『当日は寒い、本番まで楽器を暖めておくんだ byセンセイ』
送信済みメールを見ては、ハァとため息を漏らして閉じる君田 夢野(
ja0561)。
顔を出せないからそのメールを出したのだが――何の因果か、今、その会場にいた。
(警備の仕事がまさか、こことはな……まぁいい。今回は隠れてチェックしよう)
スタッフが忙しそうに動き回る早朝のステージをぼんやりと眺め、それから歩き出す。
「おー、北海道ってまだ寒いんですねっ」
やってくるなり、青鹿 うみ(
ja1298)が腕をさすっていた。
日が当たっていて、アスファルトの上にいた時は意外と暖かいかもと思ったのだが、ステージ周辺の朝露に濡れる芝生の上、しかも靄まで立ち昇っていると、かなりヒンヤリとしている。
だが寒さを感じているのも束の間、スタッフが慣れない手つきで音響の機材に四苦八苦しているのを見るなり走り出し、そして屈みこむ。
「こういうことは得意なので、おまかせくださいっ」
そんな様子を、少し離れた屋上から眺める影がひとつ。
(……孤高すぎて、寒い)
目の良さを生かしてと、屋上から不審な動きを見張る事にした城里 千里(
jb6410)が気温とは別の寒さに身震いする。
「千里くーん、コーヒー!」
下から聞こえた声に屋上のふちから顔を出すと、黒松理恵(jz0209)が缶コーヒーをまさかの垂直投げ。顔の前まで飛んできた缶コーヒーを受け取った。
じんわりと、温かい。
開けて、一口。温かく、甘いコーヒーが身体を満たしてくれる。
それからしばらく下を見ていると、理恵のもとに修平と智恵がやってきて「お久しぶりです」という会話を始めるのであった。一瞬だけ千里を見上げた理恵――そして千里にメールが届く。
『私の姉さんの智恵に、コー平の弟の修平君だよ』
会話しながらポケットの中でこれだけの文章を打ってきたのにも驚きだが、それよりも千里はふと、前に理恵の友人が口走った言葉を思い出す。
「副部長が部長と付き合えない……か」
ちびりとコーヒーをすするが、思考が泳いでいて今は味も温もりも感じない。
(世間は狭いと感じるべきか、関係があると見るべきか……探れないだろうか)
「よう、修平」
「ああ江戸川さん――おはようございます」
1人で歩き浮かない顔をしていた修平に、江戸川 騎士(
jb5439)はピンときた。
「まだ気にしてるのか。とはいえ、今のままじゃ8月にお前の音が不要なのは確かだな」
何も言い返さず、目が沈む。
「でも色々言われて心が動いただろ? それでいーんだよ。
好きってのは人それぞれだが、悩むんだからよ。お前は間違いなく音楽好きだよ」
頭を中指で押す様に、突き立てる。
「理子は音楽の才能はあるが、他は並だぜ。お前は単に全部が凡人のガキじゃねえか。少しずつ判ればいーんだよ。
大人っぽいとか、 良い子だって周りから言われて期待に応えたいってのも悪くないが、自分がガキなのを認めるのは悪くねえよ」
「……僕は実際、まだまだガキなわけですが、それでも始めたからには責任が――」
「それがよけーだっつーんだよ。それにもう、お前だけの責任とかそんなんじゃねぇ。俺達でなすべき事なんだよ」
修平の鼻面を指ではじき、言うだけ言って後にする。
残った修平は鼻を押さえ「みんなで、か」と、呟くのであった。
ステージの上で実行委員やら町長、誰も知らなそうな地元の音楽家の長々とした話。そして審査員の紹介。
それらが終わってから、やっと開始の花火が打ち上げられた。
「おや。やっと始まりますか」
端から順に、屋台をずいぶんと攻め込んだ鈴代 征治(
ja1305)が、飽きがこないよう焼き物の間に挟んだ鈴カステラを1つ、口に入れる。
ステージへ行こうかとも思ったが、最初は男子個人のはずと思い返し、知り合いが出ないならと屋台めぐりを再開した。
ちらほらと、撃退士らしい人の姿も見える。その中の1人、ゲルダ グリューニング(
jb7318)のように「演奏には体力も使いますから」という名分のもと、巡っている人もいるのだろう。
でも大半は、きっと征治と同じ心境であろう。
「なんでこうお祭りとか屋台ってのは、血が騒ぐんでしょうねえ」
よくあるフランクフルト(からしケチャップ)をかじると、すぐ隣の屋台へ目が映る。
「アメリカンドックではなく、フレンチドックですか。しかも砂糖推し……地域特性ってやつですかね」
『砂糖1本』
聞き覚えのある誰かの声と、ハモった。
「あれ、鈴代さん」
天羽 伊都(
jb2199)が意外そうな顔をしていた。
「天羽君じゃないか。珍しいよね、こんな所で会うなんて」
「非番だし、今日はゆっくりコンテストでも見て骨休めしたいなあ……と」
最近、やる気が激しく低下している気がしてならない、そんなニュアンスを伝えると、自分の胸を拳で軽く打つ。
「ここは音楽でも聴かせて貰って、ボクの硝子のハートの火を滾らせてもらおうじゃないのさ!」
「ガラス……?」
眉間にシワを寄せ、苦い笑いしか出てこない征治。
その態度に何を言いたいか感じ取り、少し口を尖らせる。だが、自分で言っててもなんだかあれかなとも思ったので、それ以上は何も言わない。
それに、マイクを通した歌声がここにまで聞こえ始めている。
「それじゃあ、もっと近くで聴いてきます」
「また後でね」
砂糖をまぶしたフレンチドックにかじりつきながら、2人は別れるのであった。
人の歌声を聴きながら、そわそわとしている春日 遙(
jb8917)が、軽い発声をしながら自分の出番を待ちわびている。
「僕の為のみたいなお祭りがあるなんて……本気出しちゃうよー!」
などと意気込んできただけあって、出番が来るまでの準備にも余念がない。
その点に関してはアルベルト・レベッカ・ベッカー(
jb9518)も同じで、楽曲の音源を運営に渡し、ヘッドセットの調子を確かめながらも喉を温めている。
片や軽く、片や華やかなだけにみられがちだが、歌への情熱は本物であった。
それは互いに感じ取ったのか、どちらからともなく声をかけていた。
「君も歌を楽しみに来たのかな」
「ええ。春日くんもかな?」
「うん、そうです。全然、警備よりも歌うために来た感じかな」
笑う遙へ「私もよ」と笑い返すレベッカ。男装姿だが、それでもその笑顔は艶っぽい。
その笑顔を見て、思い出す。
「もしかしてアルベルト先輩?」
「こっちの姿なんて、見せた事なかったかな?」
――と、アルベルトの名でレベッカが呼ばれる。次が出番のようであった。
「ああ、もう行かなきゃね」
「がんばって下さい――お互い楽しもうか♪」
お互いに手を振りあい、表情を切り替えたレベッカが「盛り上げていこうか!」と舞台へ立つ。
ただ音に合わせ歌うこれまでの人と違い、曲が始まる前から構え、音に合わせ手を振り足を振りダンスを披露。そして甘いソプラノボイスが、会場の隅々にまで響き渡る。
その姿や曲調から若い世代(とくに女性)の反応が強く、屋台通りにいたステージに関心のなさそうな人達までもが引き寄せられていた。そして場違いだろと笑っていた人達も、いつしか彼のダンスと歌に魅入っている。
人を引き付け、盛り上がる場を作る――それこそがプロのアイドルとしての姿であった。
曲が終わり、普通ならまばらでやる気のない拍手も、この時ばかりは割れんばかりのものである。そして最後に、唇に当てた指を女性客達へ向けて投げつける。
熱くなったのか、襟元を掴んで扇ぎつつ拍手を背に舞台袖へ戻ってきたレベッカを出迎える、遙。その目には押さえきれない熱意が。
「お疲れ様――次は僕の番だね」
通り抜け様にハイタッチをかわし、入れ替わりに舞台へ立つ。
盛り上がりきったところに立つプレッシャー。そんなものなど、ない。
あるのはただ純粋なまでに、歌いたいという強い欲求だけだった。
ミディアムテンポのエレクトロニカが流れ始める。
「手と手繋ごうよ そうすればすぐに僕等は友達さ! いつだって僕達は心が繋がっている
まだまだ遠く長い道のりだけど 皆で一緒なら大丈夫さ! 笑って君には笑顔が似合うから
Let’s go! Let’s go! 君の元へ さぁ 勇気を出して進め――……」
レベッカのようなダンスはない。華やかさで言えば確実に負けている。
だがそれでも、舞台の魅せ方を知っている。そして歌へかける熱意も、他に負けているつもりはない。
そして決して広くない音域を自覚しているだけに、声質を変える工夫を凝らす技術派でもある。そのための練習も欠かす事の無いという、ただ歌が好きなだけとは違うのだ。
もはや、魂。
そんな彼の魂が、マイクすら通さず会場という会場の隅々にまで、響き渡っていた。
歌い終わると、誰1人、口を開く者がいない。
しかし、レベッカが拍手を送るとその拍手が会場中に拡がり、拍手の渦と熱気で溢れ返るのであった。
「まいったね――もってかれた気分だわ」
(盛り上がってましたね〜)
あまり気張らない寒くない程度の服で奉丈 遮那(
ja1001)が先ほどの男子個人の様子を思い浮かべていた。
あのあとの女子個人では、多くの人が委縮したのか歌詞を間違えたりと、ミスが目立っていた。そうなってくると、人々の熱気も冷めていってしまう。
(温まったステージを冷ましてしまうのもなんですから、奮い立たせられればいいですね〜)
自分の番が近い――そうなってくると、先ほど頭をもたげた使命感よりも楽しみたいという気持ちの方が強く、大きく膨らんでくる。
もう開き直って、ステージを楽しもう。そう思ってしまっていた。
「折角のお祭りですから、難しいことは考えないでいきましょうか〜」
喋り方からもおっとりしている気配を感じさせる遮那だが、ステージへ1歩、また1歩と近づくたびに高揚感が増していった。
ステージにごく自然体で立ち、ゆっくりと歌い始める。
手を伸ばしながら、春の訪れとともに進む道や、新しい出会いへの期待――それらへの不安も感じさせるよう、腕を下げていく。
しかしそれを愛しむ様に抱き寄せ、そんな不安などもふんわりと包み込むような歌。誰もが息を飲み、その歌声に聞き惚れていた。
力強い拍手が、遮那に贈られる――
「ありがとう、ございました〜」
深々と一礼し、ステージを後にするのであった。
「良い声ね――さあ、次はあたし達が魅せる番だわ」
ケイ・リヒャルト(
ja0004)が動き出すと、ベースギターを首からぶら下げたヤナギ・エリューナク(
ja0006)、ヴァイオリンを手にしているセレス・ダリエ(
ja0189)、そしてギターを前に無表情ながらに浮かない顔をしていた鈴木悠司(
ja0226)が腰を上げる。
(音楽は封印中……なんだけど、ね)
中学の頃からやっていたが、今は訳あって休止中だったのだが――ヤナギに引っ張り出され、ここにいる。
団体での参加になりそうなものだったが、ケイを中心に据えて自分達はあくまでもサポート的なコーラスでならという条件だったため、ケイの女子個人参加という形になったのだ。
「何だか、とても楽しみ。どんな音が紡がれていくのかしら」
「俺の音に、酔わせてやるぜ」
「4人でなんて……初めて」
全員が黒を基調としたゴシックでシンプルな服に身を包み、やる気十分なケイとヤナギ。無表情で感情の薄いセレスも、それなりの意欲を感じさせる(少なくとも、ケイはそう感じ取った)。
それでも悠司の顔は晴れない――ただ、少なからずとも高揚感を感じているのは、確かだった。
(今はもう、求めるのをやめたはずなのに……)
そして4人はステージに立つ。
電光掲示板には『AdF』『クライムストーリー』と表示され、流れていく。
限界までカーテンを閉め、ひさしをかざし、極力まで日の光をカットして暗くなった舞台。青い照明がぼんやりと足下を照らし、スモークが焚かれる。
何が始まるのかと静まり返った会場に、ヴァイオリンの音色が響き渡る。それと同時に、セレスへスポットが当てられた。
クラシカルなヴァイオリン。伸びやかで静かな、力強いその音は久しぶりだというのにもかかわらず高い技術を惜しみなくさらけ出していた。
だがそれでもその音には、決して主役を演じるという気配がない。
(ケイさんのためのこの演奏――何かが足りないけれど、それでも……)
他人への関心などほぼ皆無のはずのセレス。
だがただの幻想かもしれないと思いつつも、何かが足りない自分を埋めてくれるかもしれないケイへの想いが溢れ出ていた。
そして、ケイへスポットが。
「あなたは 幻を観たの」
春特有の掴めない幻のようなイメージを感じさせる、妖しさと透明感のある歌声が凛と響く。
「消えない 春の夜の幻――」
声が幻想的に沈み、ヴァイオリンの音が一瞬、止まる。
一転、悠司の激しいがしっかりとした力強いギターと、ヤナギの絡みつくような色気のを感じさせるベースがかき鳴らされ、激しい旋律のヴァイオリンに重なると同時にスモークは捌け、荘厳な白い照明の中でケイの歌声が再び響きだしていた。
「何処までも続いていく 夜」
一瞬だけ唇を噛み、ためらいを見せた悠司も口を開いた。
「何処までも消えない 夜」
少し低めで落ち着いた声。それでも伸びやかで広がりがある、幻想的な雰囲気にピッタリな歌声。
『散り逝く花弁は とても』「綺麗で」「怖くて」
『舞い踊る蝶はとても』「可憐で」「胡乱で」
掴めない不安定な感じで、春の幻と言う感情のないモノを艶っぽさや妖しさで体現しているケイ。
それに引っ張られるかのように、あれだけ渋っていた悠司の声には春の夜の不思議で幻想的、それに少しの怖さが込められていた。
『嗚呼』「仄白く光る」「仄暗く落ちる」
『春が見せた【幻】』
最後にヤナギも声を重ね余韻を残し――静かに、終わりを迎えた。
雰囲気に飲み込まれ静かだった会場が、一拍の間を置いて拍手と喝采に満ち溢れる。
それらを浴びながら、呆けていた悠司の首にヤナギの腕が回された。
「どうだ、悠司」
何がとは問い返さず「やっぱり、音楽は良いね」と、苦笑を返すのであった――
このあたりから、舞台袖で夢野は修平と合流していた。
「修平君は……元インフィルか。なら有事には俺が庇護るから、その隙に牽制射撃を頼む。魔具の用意はあるのか?」
「あ……ええ、大丈夫です」
ケイの歌を聞いていた修平が、何度もカクカクと頷くと、そこへケイ達がステージから戻ってきた。
「ね、あたし達の歌や音楽に何を感じた?」
「よくわかりません……が、身震いは確かに感じました」
その言葉で、嬉しそうに笑う。
「忘れないで。それが『感動』よ。修平が――」
ちらりと、一瞬だけセレスに目を向け、修平に戻す。
「修平達がきっと、足りてないと思っているものよ。でもちゃんと、持っている。それを覚えておいてね」
「んで、次はうちらの番やな」
軽く息を切らした亀山 淳紅(
ja2261)が、修平の肩に手を置く。淡い橙色のゆったりとしたシルエットのユニセックスのカットソー姿で、黒のギターを肩にかけていた。
「存分に感じ取ってくださいね」
紺色の7分丈カットソーにカーキ色のクロップドパンツ、黒のスニーカーというユニセックスな服装に、黒のショルダーキーボードをぶら下げた川知 真(
jb5501)。
どちらも軽く息が上がっており、声が出やすいようにウォーミングアップを済ませたという感じだった。
すぐに2人の名が呼ばれた――デュオ部門の一番手のようである。
ステージに立った淳紅と真。その姿を見るなり、楽しみにして待ってましたと言わんばかりに、観客席のRehni Nam(
ja5283)の表情がパッと明るくなる。
が、その直後、噛みきれないものでも噛んでいるかのようなモノへと変化する。
(綺麗な人……)
真が一緒に立っているのを見ると、どうにも心中が波立つ感じが。
何となく咳払いして、心を落ち着かせ(ま、まあこれぐらいの嫉妬は可愛いものですよね)と、自分に言い聞かせていた。
「どんどんぱふぱふっ! じゅんちゃーん! まこっちゃーん!」
オペラグラスで覗いていた征治が声援と呼び難い声援を送ると、ニヘラッと笑った淳紅が手を振り応える。
(皆さん全員が、心からの笑顔になりますように――)
2人の歌への本気度が歌う前から会場に伝わったのか、息を呑む音さえ聞こえるほど静まりかえった。
そして淳紅の、あまり派手派手しくない静かなギターの音色。大きく息を吸い込み、真っ直ぐに観客を見据える。
「‘ハローハロー’ 感度良好
進路はいかがですか どうぞ」
やや高い声で、観客に問いかける様な歌声。
「‘ハローハロー’ 通信良好
結構厳しい道のりです どうぞ」
キーボードに指を走らせながら、真が観客を見据えて低い音程で応える様に歌う。
「変わらず空は回ってて 目が回るそんな日々も
ぐらつく世界の中笑う 36.5℃の星を見つけられたら」
宇宙へ届かんばかりの声量で、1人1人の心の隅々にまで響かせるような淳紅の歌声。
いや――届かせるために、歌う。
『‘ハローハロー’』
「届いて欲しい
箒星の様に駆けていく 君の背中に」
魂よ届けと、笑みを浮かべ楽しそうに歌う真。
『‘ハローハロー’』
「聴こえるように 何度でもまた」
声が交差するように2人が顔を向け、お互いの声を干渉しあう。心地好い音の波が、人の心を奮い立たせる。
『笑って 泣いて』
2人の伴奏が余韻を引いて終わり、うつむき加減に目を閉じた。
そして大きくはっきり息を吸い、目を開け顔をあげる。
『歌うから』
2人の声が静かに世界へと浸透していく――人々に感動が伝わっているのを、淳紅も真も確かに感じ取っていた。
(‘ハロー’が届いたみたいやなぁ――立ち止まってる眼鏡君も、ちゃんと受け取ったかいな?)
拍手と喝采、それに感涙の雄叫び(ついでに征治のじゅんちゃんコールも)をその身に浴びながら、舞台袖で呆けている眼鏡君にちらりと目を向けるのであった。
「さー、いよいよ私達の出番だよ! みんなを喜ばせに行こうか!」
これまでイベントのお礼に設営を手伝っていて、そっちの手伝いかと思われかけていた川澄文歌(
jb7507)がアホ毛を揺らし、エゾリスのダウンジャケットを羽織る。
「アイドル部の力、見せちゃいましょう!」
(競争は好きじゃないけど……サーバントがいるなら仕方ないよね)
アイドル部で活動できそうな人をチェックして歩いていた指宿 瑠璃(
jb5401)は息まきながら、シマリスをイメージしたダウンジャケットを。
そしてジッパーをあげる前に、襟元に手を突っ込むカナリア=ココア(
jb7592)。こちらはナキウサギの衣装である。
「寒さで声がでないといけないから……見えないように服の中に貼っておきます」
貼るタイプのカイロを見せびらかすように構え、もう片方の手にはアスパラガスなどの春をイメージしたマイクを4本持っていた。
「聞いてくれるみんなのために、最高のステージにしてみせるよ!」
白フクロウをモチーフにした、ふわふわな衣装。ショートパンツにもこもこニーハイブーツ、翼も出し、もう準備万端な様子を見せつける桜 椛(
jb7999)。ソプラノサックスも手にしている。
「みんな、盛り上がっていけよ!」
レベッカが声をかけると、4人は一斉に振り返り笑顔で親指を立てた。
アイドルグループ『Lila』が、今まさにステージへと。
「みんなー! 私たちの歌、聴いて下さい!」
「したっけ〜、久遠ヶ原アイドル部のめんこい声を聴いて下さい♪」
右へ向け瑠璃が、左へ向けカナリアが手を振りながら伝え、中央には文歌と椛が控えている。
「それじゃあ、歌わせて下さい――『North Springs』」
4人が一斉に片手で顔を隠すような構えを取ると、会場に静寂が訪れる。
曲が流れだすと、瑠璃が担当し、このために作り上げられたダンスが始まった。4人のピッタリ息の合った動きに、十分な練習を積み重ねてきたのが見て取れた。
『雪の残照 残る北の大地に』
アイドルのオーラとでもいうべきものを微笑みに乗せた文歌の声と、椛の声。
『とんびたちが 舞い戻る』
カナリアと瑠璃が、歌いながら中央へと集まっていく。
『『さぁ春が来た みんなで歌おう春の歌を』』
4人のハモリは迫力があると呼ぶにふさわしく、座っていた観客も皆が総立ちとなった。
「さあ、ボクと一緒に踊ろう、歌おう! 音楽はみなで楽しむものだからね!」
椛の華やかなサックスとともに激しくなる曲調、激しくなるダンス。それに合わせて観客も手拍子を入れたりと、わかりやすいほど盛り上がっている。
『North Spring 白樺の木々に囲まれ』
『Happy Smile 私たちのstageだよ』
4人が舞台中央で激しく入れ替わるように動きまわっていたが、いつの間にか横一列に並んでいた。
『『思い切り歌うよ リラの咲く丘で』』
最後に合わせ腕を下からゆっくり、高々と掲げ、曲の終わりに合わせて最後のポーズで決めてみせる(瑠璃だけどうしても下がり眉なのは、仕方ない)。
アイドルの本気を垣間見た観客達は、拍手と、惚れこんだ人の名前を叫んでいた。
「今日は歌わせてもらってありがとう♪ みんなの前で歌わせて貰えて、とっても嬉しいよ」
皆で手を繋いでお辞儀をすると目一杯の感謝と笑顔を残し、舞台袖へと戻って行く。
そして終わらない拍手とコールに確かな手ごたえを感じ、4人はハイタッチで喜びを分かち合っていた――
(やっぱりジュンちゃんの歌声は素敵なのですよぉ……)
今だ冷めぬ余韻引きながら、Rehniが少しのおにぎりと露店で買った物を手に、舞台袖へと向かう。淳紅(と真)へご飯の差し入れであると同時に、そろそろ自分の準備にもとりかかりに来たのだ。
「絣さん、がんばってくださいねっ」
午前の多くを、うみと一緒に屋台めぐりと聴衆として過ごしてきた澄野・絣(
ja1044)が微笑む。
「ええ、楽しんできますねー」
設営の手伝いを続けるうみがステージへと戻る際、何やらおめかしドレスのゲルダが不敵な笑みを浮かべながらオルガンの鍵盤にドレミを書いている横を通り過ぎる。
理子もマウスピースでのロングトーンを始めるなど、皆が本番に備えていた。
(……って、周りレベル高くないですか!?)
周囲の練習風景に、ずいぶん月日を感じさせるティン・ホイッスルに息を通していたジェラルディン・オブライエン(
jb1653)が慄いていた。
しかもお腹も減って、それが拍車をかけている節もある。
「あ、差し入れでーすっ。みなさんどうぞっ」
大量の鈴カステラを持ってきたうみにジェラルディンが手を合わせ拝み、誰よりも真っ先に手を伸ばす。幸せそうな顔であった。
理子の練習を遠巻きに見ていた夢野が、隣の修平を肘でつつく。
「君の目線から見て、理子さんはイケると思う?」
「ええまあ……でも、学園のみなさんのレベルも高いですし、どうでしょうかね」
「理子さんの本気、俺すっごく期待してるんだ。今の彼女、中々アブラ乗ってるよ。いや、脂肪じゃなくて」
目を輝かせる夢野。ずいぶん肩入れしているのが見て取れる。
「君も聴いてみるといい。何か得られるかもしれないしさ」
理子が手を止め、メールを確認するなり軽く咳き込むように笑う――アルジェ(
jb3603)からのメールだった。
『肩の力を抜いて、今の自分を存分に見てもらえ』
アルジェと澄音と海の応援文に、3人で戦隊ポーズっぽいのに絶対にないだろう的な画像が添付されていたのだ。
肩の力が抜け、トランペットの音が響く――だが。
(音に力はあるが――今日はミスが目立つな。この曲も、彼女には向いていないかもしれない)
教えていた夢野は誰よりもいち早く、その事に気づいていたのだった。
それには観客席で、写真についてすっとぼけながらも湯たんぽになれと海を膝の上に乗せていた騎士も、気づいていたのだった。
屋上から観客席へとやってきた千里が、理恵と智恵に合流するなり珍しく自分から口を開く。
「そういえば副部長――中本 光平先輩がこの前、年下の子に浮気してましたよ」
その言葉で不思議そうな顔を浮かべる理恵に、どう見ても驚愕としか取れない表情を浮かべる智恵。
「生まれたての子猫だったみたいで、軽く2時間くらいは」
ウソだがありえそうな話に、理恵は苦笑し、智恵は安堵の表情を浮かべていた。
(これは確定だろうな)
表情を変えず色々と納得していたところで、穏やかで落ち着いた笛の音が耳に入った。その音に思わず、舞台上の人物に目を向けていた。
千日紅と名付けた横笛を吹く、絣の姿。
かつて命を救ってくれた恩人の姿を見るなり呆気にとられるのだが、やがて首を振り、何事もなかったように警備へと戻るのであった。
手を止め聞き入っていたうみが、舞台から戻ってきた絣へなんと言葉をかけていいのか迷った挙句「暖かい春が、もうすぐやってきていますねっ」と、笛を聴いて感じた事ではあるのだが、かけるべき言葉としてはどうだろう。
だがその言葉に終わりのない友情を感じ取ったのか「そうですねー」と笑顔で答えるのだった。
「さーて、真打登場!」
舞台へ飛び出すゲルダ。オルガンの前に立つと印を組む。
「おいで、ヒリュウちゃん!」
タキシードを着たヒリュウが出現し鍵盤の上に足をつけると、跳ねまわり、愛らしいダンスのようなものを披露する。
するとオルガンからは踏んじゃった的な曲が流れ出すと、子供や女性がかわいーと騒ぎ立てる――そう、舞台袖でもジェラルディンがたまらなそうな顔で見ていた。
短い演奏が終わりヒリュウはムッフーと息を吐き出す。ここしばらく練習していたとはいえ慣れない動きに疲れたのであろう。
ゲルダとヒリュウが手を繋ぎ、一礼――聴取が減ってしまうこの部門にしては、ずいぶんな拍手が沸き起こる。
舞台袖へと戻ると、動物好きジェラルディンが詰め寄り「気合、はいりました!」と、舞台へと駆け出していった。
ティン・ホイッスル――昔、農民が吹いていたような身近なアイルランドの笛。あまり高い物ではないが、それなりに良い物である。
(ノーマネーな私でも小さいころから吹いていましたし、暇つぶしの成果も15年積めば……)
静かで伸びのある、切なさが込められた音。選曲も、その笛が実は使われていたというずいぶん有名な映画のED。
わかりやすい選曲に加え、細く高い、音の切なさが見事にマッチしていた。何人かが、自然と涙を落すほどに。
静かに始まり、静かに終わりを告げる。
一礼して舞台から降りた後も、拍手は鳴らない――その空気を壊してしまうのが、勿体なかったからだった。
「さて、私の出番ですね」
左利き用ヴァイオリンを携え、舞台へと向かうRehni。最後に舞台で弾いたのは男装モードでちょっと前の話なのに、もの凄く懐かしい感じがしていた。
「今回も全力で弾ききりましょう!」
舞台に立ち、弓を振る。その間に目は自然と、観客席に座る淳紅を探していた。
見つけるなり口元に笑みを浮かべると、目を閉じて弓を弦に当てる。
(届けこの音この心、ジュンちゃんの元まで――)
ヴァイオリン曲ではだいぶメジャーな曲『愛の賛歌』。死んでしまった恋人の為に作ったとも言われるその曲を、たった1人に全てを注ぎ込むつもりで弾く。
腕前もさることながら、その想いの強さが、他の演奏者に比べ圧倒的な差となって会場を包み込むのであった――
各部門の優勝者がずらりと並ぶ。
男子個人・遙。
女子個人・ケイ。
デュオ・淳紅、真。
団体・文歌、瑠璃、カナリア、椛(この時、分身を残して裏で警戒していた瑠璃が、うっかりでジャージ姿で舞台に上がり、新たなファンを獲得したとか)。
管楽器・ジェラルディン。
弦楽器・Rehni。
それぞれに惜しみない拍手が送られ、舞台は幕を閉じる。
観客が1人また1人と帰っていく中、朝からずっと聴いていた天風 静流(
ja0373)がずっと余韻に浸っていた。
(決して競うでもないが、互いにもっと上手くなりたいと思うその心――そこに武術も音楽も、違いはないのだな)
ゆっくり立ち上がり、舞台に背を向けるのであった。
「よ、理子さん。お疲れ様」
これまで意識的に隠れていた夢野が理子へ会いに来る。
「セ、センセイ……」
「さあ、行くぞ修平」
気を利かせる意味でも、最近ぎこちない感じだったアルジェが修平の手を引き強引に連れて行く。それに海も澄音も面白がって付いて行った。
「今日はどうした? いつも通りではなかったようだが」
ストンと隣に腰を下ろした夢野の言葉に、ややうつむきながら「ちょっと楽しみ過ぎて昨日は全然……」と、声が小さくなっていく。
「寝不足、か。あと、選曲も理子さんの音に――」
夢野に肩を預け、すでに理子は寝息を立てていた。
起こさぬように気を付ける夢野の前を征治が通りがかり「ヒューヒュー」と茶化しては手を振り、去っていった。
機材が全て片づけられ月明かりのみのに照らされるステージに、淳紅がよじ登り、立った。
誰もいなかった観客席にはもちろん、Rehniただ1人。
「レフニーちゃんからの言葉、しっかり受け取ったで。だから、これはそのお返しや」
静かなステージで、Rehniのための歌謡いは、決して他の誰に向ける事の無い想いを歌い続ける――
どこまでも響いている歌声を偶然聴いたのは、伊都だった。反射するその声は1人で歌っているのに、まるでアカペラの様に重なり、響あっていた。
しばらく眼を閉じ聞き入っていた伊都――心に灯がともるのを、実感した。
「よーし……明日からまた、がんばろうじゃないか!」
猛るハートの黒獅子はり両手を天に突きつけ、叫ぶのであった――
春の音楽祭り 終