●美術準備室前
黒松 理恵の切羽詰った様子に何事かとついてきた6人は美術準備室前で「猫を捕まえてほしい」という説明を受け、呆気にとられてしまった。
そんな中、ハッと我を取り戻した見事なまでにフル装備の美具 フランカー 29世(
jb3882)が目を閉じ、深々と大きな息を吐き出した。
「なんじゃとお? 猫じゃとお? そなた、撃退士をなんだと思ってるんじゃぁ……」
睨み付ける様に片目を開き鋭い眼光で理恵を射抜く――はずが、さっきまでそこに居た理恵がいつの間にかいなくなっていた。
「って、もういねーし」
「やる事があると、もう行ってしまわれましたよ」
車椅子に座り、純大和撫子な雰囲気をかもし出す御幸浜 霧(
ja0751)はにっこりと微笑みながら、廊下の向こうへと顔を向けていた。
美具は苦々しく舌打ちすると、教室の中を覗き込む。
「急ぎの依頼じゃと言うからフル装備でやってきてみれば、一匹の猫を探せと来たもんだ。
それも姿も見えない状態だがいるとの一点張りだけ。おまけに孫請けとくれば、労働基準監督署に訴えたくもなると言うものじゃな……」
労基法が適用できればだけれどと尻すぼみに続けていると、微笑んだまま理恵が消えていった廊下にずっと顔を向けていた霧が、静かに口を開いた。
「アレルギー持ちの同居人がいるのなら、それを理由に断るべきでしたね。そのような事情があるにも関わらずに引き受け、挙句、他人にやらせるなど」
にこやかであるが確実にその言葉には棘があり、美具以上に腹を立てているのは明白だった。自分以上の激情を感じ取ると、人は熱が冷めるという。
「かくいうほど、恋する乙女は傍若無人――どれ。仕方なかろうから、一旦脱いでくるかの」
すっかり毒気を抜かれた美具は、落ち着きを取り戻していた。
「まあ愚痴を言っても仕方ありません。それに、話を聞く限り猫好きの方が猫がいるという以上はいるのでしょうし、速やかな救出は必要だろう」
年長者の余裕なのか、リーガン エマーソン(
jb5029)のしっとりと落ち着いた雰囲気と声で、霧の高ぶりも一応の収まりを見せた。
「全力を尽くして、事にあたっていこう。恋するレディの力になれるのも幸いですね」
「……そう思えるように致します」
「それにしても……住み着いてしまった猫ですか。人に慣れていてくれてると、ありがたいのですが」
口元を押さえ、涼しい顔をしているイアン・J・アルビス(
ja0084)だが、少しそわそわしていた。
教室の戸の前はジェニオ・リーマス(
ja0872)と虎落 九朗(
jb0008)陣取っていて、2人して猫を必死に探している。自他ともに認める猫――いや、もふもふ好きなのだから仕方ないのかもしれない。
「餌も水もない場所に閉じ込められて……可哀想に。警戒して出てこれないんだろうなぁ。」
ガタっ突如戸に両手をかけ、ガラスに顔をぴったりとくっつけた九朗がしきりに頷く。
「……なるほど、確かに気配を感じるな」
彼のニャンコセンサーが捉えたらしい。確信を得たせいなのか、ただ見ているだけでなくにゃーおとか鳴き真似で呼びかけ始める。
「すんなりと出てきてくれれば理想ですが。妙に人を嫌がったりするのもいますからね、弱っていても抵抗されかねない事くらいは頭に入れておきたいです」
「猫と出来れば仲良くなってみたいけど……時間がないですしね」
あまり人とのコミュニケーションが得意ではないイアンだが、ジェニオが共感するように、2人して何度もうなずいていた。
「そうですね。そろそろ行動を開始いたしましょうか。わたくしは少々、イヌハッカやマタタビが野外に咲いていないか探してきます」
「ならば私はペットショップで猫用のミルクなど、できる限り匂いの強いものやおもちゃでも購入してこよう」
「常備している俺に隙はなかった! 任せておけ!」
得意満面にポケットから煮干しと、猫じゃらしを取り出す九朗。
ドヤ顔と呼んでも差し支えない九朗だが、今度は共感しないジェニオは穏やかな顔を浮かべていた。
「好みもあるし、いろいろ用意するのもいいと思うな。うちのハリーが大好きな奴をとってくるよ」
「美具はちょっと脱いでくるかのー……」
フル装備の美具が眉間にシワを寄せ動き出すと、霧、ジェニオ、リーガン達も一斉に動き出す。残されたイアンと九朗は少しだけ顔を見合わせる。
「煮干し、少し分けてください。僕はみんなが戻ってくるまで、気を引いてみます。
30分しかありませんからね……少し短すぎる気もしますが」
「わかりました、アルビス先輩。俺は少し片づけてスペース作っときますんで」
煮干しを手渡し2人して準備室に入るなり「つーか、どれだけ散らかってんだよ……」と九朗はぼやきつつ、部屋の中央あたりを片付け始めた。
その間にイアンは部屋の端の方で煮干しを床に置いたまましゃがみ、近づきすぎず、見つめすぎずと、警戒されないと言われている手段は取っている。
彼もかなり猫を知り尽くしている、そんな気配がダダ漏れだ。
「怖くないですよー大丈夫ですよー」
猫愛にあふれるような猫なで声(本人は気づいていないかもしれない)をかけながら時折、腕時計で時間を確認するあたり、冷静さも失っていない。
数分くらいしてから、だいぶ身軽になった美具がひょっこり戻ってきた。胸リボンを外し、ジャケットまで脱いでいるため結構身体のラインがはっきりとしてしまっているのだが、本人としてはそんなこと気にしていないらしい。
多少の文句はあれども、依頼として受けたからにはきっちり真面目に取り組む。それが彼女にとっての誇りであり、義である。
「どれ、まずは――来たれい。ヒリュウよ」
美具の呼びかけに何もない空間から、コウモリのような翼にエメラルド色の大きな瞳を持った小型の竜が出現する。
「視覚、共有。さあ行くのじゃ」
キィッと一鳴きしたヒリュウは比較的小さいその身体を利用し、デッサン用の食パンとか保管してあるようなロッカーの中、掃除用具入れ、静物用模造品の補完場所などを見て回る。
「む、いないのう……」
ヒリュウの目を通してヒリュウの見ている景色を見ていた美具が、今度は食べられる物がありそうな場所から順次探させる――が、そうそうあるはずもない。
なにより、その場でじっとしているとも限らない。
やがてバケツ猫とかかわいいんじゃね? とか土鍋はないのかと、やや希望混じりの部分を探すようになる。
「ただ今戻りました。なんとかイヌハッカを手に入れれました」
イヌハッカの葉を手にした霧が満足げな顔で戻ってくると、室内を見わたしてからまだ片づけをしている九朗に微笑んだ。
「ご苦労様です。確保した分はいいのですが、できればまずは猫の居場所を特定したのちに、道を作るようにした方がいいかと思いますよ」
「あ、それもそうですね。あざっす、御幸浜先輩!」
霧の提案を受け入れ一旦作業の手を止めると、リーガンとジェニオもほぼ同じタイミングで戻ってきた。
リーガンの手には小さな茶色い紙袋、ジェニオの手には小洒落た手提げの紙袋。どちらも人物像からして、実によく似合っている。
「ミルクと皿をね。それと少々のおもちゃだが……おもちゃは十分にありそうだな」
「ええ、僕も用意しましたよ。うちのハリーがお気に入りの、ミニ釣竿やおもちゃを。もちろん新品です」
そしてまだ見ぬ猫に想いをはせ、夢想するかのように優しく語りかけた。
「気に入ってくれるといいな」
「とりあえず、どこにいるかだけは少し探させていただきましょうかね」
時計を見て、さすがにずっと何もせずに呼び続けるわけにもいかないと判断したのか、腰を上げたイアン。
「穏便が一番ですが、最悪、モノだけは壊さぬように注意しつつ捕獲ですね。時間ギリギリまではしたくない手段ですけれど」
(僕としては最悪、ここから脱出してくれればって実は思うんだよね。
依頼には添えないかもだけど、猫の命の方が大事だし――その時はせめて後ろ姿でも写真か動画を撮って、心配している彼に見せてあげよう。きっとわかってはくれるはず)
猫もダイスキーなジェニオにとっての優先事項は、この場ではとにかく猫の無事、それのみなのだ。もちろん、懐かれて仲良くなれれば一番いいとは思っているが、いかんせん時間が短すぎる。
だがそれは、皆が同じなのだろう。
パンっと手を叩き、皆の注目を集める霧。それから口を開く。
「そうですね。まず生命探知できる方に探っていただき、その情報をもとに入口までの動線を設定。これは猫の移動先に壊れやすい物を置いておかない、という意味です。
それから入口付近の片付けですが……これは、本当に小規模にいたしましょう。それこそ大きなもの等を動かして大きな音を立て、その音で逃げられてしまったら嫌ですからね」
「うむ、その通りだな。その後、確保したスペースに餌を並べ、刺激しないように静かに身を潜め現れるの待つと。
姿見せた場合、連携を取りながら逃げ道をふさぎ、興味を惹かせながら近づいていこう。怯えさせぬよう動作をゆっくり穏やかにし、捕獲しようという気持ち抑えて仲良く遊びたいといった気持前面に押し出していこうか。
仲良くなれたらミッションクリアというところだ」
霧の後にリーガンが続けると、霧は大きくゆっくり頷いた。
「それならまずは探さないとね。生命探知を使わせてもらうよ」
「うっす、俺も手伝いますリーマス先輩」
2人が距離を測り、意識を集中。
「たとえ閉じられたパンドラの箱に希望が残されてなくとも。
我こそ、希望となって見せよう。邪悪を断つ剣となり! 身意転剣!」
九朗の背に大極図が出現し、ジェニオともども周囲の空間に意識を張り巡らせた。
その途端、ジェニオがペイントの缶がみっちり積まれている所の隙間を指さす。そこへすかさず美具がヒリュウを飛ばすと、缶と缶の間に爛々と輝く眼が。
「確かに、おったぞ」
視覚共有で暗闇を慣れない視点から凝視し続けた美具はふうと息を吐きだし、ヒリュウは空間へと消え去る。時間的にはまだ出していられるが、これからは「待ち」なので一旦下げたというわけだ。
場所が確定すると皆は静かに道を作り始め、リーガンはミルクを戸の近くに置いた。
「こちらを餌に混ぜていただきますか?」
「ああ、イヌハッカですか。これは効きますよね」
ニコリとジェニオはイヌハッカを受け取り、匂いが強く出るようほぐし、ちぎって餌にまぶす。
「それをそうですね……10糎程度の間隔でお願いします」
「わかりました」
律儀にきっちりと等間隔で並べるイアン。
「これで出て来たら、あとは皆で優しく包囲じゃな」
「うむ、そうなるね――準備が整い次第、皆で身を潜めようではないか」
シンッと静まり返る室内――だが唐突に九朗が口を開いた。
「この短時間で出てきてくれるかが問題だな。警戒してる野良猫はそれこそ数日かけて少しずつ少しずつ仲良くなんねーとだし……ところでだが、にゃんこ、怪我してたりしないよな?
出てこない理由が、怪我で動けないとかだったら、泣くぞ。俺」
「その時は虎落殿が癒してやればよかろう。とにかく今は静かに待機じゃよ」
「うっす」
再び静かになる室内。イアンの所からカチカチと、時計の針の音だけが大きく聞こえた。
(怖くないですよ、出ておいで)
イアンの祈りが通じたのか、周囲を警戒しながら缶の間からゆっくりと猫が姿を現した。
そして一番近くの餌にスピスピと鼻を鳴らし、ハグリと一口で餌を口に入れると空腹感が加速したのか次から次へと餌につられてやってくる。
そしてミルクまで到達したところで、皆が一斉に動き出した。
「ちっちっち」
「こっちにおいで、お腹すいてるだろ。怖くないよ」
口を鳴らし、構えていた猫じゃらしを振り始める九朗に、餌を持ってゆっくり近づこうとするジェニオ。
逃げ道を塞ぎつつ、ゆっくりと猫用おやつを見せながら近づくリーガンに、とりあえず捕まえようという意思の美具が包囲を狭める。
車椅子の霧は動かないでいたが、腰を浮かしていつでも立てる様に不可視に抑えつつ光纏を展開していた。
そしてイアンは最初と同じように自ら近寄らず、しゃがみ、見つめたいけれどもなるべく目をそらし、手を差し出しているだけであった。
包囲され困惑した猫は――耳を寝かせると、身を低くして狭まる包囲から逃れる様にイアンの下へと向かう。
イアンの差し出された手を、餌の時と同じようにスピスピと鼻を鳴らし――スリッと自ら頭をなでつけたのだった。
「……っ!」
手の中の感覚に思わずイアンは顔をそむけ、くしゃりと顔を崩し、とろけた表情を浮かべてしまった。顔を向けた先に霧がいて、目を細めて微笑んでいた。
ただでさえ女性が苦手なのに、恥ずかしい表情まで見られてしまったイアンはうつむき、猫の喉をなでながら抱き上げると霧の膝の上に置いてそそくさと離れていった。
突如膝の上に置いてかれた猫だが、膝の上で鼻を鳴らすと、キュっキュっと足もみを開始する。
そこへ。
「おまっとさーん! おお、さすがだね」
依頼主の理恵は膝の上で横になる猫を発見し、大きく頷くと猫の顔を覗き込もうとする。
「愛しの彼の好感のために、手柄を自分だけのものとするのはお止め下さいね、黒松殿?」
猫を愛でながら理恵の耳元で霧がそう、小声で忠告した。だが理恵は一瞬目を丸くしただけで、すぐに不敵な笑みを浮かべた。
「大丈夫、猫を確保したのは貴方たちだってのはちゃんと説明するから。それに私の真の狙いは別にあるもの」
「待たせたか!」
息を切らせた『コー平』が飛びこんでくるなり、まず真っ先に猫の姿を確認し――大きな大きな、安堵の溜め息をつくのであった。
「よかった……む?」
何故か九朗と視線を合わせる。いや、九朗も『コー平』を凝視していたからだ。
そして九朗がポケットから煮干しを取り出すと、それに応えるようにポケットから小袋の鰹節を取り出し――それだけで分かりあえたのか、がっちりと固い握手を交わす。
「とりあえず、これで依頼は完了だな」
「じゃな……まったく、撃退士使いの荒いことじゃ」
「野良ではありますけど、人懐っこいコでよかったですよ」
スリッとされた手を眺めるイアンは、満足げだった。
「幸せになってほしいから、引取手を探す所まで面倒見るよ」
ジェニオの申し出に、理恵は指先をまっすぐ、手で制した。
「大丈夫。きっと引取り手で悩むと思って、学校で合法的に猫を飼うための部活をさっき申請してきたのよ。
まあ、まだ申請しただけだし、私とコー平の2人しか部員いないことになるけど、しばらくは隣の教室で飼っていいって許可だけは頂いたから、たまに遊びにさえ来てくれれば大丈夫よ」
そして理恵は『真の狙い』に気付いた霧に、ウィンクするのであった――
『ここに、猫がいるんだ 終』