黙って聞いていた城里 千里(
jb6410)が、期待のこもった理恵の眼差しを気付き、シラを切ろうと視線を外すのだが理恵がイスごと移動して、にじり寄る。
「そ、そこでくっついてこないでもいいでしょ……!」
「んー? 何の事かなぁ?」
「……俺の話なんてたいして面白くもないですよ」
「面白いかどうかじゃなくて、知りたいだけだよ。千里君の事がさ」
理恵の屈託のない笑みと他意はないはずのその言葉に、千里の眉間のシワがさらに深まる。
(ったく、面白がってるな。この部長は、どこまでわかってやっているのか……)
突如放り込まれた暗闇で、千里は状況を整理していた。
天魔の襲撃、それはどこにでもある話。
聞き及んでいた感情や魂を奪われる気配は微塵も感じられない、ただの破壊活動。それもよくある話で、今に始まった問題ではない。
問題があるとすれば、今現在、自分が瓦礫の下に押し潰されていた事。身体を動かそうにも、どこも反応が無い。
(終わった、な)
自虐的だが笑おうとした。だが息も吸えず、それすらも許されない――そんな時に、声がした。
「誰かいるのです?」
そして近くで瓦礫を除く音。答えようにも声は出ないが、不意に涙がこぼれてしまった。
助かるのかもしれない、そう思ったら。
(みっともない……)
だが頬を伝う涙が、温かった。自分はまだ生きているという証。
やがて暗闇に光が差し込み、視界に入ったその人の顔は一瞬、怖いほど真剣になったかと思うと、柔らかく微笑んでくれた。
「応急処理をします。その後、この人を運ぶのです。早く」
――そこで意識が途絶えた。そこからの記憶は、ない。
「で、長い入院生活を経て、ここに編入したんですよ。その人と同じインフィ選んで」
「へー。入院の時の記憶って、ないの?」
その筋の人と思わしき人々に運ばれ、養生させられた映像を思い浮かべたが「そんなものは、ない」と、やや震えながらに言う。
「そっか……もしかしてさ、出席日数足りなくなってたり?」
「あれ、言ってませんでした? 部長と俺、歳はタメですよ」
少し驚いた表情を見せる理恵だが、腕を組んでうんうんと頷いていた。
「千里君はその人の事、好きになっちゃってたんだね」
「……別に、好きとかどうとか関係ないでしょ」
これでお終いと言わんばかりに目を閉じ、背もたれに体重を預けると、うっすら目を開き、天井を仰ぎ見る。
(ただ恐怖した。輝かしい未来など覆い尽くす死の闇に。
そして憧れた。あの涙と共に溢れた、思いの先に見た景色に)
何かを掴もうと、天に手を伸ばす。
(いつか、俺も誰かのその景色の中に立てるのだろうか――)
理恵達の会話を耳にした強羅 龍仁(
ja8161)が、外のまだ芽吹いてすらいない桜へと視線を向ける。
(出会いか……あいつとは確か……)
ぶらりと河原へ満開の桜を見に来ていた、龍仁。当時はまだ黒い髪で茶色い瞳だった。
ナンパされている女性がいるなと思った矢先、その女性は突然、こちらへと向かって走ってきた。
「すみません、彼氏のフリして下さい」
いきなりの要求に目を丸くしたが、短く「わかった」と答えると女性が背中に回る。
追ってきた男達は、龍仁の手前で足を止めていた。
言葉など、発してすらいない。
だがそのえも言われぬ迫力に、男達は蜘蛛の子を散らす様、散り散りに逃げていく。
これでいいだろうと、何も言わずに立ち去ろうとした――が、その前に女性が腕を組んできた。
「折角こうして知り合えたのですから、今日1日、相手してください」
彼女はぐいぐいと強引に腕を引っ張って歩き出す。多少面を食らったものの、拒絶する理由もないかと流れに身を任せた。
桜を一緒に見てまわり、その日はそれで終わった。
その翌日の学校。
いつもの如く、顔すら覚える気の無いクラスメイトと話す事無く、自分の席で背もたれに体重を預け目を閉じていると不意に、目の前に気配を感じた。
「昨日はありがとうございました。強羅さん」
名を呼ばれ目を開けると、そこに制服姿の彼女がいた。
「俺の事を知っていたのか?」
「私の事知らなかったんですか?」
机に手を置き、ずいっと顔を近づけながら質問を質問で返してきた彼女に「ああ、知らなかった」と正直に答えた。
頬を膨らませる彼女――それからだ。彼女がよく話しかけてくるようになったのは。
(あれが始まりか……)
あの頃を思い出して、目を細める――が、すぐに頭を振って思い出した事すらなかったように、再び廊下を歩きだす。
俺は、思い出してはいけない。思い出す資格など、無い。そう自分に言い聞かせて。
見捨てたのだから。
「……俺は許されてはいけない」
耳にしていたのは龍仁だけでもなく、空を見上げる九条 静真(
jb7992)も同じだった。
(えぇ事も悪い事もあるんやけど……やっぱり、思い出すのは……)
小学生の頃、ある日の放課後で教室に差し掛かった時、聞こえてきた言葉。
「アイツ、嫌いじゃないけど……面倒くさい」
その瞬間、静真の表情が凍りついた。
凍りついた表情のまま音もなく引き返すと、上履きを乱雑に突っ込み、靴を履くのももどかしく、踵を踏みながら学校を後にした。
1人で帰る帰り道。親友だと思っていたのは自分だけだったのかと、涙が流れた。
他に人がいようが構わず、泣いた――けれど、声は出ない。
叫ぶように泣いているのに、誰にも気づかれない。それがより一層、自分を惨めにさせる。自分の悲しみは誰にも伝わらないのかと、大声で叫びたかった。
あの日から、もっと周囲を見るようになった。
自分は普通の人と同じように動けていると思っていたが、周囲にはそう思われていないし、気を使わせているのに気付いてしまった。
だから1人で過ごす事が多くなった。誘いの言葉にも、何かしらの理由をつけて断る――それで陰からなんと言われるか、わかってはいても、もう普通に接する事が出来ない。
少しずつ、距離が開いていくのを感じていた。
それを寂しいとは思った――が、仕方ない。人とは違う、自分が悪いのだ。一緒に居ると、重荷になってしまうのだと、自分に言い聞かせて。
そうしているうちに、いつしか誰かに言われた言葉。
「いつも笑ってて、何考えてるのかわからない」
言葉で返そうと思っても、その言葉は出ない。
君と――皆と同じだと。悲しい事もあれば嬉しい事もある。怒る事もあるし、笑う事だってあるのだと。
だが伝える事無く、段々と距離がさらに離れていくのを感じていた。
寂しい。悲しい……
学園への転入が決まった、最後の日。校門で友人が待っていた。
「元気でな」
たったの一言。それでもあの日から、あの放課後から初めて、目を合わせる。
こみあげてくるものがあったが、それでも口元に手を当て笑顔でゆっくりと口を開いた。
(さ・よ・な・ら)
声に出なくとも、自分の口で伝えたかった。
こんな事になってしまっても、君に会えてよかったと思えたから――
少し前の話だ。そう、ちょうど紫苑(
jb8416)が入学したての頃。
身元引受人に放り出されこの学園にやってきた紫苑は自分の容姿の事もあり、同年代と関わった事もなく、びくつかれるのもうっとうしいと、誰とも関わろうとせず自分の席にただ黙って時間が過ぎるのを待っていた。
ただ、後ろが妙にうるさい。
「がちゃがちゃうっせぇでさ……」
気にはなったが、あえて関わろうとはしない――が、唐突に後ろ髪の尻尾を引っ張られ、ギョッとして振り返った。
「きれーなかみ、なの♪」
「……おめーさんは、かわったかみいろですねぃ」
褒めたつもりでもないが、それでも目の前の少女は「ありがとー、なの」と、まるで気にした様子が無い。
それだけでなく紫苑の容姿に驚く様子すら見せず、絶えず満面の笑みを浮かべていた。
「おめーさんはなにものでぃ」
「んと、キョーカは、キョーカ、だよ? てんかいからきたー、なのっ」
「てんかい……てんしですかぃ?」
その問いかけにキョウカが「あいっ」と嬉しそうに返事をするが、すぐに「はんぶんだけ、なの」と付け足した。
半分だけ――つまりは自分と同じハーフである。
初めて会う『同じ』もの。そう理解した時、紫苑はほんの少しの間だけ、目を細めた。
「おれはしおんでさ……キョーカ、ってよべばいいんですかねぃ」
気が付けば、自分から名乗っていた。こんな事は初めてだと、自分でも驚いた。
「しおん……しーたってよんでいい、なの?」
何となくで始まった縁はその日のお昼になっても、まだ続いていた。
キョウカがお弁当(一部恩人作)から卵焼きを紫苑へと差し出すと、戸惑いながらも紫苑もウインナーを差し出していた。
そして卵焼きを頬張ると「あま」っと言葉を漏らしそうになったが、目の前で「おいしいねー」と笑うキョウカがいると、何も言えずに困ってしまう。
そもそも何に困っているのか、何故困っているのか――自分でもわからない。
こんなの、初めてだから。
あれから時は流れ、静真が通り過ぎた駄菓子屋の前。
「キョーカー、まだですかぃ?」
兎の食玩で真剣に悩むキョウカの横で、春紫苑の小さな花束と秘密基地へ持っていくお菓子を持っている紫苑。
春の風が吹き始めた空を眺め、今この瞬間を噛みしめるのであった――
春風に目を細め、紫苑とキョウカが仲良く走り去っていく姿を何となく目で追ってしまった阿岳 恭司(
ja6451)。それから隣の與那城 麻耶へ目を向ける。
真・久遠ヶ原学園プロレスリング同好会。通称、真久遠プロレスの部長にして、自分のタッグパートナーである彼女を見るたびに、今でも胸には熱いものがこみ上げる。
(ブチョー……)
恭司はかつて、メキシコマットを中心に活動していたプロレスラーである。だがある日、突然アウルが目覚め、引退を余儀なくされた。
しかし唯一の取り柄であったプロレスを忘れる事などできず、入学してからも悶々としていた矢先、真久遠プロレスの看板が目に留まった。
(ここなら、続けられるかもしれんばーい……)
気が付いた時には門(実際には戸だが)を叩き、くぐっていた。
そこで初めて、部長である麻耶に出会った。
自分の経歴を伝えると彼女は喜んで迎え入れてくれて、その日から恭司のチャンコ番がスタートした。
この当時、麻耶はプロレス経験者という事で頼もしい人が入部したな、という印象しかなかった。レスラーとしか見ていませんでしたと、後日、苦笑しながら話してくれた。
部室では「ブチョーも、ルチャだったんねー」等と他愛もない事をだべる日々。
だがいくつかの共通点もあり、恭司は麻耶へ敬意を払いタッグを組んだ。
それからというもの、共にちゃんこを食べたり、様々な戦いを乗り越えていく――そんなある日、ふと気が付いた。
(ブチョーと一緒に居るとこう……なんというか胸にこう、来るのは……食べ過ぎて胸やけでも起こしたんかな……?)
だがその想いに気付いた時、はっきり自覚した。自分の気持ちを。
やがてその想いを打ち明けると、麻耶はほんの少しばつが悪そうな顔をする――が、この人に背中を預けたいなって、素直にそう思い、わりとすんなり受け入れてくれたのだ。
麻耶は恭司の視線に気づくと、照れた様に鼻をかく。きっと恭司と同じように、紫苑たちの姿を目で追っているうちに、同じように出会った頃を思い出していたのであろう。
軽やかなステップで正面に回った麻耶が、手を恭司の前に差し出す。
「これからもずっと、お願いしますね! せんぱい!」
のほほんとしている恭司だがその言葉に、力強く、手を握り返すのであった――
「なんだか出会ってから今までが、あっという間でしたし、懐かしいですねー?」
外のベンチへ移動する時、恭司達の握力勝負? に目にした櫟 諏訪(
ja1215)が、藤咲千尋の顔を見ながら笑みで細まっていた目をさらに細める。
紙パックのコーヒー牛乳をすすっていた千尋が、話の流れについていけず、きょとんと首を傾げていた。
「その日の談話室では時間のある人達が集まって、依頼の事、日常の事などを何気なく離していましたねー?
その中にいた千尋ちゃんの、元気いっぱいな笑顔が可愛いなーって思ったのが、きっかけですかねー?」
いきなり何事!? と言わんばかりに目を丸くし、赤くなってうつむく千尋。その姿を見て「とくに照れた姿が可愛いのですよー?」と、さらに追い打ちをかけながら、なでる。
「それで気になり始めて一緒に話したり、依頼に行ったりするのが楽しくって、2人で色々写真を撮ったりするのが嬉しくて、好きだなぁって思ったのですよー?
なんというか、あんま上手く言えないですけど……隣に並んで一緒に歩いていける、そんな感じがしたんですよねー?」
もはやこの時点で真っ直ぐに諏訪の顔を見る事が出来ず、真下を向いて紙パックをぺこぺこと鳴らしている千尋。そんな千尋を座らせると、自分も隣に座り、ギュッと抱きしめる。
人気が少ないとはいえ視線は多少ある――が、それでも諏訪はお構いなしだ。
「実は千尋ちゃんに告白されたというのも、懐かしいですねー?」
空になった紙パックを膝の上に置き、力一杯握りしめる。
「ええと、ええと……あの頃はね、実は恋はいらないやって思ってたんだよ。面倒でツラくて痛いだけだって。
でもわたしも、すわくんと話してると楽しくて嬉しくて幸せで、名前を呼ばれただけでじたばたしそうになって、変だな、困ったなって、思って――」
紙パックから手を離し、諏訪の優しい温もりを感じる腕に手を添えた。
「それで、もっと一緒に居たいなって思って、こ、告白しちゃったね……!!」
ぎゅうっと恥ずかしさに耐えようと手に力がこもり、腕の中に顔を押しつけてもうどんなことになってるかわからない自分の顔を隠す。
そんな千尋の頭をなでつつ、真っ赤になった耳元で「びっくりしましたけど、それ以上に凄い嬉しかったですねー?」と言葉を紡ぐ。
「自分も、千尋ちゃんが好きって言った時は、逆に驚かせちゃったみたいでしたけどねー?」
プルプルと震え、もはや千尋は何も言えない。
「恋人になってからもう、1年と半年くらい、あっという間ででも楽しい毎日でしたよー?」
回した腕に力を込める。
「千尋ちゃん大好きですよー? これからもよろしくお願いしますねー?」
一向に顔をあげない千尋の耳へ、軽いキス――びくんと肩をすくめ、腕の中でグリグリ顔をこすりつけ、足はじたじたと、必死に恥ずかしさを耐え続ける。
(あの頃も今もすわくんは一番近くにいる遠い目標で――でもあの頃より少しは近付けていたらいいな)
あの頃の事を―― 終