――試合が始まる少し前、シェインエルと百合子の元へ、桜庭愛(
jc1977)とアニーピーチ(
jc2280)が顔を出す。
「レフリーの交代を申し出るですよ。プロレスをよく知っているし、何より、シェインエルさんはレフリーより、『レスラー』としてリングに上がってほしいのです」
「ですが、一般人を上げるわけにもいかないのですが……」
「聞いています。ですから、『一般人がレフリーをさせる訳にはいかない』なら、一般撃退士の私ならばどうでしょうか?
私の最愛の友人とともに試合をしたいですが、その友達が楽しそうに語る貴方こそがリングの上でヴァニタス優と対決するにふさわしく、グラップラー牧瀬に対する敵討ちではないだろうか、そう思うのです」
「……服はあるのか?」
「問題ないです、こちらで用意してきましたので」
そう言って自らの水着をつかみ、脱ぎ捨てた――ら、不思議なことにレフリーの衣装を身にまとっていた。
「だからさっき言った通り、シェインエルは選手としてリングに上がって♪」
愛が笑うと、シェインエルも笑って応え、「頼んだぞ」と窮屈な服を脱ぎ捨てるのであった――
「プロレスルールではありませんが、場外カウントは20カウント――私は撃退士ではありますが、公正明大にレフェリングを行います」
そう宣言したアニーピーチへ優は鼻で笑い、対峙する愛をわずかに身上げる形ながらも見下した目を向けていた。
「レフリー交代の話は聞いていたが、姑息だな」
公明正大を端から信じていない優の挑発にもっと必死になって弁明しそうな愛だが、意外とムキにならず、リングの外へ向けて何手を招く。ハッとした百合子が、愛へ向ってマイクを投げつけた。
優に背を向けて観客へと大仰に頭を下げる愛。
「えー……会場のみんなー、これから見せる試合は同盟が続くかぎり、何度も見ることになる最初の試合♪ 殺し合いじゃない戦いの中で私たちはお互いに歩み寄っていく。私はこの試合を――
『アウルプロレス』と表現したい。此れがその闘いのはじまりだよ♪」
マイクを放り投げ、シェインエルと一瞬目を合わせると微笑み、優へと向き直った。
(ま、少しは考えてるかな)
優を撮影しようと機器をセットしていた浪風 悠人(
ja3452)がマイクを拾い上げると、ゴングが鳴った。
体内の気を充実させ、愛は優の手に注意しながら踏み込んでくる脚めがけて、ロー。回り込むように一定の距離を取りながら、またもローキック。
(まず体勢を崩す――!?)
ローを繰り返していた脚に違和感を感じて見てみれば、真っ赤に腫れていた。
「スネ受け――空手の基本だったかな」
「ええ。膝で受けるほどの技術は無いようだけど、それでも石で鉄を叩くようなものだから、地味でもかなり来るよ。あれは」
鳳 静矢(
ja3856)と悠人の会話が耳に届いた愛は、試合前にアニーピーチが言っていた「空手を引き継いだ可能性があります」という言葉を思い出していた。
――でも。
「それがどうかした♪」
ヒビくらいは入っているかもしれないが、それでも笑顔で愚直にローキック――と見せかけ、脚で足をすくいあげる。片足が浮き、不安定な優へ滑り込み、背面全体に全体重をかけた鉄山靠で優をコーナーまで弾き飛ばした。
だが愛もその場で膝を付き、シェインエルの引き寄せられていく。
「肘を突きだされていたな、今の」
「成程、少しは返しを身に着けたと言うことかな――交代しよう」
跳躍した静矢がリング中央に。悠人は「お前くらいなら1人でも十分だろうね」と、優を挑発しながらロープをつかんでゆっくり登っていく。
「なりふり構わず手に入れたらしいその力……如何ほどか見せてもらおうか」
静矢へ優が一直線に向かって掴みに来るが、両手を袖に入れたままの静矢は体をわずかに捻るだけでその手を捌く。
優の表情がだんだんとムッとしたものになり、これまでよりも深く踏み込んで静矢の腕を掴みにいく。その手は静矢の腕を掴むはずだったが、服を掴む結果に終わってしまう。
「和装はね体格を隠してくれるものなのだよ。1つ賢くなったか?」
踏み込み過ぎた優の顎を紫電の如く掌底で突き上げ、退けるように静矢は上半身を後ろに傾けると、優は考えなしに踏み込んで腹を力一杯殴りにきた。
だが踏み込んできた優へ静矢は鋭く踏み込み、明暗が混ざり合った混沌の紫光を纏った拳で優の顔を殴りつけると、リングを転がってコーナーにぶつかり、止まるのだった。
「空手が少しは身に着いたようだが、その程度では骨肉になったとは言わんよ。もっと鍛錬を積んでみてはどうかな」
「ならばお相手願いましょうか」
優の前に降り立った巴がリング中央へと歩み寄ってくると、それに合わせて後退する静矢はロープを背負い、そして反対側からは悠人がリングインする。
「むしろ望む所。同姓同名の義妹が居る身としては複雑だが……勿論手加減はしない」
「――どうせならゆっくりと楽しみませんか? お互い“急いでも仕方ない身”でしょうから」
「こちらの思惑を察したうえでの提案ですか」
「ええ、まあ」
ダメかなと思い始めた悠人だが、巴が腕を組んでくれたのを見て今すぐ始めるわけではなさそうだと、さっき拾ったマイクをONにした。
「えー、先ほど『主催者』からもありましたように、これからの時代、こんな試合が行われると思います――プロレスに限らず、多種多様で従来には存在しえない、人ではできない格闘技を、これからも魅せていく事を、お約束します――
そしてまずは僕らの――」
言葉を区切り、おかしくならない程度にゆっくりと語る悠人――舞台裏の対決がこの間に終わる事を信じて。
「今更こんなことしてどうなるっていうのよ!」
部屋に飛び込んできた雪室 チルル(
ja0220)が優一へ飛びかかる――と見せかけ、机を蹴り上げて視界を塞ぐ。
その一瞬で、青い羽根を持つ鳳凰のピィちゃんと共に滑りこんできた水無瀬 文歌(
jb7507)が優一の背後と右に。そして戸口にはエイルズレトラ マステリオ(
ja2224)が佇んでいた。
「すみませんねぇ、多勢に無勢で。
別に復讐が悪いこととは言いませんし、お気持ちは十分に理解できます。けれど、色々と不都合がありますので、妨害させていただきます」
恭しく頭を下げ「あなたは悪くありません。都合が悪いだけです」と、身もふたもない事をはっきり告げた。剣呑とした優一の一挙一動に注意しながらも、文歌が一歩出る。
「今、優さん達に何かあればゲートの洋館に捕まってる人達の命の保証がありません……あそこはまだ美鈴さんの旦那さまもいるんです。彼女の守ろうしたものを失わせるわけにいきませんっ」
そしてその目は雅へと向く。
「優さんを止めたい気持ちは私達も同じです。でも今行動を起こせば被害が増えてしまうかも……もし迷いがあるならせめて優一さんとの決着がつくまで手を出さずに見守ってくれませんか……?」
「お前達のしている事は正しい事だし、私に迷いがあるのも確かだ――だが今さらだ!」
雅の矢が文歌へ向けて放たれるも、氷結晶で覆われた盾でチルルが払い落とした。
「分からず屋ね!!」
叱責するチルルがわずかでも雅へ注意が向いたその隙に、優一が乾坤一擲、ショートアッパーを目の前のチルルへとぶつけていた。
それにも反応したチルルは盾で受け止めたのだが、押し込まれて吸収しきれなかった衝撃がチルルの脳を揺らす。そこへ情け容赦ない一撃がチルルを控室の壁際まで吹き飛ばす。
「……どうしても優さん達をこの場で殺すというのなら、私を殺して踏み越えていきなさいっ」
「その寸前までは覚悟してもらうよ」
ついで文歌に――と見せかけ、エイルズレトラの呼びだした小ぶりのヒリュウ、ハートへ後ろ回し蹴りを放つ……が、ハートはかわし、戸口にいたエイルズレトラの手に乗っていたカードは自らの意思で飛んでいくかのように次々と優一へ張り付いていく。そこへ落とされる稲妻が優一を焼いた。
だが聖なる刻印が輝きカードが剥がれると、優一はハートの視線から逃れるように身を低くして文歌の横に回り込み、足先にアウルを集中させ、危機を察してアウルの鎧をまとった文歌へ突き刺すような蹴りを放つ。突き抜けた衝撃がハートすらも貫き、それはエイルズレトラの意識を刈り取りかねない一撃だった。
(――久しぶりに重い一撃でしたねぇ。やはり人の方が数段、楽しい限りです)
相当な深手にはなったが、まだ動ける――そうアピールする様にハートが上へ下へと優一に纏わりつき、その間に体内のアウルが激しく駆け巡り、一瞬だけ気を失ったに留めた文歌がのろのろと立ち上がる。
「まだ貴方に伝えなくてはならない事があるからっ」
そんな文歌へ無慈悲にも近づく優一。それでも文歌は逃げずに両手を広げた。
「子ども……私にもできているかも……貴方が復讐を続けるなら、私と生まれてくる私の子を殺して進みなさいっ。優さん達と同じようにっっ」
優一の脚が、ピクリとして止まる。
そこへ氷結晶の道を作りながら吹き荒れる吹雪が優一へと襲い掛かり、押し出されるように身をよじった優一へ、氷結晶の道からチルルが飛びかかる。極限まで研ぎ澄まされた氷結晶のアウルでその手に氷の突剣を生み出し、逃げ場を失った優一の太腿を貫いた。追いこんでかわす先を制限させる――かつての脳筋も知恵をつけてきたようである。
倒れ込む優一へ素早く駆け寄ったエイルズレトラの手の中で縄が蛇のようにうねって、優一の足と指へ器用に絡みつき拘束する。普段であれば意味をなさないが、今の優一には十分であった。
拘束された優一へ白銀の剣先を向けるチルル。
「あたいの勝ちね!」
「……この傷じゃ相打ちすら狙えないか――雅、ごめんな」
「――仕方ない。それに、本当はこうなる事を望んでいたのかもしれん」
「仇を取る機会は必ず来ますっ。だから今は耐えて下さいっ……それと」
文歌が痛む身体で優一の側で膝を付くと、何かをアウルで形成し、それを優一の傍らへ。
「美鈴さんの自宅に残されていた、貴方宛ての言葉です。
――意気地なしさん、貴方が幸せになるのが私の幸せよ――鈴蘭の花……代表的な花言葉は『幸せが帰る』『平穏』……彼女は貴方の幸せこそ願え、復讐だけの人生なんて望んでいません」
傍らの鈴蘭を見つめる優一は倒れたまま額を床に擦りつけ、低い嗚咽を漏らす。そんな優一の背中を、雅が優しくさするのだった。
(美鈴さんはきっと優一さんの事も……)
「これで終わったみたいね。じゃあ向こうに連絡するわ!」
チルルの言葉に理恵が頷く。
「うん、お願い。それと雅、悪いけどさ――水無瀬さんの傷を治してあげてくれないかな。最優先で」
「ん……ああ、そうだな。母になるのなら、大事にせんとな」
1人、廊下を歩くエイルズレトラ。
「やれやれ、スズカ君がいなくてよかったですねぇ、カッコ悪いところを見られずに済みました――もっと、もっと、先を」
そして奇術士は退場していくのであった――
(これをかわすか)
掌底を胸に受けながらも静矢が巴へ拳を突きだしたが、それは繰り出される前からすでに当たらない方向へとかわされていた。さらにタイミングを被せてきた悠人が巴の背後から神速の手刀を縦に振るうのだが、それを見もせずにかわした。
(見えてないけどかわす――時折、かわしきれずに当たるには当たるけど……直感的な回避なのか? それでも8割くらいかわされると、明らかに勝負にならないな)
鋭い踏み込みで放つ静矢の紫電の如き手刀での突きが、今度はまったく反応できずに巴はその肩に食らう。
悠人も踏み込もうとした時、巴の全身から溢れる雷光に踏み止まり、即座に後退する――が、リング全体を雷が駆け抜け、それが悠人と静矢の身体を抜けていった。
――だが、身体は動く。
「広いが効果は薄いというところか――狭くすることもできるのかね」
「勘が働く者には狭いと当たりませんからね」
またも溢れる雷光に、悠人も静矢もリングから飛び降りる。ついで巴も場外へと着地する。だがアニーピーチはカウントしない。
なぜなら――どちらもタッチしていないから。
その時、チルルの連絡を受けてリングの上が一気に動き出した。
シェインエルが駆け抜け黒炎を手に纏った優に肉薄する――と見せかけ、跳躍する。
上を向いた優の脚へ愛がタックルし、転ばせた優を逆さにして腰を抱きしめると、着地したシェインエルの肩を蹴った。同時にシェインエルが「リパルション!」と叫び、愛と優はアリーナの天井すれすれまで高々と。
「優ちゃん、さっきのお返し♪」
優の脇を足で挟み込みながら、自由落下。たとえ足首を外されようが笑顔も崩さず。
そして跳躍してきたシェインエルが愛と向かい合わせで肩に手を置き、足で優の腕を押さえつけると、今度は「アトラクション!」と叫んだ。
空中で加速し、マットが一気に近づいてくる。
そして
優は頭からマットに叩きつけられた。
すかさずアニーピーチがカウントを開始する。
「わーーん……」
「ふむ、3カウントでしたね。それでは……」
そう場外で呟く巴を挟みながら、静矢と悠人が距離を詰める。
「とぅーー……」
「終わらせるとします」
その瞬間、巴の姿が消え、察知した静矢も悠人も自らの背後からくる一撃をほぼ同時に受け止めた。しかしそれで終わらず電光石火の一撃がまたほぼ同時に悠人と静矢の横顔を殴りつけ、首への手刀、それから後頭部をつかんで2人を場外のマットに叩きつけるのだった。
「すりぃぃぃぃぃーーーー!!」
勝利のゴングと歓声――場外では膝をつく巴と、満身創痍ではあるが気を失わずに身体を起こす2人の姿があった。
「……決めきれませんでしたか」
「あいにく、もっと痛い目を見てきたのでね」
「貴女もしばらくは動けそうにない様子からして、行動の前借、というところですか」
立ち上がり、強がってみせる巴ではあるが、動きは目に見えて遅くなっていた。
「次はお互い、得意な獲物でやりあえたらいいですね……優、引き揚げますよ。敗者はいつまでも留まるべきではないのですから」
呼ばれた優はマットで大の字のまま、観客へ笑顔で応える愛を一度睨み付けてからのろのろと巴を追いかけていく。
静矢と悠人も満身創痍ながら立ち上がり、悠人の顔はまるで晴れていない。
「そこそこ引き出せたけど、納得できないな。肩書き的にも立つ瀬がないくらい、やられた」
「仕方ない、もともとあの縛りではこちらが圧倒的に不利だったのだからね。まあ収穫がなかったわけでもあるまい、これを次に生かしてもらうだけさ」
埃を払い、2人は静かに去っていく。
リングの上では満面の笑みを浮かべた愛がいつまでも観客に手を振っていた。
「みんな、アウルプロレスをよろしくね――!」
【残禍】親善試合の裏で 終