧草地へゆったりと歩き出す。
「毎度思うが、こういう風景を見るとミステリーサークル作りたくなるぜ……お、あったあった」
何かのふんわりとした羽を拾い上げ、そこから戻ってくる間にそれで器用に毛鉤を作っていた。
毛鉤を見るなり「フライロッド使う!?」と息巻いてポーチに手を伸ばすが、デコピンによって沈められる。
そして遊夜の方は――やはり限界だったらしく、頷き、自転車から降りるのであった。
牧草地を軽く見て回った楯清十郎(
ja2990)が、あらかじめ訊いていたポイントで釣り糸を垂らしていた。
「たまには太公望を気取るのも悪くないかな」
そこへ海達一行がやってくると、朝から冷やしておいたペットボトルのお茶を川から引き上げる。
「お茶どうですか? 小川で冷しおきましたから美味しいですよ」
「ありがたい――」
遊夜が紙コップに注がれたお茶を受け取り、一気に飲み干し、清十郎の近くに腰掛けた。
「せっかくだ、のんびりやるならコレがいい――さて、今日の釣果はどんなもんかね?」
「ん、のんびり」
こくりと頷くヒビキが遊夜の横に座り、釣りを教えてもらっていた。
「前に教えてもらった通りで良いよね?」
準備ができた麻夜が割り込むように無理やり座り、「ヌシ釣ろ、ヌシ!」とクスクス笑いながら遊夜に身体をこすりつける。
隣は大変そうだなと笑い、ちょっと思いついた清十郎が水滴を身に纏い、それが編笠の釣り人衣装へと変化した。
「うん、それっぽくて良い感じです」
そこから少し離れて、海達が3人そろって釣り糸を垂らして世間話をしていた。
修平という名前が出たのを見計らって騎士が切り出す。
「昔からああいう性格なのか? 物凄く損するタイプだぜ、あれは」
アルジェも聞きたい話だったのか、同意するかのように頷く。
沈黙する、海。
「いや、話したくなければ良いんだ」
「あ、別にそうじゃないよ。ただ、どれくらい昔から私の事、見ててくれてるかなーって思い出してて……それで、りっちゃんのお母さんが亡くなったあたりだったなーって、少ししんみりしちゃったんだ」
「ほぉ……」
関心ありげに洩らす騎士だが、修平の話はそれ以上自分から振らず、代わりに理子達の事を聞いているのであった。
颯爽と駆け回る征治だが、時折止まってはオペラグラスで風景をゆっくりと眺め、牧草地にぽつんと何故か1本だけ立っている木をスマホで撮影し、それを彼女へとメールする。
「おっと、ちゃんとレポートは作っておかないとね」
メモ帳に牧草地の様子について、メモをしていた――すると、右からとしおが、左からエイルズレトラが、後ろからはチルルと、それを追い上げる吾亦紅 澄音が猛然と駆けてきて、征治の目の前で合流。
4人が横一列に並ぶ。
その先に待ち受けるは大きな下り坂。しかもカーブが控えているのがよくわかる。
「うぉぉぉぉ! 何人たりとも、俺の前は行かせねえぇ!」
としおが叫び、ペダル速度が増してペダルが軽くなるがそれでもさらに加速させようと全力で漕ぐ。
「僕より速く走るとか、許せませんねぇ」
エイルズレトラも更なる加速を始める。
その2人に追いつけないチルルが、愕然としていた。
(あたいが、負ける……!)
「そんなのは、いやだー!」
ぐんぐんと追い上げるチルル。澄音は流石にまるで追いつけない。
むしろ3人は減速をする車さえも追い越し、その速度を緩める事など微塵もせずに魔のカーブへと突入する。
「勝負は最終コォォォォナァァァァァ!」
大きく外から身体を倒し、一気にインへと切り込んでいく、としお。
しかし、インを走るエイルズレトラがハイサイドに合わせママチャリを傾けたのだが、ペダルが地面と接触。その結果、地面から弾かれ慣性モーメントに従って、自転車は外へと吹っ飛んでいく。
それに巻き込まれるとしおも、カーブの外へと吹っ飛んでいった。
絡み合った自転車が空を飛び、としおも両腕を飛行機の翼のように広げ飛び立つ。エイルズレトラは接触の時点で自転車を放棄し上へ跳び、華麗に着地。
としおはというと、恐ろしいほどに飛距離を伸ばし――背中のリュックからパラシュートを開く。
そのまま気流に乗ったとしおが空高く舞い上がり、通りかかった大白鳥の群れと共に優雅な空の散歩へ――のはずが、突風でどこかへと飛ばされていった。
「行ってきまーす!」
「どこへなんでしょうかねぇ」
「風にきーて―……」
空の彼方に飛ぶとしおを見ていたが、後ろの気配にヒョイットかわす。後輪を滑らせてたチルルが滑らせ過ぎて一回転し、横を通り過ぎて牧草地へと飛んでいった。
「さて、行きますか」
自分の自転車を持ち上げるが――
「おや。前輪も後輪もありませんねぇ。自転車に見えません」
挑戦に失敗したチルルが、木を背にして木陰で休んでいた。
その様子に通った雪彦が熱中症かと勘違いし、慌てて形見のハンカチを水で濡らすと首の後ろにそっと当てる。
「大丈夫?」
「大丈夫だよ!」
元気そうなのに安心し、絆創膏を取り出すとチルルの頬に貼りつけた。その際にこっそりと、治癒膏を施す。
「気をつけなきゃダメだよぉ〜☆」
にっこりと微笑み、スポーツドリンクを置いて次なる誰かのところへと、雪彦は向かった。
一口飲んだチルルは再び、魔のカーブへと挑む。
カーブで滑る車体。先ほどと同じ結果が見えた、が。
「ほっぺの絆創膏は伊達じゃない!」
地面を蹴り、無理に車体を立て直してカーブを乗り切るチルルだった。
「お……おおぉぉぉ!?」
「うぎゃああああああああああ!!」
そのあと、なぜか蒼姫が全力で漕いでいる自転車が、後ろの静矢共々吹っ飛ばされていた。
ただ、冷静に空中で蒼姫を抱き寄せると、静矢はしっかり足から着地する。
「怪我はないね、蒼姫」
ちょっとしたラッキーに、蒼姫は腕の中でこくりと頷くのであった。
(このまま僕は風となる……)
空を自由すぎるほどに流されているとしおの前にというか、下から、何かが打ち上げられ――目の前で爆発した。
麻夜が釣り上げたやたら大きな魚をヒビキがツンツンとつつき、魚と目を合わせているうちにやがてコクコクと頷くと川へ逃がす。
騒ぐ2人が近くにいるせいか今日はまるで反応が来ない浮きを眺めながら、それでも遊夜はのんびりと、過ぎ去る時間を楽しんでいた。
「あ、桜開花のお知らせ花火だ」
響く音に海が空を見上げ、何かが落ちていったのに目をぱちくりさせる。
そしてびくっと顔をあげた清十郎が何事かと見回し、傾きかけている太陽に驚いていた。
「……魚じゃなくて、僕が睡魔につられたみたいですね」
その夜、海の民宿でちょっとした打ち上げがあった。
ここぞとばかりにケイが腕を振るい、から揚げの他、緑の豆野菜と生ハムのキッシュ、手まり寿司、菜の花とアサリのワイン蒸し、季節の果物1口ゼリーと、春の彩りを感じさせる料理を次々と振る舞った。
当然の様に淳紅がハンディカラオケで歌い出し、止まらない。
「こちらが今日の報告だね」
「ありがとうございます――それとこれ、どうぞ!」
静矢がメモ帳を海へ差し出すと、替わりに、天ぷらの盛り合わせを差し出される。その中には2人が採ったタラの芽も。
みずみずしいタラの芽の天ぷらに、静矢も蒼姫も満足する。
「僕はいつまでこのままなんでしょうかねぇ」
自転車大破でしこたま怒られ廊下で正座をさせられているエイルズレトラへ、海がズビシと「初代ブルーホースが浮かばれるその日まで!」と、叱りつけるのだった。
そんな民宿の一角、小さなバーカウンターでアルジェがそっと清十郎にノンアルコールカクテルを出す。
「嘘みたいに、ゆったりとした日でしたね」
だが清十郎は、こんな日も悪くないと心底思えていた。
――きっと、誰もがそう思ったであろう。それほどまでに、日常であふれる日であった、と。
自転車で汗流して 終
「修平、背中を流しに来たぞ――む、鍵をかけられている」
就寝前、民宿の温泉に入浴中の修平へと突撃したアルジェだったが、きっちりその行動は読まれ、失敗に終わった――