●その日はとても穏やかで
「はい、むっちゃん」
その日の昼ちょっと前、スズカ・フィアライト(jz0323)が新田 六実(
jb6311)へ会うなり、木枠の和風テイストな写真立てを差し出した。六実が首を傾げたので、この日の事を知らないのだと気付いたスズカが説明する。
「今日は恋人の日なんだよ。恋人に自分の写真を写真立てに贈る日なんだ」
「――恋、人……!」
その単語に六実は真っ赤になり、人の目が自分に向けられている気がして俯いてしまう。照れるとか恥ずかしいという感情がスズカにはないのか、平然としている。図体のわりにまだ幼いが故なのか、父親譲りなのか。
六実とスズカのやり取りを見ていたというか、見てしまったというか、恋人という単語が耳に入ったから聞こえてしまったのが、向坂 玲治(
ja6214)と葛城 巴(
jc1251)、ミハイル・エッカート(
jb0544)と真里谷 沙羅(
jc1995)、月乃宮 恋音(
jb1221)と袋井 雅人(
jb1469)達であった。
「写真かぁ……」
巴が先ほど寄った本屋の袋を開け、少し立ち読みした雑誌をぱらぱらとめくり「こんなのを撮ってみませんか?」と玲治にある写真を見せる。
それを見た玲治は一瞬の沈黙の後、目を泳がせて何か考えている素振りを見せてから、「ああ、わかった。やってみよう」と、難しい顔をしたままであった。巴にはそれが嫌な顔ではなく、思案顔である事はわかっていたが、何を思案しているのかまではわからない。むしろ会話をかいつまんだ恋音の方が察してしまっていた。
「……あのぉ……お撮りいたしましょうかぁ……?」
知人故に放っておけなかった恋音の申し出に目を丸くさせた巴だったが、わずかな時間悩んでから「お申し出はありがたいのですが……」と玲治にも見せた写真を恋音にも見せた。
「これを撮りたいわけでして……その……」
「……おぉ……なるほど……ううん、これは確かに、撮ってもらうのも難しいものがありますねぇ……上手くいく事をお祈りいたしますぅ……」
お互いにぺこりと頭を下げ、玲治と共に巴が行ってしまってから恋音に雅人は向き合った。
「世にラブコメをお伝えする身としては、是非ともやらなければいけませんね。使命ですらあります」
雅人の言わんとしていることを理解してか微笑む恋音――が「というのは半分建前でして」と、その言葉の後に続けられた言葉で耳まで赤くして俯いてしまう。
「僕は恋音を愛する恋人ですからね」
(さすがだぜ、雅人。ためらいもなく言えるとはな)
感心するミハイルが隣の沙羅を見ると、恋音に感化されたのか少し赤くなり、ミハイルを意図せずしてやや上目づかいに見あげていた。羨ましいとか言って欲しいとか、本人はそんなはっきりと自覚はしていないのだろうが、きっとそうと呼べるような気持ちが沙羅の中に生まれつつあるのだろうと、ミハイルにはわかる――好きになるとは、愛するとはそういうものだと知っているから。
だがわかってはいるが、ここではあえて伝えない。
そのうちに沙羅が「素敵な風習があるのですね」と話を切り出した。
「ああ、そうだな。知ったからにはやるしかない――まず写真立ての用意だが、せっかくだ。どんな写真立てを贈るかはお互い、渡すまでのお楽しみと洒落こもう。中に入れる写真は……見慣れた場所だが、屋上でツーショットというのはどうだろうか」
「いいですね、それは。さっそく準備をしましょう」
ミハイルは「ああ」と返事をしたが、沙羅から離れる気配がない。さっそくと言った沙羅自身も、ミハイルから離れる気配はないのであった――
「行きますよ」
両腕を広げ待ち構える玲治に向かって、巴が駆け寄る。
(少し遅いかもしれません)
そう思った巴は駆け寄る速度を上げ、飛びつこうとしたその瞬間、パシャリというシャッター音が聞こえてしまったがついた勢いはそうそう消せるものではないし、すでに踏み切った後だった。
遅れたからタイミングを合わせるために加速して、さらに踏み切るタイミングも早めたため少し目測を誤り、速度も角度も完全に想定外だった玲治は顎に頭が直撃し、目から星が出る。それでも何とか受け止める踏み止まるのであった。
今のはかなり痛そうだと思った巴は同時に、明らかにタイミングをミスっていたのだから避けてもよかったのにと思ったのだが、腕の中でよくよく考えたら、玲治が自分を躱すはずがないと気付いた。
申し訳なく項垂れて「ごめんなさい」と伝えた巴だが、そんな巴に「謝るような事は何もない」と玲治は少しぶっきらぼうだが優しい言葉をかけてくれる。
「……難しいですね」
「まあ、な」
これまでに撮り直しを何度もしたが、遅すぎたり早すぎたり、あるいは目を瞑っていたり髪が乱れすぎていたりと、納得のいく成功が一枚もない。
「いっそ動画を撮って、そこから画像を抽出するか」
「よくわかりませんが、機械に関しては玲治さんにお任せします」
「恋人の日かぁ……写真どうしよっかなあ」
日も真上より傾きかけた頃、商店を歩いていた卯左見 栢(
jb2408)は朝起きて、休日出勤前の百合子から話を聞き二度寝から生還した昼さがり、外に出たはいいが、こうやってむむむと悩んだまま歩いていた。
百合子がしたようにスマホで自撮り画像をいくつか見てみたが、やはりこれだと思うものがない。
(自分で撮っても、おねーさんに向ける様な顔は作れそうにないし……)
「――そうだ!」
いいこと閃いたといわんばかりにふふりと笑う栢は「おねーすぁんを探しに行こう!」と、走りだそうとした――が、すぐに腕を組んで小首を傾げる。
「おねーすぁん、どこにいるかな。どうせなら連絡なしで見つけて、驚かせたいよね!」
「百合子なら臨時斡旋所にいたぞ、卯左見」
栢にそう声をかけたのは中本 修平(jz0217)と共にいたアルジェ(
jb3603)だった。君田 夢野(
ja0561)と矢代 理子(jz0304)も一緒にいるところをみると、ダブルデートのようである。
「あっりがとう、アルジェちゃん!
――百合子おねーさん待ってて、栢さんがいま、会いに行くからね!」
走り出す栢を見送ったアルジェは「さて」と、3人の方へと向き直った。
「そういえば理子、近くにいい店がある、ちょっと行ってみるか? 行ってみるかというよりは、行こう。例の相談にはうってつけだぞ」
半分、有無も言わさずと言わんばかりに理子の手を取り、夢野から引き離したアルジェが「おっとゆめのん、すまないが女の子の秘密というやつだ、しばらく理子を借りるぞ」と言い残し、行ってしまう。
「ああ――それなら俺は修君連れてちょっと寄る所があるな」
「寄る所、ですか」
修平がまるで心当たりがないという顔をするので、夢野はコホンと咳払いひとつして、指を1本立てた。
「今日は恋人の日だそうで、恋人に自分の写真を入れた写真立てを贈るんだ――いやさ、俺もつい最近知ったイベントだけどさ。今は写真立てだけを買って、中身は後で……ってのはどうかな」
まあ発案はアルジェさんなんだがと、口の中だけにその言葉を漏らす。
「写真だけ、後ですか」
「何もない箱の方が、後から何でも詰め込むことができると言うものだ。それに修君はアルジェさんにハッキリ伝えたのか?」
「それは――」
「お互いにもうわかっているのかもしれないが、それでもやはり伝えることは大事だ。こういうのは『なあなあ』じゃやはりだめだし、いきなり言えなくなってしまう事だってあるかもしれない――だから、俺は理子さんに伝えたんだ」
照れながらも少し得意げに先輩風を吹かせてみせた夢野の言葉に、修平は雷に打たれたかのように立ち尽くすのだった。
――その頃、知る人ぞ知る古びた雑貨屋まで理子の背中を押してきたアルジェは道中、今日という日が恋人の日である事を今更ながらに知った。
「なるほど。ユメノンや理子が写真立てや写真をどうしようと言っていた意味を、やっと理解した。
恋人に写真と写真立てを贈る、か……どうりでユメノンにしては気の利いた事をすると思った」
「夢野さんはいつも気が利いてるよ」
「それは理子に対してだけだ――そうなると、もしかしたら向こうも同じ事をしているかもな」
アルジェと肩を並べ、写真立てを見ながら「そうだね、修平君もきっと」と理子が返すと、心なしか表情をあまり動かさないアルジェの顔がひくついたような気がする。
「修平はユメノンに教えられて、初めて自覚しそうだが……それにアル達はまだ、だ」
「今の話、興味深いです」
棚の向こうの桜庭 愛(
jc1977)がぴょこりと顔を出す。話を聞いていたというよりは聞こえていた、という様子であった。
「恋人のような関係、でも適用されるよねアルジェちゃん」
「……まあそうだろう。桜庭にもいたのだったか」
アルジェの問いに不敵な笑みを浮かべるだけの愛。それだけでも十分な答えと言えた。
「そうなると買ってみますか――ところで、プロレスに興味はありませんか?」
愛の勧誘にアルジェと理子の2人は首を横に振ると、愛は「そうですか、残念」とそれほど残念そうな様子は見せなかった。その時、店の奥から大きな声が。
「これです、これ! このサイズでこの材質の木を求めていたんです!」
3人の視線が集まった先に、変態――いや、恋人のショーツを顔に被ったパンイチのほぼ全裸――やはり変態と呼んでいいだろう。正義の変態ヒーロー、ラブコメ仮面がいた。今日のパトロールついでに、立ち寄っていたらしい。
とにかく変態、いや、ラブコメ仮面は四角い長方形の木材を手に、感動していた。
「待っていてください、恋音。私の本気をみせますからね!」
股間のパンツに手を入れ、紙幣をカウンターに叩きつけるように置くと、笑いながら立ち去っていく。
「……まあ、久遠ヶ原だからな」
耐性が無くて蒼い顔をする理子の背中を優しく叩くアルジェ。愛の方は平気な顔であるが、残念そうに首を振っていた。
「女の子なら、申し分なかったんですけどね」
「写真立てに入れる写真について、ですか」
「……はい、そちらのご相談、ですねぇ……どのような写真がよろしいのでしょうかぁ……」
「あまり、自分で自分の写真を撮った事もないんですよね?」
「……そうですねぇ……写真立てはご用意できましたが、肝心の中身が問題なのですよねぇ……」
アルミ製で白銀の写真立てにはラインストンでデコレートされており、上には牛乳瓶と勾玉の飾りがついているそれを眺めながらそんな会話をし、そして百合子と恋音の目の前にある書類の山はどんどん低くなっていく。
「……何か特別な服装やポーズなど、あるのでしょうかぁ……?」
「服装やポーズに決まりはないでしょうね。自分が可愛いと思えるものを選べばいいだけですし、この自分なら自信あるという一枚でいいと思うんですが」
それほど深く考えずに出た言葉ではあったが、片付いた書類をトントンと整理しながらも恋音は「……自分に自信ですかぁ……」とそれこそ困ったような顔をした。
その呟きだけで恋音が自分に自信がない事が伺えるなと、そんな女の子をたくさん見てきた百合子だけに気づけた。
そしてそんな女の子の多くは自信がないだけでちゃんと可愛い事を知っているし、それを他人が伝えたところでどうにかなるものではないというのも知っていた――ので、それに関しては余計な口を挟まない。
「いい写真を撮るというのなら、写真部とか新聞部に頼むというのもいいんでしょうけど、今はどちらも忙しくてなかなか捕まらないでしょうね」
「……お、おぉ……そうなのですね……うぅん、そうなりますと、困りましたねぇ、撮っていただこうと思っていたのですがぁ……」
そう言う恋音が百合子の残している書類に手を伸ばした時、斡旋所の入り口が勢いよく開かれた。
「おっねぇぇすぁ〜ん!」
飛びこんできた栢が座っている百合子へ真っ直ぐ向かうと飛びつくように抱きついて、頬を擦り合わせる。それから正面から抱き合う形のまま百合子の膝の上に座ると、百合子と正面から向かい合う。
「今日は恋人の日、写真を贈り合う日なんだよね……? だから、アタシの写真を新しく撮ってくれませんか? 恋人のことを想いながら、撮られたいの」
そして、ニッコリと笑って続けた。
「だって恋人専用の写真だからね」
それを聞いていた恋音は百合子以上に感銘を受け、「……なるほどぉ……」と小声で呟くと、書類をまとめだした。だが栢も百合子も恋音の呟きが耳に入らないのか、見つめあったままである。
やがて百合子の方から口を開いた。
「――もちろん、いいですよ。ただ、仕事を終わらせてから……?」
戸の閉まる音に気付いた百合子が戸に目を向け、ガラスの向こうで恋音の後姿を確認すると、仕事机に視線を戻す。きっちりと整えられた処理済みの書類しか残っておらず、残すは百合子の手元にある一枚だけである。
(さすがですね……)
感嘆しながらも最後の一枚に捺印して、栢の腰に腕を回す百合子であった――
「よ、また会ったな」
食事処で沙羅と一緒のミハイルが手をあげた先のテーブルに座っていたのは少し遅めの昼食をとっていた巴と、難しい顔をした玲治だった。巴と沙羅の目が合い、互いに頭を下げて会釈する。
だが玲治だけは気づいていない様子である。
その程度で気を悪くしたりはしないミハイルが見えたのは編集している動画で、これは邪魔をしては悪いと思ったのか「がんばれ、玲治」とだけ声をかけ、2人のテーブルから離れるのであった。
「うまくいきそうですか、玲治さん」
声をかけるのだが、昼食をとる前から動画の抽出を試している玲治が乱暴に頭を掻くので、思わしくない事を知る。
「やはりデジカメでしょうか。午後からは2倍速にしますか?」
「……そうだな。数撃ちゃ当たるだろう」
――そう決めたのが、すでに3時間以上前の話。撃退士の体力であればTAKE200くらい楽勝だろうと笑っていたのはもはや過去。
最初こそは少し笑えたり、ときめける要素もあったのだが体力と精神力をしこたま削られて、ここまでくるともはや作業のように黙々とこなし、イチャラブ要素が皆無になってしまった。救いなのは玲治へ飛び込む時の巴の顔は最初と変わらず、照れたようなはにかんだ笑みを浮かべ続けている事だった。
何枚か納得できる写真もあったはずだが、それにも気づかず延々と繰り返し続け陽光にオレンジが混ざり始めたあたりになると、どちらもヘロヘロであった。
助走の距離も短くなり、飛びこむ勢いも弱まっていく。
だがこのままではいけないと巴は助走はそのままに、飛びこむ勢いを強めた結果、またも想定外の勢いに押された玲治は巴を受け止めるも勢いが殺せず、そのまま後ろへと倒れ込むのだった。
「ご、ごめんなさ――」
すぐに起き上がろうとした巴だが、背中に回された腕は弛むことなく、起き上がる事は許されない。
顔だけでも持ち上げた巴は玲治の襟からちらっと見える彼の体に、いくつか痣があるのを発見した。そして胸の上で見上げると、顎に少し痣がある。
(こんなになっても、文句を言わずに……)
胸の奥がキュッとする――顔を起こした玲治と目が合い、しばらく見つめ合っていた。もっと間近でという意思が働いたのか、巴は無意識に前進して、倒れた玲治と顔を正面から向き合わせた。
玲治の頬にそっと触れる。
一瞬、玲治が息を飲んだかと思うと、背中に回された腕に力がこもった。
「……写真だけじゃなくて、巴も欲しいな」
飾らない、率直な言葉。玲治の腕は巴の首の後ろへと回り、引き寄せる。
身を委ね引き寄せられるまま、巴は目を閉じていた。
唇が重なる感触。間近で感じる、互いの息づかい――巴は空いた手で玲治の髪を優しく撫で、その手から癒しの温もりを伝える。
巴からの熱を感じ取った玲治は痛くなってしまいそうなほど回した腕へ力をこめ、より一層、巴を求めていた。そして巴もまた、玲治の髪を何度も優しく撫でていた。
一緒に過ごした時間は、崇寧真君を亡くした時のように辛い物であっても消える事はない。だが楽しかった物も同様に消える事はなく、それらの時間は『永遠の一瞬』となって刻み込まれる。
そしてこの『永遠の一瞬』も、2人は心へ刻み付けるのであった――
(……やはり少々、早いですかぁ……)
赤く染まり始めた学園の屋上で恋音は校庭を見下ろすと、倒れ込んだ巴と玲治が見えてしまい、夕焼けの赤とは違う朱に染まった顔で振り返って視線を外す。
するとすぐ目の前に、驚いた顔をした雅人がいた。
「お、驚かせようと思ったのですが、驚かされてしまいましたか……!」
驚いた顔の雅人の顔に、恋音は自然にくすっと笑ってしまう。恥ずかしかったのか、頭を掻きながら照れている雅人――恋音には驚いた顔も、照れた顔も、全てが愛しい。
一通り照れ終わったのか、表情をキリッと戻すと賞状でも渡すかのように写真立てを恋音の前に突きだした。
雑貨屋で見つけた木材を木彫りして、毛羽立たないようしっかりと入念にヤスリをかけツルツルに磨いた、木目を生かした自信作。そこに普段の自分が映った写真(やや顔がキリリッと作ってあるが)が入っていた。
「はい、普段のキリリッとした私で飾るも良し、パワフルでセクシーなラブコメ仮面で飾るも良しです」
受け取った恋音が写真立ての上からはみ出ている部分を引っ張ると、重なっていた後ろの1枚にラブコメ仮面が顔を覗かせていた。
だがそれすらも、恋音にとっては大事な、嬉しい1枚である。
大事そうに両手で抱え、本人かのように写真立てを抱きしめる。
しばらくそうしていた恋音はくるりと雅人に背を向け、再び向き直った時にはその手に白銀の写真立てと、ポラロイドカメラ。
「……そのぅ……写真は撮っていただけませんでしょうかぁ……? これが一番、自然体のような気がするのですねぇ……」
「もちろん、撮りますよ。大事な恋人の写真ですからね」
臆面もなく言いのける雅人へ、耳まで赤くなった恋音はカメラを渡す。
雅人が覗き込むと、夕日に照らされた恋音が誰に向けるよりも自然な笑みを浮かべ、学園に来る前は感じたことのなかった幸せなこの瞬間を、雅人がパシャリと切り取った。
カメラから出てくるのは雅人しか知らないであろう、笑顔の恋音。きっと本人でさえも知らない。
「……どう、でしょうかぁ……?」
「うまく取れていますね」
はにかむ雅人が写真を渡すと恋音はそれを写真立てに入れ、雅人がしたように前へと突きだした。仰々しく受け取る雅人は写真立てをまじまじと見つめ、「綺麗だ」と呟く。
「……ベースは既製品ですが、デコレーションは少し手を加えていますからねぇ……」
「僕が綺麗と言ったのは、恋音、君だよ。とても――綺麗だ」
そんなはずはないと思いながらも、赤く俯く恋音の心に広がる温かい感情。それを何と呼べばいいのかよくわからないが、とても心地よい物なのは確かだった。
そんな恋音の手を引き、正面から肩を抱き寄せた雅人。至近距離で「愛していますよ、恋音」と囁く雅人の顔が近づき、恋音はそっと目を閉じる――
恋音と雅人がいなくなってずいぶん時間が経った頃、屋上の戸が開かれた。
「よし、まだ見えるな」
三脚を担いだミハイルが、ホッと胸をなでおろす。
少し暗くなり始め、気の早い家庭ならもう灯りを点けてしまうだろうが、まだ十分街並みも海も見えるほどには明るい。それでいて西の空にははっきりと一番星が浮かんでいた。
ミハイルの後ろから姿を現した沙羅が風景を見るなり、小さく頭を下げる。
「こんな時間までかかってしまい、申し訳ありません」
「いや、写真立てはお互いに贈るまで秘密だと言っておきながら、なかなか沙羅から離れようとしなかった俺が悪いのさ。もう少しだけ、もう少しだけ一緒にと言っているうちに、こんなギリギリの時間まで一緒にいてしまったのだからな――少しでも長く、沙羅の側にいたいんだ、俺は」
「……私もです」
頬を赤く染める沙羅にそう言われ、(か、かわいすぎる……!)とミハイルの心臓は見事に撃ち抜かれていた。
よろめきながらも頭を振ったミハイルは何とか踏みとどまり、まず写真を急がなければいけないと三脚を立てる。
「背景は街が見える方と、海が見える方の2種類に分けよう」
「2人の写真の他、風景だけも撮りませんか? 一緒に暮らすようになった時に2つの写真立てを並べて飾り、両方とも2人の写真を入れたり、片方に2人の写真、もう片方に風景の写真を入れて並べる事ができたりと、日によって組み合わせを変えてみたりなどできるように」
「……いいな、それ。俺達の学び舎から見た風景が見られるってのは――もうすぐ卒業だしな」
さっそく数枚、風景をカメラに収めると、いよいよ三脚に乗せてまずは2人のいない街並みと一番星の風景を1枚。沙羅と一緒にその画像を確認すると、次はセルフタイマーをセットして沙羅と共に駆け出した。
そこでポーズの打ち合わせをしていないのを2人とも思い出したのだが、それでも打ち合わせたかのように手と手の指を絡めあい、背中を合わせ首を捻る。
そして互いの視線が交わった時、シャッター音が響く。
「……しまったな。沙羅を見てて、カメラの方を見てなかったぜ――いや、これはこれでいいかもしれないな」
ミハイルが沙羅へ問いかける様に視線を送ると、沙羅も「そうですね」と笑ってくれた。
今度は海と月を背景にして、同じような写真を。
そしてその場で現像された写真をのうちツーショットを1枚、沙羅に渡して、背を向けて写真立てが見えないようにしながらもう1枚を写真立ての中へと入れる。
「よし、沙羅。準備はできたか?」
「――はい、いつでも大丈夫です」
沙羅の返事にミハイルは「いっせーのッ」と振り返り、枠がステンレス製で右下に開いた本、左上に色とりどりの星が散りばめられた写真立てを沙羅の前に。ミハイルの前にはシルバーフレームのシンプルでスタイリッシュでありながら、二輪の花が寄り添う繊細な彫りこみ細工がなされていて、花の中心には沙羅の瞳の色とそっくりな琥珀色のガラス玉と、ミハイルの瞳の色にそっくりな青いガラス玉がはめ込まれているものが出された。
お互い「まあ……!」「うおぉ……!」と言葉は違えど感動がシンプルに伝わるものが口から出ていた。
「これは俺と沙羅が寄り添っているみたいだ……! いつでもいつまでも、変わらずにな!」
両手で沙羅から貰った写真立てを天にかざし、感動のあまりか身動き一つしなくなる。まるで天から神々しい光でもその身に受けているかのようであった。
沙羅の方は指で本をなぞり、星を何度もなぞりながらどんどん口元がほころんでいく。
「星、なんですね――」
「――ああ、覚えているだろうか。ナイトクルーズの沙羅の星空教室……まだ付き合う前だったな。それに、七夕祭りも一緒に楽しんだ」
沙羅の手にある写真立ての星を見ながら、続ける。
「夏の無人島のキャンプ、星空の下でプロポーズした――大晦日のパーティーは2人で抜け出して『あけましておめでとう』したな……冬の星空が綺麗だった」
一番星を見上げ、目を細めた。
「星に縁があるんだ……俺達の輝ける未来の象徴だ」
そして最後に、沙羅と目を合わせる。
「愛している、沙羅。2人で幸せな未来を築いて行こう」
「理子さん、珍しく難しい顔しているな。どうかしたのか?」
「……え? あ、いえ――修平君とアルジェさんがの事をちょっと考えてたんです……」
夜道なのによく見えるなと思いながら、パタパタと手を振る理子。
「あの2人は……まあ、修君が動かない事には変わらないだろうな」
「ですよね!?」
言ってしまってからあっと口を手で塞いで、理子はうつむいてしまう。
(少しずつ、新しい理子さんを発見できるな――あぁ、戦いが終わりゆく今、平和な日常を深く噛み締められる……)
理子に貰った楽譜のような写真立て(ほとんどアルバムのようなサイズ)を思い浮かべ、さて何を入れようかなどと考え始める。様々な物を思い浮かべ、考えるだけで楽しくなってくる。
(入るところはたくさんあるし、写真立てに入れるべき思い出も、これからいっぱい作れるだろう。きっと……)
「理子さん」
「はい?」
「俺は君をずっと愛し続けるから、一生、よろしく」
夢野の不意打ちに理子はふぇっと謎の言葉を発し、それから「……よろしく、されます」と答えるのだけで精一杯だった。
夢野達と別れ、修平と2人きりで歩くアルジェ。
気まずいはずはないのだが、間にある空気は何となく気軽に話せるものではなかった。
それでも意を決して、アルジェは口を開く。
「……今日は恋人に自分の写真入りの写真立てを送る日らしい」
重苦しそうな空気に修平の口も重く、「……らしいね」とだけ返す。
アルジェは溜め息でも出てしまいそうな口から、何とか言葉だけを吐き出した。
「だがアルたちはまだ……だから写真はそうなった時に交換しよう」
そう言ってアルジェはラッピングされたものを、修平の胸に押し付ける。すると修平はその手をつかんで、別のラッピングされたものと入れ替えるようにして受け取った。
「――ああ、よかった。修平から貰えた」
ホッとするように微笑むアルジェはそのまま踵を返し、「今日はこのへんで」と一方的に告げ、修平を残して走り去っていった。
(あのままでは余計な事を言ってしまいそうだからな……待てると思っていたが、こういう感情はやはりコントロールが難しい)
走るよりいっそ空を飛ぼうかと上を向いたが、誰かが誰かを抱いて飛んでいるのを見て踏み止まり、アルジェはその足を動かし続けるのであった。
「ぬふふふふふふふふふ……」
テーブルの上にある自分が用意した写真立てと、コンビニで現像してきた自分の写真を見ながら、栢は1人、笑っていた。もうどのくらいそれを眺めているかわからない。
「早くおねーさん帰ってこないかなぁ……!」
そわそわする栢が立ち上がるのと、インターホンが鳴るのはほぼ同時だった。
「おっねぇさぁぁぁぁん、おっかえりぃぃぃぃい!!」
駆け出す栢。その顔は、百合子に撮ってもらった写真に写った自分そのものであった――そう、どんな時よりも幸せな笑みを浮かべた自分に。
言葉も交わさず――いや、交わす必要もなく、ただひたすら愛の背と足に腕を回し、いわゆるお姫様抱っこのまま空を飛び続けていたシェインエル。
空が白やみ始めた頃、やっと愛が「あそこに降り立ちましょう」と指をさした。
学園からずいぶん離れたどこかの公園で、白い花を咲かしている木の下に着地したシェインエルは愛を降ろす。降ろされた愛はベンチの上に東へ向けた写真立てを置いた。
その時ちょうど、写真立てが朝一番の光を反射する。
振り返る愛はシェインエルに背を向け、これから出てくるであろう太陽へと向き合った。
「ん、ほら、見える? 日の光が夜を祓うように、平和な世の中がやってきている。それは、私達とあなた達が掴み取った未来」
「私は未来のためにそれほど何かをしたわけではないがな」
シェインエルがそう言うと、愛は首を横に振る。
「ううん、そんなことはないよ。シェインエルのおかげで救われた人もいる――私だって、そう」
写真立てにあるのは、いつぞやの金網デスマッチの後に並んで撮った、笑顔の写真。
今の愛にも笑顔はある――が、その笑顔がわずかに曇った。
「でも、まだ、私達の夜は終わってない。私達の共通の敵……あいつを止めないと多くの人が嘆くから」
「――ああ」
「きっと私だけじゃ、倒せない。みんなの力が必要になってくるし――シェインエルの力も必要になってくる。その場にいてくれなくても、シェインエルが想ってさえくれれば、私の力になるの」
ここでまた振り返り、朝日を背に、愛はシェインエルと向かい合う。
そして大きく息を吸い吐き出すと、これまで以上に爽やかな笑みを浮かべた。
「私を想い続けて、シェインエル」
恋人の日に 終