●向かったその先に
(あそこであの後、何があったというんだ)
戸蔵 悠市(
jb5251)が眉間にシワを寄せ、笹や和菓子を手にあの日、星守昴を含めた皆で歩いた道を慎重に進んでいた。
(とりあえず、なっちゃんが気にしてたから来てみたんだけどね)
以前に悠市と同じく昴からの依頼を受けた昔馴染みが気にしていたからと、それだけの理由で来ている藤井 雪彦(
jb4731)。
目的地が近づくにつれ、皆の緊張が高まっていく。
そして棟上げが終わったばかりの建物が、やっと見えた。さらに距離を縮める、撃退士達。
――と、突如、建物に灯りが灯され、人影が映しだされる。
「まず皆さんに1つ、お詫びを申し上げます。ここに天魔はいません。皆さんに集まってもらうための嘘依頼です。すみません」
光を背に昴が頭を下げると、後ろの2人も同じように頭を下げる。
「ひと月前、俺達親子の関係がみんなのおかげで元に戻りました」
不安しかなかった昴の顔にもはやその面影はなく、キリッと自信に満ち溢れていた。
「俺ら撃退士はみんな、明日も生き延びれるか正直わかりはしない身です。しかも過去、この力や他の様々な要因で悔んでいる人が多くいます。きっとこの中にも、いることでしょう」
自分の手に視線を落していた昴が、撃退士達を一瞥。そして続けた。
「だから今度はちゃんと、俺が――俺達がみんなの掛橋になれればいいなと思い、こうして集まってもらった次第です」
そして3人は色とりどりの小さな紙切れを皆に手渡していく。
「俺自身も忘れてましたが、北海道の多くの地域では今日、8月7日が七夕なんです。先月にもうお願いしたと言う人もいるかもしれません。けど今度はそれに、解決してみたい自分の過去を書いてください。
もちろん、これで解消されるとも思っていませんし、解決しなければいけないわけでもありません。でも今一度、振り返ってみてください」
「はワ……!? 七夕祭りです?」
ミリオール=アステローザ(
jb2746)が声を張り上げていた。
ほっと胸をなでおろした東城 夜刀彦(
ja6047)が、レイ・フェリウス(
jb3036)に微笑む。
「何事も無いのなら、それが一番ですしね」
「ん……大事無いなら、いい」
悪く言えば騙されたのだが、それで怒る様子を見せる者はさすがにいなかった。
「なるほど〜そーゆ〜わけね♪ んじゃボクじゃなくて、なっちゃん本人が来るべきだったね〜」
雪彦は昴から短冊を受け取りそう言うと、昴は少しの沈黙の後、あっと声を上げる。
「ああ、そうかなっちゃんってあの人か……でもいいんですよ。俺らは撃退士のみんなに感謝してるんですから。父さんも母さんも、助けてもらったみたいですし」
ちらりと星守麻里子に目を向けると、随分テンションが高まっているミリオールに短冊を渡していた。
「麻里子さんも前よりも明るくなってて、良かったですワっ」
「お陰様です」
その微笑みに、辛さも陰りも一切ない。その様子が嬉しくて、ミリオールのテンションはさらに上がっていくのであった。
「調査依頼だと聞いて来れば……また、とんだ茶番、だな」
「いやはや、申し訳ないね」
言葉とはうらはらに、どこか嬉しそうなアスハ・ロットハール(
ja8432)は星守永一から2枚、短冊を受け取る。そして1枚、なにやらブツブツ言っているメフィス・ロットハール(
ja7041)に手渡す。
「短冊に過去ねぇ……」
思い出されるはディアボロ化した両親を殺した事。そして悪魔への憎しみ――そんな仄暗い想いばかりで、いつしか黒い雰囲気を纏わせ始める。
「いつか、奴らを滅ぼしてやりたい」
剣呑な様子で、誰にも聞こえないほどの声で呟く。
(振り返りたい過去、か……あの頃は論外だろうし、ここに来る前も言われて殺して生き残っての繰り返し……今とそこまで変わらんし、な)
アスハが隣をちらと覗き見。剣呑としたメフィスの横顔が目に映る。
(それに、今と天秤にかけてまでとなると……そうだよ、な)
「……出会ったころからやり直したい、とか書いたら、誤解されかねん、な」
彼女の空気を少し和らげようと冗談めかし、自分の事は思いつかないならばと、短冊にこう書き込んだ。
『彼女にとって幸せだった日々が、戻ってきますように』
冗談が耳に届き、なおかつ自分の様子から色々何かを感じ取ったアスハのその願いを覗き込んだメフィス。少しだけ無理に笑みを作る。
「馬鹿ね、自分の過去の願いを書きなさいよ」
「僕にとっての願いはメフィスが幸せである事だから、な」
その言葉でやっと、無理をしたものではない、自然な微笑みを浮かべた。
「それに、あの頃よりアスハとの今のほうが幸せなのよ――たぶんね」
ほんの少し軽くなった心。あの時の想いが晴れる事は決してないのだが、それでも先ほどよりはずっとマシだ。だから短冊には。
『あの時、家族を守れる力が欲しかった』
決して解決する事もかなう事もない、願望を書いた。
(もっと早くに力が目覚めていれば――そうすれば守れていたかもしれない)
でも。
(あの事があったから、こうして出会えたわけだけどね)
目を細め微笑みながら、ごく自然に指と指を絡ませ、肩を寄せ合う。流れに身を任せ肩を寄せたアスハは目を閉じ、ぽつりと。
「……撃退士も、悪くないかも、な」
そう言ってから正面に人の気配を感じ、うっすら目を開けると雨宮 祈羅(
ja7600)が口元に手を当て、ニヤニヤしているのが目に入ったが、気づかないふりをする。
やがて短冊を手に2人から離れると、天の川を見上げた。
「織姫と彦星が年に1度会える日、か……」
さっきの2人にあてられたというわけではないが、少しだけ胸が締め付けられる。あの人の事を思い浮かべてしまったから。そして広大な空で1年に1度しか会えない、2人の事を思い浮かべる。
「考えてみれば、あの2人強いね。年に1回しか探偵さんに会えないんだったら、たぶん会える日以外は屍のようかも」
いつも考えるのは、彼に重体してほしくない、怪我もしてほしくない、幸せにしたい――そればかりだが、彼が安全策で留まりたくないだろうというのは、知っている。心配で心配で仕方ない――けど。
「うちも撃退士だから、ね」
言葉通り、命を懸ける時もあるとわかっているつもりだ。それでも心配で弱ってしまう自分が、嫌だった。
「だから、強くならなくちゃ」
それは願いではなく、覚悟と呼べるものだった。
だから願いは別にある。
「契約通り、うちはいつでもがんばって笑顔でいい人生を歩む。だから――」
『ずっとみんなで笑顔で生きていられますように』
そう、書き記した。
そしてこそっと裏の方に小さく、できればこれからもずっと探偵さんと一緒にと書き足し、短冊を愛おしそうに胸の前で抱きしめるのであった。
「解決か……」
そう独りごちる、癸乃 紫翠(
ja3832)。心なしか、その言葉には重いものが含まれている。
(姉夫婦と共に襲われた時刻、その場所を通る原因になったのは俺だった。あれで姉夫婦は死に、俺も重傷を負った。その後悔はミシェルと共に歩むと決めて、生かしてくれた感謝に変わったから、今はいい)
すぐ横で短冊に何を書こうか悩んでいるミシェル・G・癸乃(
ja0205)の顔を思い浮かべ、頷く。
(そうなると両親、か。あの件以来、荒れていた俺に不安と恐怖を抱いて、両親は俺を見なくなった。理解できる……だから諦めていた)
「あれから16年か……」
それだけの年月が経ってしまった。いまさらだし、修復できるとも思ってはいない。だが――願うのは自由だ。
『許してもらえますように』
(家族には戻れなくてもいい。けど生きててもいいよな?)
そんな紫翠の横顔を眺めていたミシェルは、不意にクスッと笑う。
(最初は親友の叔父さん、お兄ちゃん、恋人……そして旦那様。驚くほどもの凄い変化だし)
そんな彼が横にいて、ミシェルに笑顔と幸せをくれる今ではかけがえのない存在。
笑顔と幸せいっぱいの自分。だから願うは自分の事よりも、彼の事である。
下手な日本語で、思いを込めて一字ずつ。
『いつかシスイが父様、母様と仲直りできますように』
ミシェルも気にかけている1つの事――それが彼の両親との不仲である。
何があったかも、知っている。でも、彼も両親もお互いを気にしていると、ずっと思っていた。
「シスイは何て書いたりだし?」
問われ、自分よりも気にするだろうからこんな内容を彼女が知らなくていいと「内緒」だと言っておく。
「願いは、話さない方がいいらしい」
「じゃぁ、アタシも内緒だしっ!」
ニコっと微笑みかけると、紫翠も微笑み返す。
「ミシェルの願い、叶うといいな」
「うん」
ミシェルは祈るように目を閉じ、ギュッと短冊を握りしめる。
(生きているからこそ、いつかはあって欲しい。どうか、願いが届きますように……)
何事かと構えていたが、サプライズ七夕という事情を聞いてほっとした澤口 凪(
ja3398)と、少し戸惑い気味だがどことなく安堵の表情を浮かべているやや強面の桐生 直哉(
ja3043)。
短冊を受け取った2人は漠然と過去を振り返った。
凪は学園に来る事で思い出せた、故郷と家族を亡くした時の事。学園で得た大切なものや場所。
もしも天魔がいなかったら、無くす事もなかった。
(けど、それじゃあ学園で得るものもなかったんですよね)
沢山の辛い事があったが、それと同様にたくさんの楽しい事と嬉しい事があった。それはきっと自分だけではなく、学園にはたくさんいると思っている。
無力さや昔を忘れていた事に自分を許せない時もあったが、多くの人と出会い、それは変わった。いや変わり始めた。
「よし……こう、かな?」
『もう、自分を嫌いにならないで皆の隣にいられますように』
「直哉さんは?」
「俺は……」
ずっと考えていたのだが、やはり何度思い返しても1つの事しか思い浮かばないでいた。だがそれは願いでどうこうするものではないので、どうしたものか思案していたのだ。
未だ死因不明にされたままの親友と、元恋人――それがずっと引っ掛かっているのだが、それについては自分を学園に推薦してくれた撃退士が知っている。
(お前が成長したら、ちゃんと教える、か)
そんな約束をすでに交わしている。だから願いではなく、決意を書き記した。
『いつか本当の事を知る為に頑張る』
それを見た凪は「らしいです」と白いリボンを揺らして笑うと、直哉の表情も和らぐ。そしてふと誰かに気付き、凪の頭に手を置いて、その人物の元へと向かった。
「――過去を、振り返る……」
1人でそうポツリと呟いていた常塚 咲月(
ja0156)。
(過去……前は白銀の雪の世界だった……)
2人の幼馴染の姿を思い浮かべる。その2人は自分とあまりにも違い、2人を見る眼差しにはいつも羨望が混じっていた。
「色んな事があったな……」
1つ年上の幼馴染に護ってもらった時、自分にアウルが発現。そして学園に入る事になった。そう、決めたのだ。
学園では色々な人に会い、話し、触れた。それから自分の世界に少しずつ色が増えて、今はもう、真っ白ではない。
「前より、凄く暖かいから……」
「咲月さん」
名を呼ばれ振り返ると、直哉と凪がそこに居た。
「あれ……? 直哉くんも、凪ちゃんも来てたんだ……?」
「ええ、まあ」
「あ、そうです、咲月先輩! 一緒に短冊流しましょう!」
憧れの人に出会えた凪のテンションは跳ねあがり、咲月の手を取って振り回す。その提案に薄い笑みを浮かべ「いいよ……」と柔らかく、優しい声で応える。
まだ短冊に願い事は書いていないが、もう書く事は決まっていた。
自分の世界は小さいが、それでも今は色鮮やかでキラキラしている。だから――
『自分の世界の人達を、自分が冷たくなるまで守れる様に』
そう書こうと決め、凪の頭をなでるのであった。
短冊を渡され急な展開に戸惑いつつ、普段ならそうそう考える事もないのだが、周りの雰囲気に流されるというやつだろう。
地堂 光(
jb4992)は深い、思考の海へとダイブする。
施設時代、周りに流されていたとはいえ、とある人物を傷つけていた事があった。正直、それを後悔している部分がある。
(アレが原因で、あいつはアウルを暴走させちまったしな……俺のせいだ、なんて言ってもきっとあいつは自分のせいだと言うに決まってるけどな)
突如、背中に衝撃を受け思考の海から強制的に引き上げられた光は前のめりになりながらも、振り返った。
腕を組み、小さい胸を懸命にそらしているグレイシア・明守華=ピークス(
jb5092)の姿がそこにあった。隣には一口羊羹を片手に花月 芽依(
jb5975)もいた。
「何しやがる、明守華……!」
「依頼の最中にぼーっとしてるからよ。まあ、調査の名目で来た訳なのだけれど、示されたのは助けられた事への感謝と自らを振り返っての過去を問い質して欲しいって話でしょ?」
「だから振り返ってた最中だったつーの……で、そっち――そちらの人は、誰なんだ?」
「えっと、初めまして花月 芽依です。よろしくお願いします」
「なんだか1人でうろうろしてたから、声かけただけ。これは光って呼んじゃっていいわよ」
「お前、また適当な……まあいいか。地堂光だ、改めてよろしくな。ところでその羊羹とか、どうしたんだ?」
当初誰もが調査依頼として来たからには、それほど余計な物は持ってきていないはずである。ましてや羊羹など。
「用意してくれたみたいです。ご自由にどうぞって言うから……」
「おーお前らも来てたのか」
牛乳片手にラファル A ユーティライネン(
jb4620)が3人に声をかけた。
「ラファルか。甘い物ではなく牛乳って所が、あんたらしいな」
「さすがの北海道、しかもジャージー種の牛乳みたいだから、飲んでおかね―と」
ニッと笑い、牛乳の瓶に口づける。
「で、あんたはもう短冊書いたのか」
そう問われ、ラファルは困惑気味な表情を浮かべて短冊を見せる。白紙だ。
「これを俺にどうしろと……天魔の調査だからってんで来たのに、いきなりこんなもん渡されてもよぉ。あいつらの事なんか知んねーし、どんな顔すりゃいいんだよ」
「そうね。あたし自身も少し戸惑い気味だけど、そういうのが本来の目的ならばやってみるのも、悪くないんじゃないかしら」
明守華が頷くと、短冊をひらひらさせていた渋い顔のままのラファルも「まあせっかくだからなぁ」と、さらっと書く。
『バカ姉死すべし』
(ずぼらでいい加減なあのバカ姉め。あの事件でさっさとトンずらこきやがって。おかげでこっちは全身機械化だっつーの)
本人の知る所ではないが、敵を引き付けそのまま姉とは生き別れになったラファル。
一方的に嫌っていて、いまさら関係の修復なんてさらさらないが、決着は必要だと常々思案していたりするのだ。
短冊を吊るしに行ったラファルの背中を見送り、光は芽依に向き直った。
「花月先輩はもう書いたのか?」
「まだですが、書く事はだいたい決まってます」
兎のぬいぐるみを力強く抱きしめると、願いを書き込む。
『病気で入院している祖父の病気がよくなりますように』
実に分かりやすく明確な願い。それだけに、ひしひしと思いの強さが伝わってくる。
「あたしも考えなきゃね」
明守華が過去を振り返り始めると、途中だった光も目を閉じ、再び思考の海へと。
(そう、施設が焼け落ちたのはあいつのせいじゃない。俺達のせいだった――それでも再会を果たした時、思わず突っかかってしまったっけな)
派手な殴り合いの喧嘩を思いだし、光が苦笑する。これ以上ないくらい、見事に負けたことも。
(悔しかった反面、なんだかすっとした。それからあいつは、親友として俺のストッパーになってくれた)
かけがえのない友を得た瞬間を思い返し、目を見開くと短冊に書き込んでいた。
『俺とあいつがいつまでも、こうありますように』
光が書き終えてもまだ、明守華は考えていた。過去と言われ、取り立て思い浮かぶ事と言えば自分自身のルーツであった。
(養子と名前から英国系と日系が混ざってると推測されるけど、姉さんはあたしと違って髪が黒だし、違いすぎるのよね)
天涯孤独、という言葉がちらりと頭に浮かんだ。だけど、と思い直す。
(雰囲気的には何となく血筋が繋がっている気がするし……この辺は両親が不明な事も相まって、いずれ尋ねてみたいものではあるのよね)
ふと思い立って、忘れぬうちに短冊へ。
『いつか広がりを知りたい』
「血縁がいるのが判っていても、それ以上の広がりが見えないと不安な所よね」
得意満面な笑みを浮かべ、短冊を吊るしに行くのであった。
届かなかった手の先。そこにあった命を自分はずっと覚えているのだろうと、夜刀彦は虚空に手を伸ばし、それからひっこめる。
自分の手をじっと見つめた。
「どうして、この手はこんなに小さいんだろうね」
欲張りすぎているのだろうか、身の丈を超えすぎているのだろうか。それ以上に――力が無さすぎるのだろうか。そんな事が頭に巡り続ける。
俯いた夜刀彦の後姿。他にも夜刀彦の様に辛そうな顔を浮かべている人に気付き、沢山の人が沢山の思いを抱えて日々生きているのだと痛感するレイ。
「もっと、を願うことは……悪い事では無いと、思うよ」
俯いた夜刀彦の背中に、そう告げた。誰かを想い、手を伸ばすことをどうして止められようか。
「足りないのなら、手を合わせればいい……そのための仲間なんだと、思う」
力が足りないと感じている夜刀彦のもっとを叶える為に、誰かを助ける為に、自分は――自分達はそばにいるのだ。
「頼っても、いいんだよ」
しばらく沈黙が続く。
(喪った命が戻らないということ。人はいつも前に進むしかないということ。それは分かっている)
だから喪った命を嘆いても、そんな言葉なんか届きはしない。それよりも、感謝の言葉を届けるべき人達がいる。
辛い時、そこに居てくれた人達へ。
「レイ先輩、ありがとうございます」
力なくではあるが微笑みを作ると、短冊に筆を走らせた。
『いつも向かう先に希望を掲げれるように、前へ』
(もう立ち止まらないから)
吹っ切れた様子の夜刀彦にレイは目を捕捉し、優しく微笑む。
そしてレイが願うのは大切な人達の行く末。
少しぐらい挫けてもいい。だけど最後にはどうか逃げないでほしい。立ち上がり進もうとする限り道は続いているからと、その想いを筆に乗せる。
『いつも向かう先に希望を掲げれるように、前へ』
辛い時に手を差し伸べれるようにと願っての言葉が、夜刀彦の想いと重なっていた。
代理で来ただけの雪彦だが、せっかくだからと短冊を手にしながら昴の母、麻里子をぼんやりと眺めていた。いつもとかわらぬはずの笑顔だが、どことなく寂しそうに。
(もう一度だけ母さんと話せたら嬉しいけど……会えないな)
母は守りきれず、すでにいない――そう思い込んでいた。すでにいないのは事実だが、守りきれなかったというのはあくまでも雪彦の主観であり、しっかりトラウマとなっていた。
だからきっと母がいたとしても、家で自分が大嫌いな父やよく出来た兄と暮らした方が喜ぶのだろう。そう本気で思っている。
(でもボクは、あいつらを見返すための……母さんを見捨てたあいつらへの復讐を諦められないんだ)
笑顔の下の仄暗い想い。その復讐の決意を確認する意味で、短冊にこう書いた。
『ボクの火が達成まで消えない事を願う』
一見すればその真意がわからない短冊を手に、いつもの明るくおちゃらけた雰囲気を取り戻した雪彦はハンカチを手に女の子へと近づいていく。
昴の両親をぼんやり眺めていたのは雪彦だけでなく、ユイ・J・オルフェウス(
ja5137)も同じだった。その目尻から、今にも涙がこぼれ落ちそうなユイは「お父さん、お母さん……」と、蚊の鳴くような声を漏らしていた。
(私も、お父さん、お母さんと、一緒にいたかった、です)
2人は正直に生きてと、自分に願った。ユイの両親はまさしく、正直者だった。
だから天魔に騙され、ゲートへと連れて行かれてしまった。正直者だったからこそ、死んでしまったのだ。
「でも、2人とも、素敵な人だった、です」
自分には難しいかもしれない。けど、自分は2人のような素敵な人になりたい。そう願っている。
だから書く事は1つ。
『お父さん、お母さんみたいな、人になりたい、です」
書いてしまうとより一層2人の事を思い出してしまい、目尻に涙の玉を作り始めてしまう。
(我慢、です)
そう言い聞かせても、涙の玉は大きくなる一方。いよいよこぼれるかという時に、誰かがそっとハンカチの角で吸い上げてくれた。
「女の子には涙より笑顔さ♪」
完全復活した雪彦に、ユイは警戒しつつも何とか述べた。
「ありがとうございます、です」
「……解決したい過去、か。いっぱいありすぎて書ききられへん気がするなー」
用意された椅子にどっかりと腰を掛け、テーブルに置いた短冊の前でんむむと亀山 淳紅(
ja2261)は悩んでいた。
守れなかったこと。理解できなかったこと。悲しかったこと――この学園に来てから自分の過去にはそんな出来事が多すぎて、どうにも書ききれる気がしない。
だから解決とか願いではないが、期待を短冊に込めた。
『自分がどんな時でも、自分の大切にしてたものを忘れないように』
それは相手の心を知ろうとする想いだったり、かなり前の話だが可愛い敵に攻撃するのを躊躇った自分だったり、大切な友人や恋人や家族が本当に好きだったり。
なによりも、歌を謡う事を何より愛する事ですら。
「ま、これも過去から学んだ大切な事やんな」
短冊を小さな笹に吊り下げると、笹を振りかざしながら天の川を見上げ、この場に最もふさわしい誰もが知っている歌を楽しげに歌うのであった。
それが、自分の役目だから。
(撃退士への感謝……それを受け取る資格が、私にあるのでしょうか)
マリア・ネグロ(
jb5597)はそう、自問する。
冠する名は撃退士でも、自分の体を流れる血は彼らにとって忌むべき者達と変らないから。
その昔、天の眷属としてそれが正しいと信じ、人の子を殺めた感触。腕の中で人から、人だった何かへと変わってゆく光景。自分を救いと信じ――裏切られた人々。
それらが次々と、脳裏に浮かぶ。
自分の手に視線を落すと、自分の目にはありありと、自分以外の誰かが流した血に穢れただけの手が見える。
天の眷属としての立場を全うするでもなく、人の子の護り手としてすら果たせなかった自分の手――酷く不潔な物に思えた。
(そう、私は誰かに感謝されるようなことは何もしていない……)
自らの行動の無意味さと、抗うだけの力を持たぬ事に悩む日々を、ただ闇雲に過ごしてきただけだ。
だから絞り出す様に短冊へ書き込んだ、言葉。
『皆の未来が幸せであるように』
マリアは知る由もないが、とてもありふれた言葉。だがそれは確実にマリアの願いをこれ以上ない程、最も表していた。
この行事の意味に意味を見いだせぬグレイフィア・フェルネーゼ(
jb6027)が、くるくると指を紐に引っ掛けて短冊を回していた。
(過去に戻れるわけでもないのに……まぁ、いいでしょう)
短冊を掌に乗せ、言われるままに解決したい過去を振り返る。
(今一度、あの時の主にお仕えし、今度こそお救いできればと思いますね。あとは……)
今は不可視にしている翼に目を向け、忌々しそうに唇を噛みしめた。純白ではない、漆黒の翼に向けて。
(忌々しい、この呪われた漆黒の翼から解放されたい……これのせいで、主に会うまで碌な人生を送れなかったのですから)
嫌な過去を思いだし頭を振ると、短冊にさらさらっと軽く書き記す。
『新しい主を探す事』
そしてペンを唇に当てたのち、その下にさらっと追加。
『人間への恩返し』
翼については、決して触れない。翼への想いが、これからも変わることなどありえないのだから。
「皆……無事かな。加減はしたし、大丈夫だよね……?」
昔の事などほとんど考えないミリオールだが、これを機に偶にはしっかり考えてみると、自分が堕天する際に撃破した元仲間達の事が思い出された。
後悔はない。だが、夢のためとはいえ傷つけた元仲間達には少しだけ申し訳ない――そう思い、短冊には名前を綴る。
「……これはさすがに、帰れないのですワ」
短冊には細かい文字でびっしりと、名前が綴られている。その隅へ申し訳程度にこう加えた。
『ごめんなさい』
そして短冊を吊るし、麻里子の元へと向かうのであった。
「過去のこと、かあ。やっぱりあの頃の皆のことになるかな」
イタリアで、一緒に魔法を学んでいた友人達を思い出していたソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)。
しばらく会っていないので雰囲気とか変わってたりしてるのかな、と考える。そうなってくると、懐かしいと思うと同時に、久しぶりに会って話がしたいという想いも、少しだけ芽生える。
「やっぱり、会ったり連絡取り合ったりするのもなかなか難しいからね。皆今頃はどんな風になってるのかな……魔女として、うまくやってるかな」
「魔女さんなのー? ソルシェと同じだねー」
魔女という言葉に敏感に反応したソルシェ・ロゼ(
jb6576)が顔を俯かせながらも、ソフィアに話しかけた。
「そうだけど、あなたも?」
「うん。ソルシェは『物創りの魔女』だったから、昔は色んな物を創ったねー。こんなの作ってーってお願いされた事たくさんあったよ。でもその殆どが悪用されてたの。ソルシェかなしー……
それにソルシェが魔女だからって意地悪する子もたくさんいたね。痛い事たくさん。角も片方折れちゃった」
折れた角をさするソルシェ。
「でも、ちゃんと良い事に使ってくれた子もいたの。ソルシェの事怖くないよって言ってくれた子もいたの。そういう人達は皆キラキラ綺麗。ソルシェ綺麗なの大好き――だから短冊にはこう書こうかな……」
まくし立てていたソルシェが短冊に向き合う。
『優しくて綺麗な心の子が、たくさん幸せでありますように』
その願いを「かなうといいね」とソフィアが笑って言った。
「きみはどうなのー?」
「そうだね……こうかな?」
『久しぶりに皆と会いたい』
格別仲が良いわけでも、悪いわけでもなかったごくごく普通の仲間達。あの当時の競争相手が今はどうなのか、きっと今では自分のが上だろうとか思いながら、そう綴ったのであった。
「後悔、か…そうだな。伝えるべきでもないものは、いっそ流してしまおうか」
そうして悠市が書いた言葉。
『一番悩んで辛かった時に助けになれず、すまなかった。しかし、私は今でも、勇敢なお前にでなく、憶病な私にアウルの素質があって良かったと思っている』
書き終えると眼鏡のずれを直しながら、自虐的な笑みを浮かべる。
「とっくに和解していることなので、ただの自己満足だが、な……ああ、それと後半は口に出すと殴られるな、きっと」
3歳下の弟に向けての言葉。昔から正義感や使命感が強かった弟が警官になろうとした時に、危ないからと強硬に反対したことが今でも心残りだった。
だがもう今更だし、自身が言った通りに伝えるべきではない言葉でしかないだろう。
だから今はするべきは。
「……今度、酒にでも誘って愚痴を聞いてやるか。せめて、末の弟が飲めるようになるまであと2年。お互い生き伸びないとな」
みんなの輪から離れヨナ・オフィーリア(
jb6938)ただ茫然と立っていた。
「過去、とは、なに」
思い出せることが、ない。久遠ヶ原に来た理由さえ。
まだまだ少女と呼べる幼い彼女には不似合いなほど、抑揚のない瞳で短冊を見つめる。
――あまりにも多くのモノを失いすぎ、気持ちの整理がついていない。それどころか、失った事すら心の奥底へと追いやってしまって、覚えていても決してそれは思い出されない思い出である。
ただ瞼を閉じると、ふと思い浮かぶ気持ちがある。
『あいたい』
誰に、なのかは自分も分からないがいつの間にか短冊に、そう書いていたヨナはただただ静かに、その無意識の想い見つめ続けるのであった。
沙 月子(
ja1773)は天体望遠鏡を持ちこんで、星を眺めている。
だが考えないわけでもない。
(久遠ヶ原へ来て、私は何か変わったでしょうか)
偽りの笑みを浮かべる日々。人間嫌いの対人恐怖症。孤独を好む――自嘲気味に口元を吊り上げる。
「授業をまともに受けられるだけマシ、ですね」
アウルに目覚めた事がきっかけで、中学時代いじめに遭った。違うものをはじき出す社会を忌み嫌い、カウンセラーの薦めでここへ来た。
(友達も、できましたし)
思い返してみると、少しは良くなったのかなと。猫へ依存する生活は変わらないのだが、それでもやはりだいぶマシだ。
今願う事はそれほどない。ただあえて書くならばと、短く。
『帰省』
いまだ1度も里帰りせず、親と連絡を取っていないからこその、願い。でも今はそんなもので十分だろうと、再び望遠鏡を覗き込むのであった。
●皆の願いと共に
川へ辿り着くと、やや大ぶりの笹が投げ込まれ、小さな笹も何本か投げ込まれる。
「いっせーの……っせ!」
川に手を入れた凪の掛け声に合わせ、咲月と直哉は短冊から手を離す。
流れていく短冊に3人は顔を見合わせ、嬉しそうな笑みを互いに向けていた。
涙ぐんでいたミリオールは羽を広げ、今や届かない天の川へ向け飛んでいく。ぐんぐん、ぐんぐんと近づいているはずなのに、一向に近づく事の無い星達。
だがそれは昔よりもはるかに輝いて見え、地上を見下ろせば皆が楽しそうに笑っている。
「後悔はしてないのですワっ」
その想いが未来へと、きっとつながるのだろう――
【雲梯】2度目の願い 終