空気が凍りついているのではと思うほど静かな夜の闇を引き裂く、エンジンの音。煌々とした光が3つ、降り積もった雪の上を疾走する。
黒い――いや、雪と同じ白一色となった鉄の塊に、しっかりと防寒着を着こんだ6人が乗っていた。
アルジェ(
jb3603)が運転するスノーモービルの後ろで、どこまでも白が続く景色を顔も動かさず眺めていた山里赤薔薇(
jb4090)がポツリと漏らす。
「雪……すごく綺麗」
(……また始まるんだね、奪い合いが)
「もう誰にも何も奪わせないの……」
再び、自分にそう言い聞かせていた。
ほどなくして田沢湖キャンプ場にたどり着き、徐々に速度を落として停車させると、引いていたスコップやスノーダンプなどを積んだソリがモービルにこつんと当たる。
一旦エンジンを止めると、キャンプ場には雪を踏む足音しか響かなくなった。
「静かね。此処でサーバント部隊と戦闘するだなんて嘘みたい」
髪をかきあげ、ケイ・リヒャルト(
ja0004)が辺りを見わたす。
そして、でもと言葉を続けた。
「止めさせて貰うわ……確実に、ね」
「せやな。あん時と違って、ここを通したら人が死ぬ。倒れられへんな」
悔しそうな表情を浮かべ、スコップを手にした亀山 淳紅(
ja2261)が湖へと目を向けた。
「がんばらな」
「そうだな。優一が復帰するまで、ここを抜かせるわけには行かない。背水の陣……だな」
アルジェも淳紅と同じく、まだ目視できていない敵の姿を思い浮かべ湖に視線を向ける。そして今度こそは油断しないと、心に誓う。
「なにはともあれ、まずは足場の確保ですね」
モービルの後ろに乗っていた御幸浜 霧(
ja0751)が紫色のオーラを纏い、立ち上がる。
(寒い中、ご苦労な事だな)
屋根へと登り手作業で除雪を始める皆を尻目に、1人、影野 恭弥(
ja0018)だけはモービルから降りる事もせず、ガムを膨らませながら、ただ敵が来るのを待つのみであった。
「お願いしておいたし、そろそろ到着する頃かしら」
何をと淳紅が口を開く前に、それが大きな音を立てながらやってきた。
雪があまりない地域では馴染のない特殊大型車両に、男の子回路が刺激されたのか目を輝かせる淳紅。
「なんやあれ!」
「除雪車よ。お願いしておいたの――広いし時間もないから、ね」
屋根の雪を降ろしている間にも、除雪車はみるみるうちに降り積もっていた雪を押しのけ、地面を綺麗に平らにする。
運転手は撃退署の人間ではあったが一般人のため、ほんの10分程度除雪しては巻き込まれる前にとすぐに引き返して行った。しかしそれでもかなり広範囲にわたって、戦いやすいスペースを確保できた。
屋根から飛び降り、アイゼンをつけたケイが地面を踏みしめ、足場の状況を確認すると、皆が次々と飛び降りてくる。
「これなら、動きやすいです」
まっ平らとなった雪の上を、つま先で掘るように蹴り、足元を確認する赤薔薇がこっくりと頷く。
同じく満足げに頷いた淳紅が除雪のされなかったところを指さし、ちょっと雪で塹壕作ってくるとスコップ片手に向かって行った。
「時間も短縮できたことだし、いざという時のハンドサインも打ち合わせておこう」
「手信号、ですね」
「ついでにモービルも移動させておきましょうか。すぐに使えるよう、エンジンはかけっぱなしでね」
着々と準備が進んでいくのだが、それでもやはり恭弥は相変わらず。
敵の到着予定時刻が残り10分切ったところで、淳紅がちょっと見てくると、モービルを走らせ双眼鏡を覗き込む。
この時点ではいくら月があるとはいえ敵の姿など見えるものではなかったが、予定時刻が近づくにつれ、夜の闇とは違う何かが湖の上を蠢いているのが少しずつ確認できた。
湖面もじっくりと観察したが、ゆらゆらと揺れるばかりで何かが見えるわけでもない。
そしてとうとう、空を翔ける異形の者達が湖面から陸地の上に到達する。だがそこまできても、それ以外の姿が確認できなかった。
急いで引き返すと、エンジンを止めずにモービルは所定の位置に置いて、屋根へと駆け上がる。
「灯りの、確保です」
地上にいる赤薔薇が淡い光球を2つ作りだし、屋根の上の淳紅も光球を作り上げる。
敵の姿を肉眼で確認した霧が目を閉じほんの少し意識を集中させると、自身を中心にし周囲が明るく輝きだす。
――と、ここで恭弥のモービルが動き出した。
蛇行しながらヤタガラスと蝙蝠猫へ向けて、射撃を繰り返す。
だが繊細な命中精度を誇る彼も、モービルで蛇行しながらなおかつ片手で撃つとなると、いつもに比べ格段にその精度は低下していた。それでも的が元々小さいヤタガラスはともかく、蝙蝠猫の脚に当ててみせる。
蝙蝠猫の雄叫び――当たった事を確認しても、恭弥は近づきすぎる前に車体を滑らせ、横へと逸れながら射撃を続ける。
光源からも離れすぎているためそうそう当たりはしないが、もとより当てる事はそれほど重要でもなかった。
(来るか……?)
様子を見ながら距離を取るが、追ってくる気配がないとわかると、激しい雪煙を巻き上げながら車体を急転換させる。
方向を変えたところで夜空に火球が打ちあがり――激しく炸裂して夜空に強烈な炎の華を咲かせた。
「ごめんなさい、手加減はしてあげられないの」
クマのぬいぐるみを括り付けた杖を振りかざし、赤薔薇が申し訳なさそうな口調で告げる。そしてまだ爆炎が収まらぬうちに、もう一度振りかざした。
炎の華はさらに炸裂し、辺りを埋め尽くす。
もはや炎の華吹雪と呼べるそこから、無数とも言える紅い槍が、屋根へ、地上へと降り注いだ。
「Io canto ’velato’」
歌声が響き、淳紅は紅い光のヴェールに包まれ、足下から伸びた2本の五線譜の帯が交差する。
杖を突き出した赤薔薇の正面にも障壁が現れ、紅い槍は地面や屋根に突き刺さり炎上するものの、それらを突き抜ける事無く、淳紅と赤薔薇の後ろだけは抉られる事すらなかった。
「そんな攻撃は効きはしない!」
「助かるわ、赤薔薇」
赤薔薇の後ろにいたケイも、無傷である。
「そん程度かいな!」
「ありがとうございます、亀山様」
「さすがだな、淳紅」
屋根の上でも、淳紅の後ろにいた霧とアルジェが礼を言う。
そしてもうもうとしていた爆炎が晴れ渡ると、そこにはヤタガラスと蝙蝠猫がやや身体を燻ぶらせながらも飛び続けていた。
(あれほどの攻撃を受けたのに、ダメージが通っていない……?)
決して低くはない一撃だった。だがそれでも一匹も落ちていないどころか、ほぼ無傷にも見える。
訝しみ、赤薔薇が目を凝らすと蝙蝠猫の体表がぞろりと蠢く。
「間違いない、いる!」
警戒を促すと、ヤタガラスと蝙蝠猫の表面がゆっくりとめくれあがってくる。
(衣の様に纏わりついて味方を魔法から守る、そんな役割も持っているのか)
再三にわたってダークストーカを見てきたアルジェがさらに分析する――と、駆け出した淳紅が屋根から跳ぶ。
そこへめがけて紅い槍が、真っ直ぐに投擲される。
しかし当たる前に姿が掻き消えたかと思うと、ルビーヴァルキュリアの頭の上に淳紅の姿が。その手には小屋から失敬した消火器。
頭を踏み台にし、跳躍してはさらに蝙蝠猫とヤタガラスへ距離を詰めると、消火器を噴出させる。
「染まっとけや!」
白い粉が染め上げていく蝙蝠猫とヤタガラス――いや、その表面を覆っていたダークストーカー。
空中で体勢が整えられない淳紅へ、白く染まった鋭い錐を身に纏った蝙蝠猫が群がろうとする。
「させないわよ」
「そこまでです!」
ケイの射撃、霧の翔扇が飛び交い、蝙蝠猫に躊躇させる。
「この寒さでは氷の弾丸になりそうだな……」
アルジェから放たれた無数とも言える水の弾丸、それと距離を詰めた恭弥の射撃で、蝙蝠猫達を身動きの取れない淳紅から引き離す。
さらには赤薔薇から電撃の筋が一直線に、ルビーヴァルキュリアにまとわりつくと小さな火花を散らせた。
動きを止めるルビーヴァルキュリア。
「……捕えた、よ」
その隙に淳紅は姿を消し、自ら掘った雪の塹壕の中へと瞬時に移動。白い合羽を着て、息を殺して身を潜める。
蝙蝠猫の身体からぼとりぼとりと、蠢いていたダークストーカーが剥がれ落ちて屋根の上へと落下、そしてすぐに人の影を見つけては移動する――だが、その身は消火器の粉でところどころ白く、その存在をまるで隠せずにいた。
姿が隠せていないダークストーカーへ、距離を縮めるアルジェ。地面から伸びる鋭利な腕にタイミングをあわせて、腕に裂傷を作りながらも3本爪のクローを突き立てる。
「……さすがに、3度目だ。同じ手は食わない……次は分離でもしてみるか?」
動きを止めたアルジェへすかさず他の1匹が体積を拡げ、覆いかぶさるように包み込んでくる――だがそれもすでに、見た。
所々白い、黒い壁と詰め寄ると錐のような物が突き出てくるが、わかってさえいればかわせない攻撃ではないと身を捻り、爪を突き立てるのであった。
一方、再び翔扇を投げつけた霧へと蝙蝠猫が襲い掛かるが、空中で方向を変え、戻ってきた翔扇により翼を切り裂かれる。翔扇を受け止めた霧は鋭く息を吐きだし、落下を始める蝙蝠猫の首を翔扇でかき切る。
「次……!」
もう1匹と方向を変えたところで、ふとももに痛みが走り縫い止められた。
見るまでもなくダークストーカーの攻撃と悟った霧は唇を噛みしめ、声も立てずに鉄扇を取り出すと、もう1本、地面から伸びてきた錐を受け流す。
そこを狙いすまして、前へ出るケイの銃弾が潜みきれていないダークストーカーを貫くのであった。
「貫いてばかりでなく、貫かれる感触も味わってみればいいわ――もう聞こえていないのでしょうけど、ね」
距離を詰めたケイへと襲い掛かる蝙蝠猫。爪攻撃を腕で受け止め、肌に赤い筋を作り上げる。
「受けた恩は今、返します!」
その蝙蝠猫へと、翔扇を投げつけるのであった――
射撃を続け、ヤタガラスへとどんどん距離を詰めていく恭弥。だがある程度の距離でやはり引き返す。
そしてそんな恭弥へと、いつもより攻撃的な雰囲気を感じさせるヤタガラスは蝙蝠猫から離れ、恭弥へと集まっていく。
(釣れたな)
追い立てられる恭弥はモービルの速度を緩め急速に反転すると、ヤタガラス達のど真ん中目指して突き進む。
纏わりついてくるヤタガラスの身体から、ダークストーカーの鋭い錐が四方から伸びてくるが、致命傷となるのだけは避け、そんなのはお構いなしにわざと包囲された。
「お前たちはもう俺のテリトリーに入った。つまり……終わりだよ」
恭弥から滴り落ちる血が魔方陣を描き、そこから黒いアウルが激しく吹き出したかと思うと犬を模した獣が無数に生み出され、ヤタガラスと、危機を察知し分離を始めたダークストーカーへと襲い掛かる。
無数の牙と爪が、全てを食らい尽くす。
「攻撃は最大の防御って言うだろ」
無情なる牙が喰らい尽くしたかと思ったが、難を逃れた1匹のダークストーカーが空中へ投げ出される様に逃げ出していた――が。
「逃がすかよ」
黒いアウルの中から放たれた銃弾が地へ着く事を許さず、撃ち貫くのであった。
黒いアウルに紛れていた恭弥が目を細め、蝙蝠猫とルビーヴァルキュリアの様子を伺ったが、大丈夫そうだと判断し、気になっていた湖へと目指す――
ルビーヴァルキュリアが動きだし、赤薔薇へと紅い槍を投擲するものの、障壁の前にかき消される。
その動作を読んでいたのか、屋根の上からケイの黒い霧を纏った銃弾がルビーヴァルキュリアの背中へと直撃し、よろめいた。そこへすかさず、赤薔薇の電撃がその動きを止める。
「そのタイミング、もらったで!」
塹壕の中で身を起こした淳紅が待ってましたと言わんばかりに、手に集め凝固して物理的となったアウルを投げつける。それが顔へと当たると、兜を打ち砕き、頭をのけぞらせた。
「‘Resta, oh cara, oh cara!’行かないで。ああ、愛しい人よ!
……なんて、まるで情熱的な愛の言葉やね」
ニッと笑ったところで、屋根の上から跳んだアルジェ。その手の大鎌が、のけぞり剥き出しになったルビーヴァルキュリアの喉へ食い込み、その首を刈り落し着地する。
その横に、ケイも着地した。
「……終わったみたいですね」
蝙蝠猫を退治し終えた霧がひょっこりと屋根の淵から顔を覗かせたところで、湖から銃声が響く。それに反応し、地上にいた一同は止めてあったモービルへと駆け寄り、湖へと向かうのであった。
(確実にいる――だが当たっているかまではわからんな)
夜目を利かせ比較的浅いところに出来上がっている、自然の波とは違う不自然な波紋へと射撃を続ける恭弥。
だが次の瞬間、水の中が明るく光ったかと思うと大きな水柱を立て、当たった事を知らせてくれた。と同時に、水面から戦車型が姿を現す。
蛇行しながら後退し、射撃を続けた。
モービルのすぐ横の地面が雪ごと爆ぜ、戦車本体も砲塔を中心に爆ぜる。それでも戦車型は一度始めた進攻を、止めはしない。
後退を続ける恭弥の横を、アルジェが運転するモービルが蛇行しながら通過する。
「奪わなければ奪われる! 信じたくないけど、それが戦いの本質なんだ!」
アルジェの後ろで赤薔薇が黄金の大鎌を構え振るうと、黄金の刃が襲い掛かり戦車型が再び爆ぜる。
再び雪ごと地面がえぐられたその横を、颯爽と淳紅が運転するモービルが通り抜け、パチンと指を鳴らすと地面から尖った土がいくつも突き上げ、戦車型へと突き刺さり激しく爆発する。
爆発を繰り返しながらも機銃を放つが、速度の乗ったモービルの蛇行に追いつけず、正面から横を通り抜けようとする淳紅とアルジェ。
赤薔薇の黄金の刃が砲塔を再び爆ぜらせると、淳紅の後ろにいたケイが静かにモービルを蹴って跳躍――散々いたぶられた砲塔へとめがけ、銃口を向ける。
「さようなら」
妖艶な笑みを浮かべ、黒い霧を纏った銃弾が発射されたのであった――
「何とか止めたやねぇ」
モービルのシートの上で横になり目を閉じた淳紅が、安堵の息を吐く。じんわりと熱を持ったシートが暖かく、心地好い。
「借りは返した、というところだな」
「奪われずに、済んだんだね……」
崩れ落ちる戦車型を前に、赤薔薇がギュッと拳を握っていた。
雪の上を歩くケイがニッコリと微笑む。
「さあ、帰りましょうか」
さっさと引き上げていた恭弥が、屋根の上で神経を集中させていた霧の真下に、モービルを止める。気が済んだのか、屋根から飛び降りモービルの後ろへと着地する。
「隠蔽能力のあるヤタガラス、いないのが気になりましたが――やはり気配を感じないんですよね。なぜなんでしょう」
「……さあな」
短くそれだけ答えると、口を閉じた恭弥はモービルを走らせるのだった――
【神樹】仙北侵攻/闇翔ける天従 終