●重苦しい車内
「敵の数は不明か……」
運転に気を払いながら、それだけを漏らすとすぐに押し黙る。白い服に着替えた影野 恭弥(
ja0018)が運転する車内は、実に静かだった。
「視界・聴覚が遮られた状況か……これはなかなか厳しいな」
鳳 静矢(
ja3856)が百合子の転送メールを確認し、『敵複数もしくは高機動の可能性有り』というメールを作って保存しておく。「竜巻も気をつけないとですね」
あまり場の空気に左右されない天羽 伊都(
jb2199)が明るく振る舞うが、空気が軽くはならない。静矢のように少ない時間での事前準備に余念がないのもあれば、恭弥が単純に、話す必要が無ければ話さないタイプだからというのもある。
肩をすくめ、伊都も地図に目を落して周囲の地形の把握、崖下へ降りれそうなポイント、そして脱出ポイントを大人しく選定する事にした。
(向こうもこんな感じかな?)
●華やかな車内
「百合子は随分と熱心だな……今の所裏目になっているが……」
メールの情報と地図とを交互に見比べていたアルジェ(
jb3603)が、ぽつりと。それには森浦 萌々佳(
ja0835)が、クスリと笑ってしまう。
「百合子さんも無茶される方ですね〜」
「この天候の中とは……何を考えてるのかと、少し説教でもしたい気分ですけどね」
微笑みを絶やさないエリーゼ・エインフェリア(
jb3364)の言葉に、アルジェが頭を振る。
「言って聞く、タマではないがな……」
「そうですね〜そんな感じがします〜」
まだ1度会っただけだが、会った感じの印象から2人して同じ感想を抱いている事に、3人は笑った。
「ですが、大切な仲間。必ず助けて見せますよ〜?」
●降りしきる雪と雷と
メールから推測される目標地点から100m手前で車を降りて徒歩だったのだが、可能ならと、ダメもとで静矢が借りてきたかんじきは意外と効果が高く、積もった雪の上でもたいした負担を感じずにすいすいと移動できた。
ついでに言うならばエリーゼの申請した防寒服は、寒さで無駄に体力を奪われるのを緩和してくれた。
「あれが、車だな」
先行く静矢が目を細め、降りしきる雪の中で時折ちらちらと見える、赤い炎を発見。それと同時に抜き放った朧の刀身が、紫の霧をゆらゆらと纏う。
(黒獅子モード)
伊都の両瞳が金色に薄っすらと輝き、魔装全体が黒色に変化する。その顔を覆う獅子を模った蒼白の兜すらも黒色となり、まさしく黒獅子と呼ぶに、ふさわしい姿である。
「おふたりとも、気をつけてくださいね〜」
静矢と伊都に萌々佳がエールを送り、それぞれが頷く。
「まずは救出優先ですね。アルジェさんの動きに合わせます」
天使の翼が顕現し、大きく広げるエリーゼに、アルジェも翼を広げ、メールを確認した。
先ほどの車内で、崖を正面にみて垂直に延ばした線から、炎上している車両がどの位の角度にあるか。また、高さは凡そどれくらいか――そう、百合子にメールしていた。
それの返信があるかを、確認したのだ。
「なるほど……おおよその位置が絞り込めそうだ。皆、援護を頼む」
危険だが、時間がない以上はすぐにでも崖下へ向わなければいけないと、アルジェとエリーゼが搖動の意味も込めつつ、翼を広げて崖下へ向けて降下を開始する。
道路に残っている静矢、伊都が崖下へ比較的安全に降りれそうなポイントへの移動を開始すると、恭弥と萌々佳もアルジェとエリーゼの周囲を警戒しながらも後に続く。
「仙北から向かってきた際に攻撃されたと言っていたな……なら、恐らくこの方向か。彼らの位置とこの車を結ぶ線の先、そこからやや北寄りに敵がいると睨んでいる」
スッと指をさす静矢。だが、何も言いはしないが恭弥は内心、それだけではない気がしていた。
「ヤタガラスのような擬態能力を持った戦車型……もしくは――」
ブツブツと独り言のように漏らすと、そこそこの高さがある崖下を見わたし、周囲を確認。
(この視界と高低差で、崖下から狙撃したとは思えん)
ならば答えは1つと、服の下に忍ばせてある阻霊符にアウルを送った。
恭弥を中心に、アウルが周囲に伝わっていく――と、すぐ近くで粉塵の如く雪が舞いあがった。雪をかき分けながら地面から何かがはじき出され、数十センチ浮いたそれは大きな音を立てて道路に出現する。
読みが的中。
1両だけだが、戦車はすでにそこにいた。
すかさず発煙手榴弾を投げつけると、大量の煙と雪が戦車を覆い隠す。その煙と雪の幕にぼつんと、突如穴が穿たれる。
「そこですかっ」
恭弥の前に立った伊都が肩に大剣の腹を当てて、戦車との車線に割り込む――直後、激しい衝撃。大剣を持つ手が痺れるほどの重い1撃だったが、受け止めきった。
「狙うなら、こっちですよ!」
吠えつつも横に駆け抜けると、煙には無数の穴が開き伊都の後を追いかけて、アスファルトが細かく弾け飛ぶ。そして主砲を揺らし、その直後にあるふぁるとが大きく消し飛んだ。
注意が伊都に逸れたその隙をつき、恭弥が1発放つと、ありえないほど大音量の炸裂音が空気に伝わる。
「爆裂反応装甲だ。同じ箇所を狙え」
「了解した――翔べ、紫鳳翔!」
普段冷静な静矢が叫び、振り抜いた刀身から紫色の大きな鳥を模ったものが勢い良く飛びだし、真っ直ぐに煙を貫く。
激しい炸裂音。
効果のほどはわからないが、命中したのは確かであった。
戦車の動き出す気配を察知し、突如、恭弥の髪も魔具も魔装も、漆黒に染まる。内なる狂気が自分の精神をジワリと蝕むのを感じながらも、恭弥が構える。
そして撃ちだされる、聖者を滅する黒い炎を纏った弾丸。黒い軌跡を描き、煙の向こうの戦車に直撃。だがまたも炸裂音が。
(見えない状態で同じ箇所に撃ちこむのは、無理か)
内心、舌打ちする黒恭弥。
しかし炸裂音の後、戦車の動きが止まっていた。爆発反応装甲でおおよそのダメージは削げたようだが、それでも威力が勝り相当なダメージを負ったのかもしれない。
動きを止めた戦車が機銃を恭弥に向けて撃ちながらも、砲塔が不意に旋回。誰を狙うでもなく、はるか後方に砲身が向いた。
「車を破壊されたら、困ります〜」
咄嗟で動いた萌々佳が、後ろで待機している車との射線を塞ぐように立つ。
しかし砲身から発射されるよりも先に、立ち込める煙を突っ切り姿を現した伊都が砲塔の可動部分を狙い、大剣を突き立てた。その途端、戦車がぶるりと震えたかと思うと、白い塊となって崩れ落ちていった。
白い塊から大剣を引き抜き振るい、こびりついた白い物を払い落とす。
「あそこが首みたいだね。首を落せば死ぬ、そんな感じのようで」
「では取り急ぎ、降下を始めたおふたりの援護ですね〜」
黒恭弥が肩に当たった傷を押さえながら、返事をすることなく動き出すのであった。
「後ろが何やら、騒がしいですね」
降下しながらもエリーゼが、ほんの少し羨ましそうな目で上を見上げた。面白い事が起きている、そんな気がしたのだ。
そして「そうだな」と口を開いたアルジェだが、自分の声が耳に届かない。
かわりに聞こえるのは、鼓膜が痛くなるほど振動させ高音。話に聞いた蝙蝠猫の、音を消す能力に違いなかった。
(どうやらすでに、効果範囲内のようだな)
(そのようです。ですが一向に砲撃の気配が、感じられませんか)
言葉ではなく、思考の会話を続ける2人。視覚によるものより、肌で感じる気配で周囲を警戒し、蛇行しながら崖すれすれを降下だが砲撃はおろか、敵の気配も感じない。
雪が上手い具合に姿を隠してくれているのと、本来は後ろから狙われる可能性があったのだが、上では今頃、伊都が大剣を突き立てた頃。その危険性も今は、ない。
崖下に降り立つと、二手に分かれて探索を開始する。
いくつかかわしたメールで、崖下から炎上する車を見たとあったからにはと、おおよその方角は分かっている。
そして移動したわけではないならと、それほど崖下から離れていない事も推測できた。ここまでわかれば、範囲はかなり絞られていた。
2人が探索を開始してほどなく、伊都と静矢も崖をゆっくりと滑り降り立つ。
降下していた2人の援護にとスナイパーライフルを装備していた伊都がペンライトを振り、静矢に自分は向こうをというジェスチャーをする。
頷いた静矢が、自分の予想した地点をめざし動き出す。
とはいえ、視界も悪い。音も聞こえない。敵が何体いてどこにいるかも分からない、手探りな状況。
(状況を聞いた限り、敵が複数いる可能性が非常に高いが、はたしてだな)
(メールが来たからには、もう少しか)
警戒していた優一が、少しだけ安堵する。だがまだ油断していい状況なわけではなく、さらに警戒を強める。
ただ――先ほどから砲撃少なくなっている。それは確かだった。知りえはしないが、崖の上で戦車が沈んだあたりからである。
そこを境に3方向だった砲撃が2方向のみになり、1発あたりの間隔も長くなった。今では1方向のみから時折来るだけだった。
背後からの気配。
振り返り、右腕で蝙蝠猫の後ろ脚を払いのけ、追撃しようとしても左腕を動かせず、踏み込む事も出来ない。追いきれず離脱する蝙蝠猫――だが。
横からまっすぐに飛んできた炎の剣が蝙蝠猫の胴体を貫き、燃え広がった。
炎に包まれた蝙蝠猫がいともあっさり地面に崩れ落ち、しばらく悶えていた。
「当たりました――あ、声が出ますね」
もだえ苦しむ蝙蝠猫の姿にニコニコとしたエリーゼが、灰燼と化した蝙蝠猫を踏みつけ、雪の上で横になっている百合子に手を差し伸べる。
「お待たせいたしました。すぐにここから離れましょうか」
「ありがとうございます」
差しのべられた手を取らずに百合子は立ち上がり、雪を払いのける。
「助かったよ――こいつらの範囲は、思ったより狭いのかな」
「そのようだな……あっちの方はまだ音が聞こえなかった」
エリーゼから防寒着を受け取り、羽織ったところでアルジェが姿を現す。エリーゼからの連絡を受けていたのだ。
だがなぜか、その手には帯が。
「優一『ぷにぷに』と『ふかふか』ならどちらがいい? 3秒で決める、3・2・1」
「ぷ、ぷにぷに?」
何の事を言っているのかわからない優一は聞き返したつもりだったのだが、「そうか、ぷにぷにか」とアルジェは問答無用で優一の正面から抱きつくように身体を寄せ、帯でお互いの身体をぐっと縛り付ける。
優一の腹部に女性特有の柔らかみが押しつけられ、それで初めて意味を理解するが、すでに遅し。
エリーゼも百合子と帯でお互いを縛りつけ、抱きかかえるようにしていたが――どことなく優一には2人の視線が痛く感じる。気のせいのはずだが、小さな罪悪感のせいだろう。
(今から2人を連れて、上へ向います。バックアップ、お願いしますね)
エリーゼが崖の上に連絡し、ふわりと浮きあがる。遅れてアルジェも浮き上がると、2人はできる限りの全速で上昇を続けた。
それを追いかける蝙蝠猫がいた――が、その頭部を銃弾が貫く。崖上からの狙撃だ。
「もう少しだ……!」
優一を崖面に向けて飛行していたアルジェが、ほんの少しだけ唇をかみしめた。同様に、エリーゼも一瞬だけ呻き声を漏らす。
2人の背に、小さな傷がどんどんつけられていく。
(どこだ――)
恭弥が周囲を探り、観察を続ける。
風が吹き荒れ、雪と雪の切れ間――そこに、いた。機銃めがけ、引き金を引く。
距離としてはギリギリだったが、ピンポイントで機銃を破壊する腕前はさすがであった。
「大丈夫ですか〜」
崖上にたどり着くと、4人を心配した萌々佳が声をかける。
「問題ない」
「ちょっとだけ痛かったですね」
背中の傷は軽傷と呼ぶには大きく、かといって重傷というほどでもない。それでも動けるのなら、大丈夫なのだろう。
「じゃあ、百合子さん達を連れて撤退ですね〜」
「待ってください。もう少しだけ観察をしたいのですが」
百合子の言葉に「やはりな」と呟くアルジェ。恭弥も何も言いはしないが、邪魔くさいと言わんばかりの溜め息をつく。
「今回は〜前回と違って危険すぎるのですよ〜」
「危険を恐れていては、いつまでも打破できませんので」
頑なな百合子を前にも、笑顔を絶やさない萌々佳――ただし、どこか迫力が増している。
「どうしても残る気ですか〜?」
「はい」
「じゃあ、仕方ありませんね〜」
そう言うと、萌々佳は百合子の肩に手を置き――問答無用で手刀を後頭部と首の付け根に。
ガクンと膝を折る百合子を抱き上げると、萌々佳は「うわぁ……」と洩らした優一に更なる笑顔を向けた。
「さて、行きましょうか〜」
上で撤退を始めた頃、崖下では敵を探っていた――が、敵の位置もつかめず、闇雲に歩いているだけに過ぎなかった。なによりも、敵の位置を予測したがすでに撤退の跡が見られた、というのも大きい。
吹雪が収まり始め、普通に雷の音が聞こえるようになって来たあたりで静矢と伊都が合流を果たす。
「崖の上で出会えただけでも、マシというものか」
「ということですね。予想以上に引き際が早かった、そんな感じかな」
上へ連絡を入れ、結局、2人して引き返すのであった。
崖の上で周囲を睨み付けていた恭弥。戦車や蝙蝠猫への注意もそうだが、それが目的ではない。
(ヤタガラスの擬態能力は完全に透明になるわけではない。つまり、背景色が安定しないこんな日は目を凝らせば見えるはず……)
1度目視で発見した、彼ならではの発想かもしれない。
しかしそれが、まさかである。
恭弥は反射的に最速最短でライフルを構えると、ほとんど直感的に狙いを定めて撃っていた。
そして、それが空中にいた白とも灰色ともつかない背景色に近いが、雪のせいでやや溶け込み切れていないヤタガラスを。見えぬ先の見えないモノを穿つのであった――
「うーん、成功したとも言いきれませんかね〜」
車内で萌々佳が呟くと、アルジェが「そうだな」と続ける。
「無事に救出はできたが、戦車は1両のみしか撃退できず、蝙蝠猫とやらもあまり出会えなかった」
「早々に焼き払ってしましました」
笑顔のエリーゼ。でも仕方がない。状況が状況なのだからと、納得するしかなかった。
「不完全燃焼、とでも言うかだな」
「うん、ちょっとそんな感じですね。ま、救助が目的だったんだし、いいんじゃないかなとか」
行きよりも多少明るい会話ができる車内。その中でも恭弥だけは、黙ったまま、窓の外を眺めていた。
降りしきる雪を、いつまでも――
【神樹】無音の雷雪戦 終