「偵察ミッションねェ……できれば面倒なことにならなければいいのだけどォ」
「そうですね……ヴァニタス1人倒したいですが場所が悪いですし、情報収集に留めるが吉、でしょうね」
黒百合(
ja0422)の率直な意見に、Rehni Nam(
ja5283)が頷き、念を押すかのように1人1人に目を向ける。
「方針、再確認しましょう。
戦闘は極力避ける、数日の監視、情報取得、万一住人が襲われた場合のみ交戦――ですね?
戦闘になった際ですが、私達はアルカードの監視を続けます。援軍はありません。
その代わり、アルカードが援軍に向かうのも何とか阻止します――ですが、もしもただの人同士の喧嘩として収まりそうであれば、そうしていただけた方が、助かります」
「――わっかりました! 大丈夫です!」
背中を向けていた桜庭愛(
jc1977)が振り返り、笑顔を作る。
それを見て、苦虫でも噛んだような口をする雪ノ下・正太郎(
ja0343)。
(愛ちゃん、こだわってたからな。それに、他の依頼を蹴ってまできたんだし……ここは俺が愛ちゃんの気持ちを汲んであげないと)
少し複雑な空気が漂ったが、それが一瞬にして吹き飛ぶほどひまわりのように明るくて眩しい笑顔を作り、誰よりも元気いっぱいの雪室 チルル(
ja0220)だった。
「あたいがいるから、大丈夫よ! どろぶねに乗ったつもりでいることね!」
「よくある笑い話だが、素でそれを言った人間を見たのは初めてだな……」
アルジェ(
jb3603)の気の毒そうな目を、不思議そうな顔で返すチルル。こういう事をアルジェは真似できない分、ほんの少しだけ羨ましい――と思ったか定かではないが、チルルへ畏敬の念を抱くのであった。
「まあ、なんだ……情報収集は戦略上大事なこと、できるだけ多くの収穫が欲しいな。とりあえず、すまないがアルはまず、シェインエルに話を聞きに行こうと思うのだが、いいか」
「それは問題ないと思います――では、作戦開始です」
シェインエルのアザから皮膚を採取し、学園に解析を頼む文書も同封してそれを送るアルジェ。
「それは悪魔アルカードに付けられたものだと言ったな。どういった能力なんだ」
「ヤツの攻撃を喰らった箇所はまず、たとえ治癒をかけてもしばらくの間、同等の痛みが繰り返し襲い来る。それはやがて、天界の力を供給してもらっている者の身体を蝕む。
やつよりも高位であればただの打撲のようなものだが、そうでなければ能力を使うたびにぶり返し、さらに身体を浸蝕してくる」
「なるほど、自分より格下にしか効果はなしと。とするとお前自身の格が上がれば……いや、それも難しいことか」
「そうだな。ゲートでも使えば別だが、私はミアに人を殺さぬと約束した……あれの力は寿命を削る、と言っても差し支えはない。
だからこそミアは、浸蝕された自分が天界にいても役に立てないと知り、人間界に降りたのだ」
ソファーに身を沈めると、深く、息を吐き出した。
「……ミアは、死んでいるのだな」
「人間界にいた、トランペットをラッパと呼んでいた美亜という天使は間違いなく死んだ。屋上から落ちそうになった娘を助けようとして力を使い、そのまま床に伏して亡くなったそうだ」
「間違いは、なさそうだ……」
表情が固まり、口を閉じたまま目が遠くを彷徨っている。その様子にどんな関係だったのか野暮な問いはせず、ただ黙って次の言葉を待つ。
「ペインメモリー。
私は奴のこれをそう名付けた。あれのヴァニタスも、近いものは使えるようだ」
「対処についてはなにかあるか」
「お前達の場合、ここまでひどくはならん。喰らってしまった後どうするかは、お前らの方が閃くだろう」
「なに、対処法を研究しておく価値はある、我々には様々状況が起こる。効果対象が広がったその時迅速に対処できる事は、アドバンテージになる――さて、戻るか」
いつもの葉巻を取られ、どことなく不機嫌なRehniのヒリュウ『大佐』とRehniが、風景と同色に変化しながらも廃工場へと近づいていく。
扉の開閉音、歩く音、さらには自分の影にすら気をつけて、入口からではなく崩れた壁から加工場へと潜入する。
(事務所か、休憩室あたりにいそうです)
そう、目星をつけていた――が、予想外にアルカードは広い加工場の真ん中にいた。
息を飲み、その場で身を潜めてメールで発見の報を知らせると、アルカードを観察するが、双眼鏡で唇の動きを見ても、ただの息吹きでしかない。
(あれは、空手の型、でしょうか)
払いからの正拳突き。それをひたすら繰り返している。右が終わったかと思えば、左。それが終わったと思えば、今度は蹴りをひたすら。
全部終わったのか、足をそろえての深呼吸――そしてまた正拳突きを始める。
監視を始めてから数時間ずっとそんな調子で、Rehniは一旦、引き返すのだった。
「すまない、差し入れだ。交代するので食べるといい」
身を潜める場所として近くの廃墟に引き返してきたRehniへ、帰ってきたアルジェがクーラーボックスから冷たい笹かまを渡した。
お茶とお握りを用意していたRehniが、小首をかしげる。
「なぜ笹かま……目標は加工場の中央でひたすら鍛錬を繰り返しているばかりで、目立った動きはありません」
「ふむ……それなら誰かが入らん限り、安心か」
「知らずに来そうな地元の心霊サークルには、心霊現象に天魔が関わっているかどうかの確認ということで、自粛してもらいましたから、来る事はなさそうですが……」
「そうか。なら休んでいてくれ、しばらく私が監視を続けよう。夏場でよかった、冬場だと暖を取りずらいからな」
こうして監視を続けたが鍛錬は深夜になっても終わる気配がなく、近くの民宿で泊まって朝、再び監視を続けてもやはり同じことの繰り返しである。
それでも数日過ぎたある日、ある出来事が起こった。
夜、遠くから来る懐中電灯に嫌な予感を覚え、2人が警戒しながら駆け寄る――が、幸いにも若い少年少女達だった。
「学生か? すまないが肝試しは延期してくれ。現在ここは久遠ヶ原の権限で、立ち入りを禁じている」
少年少女は文句を言いながらも引き返していく。もしもアルカードと出会ってしまっていたならと思うと、Rehniは身震いして――ふと思いついた事があった。
シェインエルから提供された資料で『敵意あるもの以外は殺さない。戦えない者に興味はない』という彼がもし、潜伏中に一般人と出会ってしまったらどうするのだろう、と。
夜が明け、相談した結果、Rehniは思い切って怪奇サークルの下見を名目とした、一般人のフリをして加工場へと踏み込んだ。
アルカードと目があったが、問答無用で襲ってくる気配は、ない。
「あー……帰ってしばらく肝試し中止の連絡しておきます。ですから貴方も――」
「お主、撃退士とかいう輩だな? ただの人間にはない、強者の気配を感じるぞぉ?」
まさかという思いが、Rehniに走った。だがそれでもいきなり逃げ出しては肯定する事になると、冷静に首を傾げた。
「ほむ……ええと……?」
「とぼけぬともよい。吾輩は天使という正義の輩と戦う、悪のヒーローなのだ! ルシフェル様の命でもない限り、お主ら人に興味などぉぉない!
ここしばらく、吾輩に熱い視線を送っておったな? この! 研ぎ澄まされた! 肉体を! この、ルシフェル様の次に美しい吾輩の肉体に、見惚れるのも仕方あるまい!!」
暑苦しいポーズをとられ、気づけばRehniは半眼となっていたが、そんなことはお構いなしに続ける。
「そうだ小娘よ、吾輩がここに居ることを、広めてはくれんか。吾輩を楽しませてくれる天使の耳に入るよう――吾輩は逃げも隠れもせんとぉ!!
この鋼の黒き肉体はぁ! ぬるい攻撃などぉ物止めせず! 吾輩の拳はぁ! 命を喰らうぅぅぅ!」
暑苦しさに負けてRehniがいなくなっているのにも気づかず、アルカードは口上を続けるのであった。
身体に草を付け、露出した肌を黒く塗った黒百合が畑に隠れつつも、双眼鏡でレースカーテン越しの人影や、玄関からの出入りを観察していたが、ある一軒の窓に注目する。
スマホを取り出し、声を潜めて一報。
「ヴァニタスの住んでる住宅を、発見したわァ」
「りょーかい。じゃあ、あたいは少し移動するわ!」
枝を折らないように気を付けながら、ピョンと地上に降りるチルルは身を低くしたまま移動して、別の木にスルスルと登って枝に腰をかけながら、葉の隙間から双眼鏡で覗き込む。
廃校の一角に機材をおろし、そこで監視をしていた正太郎がまずは居場所についてシェインエルと学園に報告すると、双眼鏡で普通に住宅の周囲をうろついている愛の動きに注意した。
「気を付けなよ、愛ちゃん」
「何かあったら真っ先に向かうよ!」
無線から聞こえるチルルの心強い言葉に、正太郎は少しだけ安心するのだった。
不動産屋に「あそこに空はないけど、交通が不便ですぐ出ていく人も多いから、今から見学もできますよ。住民には連絡しておくから」と許可をもらい、堂々と歩きまわって優達のいる住宅以外のチャイムを鳴らしていた。
住む場所を探している学生風、ということでちゃんと制服を着用し、持ち前の明るさで世間話のついでに、つい最近増えた住民について聞いてみる。
「――どんな方が住んでいるんですか?」
「いや、あそこはもともと老夫婦がいたんだけどね、そこに孫がやってきたんだよ。お兄さんの方はちょっとアレな人だったけど、妹さんの方はしっかりしていて可愛かったなぁ。といっても、あんま外に出ないみたいだけど」
「そう、ですか」
先にいた老夫婦――それには顔を曇らせてしまったが、隠す様に「ありがとうございました」と頭を下げる。
愛の懐にある無線機から、「人のふりがうまいみたいねェ」と聞こえてくる。
数軒訪れて聞いてみるが、返ってくる反応は一様に「妹さんは礼儀正しくしっかりしている」という事ばかりで、あまり新しい話は聞けなかった。
夜間も黒百合がナイトビジョンで観察を続けているのだが、優達が外に出て来た事すらない。ヒリュウに色々偽装してスマホを窓の近くに吊るしてもらったが、時折、嬌声を拾うくらいで、あまり効果も出なかった。
日をまたぎ、次の日もやはり成果が上がらず、その次の日も、そのまた次の日も、同じである。
少しの変化と言えば、カーテンが閉めっぱなしの住宅が増えてきた、それくらいだった。
その事に多少の違和感を感じはしたが、照りつける太陽に下にいれば、カーテンを閉めて光をいれたくない気持ちもわかる。それに、夜になれば明かりはつくのだし、消す時間もまちまちである。
愛が玄関口で帰された家もあり、どんな人が住んでいるか全て把握しているわけでもないし、どんな生活リズムなのかこの数日ではわかるはずもない。
もしかしたら在宅ワークだったり、滅多に外に出ない人が独り暮らししている可能性もある。だからこそ、違和感は感じても、何かがおかしいとはっきり確信を持つにはなかなか至らなかった。
そしてやっと動きを見せたのは、加工場でRehniとアルカードが会話している、その時。
愛が優のいる住宅周辺でうろうろしていると、不意に玄関が開き、優だけが飛びだしていった。すぐに尾行しようとしたが、優はすぐ隣、愛が最初に情報を聞いた男性の住宅へと駆け込んだのだった。
「すみません、祖母が倒れてしまって……!」
「そりゃあ大変だ!」
男性が優の後を追う――そこに、闘気を溢れさせ白いラインが入った蒼いハイレグの愛が、全身全霊のダッシュで駆け寄り、痛烈なハイキックを優にお見舞いした。
軽い身体が跳んで、背中から地面に落ちていく。
「下がってください――!」
足首に痛みを感じて、顔をしかめた。
「蹴るポイントというのは予測しやすいからな」
顔の横に置いた手を離し、平然と立ち上がる優。
足首を外された――だがそれでも愛は、ルチャリブレ。痛みを無視して、華麗なフットワークで優に向かっていく。身構える優の直前で手に持った携帯でパシャリと、優の顔を至近距離で撮った。
「激写、成功!」
「……っち。まあそろそろ、姉さんにばれてもいいか」
「あーたーい、参上! そこの人、早く逃げて!」
氷結晶の和弓から矢を放ち、優の足元に氷柱を突き立てつつ、チルルが現れる。
呆然とする男の襟首を掴んで後ろへ放り投げた黒百合が、チルルの牽制で1歩退いた優へ一気に接近し、攻撃するそぶりを見せながら一瞬でヒリュウを優の後ろに召喚、優の手が伸びるより先に下がりながらも、死角からヒリュウに真空波を放たせる。
膝をついた優の前に、地面から弾かれて優コピーが続々と出てきたのだった――
「天魔が出現しました! 避難を――……?」
阻霊符を発動させて住宅へ避難指示を出しに向かった正太郎ことリュウセイガーだが、玄関に鍵がかかっていなかった。
そして、むせ返る血の臭い。
踏み込んだリュウセイガーが寝室で見たものは、赤く染まって重量感を増した布団と、パーツの足りない人間だった。
「くそぉぉぉ! 優め!」
走り出すリュウセイガー。合流した時、ちょうどコピーから肉をむしり取って自分の傷を塞いで立ち上がる優の姿があった。
「どうやら数日監視していたみたいだが、その様子だと、地面を透過して襲っていた事に気づかなかったようだな。息継ぎの必要もない距離だし、寝室もわかりやすいから実に襲いやすかった。
お前らがいたのなら、多少面倒ではあったが電気をつけたり消したりの偽装もした甲斐もあるというものだな」
「ああらァ、それは確かに外からじゃ見えないわァ。室内に監視カメラでも仕掛ければよかったわねェ」
「だが、あの列だけはまだ生かしてある――ただし、室内で英純が照準を合わせているがな。あれくらいならすべての建物ごと、人も吹き飛ばせる。お前らに動かれたら、うっかりやるかもしれんがな」
わかりやすい脅しに、チルルが大型エストックを振り回す。
「くっそー、卑怯よ!」
「私はか弱いから、姑息なんだよ――さて、地元スレに『昨夜、例の幽霊工場に行こうとしたら撃退士に邪魔された、腹立ったんでこっそり見に行ったら、変なムキムキのおっさんがいてホラーだった』という書き込みがあった。
……いくらスマホを持たせても握り潰すうちの馬鹿が、どうやらそこにいるらしいのでな。お前らにはすまないが、ここでおさらばさせてもらうよ」
手を上げ、「英純!」と叫ぶ。
「あいよぉぉぉお!」
掛け声とともに優のいた住宅が吹き飛び、ワゴン車サイズのマグナムに乗った英純が飛びだしてきて、それに優達がつかまった。
デカイ銃が反動で空を飛ぶ――馬鹿げていて滑稽な姿だが、実際、目の前で起こっている現実であり、それに追いつく事も出来ずに、優達を逃がしてしまったのであった――
「これが、報告書です」
うなだれた一同の中、正太郎から報告書を受け取り、百合子がペラリとめくる。
「ええっと、16棟の住民が殺された。居場所は特定できたけど、優達はアルカードの元に行かれてしまった、と。居場所がハッキリしていますけど、ちょっと面倒になりそうですね。
優の写真があれば、あとは私が調べられますからいいんで一応、依頼的には成功と呼べますが……成功したと、思えます?」
百合子に問われ、そうだと言える者は誰もいなかった――思ったとしても、とてもではないが言いだせる空気ではない。
「……くそ、俺はなんて無力なんだッ」
優に触れる事すら叶わなかった正太郎。それ以上に、意気込んで一撃お見舞いまでしたのに、それだけで終わってしまった愛は正太郎以上に悔しそうだった。
握る拳から、血が滴り落ちる。
「次こそは……!」
シェインエル物語2 終